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桂文枝 (6代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
6代目 かつら 文枝ぶんし
6代目 桂(かつら) 文枝(ぶんし)
2015年9月5日、第25回彦八まつりの開幕で挨拶
本名 河村 静也(かわむら しずや)
生年月日 (1943-07-16) 1943年7月16日(80歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市大正区
師匠 五代目桂文枝
名跡 1. 桂三枝
1966年 - 2012年
2. 六代目桂文枝
2012年 - )
活動期間 1966年 -
活動内容 上方落語
創作落語
配偶者 死別[1]
所属 吉本興業
公式サイト 三枝改メ 六代桂文枝
受賞歴
紫綬褒章(2006年)
旭日小綬章(2015年)
備考
上方落語協会6代目会長(2003年 - 2018年5月)
上方落語協会特別顧問(2020年 - )
6代目 桂 文枝
結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 河村 静也(かわむら しずや)
ニックネーム サニー
生年月日 (1943-07-16) 1943年7月16日(80歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市大正区
血液型 O型
身長 173cm
言語 日本語
方言 大阪弁
最終学歴 関西大学商学部中途退学
師匠 五代目桂文枝
事務所 吉本興業
活動時期 1966年 -
同期 笑福亭鶴光
4代目桂春團治
過去の代表番組 MBSヤングタウン
ヤングおー!おー!
パンチDEデート
三枝の爆笑美女対談
三枝やすし(きよし)興奮テレビ
クイズ!年の差なんて
新婚さんいらっしゃい!
配偶者 2021年に死別
公式サイト 三枝改メ 六代 桂文枝
受賞歴
紫綬褒章(2006年)
旭日小綬章(2015年)
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6代目 桂 文枝(かつら ぶんし、1943年昭和18年〉7月16日 - )は、日本落語家タレントテレビ司会者上方落語名跡桂文枝」の当代。

吉本興業所属。社団法人上方落語協会第6代会長で、会長退任後は平会員を経て2020年6月に特別顧問に就任[2][3]

師匠は3代目桂小文枝(のちの5代目桂文枝)。一般的に上方落語の世界では単に「六代目」といえば6代目笑福亭松鶴を指すため、「六代 桂 文枝」と称している。

概要[編集]

大阪府大阪市大正区で生まれ育ち、約50年間大阪府池田市在住[4][5]出囃子は三枝時代『おそ付け』『喜撰くずし』から『軒すだれ』(師匠である先代文枝が小文枝時代に使用したのを継承)を使用。6代目文枝襲名に際して『本調子・中の舞』(5代目柳家小さんが使用していた曲)に替えた。定番ギャグは「いらっしゃーい!」。

吉本興業のほか、自らの個人事務所である三友事務所に籍を置く。上方落語協会での役職のほか、財団法人いけだ市民文化振興財団名誉理事、一般社団法人OSAKAあかるクラブキャプテン、函館大学商学部客員教授、関西大学文学部客員教授堺市名誉大使、淡路島名誉大使も務める。2020年公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会では文化・教育委員会委員を務めた。

2012年に桂文枝を襲名するまで45年[6]に渡り「桂三枝」名義で活動し、弟子や吉本の後輩芸人からは「三枝師匠」と呼ばれ、愛称は「サニー」「さんちゃん」だった(「さんちゃん」については後輩である明石家さんまの愛称となり、そちらが一般的な認識に塗り替わった)。

2015年7月2日、朝日放送の『新婚さんいらっしゃい!』で「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定された[7]。同番組の司会は2022年3月まで51年間務めた[8]

創作落語を自作自演する作家活動も長く続けており、作品数は2020年令和2年)で300本になった[9]。他の落語家によって演じられるようになった演目も多い。

来歴[編集]

