大場久美子

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おおば くみこ
大場 久美子
生年月日 1960年1月6日(54歳)
出生地 日本の旗 埼玉県川口市
国籍 日本
血液型 A型
職業 女優
歌手
心理カウンセラー
ジャンル 映画
テレビドラマ
舞台
活動期間 1973年 -
公式サイト 大場久美子公式ページ
主な作品
コメットさん

大場 久美子(おおば くみこ、1960年1月6日 - )は、日本女優歌手心理カウンセラー埼玉県川口市[1]出身。三人兄妹の長女(兄一人、弟一人)。オフィスキコ所属[2]

人物[編集]

  • 公称サイズ:身長153cm・バスト80cm・ウエスト58cm・ヒップ83cm・靴サイズ23cm。
  • 学歴:鳩ヶ谷市立中居小学校、鳩ヶ谷市立八幡木中学校[3]卒業し、その後東京成徳短期大学附属高等学校商業科入学(芸能界本格的デビューの為、転校) → 堀越高等学校卒業。
  • アイドル時代から、自身のことを『クーミン』と呼んでおり、愛称となっている。
  • 1999年から、母の死が引き金となり約8年間、パニック障害を煩っていたことを、2008年1月18日に放送された『独占!金曜日の告白』(フジテレビ)にて初めて公に告白した。その後、重い病気や障害で煩っている人達が新たに彼女のファンになったり、又、他のテレビ番組のインタビューでそれが放送されると、放送後、彼女の公式ブログ「大場久美子のエトセトラ」(下記の外部リンクの項を参照のこと)では、重い病気や障害を煩っている人達の書き込みが非常に多くなるという現象が起きている。
  • 前記のパニック障害を克服したことを契機に、認知行動療法を学び、2009年10月、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得。翌年半ば過ぎ頃から、心理カウンセラーとしての活動も本格的に開始する。
  • 1995年頃から、カンボジアの教育支援や医療支援などを中心に行っているNGO団体・「公益社団法人セカンドハンド」の活動に協力し、2008年より同団体の広報大使を務めている。
  • 2003年から2007年頃まで、旧鳩ヶ谷市親善大使を務めていた(旧鳩ヶ谷市役所・広報課)。
  • 2009年に開催された第2回「おもいがわ映画祭」にゲスト出演[4]したことを機に、栃木県小山市より「小山評定ふるさと大使」を委嘱されている[5]
  • 2011年に発生した東日本大震災を機に、震災で被災したペットの救助・保護を中心に行っているNPO団体・「一般社団法人UKC JAPAN」の活動に協力している。
  • 趣味・特技:料理日本舞踊ダンス洋裁(30年以上も続けている)、バトントワリング[6]など、結構多い。
  • 好きな色:ピンク

略歴[編集]

