河合その子

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かわい そのこ
河合 その子
プロフィール
生年月日 1965年6月20日
現年齢 51歳
出身地 日本の旗 日本愛知県知多郡横須賀町(現 東海市
血液型 B型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 cm / kg
活動
ジャンル アイドル
所属グループ おニャン子クラブ
活動期間 1985年1990年
2010年
著名な家族 後藤次利(夫)
他の活動 歌手シンガーソングライター
レーベル CBS・ソニー
アイドル: テンプレート - カテゴリ

河合 その子(かわい そのこ、1965年6月20日 - )は、日本の元歌手。本名: 後藤 その子(ごとう そのこ)[要出典]。旧姓: 河合愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)出身[要出典]

女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は12番。現役当時は渡辺プロダクションイザワオフィスに所属していた。引退後は出身地である愛知県東海市にある実家近くに居を構える専業主婦であったが、2010年に芸能活動を再開した。

来歴[編集]

1983年
CBSソニー主催のオーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で準優勝となり、ソニーに所属し芸能界入りのきっかけを作る(優勝は当時中学1年の沢田玉恵)。このコンテストは楽器演奏を条件としていて、川島みき(後の川島だりあ)や宮原学なども参加していた。第2回の優勝者が谷村有美ということからも、アイドル系のオーディションとはやや趣向が異なっていた。しかしその後はレコード会社対抗の運動会にソニー代表で呼ばれた以外は何の音沙汰もなく、日本福祉大学付属高等学校を卒業後、コンピューター系専門学校に進学する[1][2]

おニャン子クラブへの加入[編集]

1985年

3月、既に就職も内定していたが、4月から始まるフジテレビの新番組『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナーに出てほしいとの誘いを受け、「2日くらいで済むだろうから帰りに原宿行ってショッピングでもしよう」と気軽な気持ちで承諾し[3]、4月1日から番組内の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」の第1回目に出場するや、140点という高得点で合格。この得点は、立見里歌の142点に次ぐ歴代2位の記録であった。同時に合格した内海和子富川春美と共に、翌週からおニャン子クラブのメンバーとして活動を開始。つまり、番組には実質的に最初から出演している。おニャン子クラブの中では、渡辺プロでの後輩にあたる岩井由紀子(ゆうゆ)とともに、松田聖子の熱烈なファンで知られた[4]。6月の聖子と神田正輝との結婚式の時には、『夕やけニャンニャン』の時間帯に福永恵規とともにリポーターを務めている。

ソロ活動の開始[編集]

7月、ドラマ『スケバン刑事』に悪役としてゲスト出演し、おニャン子クラブのメンバーとしては初のソロ活動を開始した。劇中のセリフ「ゲームなんだよ!」は、『夕やけニャンニャン』でもたびたび取り上げられた。おニャン子クラブの活動中にはメンバーが様々なドラマに出演したが、悪役を演じたのは河合だけである。
9月、CBSソニーから「涙の茉莉花LOVE」で、おニャン子クラブから最初のソロデビューを果たす。同曲はオリコン週間チャートで初登場5位、翌週には1位を獲得した。B面「恋のチャプターA to Z」は、「河合その子 with おニャン子クラブ」名義。バックのメンバーは国生さゆり名越美香高井麻巳子城之内早苗で、デビューイベント等にも随伴した。
12月からは大映ドラマ『ヤヌスの鏡』にレギュラー出演。
同月5日にファーストアルバム『SONOKO』を発売。
28日には、品川プリンスホテルのゴールドホールでファーストソロコンサートを行う。

おニャン子クラブ卒業後[編集]

1986年
3月21日におニャン子クラブ在籍最後の作品としてリリースした「青いスタスィオン」は、オリコン週間チャートで2週連続1位、年間シングルチャートでも10位に入る大ヒットとなり、河合の代表作となった。
3月31日放送の『夕やけニャンニャン』第1回卒業式で、中島美春とともに番組を卒業。4月1日の日本武道館公演を最後におニャン子本体からも卒業し、本格的にソロ活動を開始する。
翌日の4月2日から、初のソロコンサートツアー「MEN'S BRAND SONOKO」を開催。続いて8月から10月にかけて、2回目のコンサートツアー「風船旅行」を開催した。この間に『Siesta』(5月)、『Mode de Sonoko』(10月)と2枚のアルバムを発売する。これらの音楽活動と並行して、おニャン子卒業後も『夕やけニャンニャン』にはコンスタントにゲスト出演していたほか、『夕やけニャンニャン』の姉妹番組として5月から9月に放送された『夕食ニャンニャン』では、吉田照美とともに司会役を務めた。またこの時期に、主演作を含む3作のテレビドラマに出演している。
12月には、当時おニャン子クラブ在籍メンバーであった国生さゆり・城之内早苗・渡辺美奈代渡辺満里奈等とともにアルバム『Merry X'mas For You』をリリースした。

