大林宣彦

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おおばやし のぶひこ
大林 宣彦
生年月日 1938年1月9日(78歳)
出生地 日本の旗 日本広島県尾道市
国籍 日本の旗 日本
血液型 B型
ジャンル 映画監督
配偶者 大林恭子
主な作品

映画

転校生
時をかける少女
さびしんぼう
ふたり
異人たちとの夏
なごり雪
理由
その日のまえに

大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日 - )は、日本映画監督撮影所システムで育った映画監督ではないとの理由から[1]本人は「映画作家」と称している[2][3]広島県尾道市東土堂町生まれ[4]尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授[5]2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授[6]2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授[7]

妻は映画プロデューサー大林恭子。長女の大林千茱萸(ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており、その夫は漫画家森泉岳土[8]。劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる[9][10][11]

自主製作映画の先駆者として[12][13][14][15][16]CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"[1][17][18][19][20][21][22][23]

来歴[編集]

生い立ち[編集]

父方は尾道で六代、母方も代々続く医家の長男として生まれる[4][24]。父は福山市金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は茶道裏千家の教授。

1歳のとき父が軍医として南方に出征したため、母方の実家、尾道の山の手で幼年期を過ごす[25]。2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳で35mmフィルムに手描きしてアニメーションを作った[2][26][27]。このとき作った『マヌケ先生』をもとにして後に三浦友和主演でテレビドラマ、映画が制作された[24]。大林の映画作りは、尾道の旧い家の子供部屋の闇の中から、一人こつこつと始まる[28]。少年期は特にアメリカ映画に強い影響を受けた[1]。実家の持ち家の一つに新藤兼人が一時期住んでおり、毎週末通っていた映画館では“新藤おじさん”の隣で活動写真を見ていたこともあった[29]。15歳のときに小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。16歳の夏休みに福永武彦『草の花』を読み、感銘を受ける[30]。いつかショパンのピアノ曲のような映画を作りたいと思い、それは30年後に『さびしんぼう』で実現する。高校時代は手塚治虫に憧れて漫画を描いたほか、ピアノを弾き、演劇活動をやり、同人誌を主宰して小説を書くなど、映画以外にも多彩な分野に芸術的関心を示した[14]

自主映画作家として[編集]

1955年、上京して浪人生活を経て、1956年に成城大学文芸学部芸術コース映画科に入学[1]。当時ボードレールに憧れていた大林は、入学試験中にポケットからウイスキーの小瓶を出して飲みながら答案を書いていたところ、試験官の教員から「良き香りがいたしますな」と言われ「先生も一献いかがですか」と勧めると、相手が「頂戴いたしましょう」と応じたため、試験中に試験官と酒を酌み交わすことになったという[16][31]。大学時代のアパートは東宝撮影所の裏にあった[32]。大学では講義に全く出ず、赤いスカーフを首に巻いて片手に8ミリカメラを持ち、一日中グランドピアノの前でシャンソンを弾きながら、聴きに来る女学生たちを1コマずつ撮っていた[31]。その中の一人で一年後輩の女学生がのちの妻となった[31]。在学中から8mmで作品を発表[32][33]1957年、文化祭のために福永武彦の詩集の映画化「青春・雲」発表[34][35]。初恋を幻想的に描く二作目「絵の中の少女」(1958年)のヒロイン役が妻である[16][35]。当時はまだ自主製作映画という概念はなかったが[1][16]その先駆者として、早くから名前を知られた[2][17][23][36]1960年に大学を中退[35]。当時、8ミリで(趣味ではなく)映画を作ろうと考えていた人は、大林と京都に住んでいた高林陽一飯村隆彦の三人しか日本にいなかったという[3][18][37][38]。最初に自主映画を有料で公開しようとしたのはこの3人で、彼等は月刊『小型映画』のコンテスト落選組だったが、この雑誌の編集長は、いつも落選している個性的な応募者を会わせたら面白いのではないかと考えて、編集長の計らいで会った3人はたちまち意気投合した[18][39][40][41]。これが日本の戦後自主制作・自主上映映画の端緒となる[39][40]。自分たちの作品をもっと人に見てもらおうと画廊で映画を掛けたら反響が大きく、その後新宿アートシアター(ATG)池袋人世坐など、大きな映画館で掛けるようになったため8ミリから16ミリに転換した[42]1963年に初の16mm作品、藤野一友との共作『喰べた人』でベルギー国際実験映画祭で審査員特別賞受賞[26][43]

1964年、飯村隆彦石崎浩一郎高林陽一金坂健二佐藤重臣ドナルド・リチー足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成[44]。高林が『砂』で、飯村が『ONAN』など揃って受賞したことで、マスコミが実験映画運動に関心を持ち出し、草月が海外の実験映画を上映したりした[42]。『尾道』(1960年)、『中山道』(1961年)、『喰べた人』(1963年)、『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』(1964年)、『遥かなるあこがれギロチン・恋の旅』(1968年)や、日本のカルト映画の草分け[45]『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』(1966年)などがアングラブームに乗って反響を呼ぶ[35][46][47][48][49][50]。『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』は、全国五分の三の大学で上映された[16][23][51]。また1965年に初めてCMロケアメリカに渡った際に、ロスサンフランシスコで「ジャパニーズ・アンダーグラウンド・ムービー」というフェスティバルがあり『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』が一本立て上映されていたという[17][52]1965年、飯村隆彦、石崎浩一郎、佐藤重臣ドナルド・リチーらと〈フィルム・アンデパンダン〉を結成[26][53]

