山田洋次

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やまだ ようじ
山田 洋次
山田 洋次
別名義 山田よしお
生年月日 (1931-09-13) 1931年9月13日(86歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府豊中市
職業 映画監督脚本家演出家
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1954年 -
主な作品
映画
男はつらいよ』シリーズ
学校』シリーズ
幸福の黄色いハンカチ
たそがれ清兵衛

山田 洋次(やまだ ようじ、1931年9月13日 - )は、日本映画監督脚本家演出家文化功労者日本芸術院会員、文化勲章受章者。財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長。関西大学大学院文学研究科と立命館大学映像学部客員教授文化学院の特別講師でもある。

人物[編集]

川島雄三野村芳太郎の助監督を経て、1961年に『二階の他人』でデビューする。以降、『男はつらいよ』シリーズなどの人情劇を発表する。評論家や文化人の支持も高く、現役でもっとも多くキネマ旬報ベストテンに入賞した監督である。中国などでも、日本映画界の第一人者として知られる。

妻は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」副会長を務めた山田よし恵1932年5月23日 - 2008年11月8日)。次女はBS-TBSプロデューサーの山田亜樹1963年9月14日 - 。元NHKアナウンサーの山田亜樹[注 1]は別人)。

最終学歴は、東京大学法学部卒業。

作風[編集]

落語等の影響を受けており、主に人間ドラマに焦点を当て、ユーモアとペーソスに溢れたものである。風景を美しくとらえながらも凝った映像表現は控え、一般人や社会の逸れ者のささやかな日常生活に潜む喜びと哀しみを丹念に描く。演出においては、「主役、脇役含めて全体として一体となった、わざとくささのない自然な演技」を要求するという。現場でのひらめきや勢いを大切にするため、事前にコンテをきっちり詰めるやり方も採らない。横長のシネマスコープ画面を愛し、画面中央で男女が語り合う片隅で犬が戯れていたりするのが映画の良さと語っている。

また、海外推理小説の熱心な読者でもあり、初期にはサスペンスやブラックユーモアの方面にも意欲を示していたが、その方面への資質には早々に見切りをつけたようである。「キネマの天地」などでミュージカル的なタッチも見せたが、やはり山田の領分ではなく、あくまで地に足をつけた日常の描写に真骨頂を発揮する。

来歴[編集]

