ハウス (映画)

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HOUSE ハウス
監督 大林宣彦
脚本 桂千穂
原案 大林千茱萸
製作 大林宣彦
山田順彦
出演者 池上季実子
大場久美子
松原愛
神保美喜
田中エリ子
音楽 小林亜星
ミッキー吉野&ゴダイゴ
撮影 阪本善尚
編集 小川信夫
配給 東宝
公開 日本の旗 1977年7月30日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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HOUSE ハウス』は、1977年公開の日本映画ファンタジータッチのホラーコメディ作品。

概要[編集]

CF監督として活動していた大林宣彦の初劇場用映画監督作品。元祖"Jホラー(ジャパニーズホラー)"とも[1][2]、元祖"アイドル×ホラー"とも評される[3][4]。大林宣彦はのちに尾道三部作『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)を制作して代表作とする。

当時は東宝のようなメジャーな映画会社の映画を、映画会社の社員でない監督が製作するというのは有り得ない時代[5][6][7]。とかくテーマ主義に走り、映像への配慮があまりなされていなかった当時の日本映画の中で[8]ポップな色彩とおもちゃ箱をひっくり返したような華麗な映像世界は世の映画少年を熱狂させた[6][9][10][11]。客層は15歳以下だった[12]。本作の成功は日本映画界に、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身の映画監督の出現という新たな流れを生み出した[7][9][10][13][14][15][16]。なお、当作品では大林はプロデューサーも兼ねているが、純粋の東宝映画を資金分担しない監督にプロデューサー兼任させるのは異例中の異例であり、特にプロデューサーシステムの総本山である東宝ではなおさらであった。わずかに市川崑のみが(この後十年程度にわたって)この待遇を得ているが、監督歴30年の大功労者と同じ待遇を思い切って外部新人に与えた東宝の、いわば大きな権限をもって大林に存分に腕を振るうことへの期待が現れている。撮影監督や特撮スタッフを東宝社外から導入することができたのも、その結果のひとつである。

原案者の大林千茱萸(ちぐみ)は大林監督の実娘で当時12歳の女子中学生だった[15][17]。娘が風呂上りに鏡台の前で髪をとかしながら「鏡の中の私が私を食べに来たら怖いわよ」と言ったことにヒントを得て、『ジョーズ』を始め、当時流行していた動物が人を襲うアメリカのパニック映画と合わせ、家が丸ごと妖怪で、人を食べるというアイデアを思いついた[15][17][18]

この頃、日本映画は大作洋画に押されて振るわず、特に若い観客は日本映画から離れていた[18]。原作がベストセラーか、人気漫画か、大スターが主役でないと映画化はされない、流行の後ばかり映画は追いかけていた[19]。大林自身「日本映画を見て育った人間としてそれじゃ淋しい。CMをそれまで作ってきた長い間に、僕と東洋現像所で開発した色んな技術を全部使って、今までにない日本映画を作ってやろうと思った」という製作の動機を話している。このため、映画のほとんど全シーンに何らかの特殊効果が使われており[7][20]、製作過程ではどんな映像が出来上がっているか判然とせず、製作担当者がやきもきしたといわれる[6]。本作で用いられた特殊効果の技術の大部分は当時の東宝撮影所には無く、光学撮影技師の宮西武史を除いては、CMを手掛けてきた外部スタッフを使った[21]パナビジョンのキャメラを日本で初めて入れたり[注 1]、またコーディネイターという職種を導入したり[21]、今でいうスタイリストが映画に就いたのも本作が最初といわれる[23]

内容は羽臼(ハウス)屋敷を舞台にしたホラー映画。7人の美少女夏休みを屋敷で過ごそうとやってくるが、実はその屋敷は人を喰らう妖怪であり、少女達は1人また1人と屋敷の餌食にされていく。少女が1人食べられるごとに屋敷の女主人は若返り、花嫁衣装を着られる様になる。ただし少女達が食べられる際、大抵はシュールかつチープな特撮技術で処理しており、ダイレクトな流血シーンは少ない。

大林は「作品を自分で売りたい」と、本作の監督と同時にプロデューサーを兼ね、多くのマスメディアに登場して作品を売り込んだ[5][7][24]。また主要出演者の7人は「ハウスガールズ」と呼ばれ、映画の宣伝の為TVや雑誌に登場。それ以外では、南田洋子が今までの経歴からは想像できない様な役柄を演じ、歌手の尾崎紀世彦も三枚目キャラを演じた。更に、当時既にスターだった三浦友和檀ふみは、1分に満たないシーンではあるが、ストーリー上重要な役柄で友情出演している。また、大林監督の家族や小林亜星などの製作スタッフも作品に登場している。

劇中でファンタが井戸から逃げてきた際にメロディーが「泥だらけの純情?」と言うシーンがあるが、これは、当時本作と同時上映されていた山口百恵三浦友和主演の映画タイトルでもある。一方、その『泥だらけの純情』にも、モブシーンでハウスのTシャツを着た若者(エキストラ)が登場する。