歌手活動[編集]

1987年
3月から5月にかけて、コンサートツアー「SONOKO STYLE '87」を開催。さらに7月発売のアルバム『Rouge et Bleu』を挟み、9月から12月にかけてコンサートツアー「LIVE ACT 4 YOU」を開催した。
8月に、『夕やけニャンニャン』が終了、おニャン子クラブも9月20日のコンサートで解散した。8月発売の解散記念アルバム『Circle』には、自ら作曲した「プリズム」が収録され、シンガーソングライター志向だった本人にとって初のオリジナル曲となった。
1988年
テレビ出演拒否宣言をする。卒業後もアイドル扱いされた事に反発したという説もある。同年5月にアルバム『Colors』を発表したが、プロモーション活動はラジオに数回出演した程度で、唯一のテレビ出演は『オールナイトフジ』でのミニライブであった。また、先行リリースのシングル「雨のメモランダム」を最後にシングルのリリースはなくなり、アルバムのみの活動となった。また『Colors』には河合本人がプロデューサーとして参加、マスコミへの露出や売上と反比例するかのように、本人の意向を押し出して、おニャン子時代から楽曲を手がけてきた秋元康後藤次利以外のライターも多く起用された。
12月にはライブ「'88〜'89 Nouvelle Collection」を東京・大阪で行うが、『Colors』制作の流れをくみ未発表曲やカバー曲が多くを占める構成となった。
1989年
3月発売のアルバム『Dancin' In The Light』では4曲を自身で作曲し、曲調もラテン風のものが多くみられるようになる。このアルバム発売に伴い、3月から5月にかけてコンサートツアー「1989 Nouvelle Collection」が行われた。これが、全国規模のコンサートツアーとしては最後となった。
1990年
4月、全曲を作曲したアルバム『Replica』をリリース。5月にライブ「Replica Live '90」を行ったが、終了後にファンクラブを解散し休養を宣言する。雑誌TYOの連載は廃刊する12月まで続けられた。以後は稀にテレビに出演することもあったが、やがてファンの前から姿を消していくことになった。
1994年
4月に作曲家後藤次利と結婚し、既に引退していることが報じられた。

歌手引退後[編集]

2000年
引退後は長らくメディアに姿を見せていなかったが、5月に放送されたドラマ『多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還』の音楽を夫の後藤次利が担当した縁で、一瞬のカットのみ出演をした。その際には「龍妃」という芸名を用いている。但しあくまで特別出演であり、芸能界復帰ではなかった。2002年におニャン子クラブが再結成した際にも不参加だったほか、過去に数回あった同窓会企画にも一度も参加していないが、在籍時に仲が良かった城之内早苗が2003年に『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際は花を贈っている。
その一方で、リリースしたCDが引退後相次いで廃盤となったことから、所属レコード会社だったソニー・ミュージックに、復刻を求める要望がファンから集まった。これを受けてソニー・ミュージックと河合との間で交渉が行われた際、本人の話から未発表曲の存在が明らかになった。その後、お蔵入りしていた6曲の音源が発見された。
2009年
こうして9月、復刻盤CD-BOX『河合その子プレミアム』発売が実現した。それを機に、「昔一緒に仕事をしていたスタッフと再会した瞬間、私は“後藤その子”ではなく、“河合その子”に戻っていました。それもごく自然に…」「同じ時間を過ごした皆さんと共有できる思い出があるという素晴らしさに気が付きました」「懐かしい『記憶』が鮮やかな『記録』となったことに心から感謝します」とのコメントを、サンケイスポーツ宛てに寄せた(収録曲は『河合その子プレミアム』の項を参照)。
2010年
3月、資生堂の新化粧品ブランド「IN&ON」のコマーシャル出演を発表、4月からオンエアされた。「限定」とされているものの、約20年ぶりの本格的な芸能活動となる。CMでは、荻野目洋子薬丸秀美伊藤つかさと共演した[5]。なお、この時の会見で、夫の後藤との間に子どもが一人いることを明らかにしている[5][6]

『夕やけニャンニャン』出演[編集]

