C-C-B

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C-C-B
別名 Coconut Boys(結成時)
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック
ポップス
活動期間 1982年 - 1985年
(Coconut Boys)
1985年 - 1989年
2008年
2015年 -
(C-C-B)
レーベル ポリドール(1983年 - 1989年)、ユニバーサルミュージック・USMジャパン(2014年 - )
公式サイト UNIVERSAL MUSIC JAPAN “C-C-B”公式サイト
メンバー 渡辺英樹ベースボーカル
(1982年 - 1989年、2008年、2015年)
笠浩二ドラムス・ボーカル)
(1982年 - 1989年、2008年、2015年)
田口智治キーボード・ボーカル)
(1984年 - 1989年、2015年)
米川英之ギター・ボーカル)
(1984年 - 1989年、2015年)
旧メンバー 関口誠人ギター・ボーカル)
(1982年 - 1987年、2008年)
山下康文(キーボード・ボーカル)
(1982年 - 1984年)
山本達也(ギター・ボーカル)
(1982年 - 1984年)

C-C-B(シーシービー)は、1980年代に活躍した日本ロックバンド。結成当初の名称はCoconut Boys(ココナッツボーイズ)で、C-C-Bはその略称1985年中頃からCoconut Boys名義は使用せず、C-C-Bで統一している。

経歴[編集]

結成前[編集]

1977年、アマチュアバンドベーシストとして活動をしていた渡辺に、同バンドのドラマーだった伊藤真視が田口を紹介。伊藤が脱退するにあたり、中学の後輩だった笠を後任のドラマーに推薦。以降、3人が顔を合わせる機会が増える。

結成とデビュー[編集]

1982年8月(昭和57年)、東京都港区青山神宮前3丁目交差点近く)に音楽プロデューサーの上野義美が立ち上げたミニFM局「KIDS RADIO STATION」(通称「KIDS」)が誕生。アメリカンDJスタイルを取り入れたミニFM局で、当時最先端でオシャレな雰囲気を醸していた放送を聴くために、視聴可能な半径500m内界隈に若者を中心とした人々が集まり、またラジオを放送しているカフェなどを訪れた。その様子がマスメディアで報じられ、さらに人気を呼んだ。

その「KIDS」で、夏をイメージした新生バンドを数組結成させ競わせるプロジェクトを企画した。そのうちの一組として、グループ・サウンズの再来を思わせる「和製ビーチボーイズ」をコンセプトとしたバンドを作るためメンバーを探し、Coconut Boysを結成させた。初期メンバーは渡辺、笠、関口と他3名の合計6人(うち1人はデビュー前に脱退し5人になる。田口と米川は1984年に加入)。同年、KIDS自主制作の企画カセットテープ『RASPBERRY AVENUE』に参加してマイナーデビュー(後述ディスコグラフィー項参照)。だが肝心のメンバー全員がそれまでビーチボーイズの音楽を耳にしたことはあれど造詣が深いわけではなく、メンバー自身の音楽性や趣味嗜好は反映されなかった。しかし、当時ポリドールレコード(現:ユニバーサルミュージック)でディレクターをしていた渡辺忠孝が聴く機会を得て「面白い」と興味を持ち、自らプロデュースをしたいと名乗り出た。

1983年(昭和58年)、シングル『Candy』でメジャーデビュー。全農ヨーグルトヨープレイト」のCM曲に起用されたが、ヒットには至らなかった。

1984年(昭和59年)、メンバーの2名が脱退し、田口、米川が新メンバーとして加入し5人体制となる。セカンドシングル『瞳少女』がロート製薬なみだロート」のCM曲に、両A面の『チリドッグがお気に入り』がマツダファミリア」のCM曲に起用される。リリース後すぐにヒットには繋がらなかったが、『Romanticが止まらない』のヒットにより過去の作品も見直された。『瞳少女』はロート製薬がスポンサーを務めたTBSテレビクイズ番組クイズダービー』でほぼ毎週オンエアされた。バンド名の表記は、放映開始当初は「ココナッツ・ボーイズ」表記であったが、『Romanticが止まらない』のヒット後に「C-C-B」表記に統一された。マツダのCMでは「ココナッツ・ボーイズ」とカタカナ表記のみ。

「Romanticが止まらない」がヒット[編集]

1985年(昭和60年)1月期に始まるテレビドラマの主題歌担当の話が舞い込み、プロデューサーの渡辺忠孝が実兄の筒美京平にヒットにつながる作曲をと依頼したところ「松本隆が歌詞を書くなら引き受ける」という条件を出された。そして作られた楽曲が出世作となった3枚目のシングル『Romanticが止まらない』である[1]

筒美は、ドラム担当の笠の透明感があるハイトーンボイスを気に入り、メインボーカルに指名した。圧し寄せるプレッシャーの中でレコーディングに挑んだが、何度歌い直してもいつもサビの同じ箇所でメロディーを変えて歌ってしまう(「胸が胸が苦しくなる」の末尾「なる」というメロディーを指示された下げ調子ではなく、上げ調子に歌ってしまう)。しかし筒美は咎めることなく「それで良い」と笠に声を掛け、そのメロディーに変更した[2]

同年1月25日、起死回生をかけた3枚目のシングル『Romanticが止まらない』をリリース。TBSテレビの連続ドラマ『毎度おさわがせします』(1985年1月8日放送開始)オープニングテーマ曲に起用される。同年2月21日、音楽番組ザ・ベストテン』の注目アーティスト紹介コーナー「今週のスポットライト」に出演。そのカラフルな髪色や、当時は珍しかった電子ドラムシモンズ英語版を叩きながらドラマーがリードボーカルを取るスタイルも話題となり、一躍ブレイク。『スクール・ガール』『Lucky Chanceをもう一度』『空想Kiss』と、松本隆・筒美京平コンビによる作品を続けてリリースし、次々とヒットを飛ばした。

その頃から、バンド名の表記をC-C-Bに統一。以前より「CoconutBoys」の略称として「C-C-B」と名乗っていたが、ヒットのおかげで「C-C-B」の呼ばれ方の方が一般に浸透したこともあり、また音楽番組での紹介や雑誌掲載時に統一感がなく、そのたびに説明をする手間や混乱を回避するためでもあった。なお、関口は以前「C-N-B」の略称を提案したが、渡辺が「読みやすいし語呂も良い」とC-C-Bに決定した[3]

