藤圭子
| 藤 圭子 | |
|---|---|
| 出生名 | 阿部 純子 |
| 生誕 | 1951年7月5日 |
| 出身地 |
|
| 死没 |
2013年8月22日(62歳没) |
| ジャンル | 演歌・歌謡曲・ロック |
| 職業 | 歌手 |
| 活動期間 |
1969年 - 1979年 1981年 - 1998年 |
| レーベル |
RCAレコード CBSソニー |
| 共同作業者 | U3 |
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名、宇多田 純子(うただ じゅんこ)[1]。旧姓、阿部(あべ)。
最後の夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は歌手の宇多田ヒカル。前夫はムード歌謡歌手の前川清。
目次
来歴・人物[編集]
岩手県一関市に生まれる。生まれてすぐに北海道名寄市に移り、2、3歳の頃から北海道旭川市で育つ[2]。
1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌[3]』)を、個性的なドスの効いたハスキーボイスと独特の凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。
代表曲は「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「京都から博多まで」など。他の歌手のヒット曲なども幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと言われている。最大のヒット曲『うそ』をカバーされた中条きよしは『こんなにうまく歌われたらたまんないよ』と作曲した平尾昌晃に伝えている[4]。
幼い頃から浪曲師の父・阿部壮(つよし)[5]、同じく浪曲師であり曲師でもある母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)[5]のドサ回りに同行。旅の生活を送り、自らも歌った。岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[5]。15歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿が作曲家・八洲秀章の目に留まり、上京。八洲秀章のレッスンを受けながらいくつかのレコード会社のオーディションを受けるが全て落選。生活のために錦糸町や浅草などで母と流しをする。その後、作詞家の石坂まさをと知り合い、石坂まさをの自宅に住み込みでレッスンを受ける[6]。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、石坂まさをと組んでヒット曲を連発。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。なお、内山田洋とクール・ファイブとの共作「演歌の競演 清と圭子」も含めると計42週連続1位となる。シングルにおいても「女のブルース」は8週連続1位、続く「圭子の夢は夜ひらく」も10週連続1位を記録し、18週連続1位という同一歌手での連続記録を残す。
演歌を歌いながらも[7]アイドル歌手としての人気も集め、青少年に大きな影響力を持っていた少年マガジンの表紙を飾った。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。
1971年、当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚するが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、翌1972年に離婚。1974年、喉のポリープの手術を受けたことで、自身が強みと考えていた声の特徴が失われたと悩むようになり、引退を考え始める。
1979年に1度引退して渡米したが、1981年に帰国して歌手復帰。RCAレコードからCBSソニーに移籍し、第一弾となるシングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表した。
1982年に、宇多田照實と再婚。以降、照實との間で7回の離婚・再婚を繰り返す。
