春風亭昇太

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春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた)は、落語家の名。先代は前座の時に名乗っただけであるため、代数をつけて呼ぶことはない。


しゅんぷうてい しょうた
春風亭 昇太
本名 田ノ下 雄二(たのした ゆうじ)
生年月日 1959年12月9日(56歳)
出身地 日本の旗 日本静岡市清水区
師匠 春風亭柳昇
名跡 1. 春風亭昇八(1982年 - 1986年)
2. 春風亭昇太(1986年 - )
出囃子 デイビー・クロケット
活動期間 1982年 -
活動内容 新作落語
配偶者 なし
所属 落語芸術協会
公式サイト 春風亭昇太
受賞歴
1989年 NHK新人演芸コンクール 優秀賞
2000年 国立演芸場花形演芸大賞
備考
落語芸術協会理事

春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた、本名:田ノ下 雄二(たのした ゆうじ)、1959年12月9日 - )は、静岡県静岡市清水区(旧・清水市)出身の落語家5代目春風亭柳昇の弟子。大師匠は「春風亭の先生」こと6代目春風亭柳橋。前座名は、春風亭 昇八。愛称は「ちび師匠」。落語芸術協会に所属。現在同協会理事。出囃子は『デイビー・クロケット (The Ballad of Davy Crockett)』。血液型はO型。定紋は『五瓜に唐花』または『クラゲ』。

一門[編集]

師の春風亭柳昇は、自身の身体的特徴もあり(落語の道に入る前、兵役中の負傷で手の指を数本欠いていた)、新作落語専門で大成した人物であったが、弟子たちは新作派(昔昔亭桃太郎)、古典派(9代目春風亭小柳枝瀧川鯉昇)とバラエティに富む。昇太は新作が売物であるが、古典もかなりの量を手掛けている。ただし、誰とも似ていない昇太流の強烈なアレンジが施されている。

また、もともとテレビの視聴者参加番組から出てきて弟子入りしたという経緯もあるが、テレビ活動に力を入れるところも師・柳昇譲りである。

昇太は前述のごとく6代目春風亭柳橋の一門で、柳派であってもルーツは春風亭柳枝(4代目とそれ以前の)。同じ春風亭であっても、春風亭小朝はその大師匠林家彦六の一門で、3代目柳家小さんの系統。彦六が小朝の師匠・5代目春風亭柳朝の真打昇進時に6代目柳橋から「柳朝」の名跡を譲り受けた経緯があるものの、昇太と小朝の間には一門の関係はない。

来歴・人物[編集]

東海大学第一高校を卒業。高校時代はソフトボール部に所属していた。1978年(昭和53年)東海大学文学部に入学し、ラテンアメリカ研究会に入ろうとして部室を訪ねたが、たまたま留守で、隣の部室だった落語研究部の先輩に「ここで待ってれば?」と声を掛けられて部室に招き入れられ、稽古等を見ていて「楽しそうなので」入部(同時に学生プロレスのリングアナ兼、実況として活躍)。落研時代の高座名は「頭下位亭切奴」(とうかいてい きりど)。名前の由来は、突然部室にやって来た一年生に上級生が「ドッキリした」ことから、「ドッキリ → きりどっ → きりど」となったという。学生時代にテレビ東京の『大学対抗落語選手権』にて優勝、落研の先輩のすすめでテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』に漫才コンビ、ザ・まんだらーずとして出演。初代グランドチャンピオンになったのを期に大学を中退し、1982年(昭和57年)、春風亭柳昇に入門した[1]

前座時代より『演芸ひろば』司会など、テレビに多数出演している。なお、前座名の昇八は、柳昇の8番弟子であることから付けられている(林家彦六の9番弟子である林家九蔵とほぼ同様の理由)。師匠が新作落語の名手と謳われた柳昇ということもあり、同じく新作落語を活動の中心に置き、「悲しみにてやんでい」など型破りな新作落語で人気を得た[注釈 1]

1986年(昭和61年)に二つ目に昇進、春風亭昇太となった[1]

1989年平成元年)にNHK新人演芸コンクール優秀賞受賞、1992年(平成4年)に席亭推薦による抜擢で真打に昇進した[1]。7人抜きの昇進だった。

1998年(平成10年)に平成9年度の浅草芸能大賞新人賞受賞[1]