CMディレクターとして[編集]

1964年に開館した新宿紀伊國屋ホールの開館イベントとして「60秒フィルムフェスティバル」を企画[24][37][54][55][56]。このイベントで上映された『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』をたまたま観ていた電通のプロデューサーに誘われ、1960年代からは草創期のテレビコマーシャル(CM)にCMディレクターとして本格的に関わる[2][18][57][58]。電通からの誘い文句は「これから言うことで、僕を殴らないで下さい、コマーシャルをやってみませんか」だった[59]。当時まだまだCMは"おトイレタイム"といわれ、映画監督にCM製作を依頼するとけんもほろろ、「俺に物売りをやれというのか」と蹴飛ばされたという時代[52]。このため電通のプロデューサーと傾きかけた映画界のカメラマンとが組んでCMを撮っていた。CMディレクターを専門にやろうという人はまだいなかった[60]。実際は先のイベントに参加した仲間も誘いを受けたが、承諾したのは大林一人だったという。まだ広告はアートでなかった時代で、電通と大林でスポンサーのところに行くと出入りの写真屋さんの扱いで、こんなことでは未来がないと考えた電通らが、CMに演出家をつけてみたらどうだろう、演出家ならスポンサーと対等に物が言える、と抜擢されたのが大林のCMディレクターとしてのスタートだった[25]。当時はまだコマーシャルに対するモノづくりのフォーマットが全然なく、演出は全部任せてもらえた[61]高度経済成長期の始まり、テレビの普及で企業が広告費をどんどん計上し始めた時代でもあり、特撮もどんどんでき自由に撮らせてもらえた[52][62]。大林にとってCMはスポンサーつきの個人映画、映像実験室ともいえ、非常に楽しいものだったという[1][23][24][63]

大林の手がけたCMは、日本で初めてハリウッドスターを起用し、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム[17][64][65][66][67]、本作は男性に香りを着けさせようという、これまでの日本にない新しいライフ・スタイルの導入・定着に貢献した[68]。この他、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「ホンダ・ロードパル」のソフィア・ローレン[69]、「カネカフォンテーヌ」「ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「フォンテーヌ」のCMソングにはフランシス・レイを起用した[70]。「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スター[69]、「AGF・マキシムコーヒー」のカーク・ダグラス[71]、マンダム・フーズフーのデヴィッド・ニーヴン[65]キャサリン・ヘプバーンアイススケートジャネット・リン(カルピス)[65]などの起用で[17][65][66]、今日に続く海外スター起用のCMの先駆けとなった[25][58][66][72][73]。海外スターの起用、海外ロケ、映画のような特撮の導入などは、それまでの日本のCMにない画期的なものであった[1]。当時はまだ日本映画がアメリカと合作するなんて考えられもしなかった時代、「CMならハリウッドスターを使えるぞ」という"アメリカ映画ごっこ"のようなもの、企業のお金を使った大林個人の夢の実現であったという[17]。CM撮影での初の渡米は1966年、電通社長の指示で大林を含めたスタッフ4人で行ったという[2][62]チャールズ・ブロンソンマンダム起用の経緯は、当時の丹頂の社長が、若き大林に仕事を任せるにあたり、大林夫婦を食事に招待したおり、ごく自然に夫人にサラダを取り分ける大林に感銘を受け、「この人物ならわが社の広告を任せていい」と決心したといわれ、トップの心を掴んだ大林は思い通りに仕事を進め、「どうして売れないブロンソンなど使うのだ」と渋るハリウッドのエージェントの反対を押し切り、チャールズ・ブロンソンでCMを完成させたといわれる[16][74]オイルショック前の1970年初頭はほとんど海外ロケで、1年のうち10ヶ月以上海外生活だった[75]。日本のCMでは、東陶機器(TOTO)のホーローバスのCMで高沢順子に言わせて流行語になった「お魚になったワ・タ・シ」は、コピーライターという職業が無い時代に大林が考えたコピーである[76][77]NECオフィスプロセッサ」「夢にわがままです」では黒澤明 からCM演出を指名され[78]黒澤に初めてサングラスを外させた[79]。この他、山口百恵三浦友和コンビの「グリコアーモンドチョコレート[35][80][81]高峰三枝子上原謙の「国鉄フルムーン」、森繁久弥の「国鉄新幹線[35][82]遠藤周作の「日立ヘアカーラ[65]山村聰の「トヨタ・クラウン[83]若尾文子の「ナショナル浄水器[65]、「レナウンワンサカ娘」、長門裕之南田洋子の「カルピス[84][85]など[25][66][86]10年間で製作したテレビCMは2000本を越え[18][37][87]国際CM賞も受賞[24]。テレビCMを新しい映像表現として確立[88]、画期的な映像表現で、日本のテレビCMを飛躍的に進化させた[1]アメリカでのCM撮影の際に、アンダーグラウンド映画のスタッフと親しくなり、『イージー・ライダー』の編集にも大林は関わっているという[17]。2013年、小林亜星らと共に全日本シーエム放送連盟(ACC)第3回「クリエイターズ殿堂」入り[89]