  • 1960年1月6日 埼玉県川口市に生まれる。
  • 1970年 友人の応募で東京宝映テレビのオーディションに合格。同社が主宰する劇団・「劇団フジ」に入り、児童タレントとして活動。
  • 1974年 日本テレビ系列のテレビ番組「愛の山河」に出演。テレビデビューを果たす。
  • 1975年 NETテレビ(現・テレビ朝日)「あなたをスターに!」で特別賞を受賞したのをきっかけに、芸能プロダクション「ボンド企画」にスカウトされ、芸能活動を開始。(この時は、堀越高校在学中だった。)
  • 1977年6月5日 東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック)より『あこがれ』で歌手デビュー。「一億人の妹」というキャッチフレーズの下[7]、その後立て続けにシングル曲を生み出した。
  • 1978年 同年6月12日から翌年9月24日まで約1年3ヶ月間放送されたTBS系のテレビ番組コメットさん」(第2期、全68話)のヒロインを務め、全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルになる。
  • 1979年3月5日 7枚目のシングル「スプリング・サンバ」発売(オリコン最高位44位、シングル売上3万枚)。これが最大のヒット曲となり、彼女の代表曲となる。
  • 1979年10月19日 「さよならコンサート」を日本武道館で開催[8]。「私は女優の世界にお嫁に行きます」との言葉を残し、歌手としての活動を一旦終了した。記者会見の際になぜ歌手業をやめるのかとたずねられた際に「私は音痴だから。」と自ら発言し物議を醸した。ただし、後のインタビューでは「歌手活動は最初から数年(2年程度)で止めるつもりだった」とも述べている。
  • 1984年7月25日 10枚目のシングル「悲しみ貯金箱」発売。明確な表明をしないまま、なし崩し的に歌手活動を再開した。
  • 1984年 同年発売の写真集『大場久美子』でヌードを披露した。
  • 1987年 実家がもらい火で全焼する。
  • 1990年 サイドビジネスで京都府でレストランの経営を始めるが、経営不振で2年後に閉店する。
  • 1992年 当時の所属事務所ボンド企画が倒産。これを受けて、翌年、個人事務所「オフィス大場」を設立。彼女の母親である大場タカ子が事務所のマネージャー等を務めて、母親と二人三脚で活躍する[9]
  • 1994年4月12日 サイドビジネスで経営していたレストランの負債の残金1億400万円を返せないことから、同日、自己破産申告が認められた[10]
  • 1999年6月18日 母のタカ子死去。 
  • 2000年2月1日 6歳年下のダンサー兼振付師の高橋てつやと結婚[11]
  • 2000年 林寛子あべ静江沢田亜矢子と共に自称“熟女ユニット”『女盛りゲザデレタ』を結成。同年6月21日、シングルCD「Animal Blood」をリリースした。
  • 2005年12月25日 高橋てつやと離婚。理由は多忙によるすれ違い生活や、当時彼女が患っていた「パニック障害」の影響等である[12]
  • 2008年1月18日 この日に放送されたフジテレビ「独占!金曜日の告白」にて、8年間パニック障害に悩まされていたことを、初めて公に告白。放送後、大反響を呼んだ。
  • 2008年2月23日 「KUMIKO OHBA 35th Anniversary Live」を東京で開催。ライブ中、単独コンサートとしては30年ぶりに「コメットさん」の衣装を披露する。
  • 2009年10月 認知行動療法を学び、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得する[13]
  • 2011年5月19日 10歳年下の会社員の男性と再婚したことをブログにて公表。
  • 2012年4月4日 活動に協力している「一般社団法人UKC JAPAN」のために、28年ぶりに11枚目のシングル「ボクの命~20キロ圏内のペット達の想い~」を配信限定で発売。

芸能人としての主な活動、発売遍歴[編集]

オーディオ・ソフト(音楽)[編集]

シングル[編集]

特に記載のないシングルは東芝EMIより発売。
タイトル 発売日 作詞 作曲 編曲 備考
あこがれ 1977年6月5日 岩谷時子 鈴木邦彦 萩田光雄 デビューシングル
追いかけないで 1977年10月20日 岩谷時子 鈴木邦彦 萩田光雄
大人になれば 1978年2月5日 浜口庫之助 浜口庫之助 萩田光雄
エトセトラ 1978年6月5日 小林和子 萩田光雄 萩田光雄
キラキラ星あげる 1978年8月20日 伊藤アキラ 平尾昌晃 萩田光雄 コメットさん」主題歌
ディスコ・ドリーム 1978年12月1日 小林和子 和泉常寛 直居隆雄 B面「ミルキー・ウエイ」
スプリング・サンバ 1979年3月5日 小林和子 和泉常寛 萩田光雄
フルーツ詩集 1979年8月5日 小林和子 萩田光雄 萩田光雄
ハートのポプリ 1979年11月20日 イルカ イルカ 佐藤允彦
悲しみ貯金箱 1984年7月25日 なかにし礼 三木たかし 三木たかし キティーレコードより発売
ボクの命〜20キロ圏内のペット達の想い〜 2012年4月4日 タッズ母 綺音 UKC JAPANより発売[14]

アナログLP[編集]

