モスラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モスラ
MOTHRA[出典 1]
Mothra 1961 poster.jpg
監督
脚本 関沢新一
原作
製作 田中友幸
出演者
音楽 古関裕而
撮影
編集 平一二
製作会社 東宝[出典 2][注釈 1]
配給 東宝[4][5][注釈 1]
公開 日本の旗 1961年7月30日[出典 3]
上映時間 101分[出典 4]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
次作 モスラ対ゴジラ
テンプレートを表示

モスラ』は、1961年昭和36年)7月30日に公開された、東宝製作の怪獣映画[7][9]。およびそれに登場する架空の怪獣の名前。日本初の「東宝スコープ」(ワイド・スクリーン)の怪獣映画である[1]。多元磁気立体音響[12]。同時上映は『アワモリ君売出す[出典 5]

概要[編集]

東宝がゴジララドンに続く怪獣キャラクターとして注力した、構想3年、製作費2億円(当時)、製作延日数200日をかけた大作特撮映画[13][11]。本作で初めて登場した怪獣モスラは、その後も多くの作品で活躍し、先出の2怪獣と並び“東宝三大怪獣”と称される。

モスラは、従来の怪獣と異なり最初から正義の味方に近い存在として描かれており、小美人の存在もあわせ女性的なイメージが取り入れられている[14]。当時の宣材パンフレットには、フェミニズム先住民問題がテーマとして掲げられている[15]。また、東宝特撮では初めて人間の悪人が登場する[14][1]。物語の結末も怪獣を倒さずに大団円を迎えるなど、特撮映画がファミリームービー化する転換点となった作品とされる[16]

安保闘争の翌年の作品で、当初は世界同時公開が予定されていたこともあり[注釈 2]、ロリシカ[注釈 3]として描かれた米国との関係や、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復したはずであるにもかかわらず、外国人の犯罪捜査や出入国管理が相変わらず在日米軍主導で行なわれていること、モスラがわざわざ横田基地を通ることなど、当時の日本の政治状況を反映した描写が目立つ。

公開時、東宝撮影所の食堂には、ロールパンをモスラの幼虫、ゆで卵をモスラの卵に見立てた洋食の「モスラランチ」が登場し、本編監督の本多猪四郎と特技監督の円谷英二がこれを試食する写真が撮影されるなど、話題となっている[21][11]。また、バヤリースが企業タイアップしている。

東宝プロデューサーの田中友幸は、本作品のヒットをきっかけに「ゴジラ」を復活させようという意見が東宝社内で挙がり、『キングコング対ゴジラ』の製作へ繋がっていったと語っている[22]。また、本作品の舞台であるインファント島を皮切りに、1960年代の東宝特撮では南海の孤島が登場する作品が多くなった[14]

ストーリー[編集]

台風により日本の貨物船第二玄洋丸が座礁沈没。ロリシカ国の水爆実験場であるインファント島に漂着した乗組員が救助されたが、不思議なことに放射能障害が見られなかった。スクープ取材のため、乗組員たちが収容された病院に潜入した日東新聞記者の福田善一郎は、カメラマンである花村ミチと共に、原田博士に注意されながらも、原水爆実験場であるはずのインファント島原住民がいることを知る。

当初、ロリシカ国は原住民の存在自体を否定したが、急遽日ロ合同調査隊の派遣を決定。福田は調査団員の言語学者中條信一ちゅうじょう しんいちと知り合う。インファント島調査隊の見送りが盛大に行われる中、福田は調査団の船に無断侵入。辛うじて臨時の警備員として記者活動を行わないことを条件に参加を認められるが、ロリシカ国側事務局長クラーク・ネルソンは、参加する科学者たちの収集資料のすべての提出を求めたりと科学調査隊としては極めて不審な行動をとる人物だった。

