アイドル

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アイドルとは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を指す英語idol)に由来する語[1]稲増龍夫カネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物と定義している[2]

概説[編集]

キャラクター性を全面に打ち出し、ダンス演技お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[2]。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[2]

「アイドル」の起源[編集]

1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれて熱狂的な人気を生んだフランク・シナトラらがidolと呼ばれ始めた[3]

日本型「アイドル」の誕生[編集]

日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられた[4][5]

明日待子は「日本で最初のアイドル」(の一人)として挙げられる[6][7]1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[8]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」と並行して「アイドル」の呼称が用いられるようになった[9]

1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された。1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[10]

その後、現在に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない『感動しやすい習性』『精緻なる感受性』をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、民族学者・柳田國男の評論が持ち出されるケースがある[11]。なお、日本におけるアイドルの隆盛時期は、不況の期間とほぼ完全に一致している、という分析もある[12]

男性アイドル史[編集]

「アイドル」以前[編集]

1950年代の映画の全盛期には、日活映画や歌で活躍した石原裕次郎東宝や日活などのニューフェイス、1960年代に「御三家」と呼ばれた橋幸夫舟木一夫西郷輝彦ら、中盤には三田明が台頭し、御三家に三田を加えて「四天王」と呼ばれた。他にスリーファンキーズ、或いは、日劇ウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー歌手、グループ・サウンズ1970年代新御三家ら、そして、初代ジャニーズあおい輝彦ら、折々の時代に即した多くのスターが登場した。

1970年代[編集]

郷ひろみ西城秀樹野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロないしバンドとして活動を続けた沢田研二も『ザ・ベストテン』など歌番組の常連として人気を保った。ザ・スパイダース堺正章井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズ萩原健一オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。

新御三家の他にはフォーリーブスジャニーズ事務所所属)やフィンガー5にしきのあきら野村将希伊丹幸雄荒川務らが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。

この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[13]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕(ジャニーズ事務所所属)や三善英史のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや情報番組『ぎんざNOW!』出身の清水健太郎や、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、藤正樹新沼謙治や、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介渋谷哲平川崎麻世(ジャニーズ事務所所属)らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。

一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和石橋正次桜木健一近藤正臣星正人草川祐馬国広富之広岡瞬などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も多く現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場するほどの大ヒット曲「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)に恵まれている。沖雅也日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。森田健作仲雅美井上純一は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によってアイドルとなった。井上はヒット曲に恵まれなかったが、森田、仲はそれぞれ大ヒット曲を持つ。

この時代はまだロック・ミュージックが一般化していなかったため、のちに本格的なロックギタリストとして名声を博すCharやシンガーソングライターの原田真二もアイドルとして売り出された。

アイドルの多様化の中、この時期から高校野球の選手がアイドル視される現象も起こった。太田幸司原辰徳荒木大輔らである。

1970年代初頭には西欧の古代や中世の格好をする日本人アイドルやGSグループには飽き足らず、本物の欧米人の歌手や俳優が招かれ、テレビコマーシャルに出演し、そのタイアップとして、日本語でレコードをリリースしヒットさせた例もある[14]。イタリア映画『ガラスの部屋』で人気となったイタリア人俳優レイモンド・ラブロックやイタリア映画『ベニスに死す』の美少年俳優ビョルン・アンドレセン[15][16]らが該当する。また、アメリカの人気ファミリーグループ「オズモンズ」のジミー・オズモンドが他の兄弟とともに出演し[17]、テレビコマーシャルの影響は大きく、日本語で歌ったカルピスのCMソング「ちっちゃな恋人」は1970年の年間28位の大ヒットとなった。レイフ・ギャレットは日本でのコマーシャル出演がきっかけで曲を日本でも大ヒットさせた[18]。 他には1970年代当時TBSで放送され、高視聴率を得ていた『東京音楽祭』で1974年にグランプリを受賞した当時13歳のカナダ人歌手ルネ・シマールは日本で大人気となり、トンボ学生服旺文社の学習参考書の広告に出演した[19][20]。世界的に人気のあったイギリスのアイドルグループ、ベイ・シティ・ローラーズは日本では本国に1年遅れで1975年に火が付き、翌年にはアルバムがチャート1位となる成功を収め、1970年代後半に欧米での人気が低調になった後も高い人気を保ち、個々のメンバーが単独で日本のアイドル雑誌の表紙を飾ったり[21]、イアン・ミッチェル、パット・マッグリンら脱退した主要メンバーがシングルやアルバムをリリースし、日本でヒットさせた[22][23]