いずれも東芝EMIより発売。括弧内に規格番号、発売日、備考等を記しておく。
  • 『春のささやき』(TP-72300、1978年3月5日。)
  • 『微笑のメロディー』(TP-80030、1978年8月5日。)
  • 『カレンダー』(TP-80055、1978年12月20日。同年10月に、ロンドンのラウンド・ハウス・スタジオにて録音。バックはケン・ギブソン・オーケストラが演奏した。)
  • 『Kumikoアンソロジー』(TP-80070、1979年3月20日。両面、彼女の顔写真が印刷されたピクチャー・レコード仕様の限定盤。内容は彼女のベスト盤[15]。)
  • 『カーテンコール』(TP-80084、1979年7月5日。ミュージカル的内容に仕上がっている。全曲を作詞:小林和子、作曲及びコーラス編曲:和泉常寛、編曲(コーラス部分を除く):羽田健太郎(録音時のピアノ演奏も担当)が行っている。)
  • 『ガラス窓の少女』(TP-80115、1979年11月20日。全曲の作詞、作曲を、彼女が大ファンのシンガーソングライター、イルカが担当している。)
  • 『さよならありがとう』(TP-60353~4、2枚組、1979年12月20日1979年10月19日日本武道館で行われた「さよならコンサート」の模様をライブ収録したもの。このビデオ・ソフト版は、後に、東芝EMIから発売された。)
  • 『Summer Holiday』(TP-80142、1980年6月5日。スカイ・ブルー・カラー・レコード。今まで発売されたアルバムの中から、夏向けの音楽をセレクトしたもの。未発表テイク「サマー・スカイ」を初収録している。)
  • 『大場久美子ベスト「青春 p.s.ありがとう久美子」』(TP-90329、1985年5月。文字通り、彼女の東芝EMI時代のベスト盤。)

CD[編集]

いずれも東芝EMI、EMIミュージック・ジャパンより発売。括弧内に規格番号、発売日、備考等を記す。
  • 『なんたってアイドルポップ』(TOCT-8061、1993年6月30日。ベスト盤)
  • 『大場久美子/Big Artist Best Collection』(TOCT-8832、1995年2月22日東芝EMI時代に彼女が発売した全シングル9枚のA、B面全18曲を収録したもの。)
  • 『大場久美子 ゴールデン☆ベスト』(TOCT-10857、2002年6月19日。デビュー時から『スプリング・サンバ』時代までのセレクション盤。この間に発売されたシングルのA面の曲では、「ディスコ・ドリーム」のみ未収録である。)
  • 『春のささやき』(TOCT-25236、2003年11月27日。彼女のオリジナル・アルバム初のCD化。内容は同一タイトルLP(TP-72300)と全く同じ。紙ジャケット仕様、24ビットマスタリングの限定盤。)
  • 『エッセンシャル・ベスト』(TOCT-26321、2007年8月22日。前記の『ゴールデン☆ベスト』から、スプリング・サンバを初めとする最後の3曲を除いたもの。その為、それよりも定価が510円安い1470円となっている。期間限定販売。)
  • 『Kumikoアンソロジー』(TOCT-26625、2008年8月27日。同一タイトルLP(TP-80070)のCD化。内容も全く同じ[16]。紙ジャケット仕様。)

ビデオ・ソフト[編集]

ライブビデオ[編集]

  • 『さよならありがとう』(東芝EMI。発売年月日不明。1979年10月19日日本武道館で行われた「さよならコンサート」の模様をライブ収録したもの。アナログ盤LPは2枚組で発売された。)

イメージビデオ[編集]

吹替え声優[編集]

Vシネマ[編集]

  • 『あんこう』(1991年7月)
  • 『オオカミが出てきた日』(1992年2月)
  • 『新書ワル 復活篇』(1993年1月)
  • 『スキャンダラス・ボディ』(1993年8月)
  • 『新書ワル2 挑戦篇』(1993年8月)
  • 『スキャンダラス・ボディ2』(1993年9月)
  • 『取立屋本舗ヘビィ』(1993年10月)
  • 『取立屋本舗ヘビィ 闇金仁義』(1994年1月)

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

など

※1:CSTBSチャンネルおよびチャンネルNECOで再放映された。
※2:NHKアーカイブス所蔵。

バラエティー番組[編集]

など

歌謡番組[編集]