  • 1931年大阪府豊中市に生まれる。満鉄のエンジニアだった父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごした[1]。終戦後の1947年、大連から一家で日本に引き揚げ、15歳から18歳までを山口県宇部市の伯母の持ち家で過ごした。流れ者や社会の逸脱者を多く描くのは、山田自身の引き揚げ体験が強く影響している[1]
  • 1943年、東京都立第八中学校(現東京都立小山台高等学校)に入学するが、同年5月、空襲を避け、中国の大連へ移る。1947年、大連から引き揚げ、旧制宇部中学校(山口県立宇部高等学校)3年に編入する。翌年、旧制山口高等学校(現山口大学)に入学するが、在学中に学制改革を経験する[2]。1950年、東京都立小山台高等学校卒業、東京大学法学部に入学。怠学による出席日数不足で中退するところだったが、1954年に卒業し、新聞社勤務を経て松竹に補欠入社する。野村芳太郎作品の脚本家・助監督を務めた[3]。1961年、『二階の他人』で監督としてデビューした[4]。小学校1年~3年生のときに落語に熱中し、あるときジフテリアを患い明日の命も危ぶまれた際、憐れんだ父親から何でも好きな物を買ってもらえることになり、古本屋の落語全集を買ってもらったという。
  • 大島渚篠田正浩吉田喜重といった気鋭の新人が松竹ヌーヴェルヴァーグとして活躍していた時代にあって、山田は地味な存在であった。ヌーヴェルヴァーグ派が松竹から独立して行く中、松竹大船調路線の後継者として『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』等のコメディを中心とした作品で企業内監督の道を歩む[4][3][5]。当初はハナ肇主演作品が非常に多く、才能を見抜く名人であるハナのご指名監督の感があった。
  • 1961年頃から日本放送協会の『遺族』、TBSテレビの『泣いてたまるか』などテレビドラマの脚本を担当するようになり、1962年に放送された日本テレビ放送網の『一等寝台車のあいつ』などの一部の作品では「山田よしお」のペンネームを使っている[6]
  • 次第に喜劇作家としての評価が高まり、何本かの作品がキネマ旬報ベストテン入りするが、ヒットには恵まれない状態が続いた。
  • 1968年フジテレビの連続テレビドラマ『男はつらいよ』の原案・脚本を担当。テレビドラマのヒットにより同作は1969年、松竹で映画化されることになる。当初は観客動員も地味であったが高い評判を呼んだ。輪番であった監督が山田単独となる頃から尻上がりに観客も増え、その後27年間に全48作が製作される大ヒットシリーズとなり、毎年お盆と暮れの興行は日本人の風物詩、国民的映画とまで言われた。しかし、車寅次郎役である渥美清の体調が優れなくなってからは、年2回作られていた『男はつらいよ』シリーズを年1回に減らし、後に甥の満男の出番を増やして寅次郎の出番を減らす決断をした。最終の第47作と第48作は、ドクターストップがあったものの無理に出演してもらったものである。渥美は公私混同を嫌っていたため、渥美の家族や個人的な連絡先は知らなかったと言う。知るようになったのは寅さんとのお別れ会の後である。渥美の死去によって『男はつらいよ』シリーズを失った4年後には大船撮影所が閉鎖され、監督としてメガホンを執る機会も減ってしまった。
  • シリーズの合間をぬって2、3年おきに『家族』『同胞』など、ややシリアスな作品も、おおむねオリジナル脚本で発表。いずれも高い評価と手堅い成績を収め、山田の映画作家としての地位を固めていく。ほとんどが倍賞千恵子主演であり、『男はつらいよ』のさくら役、シリーズ開始以前の多くの主演作を含めると、実に六十数本で主演、準主演に迎えている。これは海外でも殆ど例のない長期の監督・女優コンビであり、ある意味、山田が「生涯同じ歌を繰り返し歌い続ける」タイプの作家である証左ともなっている。
  • 2002年藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』を発表する。山田にとって、『運がよけりゃ』に続く2度目の時代劇[注 2]であり、藤沢作品を初映画化したものであった。他の時代劇では無視され続けてきた“位の低い”武士の苦悩を描いた物語である。構想に10年を掛け時代考証に徹底して拘った。登場人物が綺麗な新品の服ではなく、着古した古着を着ていたり、毎日月代を剃るはずが無いから、剃った部分に髪が生えてくる等の実に細かい部分をリアルに丹念に描き、「第76回アカデミー賞」外国語映画部門にノミネートされた。
  • 2004年、再び藤沢原作の時代劇『隠し剣 鬼の爪』を発表し、「第7回ジンバブエ国際映画祭」最優秀作品賞を受賞した。
  • 2004年1月に横綱審議委員に就任し、2014年1月の退任まで5期10年を務め上げた。[7]2006年には「部員不足解消に役立つなら」と、OBである東京大学相撲部の名誉顧問となった。京都大学との交流戦を観戦し、「初心者にしか見えない学生が鼻血を出しながら立ち向かう姿が愛しい」と興奮した。
  • 2007年、自身の監督作『幸福の黄色いハンカチ』がハリウッドでリメイクされる事が決定。主人公はオスカー俳優・ウィリアム・ハートが演じる。
  • 2008年小津安二郎以来、映画監督で二人目の芸術院会員となる。
  • 2010年、小津映画の『麦秋』を舞台化。初の舞台演出[4][8]
  • 2010年、JR東日本動態復元する蒸気機関車C61 20の復元工事の作業をドキュメンタリー映像として記録開始。父が鉄道ファンであった影響から幼少時より山田自身も鉄道ファンとなり、2011年6月4日の復活運転開始までの間、収録を行った。復活運転開始の日には、高崎駅で開催された復活記念セレモニーのスペシャルゲストとして招かれ、「東北で活躍したC61が復活したことには、大きな意義がある」などといったメッセージを送り、東日本大震災からの日本復興に向かう象徴の一つとするC61 20の復活を祝った[9]。なおこの作品は、同2011年7月16日NHKスペシャル『復活 〜山田洋次・SLを撮る〜』と題してテレビ放送された[10]
  • 2011年、監督生活50周年記念作として『東京物語』のリメイク作『東京家族』の製作を予定していたが、脚本など東日本大震災の経験を踏まえた作品にしたいという山田の意向により、製作の延期を発表[11]
  • 日本共産党のパンフレットに推薦文をしばしば寄せている。自作で政治性を前面に出すことは少ないが(そのため自民党議員にもファンは多い。一方で新左翼系評論家からは目の敵にされ続けている)、代表作のひとつ『同胞』は、共産党系の統一劇場を描いた作品である。「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている[12]
  • 2012年12月15日、山田のこれまでの歩みを紹介する「山田洋次ミュージアム」がオープンした[13]