永遠の少女
自己紹介するときにはいつも「永遠の少女、河合その子です」と自称していた。場合によってはそれが「歌うリカちゃん人形」のときもあった。ソロデビューしたころのキャッチフレーズは「フランスと中国のハーフの女の子」であり、当時はまだ世間になじみの薄かったフレンチロリータ路線を狙っていた。
すっぴん
スタジオ入りがギリギリとなるためなのか、素顔に自信があるのか、度々すっぴんで番組に出演した。
その際、本人自ら「今日はすっぴんの河合その子です」と自己紹介していた。
マリファナ
涙の茉莉花LOVE」を番組で初披露する際、片岡鶴太郎は曲名を「涙の『マリファナ』LOVE」とわざと読み、笑いを誘った。
これに対し、河合本人は「違いますよぉ〜」と苦笑していた。
卒業式
1986年3月31日の第1回卒業式にて、司会の吉田照美に今の心境を聞かれ、「卒業するの嫌だ」と本音を漏らしていた。

特筆すべき楽曲とエピソード[編集]

涙の茉莉花LOVE
この曲の発表当初はマイクを持って簡単な振り付けで歌っていただけだったが、テレビで歌う機会が増えるにつれて、イントロとエンディングを彼女自身が(SONOKOと書かれた)自前のキーボードで演奏するようになった。これについて石橋貴明が「お前イントロとエンディングだけの為に重い機材持ち歩いてんじゃねーよ」と突っ込んでいた。
落葉のクレッシェンド
この曲で『ザ・トップテン』(日本テレビ)にランクインし、歌い終わり自分の出番が終わった後、ステージ隅のゲストが座るシートで生放送中に居眠りをした。
青いスタスィオン
最大のヒットとなったこの曲について、本人はニッポン放送系のラジオ番組『おニャン子のあぶない夜だよ』にて「(周囲から)いい『曲』だよねぇ、とばかり言われる。でもいい『歌』と言ってほしい」と発言。自らの歌唱でなく、曲の良さばかりが評価されたことへの若干の悔しさを見せていた。
再会のラビリンス
自身が司会を務めていた『夕食ニャンニャン』の番組内で誕生日をケーキで祝ってもらい、同曲を歌唱中に感極まり、涙を見せた。
悲しい夜を止めて
成就することのない恋を男性側の視点から描いた曲のため、出来上がった詞にディレクターは一時躊躇したが、河合自身が歌いたいと快諾したという。
哀愁のカルナバル
この曲から振り付けがバレエの先生に変わり、特徴的な振り付け(身体を前かがみにして片手を後ろから宙に伸ばす)は物真似やパロディの対象となり(『とんねるずのみなさんのおかげです』で石橋貴明が唐突にこの振りをする場面もあった)、本人も数多くからかわれていた。後にコンサートのトークで「この曲は音域が気持ち良いので好き。理想は私は涼しい顔をして歌い、皆さんがあの振りをやってくれること…」と語っている。

その他[編集]

  • 高校時代のニックネームは「まめだぬき」だった[2]
  • CBSソニーの寮に住んでいた頃は、ともに住んでいた城之内早苗とよく一緒に風呂に入っていた[2]
  • おニャン子時代の交友は広く、城之内をはじめ当時確執があったとされる新田恵利国生さゆりの両者とも仲が良かった。
  • ドラマ『ヤヌスの鏡』で共演した杉浦幸が、『ザ・ベストテン』のスポットライトで出演した際、紹介フリップのお友達の欄に「河合その子ちゃん」と書いていた。
  • 『夕食ニャンニャン』のあるコーナーで、吉田照美が「観客がどさくさにまぎれてその子ちゃんのお尻を揉んだ」と言っていた。

音楽[編集]

シングル[編集]

  1. 涙の茉莉花LOVE/恋のチャプターA to Z(1985年9月1日 作詞: T2、作曲・編曲: 後藤次利) - T2はレコーディングディレクター稲葉竜文と後藤次利の共同ペンネーム
  2. 落葉のクレッシェンド/午後のパドドゥ(1985年11月21日 作詞: 秋元康、作曲・編曲: 後藤次利)
  3. 青いスタスィオン/さよならは言わないで(1986年3月21日 作詞: 秋元康、作曲・編曲: 後藤次利)
  4. 再会のラビリンス/ジョバンニのささやき(1986年7月2日 作詞: 秋元康、作曲・編曲: 後藤次利)
  5. 悲しい夜を止めて/やさしさなんていらない(1986年10月22日 作詞: 秋元康、作曲・編曲: 後藤次利)
  6. 哀愁のカルナバル/ロマンスの行方(1987年2月26日 作詞: 秋元康、作曲・編曲: 後藤次利)
  7. JESSY/赤道を越えたサマセットモーム(1987年6月17日 作詞: 川村真澄、作曲・編曲: 後藤次利)
  8. 夢から醒めた天使/明日への手紙(1987年10月21日 作詞: 小林和子、作曲・編曲: 和泉一弥
  9. 雨のメモランダム/ラヴェンダーが目印(1988年4月21日 作詞: 川村真澄、作曲: 木戸やすひろ、編曲: 大谷和夫