2009年、鳩山由紀夫首相(当時)と面会

河村家の先祖は武家の出で菩提寺岐阜県本巣市文殊(旧: 本巣郡文殊村文殊)の善永寺にある[10]。祖父・靜衛は日露戦争奉天会戦に兵卒として参加し、除隊後にその功績で得た金鵄勲章年金を元手に大阪で薬問屋を開業[10]

生後11か月で、野村銀行(現:りそな銀行)の銀行員だった父・清三は戦地に赴く前に陸軍病院(現在の大手前病院)にて肺結核で死去(遺骨は長らく旧真田山陸軍墓地に保管されていた)[11]。文枝は2013年に父の遺骨と対面してから、父と陸軍墓地を題材にした「しあわせの進軍」という創作落語を作っている[11]。戦争中は堺市内の親戚の家に母と疎開していたという[11]

母はその後、静也(文枝の本名)を引き渡して離縁するようにという河村家の話を拒否して出奔し、大正区に隠れ住む[要出典]。文枝の回想では当初は母は材木工場に住み込みで勤務、次いで静也を兄の家に預けて旅館で働いたという[11]1950年ジェーン台風と、翌1951年の火事で、大正区・港区在住時代の自宅が全損したため、幼い頃の写真は数えるほどしか残っていない。小さい頃から大村崑の大ファンで ファンレターを送った唯一の芸能人だった。

大阪市立北恩加島小学校大阪市立市岡中学校を経て大阪市立市岡商業高等学校に進学した。中学では西川きよしの姉と同級生[要出典]、高校ではレツゴー正児2代目桂春蝶の下級生で[12]当時から付き合いがあった[要出典]。市岡商業高校では演劇部に入部。先輩の直井正三(のちのレツゴー正児)に触発され、同級生とともにABCラジオの『漫才教室』に出演して賞金を稼ぎ、早くも大阪では名の知れた存在になった[13]

高校卒業後、関西大学商学部第二部商学科(夜間部)に進学。3代目桂米朝の口演を聴いて、落語に興味を持つ。一時期、卓球部に在籍したのち、1964年に創設間もない落研(通称落語大学)に一期生として入部(同期には浪漫亭呂蘭こと、元政治家の林省之介がいる)、ロマンチックをもじった「浪漫亭ちっく」の芸名で、アマチュア落語家として活動する[14]

在学中の1966年に、早稲田大学の落語研究会にいた都家西北6代目三遊亭圓生に弟子入りする話を聞いて、自身も落語家になることを夢見る。ある日、番組出演などで知り合った藤井康民(当時松竹芸能制作部長。のちのケーエープロダクション社長)に桂小文枝の弟子になりたいことを打ち明ける。たまたま同じ場所に居合わせた高校先輩の2代目桂春蝶に「これから小文枝師匠とこ稽古行くさかい、ついて来るか? どうや?」と言われて同道し、弟子入り志願をする。「大学出は嫌や」と小文枝から断られたが、藤井がすべて責任を持つという形で弟子入りが許される。その時、母には「建設会社の人事課長」と偽って紹介するなど、入門までには紆余曲折があった。 正式な入門は同年12月1日。翌1967年(昭和42年)5月31日、道頓堀角座で初舞台を踏み(演目は「煮売屋」)、吉本でも同年に京都花月で初舞台を踏む。大学は中途退学した。

さらに入門直後のこの年には、大阪から徒歩で5日かけて伊勢神宮に参拝したことがあった[15][16]。上方落語「伊勢参宮神乃賑」(別名「東の旅」、前記の「煮売屋」はその1エピソード)は江戸時代の伊勢参宮を描いた作品で、「ぜんぜん旅の感じが出てない!」と小文枝によく叱られていたことからそれを実践する目的があり、2011年に執筆した文章では「道中、人とのふれあいを通じて落語家として確実に成長できたと思う」と回想している[15][注釈 1]