同年、『Romanticが止まらない』で第27回日本レコード大賞金賞を受賞。第36回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし『Lucky Chanceをもう一度』を披露した。

1986年(昭和61年)、第15回東京音楽祭に出場。シングルの『元気なブロークンハート』発売を期に、全員がトレードマークのカラフルな染髪をやめ、地毛の色に近いナチュラルな黒髪にした。同年12月、シングル『ないものねだりのI want you』でオリコン1位を獲得。1986年度FNS歌謡祭において『不自然な君が好き』で優秀歌謡音楽賞を受賞。

1987年(昭和62年)1月、関口が脱退を表明。4月6日、よみうりランドEASTでのステージをもって脱退。以後、それまで主にコーラスを担当していた米川がセンターポジションに就いてメインボーカルとして歌う機会が増えた。同年9月、『原色したいね』が明治製菓の菓子「かるかったウエハー」のCMソングに採用される。また、10月公開の劇場アニメ映画『勝利投手』の主題歌に起用(c/w『Love Is Light』も挿入歌として使用されている)。

1988年(昭和63年)1月、『抱きしめたい』が『日立 世界・ふしぎ発見!』のエンディング曲に採用される。

解散[編集]

1989年平成元年)4月21日に出演した音楽番組『ミュージックステーション』において、同年10月に解散する旨を発表。メンバー個々の音楽性・可能性をさらに昇華させる意を込めた解散であること、バンド解散後も各々音楽活動を続けていく予定であると語った。翌4月22日から「汐留PIT[注釈 1]」で2Daysライブが予定されており、そのライブで解散宣言をする予定であったが、会場に足を運べない全国のファンに対して不公平になってしまうと判断し、先にテレビを通じて解散することを発表した。同年4月25日、最終シングル『Love is Magic』をリリース。同年10月9日日本武道館でのライブを最後に解散した。

エピソード[編集]

  • 当初はカラフルな髪の色や派手めの服装、アイドル雑誌やテレビ番組での露出が多かったため「アイドル」「イロモノ」扱いをされることが多かった。20代の男性であるメンバーには少々可愛らしすぎる内容の取材やテレビ出演の際のセット、衣装が用意されることもあった。しかしどのような形であれ、まずは自分たちの名を知ってもらうことを優先すべきと割り切って仕事をこなしていった。バンドを継続出来ない状況に陥ることの方が不本意であった。
  • 「Romanticが止まらない」のヒットから約1年、「一発屋」の下馬評を打破し、人気も安定してきた頃合いを見計らって、髪色をナチュラルカラーに戻した(衣装は年齢相応に落ち着いたものから、奇抜なものまで様々)。しかし、もう少し骨太なロック色の強さを打ち出したいメンバーの思惑と、現状維持を求める周囲の状況は少なからずメンバーを追い詰めていた。仕事と割り切らなくてはいけない一面と、ミュージシャンとしての自我のせめぎ合いに苦しんだ時期である。自分たちに出来ることは何か、求められているものは何か。メンバー内で何度もも話し合いが持たれた。そして辿り着いた指針は、音楽に真摯に向き合い、自分たちにしか出来ない表現でミュージシャンとして勝負し続けることであった。いわゆる「アイドルバンド」と色眼鏡で見られてしまう悔しさやロックバンドとしての実力を認知されにくい状況もあるが、少なくともバンド名が認知されていることは恵まれていると思えば溜飲も下がる。時間は掛かるかもしれないが、少しずつでも必ず結果がついてくると信じてライブや楽曲制作に力を注いだ。途中、メンバーの脱退やそれに伴う編成の変化など紆余曲折があったが、それらも経験の一つと受け止めて成長の糧にしていった。
  • アルバム制作においてメンバーの楽曲が多く採用されるようになると、それまで以上に時間を費やして音作りに没頭し、作詞・作曲・編曲とメンバーの個性や特性が磨かれ、開花していった。それらを盛り込んだアルバムを携え、ロックの要素が色濃くなったライブを年間に数十本こなす傍ら、他のバンドも出演するイベントやセッションにも積極的に参加した。
  • メンバー[編集]

