笑点

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笑点
NTV Shōten at Korakuen Hall in 2012.jpg
公開収録を知らせる看板
東京文京区後楽園ホール
主に隔週土曜日に公開収録が行われている。
地方での収録の時もある。)
ジャンル 演芸番組
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本テレビ
演出 高木裕司(ユニオン映画
プロデューサー 福田一寛(日本テレビ)
飯田達哉・大畑仁(ユニオン映画)
中村博行(統括P、日本テレビ)
糸井聖一(CP、日本テレビ)
出演者 春風亭昇太
林家木久扇
三遊亭好楽
三遊亭小遊三
6代目三遊亭円楽
林家たい平
2代目林家三平
山田隆夫 ほか
音声 解説放送[1]
字幕 文字多重放送
オープニング 笑点のテーマ
エンディング 同上
外部リンク 公式サイト
放送開始から1968年4月まで
放送時間 日曜日 16:30 - 17:10(40分)
放送期間 1966年5月15日 - 1968年4月28日
(1 - 95回)
1968年5月から1996年3月まで
放送時間 日曜日 17:20 - 18:00(40分)
放送期間 1968年5月5日 - 1996年3月31日
(96 - 1511回)
1996年4月から
放送時間 日曜日 17:30 - 18:00(30分)
放送期間 1996年4月14日 - 現在(1512 -回)

特記事項:
通算放送回数2500回(2016年1月31日現在)50年(5月15日現在)
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笑点』(しょうてん)は、日本テレビ系列1966年5月15日から毎週日曜日夕方に放送されている演芸バラエティ番組

目次

概要[編集]

後楽園ホール前の「笑点みやげ」売店

1966年昭和41年)5月15日に『金曜夜席』を受け継ぐ形で放送がスタート。

放送開始当時はまだカラーテレビの普及率が1%にも満たない時代であったが、第1回から一貫してカラーで放送されている。

収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼間に行われる(1回で2 - 3週分収録する)。また年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方収録が行われる。なお番組で放送されるのは、収録から8日後と15日後の日曜日となることが主である(年末進行[2]や地方収録などのスケジュールの関係で貯め撮り収録し、それが翌日から1か月以上先の放送になることもある)。

視聴率(ビデオリサーチ、関東地区・世帯、以下略)では週間バラエティ番組部門での1位を記録することもある。放送回数は2006年(平成18年)1月22日の放送で2000回に到達した。現在の日本テレビの番組では『NNNきょうの出来事』(2006年9月終了)、『キユーピー3分クッキング』(日テレバージョン)に次いで放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年(平成21年)には『素人名人会』(毎日放送、テレビ版)の42年という、演芸番組及びバラエティー番組として最長の放送期間を塗り替えた[要出典]

2005年(平成17年)11月23日には放送40周年を記念して5枚組の『笑点 大博覧会 DVD-BOX』が発売されたが、日本テレビのアーカイブに現存する『笑点』の番組本編映像は1973年(昭和48年)8月26日(第369回)放送分が最古である。理由としては、放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取り、テープも1巻当たりの単価が現在とは比べ物にならないほど高く、放送済みビデオテープは消去されて使い回されることがほとんどだったためである。そのため同番組の1960年代の映像は、オープニング(「笑点音頭」が主題歌だったころのアニメーションフィルム)を除き現存していないという。

1976年(昭和51年)より毎年チャリティーカレンダー「笑点暦」(発売元は日テレアックスオン)を発売しており、年末になると番組内で告知される。発売当初は価格分の郵便切手を同封して注文する通信販売のみの扱いであったが、好評により書店での販売を開始している。売り上げの一部は、日本テレビ小鳩文化事業団(2011年までは、日本テレビ系列愛の小鳩事業団)に寄付される。

2015年(平成27年)10月には番組放送50周年を記念して、記念切手セット「笑点50周年記念プレミアムフレーム切手セット」が発売された[3]

放送規格に関する特記

1980年(昭和55年)4月6日(第711回)からステレオ放送[4]。1989年(平成元年)9月3日(第1186回)からはクリアビジョン化に伴い字幕放送[5][6]を開始、2009年(平成21年)10月4日(第2184回)からは解説放送[6][7]を実施している。

ハイビジョン制作の開始は2007年[要出典]より行われており、大喜利コーナー時の隣座席の映り込みに配慮し、黒のサイドパネルを配置し4:3化して放送されていた。2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで初めて全編ハイビジョン放送(アナログではレターボックス)となり、同年1月3日(第2197回)からレギュラー放送もハイビジョン放送となった。また、全編ハイビジョン放送開始以降「大喜利」のコーナーに於いて、出演者の座布団の間隔を置くようになった。

2016年(平成28年)には、いわゆる「8K」解像度で「笑点 8Kスペシャル」と題した特別版を収録[8]。番組自体は歌丸の落語と大喜利の2部による通常通りの構成だが技術的なトライアルのために制作されたものであり、現在のところ一般への公開予定はない。(同年3月に日テレの放送技術発表会「デジテク2016」で業界関係者向けに公開予定)

放送時間[編集]

期間 放送時間(日本時間 備考
1966.05.15[9] 1968.04.28[10] 日曜日 16:30 - 17:10(40分) 1967年9月のみ17:00 - 17:40
1968.05.05[11] 1996.03.31[12] 日曜日 17:20 - 18:00(40分)
1996.04.14[13] 現在 日曜日 17:30 - 18:00(30分)
  • 毎年8月後半に行われる『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では、チャリティー大喜利という特別バージョンで生放送を行う(1988年から参加、1978年 - 1987年は放送休止)。かつては1題のみだったが、レギュラーと同じ3題になり、またその年のパーソナリティにお笑いコンビ・トリオが担当していたら大喜利前に漫才・コントも行われるようになり、ほぼレギュラーと同じ構成になっている。なお、遅れネット局では放送されないため、放送回数には含まれない。
  • 2003年(平成15年)と2004年(平成16年)の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00-18:55の1時間に拡大されて放送された[14]
  • 2010年(平成22年)7月4日の放送は、17:59から1分間、国内全テレビ局(民間放送127社とNHK)で全国一斉地デジ化テストを放送したため、本編が1分遅れてスタートし17:59[15]までのステブレレスで放送された。なお、本編の最後に桂歌丸が、『全国一斉地デジ化テスト』の予告を行った。逆に地デジEPGでの放送時間は、17:30 - 17:59[16]までとなった。2011年(平成23年)4月24日にも『全国一斉地デジ化テスト』が行われ、同様の編成となった。
  • 2005年(平成17年)以降はFIFAクラブワールドカップが日本開催に限り、FIFAクラブワールドカップ中継を優先する為休止または時間帯を移動する(日本テレビがFIFACWCの国内放映権を所有しているため。2015年は1週のみ後続番組である『真相報道 バンキシャ!』休止に伴い18:20 - 18:50に放送)。
  • 2016年(平成28年)4月3日より、直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を開始、日本テレビと南海放送の2局ネット。かつて1980年代まで当番組のスポンサーを務めた龍角散一社提供[17]
  • また笑点の90分スペシャル放送時に限り後続番組である『真相報道 バンキシャ!』は休止(休止分はNNNニュースを内包する措置を取る)となっている。

出演者[編集]

以下の表中の出演者名欄にある記号の意味は次のとおり。

  • ◎: 前身番組『金曜夜席』に引き続いて出演している出演者。
  • △: かつて演芸に出演した出演者(笑点メンバー時の出演を除く)。
  • ○: かつて大喜利メンバーだった出演者(司会者のみ)。
  • ☆: かつて若手大喜利に出演していた出演者。
  • □: かつて座布団運びの代理またはアシスタントをしていた出演者(座布団運びを除く)。

大喜利メンバー加入時の年齢が最も若かったのはこん平で23歳。逆に最も年長だったのは昇太で46歳である。

現在の出演者[編集]

出演者にはそれぞれ性格付けがしてあり、特に木久扇の与太郎(おバカ)キャラ、6代目円楽の腹黒・社会派キャラは、メンバーの代表的なキャラクターである。

冒頭の案内は原則として司会者が行うが、司会者が病気などにより休演した回は、以下に記載している(ただし、冒頭の挨拶が無い回もある)

座布団運びは大喜利で司会者が大喜利メンバーに差配する座布団を運ぶのが主な役目。

司会者
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
春風亭昇太△○☆□     2006年5月14日 - 現在 2006年5月14日 - 現在 第2016回 - 現在
  • レギュラー前は若手大喜利に出演(レギュラー就任後も司会を担当)、1997年2月23日(第1552回)に演芸ゲストとして出演、1998年7月26日(第1625回)は大喜利の代理座布団運びを担当。
  • 2006年5月21日(第2017回)から2016年5月22日までは大喜利メンバーとして出演。
  • 2014年5月18日(第2415回)から6月1日(第2417回)、2015年9月6日(第2480回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2008年7月6日(第2122回)、2015年1月25日(第2449回)、2015年7月26日(第2475回)[18]、2015年9月6日(第2480回)は大喜利の代理司会を担当。
  • 2016年5月29日(第2515回)に6代目の司会に就任した[19]
  • 司会就任当初は後輩にあたるたい平、2代目三平を指名するときは、君付けで、逆に先輩の小遊三、好楽、木久扇、6代目円楽は師匠付けと呼んでいた(歌丸時代に代理司会を務めた時も同様)が、2016年6月19日(第2518回)放送分以降は、メンバー全員の呼び方を従来の司会者と同様に「さん」付けで統一された[20]
大喜利メンバー
林家木久扇     1970年秋 - 1971年7月11日
    1971年9月5日 - 現在
1969年11月9日 - 現在 第171回 - 現在
  • レギュラー前は若手大喜利に出演。
  • 2007年9月16日(第2082回)までは林家木久蔵として出演。
  • 2008年6月29日(第2121回)と7月6日(第2122回)、2010年3月7日(第2206回)と3月14日(第2207回)、2015年7月19日(第2474回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2005年11月20日(第1993回)、2010年3月7日(第2206回)、2014年5月11日(第2414回)、2015年7月12日(第2473回)は大喜利の代理司会を担当。
  • 2014年7月27日(第2425回)から10月12日(第2435回)は療養のため休演。
三遊亭好楽     1979年9月9日 - 1980年11月2日
    1980年11月2日 - 1983年10月9日
    1988年4月3日 - 現在
1979年9月9日 - 1983年10月9日
1988年4月3日 - 現在
第682回 - 第889回
第1116回 - 現在
  • 1983年3月27日(第862回)までは林家九蔵として出演。
  • 2010年3月7日(第2206回)と3月14日(第2207回)、2015年8月9日(第2477回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2005年11月13日(第1992回)、2010年3月14日(第2207回)、2014年5月18日(第2415回)、2015年8月9日(第2477回)は大喜利の代理司会を担当。
三遊亭小遊三     1983年10月16日 - 現在 1983年10月16日 - 現在 第890回 - 現在
  • レギュラー前の1982年10月17日(第840回)に演芸ゲストとして出演している。
  • 2005年11月6日(第1991回)、2014年5月25日(第2416回)、2015年8月2日(第2476回)は大喜利の代理司会を担当。
6代目三遊亭圓楽     1977年8月28日 - 現在 1977年8月28日 - 現在 第578回 - 現在
  • 番組内では「三遊亭円楽」と表記。
  • 2010年2月21日(第2204回)までは、三遊亭楽太郎として出演。
  • 2008年6月29日(第2121回)と7月6日(第2122回)と2015年8月30日(第2479回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2005年10月30日(第1990回)、2014年6月1日(第2417回)、2015年7月19日(第2474回)、2015年8月30日(第2479回)は大喜利の代理司会を担当。
林家たい平△☆□     2004年12月26日 - 現在 2006年5月21日 - 現在 第2017回 - 現在
  • レギュラー前は若手大喜利に出演、1997年7月20日(第1576回)に演芸ゲストとして出演、1998年7月12日(第1623回)は大喜利の代理座布団運びを担当。
  • 2004年12月26日(第1948回)から2006年5月14日(第2016回)までは代理出演扱い。
  • 2014年5月18日(第2415回)から6月1日(第2417回)、2015年8月16日(第2478回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2008年6月29日(第2121回)、2015年2月1日(第2450回)、2015年8月16日(第2478回)は大喜利の代理司会を担当。
2代目林家三平    2016年5月29日
    2016年6月5日 - 現在[21]
2016年5月29日 - 現在 第2515回 - 現在
  • 2016年5月29日(第2515回)から出演[22]
  • 2006年5月14日に放送された40周年記念スペシャルの師弟大喜利にも出演。2009年4月19日(第2161回)は、林家三平襲名披露口上に出演した。
  • 初登場の2016年5月29日(第2515回)段階では色紋付の色が決まっていないため、真打昇進披露などで着用する黒紋付で出演した[23]
座布団運び
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
山田隆夫     1984年10月7日 - 1985年7月21日
    1985年9月1日 - 現在
1984年10月7日 - 現在 第938回 - 現在
  • 6代目座布団運び。
  • 1998年7月5日(第1622回)から1998年7月26日(第1625回)までは休演。

終身名誉司会[編集]

終身名誉司会
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
桂歌丸◎○     1968年冬 - 1969年3月30日
    1970年秋 - 2007年7月29日
    2007年9月9日 - 2016年5月22日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1969年11月9日 - 2016年5月22日
第1回 - 第139回
第171回 - 第2514回[24][25]
  • 5代目司会者。回答者による自身へのいじりに対して座布団を全没収することが多かった。全員の座布団を全没収することもたびたび起こっており、特に2013年10月13日(第2384回)の全員全没収の時は、翌週の放送(第2385回)で誰にも座布団を与えず、最初から最後まで全員を板の間に座らせるという珍事が発生した。最後の司会となった2016年5月22日の最終問題も全員全没収で終わる形となっている。
  • メンバーについては基本的に全員高座名に「さん」付け。ただし初代木久蔵→木久扇を「木久ちゃん」、楽太郎→6代目円楽を「楽さん」と愛称で呼ぶことも多かった。
  • 1966年5月15日(第1回)から2005年11月20日(第1993回)までは大喜利メンバーとして出演。
  • 2005年10月23日(第1989回)から2006年3月19日(第2008回)までは冒頭の案内役を担当。
  • 2005年10月23日(第1989回)と2005年11月27日(第1994回)から2006年5月14日(第2016回)までは大喜利の代理司会を担当。
  • 1985年4月7日(第964回)と4月14日(第965回)、2008年6月29日(第2121回)と7月6日(第2122回)、2010年3月7日(第2206回)と3月14日(第2207回)、2014年5月11日(第2414回)から6月1日(第2417回)、2015年1月25日(第2449回)と2月1日(第2450回)、7月12日(第2473回)から9月6日(第2480回)[26]は療養のため休演。
  • 2016年5月22日の生放送をもって『笑点』を勇退。「終身名誉司会」として事前番組『もう笑点』の出演など番組に関わり続ける。
  • 司会勇退後の放送でもオープニングの出演者表示では、「終身名誉司会」として引き続きクレジットされている。

過去の出演者[編集]

