アイドル

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アイドルとは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を意味する英語に由来し[1]、文化に応じて様々に定義される語である。

概説[編集]

日本の芸能界における「アイドル」とは、成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す[2]。キャラクター性を全面に打ち出し、歌・演技・お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[2]。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[2]。一方で、はっきりと目には見えない「華」や「人間的魅力」が強く求められるため、一流のアイドルは手が届きそうで届かない存在となる[2]

“存在そのものの魅力”よりも“音楽的スキル”が主たる職業能力である場合には、「アイドル」には分類されず「アーティスト」や「ミュージシャン」などと呼ばれる。ただし本人や所属事務所などの意向により、どちらの立場をとるか決めることもでき、線引きはあいまいである。そのため本人が「アーティスト」と名乗っていても、「アイドル」に分類されることがある[3]

かつての主流は20代でアイドルを辞め、アーティストや俳優(女優)などに転向することであったが、2000年代以降は様相が変わってきている。本人が30代以降になっても新たなチャレンジなどをし続ければ、“成長過程”や“存在そのものの魅力”が問われるアイドルという職業を継続することが可能であり、世間からもそれが認められるようになった[4]

日本型「アイドル」の誕生まで[編集]

アイドル(idol)の本来の意味は、偶像、すなわち神や仏などの存在をかたどって造られた像で、かつ崇拝の対象となっているもののことである[5]。 この用語が転用され、20世紀前半のアメリカで「若い人気者」としての意味で使われ始めた。

1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のルディ・ヴァリーや、1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれて熱狂的な人気を生んだフランク・シナトラらがidolと呼ばれ始め[6]、デビュー時のエルヴィス・プレスリー1950年代)やビートルズ1960年代)らは、日本でも「アイドル」として認知されていた[7]

以上のような経緯によって、日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられ[8][9]、日本の人気芸能人は一般的に「スター」と呼ばれていた。テレビが普及していない時代における主力産業が映画だったことから、スターの大半は映画俳優であり、特に加山雄三吉永小百合浜田光夫らは「青春スター」と呼ばれた(東映ニューフェイスも参照)。女性においては美空ひばり吉永小百合らの時代であり、そのひばりに江利チエミ雪村いづみを加えた「三人娘」、あるいは、中尾ミエ伊東ゆかり園まりから成る「スパーク3人娘」らが人気を博した。

しかし1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[10]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」の呼称が使われなくなり、「アイドル」の呼称に取って代わられるようになった[11]

1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された[12]。また1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[13]

その後、現在に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない『感動しやすい習性』『精緻なる感受性』をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、民族学者・柳田國男の評論が持ち出されるケースがある[14]。なお、日本におけるアイドルの隆盛時期は、不況の期間とほぼ完全に一致している、という分析もある[15]

女性アイドル史[編集]

アイドル黎明期[編集]

1972年デビューのキャンディーズ新三人娘小柳ルミ子南沙織天地真理)らがアイドルの源流とされる。

1970年代には『スター誕生!』や「ミスセブンティーンコンテスト」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などの大規模なオーディションが相次いで開催されるようになり、森昌子桜田淳子山口百恵から成る「花の中三トリオ」やピンク・レディー(『スター誕生!』)、松田聖子国生さゆり工藤静香(「ミスセブンティーンコンテスト」)ら、後の人気アイドルを輩出した。小学館の学年別学習雑誌の表紙は、それ以前に子供の写真か子供を描いた水彩画が用いられていたのに対し、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになった。

アイドル全盛期[編集]

1980年代に入り、松田聖子・小泉今日子中森明菜[16]ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[17][18]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[18]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[19]。1980年代の後半には、工藤静香中山美穂南野陽子浅香唯の4人が「アイドル四天王」と呼ばれた。

彼女らは、レコードリリースと歌番組を軸として活動しており、バラエティー番組出演や女優業などは、いわゆる「副業」という位置づけであった。シングルレコードは、おおよそ3か月程度で一枚を出すのが常で、とりわけデビュー前後においては、レコード会社及びプロダクションが最も力を注ぎ[20]、多大な宣伝効果を期待していた[21]。年度始めのデビューが多く、「豊作の82年組・85年組」「不作の83年組」など、年度単位でアイドルがカテゴライズされることもあった。