    メンバーの現在の活動については各個人の章を参照。

    渡辺英樹(わたなべ ひでき、1960年2月1日 - 2015年7月13日ベースパーカッション、リーダー)
    • ブレイク当時、ベースを極めて高い位置(胸の位置)で演奏していた。C-C-B後期からは腰の位置での演奏をしている。チョッパー(スラップ)を得意とした。
    • 単独でバラエティ番組やトーク番組のゲストに招かれることも多かった。また、ラジオのパーソナリティも務めた。
    • 解散後も元メンバーとの交流やセッションを積極的に行っており、C-C-B名義を冠したライブやイベントにも多く参加していた。
    • 初期は髪を紫色に染めていた(その後は青やオレンジなど、メンバーの中で一番多く髪色を染め直していた)。80年代前半には斬新だったカラフルな髪色に加え、男性がピアスを左耳にのみ着用していることも物珍しがられた。
    • 解散後は、右耳にもピアスの穴を開けている[5])。
    • 2015年7月13日、急性大動脈解離による多臓器不全のため死去[6]。55歳没。
    笠浩二(りゅう こうじ、1962年11月8日 - 、ドラム
    • ブレイク直後のショッキングピンクに染めた髪とパステルカラーの眼鏡は、C-C-BのカラフルでPOPなイメージコンセプトを象徴していた。現在もC-C-Bとしてのテレビ等出演時には、髪を(一時的に)ピンク色に染めることがある。
    • 1980年代当時、日本ではまだ珍しかったイギリスのシモンズ社(SIMMONS)の電子ドラムの音色、デザイン性の高い六角形パッドのバスドラムトムトムが印象的なドラムセットも併せて話題になった。それを演奏しながら、インカムでメインボーカルをドラマーが担当し、ドラムを叩きながらファルセットを駆使し高音で歌うスタイルは斬新であった。
    • なお、笠は「SIMMONS」の知名度を日本に広めた功績を認められ、後にシモンズ社から限定生産のドラムセットのモニターに選ばれている。
    田口智治(たぐち ともはる、1960年10月27日 - 、キーボード
    • 加入前は近藤真彦バックバンド「ダブルス」に所属。既に武道館での公演も経験しているプロのキーボード奏者であった。生活に不自由はなく順風満帆であったが、ミュージシャンとしての可能性を試したいと悩んでいた時期とココナッツボーイズメンバーからの誘いが合致して決意を固め、1984年に加入。
    • シンセサイザーはヤマハDX7ローランドのjupiter-8を初期から使用し、後期にはD-50コルグM1も使用している。普段は温和でおとぼけキャラだったため「愛すべきイジられ役」であった。
    • 初期は後ろ髪をやや長めに伸ばし、紫色に染めて束ねていた。髪色を戻した1986年から暫く口髭を蓄えていた。
    • 後期のアルバム制作においては作曲・編曲面において中核的な存在であった。
    • シングルのメインボーカルを担当することはなかったが、アルバムでは「Happy Song」や「ないものねだりのI Want You〜ゼイ肉Mix」で一部歌唱したものがある。また2011年に参加したファンキー末吉プロデュースアルバム「We Love Bukufu Slump」収録の「Runner」でも同様にリレー形式で歌っている。
    • ライブにおいては「不自然な君が好き」「元気なブロークン・ハート」など関口のパートを替わりに歌う他、レコードで渡辺が歌っている「スワンの城」のサビのコーラスパートを歌うこともあった。
    • 2015年7月2日、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで神奈川県警察現行犯逮捕[7][8]。それを受け、翌7月3日プロデューサー松木隆裕は、C-C-B名義で出演予定だった音楽イベントやコンサートへの出演を当面の間すべて辞退することを発表[9]。同年、7月23日、覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪で起訴された[10]
    • 2016年4月14日、再度覚醒剤を使用した容疑で神奈川県警察に逮捕[11]。同年5月2日、起訴される[12]。同年7月11日、横浜地方裁判所により懲役1年6か月、うち懲役4か月を保護観察付き執行猶予2年の判決が言い渡された[13]
    米川英之(よねかわ ひでゆき、1964年3月3日 - 、リードギター
    • 音楽専門学校在籍時にスカウトされ、1984年に加入。
    • 関口が在籍時代はボーカルをとることが少なく、主にコーラスを担当。ギターを弾くことに比重を置いていた。関口の脱退後は、関口が歌っていたパートを他のメンバーで振り分けて歌うようになり、米川のボーカルパートも増えた。
    • アルバム「愛の力コブ」の収録曲『ハートブレイク・カラー』でメインボーカルデビュー(当時のラジオ番組「C-C-Bのきまぐれナイト・フェイス」では「米川君が歌ってんの」と紹介された)。初めてメインボーカルを務めたシングル曲は『抱きしめたい』(1987年)である。(ただし、1作前の「原色したいね」でも一部ボーカルを務めている)
    • メンバーで唯一、派手なヘアカラーを入れずに自然な髪色で通した。
    関口誠人(せきぐち まこと、1959年5月2日 - 、ギター)
    • 担当はギター。ココナッツボーイズに参加するまで主にフォークギターを弾いていたため、当初はエレキギターは不得手であった。
    • ライブでは「ラスト・ステップ」や「噂のカタカナ・ボーイ」などの曲でサックスを吹くことや、「Day Dream Believer」や「ハートブレイク・カラー」などの曲でキーボードを演奏することもあった。
    • 結成当初からのメンバーであったが、1987年1月の「中野サンプラザ3Day's」公演最終日に脱退を表明。脱退直前よりソロ活動を始め、シンガーソングライターを主軸とする傍ら、俳優小説執筆、ラジオパーソナリティなどに挑戦した。
    • 初期は髪を緑色に染めていた。黒髪に戻してからは髪を伸ばして後ろで束ねたり、カーリーヘアにしていた。2008年に再結成した際は、当時のイメージを再現するため緑色のカツラを着用した(2009年まで)。
    • AJ-米田渡-及び2015年以降のC-C-B名義の活動には参加せず、ソロ活動を行っている。

    解散後[編集]

    メンバーの活動[編集]

    解散後はメンバーがランダムに集まり、C-C-B名義を使用しないユニットを組んでライブを行っている。渡辺×田口×米川→ヨネタワタルAJ-米田渡-項を参照)、渡辺×米川→WY、渡辺×田口→TANaBE、田口×米川→B×Bなど。