他社の映画会社作品のパロディー〔原一平扮する寅さんそっくりの男→『男はつらいよ』(松竹)中盤でラーメンを食べる男がトラック野郎→『トラック野郎』(東映)等〕が含まれたり、少女達のニックネームに商品名(ファンタ、メロディー等)が使用されている事から、2010年代以降の地上波での放送はされていない。

「HOUSE」という横文字の映画タイトルも当時は珍しく画期的であった[15][18][21]

10年後の1987年頃、続編の話が出て脚本段階までいったが、「"HOUSE"は一回限りのイベントだろう」と考えやめたという[25][注 2]

あらすじ[編集]

東京郊外のお嬢様学校に通う快活な現代っ子のオシャレは、ある日突然帰国した父から再婚相手を紹介されショックを受ける。夏休みに父や再婚相手と軽井沢に行きたくない彼女は、所属する演劇部の合宿先に長年会っていなかった“おばちゃま”の家を提案してしまい、後からおばちゃまに訪問したい旨を手紙で伝え、許可をもらう。そして夏休み、オシャレとその仲間達は羽臼屋敷に向かう。7人はおばちゃまに歓迎されるが、その後降り掛かる惨劇の事は予想だにしていなかった――。

舞台[編集]

オシャレ達の通う女子高は東京の郊外にある。少なくともオシャレは通学しており、他のメンバーも通学しているものと考えられる。

一方、羽臼邸は具体的な場所は不明だが、人里離れた山奥にある事だけは確かである。羽臼家はその昔開業医だったが、戦後過疎の為もあって屋敷の周辺は開発から取り残され、事実上交通手段を失ってしまった。

7人の少女達はまず東京駅から特急か快速電車に乗り、次に路線バスに揺られ、森の中を徒歩で屋敷まで向かった。また、涼子は次の日の早朝、車で屋敷に向かった。前者はオシャレが屋敷の場所を知っていた為、後者はオシャレの父親から道順を聞いたらしく、いずれも無事到着できたが、東郷先生は途中道に迷い、結果到着できなかった。

一説によると、羽臼邸は未婚の娘にしか見えないと言う。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

本作の7人の美少女の役名はあだ名であり、それまでの映画にはないユニークなものであった[7][26]。当時、演じる女優の所属事務所から「何とか名前を付けてもらえませんか。キャスティングできません」と言われたと大林は話している[21][26]