日本レコード大賞を筆頭に数々の賞を賭けた歌番組が80年代に勃興し、各賞を獲得することが当時のアイドルにとってのステータスであり、その激しさから「賞レース」などとも呼ばれた[22]。また、『ザ・ベストテン』『歌のトップテン』等のランキング番組は、その宣伝効果から、オリコンチャートに匹敵、むしろそれを上回る重要性さえ持っていた。

80年代アイドルは、基本はまず「歌うこと」が仕事のメインという前提があったが、「角川三姉妹」と呼ばれた薬師丸ひろ子原田知世渡辺典子のように女優業をメインとして、歌手業が副業的な場合もあった。歌番組出演は当時のアイドルの生命線でもあったが、このようなタイプのアイドルはむしろ乱発的に出演せず、最小限のテレビ出演に留め、映画公開と併せたプロモーション効果としてシングル曲を巧く利用していた。

コンサートやイベントなどでは、「親衛隊」と呼ばれる、事務所側から公認・支援を受けた全国的応援組織が複数存在した。

本来の「アイドル」の消滅[編集]

1980年代後半から、レコードの売り上げが頭打ちになる。『ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』などの生放送歌番組が相次いで打ち切りになり、日本レコード大賞などの権威も失墜。アイドルがアピールできる媒体が消滅していった。

一方で、フジテレビ『夕やけニャンニャン』から生まれたおニャン子クラブや、井森美幸島崎和歌子松本明子森口博子山瀬まみら、主にテレビのバラエティ番組で活動するバラエティーアイドル(略して「バラドル」)と呼ばれる存在が派生した。

かとうれいこ細川ふみえC.C.ガールズら雑誌のグラビアを中心に活動した「グラビアアイドル」と呼ばれる存在も派生し、以降アイドルという存在が急速に多様化していった。

それまでのアイドルは一般的に歌手俳優グラビア写真モデルなど1人で様々な分野で活動し、“成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物”を目指していた。しかし、素人同然の「バラエティーアイドル」やビジュアル重視の「グラビアアイドル」の出現により、人間的魅力と成長過程を追い求める「アイドル」という概念が崩壊。女性アイドルはそのファンも含めて、あまりいいイメージで捉えられなくなっていく。90年代初頭において、高橋由美子が「最後のアイドル」と呼ばれたのが象徴的事象であったように、アイドルそのものは存続していたが、本来の「アイドル」は、この時期に終焉を迎えたと言える[23]

アイドル冬の時代[編集]

1990年代に入ると、歌手活動を中心とするアイドルはWinkCoCo高橋由美子東京パフォーマンスドールらの活動が見られたものの、テレビ歌番組の減少と共に「アイドル冬の時代」「アイドル氷河期」[24]を迎えた。

1990年代終盤、小室哲哉のプロデュースによる華原朋美篠原涼子などのアイドル出身者(いわゆる小室ファミリー)、安室奈美恵SPEEDなどの沖縄アクターズスクール出身者などがミリオンセラーを連発。アイドル的な存在が再びスポットを浴びたが、彼女らはアーティスト的要素を強く打ち出していたので、アイドルとはみなされない場合が多い。

2000年代前半にかけて、テレビ東京『ASAYAN』の企画でデビューしたモーニング娘。鈴木あみ松浦亜弥らが台頭した。これにより本来の「アイドル」が再興する予感をうかがわせたが、あくまでつんく♂プロデュースによるハロー!プロジェクトの一人勝ち状態で、邦楽界全体に波及しなかった点では、80年代の状況とは異なる。

グループアイドルの勃興[編集]

2000年代に入ると、ハロー!プロジェクトに℃-uteBerryz工房らが加わり規模が拡大するとともに、グループからの「卒業」という概念が生み出された。これにより各アイドルグループは、メンバーを入れ替えながら存続を計ることが選択肢の一つとなった。

2005年には現在に人気が続くAKB48が結成され、2007年の紅白歌合戦に中川翔子リア・ディゾンと共に「アキバ系アイドル」枠で出場した[25][26]