当時はメイド・イン・ジャパンは粗悪品の代表と言われた時代、自分で試してみて、責任を持って勧められるものだけを担当したいと、毛染めのCMをやるのにその商品を使って茶髪になった。「日本で最初に茶髪にしたのは私」と述べている[37]。また、自身も九州電力のCMに出演したことがある。同じくCM作家でもあり、映画評論家でもある石上三登志とは盟友関係となり、石上はその後の大林映画に多数ゲスト出演している。

商業映画に進出[編集]

1977年の『HOUSE』で、商業映画を初監督[1][2][56]。7人の少女が生き物のような"家"に食べられてしまうというホラーファンタジーを、ソフト・フォーカスを用いたCF的映像、実写とアニメの合成など、さまざまな特撮を使って見せる華麗でポップな映像世界は世の映画少年を熱狂させた[48][90][91][92]。その影響で映画への道を目指した人材も少なくない[48][93][94][95][96][97]。子供向けでなく、初めて若者に向けた特撮映画としても特筆される[96]1990年代に流行した「美少女ホラー」と直接的にはリンクしないとはいえ、その"祖"と評価もされる[98]。本作は2009年頃から欧米で再発見されてコアな人気を集めているという[99]。近年ではアメリカニューヨーク近代美術館(MoMA)でも紹介され、2012年12月にMoMAで開催された日本映画特集「アートシアターギルドと日本のアンダーグラウンド映画 1960〜1984年」に大林が招かれ、大林作品がオープニング上映された[100][101]ニューヨーク単館系の劇場でもよく上映されるという[17][102][103]。また従来、監督は助監督を経験してからなるものであったが、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という新たな流れを生み出した[1][22][50][49][101][104]。日本映画の斜陽によって1977年の新人監督の登用は、ピンク映画以外では大林一人だった[105][106]。大林が商業映画デビューしたこの年が一つのターニングポイントとなり[105]この流れから自主映画出身者として大森一樹森田芳光、CM出身者として市川準らが出た[20][107][108][109][110]。市川は「芸大を受験し続けていたけど、どうしても駄目で。僕も予備校の仲間とミニフィルムを作ったりしていた。当時は大林さんが自主制作で注目されていた。そこから美大入学ではなく、CM制作会社に入るという選択をした」と述べている[111]。大林が35ミリ劇場用映画に進出したことで、日本映画界は大きく活性化したといえる[112]。他に先達として自主映画仲間の高林陽一らが存在するものの、自己プロダクション+ATGという経路であり、いきなりメジャーの東宝映画でデビューというのは画期的であった[108]。当時は映画会社の外部の人間が撮影所で映画を撮るということは、まず有り得ない事態だった[49][113]。企画としては1975年に東宝の会議を通っていたが[114]撮影所の助監督経験のない大林が監督することに、当時の東宝の助監督たちが猛反対し、その後2年の間、塩漬けにされた[115]。CMの仕事で東宝撮影所に出入りしていたこともあって[25]メディアを巧みに動員した大林自身の自己プロモートに加え、当時東宝営業部長[94](のち社長、会長)だった松岡功と、東宝撮影所のボス的立場にあったベテラン岡本喜八監督の口添えが大きかったといわれる[16][21][37][54][116]。松岡は大林に「恐るべき無内容」「しかしこれをわたしたちが考える良い脚本に直したら映画がつまらなくなる、よってこのまま撮ってくれ」とつけ加えたといわれる[2][16][94]。1976年6月には準備稿台本が完成し製作についての報道もされたが製作開始とはならず[116]。大林は作品を自分で売るという気持ちから、監督と同時にプロデュース権を持ち[108]「『HOUSE』映画化を実験するキャンペーン」と銘打って、CM製作で付き合いのあったテレビやラジオに自身を売り込み、積極的にテレビ出演やインタビューに応じるタレント活動のような事を始めた[94][116][113]オーディションで選んだ平均年齢当時18歳の7人のアイドルに水着を着させて大磯ロングビーチキャンペーンをやるなど、プロモーションに2年を要して[55]様々なイベントを仕掛け、その後の"アイドル映画"の方向性を作った[25][117]ニッポン放送オールナイトニッポン」枠で生放送されたラジオドラマ『オールナイトニッポン特別番組 ラジオドラマ ハウス』は、映画製作が進めてもらえないため、映画製作より先に『HOUSE』ブームを起こしてやろうと大林が仕掛けたものだった[90][116]。更にラジオドラマに続き、コミック化ノベライズ化など、大林が主導して「メディアミックス」を仕掛けていき、これらが功を奏して知名度が上がって話題となり、東宝も企画を進めざるを得なくなって[25][113]ようやく本体の映画化が決まった[116]。大林は『HOUSE』のイラスト入りの大きな名刺を作り、会う人ごとに渡していたが、角川春樹もそれを見て「こういうことをしている監督がいるのか」と興味を持ったと話している[116]。既存の映画界とは別のところで仕事をしていた大林と角川は、ほぼ同時期にそれぞれの方法で「メディアミックス」を仕掛けており、これも先駆と評価される[116][118]。しかしながら「あれは正規の映画ではない」と公言する人も多く[49]、映画マニアからは酷く叩かれもした[119]。『リング』、『呪怨』などのプロデューサー・一瀬隆重は「『HOUSE』を観たときには(いい意味で)こんなヘンテコ極まりない映画が、東宝の配給で全国公開された事実に大きく勇気づけられた」「当時の日本映画は産業としてまるで活力を感じさせない状態、もしかしたら、自分にもチャンスがあるかも、古い日本映画も変わるかもしれない、と感じた」と影響を受けた映画の1本として挙げている[120]。大林が『HOUSE』を撮った頃は撮影所外のCFディレクターであるというだけでいぶかしがられたが、今や日本映画は撮影所の伝統からきっぱり切れた、CMやコミックスの影響が濃い自主映画やテレビから生まれた才能の輩出によって支えられている[121]。大林が『HOUSE』以降も、継続して作品を発表し、それらが大ヒットしたり、高く評価されることで広く認められ、撮影所の製作システムが事実上崩壊し、いつの間にか大林のやり方が主流になっていったともいえる[49]。『HOUSE』で同年、ブルーリボン賞新人賞を受賞[94]