本編のヒロイン。幼い頃に母を亡くし、現在は父と父方の祖母との三人家族である。
外見は容姿端麗な典型的お嬢様だが(池上は当時18歳)、実際は金持ち扱いされる事を嫌う、少々甘えん坊だが明朗快活な現代っ子。所属する演劇部では花形女優として活躍している。
ニックネームはファッションやメイクに対して関心が高い事に由来するが、おばちゃまや涼子からも「オシャレちゃん」と呼ばれている事から、本名を流用している可能性が高い。
大好きな父の突然の再婚話に反発しており、新しい母親と軽井沢の別荘には行きたく無い為、部活仲間に夏休みの合宿先を羽臼邸にする事を提案する。
池上は共同プロデューサーの山田順彦からの紹介[27]。無名の新人の中に、少しだけ演技経験のある子を入れようと抜擢された[27]
夢見がちで少々ドジっ子だが、明るく人懐っこい女の子。写真撮影が趣味で、常にカメラを携帯している。
オシャレの一番の親友で、東条先生に好意を持っている。
ニックネームの由来は英語で空想を意味する「ファンタジー (fantasy)」から。同じ語源のドイツ語Fantasieにもとづく清涼飲料水の「ファンタ」も掛け合わされている。
大場はそれまで端役程度の演技経験はあるが、レコードデビュー(映画公開の前月)と合わせてこの時期から本格的な売り出しが始まった新人であり、この年の後半から翌年にかけて一挙にトップアイドルの一人に駆け上った。
メガネが特徴の優等生で委員長タイプ。
少々口うるさいものの、しっかり者で仲間の面倒見も良い。演劇部では、彼女が部長兼脚本担当らしい。
ニックネームの由来は、「ガリ勉」と「ガリ」を掛け合わせたもの。
松原は映画『愛と誠』の主題歌オーディションで合格し歌手としてデビュー。大林が手掛けたTOTOのCM「お魚になったわたし」に起用されたのが縁で抜擢された[28]。松原のみ前年のラジオドラマ版にも出演している。
メンバーの中でも長身で、ニックネームの通り空手の達人。武闘派で正義感が強い一方で、友達思いで明るく気さくな性格の持ち主。
屋敷内でのタンクトップとブルマーと言ういでたちと、その人柄故、当時の男子中高生の間で断トツの人気を誇った。
ニックネームの由来は「クンフー」で、オシャレ同様食べ物に由来しない。
神保は『スター誕生!』出身の実力派アイドル[27]。前年に巨匠今井正監督の大作『妖婆』で準主役をつとめており、池上と並んで演技実績のあるキャスト起用であった。当時お嬢様タイプで売り出していた彼女は、実はオシャレ役をやりたかったようだが、クンフー役を体当たりで演じ、好評を博した。大林がその後神保の主演で映画を企画したが実現しなかった[27]
陽気で天真爛漫な、気のいい女の子。とにかく食いしん坊で、どの場面でも必ず食べ物を手にしている。
制服姿の時は一応髪を二つに結っているが、メンバーの中でも髪が短めで、判別がしやすい。
ニックネームの由来は英語で「胃袋」を意味する「ストマック (stomach)」と、「マクドナルド」の通称から。
ふんわりカールのヘアスタイルに、当時流行だったガーリーなファッションを好む、乙女チックな女の子。
甘ったれでか弱いが、アットホームで大変優しい性格の持ち主。また、綺麗好きで家事は万能。
甘いを意味する「スウィート (sweet)」がニックネームの由来。
宮子は大林が長年構想していた"さびしんぼう"のヒロインに近いイメージを持っていた[19]国鉄のCMで柳川に一緒に行ったとき、いつか映画をやろうと約束していたことが本作の出演につながった[19]。この映画のあと人気も出たが、当人に欲が全くなく『瞳の中の訪問者』出演後、結婚を機に引退した[19]。大林が1998年、講演の為に山形を訪れた際に宮子が和装で大林を訪問し、20年ぶりの再会を喜びあった[29]。当時宮子は某名家に嫁いでおり、義父が長く病床にあるため、「監督がこの街に来てると聞いて、お姑さんに15分だけお許しをもらって会いに来ました」と話したという[29]。結婚して旧い家に食べられてしまった映画を地でいく運命を辿っている[29]
音楽が大好きで、特技はピアノ演奏。
基本的には明るく良い子だが、今で言う所の天然系かつ不思議系キャラで、しばしばスベリギャグを口にする。
ニックネームの由来は音楽を意味する「メロディー (melody)」と、商品名がそれに由来する当時不二家から発売されていたチョコレート[注 3]
田中は大場久美子と同じ事務所で「うちにもうひとり、こういう子がいますから」と紹介され選ばれた[25]。また、テレビ版『愛と誠』でも池上と共演している。設定だけでなく、実際にピアノは得意で、後に出演した映画でもピアノ演奏を披露している。
7人が通う女子高の先生で、演劇部の顧問。予告編では馬に乗り颯爽と登場。明るく優しいがおっちょこちょいなのが玉にキズ。
階段で白い猫を避けようとして足を踏み外して転倒、軽傷だったものの尻がバケツに入ってしまい、病院で診てもらっていた為に出発が遅れてしまう。
その為屋敷までの道順が分らなくなってしまい、7人を追って珍道中をする羽目になる。
職業は音楽家。仕事柄、海外を飛び回る事が多い。
イタリアで意気投合した涼子を連れ突然帰国、家族に再婚する事を報告し、オシャレを困惑させる。結果的にとは言え、事件の元凶となった人物。
役名の名字は「木枯」だが、これは笹沢の代表作「木枯し紋次郎」に由来している。
  • オシャレの母 - 池上季実子(一人二役)
おばちゃまにとっては実の妹に当たる。死因は不明だが若くして亡くなっており、写真(遺影)でだけ登場。オシャレと瓜二つ。
半袖シャツに半パン、麦藁帽子で「裸の大将」を彷彿とさせる格好をしたひょうきんな巨漢。
東郷先生に「スイカよりバナナが好き」と言われてショックを受け、何故かガイコツになってしまう。
なお、小林は本作の音楽も一部担当している。
ベレー帽に芸術家髯で、いかにも芸術家と言ったいでたちの男性。
オシャレの母の結婚式の記念撮影を担当。姉妹だからと言う事で、白無垢姿で幸せまっただ中のオシャレの母と黒っぽい服で寂しげな表情のおばちゃまを一緒に撮影してしまう。
オシャレの父の再婚相手。オシャレの父とはイタリアで出会った。
職業は宝飾デザイナー。そのせいかメイクもファッションも派手で、必ず長いスカーフを巻いている。
陽気で気が良く料理上手だが、世間知らずで超鈍感。それでなくても父の再婚など考えもしていなかったオシャレには快く思われていない。
何とかオシャレに気に入られようと、よせばいいのに後から羽臼家を訪れ、やはり食べられてしまう。
大林が本作以前に本格的にやろうとして脚本まで完成していた檀一雄原作の「花筐」の主人公の叔母役を「あなたでやるよ」と声をかけていたため、代わりにオシャレの母親役として出演した[30]
オシャレの母方の伯母。地元でピアノ講師をしていた。上品な感じの初老の女性で、オシャレ達ハウスガールズがやって来た時は車椅子に乗って出迎えたが、途中から何故か歩ける様になっている。
実は本編より数年前に亡くなっており、屋敷の正体はおばちゃまの体である。
名前は「はうす かれい」と読む。由来は、『ハウス食品』のカレー。
東郷先生が道中で出会った、車寅次郎のそっくりさん。中盤のコメディリリーフの1人。
東郷先生が中盤で出会うギャグメーカーの1人。熊が営んでいるラーメン屋でラーメンをすすっていた。映画「トラック野郎」シリーズのパロディであるらしい。
中盤のコメディリリーフの1人、東郷先生が屋敷への道のりを聞くも、チンプンカンプンな解答ばかりする。
オシャレの父方の祖母。母が亡くなり、父も海外へ行く事が多いオシャレの面倒を見ている。
  • おばちゃまのフィアンセ - 三浦友和 (友情出演)
おばちゃまの最愛の人。医者で羽臼医院の跡取り(婿養子)としても羽臼家から期待されていたが、ある日赤紙が届いてしまう。おばちゃまに戦地から戻ったら結婚すると誓うも戦死。その事実を受け入れられないおばちゃまは、彼を待ち続ける事になる。
彼の軍服姿の写真がおばちゃまの鏡台に置かれているのを、軽い好奇心でおばちゃまの部屋に入ったオシャレが発見する。
三浦は併映作『泥だらけの純情』に主演(山口百恵とのコンビ6作目)しており、翌年には南田・大林と『ふりむけば愛』で組むことになる。
7人が通う高校の先生。近日中にお見合い結婚する事になっている。その為か夏休みの計画を話す生徒達を見て、「いいなあ、夏休み!」と羨ましがる。
大林が本作以前に本格的にやろうとして脚本まで完成していた檀一雄原作の「花筐」が縁で特別出演[30]
出発前の7人の内、先にホームにいたオシャレを除く6人と何故か意気投合する。なお、東京駅前にいた理由は不明。
ゴダイゴは、小林と共に本作の音楽を担当している。