アイドルはソロよりもグループの形態が主流となり、前述の中川翔子や小倉優子木下優樹菜里田まいスザンヌらは、「アイドル」としてではなく「バラエティタレント」というスタンスでテレビ出演しており、これ以降も同様の傾向が続く。

この時期には、フジテレビ『アイドリング!!!』から誕生したアイドリング!!!(2006年)や、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZ(ももいろクローバーとして2008年)、ハロー!プロジェクトのアンジュルム(S/mileageとして2009年)、PASSPO☆(ぱすぽ☆として2009年)らが始動した。

また、アイドルとして活動をスタートしたPerfumeが、テクノポップユニットとして音楽面から人気を獲得し海外へも進出する一方、KARA少女時代K-POP勢も来日して活動を展開した。

アイドル戦国時代[編集]

2010年代に入ると、「アイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最大」[27]という状況になり、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[28][29]。AKB48関連グループの拡大、エイベックス・グループ所属のSUPER☆GiRLS東京女子流のデビュー、さくら学院から派生したBABYMETALの世界進出、ももいろクローバーZの女性グループ初となる 国立競技場ライブ開催[30] など、多数のグループが次々と活躍した。2010年から始まった、女性アイドルの大規模フェスTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、2015年の第6回には「154組」もの出演者に達した[31]

この時期には、新潟のNegicco、宮城のDorothy Little Happy、愛媛のひめキュンフルーツ缶、福岡のLinQなど、ローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる、地域に密着したアイドルも相次いで全国デビュー[27][28][32]。中には福岡のRev. from DVLに所属する橋本環奈のように、個人で全国区の人気を集めたケースもある。日本ご当地アイドル活性協会代表の金子正男[33](元テレビ東京番組製作スタッフ、元角川映画プロデューサー、現在は一般社団法人ストリートダンス協会広報委員長も兼任[34])によると東京拠点のアイドル500組を除いた全国46道府県のアイドルは、2016年3月16日現在で736組存在する。[35] [36][37][38]

主な女性アイドル[編集]

1970年代[編集]

デビュー年

1980年代[編集]

デビュー年

1990年代[編集]

デビュー年

2000年代以降のソロアイドル[編集]

デビュー年

2000年代以降のグループアイドル[編集]

男性アイドル史[編集]

「アイドル」以前[編集]

1950年代の映画の全盛期には、日活映画や歌で活躍した石原裕次郎東宝や日活などのニューフェイス、1960年代に「御三家」と呼ばれた橋幸夫舟木一夫西郷輝彦ら、中盤には三田明が台頭し、御三家に三田を加えて「四天王」と呼ばれた。他にスリーファンキーズ、或いは、日劇ウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー歌手、グループ・サウンズ1970年代新御三家ら、そして、初代ジャニーズあおい輝彦ら、折々の時代に即した多くのスターが登場した。

1970年代[編集]

郷ひろみ西城秀樹野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロないしバンドとして活動を続けた沢田研二も『ザ・ベストテン』など歌番組の常連として人気を保った。ザ・スパイダース堺正章井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズ萩原健一オックスの田浦 幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。

新御三家の他にはフォーリーブスジャニーズ事務所所属)やフィンガー5にしきのあきら野村将希伊丹幸雄荒川務らが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。

この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[39]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕(ジャニーズ事務所所属)や三善英史のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話や物語の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや情報番組『ぎんざNOW!』出身の清水健太郎や、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、藤正樹、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介渋谷哲平川崎麻世(ジャニーズ事務所所属)らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。

一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和石橋正次桜木健一近藤正臣星正人草川祐馬国広富之広岡瞬などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も多く現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場するほどの大ヒット曲「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)に恵まれている。沖雅也日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、映画ではなくテレビドラマに進出してから、森田健作仲雅美井上純一は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によってアイドルとなった。井上はヒット曲に恵まれなかったが、森田、仲はそれぞれ大ヒット曲を持つ。

この時代はまだロック・ミュージックが一般化していなかったため、のちに本格的なロックギタリストとして名声を博すCharやシンガーソングライターの原田真二もアイドルとして売り出された。