インファント島に上陸した調査隊の前に現れたのは、放射能汚染された島の中心部に広がる緑の森だった。奇妙な植物群の中に謎の石碑を発見し、記録をとった中條は巨大な吸血植物に絡め捕られるが、その窮地を小美人という双子の妖精に助けられる。ネルソンは小美人たちを「資料」として捕らえたが、彼らを守りインファント島で平和に暮らす原住民の存在を知った調査隊は小美人たちを解放。誰が言うとなく緘口令を敷き、帰国した調査隊は誰一人島の秘密を語ることなく解散する。

その後、中條の自宅を訪れた福田はネルソンを話題にする。ロリシカ側代表のラーフ博士の手紙によると、インファント島調査隊はネルソンが運動し、資金を提供したものだった。もしかすると、国際古美術ブローカーではあるまいか、と福田が疑念を口にする。一方、中條は島で発見した石碑の碑文の解読を見せる。「モスラ…」その語が意味するものは、謎のままだ。その頃、ネルソンは直属の部下を率いて、インファント島を再訪していた。彼の目的は、小美人そのものだった。特徴的なサイレンの音に姿を現した小美人たちをそのまま誘拐し、小美人たちを助けようとした原住民に容赦なく発砲。石を鳴らして相手を威嚇するしか術のない彼らは次々に倒れていくが、ネルソンたちが去った後で洞窟に崩れ落ちた老人が祈るように「モスラ…」とつぶやく。その祈りに応えるかのように、洞窟の奥が崩れ落ち、虹色の巨大な卵が出現した。

天野貞勝編集長により、東京で評判になっていた「妖精ショー」の主催者があのネルソンであることを知らされた福田や中條、花村らは、ネルソンによって小美人たちが囚われの身となったことを知り、抗議に赴く。観客として「妖精ショー」を見た彼らは、意味は分からないが印象的な小美人たちの歌声の中の「モスラ」という言葉に魅かれる。小美人たちの歌声は単なる歌ではなく、インファント島の守護神モスラの再生=誕生を促す祈りが込められていた。同日同刻、はるか異国の小美人たちの歌声にシンクロして、インファント島でも原住民たちの儀式が最高潮に達しようとしていた。そして、虹色の卵を破り、モスラが孵化する。

やがて、インファント島から東京に向かう洋上に姿を現したモスラは超巨大な芋虫状の怪物だった。防衛隊の洋上爆撃のナパーム弾で炎上した海にモスラは姿を消す。勝利を確信して、祝杯すら挙げていたネルソンに、福田は憤り、原田博士は「死骸が確認されたわけじゃない」と皮肉を言うが、その時、東京近郊の第三ダム(劇中の地図に奥多摩湖と表記されている)[23]に異変が発生したとの知らせが入る。第三ダムの湖面は何か巨大な力で荒れ狂っていた。駆けつけた福田たちが見たものはまさしく、モスラだった。大水で崩落しそうになっている橋に取り残された赤子を間一髪、福田は救い出すが、ダムを崩壊させた後、再びモスラは姿を消す。ダム決壊は下流に甚大な被害をもたらし、マスコミのネルソンに対する批判は強まるが、ネルソンは一切無関係だと主張を続ける。

その後、今度はモスラは横田基地から青梅街道を東京に向かって進撃しているという一報が入る。全長100メートルを超える巨大な重戦車そのもののモスラに対し、特車隊と戦闘機が応戦するが、とても制止できるものではない。ここに到って、ついにロリシカ国大使館はネルソンから小美人たちを奪回することに同意する。折しもネルソンの非道に憤っていた中條の弟・信次がネルソンの楽屋に忍び込むが、間一髪ネルソン一行は、大使館職員を装って航空機で日本を脱出し、ロリシカ本国へと向かっていた。原田博士からネルソンに提供されていた、脳波遮断ガラスのケースで完全に小美人たちの居場所を見失ったモスラは渋谷を破壊し、防衛隊の攻撃をものともせずに暴走を続けた末、東京タワーをへし折り、そこで糸を吐き出して巨大なを作り始める。もはや、事態は福田や中條の憂慮すら超えていた。

