浅丘ルリ子

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あさおか るりこ
浅丘 ルリ子
浅丘 ルリ子
1950年代
本名 浅井 信子(あさい のぶこ)
生年月日 (1940-07-02) 1940年7月2日(81歳)
出生地 満州国の旗 満州国新京[1]
身長 156cm[2]
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 映画舞台テレビドラマ
活動期間 1954年 -
活動内容 1954年:『緑はるかに』でデビュー。
配偶者 石坂浩二(1971年 - 2000年)[1]
主な作品
テレビドラマ
冬物語
家族熱
土曜日曜月曜
映画
ギターを持った渡り鳥[1]
愛と死のかたみ
赤いハンカチ
愛の渇き
鹿鳴館
 
受賞
ブルーリボン賞
主演女優賞
1975年『男はつらいよ 寅次郎相合い傘
その他の賞
紫綬褒章
2002年
旭日小綬章
2011年
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浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、1940年7月2日[1] - )は、日本女優。本名:浅井 信子。血液型はA型。前夫は石坂浩二

来歴[編集]

満州国新京市(現・長春)に、4人姉妹の次女として生まれる[3][4]。父・浅井源治郎は満洲国経済部大臣秘書官を経て1943年にタイバンコクへ軍属として転居。終戦後に一家はチャオプラヤー川の岸辺にあったバンバートン(バーンブァトーン Bang Bua Thong)抑留所強制収容されるが翌1946年には引き揚げが始まる。しかし軍属を最優先として先に出港したその船は沈没してしまい一家は命拾いした。やがて大洗港の近くに住む親戚を頼り、まもなく館山の引き揚げ寮へ入寮。信子が小学校3年生の時に父が代議士秘書の職を得て一家で東京神田鍛冶町の借家に落ち着く[5]。実妹のクラスメートに星由里子がいた。家庭は大変貧しかった。しかしながら、母が毛布を裁断し染めることに依ってコートに仕立ててくれたりと創意工夫に満ちた生活を送っていた。

『緑はるかに』(1955年)

読売新聞に連載されていた北条誠の小説(挿絵は中原淳一)『緑はるかに[6]水の江瀧子プロデュース・井上梅次監督で映画化するに当たって、ヒロインのルリコ役を募集しているのを千代田区立今川中学校在学中の1954年(昭和29年)夏に知り、両親賛成のもと応募、11月23日に面接が行われ約3,000人[1][7]の中から中原淳一が浅丘のメイクを見て「この子だ」と言い、強力な推薦によって選ばれ銀幕デビュー[8]、「ルリコカット」が当時の女性たちの間で大流行し[9]、瞳の大きな美少女として脚光を浴びる。しかし学校を長期欠席しての撮影だったため、PTA生徒会が奉祝の花輪を出したことで一時物議を醸した。多忙のため、高校(旧・菊華高等学校、現・杉並学院高等学校)は中退[3]している。映画『緑はるかに』は1955年に公開された。

私生活では、1960年頃に一時小林旭事実婚の関係にあったが、1961年8月に別離[10]。この頃より生活が荒むものの石原裕次郎に励まされ持ち前の根性で再起する。また1964年には「夕陽の丘」でレコードデビューした[11]日活の看板女優として数多くの映画に出演し、人気を博した。現在までの映画出演本数は150本以上。

日本映画全盛期の日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや、石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。

仲の良い佐久間良子の初主演映画、1963年の東映五番町夕霧楼』を観て大きなショックを受ける[3][4][12]。「正直いって女性映画の主人公がやれる佐久間さんがうらやましい。何も知らないまま、ただ夢中で10年間を過ごしてきたけど、100本も映画に出て代表作がないのは恥ずかしいワ。私は男性映画のサシミのツマのようなもの。もっと自分の仕事を大切にしたい。作品を選んでそろそろ賞の対象になるような仕事をしたい」などとマスメディアに訴え[3][12]、今まで何一つ文句もいわず、会社のいいなりになってきたが[12]、1964年1月の会社との契約更改で、他社出演を認めて欲しいと直談判した[3][4][12]。浅丘は東映の女優が毛嫌いするような緑魔子主演『ひも』のような"不良性感度映画"に「ああいう役ならぶつかって悔いはない」と発言するなど[13]、会社の準備した『肉体の門』『悲恋十年』『人生劇場』などを蹴り[3][4][14]、初めて女優として自己主張した[3]。自身で企画を持ち込むようになり[13]、1964年から1966年にかけて出演ペースが落ちた[14]。他社出演の希望は『日本一の男の中の男』(東宝)まで3年かかった[3][4][15]

