崇徳院 (落語)

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崇徳院(すとくいん)は、古典落語の演目の一つ。

東京落語における皿屋(さらや)、花見扇(はなみおうぎ)についてもこの項目で記述する。

概要[編集]

元々は上方落語の演目で、後に東京でも口演されるようになった。

『崇徳院』は、小倉百人一首77番の崇徳院和歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」(詞花和歌集・恋上。意=傾斜のために速くなり、岩に当たって二手に分かれている川の流れが、やがてひとつに合流するように、今別れ別れになっているあなたとも、またいつか逢いたいと思っています)を題材にした、町人の恋模様を描いた滑稽噺。初代桂文治の作といわれ、後世に改作を繰り返し現在の形になったとされる。

主な演者に、上方では3代目桂米朝3代目笑福亭仁鶴2代目桂春蝶2代目桂枝雀桂雀三郎笑福亭松喬らが、東京では3代目桂三木助10代目金原亭馬生らが知られる。

30分程度を要する大ネタであるため、寄席では、プログラムの時間配分の関係上、若手の落語家は演じることができない。独演会などの落語会で、中入り前やトリの演目として出されることが多い。

『皿屋』『花見扇』は、『崇徳院』と同様、和歌を題材にしたストーリーは同一であるが、登場人物や道具などのディテールが異なる。

あらすじ[編集]

大まかな設定は上方の『崇徳院』に準じる。

商家の若旦那(上方では作次郎)が食欲と体力を失い、重病になった。親旦那は、医者から「医者や薬では治らない気の病で、思いごとが叶えばたちどころに治るが、放っておくと5日もつかどうか」と言われ、男(出入りの職人・熊五郎あるいは、若旦那の幼なじみの、名前が設定されない男。以下「熊五郎」で統一)を店に呼びつけ、「座敷へ行って、若旦那に『思いごと』を聞き出して来い」と命ずる。若旦那は消え入りそうな声で、熊五郎に以下のような事情を告げる。

20日ほど前、若旦那が神社(上方では「高津さん」。東京では「上野の清水さん」)へ参詣し、茶店で休んでいると、「歳は十七八の、水のたれるような」美しい娘が店に入って来る。娘を見た若旦那は、娘に一目ぼれをしてしまう。娘は茶店を出るために立ち上がる際、膝にかけていた茶帛紗を落とし、気づかず歩き出してしまう。若旦那が急いで拾い、追いかけて届けると、娘は料紙(あるいは短冊)に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と、歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し、去って行く。若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、娘の「今日のところはお別れいたしますが、いずれのちにお目にかかれますように」という意志を読み取ったが、娘がどこの誰なのかわからないので、会うことがかなわずに困っている。

熊五郎はこの事情を、親旦那に報告する。親旦那は「3日間の期限を与えるから、その娘を何としても捜し出せ。褒美に蔵付きの借家を5軒ゆずり渡し、借金を帳消しにして、それと別に礼金を支払うから」と熊五郎に懇願する。

熊五郎は、やみくもに街じゅうを走り回るうちに、はじめの2日間を無駄にしてしまう。熊五郎の妻はあきれ、「人の多く集まる風呂屋床屋で『瀬をはやみー』と叫んで反応を見ればいい」と提案し、「娘を探し出せなければ、実家へ帰らせてもらう」と言い放つ。熊五郎は街じゅうの床屋に飛び込んでは「瀬をはやみー」と叫ぶが、客がひとりもいなかったり、ある客の「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし、高津神社にも足しげく通っている」という話を聞くうちに幼い子供であると判明したりするなどして、結局有力な手がかりが得られないまま日暮れを迎える。

数十軒の床屋をめぐるうち、剃れる髪もひげもなくなった熊五郎は、次に入った床屋の店主に「いっそ植えてほしい」と悲鳴をあげる。そんな中、ひとりの職人風の男が、「急ぎで頼む」と割り込んでくる。男は「出入りしている店の娘が重い恋わずらいになり、今日明日とも知れぬ身だ。お茶の稽古の帰りに神社の茶店へ立ち寄った際、さる若旦那に気を取られて茶帛紗を忘れ、その若旦那に届けてもらったとき、あまりの名残り惜しさに、崇徳院の歌の上の句を書いて手渡して以来、枕が上がらなくなったそうだ。自分は、娘の父親から『店じゅうの者でその若旦那を捜し出してくれ。はじめに見つけた者には大金を与える』と命じられたひとりで、これから遠方(上方では紀州方面。東京では東海道方面など)へ行くのだ」と店主や常連客たちに語って聞かせる。これを聞いた熊五郎は男につかみかかり、「やっと見つけた。お前の出入り先の娘に用があるのだ。うちの店へ来い」と叫ぶ。すぐに店へ戻って褒美がもらいたい男は「いや、先にこっちの店へ来い」と言い返し、つかみ合いになる。はずみで床屋の鏡が床に落ちて割れてしまい、店主が「どうしてくれる」と怒る。熊五郎は、

「割れても末(=月末)に 買わんとぞ思う」

バリエーション[編集]

  • 『花見扇』は、恋のきっかけの舞台が上野あるいは飛鳥山での花見で、それぞれの同行者である丁稚同士の喧嘩を仲裁した若旦那が「瀬をはやみ」の書かれた扇子を受け取って恋の病にかかる。サゲは、主人公が若旦那を探す男につかみかかり、男が「放せ」と叫んで、主人公が「はな(放=離)さない、合わせてもらうんだ」と言うものである(上の句の読み札と下の句の取り札を合わせる百人一首かるたにちなむ)。
    • 10代目金原亭馬生は、『崇徳院』の演題で、若旦那が花見で扇を受け取るという演じ方を取った。
  • 『皿屋』では、ラストは皿屋で水壺あるいは花瓶を割ってしまう、という演じ方となる。
  • 東京の『崇徳院』では、茶帛紗のシーンが省略され、若旦那の前に木に吊るしてあった短冊が落ちてきて、そこに崇徳院の歌が書かれてあった、という演じ方をとることもある。
  • 東京の3代目桂三木助は、床屋の客が若旦那の捜索を語るシーンで、娘の父親の店の店員が全国に散っていく様子を「きのう北海道代表が、けさ九州代表が発ちました。あっしは四国代表でね」「まるで都市対抗だね」と表現する、当世風のクスグリを創作した。
  • 上方では鏡が割れるシーンを省略する演じ方がある。
    • 「あんたのとこの若旦那は、人徳(にんとく)のある方ですなあ」と感心する床屋に、「ニントク(=仁徳)があるはずや。見初めたんが高津さんや」とサゲるもの(高津宮の祭神は仁徳天皇である)。
    • つかみ合いのシーンを演じつつ、「めでたく一対の夫婦(めおと)が出来上がります。崇徳院という、おめでたいおうわさでした」などと言って終えるもの(2代目桂枝雀など)。

エピソード[編集]

また、鏡が割れて地口を言う、というサゲが納得できなかった5代目松鶴は、「上方はなしを聴く会」でサゲを変えて演じたところ、客から苦情が来て、その後4代目米團治と、サゲをどうするべきかで熱い議論になった。
  • 2代目桂春蝶はこの噺を得意としたが、自身はサゲが気に入らず「噺そのものはええのにサゲがあかん[要出典]」とこぼしていた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]