    • 1990年、渡辺・田口・米川の3人の総合ファンクラブ「ヨネタワタルクラブ」発足(C-C-B時代のマネージャーが籍を移したイベント企画会社が運営)。それぞれが今後の指針を模索していた時期であり、会報も3人の近況などを知らせる役割を大きく担った総合紙面であった。この時点では、のちのヨネタワタル(後述「AJ-米田渡-項参照)」のような音楽活動はしていない。1993年に米川がバップレコードに移籍するにあたり同ファンクラブは終息。米川は自身のファンクラブ「Buddy」(会報は1996年まで発刊)を発足。ヨネタワタルクラブでは、各メンバー個別にファンを率いてイベントや小旅行などを実施した。
    • 1994年3月29日、『ザ・ベストテン同窓会II』に5人揃って出演。各自音楽活動を続けている近況を語った。
    • 1999年4月5日ナインティナインのバラエティ番組『ナインティナインの世紀のタイムスリップショー』にゲスト出演(渡辺・関口・笠・田口)。「覚えてますか、あの人?」コーナーで”「Romanticは止まらない」曲中に「Fu」のコーラスは何回か?”というクイズが出題され、答え合わせに出演。出演者のナインティナイン志村けん菅野美穂の前で演奏を披露した。
    • 2002年11月4日、「2002佐賀インターナショナル バルーンフェスタ」にて、笠・渡辺・関口の3人による非公式復活ライブ。
    • 2002年12月31日 - 2003年1月1日放送の、テレビ朝日系列『年越しロンドンブーツ俺達の選ぶTV名場面全部見せちゃうぞSP』に上記の3人で出演。
    • 2003年3月25日放送の日本テレビ系列『学校へ行こう! 奴らがB-RAPに出たのは“なんでだろう”SP』の1コーナー「速報!歌の津軽テン!!」にも、上記の3人で出演。『Romanticが止まらない』津軽弁バージョンを、本人歌唱という形で披露した。
    • 2005年2月21日から放送されたアサヒ飲料缶コーヒー「WONDAショット&ショット」のCMに『Romanticが止まらない』がタイアップされメンバーの笠浩二もこのCMに出演した。これに合わせて2月23日に『Romanticが止まらない』がRemix Versionで再リリースされた(2曲目にOriginal Versionも収録)。
    • 2005年7月からCX系で放送されたテレビドラマ電車男』の劇中挿入歌として『Romanticが止まらない』採用され、ほぼ毎週主人公の大切な場面で印象的に使用された。これによって更に再注目の度合いが増した。
    • 2005年8月16日、NHKが毎年夏に行う大型公開歌謡番組『思い出のメロディー』にて『Romanticが止まらない』が披露された(田口は不参加)。観客を前にした生放送での演奏は実に17年ぶりである。この出演については半年近く前からNHKのスタッフと幾度も打ち合わせを行い、当日のリハーサル直前まで膝をつき合わせたという。一般に知られる通常のアレンジではない、ロックテイストを前面に出したアレンジを米川を中心に行った。
    米川に出演依頼が来た際、解散時と同等以上の演奏を披露することを条件に出演を快諾。「成長したC-C-Bならば、きっとこんな“Romanticが止まらない”になるであろう」と想定したアレンジの草案を提示。他のメンバーも異論なく納得。それを携えて、多くの人が認知しているかつてのカラフルでポップな面影を求めてきたNHKに「これが現在の自分たちのC-C-Bであり、過去のファンにも新たに耳を傾ける視聴者にも胸を張って見せられる形」と臆することなく提示して説得した。それでも、NHK側の事情(時間尺や観客の層など)も汲んで若干控えめなアレンジと演奏になったという。
    この時の参加と、3年後の2008年に渡辺・関口・笠が、当時関口が所属していた事務所に促されてC-C-B名義で再結成したが、戦略も不十分だったために醜態を晒すだけで不発に終わった不甲斐なさにジレンマを感じたメンバー有志が改めて「他者から干渉を受けず、自分達の手で本来のC-C-Bのセルフカバーを」と結成したのがAJ-米田渡-であるという。
    • 2007年10月8日放送の『SMAP×SMAP』で、稲垣吾郎扮するキャラクター・CCB吾郎(笠を模したパロディキャラ)が、番組内での「罰ゲーム」として新宿駅東口広場でゲリラライブを敢行。その際に渡辺・笠・関口の3人がサプライズゲストとして登場し、この日のためだけにブレイク当時を思い起こさせる派手目のカラーを入れた髪と衣装で『Romanticが止まらない』を披露した。
    • 2008年4月17日、渡辺・笠・関口の3人がC-C-B名義での再結成を発表。同月28日、東京・表参道FAB公演を皮切りに、大阪、名古屋でライブを行った。しかし2009年以降、3名によるユニット活動は凍結を経て終了。
    • 2011年、渡辺、田口、笠、米川の4名が、ファンキー末吉プロデュースの爆風スランプトリビュートアルバム『We Love Bakufu Slump』に参加、「Runner」を担当し、クレジットにもC-C-Bと記される。
    2011年9月20・21日、ファンキー末吉所有の「ファンキースタジオ八王子」にて録音。20日の楽器演奏を主体としたレコーディング風景はUstreamで約4時間に渡り生配信された。また翌21日は台風15号直撃の最中に行なわれ、途中で停電に見舞われて中断するなどアクシデントもあった。しかしそれも含めて思い出深いレコーディングになったという。熊本県在住の笠は現場に参加せず、9割方できた音源データを送ってもらい、そこにボーカルを合わせるという別録音形態で作品を完成させた。
    タワーレコード渋谷店の2014年6月7日付・総合チャートにおいてC-C-Bが1位を獲得した[14]。同年6月7日、タワーレコード渋谷店で渡辺と笠がC-C-B名義では初のインストアイベント(トーク&サイン会)を行った。進行役は1980年代当時、音楽雑誌PATi PATi』でC-C-Bを担当していた森田恭子が務めた。
    • 2015年1月21日、過去に発表したオリジナルアルバム9枚が、SHM-CDユニバーサルミュージックより再発売された。1994年に発売された「Plus版」に収録されたようなボーナストラックは収録されておらず、本来のオリジナルアルバムと同じ内容である[15]
    • 2016年10月14日、米川がアルバム発売記念ライブを開催し、ライブの模様はニコニコ生放送の公式チャンネルで生中継された[16]。そのライブのMCで、ユニバーサルミュージックより米川、渡辺のバンド"VoThM"、笠、それぞれのベスト盤がリリースされる旨を発表し、同年12月21日に3作品が同時リリースされた。
    • 2017年7月、『笠浩二 Live Tour2017 feat.米川英之』のライブスケジュールの詳細を発表。、開催都市には2015年6月に『C-C-B TOUR 2015 「Welcome to the C-C-B SHOW」 〜昔の名前で出ています〜』公演を行う予定だった都市を含み、同年11月3日 - 8日まで4都市で行われ、笠のソロ活動および米川が作曲・編曲に関わるC-C-Bの楽曲を披露した。
    • 2020年10月31日、同年10月7日に他界した筒美京平を偲ぶ特集番組『NHKスペシャル 筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔』に笠が出演。C-C-Bをメジャーシーンに押し上げたきっかけとなった『Romanticが止まらない』のメインボーカルに笠を起用した経緯や秘話を語った。
    • 2021年4月17日・18日、『〜筒美京平 オフィシャル・トリビュート・プロジェクト〜ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート』が東京国際フォーラムにて開催された。笠と米川がC-C-Bとして両日参加。筒美が作曲した「Romanticが止まらない」「Lucky Chanceをもう一度」の2曲を披露した。

    AJ-米田渡-[編集]