2000年(平成12年)の独演会「古典とわたし」など独自の解釈を加えた古典落語にも挑戦する(二つ目時代すでに独演会で古典落語に挑戦し、昇太風アレンジを加えた「初天神」を披露している)。同年国立演芸場花形演芸大賞、文化庁芸術祭大賞受賞[1]

2003年(平成15年)、柳家喬太郎らとともに「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げした。SWAでの背番号は「4」。同年、タレントの松尾貴史、マジシャンのパルト小石(ナポレオンズ)、コメディ作家の須田泰成らと、東京都世田谷区のバー「bar-closed」の共同経営をはじめた。

2005年(平成17年)には落語を題材にしたテレビドラマタイガー&ドラゴン』に出演し、自ら出演俳優らに落語の演技指導も行った。同年10月からは『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを務める。また伊東四朗三宅裕司を中心に2004年に結成された演劇ユニット熱海五郎一座に参加、その後の作品に出演を続ける。

2006年(平成18年)1月8日には、毎日放送制作のドキュメンタリー番組『情熱大陸』で特集された。落語家によるデキシーバンドにゅうおいらんず」でトロンボーンを担当(師匠・柳昇も、噺家になる前の会社勤めをしていた頃に、勤務先の吹奏楽団でトロンボーンを吹いていた)。SWA(創作話芸アソシエーション)の一員であると同時に、東西落語界の壁を超えた六人の会の一人である。

2006年5月より、日本テレビ笑点』の大喜利メンバーに加入した。4代目司会者の5代目圓楽が勇退し、5代目圓楽の後継で歌丸が回答者から5代目司会者になったため、歌丸の後継でレギュラーとなった。回答席は歌丸の後継だが、着物は歌丸が薄緑(後に濃緑)を続けたため銀鼠の着物を着用。歌丸休演時はレギュラー大喜利でも司会を務めたこともある。

2016年5月22日、『笑点』5代目司会者桂歌丸の勇退により6代目司会者に就任することが発表された[2]

芸歴[編集]

  • 1982年:春風亭柳昇に弟子入りし、春風亭昇八と名乗る(前座名は柳昇の8番弟子であることに由来)。
  • 1986年9月:二つ目に昇進、春風亭昇太に改める。
  • 1992年5月:席亭推薦により抜擢にて真打昇進。
  • 2000年:独演会「古典とわたし」の成果が認められ、文化庁芸術祭大賞受賞[1]

エピソード[編集]

  • アジの干物まで作るほどの料理好き。
  • 持っている着用メガネは50本以上。
  • 自宅には、ダイヤル式テレビや蓄音機などレトログッズだらけの部屋がある。
  • いわゆる旧車好き。31歳でローバー・ミニを、35歳でトヨタ・パブリカ800を、37歳でダットサン・ブルーバード312を購入[3]。2012年5月16日に「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」(BS日テレ)に出演した際にマツダ・キャロルが欲しいことを明かしていたが、その後実際にマツダ・キャロル600(当時世界に3台しかなかった)を入手したという。本人曰く「一番の夢は平屋の家を建てて庭に置いたパブリカやダットサンを眺めつつ縁側でお茶を飲むこと」。
  • 趣味は中世城郭めぐり。城関連の書籍を出したり、TV番組出演や講演活動も行っている。
  • ミドリフグハムスターモモンガを飼育している。
  • プロレス好きとしても知られ、ルチャリブレ観戦にわざわざメキシコまで行き、覆面をまとめ買いしたこともある。
  • 東京ヤクルトスワローズのファンであり、『ウチくる!?』で間接的に高津臣吾についてコメントしたこともある。
  • サッカーでは、清水出身ということで、自他ともに認めるJリーグ清水エスパルスのサポーターである。チーム会報「エスパルスニュース」で連載を持っていたこともある。
  • 独演会の開演時には、「携帯電話撲滅キャンペーン」の自作映画を上映。さらに、噺と噺の間に行うステージ上での生着替えが定番となっている。
  • 2007年に初めて直弟子を持った。オフィシャル本の中では、男同士でサシで向き合うのがこんなにも気恥ずかしいことなのかと感じ、柳昇への弟子入り当時のことを思い出しながら、どう稽古を付けたらよいか模索しているとのこと。また『笑点』に出演するようになってから地方のコンビニエンスストアポルノ雑誌が買えなくなったため、せっかく取った弟子に買いに行かせることにしたと語っている。
  • 1993年高田文夫のラジオビバリー昼ズの企画で他の4名の若手(当時)落語家とともに立川談志に寝起きドッキリを仕掛けた際、「古典(落語)は上手にできないので新作をやっている」と聞いたところ、談志から「(古典も)できると思うよ、センスがあれば」と返された。
  • しばしば「結婚はしない」と公言しており、特に弟子に対しては「自分より先に結婚したら破門」とまで言っていたが、2013年2月に弟子の春風亭昇也から結婚することを告げられた際には破門はしなかった。[4]昇也は同年5月6日に挙式し、昇太は師匠ではなく「友人代表」として出席した。[5]なお、昇太はこれについて「破門しようとしたが、周りからは嫉妬しているようにしか見えないと気づいて止めた」と語っている。[6]