同年秋、MBSラジオの深夜放送のオーディションに参加。マカロニ・ウェスタン映画を題材にした新作落語を披露し、ディレクターの渡邊一雄の目に止まり、出演が決定する。その番組とは、『歌え! MBSヤングタウン』であった。この番組で三枝は、自ら考えた「ひとりぼっちでいる時のあなたに、ロマンチックな明かりを灯す、 便所場の電球みたいな桂三枝です」のキャッチフレーズや、「オヨヨ」「いらっしゃーい」「アリーッ!」などのギャグで一躍大人気となる[13]。三枝は放送タレントの世界に入るにあたって、「西条凡児のセンスと花菱アチャコの雰囲気、そして藤山寛美の“間”」を目標とし、とりわけ凡児の話芸に傾倒した[13]。そしてギャグは、伴淳三郎の「アジャパー」や初代内海突破の「ギョッ!」など、ブレイクしたギャグの多くが「驚き語」であったことをヒントに、「一番最初に出る言葉にインパクトを出そう」と取り組んだ結果であった[13]。1968年(昭和43年)正式に吉本興業の専属となる。

その後は、テレビのバラエティ番組『ヤングおー!おー!』『パンチDEデート』『新婚さんいらっしゃい!』などの司会を務め、全国区の人気者となり売れっ子となった。また、小文枝一門の中でもテレビ番組への出演が最も多かった弟子でもある。

ラジオ大阪の深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(日曜日)にて、舌足らずの甘えた声で三枝の担当日のアシスタントを務めて共演したタレントの高橋真由美と番組終了後に結婚し、1男1女を儲ける。テレビ番組で、挙式した時の写真を披露したことがある。長男は三友事務所の社員である。

1990年代前半までは、長者番付関西芸能人ランキング首位を保ちつづけた。

1995年の参議院議員選挙に出馬を決意して記者会見まで開いたが、告示直前に事務所と家族が反対し、結局は断念した[19]

21世紀になってからはダウンタウンなど後進の台頭に加え、上沼恵美子やしきたかじんがテレビ司会者として活躍するなど、お笑い界や上方芸能界の変化もあって、テレビタレントとしての勢いはやや落ち着いたものとなる。テレビ出演を抑え、本業の寄席(NGKの出番など)、独演会(2000年3月からは「桂三枝の創作落語125撰」)や上方落語協会会長としての業務に注力している。

2006年元日に、『笑点』の新春特番『大笑点』に『ヤングおー!おー!』時代の共演者である月亭八方らを引き連れて出演。その際、笑点メンバーからは「会長」と呼ばれていた。

2006年4月11日~20日、東京・鈴本演芸場夜の部に「桂三枝初お目見え興行」として出演、トリをとる。通常の料金2800円より高い3500円の指定席が販売されたが、前売券は全席完売した[20]

2009年1月1日、産経新聞が12月31日の関係者情報として「時期は未定だが桂派の由緒ある名跡で師匠の名『6代目桂文枝』の襲名が予定されている」と報じた[21]が、その時点では否定していた[22]

2011年7月11日、師匠の名を継いで桂文枝を6代目として襲名することを正式に発表[23][24]。なお、当時はタレントや落語作家としては今後も「桂三枝」名義を使用する意向だったが、4代目三遊亭金馬(のちの2代目三遊亭金翁)からの助言を受け[25]、芸名を「桂文枝」に統一する方針へ考えを改めた。2012年7月16日に桂文枝を正式に襲名し、当日のなんばグランド花月にて「6代目 桂文枝」襲名披露公演を行った[26]。同年7月22日放送分より、「新婚さん」の出演名義も「桂文枝」に改名した。45年間名乗った三枝から師匠の名を継承することを決意した背景には「桂派の源流で由緒ある(文枝の)名跡を直系の弟子が代々引き継いだことを考え、他の一門の誰かが(文枝を)襲名するようなことがあれば先代を始め代々の文枝に申し訳ない」との思いがあることを襲名発表の記者会見にて語っている[23]

2012年5月、日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆する。2016年12月4日、堺市名誉大使に就任。