    • 2004年、C-C-B解散後に渡辺・田口・米川の総合ファンクラブの名称として使用したヨネタワタル名義を、3人の音楽ユニットの名義としても使用する旨を発表。同年7月6日・8日に青山円形劇場において「CCB21☆LIVE'04 Project vol.1 FROM ヨネタワタル」と銘打ったライブを行った。6日分のチケットが即日完売になったことを受けて、8日の追加公演が急遽決定した(8日はサプライズゲストとして笠が登場)。なお、ライブの模様はビデオ撮影がなされ後日販売も計画されていたが、諸事情により暗礁に乗り上げお蔵入りのままになっている。
    • 2011年、「ヨネタワタル」を「AJ-米田渡-」名義に改め再始動。
    「AJ」とは田口の弁によると、米田渡の打ち合わせをしている席で、参加メンバー3人の名前の漢字1文字を並べて「英・治・英」→「えい・じ・えい」→「えいじえぃ」→「エージェー」→「AJ」としたとのこと(何故名前を並べたのか、文字の選択基準などは不明)。
    C-C-B時代にメンバーが作った楽曲を主にセットリストに組んだライブを基盤とする主旨を掲げている。同ユニットにおいては、結成を呼びかけた米川がリーダーである。
    • 2011年7月3日・神戸CHICKEN GEORGE、4日・名古屋THE BOTTOM LINE、6日・渋谷DUO MUSIC EXCHANGEの3会場で『冒険のスズメ』ライブを行った。同年10月27日にはBLUFF Hornsをゲストに迎え『田口智治Birthday Live「田口★祭」』を Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて行った。同日、7月に行なわれたライブを収録したDVD『AJ-米田渡-TOUR 2011「冒険のスズメ」』を発売。
    • 2012年2月1日、『AJ-米田渡- Presents 渡辺英樹 Birthday Event「30周年リサイタル」』を開催。過去に渡辺が参加したバンドやユニット(AJ-米田渡-、THE GATES、三喜屋・野村モーター'S BAND)、客演としてBLUFFも出演し、ライブを行なった。このライブを一区切りとして「AJ-米田渡-」の今後の活動は未定としていたが、同年6月20日に行ったUstreamでの配信において、2011年と同様に『田口智治Birthday Live「田口★祭2」』を「AJ-米田渡-」のメンバーで開催する旨を発表した。
    • 2012年10月27日、『田口智治Birthday Live「田口★祭2」』を開催。「田口★祭」が毎年恒例となるかは具体的には未定であるというが、田口は「(できれば)続けたい」とライブのMCで語った。
    • 2013年2月1日(渡辺の誕生日)から同年3月3日(米川の誕生日)まで、『AJ-米田渡- TOUR 2013 「Let's Go Climax」』と銘打ったライブツアーを行った。同年7月13日、『AJ-米田渡- DVD Release&ファンキー末吉Birthday Live「末吉のススメ」』と銘打ったライブを開催。
    • 2013年11月10日、本ユニットのプロデューサーでもあるBLUFFの松木隆裕が主催したライブ『松木セッション』に参加。AJ-米田渡-名義での客演ではないが、ライブでは「AJ-米田渡-コーナー」が設けられ、オリジナル曲やC-C-Bの楽曲を披露した。
    • 2014年3月2日、『米川英之30th Anniversary LIVE』が行われた。AJ-米田渡-コーナーが設けられた。
    • 2014年3月14日、ファースト・ミニアルバム『AJ』をリリース。同年3月2日に行われた「米川英之30th Anniversary LIVE」の会場で先行販売され、同時にサイン会も行われた。C-C-B時代にライブで演奏されていた未音源化曲「赤いセーターの女の子」も収録されている。
    • 同年6月13日から28日まで、『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」』ツアー敢行。九州での2公演(熊本・福岡)にゲストとして笠浩二を迎える。解散時の4人が集結しC-C-Bの曲を演奏するのは「ヨネタワタル」が行った2004年の青山円形劇場公演(アコースティックライブ。笠はサプライズゲストで登場したが、痛風の痛みから思うように足が動かせず、ドラムセットは使わずタンバリンでの参加)以来、実に10年ぶりとなる。
      • 同年6月28日、新宿BLAZEにて『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」FINAL』公演。終盤のMCにおいて、2015年2月1日(渡辺の55歳の誕生日)に『ゴーゴーヒデキ』と冠したライブを開催する旨を発表。ライブは三部構成を予定しており、オープニングアクトに“AJ-米田渡-”、中盤に“WY”、メインアクトは“C-C-B”で行うと発表した。
      • 同年10月27日、田口智治の誕生日を祝うトーク&ライブ『田口智治バースデーパーティー?ライブ?』をニコニコ生放送で生中継した。終盤のMCにおいて『ゴーゴーヒデキ』の追加公演決定(2015年1月30日、神戸CHICKEN GEORGE)を発表。C-C-B名義でのワンマンライブを企画している旨を明らかにした。解散時の4人が同列に名を連ねた「C-C-B」として観客を前に演奏を披露するのは、1989年10月9日の解散コンサート以来となった(『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」』九州公演では笠はゲスト扱いであった)。
    • 2015年2月1日、新宿BLAZEにて『AJ-米田渡-×WY×C-C-B「ゴーゴーヒデキ」』公演。終盤のMCにおいて、2015年6月に『C-C-B TOUR 2015 「Welcome to the C-C-B SHOW」 〜昔の名前で出ています〜』と銘打ったC-C-B名義でのワンマンライブツアーを行うと発表した。しかし同年6月13日に渡辺が緊急入院したためライブ全公演中止を発表、同年7月13日に渡辺が逝去したため、解散時の4人での「C-C-B」ライブは事実上不可能となった(後述)。

    渡辺の逝去[編集]

    2015年1月30日、明後日2月1日の渡辺のバースデーライブ『「ゴーゴーヒデキ」前夜祭』として、C-C-B名義でのワンマンライブが行われた。解散時の4人が同列に名を連ね「C-C-B」として観客を前に演奏を披露したのは、1989年10月9日の解散コンサート以来である。

