日本の慰安婦問題

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日本の慰安婦問題(にほんのいあんふもんだい)は、旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任の有無に関する問題。慰安婦問題にはさまざまな認識の差異や論点があり、日本・大韓民国(通称:韓国)・アメリカ合衆国(通称:米国)・国際連合(略称:国連)などで議論となっている。慰安婦は当時合法とされた公娼であり民間業者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をし内地の日本人女性をも慰安婦として採用していたことなどから国家責任はないとの主張がある一方、一般女性が慰安婦として官憲や軍隊により強制連行されたとの主張もあり[1]、性奴隷であるとの主張もある[2]

目次

日韓における慰安婦問題 [編集]

1970・80年代[編集]

初期ウーマン・リブの運動家田中美津は1970年の著作で「従軍慰安婦」の「大部分は朝鮮人であった」、「貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた」と記述している[3][4]

1973年に千田夏光の『従軍慰安婦』が刊行され、慰安婦を民族ごとに分けて記述した。千田は日本人の慰安婦は自主的な売春婦であり、韓国人の慰安婦を売春を強制された被害者とした。[5]千田の著書は、日本キリスト教婦人矯風会の高橋喜久江会長の注目を受けた。[5]産経新聞によると、高橋は慰安婦の社会問題化に関し、「私も火付け役をした」と自負したとされ、高橋は千田の著書を韓国に紹介するなどしている[6]。千田の著作に関して、いくつかの立場から疑問が呈されている。(千田夏光#著作『従軍慰安婦』参照)

1976年には金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』が出版され、その中で慰安婦の総数を20万人とした。

元『東亜日報』編集局長の宋建鎬(ソン・ゴンホ)は1984年、著書『日帝支配下の韓国現代史』で、挺身隊として動員された女性は20万人であり、そのうち5万人から7万人が朝鮮人であったとしている(千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説参照)。

吉田証言とその影響[編集]

元旧日本陸軍軍人を自称する吉田清治(本名:吉田雄兎)は1977年に出版された自著『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)で、慰安婦について、「慰安婦徴用」などの表現を用いたり、済州島で軍や面職員などの協力を得て、「狩り出し」を行ったとの記述をしている[7]。1982年には樺太裁判において、済州島で慰安婦の強制連行を行なったと証言[8]、続く1983年7月に戦中済州島で自ら200人の女性を拉致し慰安婦にしたと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版した[9]が、韓国側の反応は全面否定であった。当時は日本統治時代を生き抜いた方々が中心の時代であり、済州島新報なども含め、吉田証言を全面否定している。

1983年11月10日には朝日新聞が「ひと」欄で吉田清治を紹介し、以後吉田を計16回取り上げて報道した[10]

1983年12月、吉田は謝罪碑建立のため訪韓した[11]

『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』は1989年に韓国でも出版された[12]

ニューヨークタイムズは吉田について、「テレビカメラの前で(罪を)告白したがっており、かつての戦争犯罪者であると自称している」としている[13][14]

韓国の経済史学者である李栄薫は、吉田証言は日本官憲が女性を徴発したとする今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与したとしている[9]

2012年9月5日、朝鮮日報は『朝鮮人慰安婦と日本人』を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分である」と強制連行の存在を主張している[15]

信憑性に対する疑義と朝日新聞による撤回[編集]

吉田の一連の証言について、済州新聞の許栄善記者や秦郁彦らにより事実に基づいていないことが指摘され、朝日新聞は同証言に基づく報道について撤回・謝罪している。

尹貞玉による調査と女性連合会[編集]

1990年には、梨花女子大元教授で韓国教会女性連合会メンバーの尹貞玉(ユン・ジョンオク)により調査が行われ、「挺身隊取材記」としてハンギョレ新聞に4回に渡り掲載される[16][17]。同年、韓国において挺身隊研究会が結成されたほか、韓国女性団体連合、韓国教会女性連合会など37の女性団体が、日本政府による慰安婦問題についての「調査はできかねる」との国会答弁に抗議する公開書簡を送付するなどした[16]

元慰安婦らによる訴訟 [編集]

1991年には、金学順が韓国で初めて元慰安婦として名乗り出て、自らの体験を語った[16]。同年、金ら元慰安婦3人を含む「太平洋戦争犠牲者遺族会」の35人は高木健一を主任弁護士とし、日本政府の謝罪と補償を求めて軍属らとともに東京地裁に提訴、1993年にはマリア・ロサ・ヘンソンらフィリピン人元慰安婦が、1994年にはオランダ人元慰安婦・捕虜などがそれぞれ東京地裁に提訴した[16] [18]

1992年12月25日には日本で釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟が始まり、1993年4月3日には、元慰安婦の宋神道が提訴した在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件の裁判が日本ではじまるが、双方とも2003年の最高裁で敗訴が確定している。

金らによる裁判について、当時毎日新聞ソウル支局の特派員だった下川正晴は、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を百人委員会」事務局長だった青柳敦子が1991年11月に永森支局長と下川を訪ね、日本政府に裁判を起こしたいとした上で「原告になってくれる韓国人の犠牲者を探している」と告げたとし、二人は「原告を探す」という発想に仰天したとしている[18][19]。 歴史学者の秦郁彦は、この際には原告は見つからなかったとし、帰国後に「太平洋戦争犠牲者遺族会」から協力申し入れがあったものの、同遺族会が内紛を起こしたのち主流派が青柳グループと絶縁、高木弁護士らの「日本の戦後責任をハッキリさせる会」に乗り換えたとしている[18]

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日韓メディアによる報道[編集]

朝日新聞』は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」、1983年11月10日朝刊3面「ひと 吉田清治さん」で、吉田清治を取り上げて報道[17]。1984年11月2日には「私は元従軍慰安婦 韓国婦人の生きた道」と題し、「邦人巡査が強制連行 21歳故国引き離される」とのキャプション付きで、元慰安婦と主張する女性のインタビュー記事を掲載した[20][21]

読売新聞』でも1987年に「従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。『お国のためだ』と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。」と説明がされている。(読売新聞社の元記者小俣行男は「『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社、1967年」にもビルマ(現在のミャンマー)での従軍慰安婦についても書いていて読売社内での従軍慰安婦についてはいくらか浸透していたと見られる。)[22]

1991年5月22日、『朝日新聞』(東京の社会部市川速水記者が取材チームを率いていた[23]。)大阪版が再び吉田証言を紹介し[24]、同年8月11日には「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と題した記事(植村隆韓国特派員・ソウル発)で元慰安婦の金学順について「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」たと報道する[17]

同年8月15日、韓国ハンギョレ新聞は金学順が「親に売り飛ばされた」と報道した[25]

同年10月10日には朝日新聞大阪版が再度、吉田清治へのインタビューを掲載する[17]。同年12月10日には「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」、1992年1月11日には「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と報道[26]

1991年10月7日から1992年2月6日にかけて、韓国のMBC放送は制作費72億ウォンを投じたドラマ『黎明の瞳[27]』を放映し、最高視聴率58.4%を記録した[28]。ヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行されるストーリーで、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待する場面が放映された[29]。原作は金聖鍾の同名の小説(全10巻)で、1975年10月から韓国の日刊スポーツ新聞で連載されていたもの[30][28]

宮沢喜一首相の訪韓を前にした1992年1月11日、朝日新聞が一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる[31]。同日朝日新聞夕刊では「韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され」たとのソウル支局電を掲載した[31]。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮沢首相には「前向きの姿勢を望みたい」とした[31]

ジャパン・タイムズは、1月11日夜のテレビ番組での渡辺美智雄外相の「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を引用し、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制売春 (forced prostitution) を初めて認めた」と伝える記事を同月13日に掲載した(秦郁彦は、実際の発言内容とは異なるとしている)[31]

1月14日には東亜日報が、「挺身隊が国民学校生まで連れて行った」との見出しで報道[32]

宮沢首相による謝罪[編集]

同1月14日、宮沢首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ[31]、韓国滞在中の1月16日には天皇の人形が焼かれる[31]などするなか、訪韓日程における首脳会談や国会演説などで謝罪し、「真相究明」を約束した[33]

毎日新聞ソウル支局の下川正晴特派員は当時の韓国の大統領主席補佐官による会見の様子について「『一時間二十五分の首脳会談で、宮沢首相は八回も謝罪と反省を繰り返した』。韓国の大統領主席補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない」と1993年9月9日の毎日新聞『記者の目——日韓関係』で述べている[19]

加藤談話と第一次調査[編集]

1992年7月6日、加藤紘一官房長官が従軍慰安婦問題について「お詫びと反省」を表明する談話を発表した[34]。これに合わせ、日本政府による関連資料の調査(第一次調査)の結果が公表され、慰安婦問題について「政府の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は見つからなかったとした[35][36]

日本弁護士連合会による活動[編集]

秦郁彦によると、日本弁護士連合会(日弁連)は慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した[37]

1992年2月、戸塚弁護士はNGO国際教育開発(IED)代表として、朝鮮人強制連行問題と「従軍慰安婦」問題を国連人権委員会に提起し、日本政府に責任を取るよう求めるとともに国連に対応を要請した[38][39]。戸塚は、それまで「従軍慰安婦」に関する国際法上の検討がされていなかったために、「従軍慰安婦」を大日本帝国の「性奴隷」(sex slave)と規定したとしている[39]

1993年6月、日弁連も参加した世界人権会議において「性的奴隷制」が初めて国連用語となった[40]

日弁連は1995年2月、「従軍慰安婦」問題について個人に対する国家補償を行う立法による解決を提言し、これを日本政府や国連女性の地位委員会、第4回世界女性会議などに提出した[40]

同連合会は1995年11月に日本政府に慰安婦に対する補償を求める声明を発表し、その中で、「日弁連を含むNGOは、一貫して慰安婦問題に関し、『性的奴隷』(Sex Slaves またはSexual Slavery) として日本政府に対し国家による被害者への補償を要求し続けてきた」としている[40]

河野談話と第二次調査[編集]

韓国政府から実態解明についての強い要請が寄せられたことを受け、日本政府は関連資料の調査に加えて関係者への聞き取りや現地調査、米国公文書の調査などを含む再調査を行い、1993年8月4日、その結果を公表した[41]。 その中で、慰安婦の募集について、「甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人の意向に反して集めるケースが多く…官憲等が直接にこれに加担」したとしている[41]

これに合わせ、河野洋平官房長官は談話を発表し、慰安婦について「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」とし、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした[42]

アメリカ合衆国下院121号決議では、「1993年の河野洋平官房長官による『慰安婦』に関する声明で、日本政府は彼女らの苦難について心からの謝罪と反省の意を述べた」とした上で、慰安婦の強制連行に関して日本政府の公式の謝罪を要求している[43]

関係者による証言 [編集]

1997年3月9日、石原信雄元官房副長官は、産経新聞の取材に「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。…韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた」と応じた[44][45][46]

河野自身は慰安婦の強制連行について、1997年3月31日の朝日新聞で、「『政府が法律的な手続きを踏み暴力的に女性を駆り出した』と書かれた文書があったかといえば、そういうことを示す文書はなかった」とした上で、「本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明らかだった」とし、また軍人・軍属に対する証言では「直接強制連行の話はなかった。」とした上で、「『文書や軍人・軍属の証言はなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみんな公娼だった』というのは、正しい論理の展開ではないと思う」としている[47]。また2012年10月8日付の読売新聞「時代の証言者」においては、「募集方法など『強制徴用』を裏付ける資料は見つからない」とした上で、「紙の証拠がないからといって今も苦しむ女性や戦争中の悲劇までなかったといわんばかりの主張には、悲しみさえ覚えます」と述べている[48]

評価[編集]

1998年4月28日、産経新聞は「主張」欄において、「河野談話は… 二百点以上の公的資料を中心に作成された… しかし、その資料のどこにも軍や警察による『強制連行』を裏付ける証拠はなかった」「『強制連行』のくだりは…元慰安婦からの聞き取り調査だけを根拠にし、その裏付け調査も行われなかった」と、河野談話に対する否定的な見解を示した[49]

政府見解[編集]

第二次安倍内閣での調査 [編集]

第二次安倍内閣政権下の2014年6月20日、河野談話の作成過程について、内閣官房の検討チーム(但木敬一秋月弘子有馬真喜子河野真理子秦郁彦)の報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」が公表され、談話の記載内容について日韓間で折衝が行われていた事実が確認された[50]。この検証報告書について韓国の朴槿恵大統領は7月2日、中国中央テレビのインタビューで「談話を傷つけようとしている。被害者の心に大きな傷を与え、国家間の信頼に背く行為だ」と述べた[51]

永野茂門法務大臣による「公娼」発言[編集]

1994年4月28日、永野茂門法務大臣は共同通信のインタビューに応じ「慰安婦は当時の公娼であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別とかは言えない。」などと述べ、この発言は5月4日と5日の新聞朝刊で報道された[52]。なお、永野法務大臣は前述の発言の際、南京虐殺を否定する発言もしていたことについて責任を取り、同年5月7日に辞任している[53]

村山談話[編集]

1995年8月15日村山富市内閣総理大臣は談話を発表し(村山談話)、その中で、従軍慰安婦問題について「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」と、政府としての反省の意を示した[54]

アジア女性基金による事業[編集]

1994年にとりまとめられた従軍慰安婦問題に関する第一次報告を受け、村山内閣は元慰安婦に対する「全国民的な償いの気持ち」をあらわす事業と、「女性をめぐる今日的な問題の解決」のための事業を推進することを目的に「基金」を設立することを決定した[55]。翌1995年には、同年度予算に「基金」経費への補助金として4億8千万円を計上[55]

同年6月14日、五十嵐広三官房長官は「女性のためのアジア平和友好基金」の設立に際して、

  • 元従軍慰安婦の方々への国民的な償いを行うための資金を民間から基金が募金する。
  • 元従軍慰安婦の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。
  • この事業を実施する折、政府は元従軍慰安婦の方々に、国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明する。
  • また、政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。