2017年には芸能生活50周年を記念して、よしもとクリエイティブ・エージェンシーと三井住友カードとの提携によるクレジットカードオヨヨVISAカード」が発行された。券面には、桂文枝一門の定紋である結三柏と、文枝紋(漢字の「文」を4つ丸くつなげたもの)があしらわれている。会員には入会の際にオリジナルグッズが贈呈されたほか、文枝自身の公演やなんばグランド花月神保町花月のチケット購入時に割引が適用されるなどの特典が用意されている。

2018年4月、上方落語協会会長を退任する意向を表明。後任に笑福亭仁智が選出され、5月31日の理事会をもって会長職を退任した[27][28]。退任に際して、上方落語協会最高顧問などの役職を固辞し、同年7月オープンの「神戸新開地・喜楽館」の名誉館長に就任した[27][28]

2019年3月に長年の愛人であると報道された元歌手の紫艶が孤独死[29]。2019年8月に桂三弥、同年11月には桂三金と古参の弟子が死去[30]

2020年3月4日、新型コロナウイルス感染症の影響により、なんばグランド花月で300作目の創作落語を無観客収録し、ネット配信した[9]

同年6月16日、新型コロナウイルスの影響で厳しい経営状況が続く府内観光事業者への支援を目的とする「大阪の人・関西の人 いらっしゃい!」キャンペーン大使に就任。大阪府庁の大阪府公館で行われた概要説明会に大阪府知事吉村洋文、大阪市長松井一郎とともに出席し、「コロナと一緒に過ごしたいとは思わないけど、ワクチンや治療薬ができるまでは仕方ない。志村けんさんもコロナで亡くなって葬式もできない。つらい寂しい思いした。コロナの中で大阪人らしくたくましく落ち込まずに頑張っていきたい」と語った[31]。6月30日には、上方落語協会特別顧問に就任[2][3]

2021年1月下旬に母、妻・真由美と相次いで死別[32]。後に、妻の死の翌日に通夜の法要を行っている最中に母の死が伝えられ、母の死亡手続のために通夜を中座せざるを得なかったと語っている[33]

2022年1月7日、同年3月27日放送分をもって『新婚さんいらっしゃい!』の司会を勇退することを発表した[34][35]。勇退発表の会見では、「若いカップルの話を聞くのは無理があるなと、潮時やなと思った」と説明したほか、プロデューサーだった澤田隆治が2021年に死去したことや椅子から転げ落ちるアクションを以前のようにはできなくなったことも勇退の理由に挙げ、涙を浮かべた[34][36]。発表通り、2022年3月27日放送をもって司会を勇退[8]

2023年7月、BSよしもとで新番組、『桂文枝の全国の首長さんに逢いたい!』をスタート。『新婚さんいらっしゃい!』終了から約1年3か月ぶりに冠番組のレギュラーを担当[37]

2024年6月11日~20日、東京・鈴本演芸場「落語協会百年興行 6月中席昼の部」に2006年以来のトリとして10日間出演。連日大入となった[38]

芸風など[編集]

「いらっしゃーい!」「オヨヨ」「しっかりと!」のギャグが有名である。「オヨヨ」については、小林信彦から自著『オヨヨ』シリーズからの盗用であると抗議され、使用をやめた上で謝罪することとなった(オヨヨ騒動)。しかし、三枝の「オヨヨ」は、俳優大河内傳次郎の物まねから派生したものであり、小林の主張は誤解だった[要出典]

タレントとして早くから頭角を現す一方で本業の落語の評価は高くなかったが、三遊亭圓丈新作落語にヒントを得て、古典ではなく新作(創作落語)にウェイトを置くようになると、落語での評価は急上昇していった。これは古典をほとんどやっていない早い時期に、司会者やタレントで人気が出始めたため、師匠にしっかり稽古を付けてもらえなかったこと、本来の上方落語の世界に出てくる大阪言葉に馴染めなかったことなどが理由とされている[要出典]立川談志は「(当初は)ただの若手の人気者だと思ってましたよね。とにかく新作落語で奥義を極めたんじゃないかな」と評している[39]。2021年12月に圓丈が死去した際には、放送局のディレクターから圓丈の『グリコ少年』をカセットテープで渡されたことが新作落語に入るきっかけとなり『ゴルフ夜明け前』につながっていったとコメントした[40]