1980年代[編集]

1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦近藤真彦野村義男から成るたのきんトリオジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。

ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘薬丸裕英布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊光GENJI男闘呼組忍者といった人気グループを次々と輩出した。ソロではひかる一平中村繁之がデビューした。また、『金八シリーズ』からは他に竹の子族出身の沖田浩之が人気アイドルとなった。

ソロ歌手としては他に竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎新田純一、映画やテレビドラマで活躍した山本陽一が挙げられる。

アイドルの多様化の中で、横浜銀蝿の弟分としてデビューした嶋大輔紅麗威甦(グリース)が人気アイドルとなり、原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾萩本欽一の番組でブレイクする。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多い。イモ欽トリオCHA-CHA勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)など。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊羽賀研二野々村真ら)、ABブラザーズ中山秀征ら)、とんねるずがアイドル的な人気を得た。

また、ロック志向のチェッカーズ吉川晃司本田恭章もアイドルとしてデビューさせる時代だった。チェッカーズは70年代に日本でも大人気だったイギリスのアイドルグループ・ベイ・シティ・ローラーズ風に、本田はデヴィッド・ボウイや80年代前半に特にイギリスと日本で人気を博したデュラン・デュランのようなニューロマンティック風にそれぞれビジュアルを強調して売り出された。ジャニーズ事務所からも野村義男がロックバンドTHE GOOD-BYEの一員としてレコードデビューした。1970年代同様に「日本でのみデビューする洋楽アイドル」も存在し、イギリス人のロックバンドG.I.オレンジが成功を収めている。ボン・ジョヴィも本国よりも日本で先に人気が出たバンドで、当初はアイドル的に[24]、80年代後半には高い人気と知名度を獲得し、ハードロック/ヘヴィメタルブームの中心となった。時流に乗る形で、ジャニーズ事務所からはテレビドラマでも活躍した岡本健一前田耕陽高橋和也成田昭次男闘呼組がボン・ジョヴィなどに影響を受けたスタイルのハードロックバンドとしてデビューした。

この頃はまだ俳優もアイドル風に売り出されるものがいた。JAC出身の真田広之中井貴一石黒賢角川映画野村宏伸、『金八シリーズ』出身の鶴見辰吾、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした清水宏次朗仲村トオル西川きよしの息子西川弘志、モデル出身の阿部寛、子役出身の坂上忍菊池健一郎らである。歌うアイドル俳優として特筆すべきなのは『太陽にほえろ!』の「ラガー刑事」役で人気を博した渡辺徹で、シングル「約束」が自身も出演したグリコ「アーモンドチョコレート」のCMのタイアップソングとなり、1982年の年間ランキングでは33位にランクインする大ヒットとなっている[25]。他にヒット曲を出した俳優としては、湯江健幸横山やすしの息子の木村一八、子役アイドルとして人気を博した高橋良明がいる。特に複数のヒット曲に恵まれた木村と高橋はジャニーズ事務所所属者に席巻された80年代後期の男性アイドルシーンにおいて健闘を見せた。しかし、木村は1988年に自身の起こした傷害事件で少年院送致となり、アイドルとしての前途が断たれた。高橋は交通事故1989年1月に16歳で夭折、と共に不幸な結果に終わってしまった。