エピソード[編集]

  • 祖父は官軍として西南戦争に従軍した。
  • 幼少時は満州で育ったが、近くの道路はアスファルトで舗装され、故郷と呼べる美しい景色を見て育たなかったという。
  • 東大に入学したのは上京したいという理由から。そのために必死に勉強している。法学部を選んだのは卒業が楽そうだと思い込んでいたためで、実際に入学すると授業がつまらなく、ほとんど出席せずに退学寸前のところで卒業した。
  • 渥美清の葬式では長年の付き合いから弔辞を読み、無理に出演させた事を詫びている。
  • TVシリーズの『男はつらいよ』最終回で、主人公を殺してしまったため、ファンから大量の苦情が来た[5]。これは寅さんがハブに噛まれての凄惨な死ということもあったが、それまでパッとしなかったのにと、これで強い印象を受けた。ヒット作に恵まれず、テレビドラマの映画化なら一定の観客が見込め、低視聴率だったのでテレビ局から映画化権がスムーズに同意が得られたことから映画版を新作として作ることにした。ただし同時に「テレビで殺したのはこんな人は、この社会では生きていてはいけないんだ。生きられないんだ」と話して新たに顰蹙をかった。(シリーズ定着時のNHKテレビインタビュー)
  • 寅さんの舞台・葛飾区柴又は、作家・早乙女勝元の紹介で最終的に決定された。
  • 最終作の撮影現場で体調を崩して楽屋で寝込んでいた所、その頃は既に自分の死が近いことを悟っていたのか渥美清から「山田さん大丈夫ですか?あなたは体を大事にして長生きしなければなりませんよ。」と言われたのが今でも心に残っていると言う。
  • 近年ではロケ地に行くと「男はつらいよを何本でも作れそうだ」と語っている。
  • 小説家の八木義徳から「あなたは“典型”をお作りになった」「寅さんみたいな男といえば、共通したイメージがわく。文学ならドン・キホーテ坊ちゃん。あなたは映画でなさった。誇りをもっていい」[14]と評された。
  • 小津安二郎の映画に対し、「毎回同じような内容ばかり」「何も起きずつまらない」と批判していたが、敬愛する黒澤明が自宅で小津映画を熱心に鑑賞しているのを見てショックを受ける。近年では自作の中に小津の影響を少なからず認めている[4][14]
  • 好きな作家は藤沢周平、どの主人公も慎ましく生きている姿が胸を打たれるという。
  • 入社以来、一貫して松竹大船撮影所のみで仕事を続けた。期間としては実に47年間である。同撮影所の閉鎖後は松竹京都撮影所を拠点とし、『武士の一分』で木村拓哉が東京を長期間離れることが不可能だったため、東宝撮影所を使用したのが生まれて初めての他社撮影所での仕事である。映画会社の専属監督制が崩壊し、制作会社、配給会社、撮影所の組み合わせもフリー化したのが1970年代であることを考えると、その後も21世紀までただ一人ひとつの撮影所に固執した彼の姿勢は、その作家性と重ね合わせることもできる。