自作の演目については、後進落語家に語り継がれることを前提としているため、「新作落語」(古典落語と対の言葉)とは呼ばせず、あえて「創作落語」と呼ぶ(また、新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる習わしがあり、それに反発したことにもよる)[要出典]1981年に大阪で新作落語の会を始める際には、香川登志緒に「創作落語の会」という名称を付けてもらった[40]。創作落語の時代設定は『ゴルフ夜明け前』のように必ずしも現代とは限らず、1980年代後半には出島商館長説を唱えていた浮世絵師東洲斎写楽を題材とする企画も立てている[要出典]

後年のテレビ番組でおなじみとなった「あっち向いてホイ!」「さわってさわってナンでしょう(箱の中身はなんだろな)」「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」などのゲームを考案した[41]。子供の頃からオリジナルのゲームや遊びを考案するのが好きで、それが三枝の関係するクイズ番組などに活かされている。また、この持ち前の発想力が創作落語を作る際の原動力となっている。

大平サブロー明石家さんま松本人志など、後輩芸人からものまねされることがある。また、関根勤のかつての芸名「ラビット関根」や、池乃めだかセーラーズの名付け親でもある。ほかにも『ヤングおー!おー!』で共演した後輩にも名前を付けている(オール阪神・巨人は「マネマネゴンスケ・マンスケ」、萩原芳樹には「ダッシュとんぺー」)。

主な持ちネタ[編集]

創作落語は

  • ゴルフ夜明け前
  • 読書の時間
  • 『鯛』(鯛は絵本にもなって出版されている)
  • 『ぼやき酒屋』
  • 『妻の旅行』
  • 『宿題』
  • 『作文』
  • 『お忘れ物承り所』
  • 『美しく青き道頓堀川』
  • 『大相撲夢甚句』
  • 『くもんもんしき学習塾』
  • 『真心サービスおじんタクシー』
  • 『ヘラクレスの心』
  • 『ワニ』
  • 『大阪レジスタンス』
  • 『父よあなたは辛かった』
  • 『赤とんぼ』
  • 『仁義なき校争』
  • 『新世界ヘ』
  • 『竹やんあれがパリの灯だ』
  • 『またも華々しき華燭の典』
  • 『ご対面は涙々のポタージュスープ』
  • 『アメリカ人が家にやって来た』
  • 『仲直り』
  • 『涙をこらえてカラオケを』
  • 『親父の演歌』

など。2020年3月に300作に達した[9]

また前座時代に高座にかけた古典落語は

など多数あり。1971年の「1080分落語会」では『七度狐』を演じている。

このほか、桂文紅の作った新作落語『テレビ葬式』も演じている。

芸能外の活動[編集]

1996年吉本女子プロレスJd'を立ち上げた際に、「覆面コミッショナー」として参画している。また、大阪プロレス所属のプロレスラー・くいしんぼう仮面の入場テーマでは、オープニングで「くいしんぼう仮面、いらっしゃーい!」の掛け声で出演するなど、プロレスとの縁もある。

三枝時代に始めた、京都市東山区『清水順正おかべ家』で行われる、湯豆腐食べ比べ大会(毎年2月に開催)の司会は、日本有数の落語家になってからも継続し、2020年の第46回まで続いた[42](2021年および2022年は新型コロナウイルス感染症の影響により中止[43][44]。2023年は中止の告知自体もなかった)。

人物[編集]