翌朝、ロリシカ国からの軍事援助で防衛隊に原子熱線砲が供与された。午前10時をもって、モスラの繭に熱線攻撃が仕掛けられる。関係者全員に配られたサングラスなしには眼を痛めるほどの巨大な炎が上がり、瞬時にモスラの繭は灰となったかのように焼き尽くされる。同時刻、モスラの繭に対する原子熱線砲攻撃の模様は、ロリシカ本国にも中継で放送されていた。自身の所有する農場のラジオでニュースを耳にしたネルソンたちは、狂喜のあまり小美人たちの脳波遮断ケースを開けてしまう。その時、黒焦げになった繭を突き破り、羽化した成体モスラが姿を現した。遠く離れた小美人たちの所在を感知し、活動を再開したのだ。原子熱線砲の攻撃は、繭の表面を焼きこそしたものの内部のモスラのダメージとならず、むしろ羽化を促進してしまっていた。やがて、モスラは巨大な羽で台風以上の突風を巻き起こすと、ロリシカ国の方角へ飛び去っていく。それを見た福田や中條は、ネルソンがロリシカに逃亡したと確信を得る。

数時間後、福田・中條・ミチはロリシカ国に向かう航空機の機上にあった。中條が「小美人と話が出来る友人」としての招聘だと説明する。モスラは小美人たちを捜し求めているだけだ。ネルソンから小美人を救出してモスラに返さない限り、大国ロリシカといえども大被害に見舞われるだろう。モスラの接近にロリシカ国内の世論はネルソンへの批難が強まっていく。それでもなお逃走を図っていたネルソンだが、「小美人を返せ」と罵声を浴びせかけるニューカーク・シティの群衆たちに銃を向け、警官隊との銃撃戦の末に最期を迎える。治安当局の手によって小美人たちは保護されたが、モスラはなおもニューカーク・シティに大きな被害を与え続ける。一方、福田たちは、ロリシカの教会の鐘の音に聞き覚えのあるメロディーが含まれていることに気がつく。

登場キャラクター[編集]

インファント島民[編集]

太平洋某所に浮かぶ、ジャングルにおおわれた絶海の孤島に住む。無人島であると判断され、ロリシカ国の水爆実験場として用いられたが、彼らは島に生息する巨大な胞子植物から「赤い汁」を採り、これを飲んで体表に塗ることで、放射能に対する免疫を保っている。中條によってアトランティスとの関連が語られており、島の奥に古代遺跡の神殿祭壇(モアイ像が配置されている)がある。島民は巨大な「モスラ」を守護神としてあがめ、踊りを奉納している。武器を持たない平和主義文化を持ち、侵入者には石を叩き合わせて警告する。

  • 舞踏シーンは日劇ダンシングチームが担当した[24]。本多猪四郎は、島民の男女ペアが互いを引き合い踊るシーンに、「子孫繁栄=生殖」の意味を持たせていると述べている。この踊りが最高潮に盛り上がった最初の群舞シーンの終盤では、主役の男性ダンサーのかつらが取れるハプニングが起こり、これはNGとなるはずだったがそうならず[注釈 4]、本編にはかつらを拾う仕草まで収録されている[24]。同様のハプニングは、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』のインファント島民が逃げるシーンにも見られる。
  • 島民役の俳優は全身黒塗りであったため、撮影後は成城学園前駅前の銭湯を貸し切りにして体を洗ったという[25]

小美人[編集]

モスラ[編集]

吸血植物[編集]

諸元
吸血植物[出典 7]
Vampire Plant[28]
身長 不明[11]
全長 不詳[27]
体重 不明[11]
出身地 インファント島[27]
出現地 インファント島[11]

インファント島のジャングルに生息する、人間に絡みついて吸血する植物[26][27]。核爆発のショックにより細胞が変化したとされる[27]