以下ノンクレジット

東郷先生が暮らす下宿先の1階で、靴屋を営んでいる。気だてが良く、東郷先生を始めとする住民達と仲がいい。
おじさんの傍らで仕事を手伝う。
彼女との別れのひと時を、7人に邪魔される。いつまでも彼女に未練を持っていた模様。
彼女が電車に乗る方。彼氏と別れてから結構サバサバしており、明るい表情で花束を持って客室に乗り込んでいった。
派手なアロハシャツを着ており、その隣になぜかシロが座っていた。セリフ等は一切無いが、妙に存在感がある。
  • シロ-アカ
オシャレが飼っている白いペルシャネコ。おばちゃまも同じ種類のネコを飼っている。

撮影時のエピソード[編集]

大林に映画製作の話を持ちかけたのは、東宝映像企画室長の角田健一郎であった[17]。新しい企画を探していて、東宝スタジオでCF撮影を行なっていた大林に目をつけていたという[15][31][32]。大林の持ち込んだ脚本を見た松岡功東宝企画部長(当時)は「こんな無内容な馬鹿馬鹿しいシナリオを初めて見ました。でも私が理解できるいいシナリオはもう誰も観てくれません。だから私には理解不可能なシナリオをそのまま映画にしてくれませんか」と大林にいったと言い[15][17][18]企画としては1975年に東宝の会議を通っていた[32]。東宝は長く映画部門を統括していた藤本真澄プロデューサーが、児玉隆也の映画の製作を中止させられて揉め1975年に退任[33][34][35]。副社長になった松岡功を中心として企画委員会が設立され[35]、その新体制のもとで生まれた企画が『HOUSE』だった[35]

しかし撮影所の助監督を経験していない大林が監督することに、当時の東宝の助監督たちは反対した[31]。CM撮影では東宝撮影所にいつも出入りしていたのに、映画を撮るとなると話は別で、撮影所の入口ですれ違った恩地日出夫に「大林さん、ぼくらの職場を荒らさないで下さいね!」と釘を刺された[36]。それに対し、「我々が映画を作っても、ヒットしない。ここは、外部の人にやらせて、どれだけのものができるかを知ろうではないか」と説得したのが、東宝出身の映画監督である岡本喜八であった[6][21]

1976年6月には準備稿台本が完成し製作についての報道もされたがすぐに製作開始とはならず、宙吊り状態になっていた[32]。大林は映画化されるまでが一つの挑戦と考え[19]。作品を自分で売るという気持ちから、監督と同時にプロデュース権を持ち[5]「『HOUSE』映画化を実験するキャンペーン」と銘打って、CM製作で付き合いのあったテレビやラジオに自身を売り込み、『11PM』など積極的にテレビ出演やインタビューに応じるタレント活動のような事をやった[37][38]。CM関係の代理店や知人に呼びかけて、出演する女の子を推薦してもらってオーディションを行い、200人の中から7人を選んだ[19]池上季実子以外は全員新人で平均年齢は18歳だった[19]。当時一番売れていた週刊少年マガジンに売り込み、グラビアにレオタード姿の7人を掲載し"ハウスガールズ"と名づけ売り出した[4][19]。水着姿の7人を登場させ大磯ロングビーチキャンペーンを行ったり[15]『HOUSE』のイラスト入りの大きな名刺を作り、会う人ごとに渡した[32]。しかし映画製作はなかなか進まず、プロモーションに2年を要した[15]ニッポン放送オールナイトニッポン」枠で生放送されたラジオドラマ『オールナイトニッポン特別番組 ラジオドラマ ハウス』は、映画製作が進めてもらえないため、映画製作より先に『HOUSE』ブームを起こしてやろうと大林が仕掛けたものだった[32]。大林自身「『HOUSE』での仕事は八割がプロデューサーとしてのもので監督としての仕事は全体の二割くらいだった」と述べている[32]。先の『HOUSE』のイラスト入り名刺を見た角川春樹は「こういうことをしている監督がいるのか」と興味を持ったと話している[32]。既存の映画界とは別のところで仕事をしていた大林と角川は、ほぼ同時期にそれぞれの方法で「メディアミックス」を仕掛けていた[7][32]東宝富山省吾は、当時宣伝部の一番の若手であったが、富山から「あれはつまり、一人クロスメディアでしたねぇ」と言われたという[21]。ラジオドラマがオールナイトであるにも関わらず、高い聴取率を挙げ、三大新聞がこの評判を報道したことが最終的に映画の製作開始へ至る[31][32][39]。当初は『東宝チャンピオンまつり』の一本として公開することも検討されていた[31]