尾道三部作[編集]

1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生』を発表[48]。『時をかける少女』、『さびしんぼう』と合わせ"尾道三部作として多くの熱狂的な支持を集め[14][122][123][124]ロケ地巡りのファンを増やした[3][125][126][127]。"尾道三部作"という言葉は大林映画のファンが作った言葉である。

これらは、才気が奔出するあまりに一部評論家からは「お子様ランチ」「おもちゃ箱」と酷評されることもあった初期作品に比べると[43]、落ち着きと詩情を湛えて評価も高く、映画作家としてひとつの頂点を築くこととなった[20][26][128]。また、これらの映画作りには、地元尾道を中心とした多くの賛同者の協力があり、近年全国的に拡がるフィルム・コミッションの先駆としても評価されている[1][127][129][130][131]。『転校生』の試写を見た尾道の関係者が「あんなに協力したのに、いい所を撮ってない」などと、最初は尾道の人たちの中にも「町の汚いところばかりを映して」とか「これじゃ観光客が来なくなる。上映をやめてくれないか」と言う人もいたが、映画を観て逆に観光客が来るようになった[1][3][132][133]。『さびしんぼう』公開時のインタビューで「"いつか見た風景"が、テクニック上のテーマ」と話している[132]。『転校生』の成功は、大林の名前と尾道の名を映画史に刻んだ[134]。近年のインタビューでは「町の人が汚いと思う、昔ながらの変わらない尾道の風景が、外の人には懐かしく見えたんじゃないでしょうか」と話している[1]。田舎町の息の詰まった古臭さを呪う人たちの多かった時代に於いて、日本にまだ、こんなきれいな地方都市の佇まいが残っていたか、と映画を通して再認識させたという点での功績も大きい[135]。出身地とは謂えども、これ程一人の映画作家が、長年に亘り一つの街に愛情を注ぎ、何本もの作品を世に送り続けている事例は世界でも他に例が無いといわれる[136]。三つの映画を撮った原動力は「ふるさとが壊されることを守るための戦いだった」と述べている[137]本広克行がオール香川ロケした2006年の『UDON』は、「古里に恩返しするために讃岐三部作を撮りなさい」という大林のアドバイスがあったという[3]。なお、大林作品で尾道ロケを行った作品は、この三作以外にも多数存在するが、この三部作は、脚本をすべて剣持亘が執筆していること、中高生を主人公にしたSFファンタジーであることなど、他の共通項も多い。

アイドル映画[編集]

