生稲晃子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
いくいな あきこ
生稲 晃子
プロフィール
生年月日 1968年4月28日
現年齢 48歳
出身地 日本の旗 日本東京都小金井市
血液型 B型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 cm / kg
活動
デビュー 1986年
ジャンル アイドル
所属グループ おニャン子クラブ
著名な家族 佐山 智洋(夫)
他の活動 歌手女優
事務所 プロダクション尾木
主な出演作 テレビドラマ
キッズ・ウォー』シリーズ
暴れん坊将軍VIIVIII
アイドル: テンプレート - カテゴリ

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 - )は、日本歌手女優。本名・佐山 晃子(さやま あきこ)[要出典]。旧姓・生稲(いくいな)。 プロダクション尾木所属。

女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は40番。

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

東京都[1]小金井市[要出典]出身。小金井フットボールクラブに所属し、全国大会優勝した時のメンバーである。

小金井市立緑中学校→私立吉祥女子高等学校恵泉女学園短期大学英文学科卒業[2]。高校は芸能活動禁止であったが、生稲の成績が非常に優秀であったため、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可された。

デビュー[編集]

1985年、『第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン』の賞金(優勝者本人に100万円、推薦者に50万円)に惹かれ、兄を推薦者にして「もし優勝したら150万円山分けしようという事で」応募したことが発端。途中落選となったものの、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになり、以後複数のオーディションを受けた。(それ以前にも、アイドル雑誌ザ・シュガーの「今月のセーラー服美人」というコーナーで紹介記事が計3ページにわたって掲載されている)[3]

1986年3月、「これでダメなら大学受験に向けた勉強に専念しよう」と決めて『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「ミス南ちゃんコンテスト」に出場。原作者のあだち充が生稲を推したこともあり大会関係者から「たぶん優勝は君になる」と優勝内定を知らされていたが、発表当日になってこの話は流れてしまった[4]。このとき居合わせたレコード会社の関係者から「おニャン子クラブのオーディションを受けてみますか?」と声を掛けられる。優勝内定から一転、落選したショックから直ぐに次に繋がる話に飛びつく思考に切り替えることが出来ず、即答は避けて一旦保留とする返答のみをして帰宅した。

おニャン子クラブのファンだった兄はオーディションの話に乗り気だったが、当の本人である生稲は、通常夕方は部活動をしていたので、夕方からの生放送番組の出演となれば退部を余儀なくされるために乗り気ではなかった。また、フジテレビ系放映『夕やけニャンニャン』の放送を殆ど見たことが無く、雑誌や音楽番組などで見聞きしていた程度の認識であった。生稲が憧れていたアイドル歌手やおニャン子クラブのように大勢のアイドルが所属していたモモコクラブのメンバーと比較し、「おニャン子はブスが多いから、入るのは嫌だ」と兄に漏らした[5]

二の足を踏んでいた生稲であったが、当時生稲がファンだった「トシちゃんのレコードをあげるから」とレコード会社の人から言われたため、ためしに受けてみる事になった[6]。また「(夕やけニャンニャンに出演時は)時給5千円」の一言にも魅力を感じたという[7]

おニャン子入りと大学受験[編集]

1986年6月、『夕やけニャンニャン』内オーディションコーナーを経て、1986年6月13日に、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー。10月、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。11月1日、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」で、フロント4人の中に入る。12月、ローソンからあげクンのCMに単独で出演。おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用される(CM用に生稲のみのボーカルアレンジ)。

高校での成績は優秀だったものの、芸能活動をしているという理由で大学入試の際に学校からの推薦が得られなかった。1987年になると、芸能活動を控え、『夕やけニャンニャン』にも約1ヶ月ほど出演せず受験勉強に専念した。1987年4月に恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学。

受験を終えて芸能活動を再開。復帰初日、(自身が)休んでいる間に新ユニットうしろ髪ひかれ隊のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢され、既に決定事項としてプロジェクトが進んでいることを知らされ面食らう。しかし、自分の立場では異議を申し立てることも断ることも出来ず、成り行きに任せざるを得なかったという。

1987年5月、「うしろ髪ひかれ隊」は「時の河を越えて」でレコードデビュー。同曲及びc/wは、アニメハイスクール!奇面組』の主題歌とエンディング曲に起用された。1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得。音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切った。これを期に、メンバー3人揃って芸能プロダクション「プロダクション尾木」に移籍。

おニャン子解散後以降[編集]

もともと生稲は長く芸能活動を続ける意向は強くなく、将来的に堅実な学校教諭になる道を考えていた。そのため学業を疎かにせず、大学進学後も意欲的に講義を受けていた。「うしろ髪ひかれ隊」としての活動はおニャン子クラブの活動終了とともに終える青写真であり、生稲もその心積もりでいた。しかし、スタッフの「やめようと思っていたけど、売れたことだしこのまま続けるから」の一言で、1987年9月20日のおニャン子クラブ解散後も「うしろ髪」としての活動はしばし続行された[6]