アイドルの多様化の中、この時期から高校野球の選手がアイドル視される現象も起こった。太田幸司原辰徳荒木大輔らである。

また、1970年代初頭には西欧の古代や中世の格好をする日本人アイドルやGSグループには飽き足らず、本物の北米人のアイドルやヨーロッパ人の俳優が招かれ、テレビコマーシャルに出演し、そのタイアップとして更に日本でのみ日本語でレコードをリリースしヒットさせた例もある[40]。イタリア映画『ガラスの部屋』で人気となったイタリア人俳優レイモンド・ラブロックやイタリア映画『ベニスに死す』の美少年俳優ビョルン・アンドレセン[41][42]らが該当する。また、アメリカの人気ファミリーグループ「オズモンズ」のジミー・オズモンドが他の兄弟とともに出演し[43]、日本語で歌ったカルピスのCMソング「ちっちゃな恋人」は1970年の年間28位の大ヒットとなった。他には1970年代当時TBSで放送され、高視聴率を得ていた『東京音楽祭』で1974年にグランプリを受賞した当時13歳のカナダ人歌手ルネ・シマールも日本で大人気となり、トンボ学生服旺文社の学習参考書の広告に出演した[44][45]

1980年代[編集]

1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦近藤真彦野村義男から成るたのきんトリオジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。

ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘薬丸裕英布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊光GENJI男闘呼組忍者といった人気グループを次々と輩出した。また、『金八シリーズ』からは他に竹の子族出身の沖田浩之、ジャニーズ事務所所属のひかる一平が人気アイドルとなった。ソロ歌手としては他に竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎新田純一、ジャニーズ事務所所属の中村繁之、映画やテレビドラマで活躍した山本陽一が挙げられる。

アイドルの多様化の中で、横浜銀蝿の弟分としてデビューした嶋大輔紅麗威甦(グリース)が人気アイドルとなり、原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾萩本欽一の番組でブレイクする。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多い。イモ欽トリオCHA-CHA勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)など。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊羽賀研二野々村真ら)、ABブラザーズ中山秀征ら)、とんねるずがアイドル的な人気を得た。

また、ロック志向のチェッカーズ吉川晃司本田恭章はアイドルとしてデビューした。チェッカーズは70年代に日本でも大人気だったイギリスのアイドルグループ・ベイ・シティ・ローラーズ風に、本田は80年代前半にイギリスで人気を博したニューロマンティック風にそれぞれビジュアルを強調して売り出された。1970年代同様に「日本でのみデビューする洋楽アイドル」も存在し、イギリス人のロックバンドG.I.オレンジが成功を収めている。ジャニーズ事務所からも野村義男がロックバンドTHE GOOD-BYEの一員としてレコードデビューした。初期にはテレビドラマでも活躍した岡本健一前田耕陽高橋和也らが男闘呼組ボン・ジョヴィなどに影響を受けたスタイルのハードロックバンドとしてデビューしている。

この頃はまだ俳優もアイドル風に売り出されるものがいた。JAC出身の真田広之中井貴一石黒賢角川映画野村宏伸、『金八シリーズ』出身の鶴見辰吾、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした清水宏次朗仲村トオル西川きよしの息子西川弘志、モデル出身の阿部寛、子役出身の菊池健一郎らであるが、歌うアイドル俳優として特筆すべきなのは『太陽にほえろ!』の「ラガー刑事」役で人気を博した渡辺徹で、シングル「約束」が自身も出演したグリコ「アーモンドチョコレート」のCMのタイアップソングとなり、1982年の年間ランキングでは33位にランクインしさせる大ヒットとなっている[46]。他にヒット曲を出した俳優としては、湯江健幸横山やすしの息子の木村一八、子役を経てアイドルとして人気を博した坂上忍高橋良明がいるが、特に数曲のヒット曲に恵まれた木村と高橋はジャニーズ事務所所属者に席巻された80年代後期の男性アイドルシーンで前後する形で健闘を見せたが、木村は1988年に自身の起こした傷害事件で少年院送致となり、アイドルとしての前途が断たれ、高橋は交通事故1989年1月に16歳で夭折、と共に不幸な結果に終わってしまった。

1990年代[編集]