早くから吉本興業のタレントとして売れっ子になったため、吉本興業内で大きな立ち位置を占めていた。一方で、相当に気難しい性格で有名であり、この両面から吉本の後輩芸人とのトラブルが絶えず、シリアス、ネタともどもこの手の話題に事欠いたことがない[要出典]松本人志ダウンタウン)がある番組収録で、ごく些細なきっかけで三枝を怒らせてしまい、松本自身は何が三枝の癪に触ったのか把握しきれないままマネージャーに促され楽屋へ謝りに行ったところ、すぐに掌を返したように上機嫌で許した、というエピソードは実話である。このエピソードは後に『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコント「サニーさん」の原案となった。

多趣味で、かつては芸能人仲間でボウリング部を立ち上げたこともあった[要出典]将棋はアマ初段で[45]、プロ棋士の神吉宏充と長年の交友を持つ[46]ウクレレ絵画制作、社交ダンスもたしなむ[47][48]。2010年8月頃、リカンベント自転車を購入、吉本興業のプロフィールにも、リカンベントを趣味として記載している[49]福原愛との共演がきっかけで、卓球もする(前記の通り、大学時代には一時卓球部員であった)。加山雄三のファンであり、2000年前後に親交を持つようになり、2010年代からはLINEで連絡を取り合う関係で、2017年にはお互いのイベントにゲスト出演した[48][50]加山の影響で小型船舶操縦士を取得している。ただし、自動車の運転免許証は持っていない。[要出典]

文枝襲名後はブログをほぼ毎日更新している。坂本龍馬のファンであり、ブログで話題にすることが多い。

大の阪神タイガースファンである[51]。2014年のイベントで語ったところでは、かつては長嶋茂雄に憧れて巨人ファンであったが、1987年に江川卓が引退したことと長嶋一茂を巨人がドラフト指名しなかったことで関心が低下し、1989年に大学の先輩である村山実が監督に就任(再任)したことで「強い愛着」を持つようになり、2003年の18年ぶりのリーグ優勝で決定的になったという[52][注釈 2]。2023年に阪神タイガースが日本一に輝いた時にも大喜びしていた[53]

運転免許は持っていない[54]。理由は、義父が「車の免許を持たないこと」を結婚の条件にしたため[54]板金工場を経営する義父が、仕事でつぶれた車(と交通事故に遭った人)を多数見てきたことから、事故に遭うことをおそれて運転を禁じた[54]

受賞歴など[編集]

弟子[編集]

結三柏は、桂文枝一門の定紋であるが、代々文枝は文枝紋を替え紋として併用。

落語の弟子の芸名には、自らの前名である「三枝」にちなみ、「三○」という風に「三」がついている。また、落語以外での弟子(通称「維新塾」)としては、フジテレビの『タモリのボキャブラ天国』に出演していた漫談の幹てつや吉本新喜劇に所属している中條健一、漫才師かつみ♥さゆりのさゆり、ラジオDJのDJ JIRO(高杉'Jay'二郎)らがいる。中條は、大学も所属サークルも三枝の後輩であり(関西大学落語研究会『落語大学』)、大学時代の芸名は「浪漫亭呂澪(ロミオ:『ロミオとジュリエット』より)」であった。1974年頃、2代目快楽亭ブラック立川談志に最初の破門を出された際(その後、談志一門に復帰したが、2006年現在は2度目の破門中)、一時だが三枝門下となっている(ジョニー三ノ介・桂三ノ介・桂サンQ(サンキュー))。談志はこの件で三枝に感謝していたとされる。

新婚さんいらっしゃい!』の前説は若手の弟子が務めていた[58]

落語家としての弟子一覧

詳しくは文枝一門

タレントとしての弟子一覧
移籍
廃業
  • 桂文悠

演じた俳優[編集]

  • 森田展義(舞台「吉本新喜劇 桂文枝襲名記念公演 オヨヨ!!三枝誕生物語」2012年)
    • 文枝も座長・なんば花月の当時の支配人役で出演。
  • 間慎太郎(舞台「吉本百年物語 深夜のキラ星〜スター誕生〜」2012年)
  • なだぎ武(舞台「吉本百年物語 日本全国、テレビで遊ぼ」2012年)