それだけにおニャン子解散時の精神状態は不安定であった。解散特番のラジオの終盤では夕ニャンのスタッフに「もう「深呼吸して」は3人じゃ歌えないんだな…」としみじみ言われたことを涙ながらに語っていたが、聞き役の渡辺満里奈に「何泣いてんのよ!」と叱責され我に返っていた。

1988年4月をもってうしろ髪ひかれ隊の活動が休止。5月21日に「麦わらでダンス」(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビュー。7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでョ!』で連続ドラマに初出演。以後ドラマやバラエティ番組など多数出演。

2001年4月、永らく所属していたプロダクション尾木より独立。女優としてCBC制作のドラマ『キッズ・ウォー』シリーズに長く主演したほか、テレビ朝日の人気時代劇暴れん坊将軍』にはVIIシリーズからVIIIシリーズ第1話は魚屋兼岡引・おぶん、VIIIシリーズ第2話から800回スペシャルは江戸町火消しめ組の頭長次郎(山本譲二)の妻・おぶんとして出演していた。

古典芸能に造詣を持ち、NHKの『日本の古典芸能』『芸能花舞台』の司会も務めた(毎回和服姿で番組を進行。下記の理由により降板した)[いつ?]

2003年にCM制作会社プロデューサー・佐山智洋と結婚(現在、鉄板焼き店経営)。2005年10月、妊娠していることが判明、「思っていたよりつわりがひどかった」とのこと。2006年3月に第1子(長女)を出産。

2006年からは芸能事務所・株式会社ポートレーブに所属。家事の都合や子育てに支障が出ないスケジュールを組んでもらい、主に女優やレポーターなどの仕事を中心にしている。近年は、夫婦で鉄板焼き屋を経営し、生稲も時間がある時には女将として店に出ている。

テレビ朝日系『ちい散歩』や『三波豊和の日本が元気です[8]』等司会やレポーターの仕事を中心に活動。

2009年よりプロダクション尾木に復帰。2010年7月、ハートフルライフカウンセラー学院[9]にて認知行動療法を学び、心理カウンセラーとして活動を始める[10]。2010年9月、AKB48Team Ogiが開催した音楽イベント「Team Ogi祭り」に城之内早苗らとゲスト出演。『麦わらでダンス』を当時の衣装、ダンスとともに披露した。

がんとの闘い[編集]

2011年4月28日、43歳の誕生日に乳がんが発見される。5月6日に腫瘍のある部分を切除する乳房温存手術を受け、放射線照射と薬による治療を続けた。2012年の夏、再発が判明。がんのできた部分を切除する再手術を受ける。2013年10月に3度目の切除手術、同年12月27日に右胸の全摘手術を受けた。2015年10月27日、右乳房の再建手術を受ける。同年11月、自らのがんを公表[11]

エピソード[編集]

  • 中学時代は50m走を6.8秒で走るなど運動には自信があり、1980年代の中ごろまで正月恒例の特番だった『オールスター紅白大運動会』の短距離走でいつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていた。この大運動会は、所属レコード会社ごとに組分けして対決する形式で行なわれていたので、出場するためにはレコードデビューをしなければならないと思っていたことも芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げている。しかし、実際に自らがレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了してしまった直後だったため、出場は叶わなかった。
  • 前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいたものの、歌唱力そのものには自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていた[5]
  • 血液型は生まれてから不明であったが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際に血液検査され、B型と判明した。
  • 「生稲」という苗字を「いくいな」と正しく読まれたことが少なかったという。デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビを付けられることが多かった。
  • アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあった。1917年はロシア革命の年であるため、「生稲晃子がロシア革命」という語呂合わせが成立する[5]。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使われている。
  • TIMレッド吉田が『内村プロデュース』内で「友達の友達が生稲晃子!」というフレーズを独特のイントネーションで発する(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子!」が収録されている)。
  • 「麦わらでダンス」の替え歌が1988年にプロ野球広島東洋カープに在籍していたランスアレンの応援ソングに使われ、現在でも他のプロ野球選手や高校野球の応援で使われる事もある。またJリーグFC東京の応援ソングにも、長年同曲の替え歌が使われていた。
  • 仲が良かったおニャン子メンバーとしてよく名前を挙げるのは立見里歌永田ルリ子白石麻子高畠真紀など。ほかに芸能界では島崎和歌子小林千絵などと仲が良いと公言したことがある[12][13]
  • 『夕やけニャンニャン』の投稿はがきに書かれていた「おいなりさん」を恥ずかしそうに読んで、とんねるずにからかわれていたが、担当していたラジオ番組『おニャン子のあぶない夜だよ』では、下ネタ投稿も臆せずに読みこなす等、気さくな一面があった。
  • 共演者の伊藤政則からは番組中たびたび「生稲ドピュさん」と呼ばれることが多かった。これは生稲の「イク」にかけて、射精の瞬間を表現した「ドピュ」と付けられたと思われる[誰によって?]