主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、当初は光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、バンドブームなどのあおりで失速。中盤からは、デビュー当初からバラエティー分野での活躍が目立ったSMAPが現在に至る人気を確立し、更に、KinKi KidsTOKIOV6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉を筆頭にメンバー個人も俳優としても成功した。また、SMAPがテレビの第一線で活躍する影響もあり、30代、40代でもアイドルとして活躍でき、男性アイドルの寿命が伸びた。

そういったジャニーズ全盛の中、ヴィジョンファクトリー系のDA PUMPw-inds.なども人気を集めた。また若手俳優からは織田裕二、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。

2000年代 - 2010年代[編集]

女性アイドルと同じく『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平溝端淳平ら、また、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョー要潤水嶋ヒロ佐藤健スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李がブレイクする。 かつて1990年代に一世を風靡したZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILE、或いは、女性アイドルと同じく東方神起BIGBANGを皮切りに超新星2PMFTislandらのK-POP組など、バラエティーからでなく、音楽の方面から人気を博す事例も再び見られ、また、を筆頭としたジャニーズ事務所のグループも音楽や芝居、バラエティー分野などで人気を集めている。

文献情報[編集]

  • 青木一郎[47]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
  • 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫1993年
  • 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」、『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日NAID 110002940787
  • 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」、『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、 43-58頁、 NAID 110006159892
  • 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[1]
  • 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927

脚注[編集]