初期の大林作品らしく、登場人物が脱ぐシーンが多い。主演の池上季実子が入浴シーンでヌードになった他、ラスト近くでファンタを襲うシーンでもセミヌードになった。ガリ役の松原愛も水中ヌードを披露した。

池上は「従来の役柄のイメージを払拭したい」と言う意向から脱ぐ事を快諾、その結果、実力派女優への脱皮に成功している。また、「火が噴く程恥ずかしかったけど、他の皆さんが頑張っていたので自分も一発奮起した」と語る松原は脱ぐだけでなく潜水の必要があった為、都内のプールで2日間猛特訓を受けた。更に湯気が出るのを防ぐ為、水温10℃の中での撮影だったが、適温のお湯の入ったドラム缶で暖を取りながら撮影に臨んだ。その甲斐あって、水中シーンはどれもほぼ一発でOKが出ている。

南田洋子は大林とはカルピスモノクロCMを作っていた時代からの付き合いで、当時まだ40代半ばであったが老婆役で出演した[36]。「日活の女優魂をお見せします」と、若い池上がヌードシーンにたじろいでいると「着物はさっとこう脱げばいいのよ」と自らも初ヌードを披露した[36]

池上はデビュー4年目での初主演映画。当時は演出家と役柄の確認をしながら芝居をしていた。演じる役柄の気持ちになり切らないとうまく芝居はできないという自身の演技法であったのだが、大林の極めて独特の演出法に戸惑った。「笑って」という指示に「嬉しそうに笑えばいいんですか? それとも面白そうに笑えばいいんですか? それによって笑い方も違ってくると思います」と聞き返すと、「いいから、とにかく笑ってください。笑ってくれさえすれば、こちらで判断します」と言われ、いろんな笑いの表情、パターンを撮られ、消化不良の連続。池上は、女優デビュー40周年を回顧しても「この映画ほど悩んだり、葛藤した作品はなかった」と述べている。また「自分では納得できる芝居ではなかったが、この映画の評価が年を追うごとに上がっていったことで、振り返ってみると、時代感覚を先取りした大林監督のデビュー作に主演できたことはいい思い出になっている」と話している[40]

大場久美子は当時、映画と同じ名前で協賛していたハウスのCMに出ていたが、アイドルとして歌手デビューする直前でまだ無名だった[25][41]。ラジオ版の岡田奈々の代役として大役をつかんだ[25]。映画も1976年の『遺書 白い少女』(桜田淳子主演)の小さな役で映画デビューしていたが、ちゃんと演技をする役は本作が初めてだった[41]。アイドルのため一切脱がなかったが、その分泥まみれになったり、水浸しになったりとイメージを壊さない範囲内で相当ハードなシーンをこなした。水のシーンは東宝の汚いプールに入り浮かべた畳にしがみつき、寒い上に本物の家具をバンバン投げ込まれ、演技じゃなくギャーギャーと本当に泣いた。撮影終了後すぐ東宝の風呂に池上と一緒に飛び込んだ。二ヶ月くらい撮影にかかり最後は疲労で熱が出たという[41]。「映画をやったな、という充実感を感じるのは今でもこの映画ぐらいしかない。大林監督がこの後、色んな女優の映画を撮るので、どんなふうに女優を撮っているのか気になって、ジェラシーさえ感じた」などと話している[41]

また、マック役の佐藤美恵子は、生首の模型を作る為の型取りで苦労した。呼吸だけはできる様にしてあったものの、頭部に石膏を流し込まれ、2時間そのまま保持しなければならなかった。その後、型にゴムが流し込まれ、完成した。

大林とともに特撮を担当したのは後に『ALWAYS 三丁目の夕日』などを手掛ける島村達雄である[42][43]

打ち上げパーティで助監督だった小栗康平桂千穂に「こういう映画は日本映画を30年遅らせる」と喰ってかかった[44]。「他の映画に較べるとまだマシな方だが」との言葉もあったため、桂は気分を害さなかった[44]。撮影中、ある女優がいい芝居をして小栗はそれを使いたかったが、大林が「僕の生理に必要ない」とチョンチョンと切った[44]。小栗はラッシュを見ながら「俺が監督になったら..」と悔しい思いをしていたという[44]。『HOUSE ハウス』が公開された1977年は、日本映画が斜陽した時期で[45][46]、この年の新人監督の登用は、ピンク映画以外では大林ただ一人だった[45][46]