司会者
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
7代目立川談志     1968年冬 - 1969年3月30日 1966年5月15日 - 1969年11月2日 第1回 - 第170回
  • 初代司会者。番組の企画・構成・放送枠確保の段階から深く関与し、現在に至る名物コーナー「大喜利」の形を確立したほか、初代のオープニングテーマ『笑点音頭』の作詞兼メインボーカルも担当。
  • 1969年4月の大喜利メンバー総入替え以降、たびたび収録への参加をキャンセルことがあり、その際の代役司会は初期の演芸コーナー常連出演者の一人だった講談師の一龍斎貞鳳が担当した。
  • 1969年12月の第32回衆議院議員総選挙への出馬を理由として、同年10月収録分への参加を最後に番組を降板(ただし、これは表向きの理由であり、実際上は番組路線の転換を巡ってのスタッフとの関係悪化・出演者総入替え後の視聴率の低迷・度重なる収録不参加の責任を問われての事実上の解任に近い降板であったとされる)。
前田武彦     1969年11月9日 - 1970年12月13日 1969年11月9日 - 1970年12月13日 第171回 - 第228回
  • 2代目司会者。現在も使用されているオープニング曲『笑点のテーマ』の作詩も担当。
  • 司会就任前の1967年8月27日の「大喜利ゲスト大会」にメンバーとして出演していた。
  • 1970年2月8日の北海道収録の回は飛行機の欠航のため、コーナー進行部分のみ後楽園ホールにて後撮り収録し、大喜利は演芸ゲストだったてんぷくトリオの三波伸介に託した。
  • 唯一本名で出演していた司会者。
  • 司会前期のチーム対抗形式の大喜利(この時期の大喜利は「大喜利ナンバーワン」のコーナー名で放送されていた)では舞台上手ではなく、舞台中央に見台を置いて司会を行っていた(チーム対抗形式廃止後は従来通りに舞台上手で司会を担当)。
  • 当時『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)を筆頭に多数のレギュラー司会番組を抱えている最中での司会起用だったためか、番組内でのやり取りを巡りレギュラー出演者との間に考え方の相違があったこと[27]、個人事務所の設立や家庭に費やす時間を増やしたいという意向を持っていたことなどの事情が重なり、就任からわずか1年弱で降板。
初代三波伸介     1970年12月20日 - 1972年7月23日
    1972年9月17日 - 1982年12月26日
1970年12月20日 - 1982年12月26日 第229回 - 第850回
  • 3代目司会者。
  • 前田武彦司会時代の北海道収録の回(1970年2月8日放送)は大喜利の代理司会を担当。この際の仕切りぶりが好評だったことが決め手となって前田の後任司会者として正式に抜擢されることになった。
  • 現在も継承されている観客席での司会者によるオープニングの挨拶は三波司会時代から導入されたもの(公開放送番組の特性を生かしたいという三波の考えを踏まえて取り入れられたものだったとされる)。
  • 1982年12月8日に急逝したため、1983年の正月特番は司会者・案内役不在で進行し、コーナー司会としてドレミファ大喜利を林家こん平鶴亀大喜利愛川欽也が臨時に担当した(なお、愛川はこの特番収録を行うに当たって正式な新司会者就任の打診があったが、「落語家さんの評価をすることなんてとても自分には出来ない」との理由でこれを固辞している。同様のオファーは愛川以外にも、生前三波と親交の深かった伊東四朗中村メイコ東八郎に加え、愛川と並ぶ当時の人気司会者であった山城新伍にもあったが、いずれも愛川と同様の理由で司会就任を辞退している)。
5代目三遊亭圓楽◎○     1968年冬 - 1969年3月30日
    1970年秋 - 1977年3月27日
    1984年9月9日 - 2006年5月14日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1970年6月21日 - 1977年3月27日
1983年1月9日 - 2006年5月14日
2008年3月9日
第1回 - 第139回
第203回 - 第556回
第851回 - 第2016回
第2106回
  • 4代目司会者。当初は2回限りのゲスト司会者の予定で司会を引き受けたが、その後正式に司会就任の打診を承諾。以後、歴代司会者中最長の23年強にわたり番組の顔を勤め上げた。
  • 1966年5月15日(第1回)から1977年3月27日(第556回)までは大喜利メンバーとして出演。
  • 2005年10月23日(第1989回)から2006年3月19日(第2008回)までは病気療養のため休演。
  • 2006年3月26日(第2009回)に復帰を果たすものの体調面の不安から冒頭の案内役のみの出演となり、5月14日(第2016回)の最終大喜利の司会を歌丸と共に務めた。本編には、2008年3月9日(第2106回)の円楽一門真打昇進披露口上に出演した。
大喜利メンバー
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
柳亭小痴楽
(のちの春風亭梅橋
    1968年冬 - 1969年3月30日 1966年5月15日 - 1969年3月30日 第1回 - 第139回
林家こん平     1968年冬 - 1969年3月30日
    1972年9月17日 - 2004年9月5日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1972年7月30日 - 2004年9月5日
2016年4月17日
第1回 - 第139回
第313回 - 第1932回
第2511回
  • 過去に(放送日不明)大喜利の収録に遅刻したため、当時のプロデューサーの判断により出演なしの回がある[28]
  • 2004年9月12日(第1933回)以降は一時降板、休演中。2015年8月23日の「24時間テレビ」内のSPで11年ぶりに出演した。本編には、2016年4月17日(第2511回)の真打昇進披露口上に、三本締めの発声として出演した(新真打の中にこん平の弟子である林家ぼたんが含まれていることによるもの)。
4代目三遊亭小圓遊     1968年冬 - 1969年3月30日
    1970年秋 - 1980年10月12日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1969年11月9日 - 1980年10月12日
第1回 - 第139回
第171回 - 第737回
  • 1968年9月22日までは三遊亭金遊として出演。
  • 1980年10月5日未明に急逝。
柳家かゑる
5代目鈴々舎馬風
1969年4月6日 - 1969年11月2日 第140回 - 第170回
三升家勝二
8代目三升家小勝
1969年4月6日 - 1970年6月14日 第140回 - 第202回
柳家さん吉 1969年4月6日 - 1970年6月14日 第140回 - 第202回
三遊亭好生
春風亭一柳
1969年4月6日 - 1969年11月2日 第140回 - 第170回
春風亭栄橋 1969年4月6日 - 1969年11月2日 第140回 - 第170回
2代目三遊亭歌奴
3代目三遊亭圓歌
1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 多忙のための休演回あり、その際には木久蔵(木久扇)作の歌奴似顔絵を掲げていた。
4代目三遊亭金馬 1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 多忙のための休演回あり、その際には小きん(つば女)作の金馬似顔絵を掲げていた。
柳家小きん
6代目柳家つば女
    1970年秋 - 1972年7月23日 1969年11月9日 - 1972年7月23日 第171回 - 第312回
6代目三遊亭圓窓     1970年秋 - 1977年7月17日 1970年6月21日 - 1977年8月21日 第203回 - 第577回
三笑亭夢之助     1977年8月28日 - 1979年7月15日 1977年8月28日 - 1979年9月2日 第578回 - 第681回
7代目桂才賀     1980年11月2日 - 1988年3月27日 1980年11月2日 - 1988年3月27日 第740回 - 第1115回
  • 1985年8月18日(第983回)までは古今亭朝次として出演。
座布団運び
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
三升家勝松
4代目桂文字助
1966年5月15日 - 1967年1月22日 第1回 - 第34回
  • 初代座布団運び。
  • 元来、前座であり裏方であった。
  • 1967年1月29日(第35回)以降、裏方へ専念。
毒蝮三太夫     1968年冬 - 1969年3月30日 1967年1月29日 - 1969年11月2日
2016年5月8日
第35回 - 第170回
第2514回
  • 2代目座布団運び。
  • 1968年12月8日までは本名である石井伊吉の名で出演。
  • 初代司会者・立川談志の盟友であり、立川談志の誘いを受けて「座布団運び」となり、談志が司会を降板するまで「座布団運び」を務めた。
  • 2016年5月8日に、46年ぶりに「大喜利」に出演。
三遊亭笑遊
5代目三遊亭圓遊
1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 3代目座布団運び。
  • 北海道収録の回(放送日不明)は戸塚睦夫の補佐役に廻る。
初代三笑亭夢丸 1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 3代目座布団運び。
  • 北海道収録の回(放送日不明)は伊東四朗の補佐役に廻る。
小野千春 1970年6月21日 - 1971年7月11日 第203回 - 第258回
  • 4代目座布団運び。
  • 小野は出演開始当初は「前武の何でも入門」のアシスタントであった。1970年6月21日(第203回)以降、座布団運びも担当。
桂米助
ヨネスケ
1970年6月21日 - 1971年7月11日 第203回 - 第258回
  • 4代目座布団運び。
  • 小野の補佐役の位置付けであった。
松崎真     1971年9月5日 - 1984年9月30日 1971年7月18日 - 1984年9月30日 第259回 - 第937回
  • 5代目座布団運び。

アシスタント[編集]

番組内では、若手の落語家がアシスタントとして座布団運びの手伝いをしたり、収録前の前説を行っている。そのほとんどが大喜利メンバー(あるいは元大喜利メンバー)の弟子。

ほか多数

コーナー[編集]

1996年4月以降は、番組本編を演芸大喜利の2部で構成している。番組開始当初から1996年3月までは、演芸と大喜利の間に「談志とゲスト対談」など司会者が務めるコーナーが存在し(または演芸ゲスト2組で2コーナー)、長らく3部構成であった。

演芸[編集]

番組の前半に行われる。オープニング後に司会が会場の座席からゲストを紹介する。5代目圓楽は「今日のはな(端=始めと「華」を掛けている)」と紹介していた。また、歌丸は上方から登場するゲストの場合は「上方からおいでの〜」と紹介する。登場するゲストは芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語漫才漫談コントマジック物真似など多岐にわたっている。毎回1組が基本だが、40分番組だった時代はピン芸人の短いネタの場合、2組が出るケースもあった。

主な芸の種類と主な出演者は次のとおり。

この他、若手のお笑いタレントが多数出演している。

コーナー最多出演者はマギー司郎で、2016年現在の時点で49回出演している[29]

星セント・ルイスツービートなど後の漫才ブームでブレイクした漫才師たちも早い時期から演芸に出演していた。特にセント・ルイスは1970年代半ばごろに収録の間の時間つなぎをする「マエラク」を担当していた縁もあり、1977年(昭和52年)の『NHK新人漫才コンクール』でセント・ルイスが優勝すると直後4カ月の間に演芸に3回出演させ番組ぐるみでブレイクを後押しした。その一方、実際に漫才ブームが訪れた1980年代初期にはブームの中心となった漫才師たちがほとんど出演しなかった。これは「笑点」から出た「ずうとるび」を通じてブームそのもののはかなさと怖さを知ったという当時のプロデューサーが「ブームに便乗するとブームが去った時に番組も終わる」と判断し、漫才ブームから距離を置く姿勢を取ったためである。ただし、漫才ブームが沈静化した後はセント・ルイスやおぼん・こぼん西川のりお・上方よしおオール阪神・巨人今いくよ・くるよなどブームの中心を担った漫才師も演芸に出演している。

5代目圓楽の司会当時は、毎年新年1回目の演芸で5代目圓楽の落語が披露されるのが恒例となっていた。現在では笑点で落語を放送することは滅多にないが、「笑点 特大号」でプレミアム落語として定期的に放送している。また、2014年6月8日の歌丸復帰回と10月19日の木久扇復帰回は自身の病気療養期間中のエピソードを落語風にして披露した。かつては特に地方収録の回では大喜利メンバーが落語をすることが多かった。

コラボレーション演芸として、木久扇+カンカラBOOMER+プリンプリン内海桂子+あした順子、たい平+鉄拳、好楽+ヒロシ、歌丸+ナイツ、昇太+サンドウィッチマン、6代目円楽+テツandトモなど異色な組み合わせが行われることもある。

2006年(平成18年)1月22日の第2000回放送と、同年5月14日の「40周年スペシャル」では、(当時の)演芸最多出演者として、マジックのナポレオンズが紹介され、出演した(ちなみに、ナポレオンズの出演回数は47回[29]=2016年現在)。

2016年1月17日には司郎のマジックに特別出演として、日曜ドラマ臨床犯罪学者 火村英生の推理』の主演である斎藤工窪田正孝が出演した。

「演芸」内で行われる企画[編集]

アナウンサー大喜利
真打昇進・襲名披露口上
各協会・一門に関係する大喜利メンバーが進行役や挨拶で登場する。
真打昇進披露は年2回、落語協会落語芸術協会円楽一門会の各団体の合同によって行われることが多い。落語立川流については通常含まれない[30]。真打になった本人の挨拶があるのが特徴[31]。最後に進行役が1人(大抵は年長者)を指名し、指名された者が音頭をとる形で「三本締め」で締めるのが恒例である。
大喜利メンバーのロケ企画
大喜利コーナーでメンバーが座布団を10枚獲得したご褒美として豪華賞品に関連するロケ収録の模様を送る。ナレーションは日本テレビのアナウンサーか大喜利メンバーが行う。

「演芸」内で行われていた企画[編集]

若手大喜利
若手の登竜門 笑点の穴
1996年(平成8年)11月3日にスタート。ベテランの出演が多かったころ、あまり出演機会のなかった若手を対象にしたコーナー。コーナー名は『タイガーマスク』の「虎の穴」にちなんでいる。毎回2、3組登場し、最後まで笑いを取れれば「おめでとう!全国放送」のテロップが出るが、取れなければネタの途中でカットされ「笑点の穴へ逆戻り!再チャレンジお待ちしています。」のテロップが出る。
アンジャッシュTIMグループ魂暴動破壊バイト君)、爆笑問題つぶやきシロー、プリンプリン、テツandトモますだおかだ北陽、たい平、など多くの若手芸人がしのぎを削った。また、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!のコントコーナー「ランキングキャラクターライブ」から派生した番組内ユニットのザ・レスラーズ(南原清隆勝俣州和濱口優)とSeniorJunior(内村光良ウド鈴木)による対決が行われたこともある。
その他の企画
  • 1980年(昭和55年)から1987年(昭和62年)までの年末と1990年(平成2年)から1996年(平成8年)までの新春スペシャルでは、笑点メンバーがマジックを披露する年1回のスペシャルコーナーがあった。
  • 1998年(平成10年)7月は番組を休んだ山田に代わる座布団運びを選出するとして、4回にわたって若手落語家による「大喜利下克上」を放送した。
  • 2007年(平成19年)2月4日の放送では、当時、林家きくおの2代目木久蔵襲名後の自分の名前を募集していた林家木久蔵の新しい名前の中間発表が行われた。結果は4月28日の収録で発表され、終了後本人が会見を開き公表した。その模様は5月6日に放送。9月23日の放送から「林家木久扇」の名で出演している。
  • 2009年(平成21年)11月8日の放送では、「さよなら円楽笑点お別れ会」として、現在のメンバーとこん平が、5代目圓楽の思い出を振り返った。

大喜利[編集]

終了したコーナー[編集]

談志とゲスト対談
談志がゲストと対談するコーナー。トークコーナーでありながら、ゲストとの掛合いが半ば即興漫才となっていた。
第1回のゲストはミヤコ蝶々で、前身番組『金曜夜席』の裏番組だった『蝶々・雄二の夫婦善哉』(朝日放送TBS系列)の司会という間柄の対談であった。
フリートーク
1969年11月に前田武彦司会就任と共に始まった「前武歳時記」で、舞台上にいる前武が日々感じたことをありのまましゃべっていたもの。三波伸介司会就任後は、収録会場の観覧客席に移る。番組オープニング直後に司会者がカメラに向かって番組開始の挨拶に続いて簡単な話を数分間した後、直後の演芸へと繋いだ流れは1996年3月まで続いた。
前武のなんでも入門
その道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。後に座布団運びを担当する小野千春は、このコーナーのアシスタントを担当していた。
伸介のなんでもコーナー
ゲストを呼んでの対談やその道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。
このコーナーの最多出演者は、計13回出演の神田川俊郎。三波と親交があったため定期的に出演し、自慢の料理の腕前を披露していた。次いで多かったのは、三波がファンであったシャンソン歌手高英男で、コーナーへは6回出演しているほか、新春の特別コーナーであるドレミファ大喜利へも出演した。
他に岡本太郎手塚治虫嵐寛寿郎淡谷のり子永六輔石原慎太郎といった、そうそうたる豪華ゲストが出演した。
ずうとるびの小咄
三波時代にはCMとCMの間のコーナー。当時「ちびっ子大喜利」に出演していたずうとるびの代表が、人形(声:丸山裕子)と小咄をする。
円楽のよろずガイダンス
落語に関することを中心とした雑学を5代目圓楽が披露するコーナー。

エンディング[編集]

2015年5月以降は「笑点おもいで写真館」・「笑点 こんな写真が!」と題し、『笑点のテーマ』をBGMに、主に立川談志や5代目圓楽ら、番組黎明期の出演者写真を紹介しながら提供クレジットを表示し、終了している。

以前は、司会者の締めの挨拶の後、大喜利メンバーたちが高座に正座した状態で客席に向かって手を付いてお辞儀をしている様子を映したまま、『笑点のテーマ』をBGMに提供クレジットと次回の放送内容のテロップが出て(後述)そのまま番組終了していた。この間の大喜利メンバーたちはお辞儀をしたまま特に動きがないのが基本だが、時に最後に出たネタを引きずってそれに絡んだアクションをしたり、歌丸と大喜利メンバーたちのやり取りが見られることもある。2013年6月以前は最後に次回予告が出ていたが、それ以降は「次回をお楽しみに」のみ表示され、次回予告は廃止された。歌丸が引退後最初の放送となる2016年5月29日の放送は「歌丸終身名誉司会、いかがでしたか?」というテロップであった。

また、11月から12月にかけては番組の公式カレンダーである「笑点暦」の宣伝をエンディングで行うが、番組のオフィシャル本などカレンダー以外の番組関連グッズの宣伝をエンディングで行うこともある。

歌丸の締めの挨拶は「どうやらお時間が来たようです。また来週お目にかかりましょう(「お会いしましょう」と言うこともある)。ありがとうございました(「失礼いたします」と言うことも稀にあるが、年内最後は「それでは今年一年応援いただいて大変ありがとうございました。来年も笑点、一丸となってみんなで頑張ります。ごひいきのほどどうぞよろしくお願いをいたします」)」が基本だが、直前に座布団没収になるようなネタが繰り出された場合はそのネタについてのフォローを入れながら締めの挨拶に移っていくことが多い。三波伸介や5代目圓楽などは「といったところで笑点お開き、また来週のお楽しみ、ありがとうございました(年内最後は「また来年お目にかかります」)」が、締めの挨拶の決まり文句になっていた。

40分番組だった頃は司会者の挨拶の後大喜利メンバーたちがお辞儀をする姿を一瞬映し、さらに拍手を送る客席の様子を映してからCMに入り(30分番組になってからも客席を映すエンディングはしばらく続けられている。現在でも地方収録時にしばしば見られる)、CM明けに提供クレジットと次回の放送内容が出たあと、オープニングタイトルの左下に寄席文字で「終」の文字が入ったタイトルが出て番組終了となっていた。次回の放送内容の紹介はテロップではなく、収録後の高座の様子を写したスチール写真に寄席文字で書いたパネルで紹介するスタイルが長く続いていた。

地方収録やその年の最後に「三本締め」で幕締めすることが恒例中の恒例であったが、近年は行われなくなっており、前述の披露口上の締めでのみ行われている。

オープニング[編集]

番組のオープニングではテーマ曲をBGMに、その放送回の出演者(レギュラー出演者とゲスト出演者)と、番組スタッフの紹介のあと、最後に制作クレジット(「日本テレビ」と公開収録したテレビ局名)が表示される。

表示される番組スタッフは、題字、テーマ音楽担当、オープニングアニメ制作者、企画立案、制作協力、ディレクター、プロデューサー、制作担当などである。

テーマ曲[編集]

「笑点音頭」[編集]

番組放送当初はテーマ曲は無かったが、1967年(昭和42年)1月29日の放送回からオープニング曲が使用された。

  • 曲名:「笑点音頭」
  • 作詞:立川談志、作曲:宮崎尚志
  • 歌唱:立川談志&笑点グループ
  • 1967年、キングレコードからレコード発売。のちに複数のレコード会社から、企画盤のうちの一曲としてCD化されている。
  • 2012年、立川談志追悼としてタワーレコード専売で当時のシングル盤のジャケット写真を用いてマキシシングルとして復刻販売される。
  • ジャケットには「連続TVドラマ「笑点」主題歌」と記載されているが、発売1年前の1966年には「笑点」の名前の由来である「氷点」の連続テレビドラマが放映されていた。

「笑点のテーマ」[編集]

笑点のテーマ
中村八大楽曲
リリース 1969年
時間 1分17秒
作詞者 前田武彦
作曲者 中村八大

1969年(昭和44年)11月に談志が司会を降板した後、新テーマ曲として「笑点のテーマ」が導入された。現在では「笑点」といえばこの曲、と言われるほど非常に有名である。

また、導入当初は司会の前田武彦による歌詞があった。歌は前田と当時の大喜利メンバーが歌ったが、メンバーチェンジを機にインストゥルメンタルのバージョンとなり現在に至っている[要出典]

1985年3月31日まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズオーケストラ形式で録音されたが、効果音係が、効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音を入ったが、これが好評だったのでそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、提供社名を流す際の番組開始・終了用音楽は、前述の効果音による合いの手が入らないなどアレンジが微妙に異なり、曲の最後の部分でブラスの音が強調されていた。これらの音源は、後述のステレオ再録音の音源が採用されるまで使用され続けた。なお、当番組は1980年4月6日放送分からステレオ放送[32]となっているが、それから後述のステレオ再録音が使われるまでは、このモノラル音源を擬似ステレオ化した物が使われていた[要出典]