蔵原惟繕監督の『銀座の恋の物語』(1962年)や、『憎いあンちくしょう』(1962年)、『何か面白いことないか』(1963年)、『夜明けのうた』(1965年)の典子三部作により男性スターの彩り的存在から脱皮[3]、100本出演記念映画となった蔵原惟繕監督の『執炎』では、愛する夫を戦争に奪われた女性の姿を演じ、同じ蔵原監督の映画『愛の渇き』(1967年)でも熱演を魅せた。映画『戦争と人間』にも出演した[16]。蔵原惟繕とは愛人関係にあった[17]

1966年には日活との専属契約を解消し、石原プロへ入社。1972年、石原プロが劇場用映画製作から撤退したことにより石原プロ退社。また、映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表、1969年のシングル『愛の化石』はヒットした[18]

その他にも、『太平洋ひとりぼっち』、『水で書かれた物語』、『私が棄てた女』、『栄光への5000キロ』、『戦争と人間・第一部〜第三部』、『告白的女優論』、『鹿鳴館』、『博士の愛した数式』などの映画の話題作に出演した。特に、映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数えた[4]。渥美清の最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。この撮影現場で具合の悪そうな主演の渥美清の姿を見て、「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思ったという。そのため、監督の山田洋次に「最後の作品になるかもしれないから、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と何度も懇願する。一方で山田は50作までの製作を想定しており、既に49作の制作が決定していたために浅丘の願いは叶えられなかった。渥美は映画公開の9か月後にこの世を去り、『紅の花』が遺作になってしまった。1996年8月13日に松竹大船撮影所で開かれた【渥美清(寅)さんを送る会】ではリリーとして渥美に向けて弔辞を読んでいる。

1980年代以降は活動の中心を舞台に移し、泉鏡花の作品などに出演している。

2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優4位となっている[19]

1961年、世界一周早回りと国際親善をかねた「美しい東洋親善使節団」日本代表[20]

1971年、日本テレビのドラマ『2丁目3番地』での共演をきっかけに石坂浩二と結婚。石坂は当時の世の男性の羨望を一身に集める事となったが、程なくして別居。2000年に離婚後は大衆演劇俳優で「劇団誠」座長、松井誠との交際を公にしていたが、2013年3月には金児憲史との交際が報じられて話題になった。

2008年11月、山形県東根市で開催されたひがしね湯けむり映画祭にゲストで招かれトークショーを行う。これは、長い女優人生で初のことだったが、それからは解禁している。大女優でありながら、気さくで面倒見が良く、東根が縁で親しくなった山形市在住のラジオパーソナリティ・荒井幸博のラジオ番組にも何度か出演。2013年6月5日には天童市民会館でのきらやか銀行経営者セミナーにおいて二人でトークショーを行い、荒井のリクエストに応え、故渥美清を送る会で読んだ弔辞を17年ぶりに涙ながらに読んだ。更に、「港が見える丘」「愛の化石」と得意の歌も披露している。

2011年5月21日、60年来の旧友だった長門裕之逝去直後には津川雅彦と一緒に長門の自宅へすぐに駆けつけて、津川と2人でマスコミ対応などを行った。

人物[編集]

性格は姉御肌で、青春映画全盛期だった当時の日活において後輩の男優と女優に対する躾が厳しいことでも有名だった。特に高橋英樹はデビュー当時より教育係であった浅丘に散々世話をかけ、そして弟分のように可愛がられていた経緯から「ヒデキ」と呼ばれている[1]

また、大原麗子を実妹のように可愛がっていた。松原智恵子も新人時代から数多くもの洋服などをプレゼントされたり、浅丘の自宅に招かれて手料理を振舞ってもらうなど現在まで大変可愛がられていると語っており、「ルリちゃんが今でも大好き」だと『徹子の部屋』へ出演時に語っている。