既存の日本映画から大きく飛躍した異色映画の登場は若い観客を中心に好意的に迎えられたが、批評家の評価はさほど高くなく、目立った映画賞は受賞していない。ただ、直後のキネマ旬報は森卓也の、上滑りな部分、しつこすぎる描写を具体的に指摘しつつ全体を高く評価する一文、さらには自主映画時代から大林と親しい佐藤重臣の「時間が停止してしまった少女の匂いが、ジャスミンのように鼻を刺激する」など感覚面に切り込んだ一文を並べ、いわば理と情の両面から立体的に論じ、後年の作品にまで通底する先見を示した。

30年後の全米公開[編集]

2009年春、本作は初めて北米巡回興行を開始。興行形態は、一般映画の様に単館、もしくは数千館一斉同時公開という形ではなく、1ヶ所づつ、毎週末、違う都市で巡回興行して行く。既に追加興行を含む100都市以上が公開予定にリストアップされている。北米での配給は1950年代からニューヨークに本拠を置く老舗配給会社のJanus Filmsが行っている。アメリカの会社でありながら、扱うタイトルは主に欧州作品で、黒澤明小津安二郎大島渚作品等、数多くの日本映画、クラシック作品の配給を手がけている。日本公開から30年以上経っての全米公開は異例で、数年前にある中国系アメリカ人のファンが本作をネット上で発見し、Janus Filmsに配給を促したとされる[6]。開始から1年経った2010年春も全米公開は続いている[47]。同作は既に2009年、英国でDVDリリースされ、北米ではJanus Filmsの系列会社クライテリオン・コレクション社が2010年10月26日にリリース。日本では指摘されたことはないが、アメリカに行くといつも最初に「あのおもちゃみたいな、ゴム風船みたいな原子爆弾はどういう意図で描かれましたか?」と質問されるという[48]

ウディネ・ファーイースト映画祭[編集]

2016年4月、北イタリアウーディネで第18回ウーディネ極東映画祭ゴジラ』以外の日本のSF映画にスポットを当てた特集上映「BEYOND GODZILLA: ALTERNATIVE FUTURES AND FANTASIES IN JAPANESE CINEMA」(「ゴジラを超えて: 日本映画におけるオルタナティブとファンタジー」)が開催された[9][49][50]。特集では『ゴジラ』以外の本多猪四郎監督作品と、本作『HOUSE ハウス』を含む大林の初期作品を中心にした10作が上映された[49]。大林作品が欧州で大々的に取り上げられるのは初めてとなる[9]

サウンド・トラック[編集]

HOUSE
ゴダイゴサウンドトラック
リリース
ジャンル ロック
レーベル 日本コロムビア
ゴダイゴ 年表
新創世紀
1976年
HOUSE
(1977年)
DEAD END
1977年
HOUSE収録のシングル
  1. ハウスのふたり〜ハウス・愛のテーマ〜
    リリース: 1977年6月1日
  2. 君は恋のチェリー
    リリース: 1977年9月1日
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1977年6月25日に同映画のサウンドトラックが、ゴダイゴのアルバムとしてリリースされた(品番:YX-7177 )。ただし、オリジナル・アルバムとしてはカウントされない。シングル・カットとして、同年6月1日には『LOVE THEME(ハウスのふたりーハウス愛のテーマ)/MAIN THEME(ハウスーハウスのテーマ)(品番:YK-87)』が、9月1日には『CHERRIES WERE MADE FOR EATING(君は恋のチェリー)/YES, I THANK YOU(イエス・アイ・サンキュー)(品番:YK-91)』がリリースされた。なお、『YES, I THANK YOU』は、前記のシングルのみの収録曲(当時)。

収録曲[編集]

  1. MAIN THEME(ハウスーハウスのテーマ)
  2. BUGGY BOOGIE(バギー・ブギー)
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  3. HUNGRY HOUSE BLUES(ハングリー・ハウス・ブルース)
  4. EAT(イート)
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  5. SWEET DREAMS OF DAYS GONE BY(いつか見た夢ーハウスのテーマより)
    • 作曲:小林亜星、編曲:ミッキー吉野
  6. A LETTER IN THE PAST(昨日来た手紙ーハウスのテーマより)
    • 作曲:小林亜星、編曲:ミッキー吉野
  7. CHERRIES WERE MADE FOR EATING(君は恋のチェリー)
  8. EAT EAT(イート・イート)
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  9. IN THE EVENING MIST(夜霧は銀の靴ーハウスのテーマより)
    • 作曲:小林亜星、編曲:ミッキー吉野
  10. ORIENTAL MELON MAN(西瓜売りのバナナ)
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  11. EAT EAT EAT(イート・イート・イート)
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  12. LOVE THEME(ハウスのふたりーハウス愛のテーマ

当時はまだ無名だったゴダイゴ起用の経緯はCM時代の古くから付き合いのあった小林亜星から、「早く映画を作ってよ、僕が音楽やるから」と言われていたため、小林に音楽を依頼したら、「遅過ぎたよ、もう若い音楽は書けない。曲は作るけどアレンジや演奏は彼らにやってもらおう」とゴダイゴを紹介された[23]。東宝から映画化決定の報を受け、レコード会社が映画製作の前にレコードを製作した[23]。映画より先にレコードが出来たのは日本映画でおそらく初めてといわれる[23]。ゴダイゴの曲をかけながら撮影した[23]