ことを行うとした[56]

1996年、橋本龍太郎内閣総理大臣は元慰安婦(アジア女性基金が対象としていない日本人女性を除く)に対して「心からおわびと反省の気持ち」をあらわす手紙を発出した[57]。首相官邸ウェブサイトのページでは、前述の手紙と合わせて、「いわゆる従軍慰安婦の問題を含め、先の大戦に係る賠償、財産・請求権の問題については…サン・フランシスコ平和条約、二国間の平和条約およびその他の関連する条約に従って…当事国との間では法的に解決済み」とした上で、「道義的責任の観点から、アジア女性基金の事業に最大限協力してきているところであり…資金拠出などを行うこととした」とする文章が掲載されている[57]

1996年6月に募金額が4億円を超えたことにより、1996年7月、政府は募金から元慰安婦に対して一人当たり200万円の「償い金」を渡すとともに、前述の手紙を届けること、また政府資金により行われる医療福祉支援事業については、総額7億円規模とすることを決定した[57]

アジア女性基金は1996年8月13日からフィリピンで、1997年1月11日から韓国で、同年5月2日から台湾で、それぞれ「償い事業」を開始した[58]。同基金は2002年5月までに「償い事業」を終え、国民から寄せられた総額5億6500万円の募金全額と不足分を基本財産の一部から500万円、計5億7000万円を、フィリピン、韓国、台湾の元慰安婦285人に支出したとしている[58]

2001年には小泉純一郎首相がおわびの手紙を[59]各慰安婦に送っている。

韓国では複数の元セックスワーカーが、韓国政府とアメリカ政府が1960年代から1980年代にかけ、アメリカ軍基地周辺における違法な売春や性的な目的での人身売買に関与していたと主張しており、謝罪と賠償を求めている[60][61]。ニューヨークタイムズの取材では、「彼女らはまた、自国の歴史に厳しい目を向けることなく日本から賠償を求めてきた歴代の韓国政府の偽善を非難している」としている[60][62]

2003年にはソウル地方裁判所が、11人のフィリピン人が韓国の米軍基地、キャンプ・ケーシー近くのナイトクラブで売春を強いられたとして、ナイトクラブのオーナーに損害賠償を求めていた裁判の判決を言い渡し、オーナーらに対し、400万から600万ウォンを11人全員に対して支払うよう命じた。同裁判には在韓フィリピン大使館も参加した[63]

2000年代以降も、挺対協や韓国政府主催の世界韓民族女性ネットワークは日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める活動を世界各地でおこなっており[64][65][66][67][68]、日本からは民主党岡崎トミ子議員が韓国でのデモに合流している[69]

2005年1月17日、韓国で日韓国交正常化交渉の関連資料が公開され、その中で、1964年5月2日に経済企画院長官が「民間人保有対日財産に対する補償措置」に関して「財産請求権の補償を前提に…個別的な補償を行わない」か否かを韓国外務部長官に問い合わせ、これに対し外務部長官は「日本と請求権問題を解決することになれば…個人請求権も含まれ解決される」と答えたことが明らかになった[70]。これについて韓国政府は2005年8月、1965年に日韓で結ばれた協定で反人道的違法行為は解決されていないとの見解を示した[71]

各国の「償い事業」実施状況[編集]

フィリピン
フィリピンでの「償い事業」は、女性団体「リラ・ピリピーナ」の支援のもと、基金に寄せられた申請を、フィリピン政府タスクフォース(フィリピン政府の各省庁で構成された「慰安婦」問題特別委員会)が審査するという枠組みで行われ、事業は2001年9月に終了した[72]。「償い金」に加え、医療福祉事業として、一人当たり120万円規模のサービスを支給している[72]
オランダ
日本政府の資金により、総額2億5500万円規模(一人当たり300万円規模)の医療・福祉支援事業が実施され、2001年7月に事業を終了した[58][72]。「償い金」の支給は行われていない[72]
インドネシア
同国政府が元慰安婦の認定を行わないとしたことから、「償い金」に代わり、政府資金による総額3億8000万円規模での「高齢者社会福祉推進事業」が行われた[58][73]
韓国
同国政府は、当初は「償い事業」に対して積極的な評価を下していたものの、韓国挺身隊問題対策協議会などの反対運動やマスコミによる報道などを受け、否定的となった[74]。被害者や支援団体も基金との接触を拒んだため事業は進展せず、1996年11月7日には韓国での活動見合わせを決定[72]
1997年1月には7名の元慰安婦に対して「償い事業」を実施したが、「償い金」の伝達が非公開で行われたために、基金や「償い金」を受け取った元慰安婦らはメディアや被害者支援団体からの批判を浴びた[72][74]。また民間により行われた募金から元慰安婦に援助金が支給された際も、「償い金」を受け取った元慰安婦らが支給から外される等の圧力を受けた[74]。こうしたことから、基金は一時韓国での事業を停止[74][72]
1998年1月6日には事業を再開し、寄せられた申請に対しては非公開で「償い金」を支給した[72]
1998年に金大中政権は元慰安婦142人に対し生活支援金を支給、その条件として「償い金」を受け取らないと誓約することが求められたことなどから事業は再び停滞[74]。その後医療施設建設など事業転換も検討されたが、基金は1999年7月に事業を停止[74][72]。2002年5月1日に事業を終了した[74]
台湾
台湾では、「償い金」に加え、医療福祉事業として一人当たり300万円規模のサービスを支給する内容で事業を開始し[72]、1997年5月から各紙に広告を掲載した[75]
同年8月31日、基金に反対する慰安婦の支援団体、婦女救援基金会(婦援会)はオークションを開催し、その収益から200万円を被害者42名に支給した[72]
同年9月29日には、台湾行政院秘書長夫人が婦援会のパーティの席において、「償い金」の代替金として約200万円を支払うことを表明[72]。同年12月5日、被害者42名は台湾政府と、「償い金」を受給しないという条件で代替金の支給に調印し、代替金は翌98年2月に支給された[72]
同基金は、2002年5月1日に事業を終了するまでに「それなりの数」の元慰安婦に対し事業を実施したとしている[75]

朝日新聞による報道撤回[編集]

朝日新聞は1997年に「吉田証言の真偽は確認できない」とする記事を掲載したが、報道の取り消しは行わなかった[17]

2014年、朝日新聞は慰安婦報道に関する検証を行い、吉田氏関連の16本の記事を取り消した[17]

慰安婦をめぐる教科書問題[編集]

慰安婦を巡る教科書の記述が問題になった2001年[76]、東京で行われた、内政干渉だとして韓国に抗議するデモ[77]

日本政府は1993年6月、1994年度用高校歴史教科書に検定を申請した9つの教科書に、慰安婦に関する内容を収録すると発表した[76]。また中学校歴史教科書では、1997年には同年度用の7つの教科書全てに慰安婦に関する記載がされていた[76]

1996年、1997年度用中学校歴史教科書の検定を申請した7種の教科書が「慰安婦」に関する記載をしていることに反発し、藤岡信勝と西尾幹二などは1997年1月に「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)を発足させた[76]。「つくる会」は発足直後の1月に文部大臣と面会し、歴史教科書から「従軍慰安婦」の語を削除するよう求めている[78]

「つくる会」は、既存の教科書が日本人としての誇りや国家と国民を守る意識を欠如させたと批判し、『教科書が教えない歴史』『国民の歴史』など同会の主張に基づいた書籍を出版、2000年4月には中学校歴史と公民用教科書の検定を申請し、翌2001年4月に同教科書が検定を通過した[76]。ただし、実際の教育現場での採択率は0.039%に留まった[76]

「つくる会」に反対する「子どもと教科書全国ネット21」は、「つくる会」の活動によって他の教科書から「慰安婦」に関する記述がなくなり、「強制連行」に関する記述も後退したとしている[79]

自由民主党の有志議員でつくる団体「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、前述の「つくる会」の運動を支援していた[80]

戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案[編集]

民主党の本岡昭次衆議院議員は、2000年11月1日、「旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的な行為の強制が行われ… そのような事実について謝罪の意を表し、…戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図」ることを目的とした戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を、議員立法として衆議院に提出した[81][82]。以降、2001年と、2003年から2006年にかけては毎年、そして2008年に同様の法案が民主党、社民党、共産党議員から提出されている[83][84][85][86][87][88]

地方自治体による決議[編集]

2008年3月28日、兵庫県宝塚市議会は、「慰安婦」問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求める意見書を採択した[89]

2010年6月までに同様の決議は25の地方議会で採択、うち16件については民主党政権発足後に採択している[90]

同様の決議は、東京の清瀬市三鷹市小金井市国分寺市国立市、千葉船橋市、大阪箕面市泉南市、京都京田辺市長岡京市、奈良生駒市、ほか札幌市福岡市田川市が採択した[91][92]

自民党国際情報検討委員会の動き[編集]

2014年9月19日、自民党の国際情報検討委員会は「いわゆる慰安婦の『強制連行』は否定され、性的虐待も否定された」とする決議を採択した[93]。また同年10月2日には同委員会会長の原田義昭が会合で、「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている」と発言した[94]

2015年日韓外相会談における合意[編集]

日本政府は河野談話以来、村山富市、橋本龍太郎、小泉純一郎の各内閣が謝罪と反省を表明し[95][57][59]、またアジア女性基金が償い事業を通じて元慰安婦に「償い金」を支給するなどしてきた[58]

しかし、2013年2月に発足した朴槿恵政権は、慰安婦問題について、日本から誠意ある措置を導き出すという方針のもと、日本政府に対し慰安婦問題を議論する実務協議を開催することなどを要求[96]

こうした中、2014年3月35日、ハーグで開催された日米韓首脳会談では、日韓間で慰安婦問題を巡る局長級会合を開始することで合意[96]。2014年4月16日から合意の発表直前である2015年12月28日にかけ、12回の局長級会合が開催された[96]

しかし、局長級会合では捗々しい進展がみられなかったため、2015年2月からはハイレベル協議を開始[96]。同年4月11日の第4次ハイレベル協議では、大部分で妥結し、暫定合意した[96]

2015年11月2日の日韓首脳会談では、できるだけ早い時期に慰安婦問題を妥結することを確認[96]

2015年12月28日には、日韓外相会談において両国の合意が妥結に至った[96]

合意では、日本政府として「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,…日本政府は責任を痛感している」と述べ、安倍晋三首相が「改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした[97]

尹外相は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と述べ[98]、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した[97]。また、在韓国日本大使館前の少女像については、「関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。」とした[97]。この合意の内容については、日韓で公式な文書を交わすことは行わず、日韓の両外務大臣が共同記者会見を開いて発表するという形式で行った[99]

釜山の日本総領事館前への慰安婦像設置[編集]

前述の合意から一年後の2016年12月28日、合意に反対する市民団体や大学生などが、在釜山日本国総領事館前に慰安婦を象徴する少女像を設置したが、釜山市当局により撤去された[100]。2日後の30日には再び設置され[101]、これに反発した日本政府は2017年1月6日、少女像の設置は日韓合意に違反しているとして、長嶺安政駐韓大使などを一時帰国させる措置をとった[102]。なお、長嶺大使は同年4月4日、北朝鮮情勢の緊迫化に伴い帰任している[103]

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日本の各内閣の見解[編集]

第2次橋本内閣での閣議決定[編集]

1997年1月に 第140回通常国会において、第2次橋本内閣平林博内閣外政審議室長は、「軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との答弁をおこなった[104]。河野談話前の調査の信ぴょう性を問うた高市早苗の質問主意書を受けて、内閣は1997年12月に「軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった」とする答弁書を閣議決定した。直接証拠は存在しないものの「証言聴取なども参考に総合的に判断した結果」であるとした[105][106]

第1次安倍内閣[編集]

2006年10月3日、安倍晋三内閣総理大臣は「いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立場は、…河野官房長官談話を受け継いでおります」と答弁した[107]

同年10月25日、下村博文官房副長官は「河野談話はもう少し事実関係をよく研究し…客観的、科学的知識を収集して考えるべきではないか」と発言[108]

2007年3月1日、安倍首相は「強制性を裏付ける証拠はなかった」と発言した[95]。 同年3月5日には、参議院予算委員会において、「吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが…後にでっち上げだったことが分かったわけでございます」とした上で、「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかった」と答弁している[109]

同年4月27日、安倍首相はブッシュ大統領との日米首脳会談後の記者発表で、「元慰安婦の方々に…申し訳ないという気持ちでいっぱいである」と述べた[110]

野田内閣での答弁[編集]

2012年に野田佳彦首相は、「いわゆる強制連行したという事実を文書では確認できないし、日本側の証言はありませんでしたが、いわゆる従軍慰安婦と言われている人たちの聞き取りの中のことも含めてあの談話ができた」とした上で、「我が政権としても基本的にはこれを踏襲をする」とする答弁をおこなった[111]

第2次安倍内閣において[編集]

2013年6月18日、第2次安倍内閣は、旧日本軍による慰安婦の強制連行を示す証拠が、政府の発見した資料の中にあった事実を認めたとしんぶん赤旗は伝えた[112]。 これについて、政府の同6月18日の答弁書では、政府が発見した資料に「バタビア臨時軍法会議の記録」が含まれ、その中に「軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」との記述が存在することは認めたものの、政府の認識については、2007年3月16日の答弁書における「慰安婦問題については…政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と同様としている[113][114]

2015年12月28日の日韓外相会談では、日本政府として「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、…責任を痛感している」とする旨が述べられ、また総理大臣として「おわびと反省の気持ち」を表明するとした[97]

日本の論壇における主張[編集]

池田信夫[編集]

アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件について

評論家の池田信夫は、金らによる訴訟の目的は敗戦で無効になった軍票で支払われた給与の賠償だったとし[115]、「このときの訴状は『親に売られてキーセン(娼婦)になった』という話だったのだが、これを朝日新聞が『軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した』と誤って報じたため、1992年に宮沢首相(当時)が韓国で謝罪するはめになった」と延べている[116][115]。 池田はまた、福島瑞穂高木健一らは原告になる元慰安婦を韓国で募集した際に金学順を見つけたとしており、福島はNHKにこの話を売り込んだ上で、NHKのスタジオに立ち会い、金学順に「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言するようせりふを教えたとしている[115]

河野談話について

池田は2007年5月1日、自身のブログで、「河野談話の根拠とされたのは…『私の戦争犯罪』(三一書房)という本だが、この内容は捏造であることが後に判明した」と述べている[117]

岡田邦宏[編集]

慰安婦訴訟について

日本政策研究センターの岡田邦宏は、機関紙『明日への選択』で、1989年の吉田の著書の韓国出版と「ほぼ同時期」に「日本人女性がソウルで日本政府相手に朝鮮人への公式謝罪と補償要求の訴訟を起こしてほしいと韓国人原告の募集を始め」たとしている[118]

宮沢首相による謝罪について

岡田は、同じく機関紙『明日への選択』で、宮沢首相盧泰愚大統領との首脳会談で事実関係の調査を経ることなく慰安婦問題について謝罪したとしている[118]

西岡力[編集]

慰安婦に関する報道について

西岡力は、1991年5月22日からの朝日新聞の一連の報道について、誤報であると述べている[119]

1993年の世界人権会議について

西岡は、1993年の世界人権会議がきっかけとなり、1996年クマラスワミ報告書では「軍隊性奴隷制 (military sexual slavery)」と明記されることとなったと主張している[39]

秦郁彦[編集]

陸支密大日記について

歴史学者の秦郁彦は、1992年1月11日の朝日新聞では陸支密大日記を吉見義明が「発見」したとしているが、研究者の間ではこの資料は周知のものであったと指摘している[31]

日弁連による活動について

秦郁彦は、日本弁護士連合会(日弁連)が慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した[37]ことについて、日弁連は戸塚を通じて海外のNGOと連携を深めることで日本政府に特別法を制定させる戦略をとっていたとしている[37]

大高未貴[編集]

『朝鮮人慰安婦と日本人』について

ジャーナリストの大高未貴は、『朝鮮人慰安婦と日本人』について「労務報国会の仕事の範疇での体験であり、「慰安婦狩り」をしていたとも、済州島に行ったとも書いていない」としている[120]

国連人権委員会の報告書[編集]

クマラスワミ報告[編集]

韓国の運動団体や日本カトリック教団[121]日本弁護士連合会[122]などの組織が、国連人権委員会に対して慰安婦問題の積極的なロビー活動を行った。1996年、国連人権委員会は「女性に対する暴力」の審議でラディカ・クマラスワミを特別報告者に任命し、その報告書が国連人権委員会に提出された(クマラスワミ報告書)。この報告書の附属文書では慰安婦制度を国際法違反とし、日本政府に対して慰安婦に対する賠償を勧告している。しかし、この報告書が典拠としている吉田清治の証言(#吉田証言と慰安婦論争も参照)について後に虚偽であったことが判明しており、同じく典拠としているジョージ・ヒックスの著作『性奴隷』について二次文献をまとめたもので研究書としての価値は低く事実誤認と歪曲が多数あるとの指摘がある[123]。他にも多数問題点があるとして、日本の運動団体「日本の戦争責任資料センター」の荒井信一[124]吉見義明秦郁彦らの歴史学者による批判がある[125]

マクドゥーガル報告書[編集]

1998年マクドゥーガル報告書が提出された[126]が、その序論において「1932年から第二次世界大戦が終わるまで、日本政府と日本帝国軍は20万以上のアジア女性を強制的にアジア各地のレイプセンターの性奴隷とした。」「連日の虐待を生き延びた女性はわずか25%にすぎないと言われる。」(アジア女性基金 訳)としている。この「20万」や「25%」という数字について、日本のアジア女性基金の調査では出典の信憑性がないとした(女性のためのアジア平和国民基金#マクドゥーガル報告書を参照)が、マクドゥーガル報告書が提出されると、報告書を検証することなしに日本のカトリック教会枢機卿白柳誠一は日本政府に謝罪と補償を求める[127]とともに「応じよ!国連勧告」100万人署名運動を呼びかけた[121]2000年には、朝日新聞元編集委員の松井やよりが主催する「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク韓国挺身隊問題対策協議会などの団体によって「女性国際戦犯法廷」という民衆法廷が開かれた。「法廷」では「昭和天皇および日本国は有罪」との「判決」が下され、取材をおこなった海外のメディアが「日本国が女性を強制連行して性奴隷にした」と報じたことで慰安婦問題は世界各国でも認識されるようになった。

2004年8月10日東京造形大学教授で国際人権活動日本委員会の前田朗は、ジュネーブで開かれた国連人権促進保護小委員会において20万人もののコリア、中国などの女性が日本軍の慰安婦としての性労働を強いられたうえに拷問栄養不良などで殺害されたり、なかには爆撃下のたこつぼ(蛸壺壕)でレイプされた女性もいたとして大量虐殺的強姦という概念を提唱し、日本政府は何も聞こうともせず、いまだ何も行っていないと非難し、犯罪者である日本を処罰する権利と被害者の救済を要請した[128]

当時、慰安所営業者の半数は朝鮮人であり[129]、日本軍は慰安婦募集の誇大広告を禁止するとともに渡航する女性が本人自ら警察署で身分証明書の発給を受けて誘拐でないことを確認するよう通達を出していた[130]朝鮮では日本の官憲が日本人や朝鮮人の女性を誘拐して売買をおこなった者を取り締まっていたが[131]、戦後1993年の一部官憲の関与を認めた河野談話以降は、海外から「日本政府が数十万人の女性を強制連行して性奴隷にした」として非難され、日本国内では女性の人権などの観点をめぐって様々な議論となった。元慰安婦を名乗る韓国人女性たちの証言の信憑性についても疑問視されてもおり、証言が虚偽または創作でないかの検証が韓国や日本で行われている[132]

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米国での慰安婦訴訟[編集]

ヘイデン法[編集]

1999年2月26日、元反戦運動家でカリフォルニア州の上院議員トム・ヘイデン英語版ロッド・パチェコ英語版下院議員・マイク・ホンダ下院議員らが、第二次世界大戦中にナチスドイツや日本から強制労働を強いられた被害者が州裁判所レベルで賠償を求めることができるとする州法の「戦時強制労働補償請求時効延長法」[133](朝日新聞は「第2次世界大戦奴隷・強制労働賠償法」と表記[134])いわゆる「ヘイデン法」を提案した[133](法案番号SB1245「補償- 第二次世界大戦奴隷・強制労働」、法律216号「補償に関して民事訴訟法に第354条第6項[135]を追加し、即時に発効さすべき緊急性を宣言する法律」[133][136]。)。同州法は1999年7月15日にカリフォルニア州議会両院で全会一致で可決、施行された[133]。この州法は1929年から1945年までの間のナチスドイツによる強制労働の被害者補償を目的としたもので、ナチスの同盟国であった日本の責任も追及できるとされた[134]。提訴期限は2010年末で、それまでに提訴すれば時効は適用されない[137]

対日非難決議[編集]

マイク・ホンダ下院議員

ヘイデン法成立直後の8月にはマイク・ホンダ下院議員[133]が、第二次世界大戦時の戦争犯罪について日本政府が公式謝罪と賠償を求める決議を提案、カリフォルニア州議会は採択した[138][137]。ホンダ議員が提案した「日本の戦争犯罪」とは、強制労働と5万人の捕虜抑留者の死、30万人の中国人を虐殺した南京大虐殺、従軍慰安婦の強要を指す[133]。議会ではジョージ・ナカノ下院議員が「日本に対する古い敵意をあおることは、日系人に対する反発を駆り立てる」として反対し、また原爆投下は残虐行為ではないかとする緑の党議員に対して民主党議員は「原爆投下によって戦争終結をはやめ、多くの人命が救われた」と反論するなどした[133]。ホンダ議員とナカノ議員の対立は、日系アメリカ人社会の内紛ともなり、ダニエル・イノウエ上院議員がナカノ議員側を支持した[139]。マイク・ホンダ議員は中国系の反日団体の世界抗日戦争史実維護会から多額の献金を受領し緊密な連携をとっているとして、ナカノ議員はホンダ議員が対日非難活動を行う理由は「選挙キャンペーンでの政治献金の問題だ」と語っている[139]。なお、決議には法的拘束力はない[133]

慰安婦訴訟[編集]

2000年9月18日、第二次世界大戦中に日本軍に慰安婦にさせられたとする在米中国人や韓国、フィリピン、台湾人女性ら計15人が、日本政府を相手取って損害賠償請求の集団訴訟をワシントン連邦地方裁判所で起こした[140][141]。原告のなかにはアメリカ市民でないものも多かったが外国人不法行為請求権法に依拠した[141][142]。アメリカに限らず国際民事訴訟においては外国主権国家に対して主権免除の原則があり、外国の国家を裁くことはできない[140][142]が、アメリカ法外国主権者免責法 (en:Foreign Sovereign Immunities Act; FSIA)[143] では国家の商業行為は例外とされており、元慰安婦ら原告側は「日本軍慰安婦制度には商業的要素もあった」として訴えをおこした[140]。日本政府は「日本国との平和条約サンフランシスコ講和条約)での国家間の合意で解決ずみ」としてワシントン地裁に訴えの却下を求めた[140]

連邦地方裁判所判決「ウォーカー判決」と米政府見解[編集]

2000年9月21日、サンフランシスコ連邦地方裁判所は「日本国との平和条約において請求権は決着済み」「追加賠償を求めることは同条約によって阻まれている」として元米兵や元連合軍人らの集団訴訟12件に対して請求棄却した[133]。集団訴訟の請求内容が日本国との平和条約に密接に関係するため、サンフランシスコ連邦地方裁判所ボーン・R・ウォーカー英語版判事が「アメリカの連邦法や条約に関わる訴訟は連邦裁判所が裁判管轄権を有する」として27件を一括処理した[133]。ウォーカー判事は、元軍人による13件の訴訟については、連合国が対日賠償請求権を放棄した日本国との平和条約14条に抵触することは明白とし、さらに原告が日本国との平和条約26条について「日本は他の六カ国との協定で賠償責任を認める好条件を出したから、連合国国民も請求できる」と主張した件については「26条の適用請求を決定するのは条約の当事者である米国政府であって、原告個人ではない」と却下した[133]。他方、中国・韓国人・フィリピン人らの集団訴訟には他の争点があるため審理継続とされた[133]

2000年10月31日、米上院は「強制労働被害者と日本企業の賠償問題について政府は最善の努力をすべき」とする決議案[144]を全会一致で可決した[133]

2000年12月13日の法廷でウォーカー連邦裁判事は5件を請求棄却し、これにより元軍人の請求はすべて棄却され、「戦後補償は平和条約で解決済み」とする日米両政府の立場が司法判断で確認された[133]。被告側のマーガレット・ファイファー弁護士は「フィリピンは平和条約を批准しており、賠償請求権はない」とし、条約締結国でない韓国と中国については日韓基本条約と日中共同声明が日本国との平和条約の枠内にあり、請求権は放棄されていると述べ、また米司法省代理人も「カリフォルニア州法それ自体が合衆国憲法に違反し、アメリカと日本、韓国、中国、フィリピンの国際関係を破壊するもの」と指摘した[133]

クリントン民主党政権下の米政府の意見書では

「平和条約は中国や韓国との賠償問題については二国間条約で解決するよう求め、日本はそれを果たした」
「こうした各条約の枠組みが崩れた場合、日本と米国および他国との関係に重大な結果をもたらす」

と明記された[145][133]

2001年5月、共和党ブッシュ政権下の司法省はワシントン地裁に法廷助言(アミカス・キュリエ)を行い、「日本国との平和条約の解釈が論点となる訴訟の管轄権は連邦裁判所に属する」とし[133]、またアメリカ政府は外国主権者免責法にもとづき日本政府の要請を支持すると表明した[142]。2001年6月にはアメリカ上院司法委員会の公聴会で国務省司法省ともに「訴訟は無効」とした[133][146]

2001年9月4日、元米兵が日本政府に1兆ドルの賠償金を請求して提訴[147]。9月6日に、米国務省のバウチャー報道官が対日賠償請求運動について「平和条約で決着済み」と声明を出し[147]さらに8日にはパウエル国務長官が同見解を述べた[148]

しかし、9月10日には米上院で、司法省と国務省が対日賠償訴訟に関して意見陳述を行うことを禁じる修正条項法案が可決した[149](提案者は共和党ボブ・スミス上院議員)。2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生。10月には元駐日大使のトーマス・フォーリーウォルター・モンデールマイケル・アマコストが修正法案は「米国の安全保障に緊要な条約の破棄になりかねない法案」であり、「訴訟に根拠を与えるいかなる措置も平和条約の重要な条項に違反する」として、日本国との平和条約は米国の太平洋地域の安全保障の要石であり、またドイツは連合国と平和条約を締結しなかったが、日本はドイツと異なり明確に決着したこと、また元軍人には日本からの接収資産から一人3000ドル(2万3000ドル)の補償もすでに行われていると批判した[150]。11月20日、米国議会は上下両院で可決した修正法案を最終審議の議会両院協議会で抹消した[151]

2001年9月17日、米連邦裁ウォーカー判事は中国・韓国・フィリピン人による対日賠償請求訴訟について「フィリピンは平和条約を批准しており、賠償請求をできない」、中国・韓国人については「ヘイデン法が憲法違反であり、したがって訴訟も無効」と判決し、訴えを却下した[152]。原告は控訴。

