田口智治

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田口 智治
生誕 (1960-10-27) 1960年10月27日(56歳)
出身地 日本の旗 日本東京都足立区
ジャンル クラシックポップス
職業 キーボード奏者
担当楽器 鍵盤楽器(主にキーボード
活動期間 1982年 -
共同作業者 C-C-B
公式サイト 田口智治公式サイト
(リンク切れ)

田口 智治(たぐち ともはる、1960年10月27日 - )は日本のキーボード奏者。1980年代に活躍したC-C-Bのメンバー。身長169.5cm。

C-C-B解散後、音楽活動を続ける傍ら、地元である東京都足立区を中心にボランティア活動に参加していた。

来歴[編集]

  • 東京都足立区出身。二人兄弟の次男。
  • 10代の頃よりアマチュアバンドで活動、キーボード奏者として名をあげる。高校に通っていた頃、かつて同じバンドで活動していた伊藤真視の誘いを受けて、近藤真彦の第二期専属バックバンド「ダブルス」に加入、初期メンバーとしてプロ活動を始める。ダブルスのメンバーとなり、それなりの収入もあったが、プレイヤーとしての個性を発揮しきれないジレンマも感じていた。また、「大手のジャニーズ事務所の傘の下に所属していれば安泰だろう」と揶揄されたこともあり、ミュージシャンとしての可能性を伸ばしたいと考えるようになっていた。
  • 1984年初め、アマチュアバンド時代より交流のあった渡辺英樹笠浩二が参加していたC-C-B(当時はCoconutBoys名義)の初期メンバー2名(キーボーディストとギタリスト)の脱退を知る。C-C-Bへの誘いを受けたが当初は断っていた。しかし上記の理由もあり、考えた末に受諾する。C-C-Bの2枚目のシングル『瞳少女』から正式にメンバーとしてレコードジャケットにクレジットされる(ギタリストの米川英之も同時期に新メンバーとして加入)。ダブルス時代と違い収入は激減、アルバイトを兼業しながらバンド活動を続けた。
  • 1985年、『Romanticが止まらない』でブレイク(C-C-Bでの活動はC-C-B#バンドの構成・特徴・総評項など参照)。以降、生活が激変するほど多忙になる。オリジナルアルバムに多く収録されている楽曲の作曲・編曲にも才能を発揮する。プログレやハードロック、クラシックの要素を取り入れた作曲やアレンジは他の追随を許さないほど豊かな感性で彩られ、メンバーも一目置く存在となり、特にレコーディングや楽曲作りに重点を置き始めた中期以降はC-C-Bの音楽性を牽引する一人となった。
  • 1989年10月、C-C-B解散。その後は特定のバンドに所属することはなく、多くのアーティストやバンドとのセッションやユニットに参加。C-C-Bの元メンバーとユニットを組んでライブを行うことも多い。
  • 2004年、渡辺英樹、米川英之、田口の3名でユニット『ヨネタワタル』を結成、7月6日に青山円形劇場でライブを敢行。チケットは即完売となり、7月8日に追加公演が決定する盛況を収めた。
  • 2012年10月27日、再び田口の名を冠したライブ『田口智治Birthday Live「田口★祭2」』をAJ-米田渡-のメンバーで開催。「田口★祭」が毎年恒例になるか、具体的には未定であるというが田口は「(出来れば)続けたい」とライブのMCで語った。2014年には『トモちゃんのお誕生日会「タグティーパーティー!』を川口・SHOCK-ONで開催。ライブの模様はニコニコ生放送で中継された。
  • 2015年4月27日、腹部に強い痛みを訴え入院(5月8日に退院)[1]。5月16日に渡辺英樹とのユニット・TANaBEのライブで仕事復帰した。
  • 2016年1月1日、前年4月に経験したような強い痛みを腹部に覚え、翌日病院でCT検査したところ大腸に穿孔が認められたため、即日、大腸の一部を切除する手術を受けた(約2週間の入院を要したのち、1月15日に退院)[2]
  • 2015年7月2日、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで神奈川県警察薬物銃器対策課逮捕された[3]。7月23日、起訴される[4]。9月16日、横浜地方裁判所において懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(求刑懲役1年6ヶ月)の有罪判決を言い渡された。初公判であったが田口は起訴内容を認めたため即日判決となった[5][6]
  • 9月17日、自身のホームページのトップ画面に「お詫び」と題した直筆の謝罪文を掲載。7月の逮捕からおよそ2ヶ月半、初めて田口自身の言葉で反省の弁を表した(同年9月19日よりトップ画面のみの表示、掲示板などは削除され閲覧不可能)。Facebookは同年11月後半より再び更新されるようになり、愛猫を愛でる様子や健康に留意した食生活を心掛けている様子を伝えていた。
  • 2016年4月14日、再度覚醒剤を使用した容疑で神奈川県警察に逮捕された[7]。5月2日、起訴される[8]。7月11日、横浜地方裁判所により懲役1年6ヵ月、うち懲役4ヵ月を保護観察付き執行猶予2年の判決が言い渡された[9]