受賞・栄典[編集]

作品[編集]

映画[編集]

監督作品[編集]

公開年 作品名 製作・配給 主な出演者
1961 二階の他人 松竹 小坂一也、葵京子、高橋とよ
1963 下町の太陽 倍賞千恵子勝呂誉東野英治郎
1964 馬鹿まるだし ハナ肇桑野みゆき
いいかげん馬鹿 ハナ肇、岩下志麻
馬鹿が戦車でやって来る ハナ肇、岩下志麻、飯田蝶子
1965 霧の旗 倍賞千恵子、滝沢修新珠三千代
1966 運が良けりゃ ハナ肇、倍賞千恵子
なつかしい風来坊 ハナ肇、倍賞千恵子
1967 九ちゃんのでっかい夢 坂本九、倍賞千恵子、竹脇無我
愛の讃歌 倍賞千恵子、中山仁伴淳三郎
喜劇 一発勝負 ハナ肇、倍賞千恵子、加東大介
1968 ハナ肇の一発大冒険 ハナ肇、倍賞千恵子、倍賞美津子
吹けば飛ぶよな男だが なべおさみ緑魔子ミヤコ蝶々
1969 喜劇 一発大必勝 ハナ肇、倍賞千恵子、谷啓
男はつらいよ 渥美清、倍賞千恵子、光本幸子志村喬
続・男はつらいよ 渥美清、倍賞千恵子、佐藤オリエ
1970 男はつらいよ 望郷篇 渥美清、倍賞千恵子、長山藍子
家族 倍賞千恵子、井川比佐志笠智衆
1971 男はつらいよ 純情篇 渥美清、倍賞千恵子、若尾文子森繁久彌
男はつらいよ 奮闘篇 渥美清、倍賞千恵子、榊原るみ田中邦衛
男はつらいよ 寅次郎恋歌 渥美清、倍賞千恵子、池内淳子岡本茉莉
1972 男はつらいよ 柴又慕情 渥美清、倍賞千恵子、吉永小百合宮口精二
男はつらいよ 寅次郎夢枕 渥美清、倍賞千恵子、八千草薫田中絹代
故郷 倍賞千恵子、井川比佐氏、笠智衆
1973 男はつらいよ 寅次郎忘れな草 渥美清、倍賞千恵子、浅丘ルリ子
男はつらいよ 私の寅さん 渥美清、倍賞千恵子、岸恵子
1974 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ 渥美清、倍賞千恵子、吉永小百合
男はつらいよ 寅次郎子守唄 渥美清、倍賞千恵子、十朱幸代
1975 男はつらいよ 寅次郎相合い傘 渥美清、倍賞千恵子、浅丘ルリ子、船越英二
男はつらいよ 葛飾立志篇 渥美清、倍賞千恵子、桜田淳子樫山文枝
同胞 寺尾聰、倍賞千恵子、大滝秀治
1976 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 渥美清、倍賞千恵子、太地喜和子岡田嘉子宇野重吉
男はつらいよ 寅次郎純情詩集 渥美清、倍賞千恵子、檀ふみ
1977 男はつらいよ 寅次郎と殿様 渥美清、倍賞千恵子、真野響子嵐寛寿郎
男はつらいよ 寅次郎頑張れ! 渥美清、倍賞千恵子、大竹しのぶ中村雅俊
幸福の黄色いハンカチ 高倉健、倍賞千恵子、桃井かおり武田鉄矢
1978 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 渥美清、倍賞千恵子、木の実ナナ、武田鉄矢
男はつらいよ 噂の寅次郎 渥美清、倍賞千恵子、大原麗子
1979 男はつらいよ 翔んでる寅次郎 渥美清、倍賞千恵子、桃井かおり、布施明
男はつらいよ 寅次郎春の夢 渥美清、倍賞千恵子、林寛子ハーブ・エデルマン
1980 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 渥美清、倍賞千恵子、浅丘ルリ子
男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 渥美清、倍賞千恵子、伊藤蘭
遙かなる山の呼び声 高倉健、倍賞千恵子、吉岡秀隆
1981 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 渥美清、倍賞千恵子、松坂慶子芦屋雁之助
男はつらいよ 寅次郎紙風船 渥美清、倍賞千恵子、音無美紀子岸本加世子