その後テーマ曲は、1985年4月7日に別の演奏者によりステレオにて再録音された(「笑点 大博覧会 DVD-BOX」では、1991年12月まで使われたオープニングまで前のバージョンの音声に変えていた)ものが放送される。その際、鳴り物や吹き物が変更され、アレンジも変化したが、全体的にはオリジナルの曲調を踏襲している。提供アナウンス時の音楽は、ジャズ調アレンジのテーマが流され、後に2006年5月14日放送(第2016回)の40周年記念スペシャルや2009年以降の2009お正月スペシャルや出演者の交代時などの節目となる回のエンディングに使われている(かつては1年の最後の放送のエンディングにも使われていた。)。1998年8月2日からは若干変更になり、2代目のアレンジに加え、長さも40秒に短縮された。2010年1月からはハイビジョン制作となったのと同時にテーマ曲も高音質となっている。

初期の東海林修の編曲・指揮によるモノラル音源のインストゥルメンタル・ヴァージョンは、ソニー・ミュージックエンタテインメントからのコンピレーション・アルバムCD「日曜夜のテレビは哀愁」(CD番号:MHCL1185、2007年10月10日発売)の第1曲目に収録されている。

歴代オープニング[編集]

「笑点音頭」 (1967年1月29日 - 1969年3月30日)
アニメーションの似顔絵と演出は、竹内大三が担当。
「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションの後、以下の順でメンバーを模した動物が登場。
7代目立川談志(、メンバー一同の猿まわしもする)→桂歌丸(バッタ)→柳亭小痴楽フグ)→5代目三遊亭圓楽(天馬)→林家こん平(ネズミ)→三遊亭金遊イモムシ)→石井伊吉マムシ
途中、メンバーの名跡襲名・改名があった際、字幕のみ変更。
1969年4月以降、5代目圓楽らが降板したため「笑点音頭」が使えなくなる。
「笑点のテーマ(歌唱つき)」(歌詞付き) (1969年11月9日 - 1970年6月14日)
「笑点のテーマ」を歌っていたのは前田武彦大喜利メンバー
任侠陣傘編 (1970年12月20日 - 1971年12月26日)
テーマ曲の「笑点のテーマ」はインストゥルメンタル版(歌なし楽器演奏のみ)で、出演者紹介時のみ静止画で表現される形式。以降のオープニングで踏襲される。なお、クレジットは横書き表示でゴシック体であった。
切り絵風アニメーション(似顔絵・演出は永沢詢が担当)で、陣笠姿の大喜利メンバー6名と司会者が陣笠を取り、コスプレ姿に。
5代目三遊亭圓楽(スーパーマン)→桂歌丸(花魁)→4代目三遊亭小圓遊(渡世人)→6代目三遊亭圓窓ネイティブ・アメリカン)→柳家小きん宇宙飛行士)→林家木久蔵忍者)→(1970年12月20日以降)三波伸介盗賊)1970年6月21日からの1970年12月13日までは、前田武彦(殿様)であった。なお、前田時代のオープニングは残されていない。
日本の昔話編 (1972年1月2日 - 1974年12月29日)
出演者紹介時のみ静止画と縦書き表示で手書き調で表現される形式に。(このオープニング以降、一貫してクレジットは縦書き表示である)
水墨画風アニメーション(似顔絵・演出は永沢詢が担当)で、朝日と富士山を背景に「笑点」と書かれた掛軸の登場後、以下の順で出演者紹介。
三波(天地開闢)→ゲスト出演者(国産み)→5代目圓楽[33]桃太郎)→歌丸(一寸法師)→4代目小圓遊(竹取物語)→6代目圓窓(浦島太郎)→小きん(分福茶釜)/(1972年7月30日以降)林家こん平(笠地蔵)→木久蔵(舌切り雀)→松崎真提灯お化け)→スタッフ(花咲かじいさん
笑点大演芸編 (1975年1月5日 - 1977年8月21日)
浮世絵風アニメーションで、おなじみの定式幕を背景に「笑点」のタイトル表示後、以下の順で出演者紹介。
「製作 著作 日本テレビ」の表示が、これまでのテロップ表示に代わってアニメーション表示に変更。
このオープニングからクレジットは寄席文字になる。
ここから2006年5月14日まで、出演者紹介前に出演者に向かってズームインする形式に。
三波(能楽)→ゲスト出演者(ステッキを振り回すピエロ)→(1977年3月27日まで)5代目圓楽(歌舞伎白浪五人男)→歌丸(フラメンコ)→4代目小圓遊(大衆演劇)→6代目圓窓(しっかり者のスズの兵隊)→こん平(シンデレラ)→木久蔵(鞍馬天狗)→松崎(ローン・レンジャー)→スタッフ(太神楽
5代目圓楽が番組卒業した1977年4月以降は、5代目圓楽の似顔絵アップ部分のみカットし若干ピエロのシーンを延長して対処。
江戸の暮らし編 (1977年8月28日 - 1978年12月24日、1979年9月9日 - 1980年12月28日)
6代目三遊亭圓窓の降板と三笑亭夢之助三遊亭楽太郎の2名の加入に伴い、オープニング一新。
1979-80年は三笑亭夢之助の急な降板や4代目三遊亭小圓遊の急逝に伴い、新メンバーの林家九蔵古今亭朝次の紹介に作り替えたバージョンを放送。
三波(め組の喧嘩)→ゲスト出演者(花吹雪)→歌丸(水芸太夫)→(1980年10月12日まで)4代目小圓遊(国定忠治)→こん平(雷電爲右エ門)→木久蔵(遠山の金さん)→(1980年11月2日以降)朝次(日本駄右衛門・静止画のみ2カット)→(1978年12月24日まで)夢之助/(1979年9月9日以降) 九蔵(八百屋お七)→楽太郎(鼠小僧)→松崎(讀賣瓦版売り)
1980年10月19日と26日は、同年10月5日に急逝した4代目三遊亭小圓遊の追悼によりオープニングテーマなし。
古今東西大演芸編 (1979年1月7日 - 1979年9月2日)
アニメーションの似顔絵・演出は、夢野凡天が担当。
三波(桃太郎)→ゲスト出演者(玉手箱)→歌丸(浦島太郎)→4代目小圓遊(中村雪之丞)→こん平(ハムレット)→木久蔵(石川五右衛門)→夢之助(牛若丸)→楽太郎(シンデレラ)→松崎(金太郎
東海道五十三次編 (1981年1月4日 - 1982年12月26日)
三波(日本橋暴れん坊将軍)→ゲスト出演者(東海道五十三次双六)→歌丸(箱根宿チンドン屋)→こん平(吉原宿飛脚)→木久蔵(府中宿森の石松)→楽太郎(浜松宿芸妓)→九蔵(御油宿人形浄瑠璃)→朝次(桑名宿七里の渡し)→松崎(三条大橋一休さん
1982年12月12日と19日は、同年12月8日に急逝した三波伸介の追悼によりオープニングテーマなし。
日本の祭り編 (1983年1月9日 - 1983年10月9日)
5代目三遊亭圓楽の司会就任後、初のオープニング。当初は三波伸介版で制作されたが急逝したため、顔の部分だけ5代目圓楽に作り替えて放送に間に合わせた。
5代目圓楽(浜松まつり)→ゲスト出演者(大空に大凧)→歌丸(阿波踊り)→こん平(長岡まつり)→木久蔵(唐津くんち)→楽太郎(平塚七夕まつり)→九蔵(青森ねぶた)/(1983年4月3日以降)三遊亭好楽(改名)→朝次(長崎ペーロン)→松崎(竿灯まつり
落語の世界編 (1983年10月16日 - 1985年3月31日)
三遊亭好楽の降板と三遊亭小遊三の加入に伴い、オープニング一新。
5代目圓楽(花見の仇討ち)→ゲスト出演者(鷺とり)→歌丸(鰻屋)→こん平(狸賽)→木久蔵(薬缶)→楽太郎(湯屋番)→小遊三(池田の猪買い)→朝次(強情灸)→松崎(たがや)/(1984年10月7日以降)山田隆夫(豆屋
世界の童話編その1 (1985年4月7日 - 1986年3月30日)
このオープニングからステレオ音声に。
5代目圓楽(荷かつぎ人足と乙女たちとの物語ズバイダ)→ゲスト出演者(千夜一夜物語)→歌丸(アラジンと魔法のランプ)→こん平(シンデレラ)→木久蔵(裸の王様)→楽太郎(親指姫)→小遊三(ロビン・フッド)→朝次/(1985年9月1日以降)7代目桂才賀(襲名)(人魚姫)→山田(ピノッキオの冒険)→スタッフ(世界一周)
世界の童話編その2 (1986年4月6日 - 1987年3月29日)
5代目圓楽(大黒天)→ゲスト出演者(海を往く宝船)→歌丸(メリー・ポピンズ)→こん平(不明)→木久蔵(不明)→楽太郎(マッチ売りの少女)→小遊三(漁師)→7代目桂才賀(白雪姫)→山田(キューピット
世界の童話編その3 (1987年4月5日 - 1988年3月27日)
5代目圓楽(カメハメハ大王)→ゲスト出演者(ハワイの海)→歌丸(宇宙飛行士)→こん平(チンギス・ハーン)→木久蔵(トロイの木馬)→楽太郎(フレンチ・カンカン)→小遊三(自由の女神)→7代目桂才賀(ジャックと豆の木)→山田(不明)
古今東西有名人編 (1988年4月3日 - 1989年12月24日)
7代目桂才賀の降板と三遊亭好楽の復帰に伴い、オープニング一新。
5代目圓楽(徳川家康)→ゲスト出演者(関ヶ原の戦い)→歌丸(サリー・ライド)→こん平(マイケル・ジャクソン)→木久蔵(アーサー王)→楽太郎(小野小町)→小遊三(ジョン万次郎)→好楽(一休宗純)→山田(ユーリイ・ガガーリン
江戸の商売編 (1990年1月7日 - 1990年12月30日)
5代目圓楽(歌舞伎舞踊)→ゲスト出演者(駕籠)→歌丸(大奥)→こん平(傘張り職人)→木久蔵(勤王志士)→楽太郎(井戸端会議)→小遊三(お魚くわえた野良猫を捕まえる岡っ引)→好楽(風車を持っている町娘)→山田(散楽
世界のスポーツ編 (1991年1月6日 - 1991年12月29日)
5代目圓楽(ポロ)→ゲスト出演者(メンバーの駅伝)→歌丸(釣り)→こん平(アメリカンフットボール)→木久蔵(鉄棒)→楽太郎(ゲートボール)→小遊三(野球)→好楽(シンクロナイズドスイミング)→山田(ボクシング
江戸の生活編 (1992年1月5日 - 1992年12月27日)
古典落語の世界観で表現。
5代目圓楽(花見酒)→ゲスト出演者(満開の桜の上空をツバメが飛びまわる)→歌丸(たらちね)→こん平(船徳)→木久蔵(時そば)→楽太郎(五人廻し)→小遊三(大工調べ)→好楽(たちぎれ)→山田(初天神
日本テレビ開局40周年記念・日本の昔話編その2 (1993年1月10日 - 1995年12月24日)
「日本の昔話編」のリメイク。
5代目圓楽(桃太郎)→ゲスト出演者(龍宮)→歌丸(乙姫)→こん平(浦島太郎)→木久蔵(金太郎)→楽太郎(鶴の恩返し)→小遊三(こぶとりじいさん)→好楽(雪女)→山田(一寸法師
笑点フェスティバル編 (1996年1月7日 - 1997年3月30日)
5代目圓楽(真打披露口上)→ゲスト出演者(つがいの鶴が大空に舞う)→歌丸(脱出イリュージョン)→こん平(ピエロの玉乗り)→木久蔵(ミュージカルタップダンス)→楽太郎(ベリーダンス)→小遊三(高層ビル間綱渡り)→好楽(バニーガール一輪車乗り)→山田(腹話術人形
笑点メンバーの趣味趣向編 (1997年4月6日 - 1998年6月28日)
5代目圓楽(ペガサスに乗った殿様)→ゲスト出演者(2羽の鶴が舞う)→歌丸(釣り)→こん平(小木海岸名物・たらい舟)→木久蔵(万里の長城でラーメン)→楽太郎(コンピュータープログラマ)→小遊三(自転車でパチンコ・雀荘へ)→好楽(茶屋で佇む俳人)→山田(遊園地で子供と遊んでいるお父さん)
1998年7月は新オープニングアニメ(七福神編)の制作が間に合わず、山田が休演していたことも重なり、オープニングテーマなし。そのため、大喜利終了時にエンドロールを出していた。
笑点七福神編 (1998年8月2日 - 1999年12月26日)
ここからアレンジされ、間奏とゲスト紹介が消滅された40秒バージョンに。
5代目圓楽(大黒天)→歌丸(恵比寿)→こん平(布袋)→木久蔵(毘沙門天)→楽太郎(弁才天)→小遊三(福禄寿)→好楽(寿老人)→山田(叶福助
笑点ファミリー編 (2000年1月9日 - 2000年12月24日)
ここからレギュラー陣氏名のアルファベット文字が入った。
5代目圓楽(サラリーマンの父)→歌丸(料理中の母)→こん平(階段から転げ落ちる子供)→木久蔵(トイレを済ませたおじいさん)→楽太郎(バス停へ走るOL)→小遊三(リーゼント極めてる高校生)→好楽(セーラー服の女子高生)→山田(女の子を追いかける幼稚園児)
21世紀記念編 (2001年1月7日 - 2001年5月13日)
ここから三遊亭好楽と三遊亭楽太郎の紹介順が入れ替わる。
5代目圓楽(1966年/笑点誕生)→歌丸(1967年/ツイッギー来日)→こん平(1969年/アポロ11号人類月面到着)→木久蔵(1970年/大阪万博)→好楽(1972年/札幌オリンピック)→小遊三(1977年/王貞治・756号本塁打)→楽太郎(1989年/ベルリンの壁崩壊)→山田(2000年/日本女子マラソン・オリンピック初金メダル
笑点35周年記念・大江戸すごろく編 (2001年5月20日 - 2003年12月28日)
「東海道五十三次編」のアレンジ。
5代目圓楽(双六)→歌丸(振り出し・日本橋)→こん平(三・川崎宿)→木久蔵(二・小田原宿)→好楽(五・蒲原宿)→小遊三(一・浜松宿)→楽太郎(七・四日市宿)→山田(六・振り出しに戻る・箱根宿
2002年・2003年の「新春!笑てん声慎吾」のみ、香取慎吾(文字・場所ともに不明)とキャイ〜ン御油宿・文字不明)を追加。
笑点1900回記念・大江戸笑点街編 (2004年1月4日 - 2006年5月14日)
5代目圓楽(神輿に乗った長老)→歌丸(髪結い中の町娘)→こん平(飛脚)→木久蔵(畳職人)→好楽(銭湯に入る町娘)→小遊三(鰻屋)→楽太郎(産婆)→山田(川でシジミ採り)
こん平の休演後も、こん平が正式な降板はしていなかったこと、林家たい平は代理出演という扱いだったため、作り替えることなく放送された。
笑点40周年記念・新装開店祭編 (2006年5月21日 - 2008年5月11日)
桂歌丸の司会就任、同時に1988年に再加入の好楽以来18年ぶりの大喜利新メンバーとして春風亭昇太の加入+林家たい平のレギュラー昇格後、最初のオープニング。
歌丸(怪しい鳥に乗る会長)→木久蔵(ラーメン屋の親父)/(2007年9月23日以降)林家木久扇(奇術師)→好楽(茶道を披露する舞妓)→小遊三(太鼓台を占拠するサンバチーム)→楽太郎(腹黒占い師)→昇太(春風亭昇太)→たい平(似顔絵師)→山田(鶴と亀と共に露店を練り歩く)→(以下はスタッフテロップ)的当て→太神楽/(2007年9月23日以降)馬の体が半分にちぎれる→酒樽→紅白幕→5代目圓楽とこん平(獅子舞)→「万歳三升」と書かれた衝立式
日本テレビ開局55周年記念・落語の世界編その2 (2008年5月18日 - 2016年5月8日)
「落語の世界編」のリメイク。歴代で最も長く使われた。
歌丸(目黒のさんま)→木久扇(源平盛衰記)→好楽(金明竹)→小遊三(てれすこ)→楽太郎(酢豆腐)/(2010年2月28日以降)6代目三遊亭円楽(芝浜)→昇太(たらちね)→たい平(まんじゅうこわい)→山田(鍬潟)→(以下はスタッフテロップ)道具屋平林干物箱骨釣り寝床南極探検
番組のハイビジョン化により、2010年1月1日の新春スペシャルより画面比率16:9に拡大。2009年1月1日の新春スペシャルでも地上デジタル放送ではオープニングアニメーションのみ16:9フルサイズで放送。アニメーション自体そのものは作成当初からハイビジョンで制作。
出演者の名前の表示枠は4:3表示に対応する位置にあったが、ハイビジョン化以降変更した6代目円楽のみ16:9表示対応になった。
6代目円楽に「六代目」「6th」が追記された。
2014年10月19日放送回では、初期の喉頭癌により休演していた木久扇が復帰することから、木久扇の登場シーンにて扇子の日の丸にそれぞれ「た」「だ」「い」「ま」の4文字が入れられた。[34]
笑点50周年記念・落語の世界編その3 (2016年5月15日 - 現在)
メンバーの入れ替わりにより、細かい変更が行われている。
歌丸(桜鯛、2016年5月22日まで)→木久扇(昭和芸能史)→好楽(王子の狐)→小遊三(強情灸)→6代目円楽(秘伝書)→昇太(寿限無)→たい平(二十四孝)→2代目三平(時そば、7月3日から)→山田(藪入り)→(以下はスタッフテロップ)元犬素人鰻笠碁鼠穴→居酒屋→歌丸(2016年5月29日以降、名前表示部のみ)
「祝五十周年」の文字が追加(2016年5月29日以降)
名前の表示枠が拡大、6代目円楽の「六代目」「6th」が削除
2016年5月29日以降のオープニングは、スタッフテロップの後に歌丸の名前表示部分のみを移動し、「終身名誉司会」が追記
2代目三平は2016年5月29日放送回の大喜利で発表されたため、同回のオープニングは未登場。2016年6月5日放送分から26日放送分まではアニメが完成しておらず、お詫びのイラストが「ただいま作成中」というテロップとともに使用されていた。
2016年7月10日放送分のオープニングから、2代目三平の目が大きく描かれたものに差し替えられた。
  • オープニングの最初には、必ずと言っていいほど定式幕をバックに笑点のロゴが出てきて、定式幕が開き、太陽の絵が出てくるのが慣例である。
  • オープニングの最後には、テーマに沿った品物が画面の奥から飛んできて、その後背景が白に替わり赤の長方形に白い寄席文字の「製作 著作 日本テレビ」が映し出されるのが慣例となっている。
  • オープニングの出演者表示は休演による変更は行われない。

舞台装置[編集]