1990年代[編集]

主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、当初は光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、バンドブームの到来や元ジャニーズ事務所所属のタレントの暴露が続くなどのあおりで失速。女性アイドル同様に冬の時代を迎えていたが、中盤からは、デビュー当初からバラエティー分野での活躍が目立ったSMAPが現在に至る人気を確立し、更に、KinKi KidsTOKIOV6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉は俳優として、中居正広はバラエティー番組の司会のみならず、NHK紅白歌合戦等の司会を務めるなど、従来のアイドルには無かった地位を確立し、その他のメンバー個人も個々の活動で成功した。また、SMAPがテレビの第一線で長期で活躍する影響もあり、30代、40代でもアイドルとして活躍でき、男性アイドルの寿命が伸びた。一方でジャニーズの寡占状態で、アイドルの多様性は失われた。

そういった90年代のジャニーズ全盛期に対抗して、ライジングプロダクションから結成されたDA PUMPw-inds.なども、グループの構成や音楽スタイルで差別化を図り、大衆から人気を集めた。また若手俳優からは織田裕二福山雅治、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。

2000年代[編集]

女性アイドルと同じく『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平溝端淳平ら、また、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョー要潤水嶋ヒロ佐藤健スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李がブレイクする。かつて1990年代に一世を風靡したZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILE、或いは女性アイドルと同じくK-POP組など、バラエティーからでなく音楽の方面から人気を博す事例も再び見られた。また、男女混合グループではavexからAAAも活躍する。ジャニーズは、2000年代半ばから後半に入って活力が低下した。 一方で、2000年前後の頃から「アイドルのファン、追っかけイコール中高生」というイメージは変わり、年配女性の追っかけ行為が盛んに報道されるようになった。先んじて1990年代にアイドルの先駆けであった舟木一夫の復活[26]、2002年にはフォーリーブスが再結成した。とりわけ2000年デビューの氷川きよしは久々に演歌界に大ヒットをもたらしたのみならず、熱心な年配女性のファンを生み、「きよ友」と称したファン仲間たちの交流はマスメディアに紹介されるのみならず[27]、年配の視聴者をターゲットにしたテレビドラマの題材にもなった[28]。更に2004年頃からの韓流ブームは中高年女性によって牽引された[29]

2010年代[編集]

2010年代現在、ジャニーズの中で大衆的な人気を得ているのはが事実上最後であり、それ以後デビューさせたNEWSKAT-TUNHey! Say! JUMPなどは、脱退メンバーも出始めるなど、大きな成果を出せずにいる。LDHのEXILE系列グループは、もともとはアイドルではなかったが、若年メンバーが数多く登場してきてアイドル性が強化されている。これらのグループは、ジャニーズに比べて男性的なイメージと大衆の志向に合致する楽曲で好評を得た。

さらに、2012年に入って日韓の政治的関係が、徐々に冷却され、これによりK-POP男性アイドルが日本のテレビ番組などに出演することが、非常に困難となった。その代わりにLDH系列グループが従来の韓流アイドルの需要を吸収し、その代替材として置き換えられたとされている。しかし、韓流固定ファン層と市場を確保しているため、SEVENTEENSHINeeEXOIKON防弾少年団などをはじめとする、さまざまなグループが、そうした状況の中、安定的に活動している。一方、ライジングプロダクションの男性アイドルも活動が多く減り、スターダストプロモーションなどからも男性アイドルグループが多数デビューしているが、こちらもまだ明確な成果はない。現在の男性アイドルは、三代目 J Soul Brothersを筆頭に、GENERATIONSTHE RAMPAGEFANTASTICS関ジャニ∞Hey! Say! JUMPKis-My-Ft2Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWESTKing & Prince超特急DISH//BOYS AND MEN祭nine.などが活動している。韓流アイドルでは、東方神起BIGBANGが人気を保持しており、宮野真守神谷浩史Kiramuneといった声優アイドルも人気を獲得している。年配女性をターゲットとした演歌アイドルとしては山内惠介純烈が挙げられる。