1982 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 渥美清、倍賞千恵子、いしだあゆみ片岡仁左衛門
男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 渥美清、倍賞千恵子、田中裕子沢田研二
1983 男はつらいよ 旅と女と寅次郎 渥美清、倍賞千恵子、都はるみ
男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 渥美清、倍賞千恵子、竹下景子中井貴一杉田かおる
1984 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 渥美清、倍賞千恵子、中原理恵渡瀬恒彦
男はつらいよ 寅次郎真実一路 渥美清、倍賞千恵子、大原麗子、米倉斉加年
1985 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 渥美清、倍賞千恵子、樋口可南子平田満
男はつらいよ 柴又より愛をこめて 渥美清、倍賞千恵子、栗原小巻
1986 男はつらいよ 幸福の青い鳥 渥美清、倍賞千恵子、志穂美悦子長渕剛
キネマの天地 有森也実、渥美清、中井貴一
1987 男はつらいよ 知床慕情 渥美清、倍賞千恵子、竹下景子、淡路恵子三船敏郎
男はつらいよ 寅次郎物語 渥美清、倍賞千恵子、秋吉久美子五月みどり
1988 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 渥美清、倍賞千恵子、三田佳子三田寛子
ダウンタウン・ヒーローズ 中村橋之助中村芝翫薬師丸ひろ子柳葉敏郎
1989 男はつらいよ 寅次郎心の旅路 渥美清、倍賞千恵子、竹下景子、淡路恵子、柄本明
男はつらいよ ぼくの伯父さん 渥美清、吉岡秀隆、後藤久美子檀ふみ
1990 男はつらいよ 寅次郎の休日 渥美清、吉岡秀隆、後藤久美子、夏木マリ
1991 息子 三國連太郎永瀬正敏和久井映見
男はつらいよ 寅次郎の告白 渥美清、吉岡秀隆、後藤久美子、吉田日出子
1992 男はつらいよ 寅次郎の青春 渥美清、吉岡秀隆、後藤久美子、風吹ジュン
1993 学校 西田敏行、田中邦衛、萩原聖人中江有里、竹下景子
男はつらいよ 寅次郎の縁談 渥美清、吉岡秀隆、松坂慶子
1994 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 渥美清、吉岡秀隆、牧瀬里穂かたせ梨乃
1995 男はつらいよ 寅次郎紅の花 渥美清、浅丘ルリ子、吉岡秀隆、後藤久美子
1996 学校II 西田敏行、吉岡秀隆、神戸浩、永瀬正敏
虹をつかむ男 西田敏行、吉岡秀隆、田中裕子
1997 虹をつかむ男 南国奮斗篇 西田敏行、吉岡秀隆、松坂慶子、小泉今日子
1998 学校III 大竹しのぶ、小林稔侍黒田勇樹
2000 十五才 学校IV 金井勇太、小林稔侍、丹波哲郎
2002 たそがれ清兵衛 真田広之宮沢りえ田中泯岸惠子
2004 隠し剣 鬼の爪 永瀬正敏、松たか子小澤征悦
2006 武士の一分 木村拓哉檀れい笹野高史坂東三津五郎
2008 母べえ 吉永小百合、浅野忠信志田未来佐藤未来
シネマ歌舞伎 人情噺 文七元結
シネマ歌舞伎 連獅子
2010 おとうと 吉永小百合、笑福亭鶴瓶蒼井優加瀬亮
京都太秦物語 海老瀬はなUSA(EXILE)
2013 東京家族 橋爪功吉行和子、蒼井優、妻夫木聡
2014 小さいおうち 松たか子、倍賞千恵子、黒木華
2015 母と暮せば 吉永小百合、二宮和也、黒木華
2016 家族はつらいよ 橋爪功、吉行和子、蒼井優、妻夫木聡
2017 家族はつらいよ2 橋爪功、吉行和子、蒼井優、妻夫木聡