1983年1月19日、ニューヨークにて娘を出産。網膜色素変性症を発症し[8]、視力が徐々に失われていた頃の出来事だったことから、「我が子から光が失われないように」という願いを込め「光」(ひかる)と命名した[9]。その後、光を世界で通用する歌手に育てるため、1990年から照實とともに光を連れて初めて渡米、お金が足りなくなると日本に戻って歌い、お金が貯まるとまた渡米することを繰り返した。そして光は15歳となった1998年に宇多田ヒカルの名で突如として歌手デビューし、これを機に藤も再び注目を浴びた。しかし、光のデビューと入れ替わるように自身は歌手活動を封印し、これ以降はほとんどステージで歌うことはなかった。
2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書などは見つかっていないが、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定された[10]。喪主を務めた光は「遺言書がある」と表明、葬儀は行わず本人の遺志に沿う形で宇多田父子ら親族関係者の数名が火葬に立ち会う直葬となり[11]、のちに遺灰も海に散骨された[12]。その後、藤の実家の阿部家側によって、ファン有志とともに「しのぶ会」が行われた。
年譜[編集]
- 1951年7月5日 - 岩手県一関市に生まれる。生まれてすぐに北海道名寄市に移る。2,3歳の頃、旭川市に引っ越して15歳初めまでそこで生活する。
- 1967年 - 15歳の時、中学卒業と同時に両親と上京。歌のレッスンのかたわら、16歳から錦糸町周辺などで流しをして両親の生活を支える。
- 1968年 - 発声のレッスンを受けていた上条たけしのところで作詞家石坂まさをと出会う。以降、新宿区東大久保の石坂の家に住み「特訓生活」を送る。
- 1969年9月25日 -18歳の時に「新宿の女」で歌手デビュー。
- 1970年2月5日 - 「女のブルース」が発売され、オリコンシングルチャートで8週連続1位を獲得する大ヒット。
- 1970年4月25日 - 「圭子の夢は夜ひらく」が発売され、オリコンシングルチャートで10週連続1位を獲得する大ヒット。
- 1970年11月9日 - 第1回日本歌謡大賞大賞を受賞。
- 1970年12月31日 - 第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞。NHK紅白歌合戦に初出場。
- 1970年 - 第3回日本レコードセールス大賞受賞。
- 1970年 - 第3回日本有線大賞優秀スター賞受賞。
- 1971年 - 第8回ゴールデン・アロー大賞を歌手としては初めて受賞。
- 1971年 - 前川清と結婚。
- 1972年 - 前川清と離婚。
- 1979年 - 引退を突然表明し、アメリカ合衆国に渡る。
- 1981年 - 藤圭似子の名で芸能界に復帰。
- 1982年 - 宇多田照實と結婚(再婚)。
- 1983年 - 長女・光を出産。
- 1984年 - 芸名を藤圭子に戻す。
- 1993年 - 照實とともに有限会社ユースリー・ミュージックを資本金300万円で東京都杉並区に設立し、自らも取締役になる。
- 1993年 - 照實と光の3人で音楽ユニット「U3」を結成してセンチュリーレコードと契約し、アルバム「STAR」を発表。
- 1998年 - 光が謎の天才少女歌手・宇多田ヒカルとなって日本の音楽界に突如現れ、両A面シングル「Automatic/time will tell」で東芝EMI[13]よりCDデビュー。14歳で自ら作詞・作曲を始めていたことを多数の音楽家が評価していたことと、藤の実の娘であることが知れ渡り、翌年発売のデビューアルバム「First Love」が700万枚超を売り上げ日本記録を樹立、瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たす。
- 2002年 - 光と別居。
- 2006年3月 - ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される[14]。
- 2007年 - 照實と最後の離婚[15]。以降、二度と再婚することはなかった。
- 2009年 - 前述のケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還が決定[14]。