作品[編集]

シングル[編集]

  1. 麦わらでダンス (1988年5月21日)
  2. Virgin少年に接吻を (1988年9月21日)
    • 作詞: 売野雅勇、作曲・編曲: 後藤次利
    • c/w: Shadow Of Palm Tree
  3. ファンファーレが聴こえる (1989年1月25日)
    • 作詞: 高柳恋、作曲・編曲: 後藤次利
    • c/w: わたしだけのリバティー
  4. Japanese Girl (1989年5月24日)
    • 作詞: 売野雅勇、作曲・編曲: 後藤次利
    • c/w: 夕映えの橋
    • 後藤次利作曲としては最後の作品である。
  5. 忘れたいのに (1989年9月27日)
  6. 日曜日はいらない (1990年3月7日)
    • 作詞: 原真弓、作曲: 松本俊明、編曲: 西平彰
    • c/w: 海になりたい
  7. LUNA Great (1991年2月21日)
    • 作詞: 和泉ゆかり、作曲・編曲: 川井憲次、ストリングスアレンジ 田中公平
    • c/w: ルナ・バルガー走る!
  8. ファンキーララバイ (1995年6月10日) - L・リーグ シロキFCセレーナ イメージソング
    • 作詞: 三浦徳子、作曲・編曲: 羽田一郎
    • c/w: ファンキーララバイ -Long Version-
  9. Oh!散歩日和 (2008年10月8日) - 地井武男とのデュエット。

オリジナルアルバム[編集]

  • 「生稲」De-Dance(1988年11月21日)
    1. おとといおいで
    2. 鍵穴の熱帯
    3. 麦わらでダンス(ターンテーブル・ミックス)
    4. 今はすべての途中だから
    5. チェイス チェイス チェイス
    6. ティラノザウルスロック
    7. Virgin少年に接吻を
    8. 恋のルフラン
  • 日本「生稲」紀行(1989年8月2日)
    1. Jealousy In The Night
    2. 北斗七星の一夜
    3. 忘れたいのに
    4. オ・メ・デ・ト・ウ!
    5. モノローグ…春
    6. あした元気になぁれ
    7. Japanese Girl
    8. さよならの岸辺から

企画シングル[編集]

  • あっこのX'mas Calendar (1989年11月21日)

企画アルバム[編集]

  • Myこれ!クション 生稲晃子BEST(2002年7月17日)
    1. 麦わらでダンス
    2. 夢に逢いたい
    3. Virgin少年に接吻を
    4. Shadow of Palm Tree
    5. ファンファーレが聴こえる
    6. わたしだけのリバティー
    7. Japanese Girl
    8. 夕映の橋
    9. オ・メ・デ・ト・ウ!
    10. あした天気になあれ
    11. 忘れたいのに
    12. 朝露の瞳
    13. 日曜日はいらない
    14. 海になりたい
    15. LUNA Great
    16. ファンキーララバイ
  • 「生稲晃子」SINGLESコンプリート(2007年8月17日)
    1. 麦わらでダンス
    2. 夢に逢いたい
    3. Virgin少年に接吻を
    4. Shadow of Palm Tree
    5. ファンファーレが聴こえる
    6. わたしだけのリバティー
    7. Japanese Girl
    8. 夕映の橋
    9. 忘れたいのに
    10. 朝霧の瞳
    11. 日曜日はいらない
    12. 海になりたい
    13. LUNA Great
    14. ファンキーララバイ
    15. ファンキーララバイ (Long Version)
    16. LUNA
  • 日本「生稲」紀行 + シングルコレクション(2008年7月16日)
    1. Jealousy In The Night
    2. 北斗七星の一夜
    3. 忘れたいのに
    4. オ・メ・デ・ト・ウ!
    5. モノローグ…春
    6. あした元気になあれ
    7. Japanese Girl
    8. さよならの岸辺から
    9. 麦わらでダンス
    10. 夢に逢いたい
    11. Virgin少年に接吻を
    12. Shadow of Palm Tree
    13. ファンファーレが聴こえる
    14. わたしだけのリバティー
    15. 夕映えの橋
    16. 朝露の瞳
    17. 日曜日はいらない
    18. 海になりたい
  • Myこれ!Lite 生稲晃子(2010年4月21日)
    1. 麦わらでダンス
    2. 夢に逢いたい
    3. Virgin少年に接吻を
    4. ファンファーレが聴こえる
    5. わたしだけのリバティー
    6. Japanese Girl
    7. あした元気になぁれ
    8. 忘れたいのに
    9. 朝露の瞳
    10. 日曜日はいらない
    11. 海になりたい
    12. LUNA Great