1970年(昭和45年)まであった演芸場人形町末廣」を参考に、「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされている。部分的な手直しは何度か行われたが、『金曜夜席』の放送開始時から基本的なところは変わっていない。

舞台奥の襖は4枚あり、後楽園ホールでの収録時と地方収録時では絵柄が異なる。地方収録の際は、襖に収録地の名産品、観光名所、祭りの光景などが描かれる[35][36]

舞台の上の提灯には当初、笑の文字や、笑点メンバーの定紋を入れていたが、1969年(昭和44年)から現在のように名前を書くようになった(ただし、その後も特番の時などに紋の入った提灯が下げられたことがある)。

舞台上部に飾られている「笑点」と書かれた額は、2011年(平成23年)6月5日までは橘右近によるものを使用されていたが、2011年(平成23年)6月12日から橘左近によるものを使用されている[要出典]

なお、出演者や裏方たちは原則として上手から入退場するので下手側は通常襖で閉められているが、対抗戦形式の大喜利が行われる時などは下手側の襖も開いて下手から入退場するケースもあるが、2014年7月6日から2016年5月22日までは足腰が弱ってしまった為に歩行が困難になった歌丸が司会者席に近い下手側から入退場するので、入退場する時のみ開放された。

舞台上は、基本的に土足厳禁となっており、大喜利メンバーのみならず前半の演芸コーナー出演者も舞台上には靴は履かずに舞台に上がる。

地方収録[編集]

初の地方収録は大阪府寝屋川市で行われた(放送日不詳、収録日は1967年(昭和42年)7月15日。他、談志司会の頃には山形県天童市岩手県花巻市などにも行っている)。

また、神奈川県伊勢原市での地方収録の放送時(1973年(昭和48年)10月21日 )にニールセン[37]調べによる当番組の歴代最高視聴率40.5%(関東地区)をマークしている[38]

かつて[いつ?]、地方収録第1週目の客席からのオープニングでは、司会者の隣に系列局の女性アナウンサーが座り、当地の名所や名産物を紹介していた。

1997年(平成9年)以降の地方収録は以下の通り。近年はもっぱら、日本テレビの系列局の開局○周年記念として行われている(市制○周年記念などがプラスされるパターンもある)。

放送年月日 会場 理由
1997年
(平成9年)
8月10日
8月17日
鳥取県山陰・夢みなと博覧会会場 日本海テレビジョン放送開局40周年記念
9月28日
10月5日
熊本県熊本市民会館 熊本県民テレビ開局15周年記念
11月9日
11月16日
徳島県鳴門市文化会館 四国放送開局45周年記念
1998年
(平成10年)
3月8日
3月15日
埼玉県熊谷文化創造館 さくらめいと 日本テレビ放送網開局45周年記念
6月21日
6月28日
山形県山形県県民会館 山形放送開局45周年記念
10月11日
10月18日
鹿児島県鹿児島市民文化ホール 鹿児島讀賣テレビ開局5周年記念
1999年
(平成11年)
1月10日
1月17日
香川県ユープラザうたづ 西日本放送開局40周年記念
3月21日
3月28日
静岡県静岡市民文化会館 静岡第一テレビ開局20周年記念[39]
6月6日
6月13日
岩手県北上市市民会館 テレビ岩手開局30周年記念
8月1日
8月8日
愛媛県今治市公会堂 南海放送開局45周年記念
10月17日
10月24日
福島県郡山市民文化センター 福島中央テレビ開局30周年記念
2000年
(平成12年)
3月5日
3月12日
大分県大分文化会館 テレビ大分開局30周年記念
5月7日
5月14日
北海道札幌メディアパーク・スピカ 札幌メディアパーク・スピカ
グランドオープン記念
8月6日
8月13日
長野県長野県県民文化会館 テレビ信州開局20周年記念
9月24日
10月1日
宮城県イズミティ21 宮城テレビ放送開局30周年記念
2001年
(平成13年)
3月18日
3月25日
新潟県村上市民ふれあいセンター テレビ新潟放送網開局20周年記念
5月27日
6月3日
石川県金沢市観光会館 テレビ金沢開局10周年記念
8月26日
9月2日
山口県山口きらら博きららホール 山口放送開局45周年記念
2002年
(平成14年)
3月24日
3月31日
山梨県山梨県立県民文化ホール 山梨放送開局50周年記念
6月30日
7月7日
福井県鯖江市文化センター 福井放送開局50周年記念
9月29日
10月6日
広島県はつかいち文化ホール 広島テレビ放送開局40周年記念
12月8日
12月15日
熊本県・熊本県立劇場コンサートホール 熊本県民テレビ開局20周年記念
2003年
(平成15年)
3月9日
3月16日
徳島県・徳島市立文化センター 四国放送開局50周年記念
4月27日
5月4日
秋田県秋田県民会館 秋田放送開局50周年記念
6月8日
6月15日
神奈川県横浜にぎわい座 日本テレビ放送網開局50周年記念
7月6日
7月13日
山形県・山形県県民会館 山形放送開局50周年記念
10月26日
11月2日
鳥取県・鳥取県立倉吉未来中心 日本海テレビジョン放送開局45周年記念
2004年
(平成16年)
3月14日
3月21日
高知県高知県立県民文化ホール 高知放送開局50周年記念
5月23日
5月30日
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール 鹿児島讀賣テレビ開局10周年記念
9月26日
10月3日
静岡県・静岡市民文化会館 静岡第一テレビ開局25周年記念
12月5日
12月12日
岩手県・北上市文化交流センター さくらホール テレビ岩手開局35周年記念
2005年
(平成17年)
3月6日
3月13日
福岡県福岡市民会館 福岡放送開局35周年記念
5月29日
6月5日
石川県・金沢市観光会館 テレビ金沢開局15周年記念
9月11日
9月18日
宮城県・仙台サンプラザホール 宮城テレビ放送開局35周年記念
12月4日
12月11日
長野県・長野県県民文化会館 テレビ信州開局25周年記念
2006年
(平成18年)
4月30日
5月7日
山口県周南市文化会館 山口放送開局50周年記念
10月8日
10月15日
新潟県・長岡市立劇場 テレビ新潟放送網開局25周年記念
長岡市制100周年記念
2007年
(平成19年)
4月1日
4月8日
熊本県・熊本県立劇場演劇ホール 熊本県民テレビ開局25周年記念
熊本城築城400周年記念
7月8日
7月15日
富山県富山県民会館大ホール 北日本放送開局55周年記念
9月9日
9月16日
福井県・福井市文化会館 福井放送開局55周年記念
2008年
(平成20年)
3月30日
4月6日
広島県・はつかいち文化ホール 広島テレビ放送開局45周年記念
7月13日
7月20日
島根県出雲市民会館 日本海テレビジョン放送開局50周年記念
10月26日
11月2日
愛媛県・松山市民会館 南海放送開局55周年記念
2009年
(平成21年)
3月8日
3月15日
鹿児島県・鹿児島市民文化ホール 鹿児島讀賣テレビ開局15周年記念
5月17日
5月24日
岩手県・岩手県民会館 テレビ岩手開局40周年記念
8月9日
8月16日
山梨県・山梨県立県民文化ホール 山梨放送開局55周年記念
10月25日
11月1日
青森県青森市文化会館 青森放送開局55周年記念
2010年
(平成22年)
3月7日[40]
3月14日[40]
愛知県みよし市文化センターサンアート大ホール 中京テレビ放送開局40周年記念
みよし市の市制施行記念として、みよし市で収録された
6月20日
6月27日
福岡県・福岡市民会館 福岡放送開局40周年記念
7月4日
7月11日
宮城県・仙台サンプラザホール 宮城テレビ放送開局40周年記念
11月14日
11月21日
長野県・ホクト文化ホール テレビ信州開局30周年記念
2011年
(平成23年)
4月17日
4月24日
長崎県長崎市公会堂 長崎国際テレビ開局20周年記念
7月10日
7月17日
新潟県・弥彦総合文化会館 テレビ新潟放送網開局30周年記念
10月23日
10月30日
山口県・周南市文化会館 山口放送開局55周年記念
2012年
(平成24年)
7月8日
7月15日
富山県・魚津市新川文化ホール 北日本放送開局60周年記念
11月4日
11月11日
熊本県・熊本県立劇場 熊本県民テレビ開局30周年記念
2013年
(平成25年)
2月10日
2月17日
福島県郡山女子大学 建学記念講堂 福島中央テレビ東日本大震災復興支援
4月7日
4月14日
徳島県・徳島市文化センター 四国放送開局60周年記念
6月30日
7月7日
秋田県・秋田県民会館 秋田放送開局60周年記念
12月8日
12月15日
山形県・山形県県民会館 山形放送開局60周年記念
2014年
(平成26年)
4月13日
4月20日
高知県・高知県立県民文化ホール 高知放送開局60周年記念
5月25日[41]
6月1日[41]
岩手県・大船渡市民文化会館 リアスホール テレビ岩手開局45周年記念
11月30日
12月7日
福岡県・キャナルシティ劇場 福岡放送開局45周年記念
2015年
(平成27年)
4月5日
4月12日
山梨県・山梨県立県民文化ホール 山梨放送開局60周年記念
6月14日
6月21日
静岡県・焼津文化会館大ホール 静岡第一テレビ開局35周年記念
11月8日
11月15日
石川県・本多の森ホール テレビ金沢開局25周年記念
2016年
(平成28年)
3月27日
4月3日
宮城県・仙台サンプラザホール 宮城テレビ放送開局45周年記念
7月17日
7月24日
広島県・ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ 広島テレビ放送開局55周年記念


なお、2013年2月現在で地方収録の回数が一番多い回数は福島県の9回。次いで福岡県が8回。逆に、茨城県千葉県三重県滋賀県奈良県和歌山県佐賀県宮崎県では1度も行われていない(いずれも2016年5月時点)。

初の地方収録を大阪で行った地区は関西地区での視聴率対策のためと言われるが、現在は地方収録を行っている番組自体が非常に少なく人気番組であることもあり、ネット局からの収録の依頼が殺到している状態である。そのため激しい誘致競争に勝ち抜くために上記の通り各ネット局の開局記念行事として行われることがほとんどである。

なお、2000年代あたりには関西地区での収録は行われておらず、「笑点」のオフィシャルサイトにも「関西での収録予定はないのか」という質問が紹介されており、それに対する答えが「前提として要請のあった系列局に伺うことになっております」となっている。また、歌丸の著書では大阪府寝屋川市で公録を行った際に読売テレビ側がきちんとした対応をとらなかったということで局と出演者たちの間で対立が起きたというエピソードが紹介されている[42]

海外公演[編集]

過去に大喜利での座布団10枚獲得などによる、海外での収録は幾度か行われているが、うち大喜利そのものの海外収録は過去3度行われている。

放送年月日 公演名 収録地 備考
1978年(昭和53年)4月30日、5月7日 笑点 亜米利加寄席 サンフランシスコ 日本テレビ放送網開局25周年記念
1980年(昭和55年)10月5日、10月12日 笑点 ハワイ公演 ハワイ州 番組15周年記念
1997年(平成9年)4月20日 笑点 in 香港 香港 番組30周年記念

ハワイ公演は大喜利レギュラーだった4代目三遊亭小圓遊の最後の出演となった(ハワイ公演の1回目の放送があった日の未明に急死)。また、香港ロケの模様は90分の特別版で放送された。

このほか、1991年(平成3年)の番組25周年の時にはパリでの収録が予定されていたが湾岸戦争の影響を理由に中止されている[43]

番組史[編集]

日付 出来事
1966年
(昭和41年)
5月15日 『笑点』放送開始。当初の放送時間は16:30-17:10。
1967年
(昭和42年)
1月1日 初の「師弟大喜利」を開催。
8月27日 初の「大喜利ゲスト大会」を開催。大喜利メンバーの1人として後の2代目司会者・前田武彦が出演。
10月8日 初の「若手大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として林家木久蔵(木久扇)が初登場。
1968年
(昭和43年)
5月5日 放送時間が17:20-18:00に変更。
12月15日 石井が「毒蝮三太夫」に改名。この頃、談志とメンバーの間に、番組の方向性についての深刻な溝が出来ていた。
1969年
(昭和44年)
3月30日 5代目圓楽らメンバー全員が談志と対立し降板。翌4月6日から新メンバーで大喜利を行う。
4月頃 このころより談志がたびたび番組を休演。万が一の談志休演に備えて、一龍斎貞鳳を代理司会に起用。
11月9日 視聴率低下と衆院選への出馬に伴って談志が降板。代わって前田武彦が2代目司会者となり、メンバーチェンジで大喜利が8人制(各チーム4人編成の2チーム制)に(コーナー名も「大喜利ナンバーワン」に改称)。「前武の何でも入門」がスタート。
1970年
(昭和45年)
2月8日[44]

この日は北海道(具体的な場所は不明)で収録されたものを放送したが、収録日の大雪による欠航のため前田が休演。当日の演芸ゲストがてんぷくトリオであったことから、代理司会を三波伸介が、座布団運びを伊東四朗が務めた。