- 2013年8月22日 - 死去。
エピソード[編集]
- マスコミが『一卵性母娘』と名付けるほどとても母思いで仲がよかった。レコード歌手になろうとしたのも、母をもっと楽にさせてあげて、不自由な目を治してあげられるかもしれないからだったという[16]。しかし、1990年頃に金銭トラブルから母とは絶縁状態となった[17]。
- デビュー前から同居していた石坂まさをに ”アメリカ人になりたい” と話しており、デビューしてから間もなく、熱心なファンのハーフの少女と友だちになり英語の勉強を始める[17]。デビュー当時、マネージャーだった成田忠幸は、藤から「いつか、アメリカに行きたい」と聞かされており、藤はアメリカに住んで、そこで、ロックを歌いたいのだろうなと感じたという[17]。
- 紅白出場に強い執着があり、1974年の紅白では力を入れていた新曲『命火』もヒットし、事前にほとんどのメディアが当選確実と報じていたにもかかわらず、落選したことで大きなショックを受けてダウンし、その様子を心配した母親が医師に往診を頼んだほどだった。結局それ以降1週間に渡って仕事をキャンセルしている[19]。
- 光を天才歌手と信じ、知り合いの音楽関係者にことあるごとに光を売り込んでいた。その売り込みは光が9歳のとき、藤圭子育ての親である石坂まさをにも行われ、光がいかに天才歌手であるかを力説していたほどだった[17]。同じ頃、藤がデビュー前に世話になった初代林家三平師匠の夫人である海老名香葉子のもとにも訪れ、光の歌を吹き込んだデモテープを聴かせている[17]。
- 麻雀や競馬などギャンブルが好きで、2006年には世界各国のカジノなどで5年の間に5億は使ったと述べている[14]。2006年にニューヨークのケネディ国際空港で約49万ドルに上る多額の現金を没収される騒動を起こすが、2009年になって事件性がないとして全額返還されている[14]。
- 藤が自殺した後、照實と光はそれぞれコメントを発表し、藤が精神疾患にかかっていたことを公表した[23]。
音楽[編集]
シングル[編集]
| # | 発売日 | A面 B面 |
タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1960年代 | ||||||
| 1 | 1969年 9月25日 |
A 面 |
新宿の女 | 石坂まさを みずの稔 |
石坂まさを | 小谷充 |
| B 面 |
生命ぎりぎり | 石坂まさを | 池田孝 | |||
| 1970年代 | ||||||
| 2 | 1970年 2月5日 |
A 面 |
女のブルース | 石坂まさを | 猪俣公章 | 成田征英 |
| B 面 |
あなた任せのブルース | 森川登 | 池田孝 | |||
| 3 | 1970年 4月25日 |
A 面 |
圭子の夢は夜ひらく | 石坂まさを | 曽根幸明 | 原田良一 |
| B 面 |
東京流れもの | 不詳 | ||||
| 4 | 1970年 7月25日 |
A 面 |
命預けます | 石坂まさを | 曽根幸明 | |
| B 面 |
ネオン街の女 | 池田孝 | ||||
| 5 | 1970年 10月25日 |
A 面 |
女は恋に生きてゆく | 石坂まさを | 池田孝 | |
| B 面 |
盛り場数え唄 | 石坂まさを | 中村泰士 | 原田良一 | ||
| 6 | 1971年 2月5日 |
A 面 |
さいはての女 | 石坂まさを | 彩木雅夫 | 池田孝 |
| B 面 |
東京花ものがたり | 石坂まさを | ||||
| 7 | 1971年 5月5日 |
A 面 |
恋仁義 | 石坂まさを | 曽根幸明 | |
| B 面 |
涙ひとしずく | 野々卓也 | 池田孝 | |||
| 8 | 1971年 6月5日 |
A 面 |
みちのく小唄 | 石坂まさを | 野々卓也 | 池田孝 |
| B 面 |
会津磐梯山 | 不詳 | ||||
| 9 | 1971年 7月5日 |
A 面 |
愛の巡礼 | 浅木しゅん | 石坂まさを | 高田弘 |
| B 面 |
圭子の三度笠 | 石坂まさを | 池田孝 | |||
| 10 | 1971年 10月25日 |
A 面 |
知らない町で | 石坂まさを | 曽根幸明 | |
| B 面 |
圭子の網走番外地 | 不詳 | 池田孝 | |||