    同年2月1日、『AJ-米田渡-×WY×C-C-B「ゴーゴーヒデキ」』において、2015年6月に『C-C-B TOUR 2015 「Welcome to the C-C-B SHOW」 〜昔の名前で出ています〜』と銘打ったC-C-B名義でのライブツアーを行う旨を発表した(2015年6月14日・ 熊本 DRUM Be-9 V1、19日・名古屋THE BOTTOM LINE、21日・神戸CHICKEN GEORGE、23日・赤坂BLITZ)。

    同年6月12日夜、渡辺が自宅で体調を崩し、吐き気などを訴えて救急搬送された。搬送先の病院で大動脈解離と診断され、緊急手術を受け入院。6月14日から予定していたワンマンライブツアー全公演を中止とした[17]

    なお、6月23日に予定していた赤坂BLITZの会場は、宇都宮隆が中心となって開催されるライブ・イベント『LIVE UTSU BAR 〜それゆけ歌酔曲!〜』の追加公演になった。これは同ライブの出演者でもあり、渡辺とも親交の深い野村義男が同イベント参加メンバーに賛同を得て急遽決定したものである[18]。また、追加ライブ告知において追記事項に「渡辺英樹さんへのエールになってくれたら幸いです」と出演者の連名が記載された[19]。6月23日の公演では会場内にC-C-BのアルバムやDVDが展示され、MCで宇都宮と野村が「Romanticが止まらない」の一節を歌ったが、本編ではC-C-Bの楽曲演奏はせず「それは本家が演るから歌わないよ」とC-C-Bにエールを送った。

    同年7月17日、公式ブログにて渡辺が急性大動脈解離による多臓器不全のため、2015年7月13日18時5分に逝去したこと、既に近親者のみで通夜及び告別式を執り行ったことを報告。同時にプロデューサーの松木がファックスでマスコミ各社に発表した[20]

    同年8月10日、新宿BLAZEにて『お別れの会』として2部制の式典を行った。第1部はチケットなしで参加できる献花式で、C-C-Bの楽曲『Lucky Chanceをもう一度』の歌詞にちなみ、ピンクの薔薇が献花され、渡辺の愛用した楽器や衣装なども展示された。第2部は渡辺と縁の深かったミュージシャンがステージに上がり、後方に設置されたスクリーンに映し出された渡辺と「共演」するライブを開催。ステージには渡辺の衣装を着せたトルソーと愛器のベースが佇み、その横のサイドテーブルには笑顔の写真と2月のバースデーライブで作ったグッズ「ゴーゴーヒデキ」タオルなどが置かれた。ライブの模様の一部はニコニコ生放送で生中継され[21]、視聴者26,646人、コメント数20,800を記録した。

    2016年より命日である7月13日に、渡辺の愛器のベースをステージに上げ、親交のあったミュージシャンと「共演」するライブを行っている。

    作品[編集]

    シングル[編集]

    1. Candy(1983年6月1日)
    2. 瞳少女(1984年7月25日)
    3. Romanticが止まらない(1985年1月25日)
    4. スクール・ガール(1985年4月25日)
    5. Lucky Chanceをもう一度(1985年8月21日)
    6. 空想Kiss(1985年11月27日)
    7. 元気なブロークン・ハート(1986年4月9日)
    8. 不自然な君が好き(1986年8月27日)
    9. ないものねだりのI Want You(1986年12月10日)
    10. 2 Much,I Love U.(1987年6月3日)
    11. 原色したいね(1987年9月23日)
    12. 抱きしめたい(1987年12月2日)
    13. 恋文(ラブレター)(1988年4月13日)
    14. 信じていれば(1988年10月25日)
    15. Love Is Magic(1989年4月25日)

    12インチシングル[編集]

    オリジナルアルバム[編集]

    1994年10月26日、初期の2作品を除いて、アルバム発売時前後にリリースしたシングル盤を収録し“Plus版”として再リリースされた(既に廃盤)。
    2015年1月21日、9作品をオリジナルと同じ内容で再リリース。
    1. Mild Weekend(1983年6月25日)
    2. Boy's Life(1984年8月25日)
    3. すてきなビート(1985年5月25日)
    4. 僕たちNo-No-No(1985年12月15日)
    5. 冒険のススメ(1986年6月18日)
    6. 愛の力コブ(1986年12月15日)
    7. 石はやっぱりカタイ(1987年7月25日)
    8. 走れ☆バンドマン(1988年5月25日)
    9. 信じていれば(1988年12月15日)

    ライブ・アルバム[編集]

    企画アルバム[編集]

    ミニアルバム[編集]

    AJ-米田渡-名義

    • AJ(2014年3月14日)※同年3月2日ライブ会場にて先行販売

    未音源化作品[編集]

    • オープニングラップ 作詞:渡辺英樹・関口誠人 / 作曲:田口智治・米川英之・笠浩二
    • カラフルコミックス 作曲:田口智治・渡辺英樹・米川英之・関口誠人・笠浩二
    • グットナイトは早すぎる 作詞・作曲:関口誠人
    • イタイケSugar Boy 作詞・作曲:渡辺英樹

    ベストアルバム[編集]

    1. 楽しい夏休み(1985年6月25日)
    2. The Best of C-C-B Vol.1(1989年6月1日)
    3. The Best of C-C-B Vol.2(1989年9月1日)
    4. C-C-B Super Best(1992年1月25日)
    5. ベスト2500/Romanticが止まらない(1993年11月1日)
    6. SINGLE COLLECTION(1994年10月26日)
    7. スペシャル1800(1996年11月21日)
    8. TREASURE COLLECTION(1999年6月30日)
    9. すてきなビート(テクノ歌謡DX ポリドール編)(2000年5月25日)
    10. スーパー・バリュー/C-C-B(2001年12月19日)
    11. GOLDEN☆BEST C-C-B(2003年11月26日)
    12. プライム・セレクション C-C-B(2006年1月18日)
    13. エッセンシャル・ベスト C-C-B(2007年8月22日)
    14. C-C-B シングル&アルバム・ベスト 曲数多くてすいません!!(2014年6月4日)
    15. エッセンシャル・ベスト 1200 C-C-B(2018年3月21日)

    その他[編集]

