神田正輝

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かんだ まさき
神田 正輝
本名 神田 正輝
生年月日 (1950-12-21) 1950年12月21日(66歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都港区
身長 178cm
血液型 A型
ジャンル 俳優タレント
活動期間 1976年 -
活動内容 1976年:『大都会 闘いの日々』でデビュー
1978年:『青春ド真中!』、『ゆうひが丘の総理大臣
1979年:『俺たちは天使だ!
1980年:『太陽にほえろ!
1997年:『朝だ!生です旅サラダ司会
配偶者 松田聖子1985年 - 1997年
著名な家族 旭輝子(母)
神田沙也加(長女)
事務所 石原プロモーション
公式サイト 所属事務所公式
主な作品
『太陽にほえろ!』
山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ
『朝だ!生です旅サラダ』
備考
石原プロモーション取締役(‐2011年3月28日)

神田 正輝(かんだ まさき、1950年昭和25年)12月21日 ‐ )は、日本俳優タレント血液型A型。身長178cm、体重70kg

女優旭輝子の長男。東京都港区出身。日本大学高等学校日本大学芸術学部映画学科卒業。石原プロモーション所属、同社元取締役。娘は神田沙也加

略歴[編集]

中学時代は、陸上部・水泳部・バスケットボール部・天体観測部を掛け持ち、スキーとダイビングも経験。将来はペンション海の家の経営を夢見ていた。

大学時代、プロ級のスキーの腕前を生かし、テスター(スキー板の開発)のアルバイトを経験する。海外のスキー場にも行き、氷河の上を滑ったこともある。命がけの仕事なので給料は高かったが、やがてスキーが嫌いになってしまったという。

1973年(23歳)、レストランで俳優石原裕次郎に声をかけられ、遊びの話をしながら飲食を共にし、その一週間後、石原からの誘いで日活を見学。さらにその一週間後、石原から「ひやかしでドラマ1本にでてみないか?」と言われ、端役でドラマに出演。その後、石原が社長を務める石原プロモーションに入社した。

1976年 (26歳)、 日本テレビ系列「大都会 闘いの日々」にて新聞記者・九条浩次役で俳優デビュー。当時は地元・長野方言で苦労したという。翌年の「大都会 PARTII」にも神総太郎刑事役で第14話より出演。1980年(30歳)には日本テレビ系列「太陽にほえろ!」に西條昭(通称・ドック)刑事役で出演。以後、1986年の最終話まで出演し、代表作となる。

1985年(35歳)、 映画カリブ・愛のシンフォニー』で共演した歌手松田聖子結婚。当時既に人気俳優だった神田とトップアイドルだった松田の華やかな結婚は、「世紀の結婚」をもじった「聖輝の結婚」と呼ばれた。翌年、聖子との間に娘・神田沙也加歌手・女優)が生まれる。

1995年(45歳)、NHKとおりゃんせ〜深川人情澪通り』で時代劇初主演。ヒロイン(妻役)は池上季実子。神田にとって「好きな作品・思い出の作品」であるという。

1997年1月(47歳)、結婚生活12年で松田聖子と離婚

1997年4月(47歳)、大阪朝日放送の生放送番組『朝だ!生です旅サラダ』の司会となる。

2004年(54歳)、1995年にNHKで放送された『とおりゃんせ〜深川人情澪通り』を、自らの提案で舞台化して主演。神田にとっての初舞台で、ヒロイン(妻役)は今回も池上季実子。

前述のようにスキーの腕前はプロ級であり、『太陽にほえろ!』のロケでスキーを滑るシーンも全てスタント抜きの本人演技でこなした。(『太陽にほえろ!』第449話「ドック刑事 雪山に舞う」第450話「ドック刑事 雪山に斗う」ほか)1999年より自身の名を冠したスキーコンペを志賀高原で開催している[1]。さらにゴルフ、テニスも得意。スポーツが好きで運動神経も高い。

ダジャレ好きで、「太陽にほえろ!」でドック刑事を演じた際も、劇中でしばしばアドリブのダジャレを披露していた。その後も自身の出演番組でダジャレを披露することが多い。

デビュー間もない頃、台本は暗記してこい、という意味で石原裕次郎に「台本なんか捨ててしまえ。」と言われたが、額面通り受け取り、ろくに読みもせずに捨ててしまった。そして、セリフを発することができなかったため、共演の宍戸錠にあきれられたという。