出演番組[編集]

テレビ番組司会[編集]

報道・情報・ワイドショー番組

番組名 番組放送・担当期間 担当曜日・備考
ファミリースタジオ230→奥さん!2時です(MBS東京12チャンネル共同制作) 1970年4月 - 1975年3月 MBS発の月曜日担当、当時MBSはNETテレビ系列(現:テレビ朝日系列)でのネット局だったが、番組終了と同時にTBS系列へとネットチェンジ
モーニングアップルKTV 1985年4月 - 1986年9月
桂三枝のTXNニュース THIS EVENINGテレビ東京 1989年4月 - 1990年9月 日曜日担当
桂三枝のにゅーすコロンブスABC 1990年4月 - 1991年9月
レインボー(MBS) 1992年10月 - 1993年9月 月・火曜日担当、キー局であるTBSテレビでは『スーパーワイド』を放送(同局でも番組終了後、フルネットとして放送)

バラエティ・トーク・特別番組・その他

クイズ番組司会[編集]

クイズ番組の解答者として[編集]

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

映画[編集]

監督・脚本・原作
出演

劇場アニメ[編集]

ラジオ[編集]

ドキュメンタリー[編集]

審査員[編集]

  • R-1ぐらんぷり 第5・7 - 13・15 - 18回(2007年・2009年 - 2015年・2017年 - 2020年、関西テレビ)

CM[編集]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
キングレコード
1 1969年
8月
A面 夕陽のアンジェロ[注釈 4] 安里八 邦雄志 ダボーズ BS-1042
B面 たったひとつの愛[注釈 4] 弓井久
キャニオン
2 1971年
3月
A面 ぐりぐりソング きたみなと 葵まさひこ CA-40
B面 最後に泣くのはおんなです 安里八
キングレコード
3 1975年
12月
A面 三枝のムラムラ日記 不詳 上田正樹 上田正樹と
サウス・トゥ・サウス
BS-1983
B面 僕の思い出さん 上田正樹
ミノルフォン
4 1976年
2月
A面 ひと目逢ったその日から[注釈 5] 伊藤アキラ 小林亜星 ボブ佐久間 KA-583
B面 パンチ体操[注釈 5]
ユニオンレコード
5 1976年
7月
A面 桂三枝の電線音頭 田村隆 不詳 東海林修 UC-11
B面 (カラオケ) -
キングレコード
6 1984年
10月5日
A面 幸せにキッスしたら[注釈 6] 荒木とよひさ いけたけし 若草恵 K07S-614
B面 あいあい愛Love You[注釈 6] 熊谷安廣
ワーナー・パイオニア
7 1986年
5月25日
A面 四季の恋人 石坂まさを 京建輔 L-1738
B面 あなたに
日本コロムビア
8 1991年
10月1日
01 熱海あたりで[注釈 7] 秋元康 林哲司 服部隆之 CODA-8798
東芝EMI
9 1992年
7月1日
01 好きだから[注釈 8] 魚住勉 馬飼野康二 TODT-2874
02 愛は季節のなかで[注釈 8]
  • ※「夕陽のアンジェロ」の歌詞について『桂三枝の笑宇宙(05)』収録の『親父の演歌』のマクラで「よく分からない」と語っている。
  • ※「桂三枝の電線音頭」について『桂三枝の笑宇宙(05)』収録の『親父の演歌』のマクラで「私のレコードの中で一番売れた」と語っている。

参加作品[編集]