| 11 | 1972年 1月25日 |
A 面 |
京都から博多まで | 阿久悠 | 猪俣公章 | 池田孝 |
| B 面 |
街の子 | 竹村次郎 | ||||
| 12 | 1972年 5月25日 |
A 面 |
別れの旅 | 阿久悠 | 猪俣公章 | 池田孝 |
| B 面 |
哀別 | 石坂まさを | 中村泰士 | 馬飼野俊一 | ||
| 13 | 1972年 9月25日 |
A 面 |
花は流れて | 石坂まさを | 鈴木邦彦 | 池田孝 |
| B 面 |
遊侠の人 | |||||
| 14 | 1972年 12月5日 |
A 面 |
悲しみの町 | 石坂まさを | 浜圭介 | 竜崎孝路 |
| B 面 |
白い坂道が見える窓 | 野々卓也 | ||||
| 15 | 1973年 3月25日 |
A 面 |
明日から私は | 山上路夫 | 鈴木邦彦 | |
| B 面 |
別れ道 | 石坂まさを | ||||
| 16 | 1973年 7月 |
A 面 |
花小唄 | 石坂まさを | 野々卓也 | 池多孝春 |
| B 面 |
新東京小唄 | 神坂薫 | ||||
| 17 | 1973年 8月25日 |
A 面 |
遍歴 | 石坂まさを | 曽根幸明 | 池多孝春 |
| B 面 |
愛の孤独 | たつみりょう | 馬飼野俊一 | |||
| 18 | 1973年 11月5日 |
A 面 |
恋の雪割草 | 山口洋子 | 猪俣公章 | 竹村次郎 |
| B 面 |
御用牙 | 石坂まさを | 曽根幸明 | |||
| 19 | 1974年 4月5日 |
A 面 |
京都ブルース | なかにし礼 | 馬飼野康二 | |
| B 面 |
女の人生 | |||||
| 20 | 1974年 6月 |
A 面 |
火の国小唄 | 石坂まさを | 野々卓也 | 池多孝春 |
| B 面 |
萩の女 | はぞのなな | 森山慎也 | 竜崎孝路 | ||
| 21 | 1974年 7月5日 |
A 面 |
私は京都へ帰ります | 山口洋子 | 猪俣公章 | 池多孝春 |
| B 面 |
雨の仙台 | 石坂まさを | たつみりょう | 馬飼野俊一 | ||
| 22 | 1974年 8月25日 |
A 面 |
命火 | 石坂まさを | 小杉仁三 | |
| B 面 |
夜のブルース | 原田良一 | ||||
| 23 | 1975年 1月 |
A 面 |
あなたの噂 | 山口洋子 | 猪俣公章 | 竹村次郎 |
| B 面 |
銀座のお恵ちゃん | 石坂まさを | 三条ひろし | 長作幸男 | ||
| 24 | 1975年 4月25日 |
A 面 |
生きてるだけの女 | 浜岡幸 石坂まさを |
賀川幸生 | 小山恭弘 |
| B 面 |
さすらい花 | 石坂まさを | 岡千秋 | 小谷充 | ||
| 25 | 1975年 9月 |
A 面 |
さすらい | よしかわかおり | 遠藤実 | 斉藤恒夫 |
| B 面 |
風子二十四不幸せ | 島田幸一 | ||||
| 26 | 1975年 11月5日 |
A 面 |
はしご酒 | はぞのなな | 赤坂通 | 小山恭弘 |
| B 面 |
裏町流し唄 | 石坂まさを | 岡千秋 | 佐藤まさと | ||
| 27 | 1976年 4月25日 |
A 面 |
女だから | 小谷夏 | 中村泰士 | 馬飼野俊一 |
| B 面 |
あなたはもう他人 | |||||
| 28 | 1976年 8月25日 |
A 面 |
聞いて下さい私の人生 | 六本木哲 | 六本木哲 岡千秋 |
池多孝春 |
| B 面 |
薄化粧 | 石坂まさを | 若林いさむ | 竜崎孝路 | ||
| 29 | 1977年 2月5日 |
A 面 |
哀愁酒場 | 石坂まさを | 平尾昌晃 | 竜崎孝路 |
| B 面 |
あなたへの未練 | 山田孝雄 | ||||
| 30 | 1977年 6月25日 |
A 面 |
貴方ひとすじ | 石坂まさを | 若林いさむ | 池多孝春 |
| B 面 |
新宿エレジー | 上條たけし | ||||
| 31 | 1977年 11月5日 |
A 面 |
面影平野 | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 馬飼野俊一 |
| B 面 |
圭子のドンデン節 | |||||
