辰野登恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

辰野 登恵子(たつの とえこ、1950年1月13日[1] - 2014年9月29日)は、日本画家版画家多摩美術大学教授

来歴[編集]

長野県岡谷市に生まれる。1968年長野県諏訪二葉高等学校を卒業[2]。同年、東京芸術大学美術学部に入学。大学時代に柴田敏雄(写真家)や鎌谷伸一(版画家)とともにグループ「コスモス・ファクトリー」を結成。名前は、彼らが好きだったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『Cosmo's Factory』(1970年)からとられた[3]アンディ・ウォーホルロバート・ラウシェンバーグの影響を受けた写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みる[4]1970年、村松画廊で初めての展覧会を開催[3]1972年、同大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。1974年、同大学大学院修士課程を修了。

1974年から1975年まで、同大学美術学部版画科の助手を務めた[5]

1996年、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。

2003年多摩美術大学客員教授となる。2004年、同大学教授となる[6]

2013年1月1日、第54回毎日芸術賞を受賞[7]

2014年9月29日、転移性肝癌のため死去[8]。64歳没。

主な展覧会[編集]

  • 1972年 - 第7回ジャパン・アート・フェスティバル (於・東京セントラル美術館)
  • 1973年 - 個展 (於・村松画廊)
  • 1979年 - 第11回東京国際版画ビエンナーレ展 (於・東京国立近代美術館
  • 1981年 - 日本現代美術展〈70年代美術の動向〉 (於・韓国文化芸術振興院、ソウル)
  • 1987年 - 個展 (於・ファビアン・カールソン・ギャラリー、ロンドン)
  • 1987年 - 個展 (於・アート・ナウ・ギャラリー、スウェーデン)
  • 1989年 - ユーロパリア1989ジャパン (ゲント現代美術館、ベルギー)
  • 1992年 - 70年代日本の前衛 (於・ボローニャ市立美術館、世田谷美術館
  • 1995年 - 「辰野登恵子 1986-1995」展 (於・東京国立近代美術館)
  • 2007年 - インチョン国際女性美術家ビエンナーレ (於・仁川文化アートセンター、韓国)
  • 2012年 - 与えられた形象―辰野登恵子/柴田敏雄 (於・国立新美術館
  • 2013年 - プレイバック・アーティスト・トーク展 (於・東京国立近代美術館)
  • 2014年 - オオハラ・コンテンポラリー・アット・ムサビ (於・武蔵野美術大学美術館)[9]
  • 2015年 - 辰野登恵子 版画1972-1995 (於・ギャラリー・アートアンリミテッド)[10]

脚注[編集]

外部リンク[編集]