2001年10月4日、ワシントン米連邦地裁は慰安婦訴訟について日本側の主張を認め請求棄却[141][153]。原告側はD.C.巡回区控訴裁判所(高裁)へ控訴

米最高裁判決[編集]

2003年1月15日にカリフォルニア州高裁は、1999年に施行された戦時中の強制労働への賠償請求を認めたカリフォルニア州法は合憲とした[154]

しかし、1月21日にサンフランシスコ連邦高裁

アメリカ合衆国憲法外交権を連邦政府のみに与えており、戦後補償をめぐりカリフォルニア州が訴訟を起こす権利を州法でつくり出すことはできない[154]
「個人の賠償を解決するために裁判所を使うことは米国の外交権に反する[155]

としてカリフォルニア州法のヘイデン法を憲法違反と司法判断し、日本企業への集団訴訟28件をすべて却下した[154][155]

慰安婦訴訟についてワシントンD.C.巡回区控訴裁判所(高裁)が主権免除の商業活動例外は法の不遡及によって適用されないとして2003年6月27日に一審判決を支持し棄却[156]2003年10月6日、米国連邦最高裁判所は上告棄却[157]2004年6月14日、米国連邦最高裁判所ワシントン高裁へ差し戻す[158]2005年6月28日ワシントン高裁は平和条約と請求権については司法府に審査権が付与されない政治的問題として一審判決を再び支持した[159]。原告側は最高裁へ再審請求し、2006年2月21日にアメリカ合衆国最高裁判所は、却下の最終司法判断を下した[140][160]。このアメリカ最高裁の判決によって米国の司法当局および裁判所が日本軍慰安婦案件については米国で裁くことはできなくなり、また米国で訴訟を起こすこともできなくなった[140]。これらの集団訴訟に際してアメリカ合衆国政府・国務省・司法省は一貫して「サンフランシスコ平和条約で解決済み」との日本政府と同じ立場を明言している[140]。ただし立法府(議会)はこの限りではない[140]ため、その後も下院などで非難決議が出されていく。

日本への慰安婦に対する謝罪要求決議案提出[編集]

2007年1月末にアメリカ民主党マイク・ホンダ 下院議員らが慰安婦問題に関する日本への謝罪要求決議案を提出した。過去にも同種の決議案は提出されていたが、いずれも廃案になっていた[161]。2月15日の下院公聴会で、李容洙金君子ジャン・ラフ・オハーンの3人の元慰安婦が証言。2007年2月25日フジテレビ放送の『報道2001』でホンダ議員は「反日決議案ではなく和解を意識したもの」と述べた[161]

安倍発言[編集]

安倍晋三首相は2006年の組閣後、2007年3月1日に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と発言[162][163]、3月5日には対日決議案は「客観的事実に基づいていない」と述べた[164]。安倍首相は他方で当時の慰安婦の経済状況について考慮すべきこと、斡旋業者が「事実上強制していたケースもあった。広義の解釈では強制性があった」とも発言した[163]。この安倍発言は国内外で大きな波紋を呼び、ワシントンポストは「二枚舌」と批判した[165]。対日非難決議案の動きについて麻生太郎外務大臣は3月11日のフジテレビ番組で北朝鮮、韓国、中国などによる日米離間(分断)の反日工作と指摘した[166]。3月31日には元慰安婦へ補償を行なってきたアジア女性基金が解散。またアルジャジーラは「アメリカ合衆国は日本と中国・韓国との間に問題を作り出そうとしている」と報じた[167]

安倍内閣は、2007年3月16日付で、「河野談話をこれからも継承していく」としつつ、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」とし、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定した[168][169]。また第二次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して「河野談話の見直し・改変」を唱えていたが[170]、2013年5月24日、「安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる」と辻元清美の質問主意書には応えている[171][172]

2007年4月3日、米議会調査局報告書で日本軍は朝鮮半島での直接の徴集を行っていないこと、これまでに日本は謝罪や賠償努力を行なってきたことを指摘して、これ以上の賠償要求を行うことに疑問を呈した[173]。安倍首相は4月27日に初訪米し「私の真意が正しく伝わっていない」と、また慰安婦が当時苦しい状況にあったことに「心から同情する」と述べた。前日の4月26日にはワシントン・ポスト在米韓国人団体が「日本は全面的な責任をとったことは一度もない」と意見広告を掲載していた。

米国下院121号決議[編集]

2007年6月26日にアメリカ合衆国下院外交委員会アメリカ合衆国下院121号決議は賛成39票、反対2票で可決。続く7月30日、米下院本会議でナンシー・ペロシ下院議長のもと可決した。下院121号決議では日本軍慰安婦制度を「かつてないほどの残酷さと規模であった20世紀最大の人身売買の1つ」とし、「性奴隷にされた慰安婦とされる女性達への公式な謝罪、歴史的責任、あらゆる異論に対する明確な論破及び将来の世代にわたっての教育をすることを日本政府に要求する」と明記された。これに対し、日本では読売新聞日本経済新聞産経新聞毎日新聞が米下院決議を批判し、朝日新聞は社説で安倍首相河野談話と同様の談話を出すべきと報じた[174]。 日本政府は反論も抗議もせずに、安倍首相も「残念だ」とコメントするにとどまったが[175]、この米国下院での決議以降、カナダ、ヨーロッパ、アジアでも対日謝罪決議が続いた。

また、2009年9月、米下院外交委員会は対日謝罪要求決議を国連でも採択するよう働きかけている[176]

韓国系・中国系住民によるロビー活動[編集]

在米韓国人のロビー活動と政治資金提供[編集]

対日謝罪要求決議の採択は、在米韓国人によって全米各地に慰安婦謝罪決議案採択のための汎対策委員会が設立され、対日謝罪要求決議が可決されるよう韓国系アメリカ人によるアメリカ下院議員へのロビー活動の結果だった[177]。日本政府も採択阻止のため4200万円かけてロビー活動を展開したが、失敗した[178]。在米韓国人による米国議員への政治後援金は2007年から2011年までで総額300万ドルにおよび、政党別では民主党へ179万7155ドル、共和党へ114万8597ドルで、年度別では2007年に70万4669ドル、2008年に101万2195ドル、2009年に86万4099ドル、2010年に36万4789ドルであった[179]。議員別ではマイク・ホンダが米国議員のなかで最も多額である13万9,154ドルの政治資金を集めた[179]

在外中国人団体・世界抗日戦争史実維護連合会のロビー活動[編集]

マイク・ホンダ議員は在米中国人の反日団体の世界抗日戦争史実維護連合会抗日連合会、Global Alliance for Preserving the History of WW II in Asia[180])からも政治資金の提供を受けている[181][182][183]。抗日連合会の本部は米国カリフォルニア州クパナティノで、ホンダ議員の選挙区内である[175]。その対日戦略の基本方針はアジアでの中国の覇権を確保するために日本の力を何があっても阻止するというもの[181]で、公式サイトでも「過去を忘却する民族がその過ちを今後繰り返すたびに、そのつど非難されねばならない」等と明記されている[184]。同団体は1997年にアイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』の宣伝と販売促進[182]、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りに反対するために全世界で数千万人の署名を集めたり[182]、日本国内でも憲法9条改正の阻止[181]、従軍慰安婦問題・南京大虐殺・靖国神社問題などで戦争責任を繰り返し日本に叩きつけ、また米国をはじめとする世界各国での反日プロパガンダによって日米分断させ、日本の孤立化と弱体化をめざす[181]。2002年2月には上海で中国政府が開催した「第2次世界大戦の補償問題に関する国際法律会議」にも参加しており、中国政府との連携も指摘されている[181]。カナダでも抗日連合会支部が活動し、対日謝罪決議が採択された[175](後述)。

下院決議採択直後の2007年8月末にはマイク・ホンダ議員が中国系アメリカ人ノーマン・シューから資金提供を受けていたことが発覚し、謝罪した[185]

米国での採択を受けて挺対協は対日謝罪要求決議が各国でもなされるよう運動し[177]民団機関誌「民団新聞」も8月29日記事で日本への謝罪要求決議がアメリカに続けて世界各国で決議されるように活動することを呼びかけた[177]。2007年9月20日オーストラリア上院11月20日オランダ下院11月28日カナダ下院で対日謝罪決議が採択された。

世界抗日戦争史実維護連合会カナダ支部のロビー活動[編集]

カナダの決議案では「日本政府は日本軍のための『慰安婦』の性的な奴隷化や人身売買は実在しなかったとするような主張は明確かつ公的に否定していくこと」と明記された[175]。カナダで対日謝罪決議を推進したのは野党の新民主党の中国系女性議員オリビア・チョウ(鄒至蕙)で[175]、またカナダには世界抗日戦争史実維護連合会の支部カナダALPHA(第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合)がロビー活動を持続的に行なっており2005年にはカナダの教科書に南京大虐殺がユダヤのホロコーストに並んで記載され、この対日決議案も推進した[175]。カナダでの決議採択は2007年3月27日に国際人権小委員会で賛成4票、反対3票で可決、次にカナダ下院外交委員会で5月10日に審議されたがカナダ保守党議員らが「日本への内政干渉だ」「日本はすでに謝罪している」と反対、再調査として差し戻された[175]。以降、カナダALPHAの活動は過激化し、カナダ全土の中国系住民をはじめ韓国系・日系住民を動員し、トロントALPHA、ブリティッシュコロンビアALPHAなどの組織を編成、セミナーやロビー活動を展開した[175]

2007年10月4日から6日まで米国ロスアンジェルスで開催された抗日連合会主催の日本糾弾国際会議[175]でエニ・ファレオマバエンガ米国下院議員が「今後は女性の弾圧や人権の抑圧に関して、日本の慰安婦問題から次元を高めて、国際的な条約や協定の違反行為へと監視の視線を向けていくべきだ。日本ばかりを糾弾しても意味がない。日本にいまさら慰安婦問題などで賠償を払わせることはできない」と主張したが、カナダALPHA議長セルカ・リットは「日本国民の意識を高めるために日本政府を非難し続けることの方が必要」と反論、同会議の声明では日本のみを対象とした謝罪賠償が要求された[175]

2007年12月13日EUの欧州議会本会議でも対日謝罪決議が採択された[186]。翌2008年3月11日フィリピン下院外交委[187]10月27日韓国国会謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択[188]11月11日台湾の立法院(国会)が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択する[189]など、サンフランシスコ講和条約締結国[190]を多く含む国から日本のみを対象とする決議が次々に出された。

これらの対日決議を採択した国には朝鮮戦争に国連軍として参加した国も含まれ[191]、それらの国は戦時中に韓国の慰安所を利用していた[192]古森義久渡部昇一東京裁判サンフランシスコ講和条約で日本軍の戦争責任や賠償は終わっており、講和条約以前のことを持ち出すことは国際法違反と批判している[193][194]

2009年8月には韓国江原道知事の招待でマイク・ホンダ米下院議員が訪韓し、江原大学名誉博士号を受けたり韓国のナヌムの家を訪れた[195][196]。また韓国外務省はホンダ議員の対日行動に感謝の意を表明するとともにFTA批准の協力を求めた[197]

日本国内では2010年頃より、在日特権を許さない市民の会主権回復を目指す会などの「保守系住民団体[198]」は、「日本軍の従軍慰安婦への謝罪と補償」を要求している団体と激しく対立している[198]

米国における調査[編集]

米国ではクリントン、ブッシュ両政権下において8年かけてドイツと日本の戦争犯罪の再調査を行った(米国政府が国防総省、国務省、中央情報局 (CIA)、連邦捜査局 (FBI) などに未公開の公式文書を点検させ第二次大戦時のドイツと日本の戦争犯罪に関する資料の調査したもの)。在米中国系反日組織「世界抗日戦争史実維護連合会」は慰安婦問題についての調査を米政府に促していた。この調査の結果、慰安婦を日本軍が性的目的のために組織的に奴隷化したという米国側の資料は皆無であったことが2014年に明らかとなった[199]

この調査結果を受け、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨンは「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と指摘した[199]

韓国の裁判所での判決と元慰安婦のための法律[編集]

韓国行政裁判所による判決 (2009)[編集]

その後、2009年8月14日ソウル行政裁判所は「1965年に締結された日韓請求権並びに経済協力協定により日本政府から無償で支給された3億ドル(1965年当時のレートで1080億円)で徴用者への未払い賃金への対日請求が完結しており、大韓民国外交通商部としては「すでに補償は解決済み」とした[200][71]1966年にも大韓民国大法院は慰安婦の損害賠償請求を不法行為に基づくものであるとして棄却している[201]

韓国外務省による再請求と韓国憲法裁判所判決 (2011)[編集]

しかし、大韓民国外交通商部2010年3月15日に、慰安婦については「1965年の対日請求の対象外」として「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と発表[202]。同年3月17日、日本政府は改めて「日韓請求権並びに経済協力協定により、両国間における請求権は、完全かつ最終的に解決されている」とする見解を発表した[203]2010年4月28日、フィリピン最高裁は、フィリピン政府に日本政府への謝罪要求を支持するよう求める訴えを退けた[204]

2011年8月30日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは違憲」と判決[205][206]。9月15日、韓国外交通商省趙世暎東北アジア局長は「慰安婦と被爆者の賠償請求権が請求権協定により消滅したのかどうかを話し合うため、日韓請求権・経済協力協定第3条により両国間協議を開催することを希望する」という口上書を日本側に提出、9月24日ニューヨークでの日韓外相会談、10月6日のソウルでの日韓外相会談でも同様の要求をおこなう[206]。しかし10月19日のソウルでの日韓首脳会談では、慰安婦問題は議題にならなかった[206]2013年5月22日、この件に関して岸田外務大臣が国会で「具体的な協議等が行われたということは承知しておりません。」と答弁した[207]

大韓民国における『日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援および記念事業等に関する法律』[編集]