ラジオドラマ[編集]

映画本編公開に先駆け、1976年11月27日ニッポン放送の「オールナイトニッポン」において、4時間生放送のドラマとして『オールナイトニッポン特別番組 ラジオドラマ ハウス』が放送された[6]。大林宣彦と上野修の共同演出、主な出演は岡田奈々林寛子木之内みどり松本ちえこ三木聖子秋野暢子松原愛(彼女は映画本編にも出演)。ナレーションは若山弦蔵が務めた。総合司会は堺正章、テーマ音楽は小林亜星、演奏はゴダイゴ、その他に放送当時の番組ナレーションでは音楽 成毛滋つのだ☆ひろ、と紹介された。このラジオドラマが映画化への直接の引き金になった[25][39]

スタッフ[編集]

[51]

ストーリー[編集]

話の内容は、映画版とは若干異なっている。 ある日、東郷と名乗る新人教師が、実地学習の一環として田舎のクロガミ邸へ七人の少女を誘い出す。 その家には、戦争で弟のクロガミゴウスケ中尉を亡くした老女が住んでおり、弟の死に関係している七人の男たちの血縁である少女達を殺していく。 ところがクロガミ中尉の死は誰のせいでもなく、たった一人の肉親であった老女が彼の死を美化した結果の惨劇(逆恨み)という、非常に後味の悪い話として終わる。[52]

キャスト[編集]

最後の犠牲者。絵の中に閉じ込められた。
一人目の犠牲者。階段下の鹿のはく製に噛み砕かれる。
四人目の犠牲者。廃水処理の穴に突き落とされ、大量の土をかぶせられた。
二人目の犠牲者。大時計の歯車に挟まれる。
  • マック- 松原愛
三人目の犠牲者。つるべに捕まり隠れていたが、井戸の中に沈められる。
六人目の犠牲者。ピアノに噛み砕かれる。
五人目の犠牲者。鏡の中の虚像に噛み砕かれた。
  • クロガミゴウスケ中尉-
戦死した日本軍の中尉。美系だが粗野な男だった。
唯一の肉親であった弟の仇を取る為に、七人を殺していく老女。
  • 執事-
老女の忠実な僕で、七人を殺す手伝いをする。
  • 東郷先生-
オシャレ達が通う学校の新しい先生。実は老女の手先。中尉の分身。
  • 謎の男-
バスの運転手。中尉の分身。
惨劇の最後、老女に『真実』を問いかける。

漫画[編集]

映像ソフト[編集]

  • 1997年7月1日にレーザーディスクが東宝ビデオより発売された[53]
  • 2001年9月21日にDVDが東宝より発売された[54]
  • 2010年10月26日に、Criterion CollectionよりBlu-rayが発売された。
  • 2011年12月6日にDVDつき冊子「隔週刊 東宝特撮映画DVDコレクション(58)[HOUSE ハウス]」がディアゴスティーニより発売された。
  • 2015年2月18日に、「東宝DVD名作セレクション」としてDVDが東宝より発売された。

注釈[編集]

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  1. ^ それまではシネスコのパナビジョンであったが、本作で初めてスタンダードのパナビジョンのキャメラを日本に入れた。カメラ自体は高いが、レンズの性能がいいので、照明が約半分ですむ。少ない人数で映画を撮る、ローバジェット用の映画を撮るのに便利なキャメラ。技術者がアメリカのパナビジョン社に行って使い方の訓練を一週間受けなくてはならないが、大林らはブロンソンのCMで既に経験済みだった。そのキャメラはそのまま東宝で市川崑が使った[22]
  2. ^ 外部リンクの内、ファンサイト内のコレクションで確認できる。
  3. ^ 他に雪印からも同名のアイスクリームが発売されていた。

出典[編集]