『笑点』の大喜利メンバーとして[編集]

演芸コーナーで若手大喜利を放送していた頃には大喜利メンバーの1人として出演していたことがあり、1990年代後半に入ってからは大喜利下剋上(若手大喜利)の司会を務めるようになった(『BS笑点』→『笑点Jr.』での総合司会につながる)。

大喜利メンバーの新加入年齢では、4代目三遊亭金馬の41歳を抜いて歴代最高齢である(46歳)。また1988年に三遊亭好楽が復帰して以来長らくメンバーはほぼ不変(林家こん平の病気によってその弟子の林家たい平が代理出演していた時期もあった)であったが、その三遊亭好楽以来18年ぶりとなる新メンバーとなった(同時に林家たい平も正式に新メンバーとなった)。

5代目三遊亭圓楽とは1999年1月1日放送の師弟大喜利で昇太が司会者で5代目三遊亭圓楽と三遊亭洋楽が師弟で回答者、林家こん平とは同師弟大喜利で林家こん平と林家たい平が師弟で回答者として出演して共演している。

こん平とは2009年11月8日の5代目圓楽追悼特番「ありがとう圓楽さん」で共演(こん平が杖を突いて出演)したことがある。5代目圓楽追悼特番では師弟大喜利で故5代目圓楽と昇太が笑点で共演で絡んだことがあったことや、5代目圓楽が弟子を思うばかりに小言を言ってしまう素晴らしい師匠だった旨などが紹介された。

加入して日が浅い頃には奇をてらうことのない答えが多く、答えた後に会場が一瞬沈黙状態になることもあった。喋る途中で呂律が回らない、舌を噛むという師匠柳昇と同様の欠点があり、「カミカミ王子」を自虐ネタとしている。歌丸司会時代では座布団10枚を4回経験している一方で、6代目円楽(前名楽太郎)が率いるブラック団の一員として団長の6代目円楽以上に毒のきつい歌丸罵倒ネタを時折言い放つこともあることから、「一度の座布団剥奪の最高記録(9枚)」という不名誉な記録も持っている(5代目司会者の歌丸も回答者時代に経験あり)[7]

兄弟番組の『笑点Jr.』では、『BS笑点』としてスタートしてから放送終了に至るまで総合司会を務め、ハキハキと取り仕切る様が映る。大喜利でも司会を務めるが威厳を敢然と振りかざすには至らず、メンバーに振り回される様子もしばしば映る。本家『笑点』の大喜利でも代理司会を務めたことがあるが、たい平以外のメンバー全員が先輩だったことから『Jr.』に輪をかけて振り回されていた。

2016年5月22日、桂歌丸の司会引退に伴い6代目司会に抜擢された[2]。その起用理由はプロデューサーから「消去法」と冗談めかして語られた[8]

主な新作落語[編集]

  • 『悲しみにてやんでい』
  • 『ワシントン伝』
  • 力士の春
    • 立川藤志楼・演によるリニューアル作品『力士の春'08』もあり
  • ストレスの海
  • 宴会の花道
  • リストラの宴
  • 『愛犬チャッピー』
  • 『お父さんの決断』
  • 『夫婦に乾杯』
  • 『吉田さんのソファー』
  • 『マサコ』
  • 『遠い記憶』
  • 『人生が二度あれば』
  • 『花粉寿司』