大林はこれまで主に、新人アイドル・新人女優を主役にした映画作りを行い、「アイドル映画の第一人者」とも称される[138][139][140][141]。特に1970年代1980年代に手掛けた作品は「70年代アイドル映画」「80年代アイドル映画」というジャンルとしても評価される[12][119][138][142][143]2015年2月に、ももいろクローバーZ主演・本広克行監督の『幕が上がる』と新垣結衣主演・三木孝浩監督の『くちびるに歌を』が公開された際に、「アイドル映画」「アイドル&女優が輝く映画」などと特集が組まれたが、大林はその先駆者として各メディアでフィーチャーされた[128][144][145]。本広は『幕が上がる』は「大林さんの映画を真似ているところが多い」と話している[144][146]。『日経エンタテインメント!』2015年3月号の特集「アイドル&女優が輝く映画」では、その系譜の始まりに1981年の『ねらわれた学園』が据えられた[128]。同作は、大作路線を続けた角川春樹が一転、若者向け「アイドル映画」を手掛けた第1弾で、1979年の『金田一耕助の冒険』で意気投合した角川と大林は「誰もやらないような映画を作ってやろう」という目論見から薬師丸ひろ子主演で本作を企画した[138][147]。また角川から大林に「薬師丸ひろ子をアイドルにしてしてやってくれませんか」との依頼があり[148]本作で薬師丸はアイドルとしての地位を確立させた[139][149]。このため『ねらわれた学園』は「アイドル映画」時代の開幕を告げる作品と評される[138]。同作はSFのジャンルに入れられるが、アイドルが恐怖に巻き込まれるスリリングな展開と独特の陰のある映像は、その後の「アイドル・ホラー」に大きな影響を与えたとも評され、その嚆矢ともいわれる[139]1983年、角川から「尾道で原田知世の映画を撮って下さい」と託された筒井康隆原作のジュブナイル時をかける少女』では、合成コマ落としなどの映像テクニックを最大限に駆使して幻想的な作品世界を描出、のちに定着する"映像の魔術師"、"大林ワールド"といった代名詞はここから始まった[20]。この時期に日本テレビ「火曜サスペンス劇場」向けに円谷プロで撮った「麗猫伝説」は、アングラ映画すれすれの映画詩ふうな作品であり、これを常識を破ってテレビ用に製作できたあたりに当時の大林ブランドの強さと絶好調の自信が示されている。1984年、原田知世主演で撮った『天国にいちばん近い島』は映画は酷評されたが、それまであまり知られていなかったニューカレドニアブームを起こした[150]1980年代の日本映画は、大林宣彦と相米慎二の時代とも評される[151]。女優を手加減なしに自身の追求する映像を撮ったこれらは「アイドル映画」の皮をかぶった「作家映画」と見る向きもある[152]。2014年に『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』を著した 中川右介は「盟友関係にあった角川春樹と大林宣彦の二人が、70年代後半から80年代にかけての日本映画界を牽引していたという図式が明確に把握できた。そこであの本では『角川春樹』を主人公とし、副主人公に『大林宣彦』を置いた」[153]、「あの時代個人名で『〇〇映画』と呼ばれていた監督は『大林映画』だけだったのではないか」と述べている[153]。 長い自主映画製作キャリアから培ったスキルは撮影、編集、演技のみならず作曲や演奏にも及び、監督デビューよりも2年早く高林陽一監督の『本陣殺人事件』で音楽監督をつとめている(自作での音楽監督兼任はそれほど多くない)。出演作品はそれほど多くないが、発声のきちんとしたプロ級演技は『俗物図鑑』(内藤誠監督)などで垣間見ることができる。

1980年代〜[編集]

「同じことは二度としない」と公言している通り[21]、大林のフィルモグラフィは1作ごとに異なる実験が行われている[55][147][154]。『瞳の中の訪問者』(1977年)は、手塚治虫漫画ブラック・ジャック』最初の実写化であるが、『HOUSE』以上に趣味性を前面に押し出し、漫画そのものを実写で描こうとして、原作そのままのメイク宍戸錠を登場させるなどで、「こんな人間がどこにいる!」と手塚を憤慨させたといわれる[155]。「尾道新三部作」の『ふたり』はNHK初のハイビジョンドラマとして製作したものを再編集して劇場公開した[156]。「アイドル映画」などを挟みながら、一転して純文学に挑んだ福永武彦原作の『廃市』(1984年)[30]、本作は大林自身「超ローバジェット映画」と表現している[23]寓話性を強調するため、台詞を棒読みさせたり、フラットな構図を採用したり、誇張したメーキャップを施したりするなどで、モノクロ版とカラー版の二種類を製作し同時に劇場公開した『野ゆき山ゆき海べゆき』(1986年)[157]、1988年の各映画賞を独占した大人のファンタジー異人たちとの夏』、演出撮影録音の大胆な実験を試みた『北京的西瓜』(1989年)[158]。本作は天安門事件の影響で中国ロケが中止になった抗議に意図的に37秒間の空白を挿入した[147]。『北京的西瓜』で試みた実験をさらに推し進め、複数の16mmカメラを手持ちで回し、リハーサル無し、NG無し、メイク照明も最低限で一気呵成に撮り上げたフィルムを異常なハイテンションで編集した青春映画の傑作『青春デンデケデケデケ』(1992年)、タブー視されていたとの合成にあえて挑み、全編の9割をハイビジョン合成するなど、当時の最先端技術を導入した『水の旅人 -侍KIDS-』(1993年)[154][159]吉永小百合に「あなたのシワが撮りたい」と口説いて、吉永がノーメイクに近いナチュラルメイクで挑んだ、型破りの"小百合映画"『女ざかり』(1994年)[21]。本作は1時間56分の本編をスーパー16mmカメラを多用し、1000カットに及ぶ短いカット繋ぎで構成した[21]宮部みゆきの小説世界を100名以上の俳優全員にノーメークで演じさせて完璧に映像化した『理由』(2004年)[160]など、映画界に新風を吹き込む野心作を連打した[20][147]2013年に手掛けたAKB48の長尺のミュージック・ビデオSo long !」は物議を醸した[128][161]

近年[編集]

1993年に自身が初めて俳優として出演した月9ドラマ「あの日に帰りたい」では、主演の工藤静香菊池桃子のフィルムの制作も行った。

2000年代に入ると尾道を舞台にした映画は無くなり、代わって、大分長野新潟北海道芦別など、その町の伝統歴史を題材にした映画を製作している[16][162]。大林はこれを「ふるさと映画」と称している[1][16][163]

近年は各地に講演で招かれたり、コメンテーターとしてのテレビ出演、雑誌やネットインタビューなども多い[22][130][164]2004年(平成16年)春の褒章に於いて紫綬褒章を受章[165]2009年(平成21年)秋の叙勲旭日小綬章を受章した。受章理由は「長年にわたる実験的で独自の映画作りに」と伝えられたという[166]