その他の映像作品[編集]

テレビドラマ[編集]

演出[編集]

  • 東芝日曜劇場TBSテレビ
    • 「24才」シリーズ(1967年 - 1969年)
    • 「父」(1971年)
    • 「続・父」(1971年)
    • 「初恋」(1971年、北海道放送
    • 「放蕩一代息子」(1973年)
    • 「嫁」(1973年)
    • 「恋人」(1974年)
    • 「裏長屋愛妻記」(1974年)
    • 「ふれあい」(1976年)
    • 「幸子の恋」(1976年)
    • 「ひとり娘」(1977年)
    • 「放蕩かっぽれ節」(1978年)
    • 「伜」(1979年)
    • 「出航」(1981年)
    • 「ああ、たらちねの母」(1985年)
    • 「ぼくの椿姫」(1985年、北海道放送)
    • 「くもりのちハーレー」(1988年)
  • 泣いてたまるか(TBSテレビ)
    • 第12回「子はかすがい」(1966年)
    • 第27回「なつかしいあいつ」(1967年)
    • 最終回「男はつらい」(1968年)
  • 男はつらいよ(1968年、フジテレビ
  • 祝辞(1971年、NHK
  • 遥かなるわが町(1973年、TBSテレビ)
  • 松本清張のゼロの焦点(1983年、TBSテレビ) ※橋本忍と共作
  • 泣いてたまるか(西田敏行版、TBSテレビ)
    • 第1回「花嫁のお父ちゃん」(1986年)
    • 第3回「結婚に向かない二人」(1986年)
  • 遥かなるわが町(1990年、TBSテレビ)
  • 祖国(2005年、WOWOW

脚本[編集]

舞台[編集]

  • 錦秋演舞場祭り 中村勘三郎奮闘 十月大歌舞伎「人情噺文七元結」(2007年10月2日 - 26日、新橋演舞場) - 演出
  • 麥秋(初春新派公演、2010年1月2日 - 25日、三越劇場) - 脚本・演出
  • 東京物語(初春新派公演、2012年1月2日 - 24日、三越劇場) - 脚本・演出
  • さらば八月の大地(2013年11月1日 - 25日、新橋演舞場) - 演出
  • 音楽劇 マリウス(2017年3月6日 - 27日、日生劇場) - 脚本・演出
  • 裏長屋騒動記(前進座五月国立劇場公演、2017年5月11日 - 22日、国立劇場大劇場) - 監修・脚本
  • 家族はつらいよ(新派130年 初春新派公演、2018年1月2日 - 25日、三越劇場) - 脚本・演出

出演[編集]

映画
テレビ

著書[編集]