人物・エピソード[編集]

  • 電子楽器のキーボードを演奏することから、機械全般に詳しいと思われがちだが、実際はあまり得意ではない。一台で何通りもの音色(おんしょく)を奏でるキーボードは演奏中に手早く設定を変える操作などが必要になるが、田口はその操作が得意ではないため、必要な音色を設定してある複数のキーボードを配置して演奏をしている。設定を変える必要があるときは曲と曲の合間(MCタイム)や、共演者がソロ演奏をしている際に行なっている。AJ-米田渡-ではC-C-B時代に愛器としていたローランドJupiter-8も使用している[10]
  • ファンキー末吉が経営するライブハウス[11]では『田口Bar』と銘打ち、ひとりでライブを行うこともある(歌とピアノとトーク)。また、同ライブではステージを降りて客席で酒の相手もする。時には自らを用意して提供している。得意料理のひとつタンドリーチキンは定番メニューである。
ライブで歌う機会も増えたが(AJ-米田渡-でのボーカルや、B×B、田口Barでの弾き語りなど)、複雑なメロディラインやコード進行を弾きながらの歌唱は基本的に苦手である。
  • 酒も煙草も嗜む。甘い物も好んで食しており、C-C-B時代はかなり痩身だったが中年期以降、やや豊かな体型になった(本人はさほど気にしていない)。また頭髪も寂しくなってきたこともあり帽子も好んで被っている。C-C-B時代から温泉が好きで暇を見つけては出掛けている。幼少期より先天赤緑色覚異常のきらいがあり、赤系統の弁別に困惑することがあるという。近年は年齢相応に老眼の兆候が出始めたため、日常的に眼鏡をかけている。愛猫家であり、自身のHPやfacebookに愛猫の話題や写真を掲載することが多い。
  • 家族と同居していた頃は家事の一切を担っていた。料理はあまり得意ではなかったが、家族が体調を崩した折に医師から食事指導を受けて以降、レシピを見ながら懸命に作るようになったという。2016年4月現在、自身の体調不良もあり、外食は控えて自炊を心掛けていた。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 病名は公式サイトなどでは明らかにされていないが、後日、B×BライブにおいてMCの際に来場者に病名を打ち明けている。
  2. ^ 公式Facebook 2016年1月15日付。
  3. ^ 「C-C-B」元メンバーを逮捕 覚せい剤所持容疑 産経新聞2015年7月2日。報道において「元メンバー」となっている。2015年1月30日及び2月1日にC-C-B名義でライブを行っており、6月にもライブを行う予定であったが(渡辺英樹が大動脈瘤解離を発症したため公演は中止)あくまでAJ-米田渡-の延長線上においての一時的なユニットであり、7月2日時点では解散時の4人で正式にC-C-Bを再結成するとの明言はされていないため。
  4. ^ 覚せい剤所持、使用で「C-C-B」元メンバー田口容疑者を起訴”. Sponichi Annex (2015年7月24日). 2015年7月24日閲覧。
  5. ^ 元C-C-B田口被告、涙で謝罪「非常に申し訳ない」渡辺さん死去は逮捕後知る”. スポーツ報知 (2015年9月16日). 2015年9月16日閲覧。
  6. ^ 覚せい剤使用C-C-B元メンバー田口被告に有罪”. カナコロ (2015年9月16日). 2015年9月16日閲覧。
  7. ^ 「C―C―B」元メンバーを逮捕 覚醒剤使用容疑、神奈川県警 共同通信2016年4月14日
  8. ^ 元C-C-Bメンバー起訴、覚せい剤使用の罪、横浜地検”. カナコロ (2016年5月2日). 2016年5月3日閲覧。
  9. ^ “元CCB田口智治被告、覚醒剤使用で一部執行猶予”. 日刊スポーツ. (2016年7月11日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1676930.html 2016年7月11日閲覧。 
  10. ^ C-C-B時代に使用していたキーボードは、解散後から当時のスタッフの実家の倉庫に預けられたままだったという。AJ-米田渡-でC-C-Bの楽曲を演奏するにあたって再び田口のもとに戻ってきた。キーボードに損傷や不備は一切無くキーボードのメモリーバンクに音色もそのまま残っていた。ライブではその音色を多様に活用している。
  11. ^ 八王子「Live Bar X.Y.Z.→A」

外部リンク[編集]