大韓民国では、「日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援および記念事業等に関する法律」(法律第9932号、2010年改正)に基づき[208][209]、日本により強制動員され、「慰安婦」としての生活を強いられた被害者に対し、国家が人道主義の立場から保護・支援を行う[210]。生活安定支援対象者になろうとする者は女性家族部長官に登録申請をし(第三条第一項)、国家は生計給与、医療給与、生活安定支援金の支給、看病人支援を行う(第四条第一項)[208][209]。女性家族部に置かれた審議委員会が、生活安定支援対象者登録申請事項の事実の有無の認定などを行う(第六条第一項)[208][209]。国家および地方自治団体は、①記念事業、②歴史的資料の収集、保存、管理、展示と調査、研究、③教育、広報および学芸活動、④国際交流および共同調査、の事業を行うことができる(第十一条第一項)[208][209]

その他の近年の動向[編集]

2012年8月14日には李明博大統領によって天皇に謝罪を求める発言が行れた(李明博による天皇謝罪要求)。

2013年1月16日、ニューヨーク州議会でトニー・アベラ上院議員らが「日本軍慰安婦は人道に対する罪で20世紀最大の人身売買」と断定し、日本に謝罪を求める決議案を提出[211]2013年1月29日に上院で採択された[212]

2013年5月13日に橋下徹大阪市長が「歴史をひもといたら、いろんな戦争で、勝った側が負けた側をレイプするだのなんだのっていうのは、山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ」などと慰安婦問題について発言し、日本、韓国、アメリカなどで話題になった{橋下徹#慰安婦問題への対応参照)

同年5月14日、読売新聞は、朝日新聞が1992年1月に報じた、女子挺身隊制度を「慰安婦狩り」とする誤報を含む、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」との記事を発端とし、さらにその後、河野談話(謝罪)が曲解されたことで、日韓間の外交問題に発展したとする見解を示した[213]

2015年12月28日の日本と韓国の合意について、12月29日に台湾の外交部長が記者会見し、台湾とも協議に応じるよう日本に要求した[214]

2017年1月31日に韓国教育省が発表した国定歴史教科書最終版では、慰安婦が「集団虐殺」されたとする記述が新たに加わることになった[215]

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慰安婦に関連する施設[編集]

2012年5月5日、韓国の民間団体韓国挺身隊問題対策協議会ソウル市麻浦区に日本軍慰安婦問題について展示する「戦争と女性の人権博物館[216]を、3億円(35億ウォン)をかけて建設し[217]開館した[218]。日本でも日本建設委員会が結成され、多数の運動家・運動団体や研究者が呼びかけ人となり[219]自治労JR総連NTT労働組合大阪支部などが寄付した。

2005年8月、日本でもNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」が東京都新宿区のビルの一室に「女たちの戦争と平和資料館」を開館。主に旧日本軍の慰安婦と、戦時下における女性への暴力をテーマとしている。

慰安婦の碑・慰安婦像[編集]

カリフォルニア州グレンデール市の公園に設置された慰安婦像
ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像。正面の建物が日本大使館。

アメリカにおける日本軍慰安婦記念碑設置運動[編集]

2009年頃より米国で「慰安婦記念碑」を「ユダヤ人虐殺記念碑」と同等とみなして全米各地で建立する運動が韓国系住民によって行われるようになった[220]。韓国系住民が多く住むニュージャージー州バーゲン郡では11人の韓国系高校生が韓国系米国人有権者評議会(the Korean American Voters' Council)とともに、日本軍の被害者である朝鮮人をアイルランド人、アルメニア人、ユダヤ人アフリカ系アメリカ人の苦難になぞらえて慰安婦記念碑の建設を進め、非韓国系住民をも説得して署名を集めた結果、バーゲン郡は図書館など公共施設の入り口への設置を許可した[221]

その後アメリカ国内に次々と慰安婦の碑慰安婦像が建てられている。

韓国の慰安婦像[編集]

2011年 12月14日、韓国の民間団体韓国挺身隊問題対策協議会が慰安婦問題の抗議のためソウル日本大使館前の歩道に慰安婦像を違法に設置した。その後、韓国内に次々と計50箇以上に設置している。2015年12月28日の慰安婦問題日韓合意後にもかかわらず翌年2016年12月28日から29日にかけて今度は釜山の日本総領事館前にも市民団体などが同じ慰安婦像を設置したため、日本政府が韓国政府に抗議し大使を帰国させるなど問題が悪化している。

日本軍慰安婦問題の論点[編集]

強制連行の有無[編集]

実際に強制性が存在したかについては、いわゆる強制連行の有無や、売春が強制下で行われたのではないかなどを含めて様々な議論がある。強制的に連れ去られた事実が存在したのか、また存在したとしてそれを行い売春を強要させた主体が日本政府(軍)だったのか、被害者の両親と金銭取引を行い、本人の意思を無視して連れ去った民間業者だったのかで意見が分かれる。

処女・少女の強制連行説[編集]

日本内地での工場勤労を意味する女子挺身隊と慰安婦を混同した認識[222]は戦後も続き、在日朝鮮人作家の金一勉は1976年の著書『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』で日本軍慰安婦について

地上のあらゆるエロ小説よりも奇怪にしてスリルに富み、残酷かつ野蛮なセックス処理の女たち[223]

と表現したあとで、

しかもその女たちはその戦争中、お国のためと称して特志看護婦とか軍要員とか女子工員とかの名目で強制的に集められた十七歳から二十歳までの処女ばかりであった[223]

と記しており、このような「日本帝國」による「国家的大詐欺行為」によって集められた「処女」は推定20万人であったとしている[223]。なおこの金の本はクマラスワミ報告書における事実認定のほぼすべての出典として提示されているジョージ・ヒックスの『性奴隷』でも参照されており、歴史的事実の根拠として提示されている[224]

小学生慰安婦説[編集]

「挺身隊」と「慰安婦」の混同、および「少女・処女」が「強制連行」されたとする認識は韓国(および日本での慰安婦問題活動家)の間では1990年代になっても存続し、1992年1月の宮沢首相の訪韓時に韓国の新聞は「小学生までが挺身隊にされ、慰安婦にされた」と、あたかも女子小学生が慰安婦にされたかのような報道を繰り返した[225]東亜日報は1992年1月14日に「挺身隊、小学生まで引っ張っていった」、朝鮮日報は同1月15日に「日本、小学生も挺身隊に徴発」との見だしで報道した[225]東亜日報は1992年1月15日の社説「十二歳の挺身隊員」では次のように報道した[226]

本当に天と人とが共に憤怒する日帝の蛮行だった。人面獣心であるとか、いくら軍国主義政府が戦争を遂行するためだったとしても、このようなまでに非人道的残酷行為を敢えて行うことができたのかといいたい。(中略)
十二歳の小学生まで動員、戦場で性的玩具にして踏みにじったという報道に再び沸き上がってくる憤怒を抑えがたい。(中略)
これまで十五歳の少女が挺身隊に動員されたことは知られていた。しかし、十二歳の幼い子供まで連行されたことは初めて明らかにされたことだ。(中略)
勤労挺身隊という名前で動員された後、彼女らを従軍慰安所に回した事実が様々な人の証言で立証されている…(中略)
このように何もわからず父母のもとを離れ挺身隊に連行された少女らの数はわからない。泣き叫ぶ女性をなぐりつけ乳飲み子を腕から奪って赤ん坊の母親を連行したこともあった。このように動員された従軍慰安婦が八万〜二十万と推算される。

--東亜日報1992年1月15日社説「十二歳の挺身隊員」

現代朝鮮研究者の西岡力の調査によれば、1992年1月14日に報道された「小学生挺身隊」についての記事を初めて執筆したのは聯合通信金溶洙記者であった[227]。西岡が実際に12歳の少女が慰安婦になったことは事実ではないのに、なぜ報道したのかと質問したところ、金記者は、富山県に動員された6人の児童が慰安所でなく工場に動員されたことは事実であるとして

6人の児童が慰安婦でなかったことは知っていましたが、まず勤労挺身隊として動員し、その後慰安婦にさせた例があるという話も韓国国内ではいわれていますので、この6人以外で小学生として慰安婦にさせられた者もいるかもしれないと考え、敢えて<勤労挺身隊であって慰安婦ではない>ということは強調しないで記事を書きました。

と弁解した[228]。この金溶洙記者による弁解で「小学生慰安婦」の存在が証明されたわけではないことが明らかになり[229]、またその後、当時挺身隊だった女性が名乗りでて、新聞報道が誤報であったことが判明する[225]。しかし、その後も「小学生慰安婦」について報道した新聞やテレビは報道を修正することはなく、「小学生や乳飲み子の母親までを連行して性の玩具にした」というイメージは韓国社会のなかで繰り返しテレビドラマなどで伝えられて、現在にいたっている[230]。慰安婦活動家においてもそのような認識が変更されることはなく、2012年には米国などでの慰安婦(成人女性)像設置運動に続いて「少女」像の建設運動が進められている[231]

また、インドネシアのスリ (Sri Soekanti) は、わずか9歳で「性奴隷にされた」と証言している[232]

「広義の強制連行」説[編集]

慰安婦問題において旧日本軍の責任追及の急先鋒だった中央大学教授吉見義明は、秦郁彦が済州島での実地調査で吉田証言が虚偽であったことが判明したと報告して間もなく、人狩りのようなことは“狭義”の強制連行であるが、詐欺などを含む「“広義”の強制連行」というものも問題であると主張するようになった[233]。吉見は、1997年に刊行した著書でも「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは確認されていない」とした[234]。しかし、フィリピン中国インドネシアではそうした連行があったと主張している[234]

朝日新聞は1997年3月31日付の社説で、「旧日本軍の従軍慰安婦をめぐって、日本の責任を否定しようとする動きが続いている。これらの主張に共通するのは、日本軍が直接に強制連行したか否か、という狭い視点で問題をとらえようとする傾向だ」と主張。

2006年9月13日に米上院外交委員会に提出された日本軍慰安婦問題に関し日本政府に謝罪を求める決議案 (H.Res.759) は「日本政府は性奴隷にする目的で慰安婦を組織的に誘拐、隷属させた」とし可決され[235]、2007年1月31日に提出されたアメリカ合衆国下院121号決議案も「日本政府は帝国軍への性行為という唯一の目的のために若い女性を職務として連行した」とし満場一致で採択されている。

2015年に尹明淑(一橋大学博士号取得)は「日本政府と軍が奴隷狩りのような慰安婦強制連行に直接介入したかどうかに焦点を合わせるのは、日本右翼のフレームに陥るようなもの」で「軍と統治機関が背後に隠れて業者を通じ統制・監督し、就職詐欺や人身売買という方法で徴募したこと、それ自体が暴力だ。また『本人の意志に反して連れて行かれた』ことは強制と言える」と主張したうえで、大日本帝国朝鮮植民支配によって、朝鮮の絶対貧困化を加速させ、農民の70%が食事さえとれない状況になり、農民は極貧層に追い込まれ、慢性的な失業と低賃金、飢餓にさらされ、朝鮮人の多数が国外で彷徨い、数多くの10代の少女が家政婦、保母、接客、妓生女工慰安婦などに転落をせざるをえなくなったのであり、慰安婦徴募・移送に関与した朝鮮人の道知事や班長、区長、警察などの親日勢力の責任も忘れてはならないと述べた[236]

強制連行説への批判[編集]

  • 2008年ソウル大学教授安秉直韓国挺身隊問題対策協議会と共同で3年間に渡って日本軍慰安婦について調査をしたが、強制連行があったとする客観的資料は一つも見つからなかったとし[129]、また韓国陸軍大佐の評論家池萬元も、元日本軍慰安婦は大半が厳しい経済事情のため自ら性売買を望んだ人だとしている[237]。しかし安秉直は、その後、2014年には「「女子愛国奉仕隊」などの名目で徴集されたという事実は、「慰安婦」の徴集が事実上、戦時動員だったことを意味する。」と書いている[238]
  • 小林よしのりは、吉見義明をはじめとする慰安婦制度批判派が、旧日本軍による強制連行を批判してきたのに、証拠が無いとわかっても自説の訂正や謝罪はせず、「広義の強制性」を持ち出してきたことを「論点のすり替え」だとして批判している[239]
  • 秦郁彦は実質的に強制であるかどうかではなくて、物理的な強制連行の有無が問題だとし、「そうしないと、ある世代の全員が『強制連行』になりかねない。」と吉見義明の「広義の強制性」論に異議を唱えている[240]。また、「強制連行」については、志願者が多数いたので「強制連行」する必要性はなかったとし、「強制連行」されたという証言は元慰安婦の証言のみで、第三者の目撃証言はこれまで一切なく、2000年の女性国際戦犯法廷においても60数人の元慰安婦の来歴には誰が慰安所に強制連行したかの記載がないことについて「連行事情が食いちがってはまずいと考えたのか、女性国際戦犯法廷の報告書は参加被害者の略歴欄から誰が騙したか、連行したかの主語を削り落してしまったと指摘している[241]
  • 日本に帰化した呉善花は「生活者の連帯意識も民族意識や民族愛も強い当時の朝鮮人が、娘たちが強制的に連れて行かれるのを見て黙っているわけがなく、そんな世界で女狩りなんてできるはずがない」 という当時を知る日本人の証言を紹介し、自身が韓国にいた間、「慰安婦」の話を耳にしたことがなかった意味が、ようやくわかったと自著で述べている[242]
  • 慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長や石原信雄官房副長官は、政府の調査おいて、軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような証拠も証言もなかったと国会答弁[45][46]や新聞[44]、雑誌[243]等のインタビューにおいて語っている。
  • フィリピンアンヘレス市に当時いたダニエル・H・ディソンは、日本兵用の売春宿は存在したが、一般に強制性はなかったと目撃証言している[244]
  • 1991年当時NHK職員だった池田信夫は番組制作のため、韓国で数十人の強制連行されたという関係者に取材したが、軍が連行したという証言は得られなかったという[117]
  • 1992年7月から12月にかけて元慰安婦40人に聞き取り調査を行なった[245]安秉直ソウル大学名誉教授は2007年3月に「私の知る限り、日本軍は女性を強制動員して慰安婦にしたなどという資料はない。貧しさからの身売りがいくらでもあった時代に、なぜ強制動員の必要があるのか。合理的に考えてもおかしい」と発言し、当時兵隊風の服を来たものは多数いたし日本軍とは特定できない、また安倍晋三首相が厄介だから謝罪してはならない、そうした「謝罪」は韓国世論をミスリードすると発言している[246]。(#安秉直による検証調査も参照)

