桐竹勘十郎

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桐竹勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)は、浄瑠璃人形遣い名跡。3代を数える。

初代[編集]

生没年不詳

江戸時代、桐竹姓の創始者と言われる。延宝時代に虎屋座の人形遣いで立ち役で人気になった。天和時代から元禄時代ごろまで活動。

2代目[編集]

1920年1月5日 - 1986年8月14日

佐賀県唐津市に生まれる。本名・宮永豊。1932年、高校卒業後2代目桐竹紋十郎に入門し桐竹紋昇を名乗る。1933年に初舞台。立ち役の人形遣いとして荒物に優れた。1951年、2代目勘十郎を襲名。1978年、国立劇場優秀賞を受賞。1982年重要無形文化財保持者に認定される(人間国宝)。娘は女優の三林京子落語家として3代目桂すずめ)。

墓所は天王寺法仙寺。戒名は「文楽院豊譽桐竹勘十居士」。

3代目[編集]

1953年3月1日 - )

2代目の子として大阪市に生まれる。本名・宮永豊実[1]1967年文楽協会人形部研究生となり1968年に3代目吉田簑助に師事し、吉田簑太郎を名乗り、4月に大阪毎日ホールで初舞台。師匠から女形の芸、父から男役の芸を学んだ。2003年、父の名を継いで3代目勘十郎を襲名。2008年芸術選奨文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章[1]2010年3月に日本芸術院賞受賞。2012年大阪文化賞受賞。2013年4月より京都文教大学客員教授2016年毎日芸術賞受賞。

脚注[編集]

  1. ^ a b “紫綬褒章の受章者”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年11月2日). http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008110101000817.html 2013年1月25日閲覧。