勝俣州和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
勝俣かつまた 州和くにかず
本名 勝俣 州和
ニックネーム かっちゃん
生年月日 (1965-03-12) 1965年3月12日(55歳)
出身地 日本の旗 日本 宮城県仙台市
静岡県御殿場市育ち)
血液型 O型
身長 171cm
言語 日本語
方言 共通語伊豆方言
最終学歴 日本大学文理学部国文学科中退
師匠 萩本欽一
出身 劇男一世風靡
コンビ名 K2(1992年 - 2001年)
グループ名 CHA-CHA(1988年 - 1992年)
相方 中村亘利、松原桃太郎、西尾拓美(CHA-CHA)
堀部圭亮(K2)
事務所 融合事務所
活動時期 1987年 -
同期 恵俊彰
東野幸治
石田靖
浅草キッド
現在の代表番組 朝だ!生です旅サラダ
炎の体育会TV
過去の代表番組 虎の門
とんねるずの生でダラダラいかせて!!
ウッチャンナンチャンのウリナリ!!
他の活動 タレント俳優
配偶者 既婚
テンプレートを表示

勝俣 州和(かつまた くにかず、1965年(昭和40年)3月12日 - )は日本お笑いタレント。元アイドルで、CHA-CHAのメンバーでもある。愛称はかっちゃん。

宮城県仙台市生まれ[1]静岡県御殿場市育ち。融合事務所所属。日本大学三島高等学校日本大学文理学部国文学科中退。血液型はO型。7人兄弟の長男。2児(1男1女)の父。

来歴[編集]

劇男一世風靡一世風靡セピアの母体)を経て、日本テレビの『欽きらリン530!!』のオーディションで萩本欽一に見出され同番組にレギュラー出演、欽ちゃんファミリーの一員として活動する。同番組にてアイドルグループ『CHA-CHA』が結成され、その後冠番組CHA-CHAワールド』への出演や、音楽番組に出演するなどアイドルとしても活動。1990年頃までは俳優として活動する機会も多かった。『CHA-CHA』解散後の1992年には堀部圭亮と共にお笑いユニット『K2』を結成し、以降は『笑っていいとも!』、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』などのバラエティ番組を中心に活動していた。

また、クイズ系番組へのゲスト出演も多く、2000年12月から2005年3月までBS-iで放送した『TIME OVER』では芸能人ナンバーワンを獲得している。

私生活では独身時代が長かったこともあり、テレビ番組『ウリナリ!!』の企画ユニット『もてないブラザーズ』として、内村光良と共に「もてないキャラ」として取り上げられた時期もあり、本上まなみとのデート企画が行われ正式交際寸前までいったが成功しなかった。その後、2002年10月4日に一般女性と結婚し、2004年10月25日には長女が誕生した。

欽ちゃんファミリーであることから誤解されがちだが、浅井企画及び関連事務所には所属していない。CHA-CHAのマネージメントは浅井企画が行っていたが、当時浅井企画に所属していたメンバーは西尾拓美と松原桃太郎の2人だけだった。

人物[編集]

テレビ番組には年中、七分丈ズボンを履いて出演することで知られる。

デビューの経緯から萩本欽一を師匠と仰いでいるが、芸人やコメディアンを目指していたわけではなく、たまたま合格したことから上下関係は希薄であり、当初からフレンドリーな会話や相談事をしていた[2]

芸能界における人脈[編集]

ゲストとしても多数のバラエティー番組に出演。MCや冠番組は持たないものの、出川哲朗月亭方正ふかわりょうなどと同様、共演者を選ばないバイプレイヤーとして活躍している。

和田アキ子とは家族ぐるみの付き合いがあり、芸能界における「アッコファミリー」の代表格として知られている。

あぶない刑事』(第27話・「魔性」)で共演した、柴田恭兵は高校、大学の先輩である。10代の頃から柴田に憧れており、『俺も柴田恭兵になりたい!』という理由で柴田が卒業した高校を受験した。

趣味など[編集]

嫌いな食べ物はドリアンバナナヤギチーズユッケジャンスープ。バナナは子供の頃は大好物で、その当時夏に弟や妹たちにバナナを取られないように引き出しに隠して、夜中にこっそり食べようとしたらハエがたくさんついており、暗闇で気付かず食べてしまったため、そのトラウマにより嘔吐するほど嫌いになってしまった。ユッケジャンスープにも同じトラウマがあり、その理由は自宅でユッケジャンスープを作る時に入れた七味唐辛子に虫が湧いており、間違ってスープと一緒に虫を食べてしまったためである。