  • モデルは食虫植物[8]
  • 脚本第1稿では、吸血植物登場の伏線として第二玄洋丸の救助のためインファント島に上陸した捜索隊員の足につるが絡みつこうとする描写が存在した[19]

登場兵器・メカニック[編集]

架空[編集]

原子熱線砲
ロリシカ国が東京タワーに作られたモスラの繭を焼くために日本に貸与する超兵器[29][27]。パラボラ型の旋回砲塔を搭載した32輪の装置車と[29]、ボンネットタイプの6輪牽引車で構成される。原子力をエネルギー源として、パラボラ型放射機から熱線を発射する。2基が日本に空輸されて防衛隊に緊急供与され、モスラの繭に対して攻撃を行って繭を黒焦げにしたが、モスラを倒すことには失敗し、逆にモスラの羽化を促進させてしまった。
対空機関砲[要出典]
ニューカークシティに配備された対空砲。高層ビルの屋上や岸辺の公園からモスラを迎え撃つ。[要出典]
用いられたミニチュアは、戦争映画で使われていた九六式二十五粍高角機銃のミニチュアを流用。発射音も戦争映画で使われていた機銃の発射音の流用である。[要出典]
ミサイル戦車
無反動砲搭載ジープ[30]
荷台に無反動砲を搭載した防衛隊のジープ。発砲の際は車体の後ろ側を敵に向け、無反動砲を後ろ向きにしてから砲弾を小銃擲弾のように砲口の先端に装着し、照準を合わせて発射する。作中では4両1組で行動しており、東京タワーを登るモスラを攻撃する。[要出典]
搭載する無反動砲は、実在する60式106mm無反動砲75mm無反動砲 M20に似ているが、砲身の長さや砲口の大きさなどの相違点がある映画オリジナルのプロップである。[要出典]
また、本作の翌年に公開された『キングコング対ゴジラ』にも同様の車両が登場しており、こちらではキングコングを眠らせるため、彼が住んでいたファロ島産の果実を基にして作られた麻酔弾を発射している。[要出典]
  • ミニチュアの乗員は人形で表現している[30]
ライン作業車[31]
ニューカークシティの飛行場でインファント島の紋章を描くのに使用された特殊車両。
  • デザインは、入江がロケハンで訪れた横田基地で目撃した特殊車両がモデルとなっている[30]
  • 造型は郡司模型が担当[31]。ミニチュアはアップ用の大サイズ1台と小サイズ4台が用意された[31]。図面やデザイン画はなく、ロケハン時の写真をもとに制作された[31]

実在[編集]

防衛隊[編集]

海上保安庁[編集]

民間[編集]

キャスト[編集]

参照[4][47][6][48]

ノンクレジット(キャスト)[編集]

スタッフ[編集]

参照[4][7][6][48]

ノンクレジット(スタッフ)[編集]

作品解説[編集]

ゴジラ』(1954年)のヒット以後、東宝では『ゴジラの逆襲』(1955年)、『空の大怪獣 ラドン』(1956年)、『地球防衛軍』(1957年)と年1作ペースで怪獣映画を制作していたが、『大怪獣バラン』(1958年)を最後に本格的な怪獣映画は一旦途絶え、東宝特撮は『日本誕生』(1959年)、『宇宙大戦争』(1959年)、『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960年)などのスペクタクル大作へと移行していた[16]。しかし、その間も怪獣映画の海外セールスは好調であったため、世界配給による新作怪獣映画として本作品が制作されることとなった[16]

プロデューサーの田中友幸によると、本作品の企画原案は、制作の半年ほど前に森岩雄から「怪獣が暴れまわる映画も結構だけど、女性も観られる怪獣映画というのはどうだろう。すごく可愛らしい美人を出すんだよ」と持ちかけられたのがきっかけという[22]。ここから「小美人」の設定が生まれ、田中は文芸員だった椎野英之のつてで中村真一郎を紹介され、中村と福永武彦堀田善衛の三者に原作を依頼[22][15]。こうして公開に先駆けて『週刊朝日』で「発光妖精とモスラ」が掲載された[22]。田中は本作を『ゴジラ』、『空の大怪獣ラドン』と並んで「出来のいい怪獣映画」と自負している[22]