| 32 | 1978年 5月 |
A 面 |
銀座流れ唄 | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 大村雅朗 |
| B 面 |
猫と女 | |||||
| 33 | 1978年 10月 |
A 面 |
酔い酔い酒場 | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 小山恭弘 |
| B 面 |
女文字 | |||||
| 34 | 1979年 3月 |
A 面 |
北の港町 | 遠藤実 | 斉藤恒夫 | |
| B 面 |
わくらばの宿 | 一条貴之 | 岡千秋 | 池多孝春 | ||
| 35 | 1979年 10月 |
A 面 |
可愛い女 | 中山大三郎 | 船村徹 | 栗田俊夫 |
| B 面 |
赤ちょうちんのブルース | |||||
| 1980年代 | ||||||
| 36 | 1981年 10月 |
A 面 |
螢火 | 阿木燿子 | 三島大輔 | 若草恵 |
| B 面 |
恋狂い | 一文字まこと | 森川範一 | |||
| 37 | 1984年 7月 |
A 面 |
あいつが悪い | 伊藤アキラ | 浜圭介 | 桜庭伸幸 |
| B 面 |
あいつが悪い (カラオケ) |
- | ||||
| 38 | 1984年 10月 |
A 面 |
蝶よ花よと | 鳥井実 | 西谷翔 | 池多孝春 |
| B 面 |
酒の駅 | 荒川利夫 | 立木達也 | 南郷達也 | ||
| 39 | 1986年 6月25日 |
A 面 |
東京迷路 | 浅木しゅん | 杉本真人 | 松井忠重 |
| B 面 |
東京迷路 (オリジナル・カラオケ) |
- | ||||
| 40 | 1987年 2月25日 |
A 面 |
新宿挽歌 | なかにし礼 | 船村徹 | 丸山雅仁 |
| B 面 |
北国流れ旅 | 八坂こうじ | 武田芳美 | 斉藤恒夫 | ||
| 41 | 1988年 3月25日 |
A 面 |
旅路 | 星野哲郎 | 北原じゅん | 馬場良 |
| B 面 |
群馬慕色 | |||||
| 42 | 1989年 2月25日 |
A 面 |
新地の雨[24] | 桂三枝 | 美波有 | 桜庭伸幸 |
| B 面 |
浪花の女 | 藤田まさたか | ||||
| 1990年代 | ||||||
| 43 | 1994年 4月21日 |
A 面 |
酒に酔うほど | Ra U[25] | Ra U Sking U |
H.Hiraiwa |
| B 面 |
婚約解消 | Ra U | ||||
| 44 | 1996年 8月21日 |
A 面 |
天国 | 荒木とよひさ | 三木たかし | 若草恵 |
| B 面 |
献身 | |||||
| 45 | 1996年 9月25日 |
A 面 |
冷たい月 -泣かないで-[26] |
Ra U Sking U |
宮川彬良 | |
| B 面 |
ゴールデン・エラ | |||||
| 46 | 1996年 10月23日 |
A 面 |
千年のかがり火 | 曲保 | 曽根幸明 | |
| B 面 |
MY FRIENDS -春夏秋冬- | |||||
| 47 | 1997年 10月22日 |
A 面 |
男と女 | Ra U | Ra U Sking U |
Como Lee |
| B 面 |
抱いて… | |||||
| 2010年代 | ||||||
| 48 | 2014年 2月13日 |
A 面 |
母子舟(おやこぶね) | 石坂まさを | 平尾昌晃 | 竜崎孝路 |
| B 面 |
恋して母は | |||||
アルバム[編集]
- LP
- 新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて(1970年3月5日) ※オリコン1位20週連続獲得。2013年4月 復刻版CD発売。
- 女のブルース(1970年7月5日) ※オリコン1位17週連続獲得。2013年4月 復刻版CD発売。
- 演歌の競演 清と圭子(1970年12月) ※オリコン1位5週連続獲得。
- 歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う(1970年12月5日)1970年10月23日 渋谷公会堂ライブ ※オリコン2位獲得