5月31日 放送200回記念に神田明神神輿担ぎやバナナの叩き売りなどの「笑点まつり」を開催し、大喜利は境内の仮設舞台で行った。
6月21日 メンバーチェンジで大喜利が現在の6人制になる(チーム対抗制も同時に廃止)。コスチューム大喜利を導入。
8月24日 初の「ちびっ子大喜利」を開催。大喜利メンバーの1人として山田隆夫が初登場。
12月20日 三波が3代目司会者に。「伸介の何でもコーナー」がスタート。
1972年
(昭和47年)
1月2日 初の「親子大喜利」を開催。
放送日不明 座布団の色がピンク色から現在の紫色になる。
4月30日  放送300回を記念して、歴代3司会者によるスペシャル対談を行う。
8月27日 歌丸小圓遊・手打ち式。三波・5代目圓楽を仲裁立会人として仲直りさせる。
1973年
(昭和48年)
8月26日[45] 日本テレビ開局20周年を記念して、浅草寺の境内で開催され、「座布団供養」を行った[46]。談志がゲストで出演。
10月28日 ニールセン調べによる視聴率において、歴代最高の40.5%を記録(関東地区)。
1974年
(昭和49年)
10月27日 ビデオリサーチ調べによる視聴率において、歴代最高の36.1%を記録(関東地区・世帯)[47]
1975年
(昭和50年)
12月14日 一般販売用「笑点暦」第1号を披露。
1976年
(昭和51年)
8月22日 『笑点』放送開始10周年を記念して、京王プラザホテルでの開催。
1977年
(昭和52年)
1月2日 初の「東西大喜利」を開催。西軍のリーダーは桂三枝(現・六代桂文枝)、東軍のリーダーは5代目圓楽。
3月27日 「圓楽・笑点卒業式」を行う。これまでの功績を称え、三波が卒業証書を5代目圓楽へ授与した。大喜利レギュラーからはニンジンが贈られた。
1978年
(昭和53年)
4月30日・5月7日 日本テレビ開局25周年を記念して、サンフランシスコで「亜米利加寄席」を開催。
1980年
(昭和55年)
10月5日未明 小圓遊が食道静脈瘤破裂のため急逝。
10月5日・10月12日 『笑点』放送開始15周年を記念して、ハワイ寄席を開催。
10月19日・10月26日 小圓遊追悼特集を行う。
12月28日 年1回の恒例となる「マジック大会」が初開催(1996年新春まで)。
1982年
(昭和57年)
12月8日 三波が大動脈解離のため急逝。
12月12日・12月19日 三波伸介追悼特集を行う。
1983年
(昭和58年)
1月2日 司会者不在となった新春スペシャルのそれぞれの大喜利司会をこん平と愛川欽也が臨時に担当。
1月9日 5代目圓楽が4代目司会者として復帰。
10月16日 「円楽のよろずガイダンス」がスタート。
1985年
(昭和60年)
4月7日 寄席「若竹」で初の公開収録を行う。同収録には初代司会者・立川談志も特別演芸ゲストとして出演、講談を披露した。
12月22日 間近となった『笑点』放送開始20周年と放送1000回突破を記念して、京王プラザホテルで特番を開催。歌丸が「2000回までやろう!」と言う。
1988年
(昭和63年)
8月28日 初の「24時間テレビ・チャリティー大喜利」を開催。『笑点』史上初の生放送。
1991年
(平成3年)
12月29日 大喜利で、メンバー全員が座布団10枚達成。賞品(いわしみず)の贈呈は、翌年5月の慰安旅行先にて行われた。
1996年
(平成8年)
4月14日 放送時間が17:30-18:00に短縮。
11月3日 若手芸人の登龍門「笑点の穴」がスタート。
1997年
(平成9年)
4月20日 『笑点』放送開始30周年を記念して、香港寄席を開催。
1998年
(平成10年)
7月5日 - 7月26日 山田が休演。この間は、大喜利下克上で優勝した若手落語家が座布団運びを務めた。
2001年
(平成13年)
5月20日 『笑点』放送開始35周年。そのため、この日の大喜利の3問全てが35周年に関する問題となった。
2002年
(平成14年)
11月10日 公式ホームページ『笑点web』が開設。毎回の大喜利の回答や、座布団の枚数が放送後に更新される。
web内で、視聴者が番組内で行われたのと同じお題に参加できる「web大喜利」が毎週開催された(その日出題された3問の中から1問抜粋)。
2004年
(平成16年)
9月12日 こん平が休演。残りのメンバーで大喜利を行う(こん平の場所には4枚の座布団が積まれたまま)。
12月26日 たい平が初登場。こん平の代役として出演。
2005年
(平成17年)
10月23日 5代目圓楽が休演。メンバーによる代理大喜利司会を経て、11月27日より歌丸が大喜利司会代理に。
11月23日 笑点 大博覧会 DVD-BOX』発売。
2006年
(平成18年)
1月1日 新春特別番組『大笑点』が放送される(2007年・2008年も放送)。
1月22日 『笑点』放送2000回を達成したが、5代目圓楽とこん平が療養中のため通常放送。歌丸が「今度は5000回までやろう!」と発言。
番組の歴史を写真でたどり、出演者や番組製作に関わった人々のコメントで構成された本【笑点】が刊行。
3月26日 5代目圓楽がオープニングの案内役として復帰するが、大喜利司会は歌丸が引き続き担当。
5月14日 『笑点』放送開始40周年記念特別番組を最後に、5代目圓楽が勇退を表明。翌週から歌丸が正式に5代目司会者になる。
5月21日 たい平が正式にメンバーに昇格し、昇太が初登場。
10月19日 木久蔵が新高座名公募の募集を『笑点』を通じて行い、番組を巻き込んだ騒動となる。
2007年
(平成19年)
9月23日 「ダブル襲名披露口上」を行い、木久蔵の新高座名が「木久扇」と改名される。
2008年
(平成20年)
6月29日・7月6日 歌丸が腰の手術および療養のため休演。案内役は2週とも木久扇と楽太郎。
大喜利司会は6月29日がたい平、7月6日を昇太が担当。歌丸は翌週の7月13日(島根県での地方収録)から司会に復帰した。
2009年
(平成21年)
10月4日 この日放送の第2184回から音声多重放送を利用した視覚障害者向けの解説放送を開始(一部解説放送を行わない場合もある)。
アナログ放送とデジタル・ワンセグでは音声帯が2chなので主音声が従来の放送、副音声で解説放送。何れも従来のモノラル化された。
デジタル・12セグでは音声帯が最大5.1chなので主音声はこれまで通りステレオ放送、副音声もステレオで解説放送を実施[要出典]
10月29日 5代目圓楽が転移性肺がんのため逝去。
11月8日 5代目圓楽追悼特集を行う。
12月23日 DVD『笑点 ありがとう円楽さん! 〜五代目 三遊亭円楽を偲ぶ映像集〜』発売。
2010年
(平成22年)
2月28日 「六代目円楽襲名披露口上」を行い、同日の放送より楽太郎が6代目円楽を襲名。
3月7日・3月14日 歌丸が肺炎のため休演。案内役は2週とも木久扇と好楽。大喜利司会は3月7日が木久扇、3月14日が好楽が担当。
2011年
(平成23年)
3月13日 前々日に当たる3月11日に発生した東日本大震災関連のNNN報道特別番組を放送したため休止[48]
5月15日 『笑点』放送開始45周年。この回の大喜利は「45周年記念大喜利」として放送された。
8月5日 2代目司会者の前田武彦が肺炎のため逝去。
11月21日 初代司会者の談志が喉頭癌のため逝去。
11月27日 番組エンディングにて談志の追悼コーナーを放送。
2012年
(平成24年)
5月9日 番組ブレーン新倉イワオ大腸癌のため逝去。
2013年
(平成25年)
10月20日 大喜利で、歌丸が1枚も座布団を与えなかったため「メンバー全員座布団を獲得できずに番組終了」という
(歌丸曰く)番組放送開始以来初の事態となった。前週の放送では最後に全員の座布団が全没収されていたため、
これも放送開始以来であろう「メンバー全員が最初から最後まで座布団に座ることなく番組終了」という珍事でもあった。
2014年
(平成26年)
3月18日 公式Facebookが開設される。
4月28日 公式ホームページがリニューアルされる。その前の週の4月20日を以って、視聴者参加の「web大喜利」が終了した。
5月11日 - 6月1日 歌丸が慢性閉塞性肺疾患肋骨骨折帯状疱疹で入院したため休演。
この間、冒頭の案内役を昇太とたい平が、大喜利の司会は5月11日放送分は木久扇、5月18日は好楽、
5月25日は小遊三、6月1日は6代目円楽がそれぞれ司会を務めた[49]。6月8日から復帰。
6月15日 大喜利で木久扇が座布団10枚を獲得。前週の6月8日はたい平が10枚を獲得しており、
番組放送開始以来2週連続で10枚獲得という初の事態となった。
7月27日 - 10月12日 木久扇が、初期の喉頭癌のため休演[50]
2015年
(平成27年)
1月25日・2月1日 歌丸が、インフルエンザによる入院のため、休演[51]。大喜利の司会は1月25日放送分は昇太が、2月1日放送分はたい平が務めた。
1月25日 演芸は、当初三宅裕司小倉久寛(両名とも本業は俳優・タレント)による医者のコントを放送予定であったが、
急遽翌週2月1日放送予定のビックスモールン(ゴン・チロ)のボディアートコントに差し替え[52][53]
同日放送予定だったコントは、2月15日に延期された。
動画配信サイト『Hulu』にて、過去に放送した大喜利(歌丸司会時代)を配信開始。
5月31日 - 7月19日、8月2日 - 10月25日、12月27日 - 2016年5月8日 放送50年目として、番組のエンディングにて『笑点おもいで写真館』を放送[54]、Facebookにて『笑点おもいで写真』を掲載している。
7月12日 - 9月6日 歌丸が、腸閉塞による入院のため、休演[55]。笑点の本放送は、9月13日放送分で復帰。その放送の前に、8月23日の24時間テレビ『チャリティー笑点』で復帰後最初のテレビ出演を果たした。
2016年
(平成28年)
1月10日 大喜利の3問目に、俳優の竹野内豊が登場。歌丸の隣に座り、竹野内主演の映画人生の約束』にちなみ、竹野内がメンバーに「約束守って下さい」と言った後、何か言い返すものだった[56]
1月31日 『笑点』放送2500回を達成。大喜利の1問目で、回号の「2500」に関する問題を出題した。
4月3日 直前の17:25 - 17:30に派生番組『もう笑点』を開始。OPの提供クレジット映像が、アニメから出演者の舞台裏に変更。
4月17日 こん平が、真打昇進披露口上の三本締め発声役として、本編には2004年以来12年ぶりに出演。
同年4月14日より相次いでいる熊本地震の影響で、一部CMがACジャパンに差し替え。
4月24日 大喜利の3問目に、同年の箱根駅伝優勝監督であり、笑点放送開始と生まれた時期が近い(お互いに50周年)という縁から、青山学院大学陸上競技部監督の原晋が登場。歌丸の隣に座り、原が青山学院に入学したという設定のメンバー[57]に「一緒に箱根に行こう」と言った後、何か言い返すものだった[58]
4月30日 『笑点50周年記念スペシャル』(同年5月15日放送)の収録が行われ、歌丸が同年5月22日の生放送を最後に司会の引退を表明する。引退後は終身名誉司会へ就任し、派生番組の『もう笑点』への出演は継続する[59][60][61]
5月15日 『笑点50周年記念スペシャル』を放送。笑点50年の歴史を、歌丸を中心として振り返る企画が行われ、その際に当時現存していない談志・前田時代の映像提供募集が行われた。
大喜利の3問目に、女優の仲間由紀恵が登場。歌丸の隣に座り、「○○師匠、弟子にしてください」と言った後、何か言い返すものだった。
5月22日 『笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル』を放送(17:30-18:55の拡大放送)。
番組終盤に歌丸最後の大喜利を生放送で行い[62]、歌丸が勇退。エンディングで昇太が6代目の司会に昇格することが歌丸から発表された[19]
5月29日 『新メンバー&24時間テレビランナー発表スペシャル』を前週に続き生放送で放送。(オープニング後に第2515回と表示された)
新メンバーとして2代目三平が初登場し、生放送で大喜利を行った(前週で全員の座布団が全部(35枚)没収されたため、2代目三平を含め全員座布団0枚からスタート)。
番組終盤に、当年の24時間テレビ総合司会の羽鳥慎一水卜麻美(水卜は日本テレビアナウンサー)が登場し、24時間テレビチャリティーマラソンランナーはたい平であることが羽鳥から発表された。

放送局[編集]

  • 笑点は、アナログ放送がVHF局しかなかった時代から、完全地上デジタル放送化された現在も続く長寿番組である。アナログ放送時代UHF局だった局は、全てネット局変更が行われた。
  • 40分番組時代には、オープニングのあとにネット局のテロップロールが流れていた。
  • 2016年時点で放送されていない都道府県は、日本テレビ系列局が無い佐賀県のみである。 なお、佐賀県の大部分の地域では福岡放送およびくまもと県民テレビ長崎国際テレビで視聴可能。
  • 下の表で放送開始年が「※」なのは、1966年(昭和41年)5月の番組開始から放送している局。
『笑点』を放送中の日本の放送局
放送対象地域 放送局 系列 放送時間 備考 放送開始年
関東広域圏 日本テレビ(NTV) 日本テレビ系列 日曜
17:30 - 18:00
制作局
北海道 札幌テレビ(STV) 同時ネット
青森県 青森放送(RAB)[63] 1973年頃[64]
岩手県 テレビ岩手(TVI)[65] 1969年12月
宮城県 ミヤギテレビ(MMT) 1970年10月[66]
秋田県 秋田放送(ABS)
山形県 山形放送(YBC)[63]
福島県 福島中央テレビ(FCT) 1971年10月[67]
山梨県 山梨放送(YBS) 1975年4月[68]
新潟県 テレビ新潟(TeNY) 1981年3月29日[69]
長野県 テレビ信州(TSB)[70] 1991年4月7日[71]
静岡県 静岡第一テレビ(SDT) 1979年7月
富山県 北日本放送(KNB)
石川県 テレビ金沢(KTK) 1990年3月25日(サービス放送開始の日から)
福井県 福井放送(FBC) 日本テレビ系列
テレビ朝日系列[72]
中京広域圏 中京テレビ(CTV)[70] 日本テレビ系列 1973年4月
近畿広域圏 読売テレビ(ytv)
鳥取県・島根県 日本海テレビ(NKT) 1972年10月
広島県 広島テレビ(HTV) 1974年4月[73]
山口県 山口放送(KRY)[63]
徳島県 四国放送(JRT)[74] 1988年[75]
香川県・岡山県[76] 西日本放送(RNC) 1968年5月[77]
愛媛県 南海放送(RNB) 1976年4月、最初の1年間は一週遅れの17:00-17:40に放送
高知県 高知放送(RKC)
福岡県[78] 福岡放送(FBS) 1969年4月
長崎県 長崎国際テレビ(NIB) 1991年4月
熊本県 くまもと県民テレビ(KKT) 1982年4月
鹿児島県 鹿児島読売テレビ(KYT) 1994年4月
大分県 テレビ大分(TOS) 日本テレビ系列
フジテレビ系列
土曜
16:30 - 17:00
遅れネット 1970年4月[79]
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
土曜
17:00 - 17:30
2008年。番組販売扱い[80]
沖縄県 琉球放送(RBC) TBS系列 土曜
16:00 - 16:30
2013年4月[81]

日本国外[編集]

  • テレビジャパンNHKワールドTVアメリカ地域向け放送)
    • 放送時間 (いずれも現地時間)
      • 本放送
        • 日曜 21:15 - 21:40 (アメリカ東部)
        • 日曜 18:15 - 18:40 (アメリカ西海岸)
        • 日曜 16:15 - 16:40 (ハワイ、ただしアメリカ本土の夏時間期間中は15:15開始)
      • 再放送
        • 同じ週の土曜日 (ハワイのみ時差により金曜日)

2005年(平成17年)4月10日放送開始。番組中のCMはカットされている。

過去の放送局[編集]

系列は現在の系列。◎は日本テレビ系新局開局やネットチェンジにより終了した局。

放送対象地域 放送局 系列 放送時間・遅れ 備考
岩手県 IBC岩手放送 (IBC) TBS系列 不明 ◎1969年11月まで放送
宮城県 東北放送 (TBC) 遅れ幅不明
日曜16:00 - 16:40(1968年4月 - 1968年12月)
→日曜16:30 - 17:10(1969年1月 - 1970年9月)
◎1968年4月から1970年9月まで放送
福島県 福島テレビ (FTV) フジテレビ系列[82] 不明 ◎1971年10月(TBS系列加盟および福島中央テレビとのNNS・FNSネット局交換)まで放送
新潟県 新潟総合テレビ (NST) フジテレビ系列[83] 同時ネット 1968年12月1日(開局前のサービス放送開始時)から1971年9月26日まで放送[84]
新潟放送 (BSN) TBS系列 6日遅れ
土曜13:00開始
◎1981年3月28日[85]まで放送
長野県 信越放送 (SBC) 1975年10月12日から1982年3月28日まで同時ネット、1982年4月10日から1991年3月30日まで土曜12:00 - 12:40、6日遅れ ◎1975年10月12日から1991年3月30日[86]まで放送[87]
静岡県 静岡放送 (SBS) 土曜12:00 - 12:40 ◎1979年3月まで放送
静岡朝日テレビ (SATV)[88] テレビ朝日系列[89] 火曜0:20 - 1:00(月曜深夜) ◎1979年(昭和54年)4月から3カ月間のみ放送
石川県 北陸放送 (MRO) TBS系列 不明 移行時期不明
石川テレビ (ITC) フジテレビ系列 2週遅れ
日曜17:05 - 17:45→日曜15:00 - 15:40→土曜16:00 - 16:40
◎1990年2月末まで放送、テレビ金沢では1990年3月25日のサービス放送から放送開始。
愛知県 名古屋テレビ (NBN) テレビ朝日系列[90] 不明 ◎1973年3月まで放送
鳥取県・島根県 山陰放送 (BSS) TBS系列 日曜15:00 - 15:40→土曜16:00 - 16:40 1972年9月(日本海テレビが島根県で放送開始)まで放送
福岡県 RKB毎日放送 (RKB) 不明 ◎1969年3月まで放送[91]
長崎県 長崎放送 (NBC) 不明 ◎1969年3月まで放送
テレビ長崎 (KTN) フジテレビ系列[92] 土曜17:20 - 18:00 ◎1990年9月まで放送[93]
大分県 大分放送 (OBS) TBS系列 不明 ◎1970年3月まで放送
熊本県 熊本放送 (RKK) 不明 ◎1969年3月まで放送
テレビくまもと (TKU) フジテレビ系列[94] 日曜17:00 - 17:40 ◎1982年3月まで放送
宮崎県 宮崎放送 (MRT) TBS系列 不明 ◎1970年3月まで放送[95]
鹿児島県 南日本放送 (MBC) 不明 ◎1969年3月まで放送
鹿児島テレビ (KTS) フジテレビ系列[96] 不明 ◎1994年3月まで放送
沖縄県 沖縄テレビ (OTV) フジテレビ系列 7日遅れ→9日遅れ
日曜13:30-14:10→日曜13:00-13:40→水曜0:30-1:10(火曜深夜)
1989年5月[要検証 ]まで放送

特別大喜利[編集]

「演芸」や正月特番などでは、特別企画として以下の大喜利が放送される。

「演芸」にて定期的に行われる大喜利[編集]

アナウンサー大喜利[編集]

  • 日本テレビのアナウンサーによる大喜利。三波が司会の頃から行われている。
  • 初開催された1979年(昭和54年)は、8月にまず女性アナウンサーの大喜利が行われ、10月に男性アナウンサーの大喜利が放送された。特に男性アナウンサー大喜利に出演した小林完吾は迷答・珍答を連発し、これがきっかけでバラエティ番組にも多く出演するようになった。
  • その後しばらくは行われなかったが、1984年(昭和59年)の新春スペシャルでNNNの系列局のアナウンサーも参加してのアナウンサー大喜利が行われて好評だったため(この時の司会は5代目圓楽が担当)、以降準レギュラーの企画となった。
  • 1996年(平成8年)4月から1997年(平成9年)までは、月1回ごとに開催されており、毎回最も座布団が多かったアナウンサーには、マイクの人形が付いたペンダントを獲得できる。このペンダントを10個獲得すると、豪華賞品を獲得でき、鈴木君枝(大杉君枝)が10個獲得を達成した。
  • 新春スペシャル(年によっては年明け最初の通常放送の前半)だけでなく、現在は8月中旬にも行われる。8月での放送の場合は、2006年から女性チームと男性チームによるチーム対抗戦方式で行われており、常に女性チームの勝利となっている(2012年夏のみ引き分け)。
  • おおむね、男女3人ずつの回、女性ばかりの回が交互に行われているが、後者の場合も、男性である藤井恒久が「こん平」的キャラクター(6代目圓楽曰く「こん平ウイルスに侵されてしまった」)としてレギュラー出演しており、あいさつの時に必ず、「1.2.3! チャラーン!!」とこん平と同じ掛け声を観客と一緒に上げる。また、楠田枝里子(1979年)、徳光和夫松永二三男福澤朗らも日本テレビアナウンス部在籍時に出演している。最近では文科系の代表格として桝太一、体育会系の代表格として上重聡がほぼ毎回出演している。
  • 先述した藤井恒久だけではなく女性アナウンサーにもレギュラー出演の枠があり、当初は鈴木(大杉)君枝が出演していたが、大杉死去後は松本志のぶ、松本退社後は葉山エレーヌ(初婚当時は石田姓)が出演している。
  • 先述1984年の系列局アナ出演以外では外部(例:セント・フォース勢などフリーアナウンサー、日本テレビOB、OGも含む)の出演はない(在局中の出演がなかった日テレOGの永井美奈子は退社後前述の「振袖大喜利」に、セント・フォース所属で元青森放送アナウンサーの中田有紀は2015年の「ペット大好き!大喜利」に、元フジテレビアナウンサーの木佐彩子は同年の「夫婦大喜利」に出演)。
  • 新春スペシャル(年によっては年明け最初の通常放送の前半)だけでなく、現在は8月中旬にも行われる。8月での放送の場合は、2006年から女性チームと男性チームによるチーム対抗戦方式で行われており、常に女性チームの勝利となっている(2012年夏のみ引き分け)。
  • 年2回開催定着以降、女性アナウンサーは正月の出演枠が多い関係上そのほとんどが出演しているが、2015年12月時点の現役女性アナでは山下美穂子(2000年入社)が未出演[97]。また2000年以降入社の退社済み女性アナでは山本舞衣子(2002年入社)、脊山麻理子(2004年入社)が不出演。
  • 通常放送時は小遊三と6代目円楽が司会者。以前は三波、5代目圓楽単独もしくは5代目圓楽と歌丸がふたりで司会を務めたり、好楽が単独で司会を行なったこともある。
  • 他の大喜利メンバー2人が座布団運びを担当。以前は歌丸・こん平・木久蔵(当時)・好楽が担当していたが、歌丸が司会になって以降は「ブラック団の手下ども」の昇太とたい平が務めた。
  • アナウンサー大喜利に出演した女性アナウンサーは、地上波に復活後の若手大喜利で座布団運びを務めることがある。
  • また、この縁もあり、後の副音声による解説放送も日本テレビアナウンサーが行なっている。
  • 近年の席順
豪華賞品