当初、モスラが国会議事堂に繭を作り、その周りをデモ隊(安保闘争のニュース映像を利用)が囲むという展開が考えられたが、田中友幸の「独立プロみたいだ」の一言で不採用になったという[71]。国会議事堂に繭を作るという構想は、1992年に公開された『ゴジラvsモスラ』で映像化されている。

原作小説にはモスラが過去に出現したゴジラよりも巨大であるという台詞が存在していたほか、準備稿にもシチュエーションこそ異なるものの同様の台詞が存在していたなど、『ゴジラ』が前史にあることが示唆されていたが、最終的にはカットされている[注釈 23]

本作はアメリカのコロンビア ピクチャーズとの提携により、全世界同時公開として宣伝された[48]。初稿の脚本ではモスラは「ニュー・ワゴンシティ」を襲う予定で[17]契約書が交わされた。ただし、後述するように東宝サイドでラストを変更したものの、コロムビア映画から契約違反で抗議されたため、急遽本来の結末に差し戻して撮影し直された。当初の公開予定日は1961年8月1日だったが、日本での公開は2日前倒しされ7月30日となった[17]

当初は『大怪獣モスラ』というタイトルで[出典 13]、雑誌などでは公開直前までこの名称で紹介されていた[72][17]。また、当時のスピードポスター(赤地版)に書かれたモスラのスペルがMOSLAになっている[72][27]

主人公の名前・福田善一郎は、原作者3人の名前を組み合わせたもの[73][1]。福田のニックネームの「スッポンの善ちゃん」は、アメリカ公開版では「ブルドッグのセンちゃん」になっている。

脚本第1稿では、中条信二は登場しておらず[19]、第2稿から加わった[74]。脚本を手掛けた関沢新一は、家族向けの要素として子供が必要であったことを述べている[74]

配役[編集]

小美人役のザ・ピーナッツは当時人気を博しており、中條信一役の小泉博は2人のスケジュールを確保するのが一番難しく、助監督が苦労していたと証言している[75]。小泉は、本作品について贅沢なキャストという印象であったといい[75][76]、テレビの台頭により映画の観客が減少していた頃であったため、東宝自社以外のスターを呼ぶなど、当時のテレビでは実現できない豪華作品にしようという意図があったものと推測している[75]

原田博士役の上原謙も、特撮映画への出演がなかったスター俳優であり、本作品以降より特撮作品への出演が増えていった[75]

中條信二役の田山雅充は、所属した「東宝児童劇団」がインチキ劇団で「『モスラ』の撮影後にトンズラした」ため、ギャラはもらっていないと述べている[77]。その後、田山はミュージシャンとして活動しており、フランキー堺と共演する機会もあった[77]。ライターの友井健人によれば、1980年代に本作品が再上映された際には、田山のファンとみられる女性客の集団が鑑賞に訪れていたという[77]

演出[編集]

監督の本多猪四郎は、後年この『モスラ』を、『ゴジラ』『妖星ゴラス』と並んで「最も気に入っている作品」に挙げている。それまでの本多の特撮映画がシリアス一辺倒だったのに対し、この『モスラ』はコミカルで陽性な作劇が用いられ、またラストが人間の敵として始末されて悲愴な従来の特撮映画と違って爽やかな大団円を迎えた転機的なファミリー・ムービーとなっている[78]。またインファント島民が武器を持たず、石を叩き合わせて警告のみを行う平和主義者であったり、橋の上に置き去りにされた赤ん坊を福田が命がけで救助したりするシーンなど、本多のヒューマニズムが存分に発揮された作品となっている[注釈 24]