スマラン慰安所の白馬事件[編集]

  • インドネシアの抑留所を管理していた第16軍軍政監部は、強制しないこと、自由意思で応募したことを証するサイン入り同意書を取るように指示していたが、それに反し、ある幹部候補生隊がオランダ人女性35人をスマランの慰安所に強制連行したこと(「白馬事件」)が戦後、連合国によるB,C級法廷で裁かれ、軍人のほかに、慰安所を経営していた日本人業者のうち、一人が死刑、10人が有罪となったとの記録が残っており、これが強制連行を行なっていた証拠であるとの指摘[247]がある一方、軍は事件後慰安所を閉鎖しており、元もと自由意思で応募する者だけを慰安婦にする方針だったので、むしろ強制連行を行なっていなかった証拠であるとの反論がある[248]

慰安婦の総数[編集]

慰安婦の総数が把握できる正確な資料が発見されていないため、軍人の総数・公娼の人数などから複数の研究者により推論されている。(千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説も参照)

推考資料[編集]

  • 当時の朝鮮半島の総人口は約2500万人前後[250]で、20歳前後の女性は約280万人とも推算される[251]。また、内地で実施され工場などに動員された女子挺身隊の結成率は1944年5月では7%である[252]
  • 慰安婦の総数の計算法には、日本軍総数を母数とした慰安婦数の推算方法があり、交代率なども考慮されるが、いずれも各研究者によって異なる[257]

民族別内訳[編集]

慰安婦の民族別内訳は、日本政府の調査においては、慰安婦には日本人朝鮮人台湾人中国人、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人がいた。

日本大学教授秦郁彦は、日本国内の遊郭などから応募した者が40%程度、現地で応募した者が30%。朝鮮人が20%、中国人が10%程度として、慰安婦の出身者は日本人が最も多かったと推定しているが[258]、正確な内訳を把握することは困難であるともしている[257][259]

日本における諸説[編集]

韓国における諸説[編集]

  • 韓国政府は資料不足のため慰安婦にされた女性の数は正確には分からないとしているが、最小3万人最大40万人の学説があると述べている[265]
  • 1993年に「挺身隊研究会」会長の鄭鎮星(チョン・ジンソン)ソウル大学教授は「8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」とした[266]
  • 2009年 中央日報は、歴史学者たちによると20万人以上としている[267]
国定教科書における記載[編集]

韓国国定教科書では朝鮮女性数十万人を慰安婦にし、650万人を強制連行したと記載している[268][269][270]が、学術的な根拠は不明。李榮薫 ソウル大学教授は、1937年に日本軍首脳は兵士150人につき1名の慰安婦を充当せよという指令を出したとしている[271]

韓国政府による認定者[編集]

2004年までに韓国政府 女性家族部認定の元日本軍慰安婦は、既に亡くなった人を合わせて計207人[272]2005年には計215人で内88人が死亡した[273]とし、2009年[274]2011年には合計234人としている[275]

  • 2015年12月現在、計238人。内、生存者は46人。平均年齢は89,2歳[276](終戦当時19歳)。

北朝鮮の見解[編集]

北朝鮮2005年4月に国連代表部金永好書記官がジュネーヴ 国連人権委員会で、朝鮮人慰安婦の総数は20万人、強制連行された人数は840万人だと主張している[277][268][269][278]

中国における諸説[編集]

上海師範大学中国慰安婦問題研究中心」所長の蘇智良1999年荒舩清十郎発言(14万2000人説)に依拠し、慰安婦総数は36万から41万で、このうち中国人慰安婦は20万と推算[257][279]。日本政府・アジア女性基金はこの推算について、根拠が荒船発言という個人の見解に基づくものであり、誤導された推論として批判している[257]

なお、蘇智良は1996年の計算では中国天津慰安所研究により、慰安婦総数を40万人、朝鮮人慰安婦20万人、中国人と日本人の慰安婦が各10万ずつとしていた。2005年6月に蘇は『上海日軍慰安所実録』を刊行し、上海市内には慰安所が149ヵ所あり、最初に「大一沙龍(サロン)」が設置されたとしたうえで、中国慰安婦記念館の設立を訴えた[280]

アメリカ合衆国における記述[編集]

  • ニューヨーク・タイムズ記者ノリミツ・オオニシは名前は明らかにしないが日本人歴史学者達によると日本軍慰安婦は最大20万人であるとしている[281]。慰安婦のほとんどが家庭から拉致され最前線に連行された10代の朝鮮女性であるとしており、アメリカ軍の場合とはこの点で大きく異なるものであるとしている[282]
  • アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、最大で30万人もの14-20歳の女性たちを強制的に徴集して性行為を強要したとしている[283]。さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている[283]。この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている[283]
  • 韓国系米国人の運動により全米に建立された慰安婦の碑の多くには慰安婦の数を20万人以上と記している。

国連人権委員会の報告書[編集]

国連人権委員会に採択されたマクドゥーガル報告書では慰安婦の総数を20万人以上としている。

数値の根拠には、1965年11月20日に自民党議員荒舩清十郎が選挙区の集会(秩父郡市軍恩連盟招待会)で発言した「朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる」を引用しているが(マグドゥーガル報告書では「14万5000人の朝鮮人性奴隷が死んだという日本の自民党国会議員荒船清十郎の1975年の声明」として誤った数字を記載している)[257]アジア女性基金はこの慰安婦の数値は荒船議員が勝手にならべたものであり、これが根拠とされることは遺憾だとしている[257]。(詳しくは女性のためのアジア平和国民基金#マクドゥーガル報告書を参照)

「公娼」か「性奴隷」か[編集]

「性奴隷」言説[編集]

日本軍慰安所における慰安婦を「性奴隷」と表現する潮流がある。これについては日本弁護士連合会および日弁連海外調査特別委員の戸塚悦朗弁護士を中心に1992年頃から「慰安婦」という言葉でなく「Sex Slaves(性奴隷)」という表記の方が正しいとして国連でロビー活動を続けた結果、1993年以降、国連で浸透していったことが明らかになっており、日弁連も公式サイトでその旨を明記している[284]#国連などでの呼称および#宮沢首相による謝罪から「河野談話」までを参照)。以降、1996年のクマラスワミ報告、1998年のマクドゥーガル報告書でも「性奴隷」と明記された。

しかし、朝鮮人女性を奴隷狩りのように狩ったと加害証言してきた吉田清治が1996年5月に自らの証言を虚偽(フィクション)であることを週刊新潮で告白して以降[285][286]、慰安婦強制連行問題を追及してきた吉見義明も1997年には朝鮮で官憲による奴隷狩りを行ったとする証拠は確認されていないと明言した[234]#強制連行の有無参照)。

中国帰還者連絡会会員の湯浅謙も1998年に季刊『中帰連』に発表した文章において、戦時中、湯浅が中国の山西省南部の陸軍病院の軍医として従軍し、朝鮮人慰安婦の性病検査なども行なったとして、「当時の軍人にとって慰安婦は料金も払うし愛想もよかったので「公娼」に見えたが、植民地支配下にあって、彼女たちは抵抗することも「強制され連れて来られた」と異議を唱えることもできない状況下にあったので、「性的奴隷」であった旨を語っている[287]

日本の戦争犯罪・戦争責任を追及しているNGO「日本の戦争責任資料センター」は2007年2月の声明において「『日本軍慰安婦』制度は、慰安婦たちに居住の自由、廃業の自由、外出の自由や慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった」「故郷から遠く離れた占領地から逃亡することは不可能だった」などの理由から、「公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、『日本軍慰安婦』制度は、より徹底した、露骨な性奴隷制度であった」旨を主張している[288]。2007年7月に採択されたアメリカ合衆国下院121号決議では「強制軍売春という『慰安婦制度』は“残忍さという点で前例のないもの”と認識されており、“20世紀における最大の人身売買の一つ”である」と主張した。

こうした性奴隷説について評論家金完燮は2004年に「軍隊という血気さかんな若者の集団にどうやって性欲を発散させるかは、どの国の軍隊にとっても重要な問題であり、“性奴隷”というのは反日キャンペーンのために発明された用語だ」と批判した[289]。産経新聞は2007年5月18日記事で、米国戦争情報局心理作戦班報告には「慰安婦の雇用条件や契約条件が明記されており、慰安婦の女性が一定額の借金を返せば解放されるという条項があるという点で、当時の米軍当局が日本軍の“強制徴用”や“性奴隷”とは違った認識を持っていた証拠になる」と指摘している[290]

アジア女性基金で東京大学教授の大久保昭は「元慰安婦が性的奴隷にさせられたのはすべて日本の軍や警察権力による強制にもとづくという、一部の学者、NGO、メディアによって1990年代初期に唱えられた主張も、歴史的事実とは懸け離れた思い込みにすぎない」と批判している[291]

2014年11月27日に産経新聞は、アメリカ政府が8年かけて調査し2007年4月にまとめられた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班 (IWG) 米国議会あて最終報告」の取材結果の記事を出した[292]。 これによると「日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった」としている。

「公娼」言説[編集]

他方、日本軍慰安婦制度を「公娼」制度として認識する歴史学者もいる。1997年に発表した研究において歴史学者の藤目ゆきは、日本では前近代より公娼制度があったが、近代日本の公娼制度はヨーロッパの近代公娼制度をモデルとして再編成されたものと指摘したうえで[293]

日本における従来の公娼制度と廃娼運動の研究は、一般に、近代日本の公娼制度を前近代の公娼制度からの延長線上に把握し、これを特殊日本的で前近代的な制度として認識してきた。「欧米の文明国」には公娼制度は存在しないと信じ込み、近代日本の公娼制度の存在をもっぱら日本の後進性・前近代性の表出と錯覚するのである[293]

と指摘し、「日本にのみ公娼・慰安所があった」とする見方について批判し、各国における近代公娼制度の比較研究を展開した[294]。また、秦郁彦は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべき」と主張している[295]。このほか、山下英愛[296]川田文子[297]宋連玉[298]、藤永壮[299]、眞杉侑里[300]らも公娼制という概念によって研究をしている。ただし、公娼制の意味については論者によって異なるところもあり、統一見解がだされているわけではない[300]

商社員として約三年半の間、中国漢口の慰安所について見聞きして来た小野田寛郎は2005年の文章で、慰安婦制度の背景について「兵士も、やはり(女性を求める)若い人間であり、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在した」とし、「『従軍慰安婦』なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。」と述べている[301]

その他、歴史学者の倉橋正直は2010年の著書[302] で日本軍慰安婦には「性的奴隷型」と「売春婦型」の2つのタイプがあったとして、画一的な「従軍慰安婦」解釈を批判している。また倉橋は「近代日本における公娼制は検黴制などの近代的要素と前借制、楼主への人身の隷属などの封建的要素が複合している」と書いている[303][304]

朴裕河世宗大学教授は自著『帝国の慰安婦』において慰安婦を「精神的な慰安者」「軍人の戦争遂行を助けた愛国女性」「自発的な売春婦」とする自身の研究結果を発表した、として元慰安婦9名からこの著書の出版停止を求めて提訴され、ソウル東部地裁は当該記述を削除しなければ、出版することを禁じる判決を下した[305][306]。しかし朴裕河本人は「自発的売春婦とは書いていない」とこれを否定し、争う姿勢を見せている[307]

妓生と公娼[編集]

朝鮮に伝統的に存在していた妓生(キーセン)についてもこれが公娼か否かについての議論がある。川田文子は、朝鮮には妓生、女社堂牌(ヨサダンペ)、色酒家など様々の形態があったが、特定の集娼地域で公けの管理を行う公娼制度とは異なるとした[297]。また、金富子梁澄子[308]、評論家の金両基[309]らは、妓生制度は売買春を制度化する公娼制度とは言えないと主張している。金両基は多くの妓生は売春とは無縁であり、漢詩などに名作を残した一牌妓生黄真伊のように文化人として認められたり、妓生の純愛を描いた『春香伝』のような文学の題材となっており[310]、70年代から90年代にかけて主に日本人旅行客の接待に使われたキーセン観光はとはまったく違うと反論した[310]

日本統治時代の朝鮮において日本人の認識の事例としては、山地白雨による「妓生は日本の芸者と娼妓を一つにしたやうな者で、娼妓としては格が高く、芸者としては、其目的に添はぬ処がある」「其最後の目的は、枕席に侍して纏綿の情をそそる処にある」という1922年の記録[311]や、柳建寺土左衛門(正木準章)による「妓生とは朝鮮人芸者のことで京都芸者のようだ」「蝎甫(カルボ) は売春婦である」という同年の記録[312]、1934年の京城観光協会『朝鮮料理 宴会の栞』の「エロ方面では名物の妓生がある。妓生は朝鮮料理屋でも日本の料理屋でも呼ぶことができる。尤も一流の妓生は三、四日前から約束して置かないと仲中見られない」「猟奇的方面ではカルボと云うのがある。要するにエロ・サービスをする女である」「カルボは売笑婦」という記録があり、妓生と売春婦(カルボ)を区分して書かれていた[313]