他にも丼物ハンバーガーおにぎりなど、何かを融合させた食べ物はあまり好きではない。食べる時はバラバラにして食べる。幼少期にお腹が空いてご飯では足りずになめ茸の空き瓶に米を入れたり、らっきょ梅干しの残り汁をご飯にかけて食べていた経験から「素材の味を楽しみたい」と感じるようになった。しかし、寿司だけは別であり「寿司はネタとシャリの絶妙なコラボレーション。」と語っている。

兄弟が多く、両親が共働きだったため、料理は子供の頃からやっており、こだわった料理は作らないものの、目分量で手早く美味しい料理を作ることが出来る。『ブラックバラエティ』にて料理の際には1人でスープ作りを担当したが、周りが悪戦苦闘する中でさっさと作り、他の共演者の手伝いをしていた。スープは3回作ったが全て「家庭料理の上をいく味」と言われたが、手伝う際に他の共演者が切った白菜をまな板から適当に避けて「ひどいじゃないですか」と言われたが、本人は「綺麗だから大丈夫だよ」と笑顔で返しており、最低限の衛生面はしっかりしていたが、細かい部分までは気にしていなかった。

中日ドラゴンズファンで高木守道に毎年年賀状を出して、毎年年賀状の返事が来たと明かしたことがある。

その他[編集]

  • 1996年4月から2002年3月までの6年間は日曜日は過酷なロケと台本把握の必要なコントコーナー、ランキングキャラクターライブ(→スーパーフライデーナイトライブ→ウリナリライブ2001・2002」の2つ・同曜日に生番組のアッコにおまかせ1本と、とてつもないハードスケジュールで行っていた。そのため、時期によっては両番組のどちらかが参加できない状態の時期も存在した。
  • 栃木県足利市と縁が深い。同市に所在する知的障害者支援施設「こころみ学園」の支援を行っているほか、同市で開催される「足利尊氏公マラソン大会」に毎年参加している。これらの活動が評価され、2010年4月1日から翌年の4月1日まで市から観光大使に任命された[3]
  • 2012年・2013年のごきげんよう大賞を受賞しており、このうち2013年は審査員として出演したため、司会の小堺一機からその場で贈呈された。
  • 伸び悩んでいる時期に萩本へ「面白くなるためにはどうすればいいか」と質問したところ、「面白くなんかならなくていいよ。もっと優しくなれ。優しい人がやっている笑いはみんなが笑う。冷たい人がやる笑いは誰かを傷つけて泣かせているかもしれない。だったら笑いの技術を磨くより優しい人間になれ。その優しさを研ぎ澄ませて言ったら、みんなをやさしい気持ちにできるから」と助言をもらい、その言葉を今も糧にしているという[2]

著書[編集]

単行本[編集]

  • 「ごちゃごちゃ言ってないで誰が一番馬鹿か決めればいいんだ!」(衆芸社
  • 笑いの神様の子どもたち(小学館文庫)

連載[編集]

  • 勝俣州和とプロレス(ジグノシステムジャパン「ぼくらのプロレス」)2016年6月7日[4] -

主な出演[編集]

テレビ番組[編集]

バラエティ[編集]

レギュラー
準レギュラー
特番
終了した番組

ドラマ[編集]

ウェブテレビ[編集]

映画[編集]

吹き替え[編集]

PV[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 子どもの生活習慣づくりフォーラムを開催します(仙台生まれの勝俣州和氏が出演します)(仙台市教育委員会)
  2. ^ a b 集英社「週刊プレイボーイ」2020年6月15日号No.24 163頁
  3. ^ 足利観光大使に勝俣州和さん 市内で挙式などゆかり
  4. ^ 橋本が言った「レスラーが練習する理由
  5. ^ 走る!ぶつける!壊す!燃える!浜田軍VSジュニア軍のカーバトル「戦闘車」”. お笑いナタリー (2017年9月7日). 2017年10月11日閲覧。
  6. ^ 和田アキ子 史上初の誕生会生中継(終了時間未定) | 無料のインターネットテレビは【AbemaTV(アベマTV)】” (日本語). AbemaTV (2019年4月10日). 2019年4月10日閲覧。
  7. ^ “キャスト”. 映画「ミスムーンライト」公式ホームページ (ミスムーンライト). http://miss-moonlight.weebly.com/ 2017年3月31日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]