本多と特撮担当の円谷とのコンビネーションも円熟期の冴えを見せ、モスラに蹂躙された都心の街頭場面で、電線のスパークや、犬の鳴き声などを劇中に挿入し、リアリズムに徹したきめの細かい本多演出の好例となっている。

ネルソンの最期のシーンでは、警官が射殺したネルソンの利き腕を踏み、懐をあらためる非常にリアリティーのある演出が見られるが、本多は「人間は銃弾くらいでは簡単には死なない」という、自身の出征経験を踏まえての演出であることをコメントしている[要出典]

小泉博が演じる中條信一は、登場当初は人前に出るのが嫌いという設定であったが、その後は特に掘り下げられなかった[75]。小泉は、中途半端になってしまったと感じ、自身で役を作り込むべきか悩んだが、本多は特に気にしなかったため、普段の小泉の演技になったという[75]

また、小泉はモスラ幼虫が東京を襲撃するシーンで、イモムシがどのように都会を破壊するのかイメージが沸かず、本多に尋ねたが「俺もよく分かんねえんだよ」と返され、本多もイメージが沸いていなかったようであったと証言している[75]

試写の段階では尺が2時間近くあったがテンポが悪く、プロデューサーの田中友幸からの指示により20分ほどがカットされた[21]。フォース助監督の針生宏は、田中から指示を受けた本多が珍しく不満をつぶやいていたと証言している[21]。一方、関沢は人間の辛抱の限界は2時間程度であり、映画館での興行回数も考慮して1時間40分ぐらいが一番いいと述べている[74]

撮影[編集]

クランクインは1961年2月9日、クランクアップは本編班が5月12日、特撮班が5月14日であった[17]。九州ロケは2月末から3月初頭にかけて行われた[79]

中條邸の撮影では、フランキー堺がネズミに指を噛まれる事故があった[21]

インファント島のジャングルのシーンはスタジオセットで撮影された[25]。照明を担当した高島利雄は、後年のインタビューでヘルメットにライトが映り込んでしまっていると指摘している[25]

特撮[編集]

東京タワーに向かうモスラ

本作品は『ゴジラ』や『空の大怪獣ラドン』以上に精巧な、東宝特撮映画史上最大規模のミニチュアセットが組まれた[出典 14]。特殊美術の入江義夫は、ミニチュアセットは本作品が頂点で、それ以後はどんどん減っていったと述べている[30]

モスラが蹂躙する青梅街道道玄坂渋谷界隈は、実物と寸分違わない精巧な20分の1スケールのミニチュアで再現している[出典 15]。美術助手の井上泰幸は、通勤者のいない早朝の渋谷に赴き、敷石の1枚まで正確に寸法を測ったという[82]。ミニチュアの製作には、スライド写真をキャメラ内に置いて、見比べながら行う徹底ぶりだった。東急文化会館など画面に映っていない箇所も作り込まれているが、入江によれば特技監督の円谷英二が現場でカメラ位置をひらめくことも多いため、どこからでも撮影できるようセットを完璧に仕上げる必要があったと証言している[30]

また、画面に奥行きを持たせるための工夫も随所に見られ、特に幼虫モスラが横田基地近辺に現れ、そのまま青梅街道を突き進んでガソリンスタンドを破壊する場面では、画面手前から奥へまっすぐ延びる道路を奥へ行くほど先細りに作り、それに合わせて沿道の電柱も手前から奥へ順に低くなっていくように作るという、遠近を強調した設計になっていた[35]。走行する車両も、戦車を他の車両が追い抜いていくなど、速度の違いを表現している[83][84]