2013年12月27日 朝日新聞デジタルに 「特定秘密保護法が成立した6日、僕は怖くて一日中震えていました。いまの空気は戦争が始まる時に近いのです」とのコメントを寄せる。

2016年、第18回極東映画祭(イタリア)にて、マルベリー賞(生涯功労賞)を受賞[167]

主な監督作品[編集]

自主映画作家時代の作品[編集]

  • ポパイの宝島(1944年/35mm/1分) - 手描きアニメーション
  • マヌケ先生(1945年/35mm/3分) - 手描きアニメーション
  • キングコング(1952年/35mm/2分) - 人形アニメーション
  • 青春・雲(1957年/8mm/30分) - 福永武彦などの叙情詩をイメージして映像化した作品
  • だんだんこ(1957年/8mm/11分) - 踊る少女のシルエットなどを使ったリズミカルな映像作品
  • 眠りの記憶(1957年/8mm/30分) - 真実を知るのは罪、幸福は夢の中にあるということをテーマにした作品
  • 絵の中の少女(1958年/8mm/30分) - 過ぎた時間は戻らない、後悔をテーマにした文学的な作品(現・恭子夫人も出演)
  • 木曜日(1960年/8mm/18分) - ある木曜日の男女の青春をスケッチ風に描いた作品
  • 中山道(1961年/8mm/16分) - 映画仲間と中山道のことをいろいろと考え、旅をしながら撮ったレポート的な作品
  • T氏の午後(1962年/8mm/25分) - 高林陽一氏のとある一日をコマ撮りで撮影した作品
  • 形見(1962年/8mm/17分) - 父親の墓参りに行った母と子が見た幻想的な世界を描いた作品
  • 尾道(1963年/8mm/17分) - ふる里を大胆なカッティングでスケッチ風に描いたドキュメンタリー
  • 喰べた人(1963年/16mm/23分) - 食欲旺盛な客を見て倒れたウエイトレスの幻想世界を描いたシュールな喜劇作品
  • Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って葬列の散歩道(1964年/16mm/14分) - 映画への夢と憧れを描いた切ない作品
  • EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ(1966年/16mm/38分) - スタッフも出演者も多く、映像テクニックも駆使した、本格的な映画
  • CONFESSION=遥かなるあこがれギロチン恋の旅(1968年/16mm/70分) - 回顧展用のもの、個人映画製作に区切りをつける作品
  • てのひらの中で乾杯/キリンビールのできるまで(1969年/16mm/25分) - キリンビールのPR用に製作されたミュージカル仕立ての短編映画
  • 海の記憶=さびしんぼう・序(1970年/16mm/20分) - 映画「さびしんぼう」を企画して製作
  • オレレ・オララ(1971年/16mm/20分) - 篠山紀信が写真集「オレレ・オララ」制作時に撮影したリオのカーニバルの写真を大林が16ミリムービーカメラで再撮して映画化した作品
  • ジェルミ・イン・リオ(1971年/16mm/?) - 日立シェーバーのPR用映画
  • スタンピード・カントリー(1972年/16mm/35分) - 日立のCF製作のときに撮られた記録映画
  • ハッピー・ダイナノサウルス・アルバム(1972年/16mm/15分) - カナダの美しい湖に集まった人たちを撮った作品

映画[編集]

  • EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ(1967年3月8日公開) - 16ミリ自主映画
  1. HOUSE ハウス1977年7月30日公開 東宝) - 兼製作
  2. 瞳の中の訪問者(1977年11月26日公開 ホリプロ/東宝) - 兼出演
  3. ふりむけば愛1978年7月22日公開 東宝)
  4. 金田一耕助の冒険1979年7月14日公開 東映
  5. ねらわれた学園1981年7月11日 東宝)
  6. 転校生1982年4月17日公開 松竹
  7. 時をかける少女1983年7月16日公開 東映) - 兼潤色/編集
  8. 廃市1984年1月2日公開 ATG) - 兼プロデューサー/企画/編集/作曲
  9. 少年ケニヤ(1984年3月10日公開) - 兼編集
  10. 天国にいちばん近い島(1984年12月15日公開 東映) - 兼潤色/編集
  11. さびしんぼう1985年4月13日公開 東宝) - 兼脚本/編集
  12. 姉妹坂(1985年12月21日公開 東宝)
  13. 彼のオートバイ、彼女の島1986年4月26日公開 東宝) - 兼編集
  14. 四月の魚(1986年5月31日公開 ジョイパックフィルム) - 兼企画/脚本/編集
  15. 野ゆき山ゆき海べゆき(1986年10月4日公開 ATG) - 兼編集/音楽
  16. 漂流教室1987年7月11日公開 東宝東和) - 兼潤色
  17. 日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群1988年3月29日公開 アートリンクス) - 兼脚本/編集
  18. 異人たちとの夏(1988年9月15日 松竹)
  19. 北京的西瓜1989年11月18日公開 松竹) - 兼編集
  20. ふたり1991年5月11日公開 松竹 原作:赤川次郎) - 兼編集
  21. 私の心はパパのもの1992年6月13日公開 東北新社/ギャラクシーワン) - 兼編集
  22. 彼女が結婚しない理由(1992年6月13日公開 東北新社/ギャラクシーワン) - 兼編集
  23. 青春デンデケデケデケ(1992年10月31日公開 東映) - 兼編集
    • 第16回日本アカデミー賞優秀監督賞
  24. はるか、ノスタルジィ1993年2月20日公開 東映) - 兼脚本/編集
    • 第17回日本アカデミー賞優秀編集賞
  25. 水の旅人 -侍KIDS-(1993年7月17日公開 東宝) - 兼編集
    • 第17回日本アカデミー賞優秀編集賞
  26. 女ざかり(1994年6月18日公開 松竹 原作:丸谷才一) - 兼脚本/編集
  27. あした1995年9月23日公開) - 兼編集
  28. 三毛猫ホームズの推理〈ディレクターズカット〉(1998年2月14日公開 PSC、ザナドゥー) - 兼編集
  29. SADA〜戯作・阿部定の生涯(1998年4月11日公開 松竹) - 兼撮影台本/編集/
  30. 風の歌が聴きたい(1998年7月17日公開 ザナドゥー) - 兼脚本/編集
  31. 麗猫伝説 劇場版(1998年8月16日公開 PSC) - 兼編集/作曲
  32. あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜1999年7月3日公開 東映) - 兼脚本
  33. マヌケ先生(2000年9月30日公開 PSC) - 兼原作/脚本
  34. 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ(2000年9月30日公開 PSC)
  35. 告別(2001年7月14日公開)
  36. なごり雪2002年9月28日公開 大映) - 兼脚本/編集
  37. 理由2004年12月18日公開 アスミック・エース) - 兼脚本
  38. 転校生 -さよなら あなた-2007年6月23日公開 角川映画) - 兼脚本/潤色/編集/撮影台本
  39. 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年8月18日 角川映画) - 兼脚本
  40. その日のまえに2008年11月1日公開 角川映画) - 兼撮影台本
  41. この空の花 -長岡花火物語2012年4月7日公開) - 兼原作/脚本/撮影台本/編集
  42. 野のなななのか(2014年5月17日公開) - 兼脚本/撮影台本/編集/脚色
  43. 花筐(2016年8月25日にクランクイン、2017年夏に公開予定、製作:唐津映画製作推進委員会/(株)PSC) - 原作:檀一雄「花筐」、脚本:大林宣彦・桂千穂

テレビドラマ[編集]

  • 人はそれをスキャンダルという 第1回(1979年11月21日放送 TBS
  • 可愛い悪魔(1982年8月10日放送 日本テレビ『火曜サスペンス劇場』)
  • 麗猫伝説(1983年8月30日放送 日本テレビ『火曜サスペンス劇場』)
  • 恋人よわれに帰れ LOVER COMEBACK TO ME(1983年9月23日放送 フジテレビ)
  • 私の心はパパのもの(1988年11月30日放送 日本テレビ『水曜グランドロマン』)
  • ふたり(1990年11月9日・16日放送 NHK『子どもパビリオン』)
  • 彼女が結婚しない理由(1990年12月26日放送 日本テレビ『水曜グランドロマン』)
  • はるか、ノスタルジィ(1992年10月25日放送 WOWOW)
  • 三毛猫ホームズの推理1996年9月放送 テレビ朝日
  • マヌケ先生(1998年1月24日 中国放送/TBS) - 原作・総監督
  • 三毛猫ホームズの黄昏ホテル(1998年2月21日放送 テレビ朝日) - 兼脚本
  • 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ(1999年11月7日放送 テレビ朝日『日曜洋画劇場』)
  • にっぽんの名作・朗読紀行「忍ぶ川」(2000年3月8日放送 NHKBShi) - 演出
  • 告別(2001年2月24日放送 BS-i) - 兼脚本
  • 理由(2004年4月29日放送 WOWOW『ドラマW』)
  • 理由(日テレヴァージョン)(2005年11月8日放送 日本テレビ『DRAMA COMPLEX』)

ミュージックビデオ[編集]

その他の主な作品[編集]

著書[編集]

  • 『ぼくのアメリカン・ムービー』奇想天外社 1980
  • 『夢の色、めまいの時』桐原書店 1986
  • 『むうびい・こんさあと』音楽之友社 1987
  • 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道』フィルムアート社 1987
  • 『映画、この指とまれ』徳間書店 アニメージュ文庫 1990
  • 『映画監督 さびしんぼうのワンダーランド』 実業之日本社〈仕事-発見シリーズ(26)〉、1992年ISBN 4-408-41071-3
  • 『きみが、そこにいる』PHP研究所 1992
  • 『さびしんぼう乾盃! Talk & message』主婦と生活社 1992
  • 『映画、いいひとばかり』アドリブ 1993 のち道草文庫
  • 『人生には好きなことをする時間しかない』PHP研究所 1993
  • 『父の失恋娘の結婚 べそっかきの幸福そうな顔』フレーベル館 1995
  • 『4/9秒の言葉 4/9秒の暗闇+5/9秒の映像=映画』創拓社 1996
  • 『ぼくの活動写真・少年記 1 マヌケ先生』ポプラ社 1998 新・のびのび人生論
  • 『ぼくの青春映画物語 穏やかな一日を創造するために』集英社新書 2000
  • 『大林宣彦のa movie book尾道』 たちばな出版2001年ISBN 4-8133-1380-9
  • 『大林宣彦がんぼう』阿部久美子文 角川書店 2002
  • 『なごり雪』メディアファクトリー 2002
  • 『日日世は好日 五風十雨日記 巻の1(2001) (同時多発テロと《なごり雪》)』たちばな出版 2002
  • 『ぼくの瀬戸内海案内』岩波ジュニア新書 2002
  • 『日日世は好日 五風十雨日記 巻の2(2002-2003) (戦争映画は、もう見ない。)』たちばな出版 2003
  • 『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本 ジョン・ウェインも、阪東妻三郎も、… 1980-2008 a movie』 角川グループパブリッシング2008年ISBN 978-4-04-621169-9
  • 『なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか』幻冬舎新書 2008
  • 『ぼくの映画人生』実業之日本社 2008