- さいはての女(1971年3月5日) ※2013年11月 復刻版CD発売。
- 圭子の人生劇場(1971年7月5日)
- 藤圭子リサイタル(1971年10月5日)1971年7月5日 サンケイホール ライブ
- 圭子のわらべ唄(1971年12月25日)
- 知らない町で(1971年12月25日) ※2013年11月 復刻版CD発売。
- 藤圭子オン・ステージ(1972年5月25日)上記渋谷公会堂ライブの一部を4チャンネルステレオ化
- 別れの旅(1972年6月25日)※2014年2月 復刻版CD発売。
- オリジナル・ゴールデン・ヒット集(1972年8月5日)
- 遠くへ行きたい/「演歌の旅」(1972年12月5日)
- 悲しみの町(1973年2月)
- 演歌の旅 緋牡丹博徒(1973年6月)
- 遍歴/明日から私は(1973年9月)
- 演歌全集8枚組(1973年12月5日)『故郷/艶姿』『任侠/港灯』『憂愁/恋心』『巷歌/出発』と分冊でも発売
- 女のブルース/藤圭子ブルースを唄う(1974年2月)
- 京都ブルース(1974年4月)
- 夜とあなたが(1974年7月)
- 圭子のにっぽんひとりあるき(1974年9月)
- 藤圭子演歌の世界(1974年10月)
- 命火(1974年10月)
- あなたの噂(1975年3月)
- 生きてるだけの女(1975年6月)
- 女だから(1976年6月)
- 聞いて下さい私の人生/デビュー七周年記念 藤圭子リサイタル(1976年11月5日)1976年9月24日 新宿コマ劇場ライブ
- 南国土佐を後にして(1976年12月)
- 明治一代女(1976年12月)
- 緋牡丹博徒(1976年12月)
- 霧の摩周湖(1976年12月)
- 女の意地(1976年12月)
- 黒い花びら(1976年12月)
- 哀愁酒場(1977年4月)
- 貴方ひとすじ(1977年7月)
- 面影平野(1977年12月)※2014年2月 復刻版CD発売。
- マイ・セレクション 藤圭子(1978年) 藤が自ら選曲したベストアルバム
- ビッグ・ショー演歌・浪曲・おんなの涙(1978年5月)1978年2月26日『NHKビック・ショー』ライブ
- 歌謡劇場(1978年12月20日)
- 10周年記念 涙唱!藤圭子(1979年5月)
- さよなら藤圭子(1980年2月21日)1979年12月26日 新宿コマ劇場 さよなら公演ライブ
- 螢火-右・左-(1981年11月)
- 蝶よ花よと(1984年11月)
- CD
- STAR(1993年9月17日)
- 藤圭子 伝説の名曲(1999年10月21日)
- GOLDEN☆BEST 藤圭子(2005年10月26日)
- スーパーベスト(2005年12月11日)
- GOLDEN☆BEST 藤圭子 ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌(2010年12月8日)
- 藤圭子 ベスト・ヒット(2012年9月1日)
- 藤圭子 スーパー・ヒット(2012年9月1日)
- 藤圭子 ベスト・ヒット 昭和歌謡を歌う(2012年11月1日)
- 藤圭子 スーパー・ヒット 昭和歌謡を歌う(2012年11月1日)
- 新宿の女 (復刻版)(2013年4月10日)※Blu-spec CD2
- 女のブルース (復刻版)(2013年4月10日)※Blu-spec CD2
- 宇多田純子さん安らかに(2013年9月30日)
- さいはての女(2013年11月27日)※Blu-spec CD2
- 知らない町で(2013年11月27日)※Blu-spec CD2
- 別れの旅(2014年2月26日)※Blu-spec CD2
- 面影平野(2014年2月26日)※Blu-spec CD2
- 母子舟(おやこぶね)(2014年2月13日)
- CD-BOX
- 聞いて下さい私の人生〜藤圭子コレクション(2000年12月20日)
- 通信販売限定の6枚組CD-BOX。『シングル・コレクション1』『シングル・コレクション2』『ブルース』『怨歌・任侠・さすらい』『昭和の名曲』『リサイタル』 合計101曲収録。
- 藤圭子 コンプリート・シングル・コレクション 〜15年の輝石〜(2005年9月21日)