出演[編集]

現在[編集]

ラジオ[編集]

テレビ[編集]

過去[編集]

ラジオ[編集]

TV[編集]

  1. 1993年5月12日:お父さんの決断
  2. 1993年6月9日:へっつい盗人
  3. 1993年7月14日:看板のピン
  4. 1993年8月11日:Jリーグの悲しみ
  5. 1993年8月18日:権助魚
  6. 1993年9月22日:ちりとてちん
  7. 1993年9月29日:悲しみにてやんでぃ
  8. 1993年12月29日:愛犬チャッピー
  9. 1995年1月2日:宴会の花道

ドラマ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

作品・出版物[編集]

書籍[編集]

  • 「ぼくがモスラを好きなわけ」(1992年、立風書房
  • 「楽に生きるのも、楽じゃない」(1997年、東京書籍、のち新潮OH!文庫)
  • 「はじめての落語。春風亭昇太ひとり会」糸井重里監修 東京糸井重里事務所、2005 
  • 「城あるきのススメ」(2011年、小学館

共著・監修[編集]

CD[編集]

  • 「ぞろぞろ」(2004/07/07、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 「春風亭昇太1」(2005/05/18、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル)
  • 「春風亭昇太2」(2009/04/22、ソニー・ミュージックダイレクト
  • 「春風亭昇太3」(2009/05/27、ソニー・ミュージックダイレクト)
  • 「春風亭昇太4」(2010/11/24、ソニー・ミュージックダイレクト)
  • 「落語 The Very Best 極一席1000:春風亭昇太 ストレスの海/力士の春」(2009/12/09、ソニー・ミュージックダイレクト)
  • 「ざぶとんとおたまじゃくし」(2012/04/25、ソニー・ミュージックダイレクト)

DVD[編集]

落語[編集]

  • 「春風亭昇太 十八番シリーズ-動-」(2010/03/29、ソニー・ミュージックダイレクト)
  • 「SWAのDVD -古典アフター-」(2011/03/09、ソニー・ミュージックダイレクト)

OV出演[編集]

配信[編集]

  • 「超城合体タメノブーンV」(歌:水木一郎)2016年6月15日 - 作詞を担当[11][12]

一門弟子[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 昇太自身、師匠の柳昇から教わった古典のネタは「雑俳」だけだと語っている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 落語芸術協会「協会員紹介・春風亭昇太」
  2. ^ a b 「笑点」6代目司会は春風亭昇太「え~と思いました」 スポーツニッポン 2016年5月22日付
  3. ^ #21 春風亭昇太”. おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!. BS日テレ. 2016年5月23日閲覧。
  4. ^ ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』2013年2月27日放送分。
  5. ^ 昇也DAYS〈春風亭昇也の勝手ブログ〉 僕たちの結婚式。 2014年12月18日閲覧、ザブトン海峡・航海記 ブーケ! 2014年12月18日閲覧。
  6. ^ ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』2013年5月8日放送分。
  7. ^ NTV「笑点」第2046回(平成18年12月24日放送)
  8. ^ “春風亭昇太、消去法で司会起用も奮起「のびのびとやっていく」”. ORICON STYLE (オリコン). (2016年5月22日). http://www.oricon.co.jp/news/2072075/full/ 2016年5月25日閲覧。 
  9. ^ 恵俊彰、立川談春、キンコメ今野、春風亭昇太がドラマ「下町ロケット」出演”. お笑いナタリー (2015年9月17日). 2015年9月12日閲覧。
  10. ^ 「赤めだか」二宮和也らが故・立川談志師匠に撮了報告”. ニュースウォーカー (2015年11月21日). 2015年12月7日閲覧。
  11. ^ テーマソング 弘前 城ロボプロジェクト「超城合体タメノブーンV」 2016年6月17日 閲覧
  12. ^ 弘前市の「超城合体タメノブーンV」、テーマ曲は歌・水木一郎アニキ、作曲・渡辺宙明御大というガチさ Jタウンネット 東京都 2016年4月28日 2016年6月17日 閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]