銃に対する知識が深く、ドック刑事役の際には、背中に銃を横向きに付ける形(手を背中に回せばそのまま握って抜ける。前からは絶対に見えない)の『バックサイドホルスター』を新たに作り、ガンマニアには『ドック・ホルスター』の名で親しまれた。ドック役では、S&W M59を愛用したが、犯人が44マグナム弾を使用したときには、対抗してコルト・ゴールドカップナショナルマッチを使い、銃による反動の違いも表現するなど、マニアに好評だった(当時の月刊誌Gunにも掲載された)。

長野オリンピックの前年1997年から長野県志賀高原で、毎年3月にスキー(大回転)の大会「神田正輝カップ」を主催している。参加者100人前後の大会で、神田はオーガナイザーをしているほか、技術代表としてコースの点検・確認のため自らも滑ってもいる。「仕事しているときはあまり笑わないが、スキーをしているときはよく笑う。役者やっているときよりイイ顔している」とのこと。

健康のためになるべくエレベーターを使わないで階段を使い、つま先歩きをして体を鍛えている。

石原プロモーション[編集]

同じ取締役でもあった舘ひろしが後の社長・渡哲也を慕って入社したのに対し、神田は先代の社長であった石原を慕い、また石原からも可愛がられていた。このためか、かつては神田が石原メインの『太陽にほえろ!』に、舘が渡メインの『西部警察』に出演していた時期が長く続いた。後に舘が石原の後任の“ボス”として『太陽にほえろ!』のリメイク版である『七曲署捜査一係』に、神田も『西部警察 SPECIAL』に出演を果たしている。

ちなみに、舘とは『ゴリラ・警視庁捜査第8班』では同僚刑事として共演、『代表取締役刑事』『西部警察 SPECIAL』では敵(犯人)役として対決した。

2001年よりテレビ東京系列で「舘&神田ゴルフ苦楽部」放送開始。ゴルフが得意な2人とゲストを迎えてのゴルフ対決の番組である。プロ級の腕を披露した。

2011年3月28日、石原プロモーション取締役を辞任し、一所属俳優となる。

同じ事務所の後輩の神田穣とは同じ苗字であるが血縁関係はない。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK

神田自身がこの作品を大変に気に入り、自ら2004年の舞台公演にこぎつけた。

日本テレビ

TBS

フジテレビ

月9」枠ドラマの第1作で、いわゆる「業界モノ」ドラマの第1作でもある。

テレビ朝日

テレビ東京

テレビ[編集]

生放送のバラエティ番組で、金曜の「極楽スポーツ家族」の司会を今田耕司らとともに務めた。
生放送の情報番組で、1997年4月5日よりメインキャスター(司会)を務めている(初代司会の草野仁の後任)。番組ではよく駄洒落を連発する。

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

CM[編集]

ラジオ番組[編集]

  • ENEOS サウンドステーション(1983年、FM東京
  • 神田正輝のときめきパーティー(1984年、TBS)
  • 神田正輝のサタデー・ポップロード(1985年、TBS)

音楽作品[編集]

シングル[編集]

  1. まごころ / フレンズ(1979年2月21日発売)
  2. マティーニの後で / 引き潮(1984年7月21日発売)
  3. 黄昏のプレリュード / いま、向い風(1984年9月21日発売)
  4. 思い出のキーラルゴ / サンセット物語(1985年5月1日発売)
  5. 夏の日の恋-Lonely Summer Day- / ハロー&グッドバイ(1985年8月22日発売)
  6. 東京トワイライト / ブルーダリア(1987年9月5日発売)
  7. はじめての夜のように(1994年6月1日発売)

オリジナル・アルバム[編集]

  1. if -予感-(1984年6月1日発売)
  2. サンセット物語(1985年8月22日発売)
  3. Blue Dahlia(1987年9月5日発売)

ベスト・アルバム[編集]

  1. Best Selection Monochrome Monologue(1987年12月25日発売)

脚注[編集]

  1. ^ 山ノ内町観光大使 神田正輝カップ
  2. ^ 舘ひろし×神田正輝、NHKドラマ初共演で火花を散らす”. ORICON STYLE (2016年1月20日). 2016年1月20日閲覧。
  3. ^ この作品は高島礼子ヌードを披露したことでも知られ、高島が演じる女性精神科医とのカラミが後に話題になった。

外部リンク[編集]