- 通信販売限定の6枚組CD-BOX。『シングル・コレクション1969~1971』『〃1971~1973』『〃1974~1976』『〃1976~1984』『任侠・股旅&80’S歌謡』『大正~昭和名曲集』RCA時代のシングル盤A面B面全曲他 合計109曲収録。
- 藤圭子 艶・怨・演歌(2010年11月1日)
- 通信販売限定の5枚組CD-BOX。『オリジナルを歌う』『男の情を歌う』『女心を歌う』『人生・昭和を歌う』『ふるさと・叙情を歌う』の五つのテーマで構成されている。自身のヒット曲22曲に加え、男性歌手の曲や抒情歌などカバー曲を86曲、合計108曲収録。
- 藤圭子劇場(2016年10月19日)
- 通信販売限定の6枚組CD-BOX。『歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う』『藤圭子リサイタル』『聞いて下さい私の人生』『さよなら藤圭子-1』『さよなら藤圭子-2』(同タイトルLPのリマスタリング)『ディレクターズ・セレクション』(榎本襄氏選曲によるスタジオ録音8曲)合計110曲を収録。付録の小冊子には、デビューから引退までの10年間担当だった元RCAディレクター榎本襄氏のインタビューも掲載されている。
CMソング[編集]
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
| 年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1970年(昭和45年)/第21回 | 初 | 圭子の夢は夜ひらく | 13/24 | 西郷輝彦 | |
| 1971年(昭和46年)/第22回 | 2 | みちのく小唄 | 09/25 | 舟木一夫 | 内山田洋とクール・ファイブのメインボーカル代理として |
| 1972年(昭和47年)/第23回 | 3 | 京都から博多まで | 13/22 | 美川憲一 | |
| 1975年(昭和50年)/第26回 | 4 | さすらい | 03/24 | 堺正章 | |
| 1976年(昭和51年)/第27回 | 5 | はしご酒 | 15/24 | 殿さまキングス |
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
主な出演作[編集]
映画[編集]
- 盛り場流し唄 新宿の女(1970年、日活)
- ずべ公番長 夢は夜ひらく(1970年、東映)
- 涙の流し唄 命預けます(1970年、松竹)
- 女子学園 やばい卒業(1970年、日活)
- 藤圭子 わが歌のある限り(1971年、松竹)
舞台[編集]
- 身毒丸 (舞台作品)(1995年) - 劇中歌「藁人形」「エピローグ」を歌唱
テレビ番組[編集]
- 圭子の演歌の星 (1970年、NTV)
- 私は現在(いま)を歌う 〜藤圭子 6月の風景〜 (1970年、東京12チャンネル) 藤圭子のドキュメンタリー 2011年にDVD化されている
- ご存じ金さん捕物帳 第16話「芝居のいのち火」(1974年、NET)
- ふりむくな鶴吉 第16話「寒椿」(1975年、NHK)
- 非情のライセンス 第2シリーズ 第41話「生きてるだけの兇悪」(1975年、NET) - 小倉涼子 役
- 土曜ドラマ サスペンスシリーズ 「閃光の遺産」(1977年、NHK)
- 標的(1979年、KTV)
- 新・海峡物語(1981年、テレビ朝日)
- 日曜笑劇場「サブシロのTHE・ハタラケ興業」(ABC)
- 8時だヨ!全員集合
- オールスター感謝祭'95 超豪華!クイズ決定版 この秋お待たせ特大号
ほか多数
書籍[編集]
| タイトル | 著者 | 出版年月 | 出版社 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 演歌の星 藤圭子物語 | 藤圭子 | 1971年7月10日 | ルック社 | 絶版 |
| 宇多田ヒカル 母娘物語 | 石坂まさを | 1999年11月1日 | ゴマブックス | 絶版 |
| きずな 藤圭子と私 | 石坂まさを | 2013年10月10日 | 文藝春秋 | 1999年刊行『きずな』の再発売 |
| 流星ひとつ | 沢木耕太郎 | 2013年10月11日 | 新潮社 | |
| 藤圭子 追悼 夜ひらく夢の終わりに | 編集:阿部晴政 | 2013年10月29日 | 河出書房新社 | KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 藤圭子 |