アルバム[編集]

  1. SONOKO(1985年12月5日)
  2. Siesta(1986年5月21日)
  3. Mode de Sonoko(1986年10月1日)
  4. Rouge et Bleu(1987年7月22日)
  5. Colors(1988年5月21日)
  6. Dancin’In The Light(1989年3月21日)
  7. Replica(1990年4月21日)

ベストアルバム[編集]

  1. Dedication(1988年1月1日)
  2. sonnet(1990年12月21日)
  3. 河合その子 ベスト・コレクション(1997年7月21日)
  4. ゴールデン☆ベスト 河合その子(2002年11月20日)
  5. 河合その子プレミアム(2009年9月30日)

ビデオ / DVD[編集]

  1. その子 元気です。(1986年ビデオ発売、2004年DVD発売)
  2. アフロディーテの夢 -Aphrodite-(1987年)
  3. その子の夏(1987年ビデオ発売、2004年DVD発売)
  4. JESSY(1988年3月5日発売 CDV
  5. Sweet Contrast(1989年)
  6. コンプリート DVD-BOX(2007年)

コンサート・ライブ[編集]

  • 河合その子ファーストコンサート(1985年12月28日、品川プリンスホテル)
  • MEN'S BRAND SONOKO(1986年4月2日〜4月30日、全国ツアー)
  • 風船旅行(1986年8月23日〜10月11日、全国ツアー)
  • SONOKO AVENUE a elegance(1986年12月28日、横浜スタジアム)
  • SONOKO STYLE '87(1987年3月18日〜5月5日、全国ツアー)
  • その子の夏(1987年8月21日、よみうりランドEAST)
  • LIVE ACT 4 YOU(1987年9月25日〜12月14日、全国ツアー)
  • Nouvelle Collection(1988年12月、東京・大阪)
  • 1989 Nouvelle Collection(1989年3月〜5月、全国ツアー)
  • Sweet Contrast(1989年5月6日、Ebisu Factory)
  • Replica Live '90(1990年5月、東京・大阪・名古屋)

出演[編集]

バラエティ[編集]

ラジオ[編集]

  • 「おニャン子のあぶない夜だよ」(1985年11月 - 1986年3月、ニッポン放送/毎週月〜木曜日 23:45〜23:55) - 国生さゆり渡辺美奈代横田睦美と共に
  • 「河合その子・拝啓その子です」(1986年4月 - 11月、ニッポン放送/毎週日曜日 11:30〜12:00)

テレビドラマ[編集]

  • スケバン刑事(1985年7月11日・18日、フジテレビ) - 宮原妙子 役
  • ヤヌスの鏡(1985年12月 - 1986年4月、フジテレビ) - 阿部純子 役
  • 月曜ドラマランド 透明少女(1986年3月10日、フジテレビ)- 主演
  • 二十歳の祭り(1986年7月30日、TBS)- 主演
  • 月曜ドラマランド みゆき(1986年8月4日、フジテレビ) - 若松みゆき、鹿島みゆき 二役
  • オレの息子は元気印(1987年1月 - 2月、日本テレビ)(主演:奥田英二ほか) - 佐伯千鶴 役

CM[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「河合その子 はにかみ純情物語」、『明星』1986年1月号、集英社1986年、 55-57頁。
  2. ^ a b c 「巻頭大特集 河合その子」、『BOMB』1986年3月号、学習研究社1986年
  3. ^ 芳本美代子のPOP BOX」 FM仙台
  4. ^ 「こニャン子クラブ編 あぶな〜いおニャン子」 扶桑社 ISBN 4-89353-097-6
  5. ^ a b 元アイドル4人、CM共演 薬丸秀美、河合その子ら 47NEWS 2010年4月2日
  6. ^ 「よみがえれ、私」荻野目洋子ら4人が共演 サンケイスポーツ 2010年3月30日閲覧(2010年3月31日時点のアーカイブ

外部リンク[編集]