2007年以降は「歌丸グッズ」が贈られることが多く、6代目圓楽(楽太郎)がグッズに対し辛辣な紹介コメントを述べるお約束がある。

  • 特別に全員(荻原弘子、今井伊佐男、深堀恵美子、小林完吾、木村優子、徳光和夫)が、「羽子板」を獲得。この時の座布団運びの歌丸も欲しがっていたが、司会の5代目圓楽から「凧をやるよ」と言われていた。(1984年1月1日放送)
  • 鈴木君枝が「世界一周旅行」を獲得したが、地球儀を一回転しただけだった。(1997年放送)
  • 藤井恒久が「5代目圓楽の色紙」を獲得。(2003年8月17日放送)
  • 井田由美が「金色の座布団」を獲得。(2004年1月4日放送)
  • 大杉君枝が「超有名デザイナーが作った水着」を獲得。(2005年8月14日放送)
  • 葉山エレーヌが「“安眠どころか永眠できる”歌丸抱き枕」を獲得。(2007年8月12日放送)
  • 女性チームが「“安眠どころか永眠できる”歌丸抱き枕・夏の装いバージョン」を獲得。(2008年8月17日放送)
  • 松本志のぶが「紅白座布団」を獲得。(2009年1月4日放送)
  • 女性チームが「“涼しさ(寒さ)が骨身に沁みる”歌丸風鈴」を獲得。(2009年8月2日放送)
  • 杉上佐智枝が「(2010年1月1日の新春スペシャルで余った)紅白座布団」を獲得。(2010年1月3日放送)
  • 女性チームが「“幽霊になる”歌丸フラドール」を獲得。(2010年8月15日放送)
  • 水卜麻美が「(2011年1月1日の新春スペシャルで余った)紅白座布団」を獲得。(2011年1月9日放送)
  • 女性チームが「“枕元に置いて夜に使えば凍りつくような寒さの節電対策の落ち”歌丸ミストファン(歌丸の人形付きの携帯扇風機)」を獲得。(2011年7月24日放送)
  • 女性チームが「“花粉症対策の最終兵器 花粉どころかどんなウイルスも裸足で逃げ出す”歌丸マスク(歌丸の口元が印刷されたマスク)」を獲得。(2012年4月1日放送)
  • 全員が「”夏の紫外線対策最終兵器 どんな強烈な紫外線も全て跳ね返す”歌丸日傘(歌丸の顔がプリントされた日傘)」を獲得。(2012年8月12日放送)
  • 鈴木崇司が「“男性アナの最終兵器 キラリと光る”歌丸ネクタイ(歌丸の顔がプリントされたネクタイ)」を獲得[101]。(2013年3月31日放送)
  • 文科系チームが「"男性アナの最終兵器 フォーマルの味方"歌丸蝶ネクタイ(色は歌丸の着物と同じ濃緑色で、結び目の部分に歌丸の顔写真が貼られている)」を獲得。(2013年6月23日放送)
  • 文科系チームが「“笑点ならではの商品”橘右橘の寄席文字によるチームメンバーそれぞれの千社札(桝は「アサリ」、青木は「ジャニオタ」、藤井恒は「チャラーン」のそれぞれのニックネームが記載されている)」を獲得[102]。(2013年10月13日放送)
  • 体育会系チームが「"この冬の防災グッズ"歌丸ヘルメット(歌丸の似顔絵がデザインされている)」を獲得。(2013年12月22日放送)
  • 馬場典子が「紅白座布団」を獲得。(2014年1月5日放送)
  • 両チームが「歌丸雨傘」を獲得。(2014年6月22日放送)
  • 木久扇・水卜麻美ペアが「東京ドームシティアトラクションズのチケット」を獲得。(2015年7月26日放送)
  • 昇太・豊田順子ペアが歌丸の著書「極上歌丸ばなし」「歌丸極上人生」を獲得。(2015年11月22日放送)
  • たい平・尾崎里紗ペアが歌丸の顔がプリントされた巨大レジャーシートを獲得[103]。(2016年3月13日放送)

派生番組にて行われる大喜利[編集]

若手大喜利[編集]

注目の若手落語家による大喜利。1967年(昭和42年)10月8日に初開催されて以降、不定期に番組の前半に放送された。初開催当時の若手メンバーは、柳家さん治(現:10代目柳家小三治)、柳家小きん(後の6代目柳家つば女)、春風亭栄橋、林家木久蔵(現:林家木久扇)、三笑亭茶楽

1970年代から1990年代の若手メンバーには、古今亭朝次(現:7代目桂才賀)・桂歌はち(現:桂歌春)・古今亭菊之助(現:古今亭菊丸)・林家錦平・金原亭駒平(現:金原亭世之介)・三遊亭貴楽桂幸丸・林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)・桂竹丸・月の家かがみ(現:2代目橘家蔵之助)・春風亭昇太・立川談春三遊亭楽大(現:伊集院光)などがいた。

1990年代前半を最後にしばらくは行われなかったが、1998年(平成10年)7月に4週連続で行われて以降、再び準レギュラーの企画となった。またこの時の司会はかつて若手メンバーの一人として出演し、後に笑点メンバーとなる昇太が担当し(それまでは番組の司会者がそのまま司会を担当していた)、他の若手メンバーとのドタバタ劇が好評を得たため、それ以降昇太は「大喜利下克上」の司会としてレギュラー出演した。なお復活した当初は「大喜利下克上」のタイトルになっていたが、1999年(平成11年)5月2日の放送から、現在の「若手大喜利」のタイトルに戻っている。この時の若手メンバーには、五明樓玉の輔[104]春風亭勢朝5代目春風亭柳好[105]立川生志[106]・三遊亭愛楽・林家たい平・2代目林家木久蔵[107]林家きく姫・神田北陽(現:3代目神田山陽)・橘家亀蔵(現:橘家圓十郎)・三遊亭遊馬などがいた。

2003年10月12日に司会の昇太と若手メンバーが出演する兄弟番組『笑点Jr.(放送開始当初は『BS笑点』)』が放送開始されて以降、『笑点』での若手大喜利は2004年(平成16年)12月26日を最後に長らく行われなくなったが、『笑点Jr.』が2011年(平成23年)3月13日で放送終了となったため、2011年(平成23年)6月5日[108]に『笑点』で再び行われ、司会は引き続き昇太が担当した。それ以降は春と秋に行われ、座布団運びには日テレ女性アナウンサーを起用した。

2013年春から開催の場を『笑点 特大号』の番組上に変えて毎月に1・2回程度行われ、昇太以外の笑点メンバーも司会を担当するようになった(笑点 特大号#若手大喜利の項を参照)。

若手大喜利出身のメンバーは、栄橋・小きん(つば女)・木久蔵(木久扇)・朝次(7代目才賀)・昇太・たい平である。

近年の席順

豪華賞品
  • 亀蔵、たい平、柳八、昇太が「大喜利の座布団運びを担当する権利」を獲得。昇太は掟破りで権利を獲得し、この日出演したメンバーの反感を買った。(1998年7月5日 - 1998年7月26日放送)
  • あさ市が「美女と肌と肌の触れ合える権利」を獲得したが、女性観客と触れ合うだけだった。(1998年9月6日放送)
  • 柳八が「めくるめく官能の世界へ行ける権利」を獲得。昇太とともに後楽園ゆうえんち(現:東京ドームシティアトラクションズ)のアトラクション「リニアゲイル」に乗った。(1998年10月25日放送)
  • 北陽が「笑点の大トリをとれる権利」を獲得。しかし舞台の後片付けが行われている中での大トリとなった。(1998年12月20日放送)
  • 愛楽が「みんなから拍手を受ける権利」を獲得。(1999年2月7日放送)
  • 柳八が吉野家のタダ券5枚を獲得。(1999年5月2日放送)
  • 北陽がマグロのかぶりものを獲得。(1999年7月18日放送)
  • 西軍が来年の笑点カレンダーを獲得。負けた東軍にもカレンダーが与えられたが、そのカレンダーは今年の笑点カレンダーだった。(1999年10月31日放送)
  • きく姫が厚底雪駄を獲得。(2000年2月20日放送)
  • きくおが海女セット獲得。(2000年6月25日放送)
  • きくおが「マツタケがもらえる」ということで、松(マツ)と竹(タケ)を獲得。(2000年10月29日放送)
  • 笑志がバレンタインのチョコレートを獲得したが、中身は小さいチョコひとつだけだった。(2001年2月11日放送)
  • きく姫が赤ふんどしを獲得。(2001年6月24日放送)
  • たい平が「こん平師匠の代わりに大喜利に出演できる権利」を獲得。本家大喜利の新メンバーとなった。(2004年12月26日放送)
  • 玉の輔が箱根駅伝応援権(応援旗と切符)を獲得。(2006年1月2日 おはよう笑点での放送)
  • 愛楽が兄弟子楽太郎が率いる「ブラック団」の4人目のメンバー権を獲得。(2007年1月2日 おはよう笑点での放送)
  • 2代目木久蔵が「歌丸フラドール」(2010年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得したが、壊れていた。昇太は「今はもう動かないおじいさんのフラドール」と述べていた[110]。(2011年6月5日放送)
  • 生志が「歌丸ミストファン」(2011年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得したが、壊れていた。(2011年10月9日放送)
  • 蘭が「歌丸マスク」(2012年春のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得。今回は破損していなかった。(2012年4月29日放送)
  • 2代目木久蔵が「歌丸日傘」(2012年夏のアナウンサー大喜利の賞品)を獲得。今回も破損していなかった。(2012年11月25日放送)
  • 若手チームが昇太の著書「城あるきのススメ」を獲得[111]。(2014年7月13日放送)
  • 二つ目チームが木久扇の落語の絵本を獲得(2015年1月18日放送)
  • 二つ目チームが好楽の著書「好楽日和。」を獲得(2015年8月2日放送)

正月特番にて毎年行われる大喜利[編集]

振袖大喜利[編集]

  • 番組黎明期から開催されているバラエティ大喜利で、女性芸能人6人(2005年以前は5人)が笑点メンバーとペアを組んで大喜利に挑戦する。
  • このコーナーには泉ピン子(もともと牧伸二に師事して歌謡漫談家として活動したキャリアがあり、昭和40年代の演芸コーナーに2度出演したこともある)と山田花子が常連で出演している。他に、日本テレビアナウンサー時代は「アナウンサー大喜利」に出演しなかった永井美奈子も出演した。現在はグラビアアイドルが多いが、ニューハーフがいる場合もある。
  • ペアを組む相手は、メンバーのキャラクターに合わせて決められることもある(例として、2009年のスザンヌ&木久扇、2013年の鈴木奈々&木久扇、吉田沙保里&たい平)。また、好楽&ピン子、6代目圓楽&花子のペアは概ね固定されている。
  • 2015年は日テレ女性アナウンサーと笑点メンバーによるペア戦だった。

東西大喜利[編集]

  • 新春スペシャルで年1回行われ、笑点メンバーと上方噺家[113]が大喜利で対戦する。ゲストチームである上方メンバーに花を持たせるため、勝負は必ず西軍勝利となる(直近では2007年の「大笑点」にて東軍勝利)。
  • 1977年(昭和52年)の新春スペシャルが初開催。当初は鶴亀大喜利の東西対抗戦として行われていたが、しばらくして東西大喜利として年1回開催の新春恒例のスペシャル大喜利として定着した。
  • 当初の司会は三波伸介で、三波が急逝した1983年(昭和58年)の新春スペシャルは愛川欽也が代理で司会を務めている。以降、2005年(平成17年)までは5代目圓楽、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)は歌丸と三枝(当時)、2009年(平成21年)からは歌丸単独で司会を務めている。
  • 笑点メンバーは全員黒紋付袴で登場していたが、2003年(平成15年)から笑点メンバーは笑点の色紋付で登場している。上方メンバーは2006年まで黒紋付袴を継続していたが、2007年(平成19年)からは色紋付袴を着るメンバーが出てきた。
  • 上方メンバーは、松鶴一門笑福亭松之助(2012年まで)と鶴光でほぼ固定され、それ以外は文枝一門米朝一門で占められている。メンバーは年に1人程度入れ替わりがある。なお現在は西軍の座布団運びが筆頭アシスタントの愛楽(愛知県出身)と定められており、上方噺家による座布団運びは、歌丸・三枝コンビ司会時に三枝門下の桂三弥が起用された程度である。
    • 2011年は、山崎邦正が月亭八方門下の「月亭方正」として出演(現在は月亭方正に統一されているが、当時は落語とそれ以外で芸名を使い分けていた)。
    • 2014年は、林家染丸一門から久しぶりの起用となる染弥(同年9月に3代目林家菊丸襲名)が出演。菊丸襲名後の2015年以降も連続出演。
    • 2016年は、米朝一門の出演がなく、松鶴一門から鶴笑笑瓶が初出演。

過去に行われた大喜利[編集]

師弟大喜利[編集]

  • メンバーの師匠が参加し、弟子達と大喜利対決をする。第1回の師弟大喜利は1967年(昭和42年)の新春スペシャルである。談志が司会だった時代は年末にも行われていた。
  • 初期に出演したのは
  • 後に出演したのは
  • またメンバーの師匠ではないがメンバーの師匠役として出演したのは
  • その後メンバーの高齢化にともなって、師匠サイドで登場するべき人物の大多数が故人となってしまったことや、メンバーである好楽と楽太郎の師匠が、当時司会を務めていた5代目圓楽だったことなどから調整が難しくなってしまったため、1981年(昭和56年)の新春スペシャルに放送された後は行われなくなったが、これとは別に、レギュラーメンバーが自分の弟子・弟弟子達と大喜利対決をする師弟大喜利も何回か行われていた。
師弟一門大喜利[編集]
  • 1999年(平成11年)の新春スペシャルでは昇太を司会に、神田北陽(現:3代目神田山陽)を座布団運びとして、主に若手大喜利に出場していたメンバーが自分の師匠とタッグを組んで大喜利を行った。この時に出演したのは
  • 2006年(平成18年)5月14日の40周年記念特番で、レギュラーメンバーが自分達の弟子または弟弟子とタッグを組む形で大喜利が行われた。出演者は
    • 小遊三の弟子の三遊亭遊馬
    • 好楽の息子で、弟弟子の三遊亭王楽
    • 木久蔵(現:木久扇)の息子で、弟子の林家きくお(現:2代目林家木久蔵)
    • 楽太郎(現:6代目円楽)の弟弟子の三遊亭愛楽
    • たい平の弟弟子の林家いっ平(現:2代目林家三平
  • なお1999年の師弟一門大喜利では、師匠に普段言えない小言をつくというお題の中で、洋楽に対して五代目圓楽が回答の中で本当に小言を長々と続けるハプニングがあり、司会だった昇太が「本当に小言言うのやめてください」と、慌てて止めに入っていた。後の、五代目圓楽追悼番組でもこのシーンに触れており、当時のことを、昇太は本当に慌ててしまったと述懐している。6代目圓楽曰く、「弟子集めて普段やる小言と変わらない」とのこと。

ちびっ子大喜利[編集]

鶴亀大喜利[編集]

  • 1970年代後半から主に新春スペシャルで、東西の大御所落語家混成チームの対抗戦方式での大喜利が行われた。
  • 1978年(昭和53年)の新春スペシャルに出演したのは
  • 1977年(昭和52年)や1983年(昭和58年)の新春スペシャルでは、笑点メンバーと上方噺家との東西対抗戦方式で行われた。しばらくして東西大喜利と改題し、現在でも新春スペシャルの恒例大喜利となっている。

ドレミファ大喜利[編集]

対決大喜利企画[編集]

過去の笑点メンバーが他の日本テレビ系番組の出演者やジャニーズのグループと大喜利対決を行う企画を何回か行われていた。

特上!天声慎吾[編集]
  • 2002年(平成14年)と2003年(平成15年)の2回は「新春!笑てん声慎吾」と題し、『特上!天声慎吾』のメンバーと大喜利対決を行った。2002年は天声慎吾の反則により、笑点側が勝ったため、その後の「天声」を楽太郎メイン、木久蔵と好楽が出演の「天声楽太郎」と改題した。
  • 席順(2002年と2003年の圓楽は5代目圓楽)
放送日 司会 出演メンバー 座布団運び 勝利
チーム
敗北
チーム
天声慎吾 笑点 天声慎吾 笑点
2002年1月1日    圓楽    香取
   ウド
   天野
   勝俣
   ゴルゴ
   レッド
   歌丸
   小遊三
   好楽
   木久蔵
   楽太郎
   こん平
   内山    山田 笑点 天声慎吾
2003年1月1日    圓楽    香取
   ウド
   天野
   石田
   磯野
   三瓶   上島
   小遊三
   好楽
   木久蔵
   歌丸
   楽太郎
   こん平
   上島

   三瓶
   山田 天声慎吾 笑点
TOKIO[編集]
  • 2005年(平成17年)の新春スペシャルではTOKIOと大喜利対決を行った。『元気なお年寄り』、『ト・キ・オの三文字をそれぞれ頭につけた言葉』、『自慢合戦』の3問で対戦した。当初は5対5となる為に、たい平は座布団運びにまわった。
    • 自己紹介では笑点メンバーを5代目圓楽が「老人チーム」と紹介し、笑点メンバーが全員座布団からずり落ちた。
    • 自己紹介でリーダーの城島茂が「山田隆夫さんの座布団運びの座を狙う」と発言、それを受けた山口達也が「山田さんを首にしろ」と答え、「山田の悪口を言ったのにもかかわらず逆に座布団をもらってしまう」という2回目の例を作った(1回目は林家たい平が「KY=クビだ、山田」と答えた)。
  • TOKIOは『大笑点』でメインパーソナリティを務めた。またメンバーの国分太一は2006年(平成18年)5月14日の40周年記念特番に出演し、師弟大喜利で歌丸と共に司会を務めた。
  • 笑点メンバーとTOKIOの対戦は2006年から2008年までは舞台を「大笑点」の番組上に移した。
  • 2008年の「大笑点」を最後に暫く行われていなかったが、2014年9月28日放送分で「TOKIOスペシャルDAYS」の企画の1つとして6年9カ月ぶりに開催された。
  • 2016年の「歌丸ラスト大喜利スペシャル」内で1年8カ月ぶりに開催。これが、収録放送では最後の歌丸司会の大喜利となった。勝ったTOKIOへの商品である歌丸が描かれたスコップは、『POWERフレーズ』を挟んで放送の、TOKIOが出演する『ザ!鉄腕!DASH!!』のメインコーナーである「DASH島」の舟屋に飾られた様子が放送された。
  • 席順(2005年の圓楽は5代目圓楽、2014年以降の円楽は6代目円楽)
放送日 司会 出演メンバー 座布団運び 勝利チーム 敗北チーム 備考
TOKIO 笑点 TOKIO 笑点
2005年1月2日    圓楽    城島
   山口
   国分
   松岡
   長瀬
   歌丸
   楽太郎
   木久蔵
   好楽
   小遊三
   山田    たい平 TOKIO 笑点
2006年1月1日    歌丸    城島
   山口
   国分
   松岡
   長瀬
   小遊三
   好楽
   木久蔵
   楽太郎
   たい平
   愛楽    山田 TOKIO 笑点 「大笑点」内で開催。
2007年1月1日    歌丸    城島
   山口
   国分
   松岡
   長瀬
   小遊三
   好楽
   木久蔵
   楽太郎
   たい平
   愛楽    山田 TOKIO 笑点 「大笑点」内で開催。
昇太は福岡市で行われた公演に出演するため欠席。
2008年1月1日    歌丸    城島
   山口
   国分
   松岡
   長瀬
   小遊三
   好楽
   木久扇
   昇太
   楽太郎
   たい平
   愛楽    山田 TOKIO 笑点 「大笑点」内で開催。
2014年9月28日    歌丸    城島
   山口
   国分
   松岡
   長瀬
   小遊三
   好楽
   昇太
   円楽
   たい平
   愛楽    山田 TOKIO 笑点 「TOKIOスペシャルDAYS」[117]の企画として開催。
木久扇は病気療養中のため欠席。
2016年5月22日    歌丸    城島
   山口
   国分
   松岡
   長瀬
   小遊三
   好楽
   木久扇
   昇太
   円楽
   たい平
   愛楽    山田 TOKIO 笑点 「歌丸ラスト大喜利スペシャル」内で開催。