など

テレビアニメの声優[編集]

テレビの司会、アシスタント[編集]

インターネット動画[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

一部の舞台公演については、NHKが撮影、放送している。

写真集[編集]

  • 『大場久美子写真集』(1980年)
  • 『大場久美子』(1984年)
  • 『狂香小夜曲』(1985年)

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 公式ブログのプロフィールに基づく。ここで言う川口市は、1962年5月1日以前の市域を指す。また、蕨市出身としている文献もある。
  2. ^ 歌手、作詞・作曲家等と幅広く活躍している合田道人が社長を務める「ミュージック・オフィス合田」の子会社である。
  3. ^ 2011年10月11日に川口市に合併されたため、いずれも現在は川口市立となっている。
  4. ^ 出演した映画『ひめゆりの塔』が上映され、上映後の舞台挨拶とトークショーに出演した。
  5. ^ 小山市内の温泉施設や「道の駅思川」を通じて度々小山市を訪れており、「道の駅思川」の南側に2010年4月に開園した市民・体験農園の利用者第1号にも認定されている。
  6. ^ 中学生時代にやっており、ドラマ「コメットさん」では魔法をかける際のアクションとして披露していた。
  7. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 俺たちが愛した美少女選抜BEST30 第1弾・70年代編
  8. ^ 日本武道館では初の女性アイドルの単独公演だった。
  9. ^ 当時、母親は心臓病を患いながら入退院を繰り返しながら活躍していた。
  10. ^ 2年前にレストランを閉店した後、実質的な経営者まで失踪してしまった為、名義上の社長になっていた大場に1億2000万円の借金が残された。その後大場は分割で月600万円ずつ計1200万円を返済したが、借金はまだ1億400万円あり、体力的にも精神的にも限界に達し、自己破産を申告。それがこの日に認められたもの。
  11. ^ 高橋とは、1992年にダンスの振り付けが縁で知り合い、1998年に交際に発展。翌年から同居を始めた。母のタカ子が亡くなってパニック障害に陥った時に、高橋に支えられる形で結婚に至った。
  12. ^ 「パニック障害」による影響が原因の1つであることは、2008年6月15日放送の日本テレビ「いつみても波瀾万丈」にて彼女自身の口から明らかにされた。
  13. ^ ただし、これは民間団体の実施・認定によるもので、公式な国家資格として認められているものではない。
  14. ^ amazon.co.jpとiTunesによるダウンロード販売である。
  15. ^ 「エトセトラ」については、声を二重にしている方が多いシングル・ヴァージョンを、「ディスコ・ドリーム」については、シングル・ヴァージョンでなく、アルバム『カレンダー』に収録されているテーマ部以外はストリングス抜きのアルバム・ヴァージョンをそれぞれ採用している。
  16. ^ 尚、CD化に於いては、レーベルがLP発売当時の「東芝レコード」が現在使えない為に、「エキスプレス」に変更されて発売される。理由は発売元のEMIミュージック・ジャパンが東芝との資本関係が一切なくなった為、「東芝」のマークが使えなくなったことによるものである。
  17. ^ NHK総合テレビで放映されたことがある。
  18. ^ 1979年4 - 10月までは、紅組のキャプテンも務めていた。
  19. ^ 日本歌謡大賞では初めて、NHKホールからの生放送で、しかも放送時間は、夜のゴールデン・タイムでなく、祝日である同日の16:00からの約2時間の放送となった。これは当時、同局の系列局がなかったことで、他系列局でも同時生放送ができる様にする為に取った処置である。この年から、同番組のテレビ放送はステレオ放送となる。
  20. ^ 2010年3月6日よりロケ地の岐阜県郡上市にて先行上映。
  21. ^ 1993年6月23日NHK衛星第2テレビにて放映。NHKアーカイブス所蔵。
  22. ^ 1983年8月8日NHK総合テレビにて放映。NHKアーカイブス所蔵。
  23. ^ 1989年12月30日、NHK総合テレビにて放映。NHKアーカイブス所蔵。
  24. ^ 1995年3月11日、NHK総合テレビにて放映。NHKアーカイブス所蔵。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]