川村湊は「李朝以前の妓生と、近代以降のキーセンとは違うという言い方がなされる。江戸期の吉原遊郭と、現代の吉原のソープランド街が違うように。しかし、その政治的、社会的、制度的な支配−従属の構造は、本質的には同一である」とのべ[314]、現代のソウルの弥亜里88番地のミアリテキサス清凉里 588といった私娼窟にも「性を抑圧しながら、それを文化という名前で洗練させていった妓生文化の根本にあるものはここにもある」と述べている[315]

日本政府による資料の扱い[編集]

作家千田夏光『従軍慰安婦』(1973年、双葉社)で、朝鮮慰安婦に関する資料は朝鮮で「焼却されたと伝えられる」として、しかし残った資料は朝鮮総督府東京事務所にあり、敗戦後には朝鮮銀行(のちの日本債券信用銀行)の大金庫に保管されていると主張している[316]

2007年時点で、植民地時代の朝鮮総督府警察の刑事事件の記録などは国立公文書館に移管されておらず、元自民党議員戸井田徹は、情報公開法に基づいて移管し公開すべきと2007年4月25日の衆議院内閣委員会で政府に要請した[317]

千田夏光 著作『従軍慰安婦』の問題点[編集]

元慰安婦の証言に関する問題点[編集]

元慰安婦の証言の検証と真正性[編集]

証言している慰安婦には、金学順李容洙姜徳景金君子金順徳李玉善鄭書云文玉珠黄錦周宋神道ジャン・ラフ・オハーンビクトリア・ロペスプリシラ・バルトニコレメディオス・バレンシアなどおよそ80人がいる[要出典]

韓国で初めて慰安婦であったことを名乗り出た金学順を初め、元慰安婦の証言の中に矛盾があるとして、その証言の信憑性を疑問視する指摘がこれまである[318]。慰安婦問題について日本政府を糾弾し続けてきた千田夏光金学順証言について、親族が業者に売却したということからすると、日本軍による強制連行であったかどうかは不明確と述べている[319]

秦郁彦は慰安婦たちの身の上話(証言)について「検証ぬきで採用するわけにいかない」としている[320]。秦はさらに「だまして連行した朝鮮人周旋人や数年間起居を共にした慰安所の経営者についてもフルネームを陳述したケースがまったくないのは不自然きわまる」と指摘している[321][322]

元駐日韓国大使の呉在煕1993年1月7日に「政府の調査は徹底した証拠主義だから『一方的な証言』は認定できない」として、日本政府調査で証拠が出てこなかったことに関しても「当事者の言葉だけを信じてどうして認定するのですか。それは公的な調査をする我が政府でも同じです。日本政府が故意的に強制動員についての資料を隠しているとは思いません」と記者会見で述べた[323][324]。また、呉は「真相にはきりがなく、一定の線を引かなければならない」とも述べた[324][325]。しかし、この発言が報じられると関係団体から抗議をうけたため金泳三時期大統領から謝罪を命じられ、大使職も交代となった[326]。なお呉在煕は1992年1月の宮沢訪韓の際の韓国政府内会議でも「トップ会談では慰安婦問題を出すべきではない」と進言したが、大統領府は慰安婦問題を積極的に持ち出すことで対日貿易赤字について日本側の譲歩を引き出せると反論した[327][328]

ほかにフェミニズム研究者の上野千鶴子は「<善意>のインタビュアーたちは、自分が聞きたい物語を聞き出すように、語りの図式を変形するという権力を、その聞き取りの現場において行使している」として聞き取り調査のあり方を批判している[329]

小室直樹は、慰安婦問題の核心は挙証責任証明責任にあると指摘している[330]。刑事裁判および民事裁判において証明責任は原告(検察)側にあり、検事は合法的に被告が有罪であることを完全に証明しなくてはならない[330]。証明責任のない被告はアリバイを証明する必要もない[330]と指摘したうえで、慰安婦問題について被告は日本政府であり、原告を日本や韓国の運動団体とすれば、証明責任は運動側にあると主張した[330]。また推定無罪原則によって、合理的な疑いを入れないまでに立証されない場合は被告人は無罪となる[331]。さらに小室は国際法上、国家が「謝罪」するということは国家責任を負うことを意味し、賠償に応ずることを意味すると指摘し、首相や外相が「可哀想なひとたちだから」という理由だけでひとたび謝罪すれば挙証責任を日本が負わされることになるとして「謝罪外交」を強く批判している[330]

中国海南島戦時性暴力被害裁判の支援団体ハイナンNET[332]による台湾元慰安婦の調査報告や石田米子・内田知行ら[333]によれば、最近(2004年時点)の調査では1人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行い、日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、研究者は証言の信頼性を確認しながら調査を行っているという。ただし、石田・内田らは1990年代の元慰安婦証言の批判的検証を行なっているわけではない。

他方、「被害者の証言を疑い、歴史学者や政府がその真偽を検討して判定しようとすること自体が被害者に対する抑圧であり、認められない」という主張がある[334]。東京大学教授で国際法学者の大久保昭はそのような主張を「被害者の聖化にほかならず、実際的意義を欠く」として、「『自分は慰安婦だった』と主張する人のなかに偽ってそう称する人が含まれることは、人間性の現実を受け入れるかぎり否定できない」と指摘している[334]。また、「真偽の判定にあたって被害者(と主張する人)に最大の配慮をすべきことは当然だが、個人への償いは、被害者を認定するという作業を経なければならない。その際、『自分は慰安婦だった』と主張する人のなかに虚偽の主張者が含まれる可能性がある以上、すべての人を元慰安婦と認定することはできない。主張の真実性を認定する基準と手続きをつくらなければならない」と提言した[334]

安秉直による検証調査[編集]

ソウル大学名誉教授安秉直を代表とする「挺身隊研究会」は韓国挺身隊問題対策協議会と共同で1992年7月から12月にかけて慰安婦と名乗り出たうちの生存者55人中約40人に聞き取り調査を行なった[335]。一人あたり5、6回以上の長時間の面接調査、記録資料との確認、スタッフは報告書を3回以上輪読、その後の再面談を経てまとめられた。調査の結果は半数以上が「意図的に事実を歪曲していると感じられる」などの理由から脱落し、最終的に証言集に掲載できたのは19人であった[336]。この調査報告書では強制連行は詐欺(主)を含めて大部分だとしている[337] p26p27)。調査は1993年2月に韓国で挺対協・挺身隊研究会編『証言集1 強制で連れて行かれた朝鮮人慰安婦たち』として刊行された[338]。しかし安秉直は「歴史学的に検証に堪える緻密な調査をすべきという私の考えに運動の論理が対立した」と挺対協との対立について回想し、証言集を発表してからは研究会を離れたとしている[339]2006年、安は「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「無条件による強制によってそのようなことが起きたとは思えない」と述べ、慰安婦は「自発的」であったことを述べ、現在の韓国における私娼窟における慰安婦をなくすための研究を行うべきであり、また共同調査を行った韓国挺身隊問題対策協議会は慰安婦のことを考えるより日本との喧嘩を望んでいるだけであったと非難している[340]

現代朝鮮研究者の西岡力は安秉直調査による証言集に掲載された19人のうち、官憲等による「強制連行」だったと証言する女性は4人だけであり、その4人のうちの2人が語ったのは日本内地富山県釜山の「慰安所」であった[341]。しかしいずれも戦地ではなく、現地には公娼にいた遊郭があったため、軍がわざわざ強制連行する必然性がなく、信ぴょう性がないとした[341]。残り二人は金学順文玉珠であり、文玉珠は当時2万6145円を貯金していた(当時の3万円は現在での約1億3606万[342])慰安婦であるが、高木弁護士の作成した訴状ではビルマの慰安所に連行されたと証言しているのに、安秉直教授らの調査ではビルマの前に満州に連行されたと異なる証言をしたが、訴状作成の時点でなぜ満州への連行を陳述しなかったのか、その合理的理由が不明であり、信ぴょう性にかけると西岡は指摘している[343]。また両名共、日本政府を訴えた裁判の訴状では元「キーセン」であったと自ら認めていると西岡が『文藝春秋』1992年4月号に発表した「慰安婦問題とは何だったのか」(以下、西岡論文)で指摘した[344][345][346]ところ、西岡の指摘後、金学順は「キーセンに売られて中国に連れて行かれたのだけど、業者の人と北京の食堂でご飯を食べていたら日本の軍人が来て連行された」とそれまでの証言を変えた[344][347]。金学順は1991年12月の訴状作成の時点では「養父に連れられて中国に渡った」と証言していたのを、1992年7月からの安秉直教授らの調査では「北京で日本軍人に暴力的に連行された」と証言を変更しており[348]、西岡は、裁判に有利なことを訴状で意図的に隠すとは思えず、こうした証言の変化は西岡論文での指摘を受けて付け加えたものとみるのが自然であると主張した[348]。また、信ぴょう性のある証言を行った日本軍に強制連行された朝鮮人慰安婦は一人もいなくなるとしている[348]

吉見義明は1997年、研究者も強制連行のケースとは認定していない文玉珠に対し、強制連行ではないと主張しても研究上は意味をなさないと主張した[349]しかし、文玉珠の証言は1993年の韓国の挺対協による調査においては、そのときの最も明白な強制連行の証言であった。それ以前の訴状には、騙されて掠われたことになっている[要出典]

非公開証言と日本外務省による「強制性」認定[編集]

宮沢内閣は1993年の「河野談話」発表以前に韓国政府の強い要請を受け、元慰安婦16人の証言を聞いたが、この時の元慰安婦の人選は韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が行い、証言には福島瑞穂弁護士などの立会い人が付き添った[350]。日本政府はこの証言に対する質問も、裏付け調査をすることも許されず、この調査における慰安婦の氏名も証言内容も非公開とされた[350]

この時内閣官房副長官であった石原信雄は、当時どれだけ歴史資料を探しても「日本側には強制連行の事実を示す資料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など物的なものはなかったが」、元慰安婦は強制性があると証言するので、「総合的に判断して強制性を認めた」と語っている[351]。そのような判断に至った理由を「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」と語っている[351]。石原は、当時韓国政府は国家賠償を求めていなかったため、元慰安婦の名誉回復と日韓関係のために日本軍による強制性を認めたが、もし当時韓国側が日本政府による個人補償・国家賠償を求めていたら「通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めていた」と語っており、この非公開の「聞き取り調査」における元慰安婦の証言に裏付けはなく一方的な被害証言であったことを認めている[350][351]。なお慰安婦を被告として裁判したケースはないため、偽証罪[352]事実認定[353]が法的に適用されたことはない。

平林博内閣外政審議室室長は、1997年3月12日の国会での小山孝雄参議院議員の質問に「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と答弁[354]、翌日の新聞では産経新聞をのぞいてこの「裏取りもせず、非公開のものだけで強制連行を認めた」とする政府答弁について報道するメディアはなく公聴会が開かれることもなかった[355]。西岡力は金縛りにあったように「誰も、なにもいえなかった」として、これは1988年に梶山静六がアベック失踪について北朝鮮による拉致が濃厚と答弁したときの翌日に産経と日経以外のメディアが報道しなかったことと同じ構図だったと述べている[356]

この時の証言認定が河野談話の前提ともなり、また、韓国政府はその河野談話を日本政府が強制連行を認めた証拠として提示するようになる。

なお、河野洋平は河野談話発表後、「半世紀以上も前の話だから場所とか状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。」と、元慰安婦の証言の裏付けをとらずに証言は真正のものと認定している[357]

「慰安婦問題」の政治的な背景[編集]

韓国による政治的利用[編集]

自国にも慰安婦が存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国(韓国軍がベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になった)[358]や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダであるとの主張もある[誰によって?][358][359]。また日本に対する道徳的優位を誇示することで得られるナショナリズム的な「民族的快感」のために韓国は慰安婦問題を国際社会において利用しているとする見方もある[誰によって?][360]

アジア女性基金大久保昭も「1990年代の韓国では、慰安婦問題は建国以来一貫して世論の底流をなす反日ナショナリズムの象徴となり、聖化された」「挺体協は90年代韓国のヒロインだった」と述べている[361]

韓国系アメリカ人の研究者でサンフランシスコ州立大学教授のサラ・ソー (C. Sarah Soh) は2009年の著書で、慰安婦を「性奴隷」や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確であるとしたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を扇情的に扱い、異論を許さないまま「日帝による被害の物語」を国民に押し付け、誤導したと批判している[362]。ソー教授は「慰安婦が強制連行された」という物語は陳腐な教義[363]であり、韓国政府の政治戦略的な誇張が慰安婦問題の深い理解とその解決を妨害しているとして、韓国社会が被害者意識から脱却すること、また韓国もまた元慰安婦にトラウマを与えた共犯者であり、慰安婦制度それ自体は戦争犯罪ではなかったことを受け入れるべきだとした[362]テンプル大学のジェフリー・キングストン教授はこの本について、勇気あるこの著書は慰安婦問題への理解を深めるものであり、また日本と韓国の和解を期待させると評した[362]

日本の運動家による工作[編集]

また、特定の政治的意図を持った日本国内のマスコミや団体や人物などの工作と指摘する声もある[誰によって?]。「河野談話」発表に関わった当時、内閣官房副長官だった石原信雄は、国会議員との会合において、初期の段階では韓国政府が慰安婦問題をあおるということはなく、むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたが、ある日本の弁護士が韓国で慰安婦問題を掘り起こして大きくし、それに呼応する形で国会で質問を行うという連携プレーのようなことがあり「韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけない」という状況があったと語っている[364]。韓国の盧泰愚大統領も、慰安婦問題の発生について「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。」と語っている[365]

日本からの償い金受給者に対する韓国運動団体による差別[編集]

アジア女性基金が償い金を給付すると発表し、1997年1月から韓国人、フィリピン人など計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を受給を開始した[366]。韓国政府は当初は日本政府・アジア女性基金による償い金給付を歓迎した。しかし、挺対協の反対を受けて、韓国政府もアジア女性基金からの給付を拒否する一方、日本からの償い金を受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給し、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に亡くなったものを除く142人に生活支援金の支給を実施した[366][61][272]