  1. ^ #30年史P81、185
  2. ^ 昭和40年男 (6月号 2016年). “洋画で知ったホラー映画の世界 ふしぎ伝説編”. クレタパブリッシング 37巻: 59頁. 
  3. ^ 「このアイドル映画がすごい!」『EX大衆』2016年8月号、双葉社、2016年7月15日、月刊版、85頁。
  4. ^ a b 嶋田一 (2016年1月26日). “アイドルとJホラーの“密接な関係”はどう変化してきた? 70年代〜10年代の潮流を考察”. realsound. 2016年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月4日閲覧。
  5. ^ a b c 「特別対談 大林宣彦×大森一樹」『キネマ旬報』1979年2月下旬号、P245-253、『キネマ旬報』2010年5月上旬号、キネマ旬報社。P76-81
  6. ^ a b c d e f 作品詳細「HOUSE(ハウス)」|日本映画写真のキネマ写真館
  7. ^ a b c d e f 『HOUSE/ハウス』化け猫怪談で70年代美少女POP! - 映画宝庫V3
  8. ^ #ぴあ536頁
  9. ^ a b c d 大林宣彦監督、伊映画祭で熱弁「映画は素晴らしい学校」(1/2)
  10. ^ a b #監督全集71-73頁
  11. ^ 快楽亭ブラックの黒色映画図鑑「HOUSE ハウス」井口昇インタビュー - HogaHolicTwitter / a_i_jp: 17歳で『HOUSE』を観て以来の大林世代です北見隆さん(イラストレーター)「HOUSE」 - 朝日マリオン・コム
  12. ^ #ワンダーランドP104-105
  13. ^ キネマ旬報社編『知っておきたい映画監督100・日本映画編』キネマ旬報社、2009年、P183、186-187
  14. ^ #ワンダーランドP105-106
  15. ^ a b c d e f g h 大林 宣彦さん 映画作家 | 「介護110番」総合案内
  16. ^ 渡辺支配人のおしゃべりシネマ館大林宣彦監督「時をかける少女」BSコラム:NHK | 映画 | 渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「大林宣彦監督の"転校生"」(by 渡辺俊雄)大林宣彦(映画作家) - BS日テレ転校生@ぴあ映画生活 - ぴあ映画生活 - チケットぴあ
  17. ^ a b c d くらしと保険 WEB.03 私の元素 大林宣彦さん
  18. ^ a b c d 関口宏の人生の詩(BS-TBS、2014年9月24日放送)
  19. ^ a b c d e f g h #この指、22-23頁
  20. ^ 宝島」1986年9月号(宝島社)P113
  21. ^ a b c d e f 『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本 ジョン・ウェインも、阪東妻三郎も、… 1980-2008 a movie』 角川グループパブリッシング2008年、449-452頁。ISBN 978-4-04-621169-9
  22. ^ #ワンダーランドP110-112
  23. ^ a b c d e #ワンダーランドP107-108
  24. ^ 田山力哉『新しい映画づくりの旗手たち』ダヴィッド社、1980年、P198-213
  25. ^ a b c d e #この指、24頁
  26. ^ a b 人間環境学部TOPICS - 関東学院大学 人間環境学部 大林監督へのインタビュー記事(PDFファイル)
  27. ^ a b c d #この指、26-27頁
  28. ^ 「活躍するOB・OGたち」一覧 松原愛|日本大学校友会 神奈川県支部
  29. ^ a b c #ワールドP110
  30. ^ a b #この指、28-29頁
  31. ^ a b c d 『東宝特撮映画大全集』 ヴィレッジブックス2012年、192 - 195頁。ISBN 9784864910132 
  32. ^ a b c d e f g h i #中川P52-53、75、92
  33. ^ サンデー毎日1979年5月20日、p205
  34. ^ 春日太一『仁義なき日本沈没 東宝vs.東映の戦後サバイバル』新潮社、p245-247
  35. ^ a b c #中川P20
  36. ^ a b c 『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本 ジョン・ウェインも、阪東妻三郎も、… 1980-2008 a movie』 角川グループパブリッシング2008年、170-172頁。ISBN 978-4-04-621169-9
  37. ^ #読本、36頁
  38. ^ 佐藤忠男山根貞男編集『シネアルバム 日本映画1978 1977年公開映画全集』芳賀書店、1978年、p138
  39. ^ a b #ワンダーランドP101
  40. ^ 東京スポーツ連載-女優デビュー40周年回顧録「池上季実子 あら?もう40年?!」連載⑬、2013年1月30日
  41. ^ a b c d #ワールドP20-21
  42. ^ #体験的仕事論P212
  43. ^ 映画『GAMBA ガンバと仲間たち』製作総指揮 島村達雄さんアニメーションと実写の境界線が消える?: イメージフォーラム
  44. ^ a b c d 「〈特別座談会〉'81年の若手監督は明日の日本映画を支えられるのか 田山力哉×大林宣彦×桂千穂×岡田裕」、『キネマ旬報』1983年2月下旬号、 243-249頁。
  45. ^ a b 寺脇研『映画に恋して 年鑑1989年日本映画全評』弘文出版、1980年、P5-253
  46. ^ a b 「〈日本映画〉若手作家の台頭と娯楽映画復活のきざし」、『キネマ旬報』1983年2月下旬号、 98頁。
  47. ^ Movie Review | 'House' - The New York Times国連フォーラム:UN FORUM:国際仕事人に聞く第11回 小林立明さん
  48. ^ #体験的仕事論P160-162
  49. ^ a b 原点は『ゴジラ』!伊映画祭で日本のSF映画特集が好評(1/2)
  50. ^ ウーディネ・ファーイースト映画祭ラインナップ発表!日本からは11本。その他、日本のSF映画の原点として本多猪四郎、大林宣彦作品などを特集上映!
  51. ^ 三笠書房 小説版HOUSE 232P HOUSEスタッフ表より
  52. ^ http://ameblo.jp/1209ok/entry-11587589828.html
  53. ^ 『宇宙船YEAR BOOK 1998』 朝日ソノラマ宇宙船別冊〉、1998年4月10日、62頁。雑誌コード:01844-04。
  54. ^ 「綴込特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2002」、『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ2002年5月1日、 170頁、 雑誌コード:01843-05。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]