    • RASPBERRY AVENUE - 1982年にKIDSレーベルで企画・発売されたコンピレーション・アルバム
      当初はカセットテープでリリース。「KIDS」の放送が受信できる半径500m内の路上や一部店舗での委託販売(主に青山、表参道原宿界隈)。翌1983年に同内容で『KIDS PRESENTS “RASPBERRY SOUND”』のタイトルでプロモーション用LPとして再発売。2012年9月に『KIDS PRESENTS “RASPBERRY SOUND”』としてCD化。
      同アルバムにはオレンジ・シスターズパイナップルボーイズらの曲も収録され、ショーケース的な意味合いも含まれた作品である(この企画に参加したバンドは全て果実の名が付けられた)。当時ハワイのFMラジオ放送局KIKI(現在のKHJZの前身)が放送を録音したカセットテープを販売していた手法を真似て、DJ風の楽曲紹介と音楽を取り入れた。
      『Mild Weekend』収録曲とは別バージョンを収録している。
      「Romanticが止まらない」以前に発表されたアルバム『Mild Weekend』、『Boy's Life』、シングル『Candy』、『瞳少女』はKIDSレーベルから発売されていた。『Romanticが止まらない』のヒット以降、ポリドール・レコード(現:ユニバーサルミュージック)に版権が移った。
    • 愛のメドレーセッション - 東海テレビの音楽番組『音もダチだぜ!気分はセッション』で制作された企画ものレコード(非売品)。
      同番組に出演したミュージシャンらが歌詞を歌い繋げるメドレー形式。C-C-Bは1サビを担当。バブルガム・ブラザーズスターダストレビュー堀内孝雄、C-C-B、TOPS岡村靖幸TUBE鈴木聖美&鈴木雅之レッド・ウォリアーズ横山輝一の順。
    • We Love Bakufu Slump - 2011年12月25日発売。爆風スランプのトリビュートアルバム。
      渡辺・田口・笠・米川の4人が参加し「Runner」を担当。クレジットには「C-C-B」と記載。2013年1月15日発売の同アルバムのコンプリート盤『爆風トリビュートComplete』にも収録されている。
    • C-C-B 田口君の“ラッキーボードをもう一度”(1986年6月1日、シンコーミュージック)
    • C-C-B 米川君の“ロック・ギターが止まらない”(1986年6月1日、シンコーミュージック)

    映像作品[編集]

    • C-C-Bの大冒険(1985年11月25日)
    • C-C-B LIVE晴(1986年7月5日)
    • C-C-B LIVE TOUCH AND GO(1987年5月25日)
    • C-C-B IN BUDOKAN 1987・SEP/7▸8 PERFECT-LIVE Vol.1 / Vol.2(1987年)- ファンクラブ限定販売
    • C-C-B ビデオクリップ コレクション(1989年9月1日)
    • C-C-B FINAL CONCERT TOUCH DOWN Vol.1 / Vol.2(1989年11月25日)
    • C-C-B メモリアル DVD BOX(2004年9月29日)
      2015年11月4日にアンコールプレスされ再リリースされた。DVDの内容は2004年盤と同一。
      米川のHP内のオンラインショップで予約を受け付けた分には、同年6月に行われるはずであったC-C-Bのワンマンライブツアーのロゴが入ったミニトートバッグ、2月に行われた『ゴーゴーヒデキ』のフォトカード、8月に行われた『お別れの会』で配られたポストカード、渡辺が衣装として着用していたシャツを小さくカットした布片など数点が限定特典として同封された。
    AJ-米田渡-名義
    • AJ-米田渡-TOUR 2011『冒険のスズメ』LIVE DVD(2011年10月27日)
    • AJ-米田渡-TOUR 2013『Let's Go Climax』LIVE DVD(2013年7月13日)
    • AJ-米田渡-×WY×C-C-B LIVE DVD『ゴーゴーヒデキ』(2015年6月14日)

    関連書籍[編集]

    • Don't stop the C-C-B:C-C-B photo & song CoConut Boys(1985年7月、日音
    • コミックザカメラボーイ:C-C-B写録&語録 ボクらが、ボクらを、ズームした(1985年11月、日音)
    • C-C-B yes,100熱(1986年11月、ワニブックス
    • C-C-Bネイキッズ(1987年2月、シンコーミュージック
    • C-C-B go ahead:写真集・終章[4・6 east]からのスタート(1987年9月、シンコーミュージック)
    • C-C-B寝たふり:Memorial(1989年11月、シンコーミュージック)
    • C-C-B PERFECT BOOK(1989年11月25日、ポリドール株式会社)
    • Close/C-C-B(1989年12月、CBS・ソニー出版

    タイアップ商品[編集]

    • ブルボン「懐メロクッキー」(2003年4月22日 - 5月5日) - 期間限定商品。全国のローソンのみで発売。60年代 - 80年代に流行した歌謡曲の8cmCDを1枚おまけとして貼付。全9種。C-C-Bは『Romanticが止まらない』を提供。
    • ファンデリー「CCB カロリー・コンロトール・ボックス」(2008年 - 2009年) - 栄養価・カロリー計算をされた食事(弁当)宅配サービス。商品名の頭文字と同じC-C-Bをイメージキャラクターに起用。関口をモニターとしてダイエットブログも並行してサイトに掲載していた[注釈 2]
    • サントリーフーズBOSS 懐かしのヒット曲歌謡祭」第4弾(2011年9月20日発売) - 6缶パックケース側面に1箱あたり8cmCDを1枚を貼付して販売(シリーズ第1弾は8月16日発売。全30曲)。C-C-Bは9月20日からの第4弾シリーズでカフェオレ缶に『Romanticが止まらない』を提供。共に数量限定。

    出演[編集]

    テレビ番組[編集]

    • 毎度おさわがせします(1985年 - 1987年、TBS) - 第1シリーズから第3シリーズまで、全て主題歌を担当しオープニングVTRにも登場。また『1』第5話「ロマンティックが止まらない」ではライブバンド(ココナッツ・ボーイズ名義)、『2』第4話「空想KISS」では主人公・徹らの先輩でありプロを目指しているバンドマン(何故か銭湯の女湯にも乱入)役で5人揃って出演している。
    • C-C-Bのファーストドリーム(1986年1月2日、TBS) - お正月特番。歌ありコントありのバラエティ番組。ただしメンバーにとっては「不本意な出演だった」と述べており[23]、いわゆる黒歴史扱いになっている。
    • レッツ・ラ・ゴー!(1986年1月9日 - 3月20日、TBS) - 「COCONUT倶楽部」コーナーを担当。視聴者からの質問に答えるなどトーク主体。コーナー内で必ず一曲は演奏を披露した。
    • MTV Music Television(1986年、朝日放送) - 邦楽PVを紹介するコーナーを担当。

    NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

    年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
    1985年(昭和60年)/第36回 Lucky Chanceをもう一度 05/20 柏原芳恵
    注意点
    • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

    ラジオ番組[編集]

    CM[編集]

    • 1983年、全農「ヨープレイト」 - 1stシングル「Candy」が起用された。出演はなし。
    • 1984年、ロート製薬「なみだロート」 - 2ndシングル「瞳少女」が起用された。出演はなし。
    • 1985年、ファーストキッチン 夏限定「祭シェイク」 - アルバム「すてきなビート」収録曲「二人のシーズン」が起用された。「C-C-Bの大冒険」で使用されたアニメキャラクターを採用。出演はなし。
    • 1987年、明治製菓「かるかったウエハー」 - シングル「原色したいね」が起用された。出演はなし。
    • 1987年、モーリス楽器製造 - エレクトリックアコースティックギターのカタログに米川が起用された。2パターン、紙面のみ。
    • 1989年、HONDA オートバイ「ホンダ・AX-1」 - イメージキャラクターに笠が起用された。ポスター、カタログ、リーフレット等の広告媒体に登場。楽曲使用はなし。
    • 1989年、UCC上島珈琲缶コーヒー「UCC CAN COFFEE」 - 笠の楽曲「30センチでつかまえて」が起用された。出演はなし。この楽曲はタイアップではなくCM曲として制作されたが、ファンからの強い要望に応えフルコーラスを制作、ラジオレギュラー番組「Let it C-C-B」で発表した。C-C-B解散後にアレンジを変え、笠のソロデビュー曲として発売された。

    脚注[編集]

    [脚注の使い方]

    注釈[編集]

    1. ^ 国鉄汐留駅廃止後、跡地に期間限定で開設されたライブ会場。当時はこの地で多数のアーティストがライブを開催した[4]
    2. ^ 2013年10月16日付で特設サイト[22]は閉鎖。系列の食事通販サイトに販売を移行した。

    出典[編集]

    1. ^ 「Romanticが止まらない/C-C-B」」”. 「食卓ON楽」アーカイブ (2011年7月1日). 2020年11月5日閲覧。
    2. ^ 自分が好きなものを作るんじゃない”. NHKニュース (2020年11月4日). 2020年11月5日閲覧。
    3. ^ 結成初期のファンクラブ会報には「C・Boys」の呼称表記もみられる。
    4. ^ この日何の日?1989年4月29日 音楽が聴こえてきた街:スカタライツ伝説の初来日公演と汐留PIT Re:minder 80年代音楽エンタメコミュニティ
    5. ^ 現在…の”. 渡辺英樹オフィシャルブログ「COLORS」 (2007年3月30日). 2017年2月2日閲覧。
    6. ^ C-C-B渡辺英樹さん多臓器不全で亡くなっていた”. 日刊スポーツ (2015年7月17日). 2015年7月17日閲覧。
    7. ^ C-C-B元メンバーを逮捕 覚せい剤所持容疑”. カナロコ. 神奈川新聞社 (2015年7月2日). 2015年7月2日閲覧。
    8. ^ C-C-B 元メンバー逮捕 覚せい剤所持「自分で使うために」”. スポニチ (2015年7月3日). 2015年7月3日閲覧。
    9. ^ C-C-B、予定の音楽イベントなどすべて出演辞退”. サンスポ (2015年7月3日). 2015年7月3日閲覧。
    10. ^ 覚せい剤所持、使用で「C-C-B」元メンバー田口容疑者を起訴”. Sponichi Annex (2015年7月24日). 2015年8月17日閲覧。
    11. ^ 「C-C-B」元メンバーを逮捕 覚醒剤使用容疑、神奈川県警 共同通信2016年4月14日
    12. ^ 元C-C-Bメンバー起訴、覚せい剤使用の罪、横浜地検”. カナコロ (2016年5月2日). 2016年10月31日閲覧。
    13. ^ “元CCB田口智治被告、覚醒剤使用で一部執行猶予”. 日刊スポーツ. (2016年7月11日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1676930.html 2016年10月31日閲覧。 
    14. ^ タワーレコード渋谷店 Twitter 2014年6月8日付
    15. ^ 『C-C-B』特設サイト UNIVERSAL MUSIC JAPAN
    16. ^ 【米川英之】New Album 「CALLIN'」Release Live 初台 The Doorsより生中継”. ニコニコ生放送:GINZA (2016年10月14日). 2016年10月31日閲覧。
    17. ^ 【C-C-B Tour 2015「Welcome to the C-C-B SHOW」公演中止のお知らせ】”. 渡辺英樹オフィシャルブログ『COLORS』 (2015年6月13日). 2015年6月15日閲覧。
    18. ^ 野村義男ブログ「のむ山紀信?写真館」2015年6月17日付
    19. ^ 宇都宮隆公式サイト「MAGNETICA.NET」『LIVE UTSU BAR 〜それゆけ歌酔曲!〜』追加公演決定! 2015年6月18日付
    20. ^ 渡辺英樹、逝去のお知らせ”. 渡辺英樹オフィシャルブログ『COLORS』 (2015年7月17日). 2015年7月17日閲覧。
    21. ^ 【C-C-B渡辺英樹】お別れ会「ヒデキファイナル」の一部を会場より生中継”. ニコニコ生放送:GINZA (2015年8月7日). 2015年8月7日閲覧。
    22. ^ CCB カロリー・コンロトール・ボックス[リンク切れ]
    23. ^ 『C-C-B MEMORIAL 寝たふり』シンコーミュージック、1989年10月[要ページ番号]

    関連項目[編集]

    外部リンク[編集]

    C-C-B
    渡辺英樹
    笠浩二
    米川英之
    田口智治
    関口誠人