主な男性アイドル[編集]

1960年代[編集]

歌手デビュー年

1970年代[編集]

歌手デビュー年

1980年代[編集]

歌手デビュー年

1990年代[編集]

歌手デビュー年

2000年代[編集]

歌手デビュー年

2010年代[編集]

歌手デビュー年

女性アイドルを取り扱うメディア[編集]

テレビ番組[編集]

文献情報[編集]

  • 青木一郎[30]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
  • 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫1993年
  • 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日、 NAID 110002940787
  • 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、 43-58頁、 NAID 110006159892
  • 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[31]
  • 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927

脚注[編集]

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  1. ^ アイドル(あいどる)とは”. デジタル大辞泉の解説. コトバンク. 2015年6月7日閲覧。
  2. ^ a b c アイドルとは何か”. 産経デジタル. 2016年1月26日閲覧。
    アイドル特集【総論】改めての素朴な疑問「アイドルとは何か?」”. ダ・ヴィンチニュース. 2016年1月26日閲覧。
  3. ^ ザ・ビートルズ1962年〜1966年ザ・ビートルズ1967年〜1970年(東芝EMIアナログ盤)付録:石坂敬一による論文より
  4. ^ 『YOUNGヤング』・1964年4月号より。
  5. ^ 映画の中のみでなら、1938年松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。またフランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。
  6. ^ 日本初のアイドルがファンと72年ぶりの再会「生きていてよかった」”. スポーツ報知. 2018年1月24日閲覧。
  7. ^ 『幻の近代アイドル史』(2014年刊・笹山敬輔/著、ISBN 4779170141
  8. ^ 絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダースザ・タイガースザ・テンプターズなど。
  9. ^ 『別冊キネマ旬報』・1968年10月号より。
  10. ^ 「J-POPを殺したのはソニー」 知られざる音楽業界のタブー(1/2ページ) 産経新聞大阪本社2013年7月15日
  11. ^ 安西信一『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』廣済堂出版、2013年4月13日。
  12. ^ アイドルと景気の意外な相関関係を徹底検証 Webマガジン 月刊チャージャー 2005年12月号”. 月刊チャージャー. 2013年3月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年5月13日閲覧。
  13. ^ 1970年代 人気男性アイドル/年代流行
  14. ^ 1970/08/27 歌謡チャート
  15. ^ ビョルン・アンドレセン
  16. ^ 70年代CMソングコレクション
  17. ^ カルピスCM ジミー
  18. ^ 「ダンスに夢中」の大ヒットから徐々に転落したアイドル歌手レイフ・ギャレットの現在 ミドルエッジ、2016年10月1日
  19. ^ スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号、啓文社、昭和49年9月1日発行
  20. ^ 「ルネの「トンボ学生服」」
  21. ^ パット・マッグリンが月刊平凡 1977年12月号の表紙
  22. ^ なつかしの70年代ポップス
  23. ^ パット・マッグリン 洋楽データベース
  24. ^ 80年代のBON JOVIヒストリーをご紹介 BON JOVI FRIENDSHIP - ボンジョヴィファンサイト
  25. ^ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン ~蘇る!80’sポップスHITヒストリー~』(角川インタラクティブ・メディア)p.92 - 93
  26. ^ ザ・ノンフィクション 舟木一夫はタイムマシン〜いつまでも「高校三年生」〜
  27. ^ 博多どんたく 前夜祭整理券を配布 観光桟敷席4年ぶり復活 西日本新聞、2017年04月20日
  28. ^ 『女三人乱れ咲き!氷川きよし追っかけツアー殺人事件』テレビドラマデータベース
  29. ^ 朝日新聞、2013年04月16日朝刊
  30. ^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去
  31. ^ [1]

アイドルの種類[編集]