お笑い芸人大喜利[編集]

行列のできる法律相談所大喜利[編集]

ボクシング世界チャンピオン大喜利[編集]

  • プロボクシングの元世界チャンピオンが出演。司会は昇太(2007年以降)。輪島功一は毎回本番前に飲酒して出演するのがお約束となっている(顔が赤く、正座ができない)。

大福大喜利[編集]

  • 2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで初実施。芸能界のデブタレントが大喜利に挑戦。
  • 日本テレビにはメンバーに合う着物が無かったためメンバー全員が私服(テレビ衣装)で出演。メンバー全員正座がしにくいことが判明したため座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルール。司会はたい平、座布団運びは山田。

ものまね大喜利[編集]

ペット大好き!大喜利[編集]

  • 2015年(平成27年)1月1日の新春スペシャルで実施。タレントがペットを連れて大喜利に挑戦。
  • ペットが舞台上に出演する為、舞台には黄緑色のマットが敷き詰められていた。また、主人用の座布団の他に、ペット用の小さな座布団が用意されていた。

ふるさと大喜利[編集]

  • 2016年(平成28年)1月1日の新春スペシャルで実施。都道府県に因んだ大喜利に挑戦。参加メンバーは森公美子宮城県)、蛭子能収長崎県)、寺田心愛知県)、彦摩呂大阪府)、渡辺直美茨城県)、さかなクン(千葉県[119])。司会は木久扇(江戸)、座布団運びは山田(江戸川区)。
  • 森公美子・彦摩呂・渡辺直美は正座がしにくいため、前述の「大福大喜利」同様に座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルール。他の参加メンバーは通常どおり1枚からスタートのため、不公平がないように座布団が増えた枚数で判断することになった。なお、最終的に最後まで正座していたのはさかなクンのみである(蛭子は途中から座布団の上に座っていた。寺田も途中で一時座布団の上に座っていたが、当時7歳ということもあって座布団が増えると足が届かなくなり、山田のサポートで持ち上げて正座で座らせた。)。

その他[編集]

大喜利ゲスト大会
  • スペシャル大喜利の第1弾。1967年(昭和42年)8月27日の放送で実施。前述の通りこの時には後に2代目の司会者となる前田も大喜利メンバーとして出演していた。司会は談志、座布団運びは毒蝮。
親子大喜利
  • 1972年(昭和47年)1月2日の新春スペシャルで実施。当時の大喜利メンバーが子女と共に出演した。司会は三波、座布団運びは松崎。この際、木久蔵(当時)の長女[120]が圓楽の顔を見て怖くなって泣き出してしまったというエピソードがある。
  • 2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルでは、メンバーが自身の子女と共に出演した。参加メンバーは、はなわ北斗晶ボビー・オロゴン西村知美、たい平の各親子。司会は昇太、座布団運びは山田。
スター大喜利
春の大喜利大会
天国よいとこ昇天大喜利
  • 2006年(平成18年)5月14日の40周年スペシャルで実施。笑点メンバーが「天国に旅立った(昇天した)」という設定で、天使のコスプレをして大喜利を行った。
夫婦大喜利
  • 2015年(平成27年)1月1日の新春スペシャルで実施。夫婦がタッグを組んで大喜利に挑戦。参加メンバーは金石昭人陣内貴美子夫妻、石井一久木佐彩子夫妻、佐々木健介北斗晶夫妻、ALEXANDER川崎希夫妻、金山一彦大渕愛子夫妻。司会は夫婦大喜利に因み、当時の大喜利レギュラーの中で唯一の未婚者である昇太、座布団運びは山田。
  • このうち、佐々木・北斗夫妻については膝の負傷などがあり正座がしにくいことに配慮し、前述の「大福大喜利」同様に座布団は5枚からスタートし、正座せずに座布団の上に普通に座る(椅子に座るような要領)という特別ルールを採用。他の4夫婦は通常どおり1枚からスタートのため、不公平がないように座布団が増えた枚数で判断することになった。
手相大喜利
  • 2015年(平成27年)3月29日・2016年(平成28年)1月3日の放送で実施。笑点メンバーの手相を島田秀平が拝見して、結果を言った。また笑点メンバーの背後にはメンバーの左手が載ったボードが置かれていた(歌丸も含まれるが、山田は除く)。またこの回は大喜利での裁量以外にも手相の結果(手相が良いと獲得、手相が悪いと没収)によって座布団の増減が行われた。地上波では7人分の紹介だったが、特大号では山田や笑点メンバー(木久扇、好楽、円楽、たい平、山田)のマネージャー[121]の手相の結果も発表された。
真相報道 バンキシャ!大喜利
  • 2015年(平成27年)12月27日に、当番組の前後[122]に放送の『真相報道 バンキシャ! ニッポン人は頑張ったスペシャル』の箸休め企画として実施。参加メンバー(全員洋装)は福澤朗夏目三久宮本亜門[123]三浦雄一郎尾木直樹。司会は昇太、座布団運びは山田。

派生番組[編集]

レギュラー番組[編集]

BS笑点・笑点Jr.[編集]

2003年(平成15年)10月12日から2007年(平成19年)2月17日までBS放送BS日テレで兄弟番組として若手中心の『BS笑点』を放送した。

2007年4月からはCSに移転し、CS放送日テレプラス(放送開始当時は日テレプラス&サイエンス)で『笑点Jr.』として2007年(平成19年)4月22日から2011年(平成23年)3月13日まで放送した。

現大喜利メンバーの春風亭昇太と林家たい平は、この番組の出身。現司会者の桂歌丸はナビゲーターとして出演し、笑点の現アシスタントである三遊亭愛楽もこの番組に出演していた。

笑点デラックス[編集]

2012年(平成24年)10月1日より毎週月曜19:00 - 19:54にBS日テレにて放送開始。過去のアーカイブの演芸、および大喜利を厳選して放送する。

笑点 特大号[編集]

2013年(平成25年)4月3日より毎週水曜21:00 - 21:54にBS日テレにて放送開始。「大喜利」のディレクターズ・カット版や新規撮影した「演芸」「大喜利」などを放送する。

もう笑点[編集]

もう笑点
ジャンル ミニ番組トーク番組
放送時間 日曜日 17:25 - 17:30(5分)
放送期間 2016年4月3日 -
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本テレビ
演出 加藤健太(日テレアックスオン)
プロデューサー 福田一寛
大平道春
深谷圭二
飯田達哉(ユニオン映画)
大畑仁(ユニオン映画)
出演者 桂歌丸
オープニング 笑点のテーマ
外部リンク 公式サイト
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2016年4月開始。毎週日曜17:25 - 17:30に日本テレビほかで放送。笑点開始前の前説的ミニ番組。歌丸が笑点メンバー1人とちょっとした会話をする。かつて40分番組だった時代に放送されていた司会者コーナーのような体裁である。歌丸司会降板後も、同番組には『終身名誉司会』の肩書で続投する。

特別番組[編集]

24時間テレビ・チャリティー笑点[編集]

1988年(昭和63年)から『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内で毎年日曜17時20分頃から18時過ぎまで生放送される。放送回数には含まれない。

通常の放送と同様に演芸と大喜利3本で構成されているが、大喜利メンバーの挨拶を演芸前に行なったり、大喜利の1問目と2問目の間にコマーシャルが挿入されたりするなど、一部の構成が異なる。なお一時期は放送時間は不定で、メンバーの挨拶→CM→大喜利1本という短さで構成されていた。2005年以降から現在の構成となる。

大喜利では座布団が一番多かったメンバーには栄誉(拍手)が送られる。過去の大喜利では、「座布団1枚につき1万円を募金」という特別ルールがあり、募金をさせるためにつまらない答えでも座布団を減らされることなく大盤振る舞い、メンバーが募金を嫌がるというやりとりが見られたため、視聴者から苦情が殺到した[124]。そのため1991年(平成3年)以降はこのルールがなくなり、笑点メンバー全員が募金をする様子を大喜利前に放送している。

2005年(平成17年)以降はその年のパーソナリティーらが出演する場合もある。

  • 2005年(平成17年)の放送では、演芸にアンガールズ山根良顕田中卓志)が登場。SMAP草彅剛が大喜利の座布団運びを務めた。
  • 2006年(平成18年)の放送では、演芸にナポレオンズが登場。
  • 2007年(平成19年)の放送では、演芸にタカアンドトシ(タカ・トシ)が登場。座布団運びをタッキー&翼滝沢秀明が務め、滝沢とのツーショット写真が大喜利での「豪華商品」となった。
  • 2008年(平成20年)の放送では、演芸にチュートリアル徳井義実福田充徳)が登場。
  • 2009年(平成21年)の放送では、演芸にネプチューン名倉潤堀内健原田泰造)が登場。
  • 2010年(平成22年)の放送では、「チャリティー笑点」放送前の14時台に6代目円楽がメイン会場の日本武道館を訪れ、師匠・5代目圓楽との想い出を語った。演芸には森三中黒沢かずこ村上知子大島美幸)が登場。
  • 2011年(平成23年)の放送では、演芸にマギー審司が登場。真矢みきが大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
  • 2012年(平成24年)の放送では、演芸にマギー司郎が登場。黒木瞳が大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
  • 2013年(平成25年)の放送では、演芸にマギー司郎・マギー審司が登場。上戸彩が演芸に参加したほか、大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。
  • 2014年(平成26年)の放送では、演芸にナポレオンズが登場。が演芸に参加したほか、大喜利の座布団運びなど、歌丸の補佐役を務めた。また大喜利終了後にはかつての大喜利メンバーであるこん平がメイン会場の日本武道館を訪れ、10年ぶりに生放送でチャラーンを武道館に来た3000人の来場者と一緒に生で行った。
  • 2015年(平成27年)の放送では、演芸にマギー司郎・マギー審司が登場。松下奈緒が演芸に参加したほか、大喜利で歌丸の補佐役を務め、Hey! Say! JUMPNYC山田涼介が大喜利の座布団運びを務めた。こん平が11年ぶりに笑点舞台のかつての自身の席に正座で座り、チャラーンを2回行った。

1988年と1989年は日本武道館からの生放送(2分間のCMの間にセットを組んだという)、1990年からは銀座・旧日産本社ギャラリー前広場、JCB旧本社(お茶の水スクエア)などからの生中継だった。2003年(平成15年)から2010年(平成22年)までは汐留日本テレビタワー特設スタジオから生中継された。2011年(平成23年)以降は日本テレビ麹町Gスタジオからの生中継となっている。

おはよう笑点[編集]

1998年(平成10年)から2007年(平成19年)までの1月2日に箱根駅伝中継が始まる前の時間帯に『おはよう笑点』を放送した。

大笑点[編集]

2006年(平成18年)から2008年(平成20年)までの1月1日に新春スペシャルとして、『大笑点』を放送した。

笑点緊急追悼特番 ありがとう 円楽さん[編集]

5代目三遊亭圓楽の逝去に伴う追悼特番。2009年(平成21年)11月1日16:55 - 17:25に日本テレビ読売テレビで放送。後に2010年(平成22年)1月3日16:30 - 17:00にBS日テレで放送された。

桂歌丸を司会に落語「弥次郎」(2000年(平成12年)1月9日放送分の再放送)、大喜利(1988年(昭和63年)3月6日放送分・2001年(平成13年)2月11日放送分・1988年(昭和63年)4月3日放送分(若竹での収録))の様子が流れた(ハイビジョン放送)。

また、その翌週の2009年(平成21年)11月8日には急遽予定を変更して「ありがとう円楽さん!笑点メンバーお別れ会」が放送された。

笑点!お正月だよ!大喜利祭り[編集]

新春特番自体は開始当初から行われており、1990年代まではゲストを招いた大喜利とメンバーの初春口上だけであったが、90年代末期に入るとロケ企画や演芸コーナーも盛り込まれるようになる[125]。2006年からは「大笑点」が放送されていたが、同番組に代わり、2009年(平成21年)以降の元日、16:00 - 18:00に、大喜利を中心とした内容の2時間特番が放送されている。

  • レギュラーメンバーによる口上 - 各メンバーはその年の干支にちなんだ口上を述べる。口上が終わったあとは鏡割りを行う。なお、2008年以前は新年最初のレギュラー放送の回で行われていた。この口上は番組開始当初から行われており、三波時代には口上に続いて笑点メンバーが歌舞伎や舞を披露した[125]
  • 寿大喜利 - 2部制。前半は正月にちなんだ大喜利、後半はメンバーがその年の干支に因んだ衣裳に仮装して大喜利を行う。
  • ほか、ゲストを迎えての東西大喜利、振袖大喜利、ものまね大喜利などが行われる。演芸コーナー(漫才、マジックが多い)も用意されている。

ザ・富士山[編集]

2011年(平成23年)5月6日に『金曜スーパープライム』枠で「ザ・富士山 大解剖スペシャル!!」を放送した。ここでは、大喜利メンバーが富士山にちなんだ大喜利を披露。ナレーションは平野義和

あのニュースで得する人損する人とのコラボレーション[編集]

大喜利メンバーと桂歌丸が人間ドックを受診する様子が2015年4月9日の『あのニュースで得する人損する人』2時間スペシャルで放送された。番組内で笑点メンバーと得損メンバーのペアによる大喜利が開催された(得損メンバーはペアを組む笑点メンバーと同じ色の色紋付を着用した)。 お題は1問のみで、2014年2月23日放送分の大喜利一問目と同じお題が出題された。

スタッフ[編集]

  • 構成:遠藤佳三、横山誠一、城啓介、内海譲司、三木睦郎、会沢展年、小林哲也、菊池裕一、佐藤かんじ
  • 音楽:中村八大
  • アニメ:竹内大三
  • 題字:橘左近
  • TM:新名大作
  • TD:飯島章夫、三沢津代志、篠原昭浩、萩野谷直樹、川村雄一、牛山敏彦
  • 照明:内藤晋、下平好実、小川勉
  • SW(映像):宮崎和久、安藤康一
  • カメラ:田代義昭、吉田健治
  • 音声:酒井孝
  • PA:木本文子
  • 美術:大竹潤一郎
  • 大道具:赤木直樹、峰崎俊輔
  • 装飾:佐々木洋平
  • 衣裳:栗田佐智子
  • 美粧:外山奈津子
  • 編集:村上友佳子
  • 整音:小林陽子
  • 音効:吉田茂、宮川素子
  • TK:中村ひろ子
  • AD:山口裕之、福田拓也
  • AP:小森佳代
  • デスク:奥山知美
  • 制作協力:ユニオン映画AX-ON
  • ディレクター:高木裕司(ユニオン映画)、加藤健太(AX-ON)
  • プロデューサー:福田一寛(日本テレビ)、飯田達哉・大畑仁(ユニオン映画、共に以前はディレクター)
  • 統括プロデューサー:中村博行(日本テレビ、以前はプロデューサー)
  • チーフプロデューサー:糸井聖一(日本テレビ)
  • 製作著作:日本テレビ

歴代のスタッフ[編集]

  • 構成:新野隆司、栗田悌志新倉イワオ、鈴木重夫、山西伸彦
  • アニメ:エレホン企画、マルチボックス
  • 題字:橘右近
  • TM:北野政憲、古井戸博、石塚功
  • TD:柴田康弘、山岸真、片柳幸男、青木健二、岩本公平
  • SW:田口勝夫
  • 調整:矢田部昭
  • 照明:蜂谷道雄
  • 編集:青木健、大森美佳子
  • 整音:駒路健一
  • 音効:恩田佳代子
  • 美術:伊東清、石川啓一郎
  • 美術制作・デザイン:磯村英俊
  • 小道具:渡辺勇二
  • 衣裳:佐々木皖子
  • 装飾:丸山善之
  • 人形デザイン:辻下浩二
  • 企画:小暮美雄
  • AP:中野留理子、菅原由芳、梅沢佳代
  • ディレクター:立壁久泰・江間保隆・梅原高実・親松豊(ユニオン映画)、中西健・鬼頭直孝・上田崇博・末延靖章・岩沢錬・中田志保(日本テレビ)
  • プロデューサー:小里光・本多益幸・尼崎昇・中村元気・江口義明・中西健・鬼頭直孝・岩沢錬(日本テレビ)/小暮美雄・中野留理子・加藤晋也(ユニオン映画)
  • ラインプロデューサー:鈴木雅人(日本テレビ、以前はプロデューサー → チーフプロデューサー)
  • チーフプロデューサー(制作):北村光雄・中島銀兵・吉田勲明・吉岡正敏佐野讓顯吉田真・馬場寛・梅原幹菅賢治・松崎聡男・安岡喜郎(日本テレビ)
  • 制作協力:現代センター

※また地方収録の時はその地域の系列局の技術スタッフ、ディレクター、プロデューサーが携わることがある。なおかつては地方収録時は日本テレビとその地域の系列局が共同で製作・著作していたが、現在はその地域の系列局は制作協力扱いとなっている。

巡回展[編集]

番組放送50周年を記念して、2016年4月より巡回展「笑点 放送50周年特別記念展」が各地で開催される[126][127]