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  1. ^ アイドル(あいどる)とは”. デジタル大辞泉の解説. コトバンク. 2015年6月7日閲覧。
  2. ^ a b c d アイドルとは何か”. 産経デジタル. 2016年1月26日閲覧。
    アイドル特集【総論】改めての素朴な疑問「アイドルとは何か?」”. ダヴィンチニュース. 2016年1月26日閲覧。
  3. ^ 本人やファンは否定するけど「アイドルじゃん」と思うアーティストランキング”. ライブドアニュース. 2016年1月16日閲覧。
  4. ^ さんま、たけし、タモリらがSMAPへ賞賛のメッセージ「前代未聞のアイドルグループ」”. リアルライブ. 2016年1月26日閲覧。
  5. ^ つまり、神や仏というのは、本来は不可視で触れることもできないはずで、物体的な像などでは表現したり代用できるわけもないのに、像が作られて(不適切にも)崇拝されるようになってしまったもののことである。もともとは、そうしたことを若干ほのめかしている面、風刺する意味もこめられていたからこそ、この用語が選ばれていたのではあるが。
  6. ^ 音魂大全 鈴木 創著 洋泉社刊より、ザ・ビートルズ1962年〜1966年ザ・ビートルズ1967年〜1970年(東芝EMIアナログ盤)付録:石坂敬一による論文より
  7. ^ ビートルズ日本公演プログラムより。
  8. ^ 『YOUNGヤング』・1964年4月号より。
  9. ^ 映画の中のみでなら、1938年松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。またフランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。
  10. ^ 絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダースザ・タイガースザ・テンプターズなど。
  11. ^ 『別冊キネマ旬報』・1968年10月号より。
  12. ^ 特定の歌手に対して本格的に「アイドル」の呼称を使用し出したのは南沙織天地真理辺りからである。1970年代後半に入ると、竹内まりや中島みゆき松任谷由実どのニューミュージック歌手がヒットするようになり、デビュー当初の竹内まりやは、アイドル的な売出し方をされたこともあった。
  13. ^ 「J-POPを殺したのはソニー」 知られざる音楽業界のタブー(1/2ページ) - MSN産経west
  14. ^ 安西信一 『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』 廣済堂出版2013年4月13日
  15. ^ アイドルと景気の意外な相関関係を徹底検証 Webマガジン 月刊チャージャー 2005年12月号”. 月刊チャージャー. 2013年5月13日閲覧。
  16. ^ 80年代の初頭にデビューしたアイドル歌手のうち、シングル売上において他の者にダブル・スコア以上の差をつけた3名(2012年6月29日に放送された『ミュージックステーション』より)。
  17. ^ 『アイドル工学』・P.69より。
  18. ^ a b 「アイドル考現学」『TVガイド』2月6日号、東京ニュース通信社、1981年、20-21頁
  19. ^ “Pop 'idol' phenomenon fades into dispersion - The Japan Times”. ジャパンタイムズ (ジャパンタイムズ). (2009年8月25日). http://www.japantimes.co.jp/news/2009/08/25/news/pop-idol-phenomenon-fades-into-dispersion/ 2013年5月13日閲覧。 
  20. ^ キャッチフレーズ(例:中森明菜「ちょっとエッチな ミルキーっ子」「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」等)を用いる等した。
  21. ^ 少女隊セイントフォーらは、数億円とも呼ばれる巨額をデビューに費やしていた
  22. ^ 当時は、レコード売り上げの指標となるオリコンチャートも重要視されつつ、アイドル歌手にとって、歌番組に出演することは必須であり、テレビ媒体を通して宣伝するという事が当然視されていた
  23. ^ 1990年代中盤、歌手活動を中心としたアイドルは、スーパーモンキーズ、中谷美紀菅野美穂加藤紀子らを輩出した桜っ子クラブさくら組、酒井美紀、Melodyらが健闘していたものの、テレビ歌番組は減少の一途を辿っており活動の場は限定された。同時期、ドラマ出演をきっかけに注目された内田有紀、水着グラビアで中高生男子の圧倒的な支持を得た雛形あきこがブレイク。両者とも、後にCDデビューを果たしている。1991年には、テレビCMから人気を博した牧瀬里穂観月ありさがCDデビューを果たし、宮沢りえを含めた3人が「3M」と呼ばれ若年層の絶大なる人気を獲得。またこの時期、アイドル的な活動をする声優が増えた。
  24. ^ この時代にアイドルだった世代は、「氷河期世代」(団塊ジュニアポスト団塊ジュニア)とも重なる。
  25. ^ “紅白にアキバ枠しょこたんら出場 - 芸能ニュース nikkansports.com”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2007年11月25日). http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071125-287476.html 2013年5月13日閲覧。 
  26. ^ “紅白曲順が決定 注目の“アキバ枠”は米米CLUBと激突! ニュース-ORICON STYLE-”. オリコンニュース (オリコン). (2007年12月27日). http://contents.oricon.co.jp/news/movie/50813/full/ 2013年5月13日閲覧。 
  27. ^ a b “ポストAKBはどうなる? アイドル戦国時代の行方 今を読む:文化 Biz活 ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2012年10月9日). http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnculture/20121009-OYT8T00206.htm 2013年4月23日閲覧。 
  28. ^ a b “【12年ヒット分析】新旧グループから地方アイドルまで~“アイドル戦国時代”さらに激化 (AKB48) ニュース-ORICON STYLE-”. オリコン (オリコン). (2012年12月9日). http://www.oricon.co.jp/news/music/2019492/full/ 2013年4月23日閲覧。 
  29. ^ Gザテレビジョン編集部ブログ Gザテレビジョンは来週月曜日、24日発売です!”. ザテレビジョン (2010年5月19日). 2013年4月23日閲覧。
  30. ^ ももクロ、国立で宣言「笑顔を届けることにゴールはない」”. ナタリー. 2014年3月17日閲覧。
  31. ^ 総勢154組出演「TOKYO IDOL FESTIVAL 2015」終幕”. ナタリー. 2016年2月5日閲覧。
  32. ^ ““アイドル戦国時代”の懐の広さを垣間見る──『インディーズ・アイドル名鑑』(1-3) - 日刊サイゾー”. サイゾー (サイゾー). (2012年11月1日). http://www.cyzo.com/2012/11/post_11802.html 2013年5月5日閲覧。 
  33. ^ 鈴木敦子 (2015年10月26日). “人模様:地方アイドルで地域活性化 金子正男さん”. 毎日新聞のニュース・情報サイト. 毎日新聞社. 2016年4月26日閲覧。
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  43. ^ カルピスCM ジミー
  44. ^ スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号、啓文社、昭和49年9月1日発行
  45. ^ 「ルネの「トンボ学生服」」
  46. ^ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン ~蘇る!80’sポップスHITヒストリー~』(角川インタラクティブ・メディア)p.92 - 93
  47. ^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去

関連項目[編集]