野村将希

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のむら まさき
野村 将希
本名 野村正樹
別名義 旧芸名:野村 真樹
生年月日 1952年11月13日(64歳)
出生地 日本の旗 福岡県北九州市生まれ
兵庫県尼崎市育ち
国籍 日本
身長 181cm
血液型 A型
職業 俳優歌手
ジャンル テレビ・映画
活動期間 1970年 - 現在
配偶者 あり
事務所 サンミュージックプロダクション
主な作品
ドラマ
水戸黄門』 柘植の飛猿 役

野村 将希(のむら まさき、1952年11月13日 - )は、日本俳優歌手である。本名、野村 正樹(のむら まさき)旧芸名、野村 真樹(読み同じ)。所属事務所サンミュージックプロダクション。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント

経歴・人物[編集]

福岡県北九州市生まれ、兵庫県尼崎市育ち。尼崎市立尼崎産業高等学校を中退し、1969年に歌手を目指して上京。デビュー前に高崎競馬場で約3か月間厩務員のバイトをしていた。そして靴屋でバイト中、サンミュージック相沢社長の目にとまりスカウトされた。決め手は『笑顔』だったそうである。


1970年RCAレコードと契約、同年4月に『ひるのプレゼント』(NHK総合テレビジョン)の新人コーナーに出演し、『涙をかついで行こうよ』(デビュー曲『一度だけなら』のB面収録曲)を歌い注目を集めた。

1970年6月5日に『一度だけなら』をリリースし、正式に歌手デビューを果たす。抜群の歌唱力で演歌界の若獅子と言われた。同年『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』にスリーNの一人として映画初出演(残りの2人はにしきのあきら夏夕介)し、第12回日本レコード大賞新人賞を受賞、第21回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。

その後修行のため2年間海外に渡り、帰国後の1982年、芸名を現在の野村将希に改名した。

その一方で役者としても才能を開花させ、1987年に登場した『水戸黄門』の柘植の飛猿役は当たり役となった。

私生活では2男の父で、長男はプロサッカー選手ブラウブリッツ秋田ゴールキーパー)の野村政孝[1]、次男は俳優の野村祐希[2]である。

少年時代より野球で鍛えた抜群の運動神経から芸能人スポーツ大会などでも活躍し、『スポーツマンNo.1決定戦』では2007年10月現在、芸能人大会19回中18回に出場しており、「コロッセオの鉄人」の異名を持つ(ただ腰痛を患っていた時期があり、その時に行われた数回は途中棄権してしまっている)。パワー系が得意で芸能人サバイバルバトルのパワー系の一通りの種目は制覇している。

主なシングルリリース[編集]

  • 『一度だけなら』(1970年。オリジナルは内山田洋とクール・ファイブ
  • 『信じてほしい』
  • 『歌舞伎町の女』
  • 『何処か遠くへ』
  • 『ちょっと淋しいの』
  • 『幸せ行きの汽車が出る』
  • 『雪の炎』
  • 『船乗りになりたい』
  • 『女の純情』
  • 『今度逢えたら』
  • 『雨に濡れてきた杏子』
  • 『別れのときまで』
  • 『夕闇の果て』
  • 『東京八景』
  • 『すすきのの女』
  • 『駅』
  • 『夜のブルース』
  • 『北のブルース』
  • 『昼下がりの喫茶店』
  • 『ブルーグレーロマンス』
  • 『わたしと踊って』
  • 『愛は行方不明』
  • つぐない』(テレサ・テンと競作)
  • 『今夜だけは』
  • 『ついておいでよ』
  • 『赤い花』
  • 『桜月夜の女』
  • 『夕子』
  • 『北の別離』
  • 『アカシアの女』
  • 『夕顔の花』
  • 『ふたりの走り雨』
  • 『横浜あたり』
  • 『冬花火』

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1970年(昭和45年)/第21回 一度だけなら 03/24 ザ・ピーナッツ
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ パパは俳優、息子はJリーガー 野村将希の長男が来季J1名古屋入り スポーツニッポン 2013年12月2日閲覧
  2. ^ 女優の土屋太鳳は、自らの公式ブログで、『2016年10月8日の『オールスター感謝祭2016秋』で再会した野村祐希とは、幼少期からの幼なじみだった。』と語っている。(2016年10月10日付『たおのSparkling day』『おさななじみ(^^)』より)

外部リンク[編集]