佐久間良子とはデビュー当時から親友の間柄。後輩で妹分の加賀まりこも旧友で普段から飲食や映画、舞台を観劇に行くなど行動を共にしている仲良しの間柄で「まりことは昔から良くケンカはするが仲が良い(笑)」と『徹子の部屋』2017年4月に近藤正臣と一緒にゲスト出演時に語っている。

のちに「歌謡界の女王」と呼ばれた美空ひばりとは裕次郎のホームパーティーで知り合って意気投合し、プライベートでも親交が深く、ひばりからは『信ちゃん』と呼ばれていて大親友だった。

趣味はスワロフスキービーズ細工。自身が身につける物はもちろん、舞台の際は販売もしている。

エピソード[編集]

私の履歴書』によれば、瞬く間にスターとなり、それまで神田の下宿住まいから、多忙のため日活撮影所近くの家を借り、遂にはその家を買って隣の空き地まで増築するほどだった。 その家は、前述のように高橋英樹ら若手俳優らが、毎日夕食をご馳走になりに来るほどであり、「私の収入のいくらが、彼らの胃袋に消えていったか」と、自嘲している。

撮影現場に大御所や先輩と呼ばれる立場の俳優が、約束の時間よりも遅く入ってくることが当たり前の風潮を良しとせず、先輩・後輩問わず厳しい態度で接している。実際に、1時間遅刻をした高橋英樹を楽屋に呼び、「ヒデキ、分かっているわね?」と問いただしたところ、高橋は顔面蒼白で「ルリ子さん、すみませんでした!」と、平身低頭で謝罪した。また、『座頭市』で勝新太郎と共演した際も、2時間以上も遅刻してきた勝を演技中でも許さず、勝が謝罪したところでようやく許した[1]

世界の有名スターとの共演[編集]

日本のテレビ番組『スター千一夜』のフランスロケで、フランス映画の俳優ジャン・ギャバンが同番組にゲスト出演した際に、石坂と共にギャバンと共演した。浅丘いわく「ギャバンは顔がピンク色で凄くきれいな肌をしていた」と、ギャバンの大ファンで知られる仲代達矢等と同じくギャバンを尊敬している近藤正臣との対談で語った[21]

1970年2月18日放送のフジテレビ生放送番組『3時のあなた』に出演した際に、映画評論家淀川長治国際派女優で知られる山口淑子と共に、映画『ジュリアス・シーザー』の宣伝のために来日したチャールトン・ヘストンとトークをした[22]

受賞歴[編集]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

バラエティ[編集]

  • 徹子の部屋(テレビ朝日)
  • シネマ・パラダイス(NHK-BS2)
  • 小坂一也とカントリーの仲間たち(NHK-BS2)
  • 藤山直美と素敵な仲間たち(NHK-BS2)
  • 映像美の巨匠 市川崑(NHK-BS2) - ナレーション
  • 父の面影を追って 浅丘ルリ子・中国への旅(NHK-BS2)
  • 邦楽百選(NHK教育)
  • 日本映画音楽全集(NHK総合)
  • 絶景・人情列島 寅さんが旅したニッポン(テレビ東京)
  • 映画音楽に乾杯!(NHK-BS2)
  • スパモク!!「美空ひばり没後21年 幻の歌声を今夜初公開」(TBS)
  • ザ☆スター「津川雅彦」(NHK-BShi、NHK-BS2)
  • ザ☆スター「高橋英樹」(NHK-BShi、NHK-BS2)
  • 浅丘ルリ子 女優の肖像(NHK-BShi)
  • エンターテイメント あのスターにもう一度逢いたい 「大原麗子 少し愛して 長く愛された女優」(BS11)
  • あさイチ プレミアムトーク(NHK総合)
  • くりぃむクイズ ミラクル9テレビ朝日) - 回答者として複数回出演

CM[編集]

音楽作品[編集]

シングル[編集]

