山中浩史

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山中 浩史
東京ヤクルトスワローズ #68
HAWKS39-YAMANAKA.jpg
ソフトバンク時代
(2013年5月21日 福岡ヤフオク!ドーム)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県天草市
生年月日 (1985-09-09) 1985年9月9日(32歳)
身長
体重
175 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2012年 ドラフト6位
初出場 2013年4月3日
年俸 4,100万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山中 浩史(やまなか ひろふみ、1985年9月9日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属する熊本県天草市出身のプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

6歳年上の兄の影響で小学校3年生からソフトボールを始め、新和中学校では軟式野球部に所属。当時はサイドスローだった。熊本市立必由館高等学校に進学後アンダースローへ転向、3年夏に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。背番号1ながら故障の影響により予選から登板は少なく、甲子園でもリリーフとして2回を投げたのみ(無失点)であった。チームは3対6で光星学院高に敗れ初戦敗退。

九州東海大学(現在は東海大学に統合)では、3年時にエースとして春秋制覇。3年春の第55回全日本大学野球選手権1回戦東北学院大学戦では10安打を浴び5失点ながらも岸孝之に投げ勝ち完投勝利を挙げている。2回戦では近畿大学を8安打4失点に抑えたが大隣憲司に完封され0-4で敗退。

大学卒業後は本田技研工業に入社してHonda熊本に所属。1年目から先発、抑えに貴重な戦力として活躍。1年目春のスポニチ大会東京ガス相手に2失点完投勝利。2年目は都市対抗予選全4試合に抑えとして登板し12.1回1失点(自責0)の働きで6年ぶりの東京ドーム進出に貢献。本選では3試合8.1回を投げ無失点投球で16強入りに導いた。9月には日本代表に選出され第38回IBAFワールドカップに出場。国際大会で下手投げの強みを発揮、予選ラウンドで敗退となったチームにあって4試合7.2回16奪三振1失点の快投を見せている。2011年の第39回IBAFワールドカップも2大会連続で日本代表に選出された。

27歳で迎えた2012年のプロ野球ドラフト会議で、地元球団の福岡ソフトバンクホークスから6巡目で指名。契約金3,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は39。なお、指名の直後には、Honda熊本での同僚女性と結婚している。

プロ入り後[編集]

ソフトバンク時代[編集]

2013年には、キャンプ・オープン戦で結果を残して公式戦の開幕から一軍の先発陣に食い込んだ。しかし結果を残せず一軍公式戦では0勝2敗、防御率5.52にとどまったが、ウエスタン・リーグ公式戦では10勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得した[2]

2014年には、6月3日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で、2番手投手としてシーズン初の一軍マウンドに臨んだ。しかし、3回2失点という内容で交代すると、東京ヤクルトスワローズへ移籍するまで一軍公式戦の登板機会がなかった。

ヤクルト時代[編集]

2014年7月20日に、川島慶三日高亮との交換トレードで、新垣渚と共にヤクルトへ移籍した[3]。背番号は68で、移籍発表の5日後(7月25日)には、対横浜DeNAベイスターズ戦(明治神宮野球場)8回表無死から、4番手投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たした[4]。その後も7試合に登板したが、勝敗とも付かず、通算投球回数10回2/3で4本塁打を浴びた。

2015年には、6月12日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)でシーズン初の一軍公式戦登板。自身と同じアンダースローである牧田和久と先発で投げ合った末に、6回3失点という内容で一軍での初勝利を挙げた。以降もローテーションの谷間での先発登板で好投を続けたことから、8月からはローテーションの一角に定着。8月11日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、前述のシーズン初勝利からの6連勝を、一軍では自身初の完封で成し遂げた。ヤクルトの投手による一軍公式戦シーズン初登板からの6連勝は、国鉄スワローズ時代の1958年金田正一が9連勝を達成したことに次ぐ連勝記録である[5]。しかし、8月18日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で1失点ながら7回裏の途中に降板すると、右大胸筋の肉離れが判明。この試合では自身に勝敗が付かなかったものの、翌8月19日に出場選手登録を抹消された。9月20日の対阪神戦(甲子園)で、先発投手として一軍復帰を果たしたが、5点を失って2回裏の途中に降板。そのまま敗戦投手になったため、自身の連勝は6で止まった。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦で先発投手として6勝2敗を記録するとともに、チームのセントラル・リーグ優勝へ貢献。チームはクライマックスシリーズ日本シリーズへ進出したが、山中の登板機会はなかった。

2016年には、シーズン初の一軍マウンドであった4月20日の対阪神戦に勝利したことを皮切りに、2度の出場選手登録抹消をはさみながら一軍の先発ローテーションへ定着。阪神打線とは特に相性が良く、6試合の登板で3勝1敗、防御率1.49という好成績を残した。高校の後輩・岩貞祐太と初めて投げ合った8月28日の阪神戦(いずれも甲子園)では、1回裏に1点を失っただけの9回完投によって、同カードでの自身3連勝と2試合連続完投勝利を達成している[6]。その一方で、リーグ優勝を果たした広島との対戦で4戦全敗、防御率7.91を記録するなど、カードごとの対戦成績に極端な差が見られた。一軍公式戦全体では、オール先発で自己最多の22試合に登板。通算で6勝を挙げたものの、能見篤史(阪神)と共にリーグ最多の12敗を喫した。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2013 ソフトバンク 17 2 0 0 0 0 2 0 1 .000 136 29.1 43 1 12 0 0 11 2 0 19 18 5.52 1.88
2014 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 13 3.0 4 0 0 0 0 1 0 0 2 2 6.00 1.33
ヤクルト 9 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 52 10.2 17 4 4 1 0 7 1 0 8 8 6.75 1.88
'14計 10 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 65 13.2 21 4 4 1 0 8 1 0 10 10 6.62 1.76
2015 9 9 1 1 0 6 2 0 0 .750 210 50.0 54 5 7 0 5 20 0 0 21 18 3.24 1.22
2016 22 22 3 1 2 6 12 0 0 .333 578 140.0 140 17 20 2 9 54 1 0 56 55 3.54 1.13
2017 13 13 1 0 0 2 6 0 0 .250 333 75.1 91 11 17 1 4 29 0 0 45 43 5.14 1.43
通算:5年 71 46 5 2 2 14 22 0 1 .389 1322 308.1 349 38 60 4 18 122 4 0 151 144 4.20 1.33
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はそのシーズンにおけるリーグ最高

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 39 (2013年 - 2014年途中)
  • 68 (2014年途中 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ヤクルト - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月10日閲覧。
  2. ^ “【ソフトB】山中2軍最多勝も現状維持”. 日刊スポーツ. (2013年12月5日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131205-1227331.html 2015年3月18日閲覧。 
  3. ^ 東京ヤクルトスワローズとの複数交換トレードについてソフトバンク球団公式サイト2014年7月20日配信
  4. ^ ヤクルト DeNA戦7連敗…トレード移籍山中の好投が光明スポーツニッポン2014年7月26日配信
  5. ^ ヤクルト山中、プロ初完封で開幕6連勝 デイリースポーツ 2015年8月11日
  6. ^ ヤクルト山中 必由館後輩・岩貞に投げ勝ち「熊本が盛り上がれば」 スポーツニッポン 2016年8月29日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]