尾道三部作[編集]

大林宣彦が、出身地尾道市舞台に撮影した映画の代表作として認知されている3つの映画作品のこと。後に、同じように尾道を舞台にした作品が同じく3つ作られたため、これを「新尾道三部作」と称すこともある。転校生時をかける少女の頃はまだ尾道三部作と呼ばれておらず、続くさびしんぼうが撮られたことで、これらの3本が尾道三部作と言われるようになった。

音楽作品[編集]

  • 坂上香織『香織の、―わたし ものがたり。』(監督作品 VHS:FK030-7001 / LD:FV025-7001 1988年9月、東芝EMIより発売)
坂上のイメージビデオ。坂上のデビュー曲「レースのカーディガン」のPVはこの作品の編集版である。
このMV撮影において、尾道三部作で使用されたロケ地を随所に織り交ぜて撮影し、「大林宣彦のワンダー・ワールド1988」と銘打って発売された、ミュージック関連の映像としては当時異色の作品。坂上が一人三役を演じ、合成演出を施した幻想的でメランコリーな雰囲気だが、非常に美しい仕上がりの作品である。この作品発表当時大林は、「いつか香織(主演)と尾道で映画を撮ろう。これはいつかぼくが香織と作る映画の予告編だ。予告編というより、ちいさな約束の映画(MV)だ。」と、同作品のライナーコメントに記していたが、未だ実現していない。
  • 映画「ふたり」の主題歌「草の想い」大林宣彦&FRIENDS(1991年3月21日NECアベニューよりCD発売)
  • 「青春回顧録 - 絵の中の少女 - 」(1998年3月1日バップよりCD発売) - 大林監督自身のピアノ演奏による自主制作映画群のための新録音ピアノ楽曲集。

テレビ版から劇場版[編集]

大林作品にはテレビで製作された作品を後に劇場版として公開する、または劇場公開に先行してテレビで放送する、というケースが多く見られる。
『理由』はWOWOWで放送、劇場公開の後、さらに日本テレビで「日テレヴァージョン」が放送された。

  • 麗猫伝説 (1983年8月30日放送 日本テレビ)
→ 劇場公開 1998年8月16日
  • 私の心はパパのもの (1988年11月30日放送 日本テレビ)
→ 劇場公開 1992年6月13日
  • ふたり (1990年11月9日・16日放送 NHK)
→ 劇場公開 1991年5月11日
  • 彼女が結婚しない理由 (1990年12月26日放送 日本テレビ)
→ 劇場公開 1992年6月13日
  • はるか、ノスタルジィ (1992年10月25日放送 WOWOW)
→ 劇場公開 1993年2月20日
  • 三毛猫ホームズの推理(1996年9月放送 テレビ朝日)
→ 劇場公開 1998年2月14日
  • マヌケ先生(1998年1月24日 中国放送/TBS)
→ 劇場公開 2000年9月30日
  • 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (1999年11月7日放送 テレビ朝日)
→ 劇場公開 2000年9月30日
  • 告別 (2001年2月24日放送 BS-i)
→ 劇場公開 2001年7月14日
  • 理由 (2004年4月29日放送 WOWOW)
→ 劇場公開 2004年12月18日
→ 「日テレヴァージョン」(2005年11月8日放送 日本テレビ)

脚注[編集]

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  6. ^ 倉敷芸術科学大学 芸術学部|メディア映像学科 映像・放送専攻
  7. ^ 客員教授 大林宣彦監督特別講義 | 長岡造形大学
  8. ^ いしかわじゅん過去39
  9. ^ ももクロ、大林宣彦監督の「幕が上がる」絶賛メッセージに感激しきり eiga.com
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  11. ^ #読本、324-325頁
  12. ^ a b 大林宣彦 映画女優としての山口百恵を語る - 城西大学
  13. ^ 『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年]
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    川島海荷 - Cut 編集部日記 | ブログ | RO69(アールオーロック)
    中森明夫『アイドルにっぽん』(新潮社、2007年)P121-134
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    映画『幕が上がる』 - 大林宣彦監督と本広克行監督の、新旧アイドル映画監督対談
    スカパー! 日曜シネマテーク- TOKYO FM 80.0MHz ― 映画監督の三木孝浩さんが語る『時をかける少女』―藤井隆の胸キュン!アイドル天国#9 アイドルと映画 大林宣彦(映画作家)
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]