テイチクレコード

  • 三人姉妹マンボ(1957年1月)- withペギー葉山芦川いづみ、日活映画「踊る太陽 お転婆三人娘」主題歌
  • 丘は花ざかり/東京は二人の町(1963年9月1日、NS-739)- 日活映画「丘は花ざかり」主題歌
  • 夕陽の丘(1963年9月1日、NS-740)- 売上げ143万枚(テイチクによる)、デュエット:石原裕次郎
  • 霧に消えた人(1963年12月1日、NS-755)- 日活映画「霧に消えた人」主題歌
  • 別れのビギン(1964年1月5日、NS-765)
  • 教えて教えて(1964年1月5日、NS-766)
  • 伊豆の虹(1964年3月)- デュエット:浜田光夫
  • 思い出は小雨に濡れて(1964年4月1日、SN-38) 
  • 東京さすらい歌(1964年7月10日、SN-81)- デュエット:石原裕次郎
  • 明日も愛す/悲恋(1964年9月25日、SN-117) 
  • こぶしの花の咲く頃/悲恋(1965年1月15日、SN-117)
  • 東京の灯/こぶしの花の咲く頃(1965年1月15日、SN-148) 
  • 姉弟/青空さんゴメンナサイ(1965年7月10日、SN-227)- デュエット:浜田光夫、日活映画「流れる雲」主題歌
  • 湖畔の慕情/高原に散る花(1966年2月、SN-311)
  • 山の湖(1966年4月10日、SN-326)- デュエット:石原裕次郎
  • 島原地方の子守唄/北風子守唄(1966年6月10日、SN-365) 
  • 宇目の唄げんか/夕焼け馬子唄(1966年10月10日、SN-421)
  • 流れる雲/赤い涙(1968年3月10日、SN-625)- ナショナル・ゴールデン劇場「流れる雲」主題歌
  • 水色の季節(1968年8月、SN-684)- 日本テレビ系連続テレビドラマ「水色の季節」主題歌
  • 心の裏窓/愛はひとすじ(1969年4月5日、SN-746)
  • 愛の化石/お願い帰って(1969年8月5日、SN-796)- オリコンチャート最高位2位、日活映画「怪談 昇り龍」主題歌
  • 悲しみは女だけに/美しき玩具(1969年、SN-910)- 日活映画「愛の化石」挿入歌
  • 夜明けの子守唄/別離の詞(1970年2月、SN-920)
  • 節子/白い涙(1970年、SN-953)
  • 愛の終わり/いつわりの宴(SN-983)
  • 地獄花(1971年1月)- 石原裕次郎はセリフとして参加
  • さよならの季節/ひとりごと(1971年、SN-1050)
  • されどわが愛は死なず/この世のがれて(1971年、SN-1145)
  • 愛の化石(1971年、SN-1153)
  • あなたを知る前には/さよならは愛の終止符(1971年10月、SN-1175)
  • 朝の陽が赫い/好き(SN-1267)
  • 霧の夜がこわいの/風とともに(SN-1303)
  • 雲への階段/時のいたずら(1973年7月10日、SN-1326)

フィリップス

  • 白い旅(1976年1月、FS-1862)- 真木悠子と

クラウン・徳間ミュージック

  • いとしいとしというこころ(2014年9月3日、YZYM-15001)- デュエット:小林旭阿久悠が生前に作詞、小林に提供した曲[28]

アルバム[編集]

  • 歌うスター「ルリちゃんの愛唱歌謡」(1964年5月10日、NL-2102)
  • 浅丘ルリ子のすべて 心の裏窓(1969年8月5日、SL-17)
  • 浅丘ルリ子「愛を歌う」(1970年、SL-26)
  • 霧の夜あなたと 浅丘ルリ子が創る紫詩歌の世界(SL-39)
  • 浅丘ルリ子の民謡を訪ねて(CF-8)
  • 浅丘ルリ子60’sレコーディング・マスターズ(2003年8月21日)

著書[編集]

浅丘ルリ子をモデルにした小説[編集]