償い金給付に先立つ1996年10月、アジア女性基金に反対する「強制連行された日本軍『慰安婦』問題解決のための市民連帯」が韓国で結成され、独自の募金活動を行う[367]

1997年5月28日、同市民連帯は目標の約30億ウォン(約4億円)には及ばなかったが、日本の市民運動から9731万ウォン(約1500万円)、全体で5億5000万ウォンの募金が集まったとして、必要経費を除き、一人当たり約350万ウォン(約46万6000円)を元慰安婦151人に配布すると発表した[367]。しかし、「日本からの一時金200万円と医療福祉事業としての300万円の計500万円を受け取った7人の元「慰安婦」に対しては配布しない」とした[367]。さらに、他の運動関係者らが償い金を受け取った7人の慰安婦に対して「いくら受け取った?」「通帳を見せろ!」と脅迫したり、「日本からの汚れた金を受け取れば、本当の娼婦になる。7人は娼婦だ!」と中傷したり、韓国政府の生活援助金を7人に対し打ち切るように働きかけた[368][367]

挺対協の尹貞玉は「一部の人たちは、ハルモニたちが日本の募金を受け取ろうとするのをなぜ挺対協は邪魔するのかと言っているが、糖尿病にかかった夫が甘いものを食べようとすれば、涙をのんでもこれを止めさせるのが愛する妻のつとめである。ハルモニたちが、民族の自尊心と尊厳を日本に売り渡すことのないよう我々はハルモニたちを支えねばならない。」と弁明した[367]

こうした日本からの償い金を受け取った慰安婦に対する差別や嫌がらせなどの行動について、日本の支援団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の臼杵敬子は、「あらゆる活動、行事から7人を疎外する韓国運動体の制裁は、被害当事者の人権を無視した行動で慰安婦被害者をさらなる被害者とするもの」として批判し、75歳前後の高齢の被害者に対し、深い人権的な配慮を持つべきで、当事者が選択する意思が尊重されるべきだと主張した[367]

またアジア女性基金大久保昭ももともと多様であった被害者のなかにも「お金がほしい」という者も多数いたのであり、「そうした被害者の声が、過剰に倫理主義的な支援団体、NGO、メディアによってつくられた世論によって抑圧されていた」として、日本の歴代首相の謝罪手紙やアジア女性基金の償い事業に感謝した元慰安婦もおり、そのような被害者を「ありえない」と主張するのであれば「それは自分の被害者像を唯一の被害者像とする傲慢というもの」ではないかと批判した[369]

韓国運動団体による補償金詐欺[編集]

2011年5月、韓国ソウル市警察は、太平洋戦争犠牲者遺族会民間請求権訴訟団などの団体幹部39名を詐欺の容疑で摘発した[370]。摘発された団体は慰安婦問題や強制連行問題について活動してきた反日団体で、日本政府から補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っており、被害者は3万人に上った[370]

ソウル市警察の発表によれば梁順任太平洋戦争犠牲者遺族会会長は各種団体への会員を募集する際に「動員犠牲者でなくても当時を生きた者なら誰でも補償を受け取れる」といって勧誘していた[370]。また会員を集めてきた場合には手当を支払うなどしていた[370]

この梁順任会長は、1991年8月11日に「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と朝日新聞紙面で誤報記事を執筆した記者植村隆の義母でもある[371]

(本項#日本の新聞の報道・慰安婦訴訟慰安婦#朝日新聞の報道・慰安婦訴訟も参照)

日韓基本条約「無効」論[編集]

人権・人道に対する罪[編集]

戦後、ドイツは「人道に対する犯罪(人道に対する罪)には時効はない」と宣言した[374](ただしドイツ軍慰安婦への戦後補償は実施されていない[375])。ほか、日本のフェミニスト女性学[誰?]や、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書などでは慰安婦問題を女性に対する暴力・性犯罪強姦罪として問題にしている。

韓国系アメリカ人によるロビー活動においては近年、ホロコースト問題と日本軍慰安婦制度問題とを同列に考えようとしてユダヤ系アメリカ人との連携を進行させており、2011年12月15日にはコロンビア大学で「女性の権利」フォーラム主催のシンポジウム「人類の希望:ホロコーストと慰安婦の生存者の声」が開かれホロコーストの生存者である女性2名と、元慰安婦2名、チャールズ・ランセル下院議員、韓国系アメリカ人投票者協議会 (KAVC) のドンチャン・キム会長らが参加した[376]。また2012年5月に慰安婦の碑を建てたパリセイズ・パーク市に対して日本側が抗議を開始した直後に訪韓したヒラリー・クリントン国務長官は「(日本軍慰安婦制度の問題)は性奴隷の話であり、女性の権利と人道に対する罪の文脈で考えられなければならない」と内輪の席で述べたうえで、日本軍慰安婦制度は「唾棄すべきもの」で「巨大な規模の重大な人権侵犯」と語った[377]

他方、当時は国が売春を認める「公娼制度」があった時代であり、性に対する倫理感覚、女性に対する人権感覚は現在と違っているのに、過去の歴史の出来事を現在の基準で裁くのは間違いだとの指摘もある[378]政策研究大学院大学教授の北岡伸一も「21世紀の人権感覚を過去の歴史に適用するのは、いかにも乱暴」と述べている[379]

外交官東郷和彦は日本での「強制連行」に関する議論に対して「必ずしも誤りでない」と理解を示しながらも[380]2007年の安倍発言直後のカリフォルニア大学でのシンポジウムにおいて米国人女性の、米国における慰安婦問題の視点は「強制」であるかどうかなどは誰も関心がなく、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という嫌悪感にもとづくものであり、「これは非歴史的 (ahistoric) な議論である。現在の価値観で過去を振り返って議論しているのだ」という発言を紹介している[381]。東郷は日本国内の慰安婦についての議論は国内でしか通用せずガラパゴス化しており[382]、今後の日本政府の対応次第では、日韓のみならず日本と欧米間に「深刻な対立を引き起こす可能性がある」と警告した[380]。他方で慰安婦問題とホロコースト問題とを同列に扱いえないことはユダヤ・ロビー自身が最も理解できるに違いないとしたうえで日本の外交戦略としてユダヤ・ロビーとの連携を訴えた[383]。また東郷は韓国政府がアジア女性基金による補償を受けようとした元慰安婦を非国民扱いしたことを強く批判し、戦後日本の法的秩序を全壊させかねないような過剰な「法的責任の追及」は遠慮してもらいたいと述べている[384]

「いわゆる従軍慰安婦問題」について、具体的に(たとえば国家による強制連行の)証拠を明示せよと指摘された「慰安婦擁護側」が、証拠を明示できない場合に、この「人道的な価値観」を持ち出すことで、無意識のうちに問題をすり替えてしまうという指摘がある[385]。また、いわゆる進歩的文化人の論法の特徴の一つに、正面切って反対しにくい事柄を振りかざし、それに少しでも異議を唱えるものに「人道の敵」「人権侵害者」とレッテルを貼り、「慰安婦がかわいそうだとは思わないのか」と居丈高に断罪するというものがある、そこには事実に基づいた冷静で客観的な議論は無理であるという指摘もある[386]

公的資料[編集]

※当時の日本軍、政府が発令した通達は本文を参照。

朝鮮での慰安婦 朝鮮半島では国家総動員法に次ぐ国民徴用令に基づいた挺身隊(女子の動員は1943年9月から)から、植民地女性を中心に慰安婦にさせられた場合があったとされているが、当時の朝鮮では「挺身隊」を「慰安婦」と混同するデマが流布しており(#韓国における「挺身隊」と「慰安婦」の混同と流言参照)、また慰安婦と称する者の証言以外には「慰安婦強制連行」の客観的証拠は見つかっておらず、朝鮮半島における命令書等の公文書は現在までに発見されていない。クマワスラミ報告書も「慰安婦の募集に関する公文書はなく、証拠は元慰安婦の証言だけ」としている[249]。吉見義明も1997年2月27日朝鮮時報朝鮮総連機関紙)で「『官憲による奴隷狩りのような連行』を裏付ける文書は今のところ出ていない」と認め、またアジア女性基金呼びかけ人で東京大学教授の和田春樹も「官憲による直接的強制」を立証する文書資料はまだ発見されていないと述べた[387][388]

千田夏光や吉見義明らは「強制連行」を指示する資料が見つからないのは旧日本軍が資料を焼却処分したためであり、また、未だ公開されていない資料もあると推測している。河野洋平も2007年3月、「従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は処分されていたと推定もできる」と発言している[389]が、確実な資料が発見されたわけではなく、推測の域にとどまっている[390]

東京裁判における資料

日本政府による調査

  • 1992年(平成4年)7月6日、加藤紘一内閣官房長官が「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表」を行い、慰安所の設置などに関して当時「政府の関与があったことが認められた」と発表した[392]
  • 1993年(平成5年)8月4日、宮沢改造内閣は慰安婦調査の結果「いわゆる従軍慰安婦問題について」[393]を発表した。同日、河野洋平内閣官房長官慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)[394]を発表した。この談話は以後、その意義や根拠について賛否両論を呼んだ。平林博内閣外政審議室室長は、1997年3月12日の国会での小山孝雄参議院議員の質問に「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と答弁[354]。同1997年3月には当時宮沢内閣の内閣官房副長官であった石原信雄も「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない」とし[395]、また元慰安婦を強制的に連れてきたという軍関係者の証言を探したがなかったと明かした[44]。他方、1998年4月に慰安婦訴訟「関釜裁判」で山口地裁下関支部は河野談話発表によって国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し慰安婦側の損害賠償の訴えを一部認めた(後に控訴審で棄却)。西岡力は、河野談話では朝鮮人慰安婦に触れた段落では「官憲等」の加担については述べられていないと指摘している[396]
  • 宮沢内閣以降、アジア女性基金によるその後の調査は「政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料」としてまとめられ、龍溪書舎から全5巻刊行され、公式HPでも公開されている[397]。この資料集にはこれまでの当時の日本軍慰安婦関連の資料が網羅されている。
  • 2011年(平成23年)8月、外務省は「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」を発表し、これまでの慰安婦関連事業および日本政府による償い事業について再度説明した[398]

「慰安婦」訴訟・関連訴訟[編集]

韓国人、中国人などを中心に元日本軍慰安婦であると名乗り出た人々が強制的に慰安婦にされたとして日本国に対し謝罪賠償を求める訴訟、およびそれに関する訴訟が日本、アメリカ合衆国、韓国、フィリピンなどで多数起こされて来た。しかし、時効除斥期間の経過、大日本帝国憲法が定めていた「国家無答責の法理」(官吏が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。

慰安婦問題に関する各国での訴訟

  • 1966年大韓民国大法院は慰安婦として35歳までに得られるはずであった報酬に見合う損害賠償を求めた慰安婦の告訴を棄却[201]
  • 1991年アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件。2004年最高裁で敗訴。
  • 1992年釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟(2003年最高裁で敗訴) - この関釜裁判における一審判決(1998年4月27山口地裁下関支部)では、原告らが売春を強制されたことを事実認定し、国の立法義務、立法の不作為を認め、一人あたり30万円の支払いを命じた。しかし、控訴審(2001年3月29日、広島高裁)は一審判決を破棄し、立法行為への規制が司法判断になじまない事、該当事項に関する立法責任が明文化されていない事などを理由に原告側の請求を「全面棄却」。最高裁への上告(2003年3月25日)も棄却、原告敗訴が確定。この一審判決は現在唯一の原告の勝訴であるが、国際法学者の大久保昭は「法理論構成上きわめて無理の多い判決」と評している[399]
  • 1993年4月5日、元慰安婦の在日韓国人宋神道が767億5893万7500円の支払い補償と謝罪を日本国に対して提訴した(在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件)。2000年11月30日、東京地裁は請求棄却。この際、判決効力に関連のない傍論において、裁判長は旧日本軍の慰安婦に対する行為が国際法違反であるとの意見を述べた。この傍論をもってVAWW-NETジャパンは「国際法違反であると事実認定された」と解釈している。[要出典] 2003年3月28日、最高裁判所が上告棄却により原告敗訴確定。
  • 2000年9月、第二次世界大戦中に日本軍慰安婦にさせられたとする在米中国人および韓国人ら女性計15人が、日本政府を相手取って損害賠償請求の集団訴訟をワシントン連邦地方裁判所で起こした。アメリカ合衆国最高裁判所は、2006年2月21日却下の最終判断を下した(#米国での慰安婦訴訟を参照)[400]
  • 2009年8月14日、ソウル行政裁判所日韓請求権並びに経済協力協定によって戦後補償は解決済みと判決。
  • 2010年4月28日、フィリピン最高裁は自国民の日本政府に対する要求について裁判所が行政機関に意見することは出来ないとして請求棄却。また、日本との外交関係を混乱させ地域の安定を損なうとの外務省の判断があったと指摘した[401]。原告の慰安婦たちは、当局に国際司法の場に持ち込むよう要求、また1951年日本国との平和条約は無効とし、アジア女性基金から償い金を受け取り謝罪を受け入れたフィリピン政府を国際法違反と主張した[401]
  • 2011年8月10日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が元慰安婦の賠償請求に関する日韓間の協定解釈の相違をめぐる争いを解決しないことは憲法違反」と判決[402]

模擬裁判 これらの裁判の他、2000年に東京で国際NGO市民らによって自主的に開催された民衆法廷(模擬法廷)である日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷女性国際戦犯法廷)が開かれた。(自主的な裁判であり公式の裁判ではない)。この市民法廷では「昭和天皇と日本国は奴隷制度強制連行強姦人身売買により人道に対する罪で有罪」と判決。

年表[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

政府資料

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関連項目[編集]

※本文で明記されたもの以外。

強制連行肯定派

強制連行否定派

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