チープ・トリック

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チープ・トリック
CheapTrick1977.jpg
リック・ニールセン(左)とトム・ピーターソン(1977年
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州 ロックフォード
ジャンル ロックンロール
ハードロック
パワー・ポップ
活動期間 1974年 -
レーベル エピック・レコード
ワーナー・ブラザーズ・レコード
Red Ant
Big3
公式サイト www.cheaptrick.com
メンバー ロビン・ザンダー
リック・ニールセン
トム・ピーターソン
バン・E・カルロス
ダックス・ニールセン
旧メンバー ピート・コミタ
ジョン・ブラント

チープ・トリックCheap Trick)は1974年シカゴ郊外にあるロックフォード市で結成、1977年にデビューしたアメリカロックバンド。ライヴ・アルバムチープ・トリックat武道館』がヒット作となり、日本武道館の名を世界中に知らしめたバンドとして有名である。

メンバー[編集]

現在のメンバー

  • ロビン・ザンダー(Robin Zander) - ボーカル
  • リック・ニールセン(Rick Nielsen) - ギター
    • ヴィンテージギターと変形ギターのコレクターとしても有名。チェック柄のアイテムがトレードマーク。
  • トム・ピーターソン(Tom Petersson) - ベース ( 途中一時脱退 )
    • 12弦の特殊仕様のベースをメインで使用しライブ時の分厚いサウンドを特徴づける。
  • ダックス・ニールセン (Daxx Nielsen) - ドラムス
    • リック・ニールセンの息子。バン・Eの実質的離脱を受け2010年より参加。

過去に在籍していたメンバー

  • バン・E・カルロス(Bun E. Carlos) - ドラムス
  • ジョン・ブラント (Jon Brant) - ベース ( 1982 - 1987 )

来歴[編集]

リック・ニールセンとトム・ピーターソンは、Fuseというバンドのメンバーとして1969年にメジャー・デビューするが、商業的成功には恵まれず、一時はフィラデルフィアに拠点を移す。その後、リックとトムはイリノイ州に戻り、バン・E・カルロスやランディ・ホーガンと共にチープ・トリックを結成。しかし、ランディは間もなく脱退し、後任としてロビン・ザンダーが加入してラインナップが固まる。

1977年、デビュー・アルバム『チープ・トリック』発表。しかし、本国アメリカでは成功せず、その後2枚のアルバムもヒットしなかったが、日本では人気が高まっていき、1978年4月には、初の日本公演を行う。その時の模様を収録したライヴ・アルバム『チープ・トリックat武道館』(1978年)は、当初は日本限定企画だったが、本国アメリカで日本からの輸入盤が売れ出したため、1979年に本国でもリリースされ、バンドにとって初の全米トップ10入り(最高4位)を果たした。また、このアルバムからシングル・カットされた「甘い罠 (I Want You To Want Me)」は、Billboard Hot 100 で7位まで上昇し、バンドにとって初の大ヒット・シングルとなった[1]

1980年、ロビン以外の3人は、ジョン・レノン「アイム・ルージング・ユー」のレコーディング・セッションに参加[2]。チープ・トリックが参加したヴァージョンは、ジョンのアルバム『ダブル・ファンタジー』には収録されず、後にボックス・セット『ジョン・レノン・アンソロジー』で発表される[3]。同年発表のアルバム『オール・シュック・アップ』は、ビートルズとの仕事で知られるジョージ・マーティンがプロデュースを担当。しかし、同作を最後にトムが脱退。バンドはピート・コミタを迎えてツアーを行い、その後ピートに代わってジョン・ブラントが加入。トッド・ラングレンがプロデュースを担当した『ネクスト・ポジション・プリーズ』(1983年)等の意欲作を発表するが、セールス的には落ち込んでいった。1986年には、映画『トップガン』のサウンドトラックに「Mighty Wings」を提供。

1987年、トムがバンドに復帰。翌年には、アルバム『永遠の愛の炎』が全米16位のヒットとなり、同作からのシングル「The Flame」は、バンドにとって初の全米1位シングルとなった[1]。第2弾シングルのエルヴィス・プレスリーのカバー「冷たくしないで」は全米4位。

その後、バンドはワーナー・ブラザーズ・レコードに移籍し、テッド・テンプルマンのプロデュースによる『蒼い衝動』(1994年)を発表するが、同作は商業的には成功せず、バンドはほどなくワーナー・ブラザーズを離れる。以後、バンドはライヴ中心の活動に移行し、サブ・ポップからシングル「Baby Talk」をリリースした後は、Red AntやBig3といったインディーズ・レーベル(日本ではビクターエンタテインメント)から作品発表を継続する。

2003年 来日しサマーソニック03に出演。競演していた多くのパワーポップ系若手バンドからリスペクトを集める。

2008年 78年のアルバム「at 武道館」発売30周年を記念し、4月24日に再び日本武道館で公演。

2009年 ラスベガスにて2週間にわたり、ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 」全曲を演奏するショー、Sgt. Pepper Liveを開催。フルオーケストラと競演、ジョーン・オズボーンなどがゲスト参加した。

2010年 従来より身体的な問題が伝えられていたバン・E・カルロスについて、バンドは、バン・E がメンバーとして籍は残すもののツアーには参加しないことを発表。以降、リック・ニールセンの息子ダックスがツアードラマーとして迎えられた。(その後2015年にバン・Eはインタビュー[4]にて、ツアーからの離脱はスケジュールやセットリストの長さの意見の食い違いに起因する、ロビン・ザンダーとの不仲によるものであったことを明かしている。)

2011年 7月17日、オタワ・ブルースフェスティバル(カナダ)での演奏中、強風のためステージが大崩落する事故が発生。メンバーは怪我を免れ、以降も精力的にツアーを継続する。

2012年 8月より、出身地ロックフォードのBurpee自然史博物館にて、リック・ニールセンのテーマ展「Rick’s Picks: A Lifelong Affair With Guitars & Music」開催。コレクターとしても知られるリックの所有する膨大なギターやトムのベース、様々な関連資料が展示される。

2013年 バン・E・カルロスが、自身がメンバーであるにも関わらず新作のレコーディングへの参加が認められず、得られるはずの報酬も支払われていないとしてバンドを相手取った訴訟を起こす。残るメンバー3人はバン・Eが既にメンバーではないと主張して対抗訴訟を起こすが裁判所はこれを棄却。同年8月には来日し、10日、11日サマーソニック2013出演。

2015年 バン・E・カルロスが起こした訴訟が結審。2月下旬ロビンから、バン・Eが現在もバンドのメンバーであることを認める一方で、今後ツアーやレコーディングにはバン・Eが参加しない旨がアナウンスされた。同年12月、ディープ・パープルシカゴ等とともに、翌2016年付でのロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りが発表される。

2016年 ダックス・ニールセンがレコーディングに参加したニューアルバム「バン・ズーム・クレイジー・ハロー」をBig Machine Label Groupより発表。

ディスコグラフィー[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

EP[編集]

  • デイ・トリッパー - Found All The Parts (1980) 

ライブ・アルバム[編集]

コンピレーション・アルバム[編集]

  • グレイテスト・ヒッツ - The Greatest Hits (1991)
  • セックス・アメリカ・チープ・トリック - Sex, America, Cheap Trick (1996)
  • エッセンシャル・チープ・トリック - The Essential Cheap Trick (2004)

日本公演[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]