  • 山田洋次作品集(全8巻、立風書房
  • 息子、家族(岩波書店 同時代ライブラリー)
  • 学校(岩波書店 同時代ライブラリー)
  • 映画をつくる(大月書店
  • 寅さんの教育論(岩波書店 岩波ブックレット)
  • 寅さんの学校論(田中孝彦との対談、岩波ブックレット
  • 寅さんの人間論(同上)
  • 映画館(こや)がはねて(中公文庫
  • 放蕩かっぽれ節―山田洋次落語集(ちくま文庫
  • 男はつらいよ(全5巻、ちくま文庫)
  • 対話山田洋次 1・2(旬報社) - 各著名人8名との対談
  • 遥かなるわが町(上・下、集英社文庫
  • 絵本『母と暮せば』(講談社) - 文を担当。絵の担当は森本千絵[21]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ こちらの山田亜樹は、俳優の山田吾一の娘である。
  2. ^ 『たそがれ清兵衛』を、「山田監督初めての時代劇」と紹介するのは誤りである。ただし『運が良けりゃ』は、「時代喜劇」とも呼ばれるもので、設定は江戸時代であるものの、筋のメインは喜劇であり、正統派の時代劇ではない。よって、『たそがれ清兵衛』を「山田監督の初めての時代劇」というのも、全くの誤りとは言えない。
  3. ^ 平松恵美子と共同受賞[16]

出典[編集]

  1. ^ a b 「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (2)」 『毎日新聞』 2010年1月19日、12版、9面。
  2. ^ 「私の履歴書 山田洋次⑧⑪」『日本経済新聞』1996年10月8、11日付。
  3. ^ a b 「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (4)」 『毎日新聞』 2010年1月25日、13版、5面。
  4. ^ a b c d 「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (1)」 『毎日新聞』 2010年1月18日、13版、5面。
  5. ^ a b 「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (5)」 『毎日新聞』 2010年1月26日、12版、10面。
  6. ^ 一等寝台車のあいつ テレビドラマデータベース
  7. ^ 山田洋次監督、横審委員退任に感慨深げ「濃密な10年。朝青龍、八百長問題…」 デイリースポーツ 2014年01月27日21時42分
  8. ^ 山田洋次監督が小津映画舞台化:『麦秋』で新派公演初演出”. スポーツ報知 (2009年5月5日). 2010年1月22日閲覧。
  9. ^ 蒸気機関車「C61」、38年ぶり現役復活”. 読売新聞 (2011年6月4日). 2011年6月5日閲覧。
  10. ^ SL「C61 20」復元工程のドキュメンタリー作品のテレビ放映について(JR東日本 プレスリリース) (PDF)
  11. ^ 松竹が正式発表 山田洋次監督新作の製作延期 - スポーツ報知、2011.4.14
  12. ^ 「世田谷・9条の会」申し合わせ
  13. ^ “山田洋次ミュージアム:東京・葛飾にオープン 監督の50年たどる”. 毎日jp (毎日新聞). (2012年12月15日). http://mainichi.jp/enta/news/20121215dde041040036000c.html 2012年12月15日閲覧。 
  14. ^ a b 「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (6)」 『毎日新聞』 2010年1月27日、12版、9面より引用。
  15. ^ 第38回日本アカデミー賞最優秀賞発表!、日本アカデミー賞公式サイト、2015年1月16日閲覧。
  16. ^ 第39回日本アカデミー賞優秀賞決定!”. 日本アカデミー賞公式サイト. 2016年1月18日閲覧。
  17. ^ 山田洋次監督、ベルリン特別功労賞に1600人が拍手「一生の記念」映画.com
  18. ^ 山田洋次監督にサムライ賞 東京国際映画祭”. 産経ニュース (2015年9月29日). 2015年10月26日閲覧。
  19. ^ “山田涼介、『日本映画批評家大賞』新人賞受賞 浅野忠信の激励に感謝”. ORICON STYLE. (2016年5月26日). http://www.oricon.co.jp/news/2072329/full/ 2016年5月27日閲覧。 
  20. ^ “山田洋次が第9回したコメ映画祭でコメディ栄誉賞を受賞”. 映画ナタリー. (2016年6月20日). http://natalie.mu/eiga/news/191483 2016年6月20日閲覧。 
  21. ^ 吉永小百合&二宮和也出演「母と暮せば」が絵本に、山田洋次自ら書き下ろし”. 映画ナタリー (2015年10月21日). 2015年10月21日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]