浅丘ルリ子を演じた女優[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.58.
  2. ^ 日本タレント名鑑
  3. ^ a b c d e f g h i 俳優全集 1980, pp. 17–19.
  4. ^ a b c d e f 増當竜也 (2016年4月24日). “寅さんシリーズ最多4回マドンナを演じ続けた浅丘ルリ子”. cinemas PLUS (クラップス). オリジナルの2019年12月26日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20191226044908/https://cinema.ne.jp/recommend/rurikoasaoka2016042410/ 2020年9月25日閲覧。 
  5. ^ 以上は『近代映画』1970年3月号、近代映画社、134-141頁。
  6. ^ 『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁
  7. ^ 『近代映画』(近代映画社、1970年3月号)134-141頁、『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁。応募者の中には後にデビューする桑野みゆき久保田紀子山東昭子滝瑛子榊ひろみ安田祥子上原美佐もいた。『近代映画(近代映画社、1970年3月号)』134-141頁。
  8. ^ 『近代映画』(近代映画社、1970年3月号)134-141頁、『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事(平凡社、1999年)』62頁、『TVステーション』(ダイヤモンド社、2019年9号)、参照。芸名は、『緑はるかに』のヒロインのルリコと、本人の本名から「浅」の1字をとり、『緑はるかに』のイメージから「丘」という字をつけて、「浅丘ルリ子」となった。『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁。
  9. ^ 『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁、『TVステーション』(ダイヤモンド社、2019年9号)
  10. ^ 『浅丘ルリ子が激白! 小林旭と事実婚&離婚の真相』 ZAKZAK 2010年11月12日
  11. ^ 以上は『近代映画』1970年3月号、近代映画社、134-141頁。
  12. ^ a b c d 「特集 大人の演技で勝負したい! 曲がり角に来た6人の美男美女スター 悪女をやってみたい 浅丘ルリ子」『月刊平凡』1964年6月号、平凡出版、 88頁。
  13. ^ a b 「勝負作にしたい『愛の渇き』 浅丘ルリ子11年目の意欲」『週刊明星』1965年2月28号、集英社、 86-87頁。
  14. ^ a b 「《芸能》 この人 浅丘ルリ子 『精神的なハダカの役を』」『週刊読売』1966年10月18日号、読売新聞社、 34頁。
  15. ^ 「SCREEN GUIDE 新春映画ガイド」『近代映画』1981年4月号、近代映画社、 161頁。
  16. ^ https://www.allcinema.net/cinema/143329
  17. ^ 林真理子『RURIKO』
  18. ^ 『近代映画』1970年3月号、近代映画社、134-141頁。
  19. ^ オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). 2016年9月23日閲覧。
  20. ^ a b c d e f g h 朝日新聞人物データベース
  21. ^ 浅丘ルリ子『私は女優』ISBN 978-4-532-16994-7、2016年7月、235p-236pでの近藤との対談での浅丘の発言
  22. ^ 淀川長治『サヨナラ先生の映画歳時記 上』2009年6月10日、近代映画社、64p-65p。
  23. ^ a b c d e 日外アソシエーツ現代人物情報
  24. ^ 読売人物データベース
  25. ^ 「寅さん、取りましたよ」浅丘ルリ子、芸能生活56年目で『旭日小綬章』受章”. オリコンランキング (2011年6月18日). 2016年10月14日閲覧。 “女優の浅丘ルリ子(70)が、文化・芸能で顕著な功績をあげた者に授与される勲章『旭日小綬章』を受章し16日、都内で記者会見を行った。1955年に日活映画『緑はるかに』で銀幕デビューした浅丘は、芸能生活56年の幅広い活動が認められての受章に「真面目にコツコツやってきたことが認められたのかな。大変うれしゅう思います」と感激の面持ち。また自ら“転機”だという映画『男はつらいよ』シリーズで共演した故・渥美清さんに向けても喜びを伝え、「寅さん、取りましたよ。と言いたい。寅さんに会いたいです」と思いの丈を口にした。”
  26. ^ 放送ライブラリー 番組ID:004453
  27. ^ ここの岸より - テレビドラマデータベース
  28. ^ “日活黄金コンビ復活! 小林旭&浅丘ルリ子“日本最年長”デュエット”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2014年7月2日). オリジナルの2014年7月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140702082038/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140702/ent14070206500004-n1.htm 

参考文献[編集]

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]