  • 「新地の雨」(藤圭子デュエット桂三枝)1989年2月25日発売『桂三枝の笑宇宙(05)』収録の『親父の演歌』のマクラで、「宇多田さん(宇多田ヒカル)のお母さん、藤圭子さんとのデュエットなんです」、作詞は桂三枝と紹介。カラオケ(通信カラオケ収録)で歌えるとも紹介。一節歌うも歌詞がうろ覚えなため、途中で「どんなんやったかなぁ」とぼやく。自ら作詞したもののあまり歌っていないため歌詞を忘れたという(カラオケでは歌うとのこと)。

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ
1969年 夕陽のアンジェロ MBSラジオ歌え!ヤングタウン」8月の歌
1975年 ひと目逢ったその日から フジテレビ系「パンチDEデート」テーマソング
1976年 桂文枝の電線音頭 テレビ朝日系「ドカンと一発60分!」挿入歌
1984年 幸せにキッスしたら テレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」テーマソング
1991年 熱海あたりで テレビ朝日系「トゥナイト」EDテーマ
1992年 好きだから テレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」テーマソング

著書[編集]

  • 『桂三枝のオヨヨ巷談』(1973年、ブロンズ社)
  • 『新婚さんいらっしゃい!』(1975年、オリエント書房)
  • 『愛情ゆきのバス』(1976年、八曜社)
  • おもろ文学館講談社、1976年7月16日。
  • 『桂三枝のオヨヨ・テスト』(1976年、広済堂ブックス)
  • 桂三枝爆笑落語大全集』全8巻(レオ企画)
1 仁義なき校争(1982年)
2 真心サービスおじんタクシー(1983年)
3 恐怖の怪談社(1984年)
4 父さんがビデオカメラを買った日(1985年)
5 君よモーツァルトを聴け(1988年)
6 涙をこらえてカラオケを(1997年)
7 湯けむりが目にしみる(1998年)
1 仁義なき校争(1988年)
2 ゴルフ夜明け前(1989年)
  • 『巨人ファンをとてもやめられない人へ いまの自分を抜け出して見よう』(1988年、青春出版社 プレイブックス)
  • 『吉本興業殺人事件』(1988年、扶桑社
  • 『三枝のホンマでっか 桂三枝対談集』(1989年、読売新聞社
  • 『三枝のホンマでっか 桂三枝対談集 part 2-3』(1990年 - 1992年、読売新聞社)
  • 『おぼえとけ!』(1995年、扶桑社文庫)
  • 『ナニワの太閤 ゆめの又ゆめ』(1996年、ベストセラーズ)
  • 『桂三枝の落語絵本シリーズ』(絵:黒田征太郎、アートン)
1 美しく青き道頓堀川(2005年)
2 鯛(2005年)
3 悲しい犬やねん(2005年)
4 考える豚(2006年)
5 ワニ(2006年)
6 カラス(2006年)
7 さよなら動物園(2006年)
8 峠の狸レストラン(2006年)
  • 『桂三枝という生き方』(2005年、ぴあ
  • 『桂三枝の笑ウインドウ傑作選』(2006年、編著、朝日新聞社
  • 『桂三枝のああ夫婦 『新婚さんいらっしゃい!』でわかった幸せの法則』(2007年、大和書房
  • 『桂三枝の川柳激情 世の中を575で考えよう』(2011年、たる出版)
  • 『師匠、五代目文枝へ』(2012年、ヨシモトブックス
  • 『風に戦いで』(2018年、ヨシモトブックス)

共著[編集]

翻訳[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2011年には弟子の桂三輝も同じルートを歩いている[15][17][18]
  2. ^ 村山は現役時代の1970年 - 1972年途中に兼任監督を務めていたが、当時は長嶋茂雄も現役だった。
  3. ^ フレーズの作者は作詞家の伊藤アキラ。別件のCMソング用に作られていたものを流用した。
  4. ^ a b 共演:ダボーズ
  5. ^ a b デュエット:西川きよし
  6. ^ a b デュエット:片平なぎさ
  7. ^ デュエット:八代亜紀
  8. ^ a b デュエット:岡本夏生

出典[編集]

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外部リンク[編集]