おニャン子クラブのメインボーカル曲[編集]

  • 恋はくえすちょん
  • あんみつ大作戦
  • 雨のメリーゴーランド
  • ハートに募金を
  • 誰のせいかな
  • ワンサイド・ゲーム
  • シンデレラのシューズ
  • 雨のあやとり
  • 風の物語

うしろ髪ひかれ隊のソロ曲[編集]

  • 素敵なモーニングドライブ
  • マーマレードの黄昏

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

バラエティ[編集]

その他のテレビ番組[編集]

  • 芸能花舞台( - 2006年2月NHK教育テレビ、)
    • アナウンサーの古谷敏郎とのコンビで進行役。この番組では和服姿で臨月ぎりぎりまで出演したが、出産直前に降板。
    • 古谷が直後、松山局へ異動となったため、そのまま完全降板した。なお、古谷はその後、東京に異動し、現在、芸能花舞台の司会を担当している。なお、2010-2011年の正月番組「こいつぁ春から〜初芝居生中継〜」で、再び、古谷と司会進行を務めている。
  • ちい散歩(2007年4月 - 2012年5月、テレビ朝日)- スタジオMC、「商店街散歩 生稲がいく」、通販コーナーMC。
  • 若大将のゆうゆう散歩(2012年5月 - 2015年9月、テレビ朝日)- 通販コーナーMC
  • 生稲晃子のひかりバラエティ(インターネットテレビ&掲示板連動型casTY

ラジオ[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

  • がしんたれ(1994年7月 - 8月)
  • 浪花恋ごよみ(1996年1月、帝国劇場
  • 雪の夢 花のゆめ(1996年11月、明治座
  • 付馬屋おえん〜恋は未練よ紅牡丹〜(1996年12月、明治座)
  • 裸足で散歩(1997年9月、六本木俳優座劇場)
  • 雪の花見小路(1998年1月、名鉄ホール
  • 劇団若獅子公演・宮本武蔵(1999年8月)
  • 天翔ける虹〜長州を破った男〜(1999年11月、明治座)
  • 人生はガタゴト列車に乗って(2000年2月、帝国劇場)
  • 北大路欣也特別公演・赤ひげ(2000年9月、御園座ほか)
  • 佐久間良子特別公演・女の一生(2000年11月、芸術座ほか)
  • 喜劇ちょっといい女(2002年6月、名鉄ホール)
  • 西郷輝彦40周年記念公演・江戸を斬る(2003年10月、明治座)
  • 吉本人情喜劇 花より大好き★夢絵巻(2004年5月 - 6月、名鉄ホール)

ゲーム[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 公式プロフィール”. プロダクション尾木. 2015年11月10日閲覧。
  2. ^ 週刊現代 1989年9月30日号 p.213 - 215
  3. ^ 「今月のセーラー服美人」、『ザ・シュガー』1984年6月号、考友社出版1984年、 86-87頁。
  4. ^ 優勝者となったのは浅倉亜季。コンテストからの帰路は、ショックでずっと泣きながら帰宅した。
  5. ^ a b c BOMB 1988年10月号「生稲晃子特集」より
  6. ^ a b 吉田豪 『元アイドル!』 ワニマガジン社2005年ISBN 978-4-89829-792-6
  7. ^ 10月11日(土) 第182回: 振分親方×生稲晃子”. 極上空間. BS朝日. 2016年6月8日閲覧。
  8. ^ 三波豊和の日本が元気です
  9. ^ ハートフルライフカウンセラー学院
  10. ^ 大場久美子も同校の卒業生。
  11. ^ 生稲晃子 5度の手術も…初めて明かす乳がん闘病4年8カ月”. 女性自身. 光文社 (2015年11月10日). 2015年11月10日閲覧。
  12. ^ 生稲晃子ポツリ「悪いことしたかな…」”. デイリースポーツ (2015年11月11日). 2016年6月8日閲覧。
  13. ^ 幸せな食事会”. オフィシャルブログ「AKKO REVOLUTION」 (2015年12月2日). 2016年6月8日閲覧。
  14. ^ 【速報】『魔法少女大戦』のガラットが贈るアイドルコンテンツ企画『VENUS PROJECT』が発表!”. 電撃オンライン. 2015年3月5日閲覧。
  15. ^ “乳がん公表の生稲晃子、副作用に悩み「汗で突然起こされる」”. ORICON STYLE. (2016年5月17日). http://www.oricon.co.jp/news/2071800/full/ 2016年5月18日閲覧。 

外部リンク[編集]