DVD等[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 地上デジタル放送ではステレオ放送も実施。
  2. ^ 新春スペシャル等は麹町にて収録される。東日本大震災の影響により後楽園ホールで収録出来なくなった際にも、2011年(平成23年)5月分5本(45周年記念口上も含む)と6月分1本の計6本の収録を麹町分室にて行われた。
  3. ^ “「笑点」50周年記念のフレーム切手セット発売”. お笑いナタリー (ナタリー). (2015年10月16日). http://natalie.mu/owarai/news/163126 2016年4月21日閲覧。 
  4. ^ 1980年3月と4月の朝日新聞縮刷版にて確認済
  5. ^ 字幕は、司会(現在は昇太)の声が黄色、アナウンサー大喜利の司会の声若しくは演芸ゲストが二人いる場合そのうち一人の声が水色、三人以上の場合さらにもう一人の声が緑色で表示される。開始当初は日本テレビ、読売テレビ、福岡放送など極少数の局でしか行われていなかった(当時は民放各局の字幕放送番組が現在よりも少なかった)が、1998年までにすべての同時ネット局で実施するようになった。
  6. ^ a b 2009年(平成21年)11月8日放送の5代目圓楽追悼の回では放送日が収録直後だったこともあり、リアルタイム字幕放送を実施。解説放送は行わなかった。
  7. ^ 2010年(平成22年)4月4日(第2210回)からは、解説放送のナレーター(NTVアナウンサー)が自己紹介するようになった。
  8. ^ 現場リポート おそらく世界初!? 8Kで"番組収録"してみました。”. 日テレ・テクニカル・リソーシズ(NiTRo) (2016年1月19日). 2016年2月23日閲覧。
  9. ^ 1966年5月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  10. ^ 1968年4月28日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  11. ^ 1968年5月5日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  12. ^ 1996年3月31日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  13. ^ 1996年4月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  14. ^ 以前は、新年最初の日曜日は新春特番や高校サッカーのハイライトなどで番組が休止だったため、新年最初の放送は1月第2週目からだった。
  15. ^ 通常は17:30 - 17:58まで。
  16. ^ 通常は17:30 - 18:00まで。
  17. ^ 龍角散の一社提供は日本テレビのみ。なお龍角散は、『笑点デラックス』と『笑点 特大号』にもスポンサーに入っており、また地上波の正月特番にもスポンサーを務めている。
  18. ^ 2015年7月26日(第2475回)放送回は日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利の代理司会を担当。
  19. ^ a b “「笑点」6代目司会は春風亭昇太 恐縮「『え〜』と思いました」”. スポニチアネックス. (2016年5月22日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/22/kiji/K20160522012636220.html 2016年5月22日閲覧。 
  20. ^ 円楽「笑点」でテツandトモとコラボ「なんで…?」に答えた”. スポーツ報知 (2016年6月19日). 2016年6月22日閲覧。
  21. ^ “「笑点」新メンバー・林家三平、着物は丁子(ちょうじ)色に決定”. スポーツ報知. (2016年5月29日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160529-OHT1T50200.html 2016年5月29日閲覧。 
  22. ^ “「笑点」大喜利の新レギュラーに2代目林家三平”. 日刊スポーツ. (2016年5月29日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1654717.html 2016年5月29日閲覧。 
  23. ^ “林家三平 昇太に「独身チビ野郎」で座布団ゼロに”. デイリースポーツ. (2016年5月29日). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160529-00000113-dal-ent 2016年5月29日閲覧。 
  24. ^ この後2週のスペシャルが挟まれるが放送回数には含まれていない。
  25. ^ オープニングでの出演者クレジットは同回以降も継続。
  26. ^ 8月23日の24時間テレビには出演した。
  27. ^ 歌丸は自身の著書『極上歌丸ばなし』で前田がわずか1年で司会を降りることになった理由につき、「前武さんじゃ、落語家のシャレが通じないんですよ。とにかくやりにくくってしょうがない。局側も(それに)気がついたんでしょうね」と述懐している。[1]
  28. ^ 「笑点の謎」(河出書房新社)より
  29. ^ a b c “【笑点50年 笑いのある人生】(5)演芸コーナー最多出演はマギー司郎の49回”. スポーツ報知. (2016年5月12日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160511-OHT1T50182.html 2016年5月23日閲覧。 
  30. ^ 2014年(平成26年)5月4日放送では、当時若手大喜利レギュラーメンバーかつ落語立川流である立川晴の輔(旧高座名:志の吉)が前年2013年(平成25年)12月1日に真打昇進したため、晴の輔も落語協会・落語芸術協会の新真打とともに襲名披露に出演した。ただし、師匠の立川志の輔をはじめ、落語立川流から関係者の出演はなかった。
  31. ^ この際、進行役から「本来新真打はこの場(=襲名披露口上)では言葉を発しないのですが」などの前置きがされる。寄席の披露口上では、本人が主任をとることで挨拶に代えるため。
  32. ^ 1980年3月と4月の朝日新聞縮刷版にて確認済。
  33. ^ このバージョンでは、表記は6代目と同じ「三遊亭円楽」表記であった。以下、小円遊・円窓も同様。次の笑点大演芸編より旧字体の「圓」表記となる。
  34. ^ showtenntvの投稿 (784007658304582) - Facebook
  35. ^ 笑点Web 放送内容 第2350回 福島県郡山市での収録回。襖にしだれ桜(二本松市三春町など、福島県内に多数の名所がある)が描かれている。
  36. ^ 笑点Web 放送内容 第2371回 秋田県秋田市での収録回。襖に竿燈が描かれている。
  37. ^ 現在では日本での視聴率調査からはすでに撤退済み。
  38. ^ ただし、歴代最高視聴率を記録したこの放送回の記録媒体は日本テレビに残っていないため2016年現在VTRを利用できない状況にある(2013年5月15日放送『1番ソングSHOW 日テレ60年伝説番組が生んだ名場面&名曲大連発スペシャル』[出典無効]
  39. ^ 放送直前にCM未放送問題が発覚したため、これについての発言は実際の放送ではカットされた。
  40. ^ a b ただしこのとき歌丸は体調不良で休演。冒頭の挨拶および1週目の大喜利の代理司会を木久扇、2週目の大喜利の代理司会を好楽が担当した。
  41. ^ a b 歌丸が療養中であった為冒頭の挨拶を昇太とたい平、1週目の大喜利の代理司会を小遊三、2週目の大喜利の代理司会を円楽が担当した。
  42. ^ 歌丸の著書「極上歌丸ばなし」に記述あり。
  43. ^ 1997年の香港公演の特番冒頭に出演者から明かされ、その際に「サダム・フセイン、あなたのおかげでパリ収録が中止になりました」という皮肉めいた恨み節のテロップが表示されていた
  44. ^ 当日付の新聞テレビ欄読売新聞東京本社11版17面、朝日新聞東京本社11版11面、毎日新聞東京本社12版9面)にて確認。
  45. ^ 2016年5月15日放送で、日本テレビに現存する最古の映像(放送回)として紹介された。
  46. ^ 日本テレビ放送網 『大衆とともに25年 -沿革史-』、1978年、156頁。 
  47. ^ 「笑点」最高視聴率は74年36.1% 座布団は立川談志さん考案 Sponichi Annex 2016年5月23日発行、同日閲覧)。
  48. ^ 「笑点」の報道特別番組による休止は2004年7月18日の「曽我ひとみ一家帰国関連」以来である。
  49. ^ 桂歌丸 肺疾患と肋骨骨折で入院 「笑点」収録も欠席 スポーツニッポン 2014年4月4日閲覧
  50. ^ 林家木久扇さん、初期の喉頭がんで休養へ 「笑点」は代役立てず 産経新聞 2014年7月21日閲覧
  51. ^ 桂歌丸、インフル感染し入院…「笑点」司会など今月いっぱい休養 サンケイスポーツ 2015年1月8日閲覧
  52. ^ そのため冒頭の案内をやらずに、字幕で一部内容を変更した旨を伝えた上で、すぐ演芸に入った(翌週放送分の原口あきまさホリのものまねも同様)。
  53. ^ 三宅裕司&小倉久寛「笑点」コント延期に…「国際情勢を配慮」 スポニチアネックス 2015年1月26日閲覧
  54. ^ 2015年7月26日(第2475回)放送分(日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利)、2016年1月3日放送分(手相大喜利)は休止。11月1日 - 12月20日放送分は笑点カレンダーの告知のため休止。
  55. ^ 歌丸また「笑点」欠席へ…腸閉塞で入院、退院時期は未定 デイリースポーツ 2015年7月12日閲覧
  56. ^ 放送内容|笑点|日本テレビ 第2497回 2016年1月31日閲覧
  57. ^ このうち、6代目円楽は実際に青山学院大学を卒業している。
  58. ^ 放送内容|笑点|日本テレビ 第2512回 2016年4月24日閲覧
  59. ^ 桂歌丸が「笑点」司会引退「体力の限界です」 日刊スポーツ 2016年4月30日閲覧
  60. ^ 歌丸、笑点の司会を引退「体力の限界です」…5・22生放送がラスト スポーツ報知 2016年4月30日閲覧
  61. ^ 桂歌丸「笑点」50周年で大喜利司会引退発表 ラストは5月22日生放送 - gooニュース・スポニチアネックス、2016年4月30日14:35配信、同日閲覧
  62. ^ 番組冒頭から中盤にかけて(後述するTOKIOとの大喜利対決、笑点50年間の事件簿をまとめた再現VTR、ナイツと歌丸のコラボ漫才)は事前収録。なお、急遽の生放送決定のため、中京圏でそれぞれ別々の落語会を当日開催した好楽・6代目円楽・たい平は名古屋からの移動のため遅れて出演(生放送の大喜利には間に合った)。
  63. ^ a b c 一時期日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局でもあったが引き続き放送。
  64. ^ 根拠:1971年4月〜1972年4月の東奥日報・陸奥新報・河北新報(青森県立図書館・弘前市立図書館・五所川原市立図書館で閲覧)の青森放送テレビ欄から
  65. ^ 2011年10月から水曜夕方の枠で再放送を行っている。
  66. ^ 東日本放送が開局するまでは、日本テレビ系列とNET系列のクロスネット。クロスネット時代はNETの番組(『ビッグスポーツ』『朝日新聞テレビ夕刊』)を同時ネットしていたため、日曜12:15から(開局-1973年3月まで)→土曜16:30から(1973年4月-)のそれぞれ遅れネットだったが、1973年9月でいったん打ち切り。その後東日本放送の開局に伴うクロスネットの解消で、1975年10月に同時ネットでネット再開。
  67. ^ 福島放送が開局するまでは、日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット。また、1979年4月1日-1981年9月27日は『ANNニュースレーダー』(日曜日のみ)をネットしていたため遅れネット。
  68. ^ 1978年3月までは毎週土曜17時20分の6日遅れネット。1978年4月からは同時ネット。
  69. ^ それまで、当番組を放送していた新潟放送は、6日遅れの放送だった為、テレビ新潟は、開局前のサービス放送開始後のこの日から同時ネットし続けている。
  70. ^ a b ANN主体からNNNマストバイ局変更による。
  71. ^ それまでは『530ステーション』を放送していた。
  72. ^ 1989年4月からANNにも正式加盟したが、日本テレビ系優先のクロスネット局のためスポンサードネットでの放送を継続。かつては日本テレビ系列単独加盟でありながらANNともオブザーバー扱いで素材交換契約を結んでいたため、『ANNニュース&スポーツ』や『530ステーション』などのテレビ朝日の日曜夕方のニュースを1991年3月まで(1989年3月までは番組販売扱い)放送していたために6日後の土曜夕方に時差ネットしていたが、その後、自社番組などの放送を経て、本番組の30分化に伴って日本テレビとの同時ネットに移行している。
  73. ^ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版のテレビ欄で確認
  74. ^ 17:00から『日曜劇場』の遅れネットのため(現在も別時間で継続)、当初は土曜正午に時差ネットしていたが、現在は日本テレビとの同時ネットに移行している。
  75. ^ 社史「四国放送の50年」による。
  76. ^ 1983年(昭和58年)4月に西日本放送が岡山県に乗り入れるまでは岡山県では放送されていなかった(ただし、多くの地域でRNCもしくはNKT・ytv・HTVで視聴することは可能であった)。
  77. ^ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版(岡山県立図書館で閲覧)のテレビ欄
  78. ^ 佐賀県でも大部分で視聴可能。
  79. ^ 時期によっては土曜 16:15 - 16:45に時差ネット(編成の関係で放送時間変更や休止される場合あり)。また、テレビ大分では未ネットである『FNSの日』当該日の日本テレビとの同時ネットも行われない(『FNSの日』当該日には『TOSニュース』を放送)。2011年4月から現在の放送時間。
  80. ^ 日曜 17:00 - 17:40→火曜 11:15 - 11:45に時差ネット。1997年3月に一旦打ち切られたが(ただし2005年(平成17年)正月特番は放送)、2008年以降火曜10:45 - 11:15に放送を再開した。2010年4月に火曜11:15 - 11:45に移動し、2014年10月より現在の時間に移動。
  81. ^ 2003年4月から2004年3月は月曜15:55-16:25で放送。その後、2013年4月から放送再開。放送日時の変更が多い。2016年7月現在、約2ヶ月遅れ。
  82. ^ ネット当時は日本テレビ系列
  83. ^ ネット当時は日本テレビ系列およびNETテレビ系列とのトリプルネット
  84. ^ NSTでのネット終了後は、NETテレビの夕方のニュースの同時ネットに切り替えた。
  85. ^ 翌3月29日から、開局前のサービス放送中のテレビ新潟での同時ネットに移行。
  86. ^ この月にテレビ信州が、それまでのテレビ朝日系列・日本テレビ系列(ただしNNSは非加盟)クロスネットから、日本テレビ系列へネットを一本化(NNS加盟)した。
  87. ^ 1975年10月12日、1982年3月28日、1982年4月10日、1991年3月30日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  88. ^ ネット当時の名称は「静岡けんみんテレビ (SKT)」。
  89. ^ ネット当時はNNNにも加盟。
  90. ^ ネット当時は日本テレビ系列(NNN、NNS加盟)メインであった。
  91. ^ JNN基幹局でありながら、放送開始当時、福岡県に日本テレビ系列局がなかった事情から、同系列の番組もネットしていた。
  92. ^ ネット当時はNNN系列とフジテレビ系列に加盟
  93. ^ 同年10月にNNNを脱退したため、半年間長崎県では放送されなかったが、1991年4月に長崎国際テレビが開局して再開。
  94. ^ ネット当時はNNN/NNSとANNにも加盟
  95. ^ テレビ宮崎では開局と同時に放送を開始したが、途中で打ち切り・再開を繰り返していた。1997年3月で一旦放送は打ち切られたものの、2008年から放送を再開している。
  96. ^ ネット当時はNNN/NNSにも加盟。1982年9月まではANNにも加盟
  97. ^ 表にはないが、延友陽子(1998年入社)は2002年正月に出演。
  98. ^ 鈴木より改姓。
  99. ^ 葉山より改姓。
  100. ^ 上重は硬式野球(PL学園高 - 立大)、山本はサッカー(柏レイソルユース - 明大)、佐藤はラグビー(慶応普通部)やスキー(慶応高)、中野はテニス(明大)の経験者。
  101. ^ 藤井も鈴木と同じ枚数でトップとなったが「司会者の席の近い方」の鈴木のみ賞品獲得となった。
  102. ^ 2013年10月23日放送の『笑点 特大号』「本日の楽屋」コーナーでは、負けチーム用の千社札(上重は「甲子園」、中野は「テニス」、山本は「長友の後輩」)が披露された。なおこれらについては歌丸の優しさにより、後日上重らにも贈呈された。
  103. ^ 笑点Facebook 2016年3月13日付
  104. ^ 出演当初は春風亭あさ市
  105. ^ 出演当初は春風亭柳八
  106. ^ 出演当初は立川笑志
  107. ^ 出演当初は林家きくお
  108. ^ 当初は2011年(平成23年)4月10日放送予定分の若手大喜利の収録を3月12日に予定していたが、東日本大震災により延期。後に麹町分室にて収録した。4月10日放送予定分の収録は、長崎市公会堂で収録(放送では長崎市公会堂とはアナウンスされず)した歌丸の落語「つる」に変更。
  109. ^ いずれも米朝一門。
  110. ^ なお文左衛門も2代目木久蔵と同じ枚数でトップとなったが「2代目木久蔵のお父さんにお世話になっている」と言う理由で、2代目木久蔵のみ賞品獲得となった。
  111. ^ なお昇太は、生志が1問目の回答で自身の著書「ひとりブタ: 談志と生きた二十五年」の宣伝をした際「自分の書いた本とか紹介する奴は最低だよ」と発言したため、生志に賞品について突っ込まれた。
  112. ^ 大喜利メンバー史上最年少
  113. ^ 噺家ではないが、2013年以降はジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ・TOKIO城島茂(奈良県出身)も参戦(高齢になった笑福亭松之助に替わるリーダー格)。
  114. ^ 桂小米朝より改名。
  115. ^ 西軍初の女流メンバー。
  116. ^ 林家染弥より改名。
  117. ^ TOKIOスペシャルDAYS|日本テレビ
  118. ^ 後に2011年の東西大喜利に月亭方正として出演。
  119. ^ 正確には神奈川県出身であるが、当時千葉県在住のため千葉県代表として出演。
  120. ^ 40周年記念本では「さっこちゃん」と呼ばれ、2010年3月14日放送のフジテレビ系「ボクらの時代」で父や弟(2代目木久蔵)と対談した人物。
  121. ^ 木久扇と好楽のマネージャーは(それぞれの)自身の娘、山田のマネージャーは自身の息子である。
  122. ^ 第1部は16:30 - 17:30。第2部は18:00 - 18:55。
  123. ^ 同スペシャル本編にも出演。
  124. ^ 『笑点』(日本テレビ、2006年ISBN 4-8203-9955-1
  125. ^ a b 『笑点』(日本テレビ、2006年ISBN 4-8203-9955-1
  126. ^ 笑点 放送50周年記念特別展 日本テレビ
  127. ^ “あの座布団にも座れる! GWに「笑点 放送50周年特別記念展」開催”. ねとらぼ. (2016年4月14日). http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1604/14/news060.html 2016年4月21日閲覧。 
  128. ^ 放送ライブラリー 番組ID002976
  129. ^ 放送ライブラリー 番組ID011522

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

日本テレビ 日曜日16:30 - 17:10枠
前番組 番組名 次番組
日曜映画劇場
※15:30 - 17:10
日本テレビ 日曜日17:20 - 17:25枠
笑点
(1968年5月5日 - 1996年3月31日
ぐるぐるナインティナイン
※16:55 - 17:25
【10分後拡大して継続】
日本テレビ 日曜日17:25 - 17:30枠
チャンピオンズゴルフ
※17:10 - 17:30
笑点
(1968年5月5日 - 1996年3月31日)
ガイド枠
【10分繰り下げて継続】
もう笑点
2016年4月3日 - )
-
日本テレビ 日曜日17:30 - 18:00枠
NNN日曜夕刊
【時間を変更して1996年まで継続】
笑点
(1968年5月5日 - )
-