| 悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾 | 大下英治 | 2013年11月1日 | イースト・プレス | |
| 怨歌の誕生 | 五木寛之 | 2013年12月12日 | 双葉社 | 表題作は1970年6月7日付毎日新聞日曜版エッセイ
『艶歌と援歌と怨歌』に加筆[29]。現在は電子版が入手可能 |
関連作品[編集]
- 巨人の星(19巻)
参考文献[編集]
- 沢木耕太郎『流星ひとつ』(2013年10月、新潮社、ISBN 978-4103275169)
脚注[編集]
- ^ Hikki's WEBSITE (2013年9月5日). “09.05(THU) 09:44 藤圭子を長年応援してくださった皆様へ”. 2013年9月5日閲覧。
- ^ サンデー毎日2013年9月15日号 藤圭子 「裸電球と畳1枚」に秘めた「怨」
- ^ 五木寛之による造語。朝日新聞デジタル:「藤圭子の衝撃、まちがいなく怨歌」五木寛之さん - カルチャー
- ^ Asagei+plus 藤圭子、デビュー時のインパクトは宇多田ヒカルを超えていた2018年12月26日閲覧
- ^ a b c “宇多田の祖母逝く…娘、孫との再会の願いかなわず” (日本語). 芸能. (2010年11月6日). オリジナルの2010年11月7日時点によるアーカイブ。 2014年8月23日閲覧。
- ^ 石坂まさを著「宇多田ヒカル母娘物語 ゴマブックス」
- ^ 五木寛之が提唱した「怨歌」の概念を体現する歌手が藤であった。
- ^ 元々藤の母方は目が弱い家系であり、兄らも同じ病を患っていた。
- ^ 視力低下の病に悩んだ藤圭子「光が失われないで」と娘を命名 NEWSポストセブン 2013年9月6日
- ^ 本人の遺志で…藤圭子さん葬儀行わず親族のみで荼毘に スポニチ 2013年8月24日
- ^ 藤圭子さんの遺言書あった…宇多田が明かす「母らしい遺言書」 スポニチ 2013年9月5日
- ^ 宇多田ヒカル、散骨した藤圭子さん偲ぶ デイリースポーツ online 2016年3月21日
- ^ 2007年にEMIミュージック・ジャパンと改称、2013年にユニバーサルミュージックに吸収合併された。
- ^ a b c d MSN産経ニュース (2009年1月28日). “藤圭子さんに42万ドル返還へ 米空港で06年差し押さえ”. 2009年1月29日閲覧。
- ^ 宇多田ヒカルと何度目?両親も“恒例離婚”[リンク切れ]
- ^ 1971年3月発行 月刊平凡 圭子の自叙伝 第2回
- ^ a b c d e 大下英治著「悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾」 イースト・プレス
- ^ 五木寛之著「怨歌の誕生」双葉社
- ^ 1974年12月発行 週刊明星 紅白落選に呆然 大ショック 藤圭子が突然発病、ダウン!
- ^ 「姉」が藤圭子さんのママぶりを振り返る AERAdot
- ^ 沢木耕太郎著「流星ひとつ」新潮社
- ^ 2012年7月27日の宇多田ヒカルのツイート
- ^ 宇多田ヒカル公式サイト MESSAGE from HIKKI 2013.08.26 8月22日の朝
- ^ 桂三枝とのデュエット。
- ^ 藤圭子のペンネーム。
- ^ cubic Uとのデュエット。白鶴のCMソング。
- ^ 灘五郷(西宮)震災後酒造部門廃業
- ^ 当時の夫であった内山田洋とクール・ファイブメインボーカル前川清が急病でダウンしたため。内山田洋とクール・ファイブの出番自体はフォーリーブスに振り替えられたが、『港の別れ唄』は藤がメインボーカルを担当し残りのメンバーがバックコーラスを務める形で歌われた。
- ^ 初出:オール讀物(文藝春秋)1970年10月、1971年『 四月の海賊たち』で単行本化
外部リンク[編集]
- 藤圭子アーティストページ (ソニーミュージック公式サイト)
- 藤圭子 MIXIコミュニティ (現在も活動するファンの交流サイト。ネット上の情報交換、意見交換などの他に、追悼会やオフ会などを開催している)
- 藤圭子 - NHK人物録
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