また、当時は東京オリンピックを控えて都内のあちこちで地下鉄の延長・相互乗り入れ工事、主要駅前の再整備工事などが進められており、幼虫モスラが襲撃する渋谷駅前も一部工事中だったのだが、劇中のミニチュアではこの工事区域も再現されており、戦車隊が布陣したすぐそばに黒黄2色の立入禁止柵や警告看板などが置かれていたりする。自衛隊の砲撃場面も戦車砲、ミサイル、無反動砲と、発砲した火器の種類によって火薬の調合を変え、命中時の爆発フォルムの違いを表現するという丁寧さだった。モスラが起こす突風の描写も、戦車のハッチやアンテナが動いたり、ジープが激突した水道管から水が吹き出したりするなど、細かく作り込まれた[18]

東京タワーのミニチュアは、100分の1スケールでブリキ製のものが戸井田製作所により制作された[30]。しかし、懇意にしている業者であっても機密事項である作品内容を外部に漏らすことはできなかったため、同社にはタワーを折ることは伝えず、現場で折れる仕掛けが加えられた[30]。台座部分は石膏製で、東宝特美が担当した[30]。電飾にはネオン管を用いている[30]

第三ダムのセットは小河内ダムをモデルとしている[85][13][注釈 25]。セットは、モスラが頭を出すものと、決壊して水が溢れるものの2種類が作られた[85]。ダム決壊シーンでは、ドラム缶72個分、約18トンの水が用いられた[85]。当初、円谷は9トンと指示していたが、美術の井上泰幸はそれでは足りないと考え倍の量を用意したという[85][86]。しかし、本番では計算通りにセットが壊れず、3回撮り直しとなった[85][86]。NGカットも編集により活用されている[87]

モスラ幼虫が海を進むシーンは、大プールのほか、馬入川でヘリコプターによる空撮も行われた[88]。撮影を担当した有川貞昌は、ヘリの横から出した板の上に乗って撮影しており、海軍でパイロットの経験がある有川は平然としていたが、ヘリのパイロットの方が青くなっていたという[88]

戦車のミニチュアは、それまではピアノ線で引っ張っていたものから、モーター内蔵式のものへ切り替えた[89]。モーターは左右に仕込まれており、抵抗器で電圧を変えて速度を調整することで旋回も可能となった[89]。模型電飾の鈴木昶は、これによりピアノ線を引っ掛けるミスが解消され、動きがリアルになったと述べている[89]

M4中戦車の造形物はミニチュアと実物大のものが用いられた[30]。M4は足回りが複雑なため、M24軽戦車のものを流用しており、入江は実物と異なるのは承知の上であったと述べている[30]。後者について入江は、『地球防衛軍』で用いられたものと同一と推測している[30]

F86-F戦闘機の撮影では、当時の日本の技術で風防の真空成型を再現することができなかったため、自衛隊または米軍から本物のキャノピーや座席などを借り受けている[30]

ブルーバック合成で描写された小美人をはじめ、インファント島の描写、ダムの橋での赤ん坊を救出するシーン、ラストの滑走路など合成を多用している[90]。小美人を入れた鳥籠の合成では、金属部分にブルーバックの青が反射してしまい、合成を担当した飯塚定雄は合成に苦労したことを語っており[36]、撮影助手であった森喜弘は円谷の一番の失敗と評している[91]

本作は7月30日を封切り公開日になっても、合成カットに不本意なものがあった特技監督円谷英二は、特撮シーンの編集を行っており、上映館に随時納入される製造順で、4番目からフィルムの差し替えがあったとのことで、中野昭慶は当時、渋谷東宝へ赴いて、2回目の上映前にフィルムを切ってこれを行っている[18][70]。飯塚によれば、合成NGによるフィルムの差し替えは当時よくあることであったという[36]

ラストシーンの変更[編集]

本来はコロムビア映画との契約でアメリカの場面を入れる[注釈 26]ようになっていた本作であるが、東宝側は予算や日数の都合などを理由に一方的にラストを「小美人を連れて南九州、高千穂峰まで逃げていたネルソン一行がモスラの追撃に遭い、そこでネルソンが死んで大団円となる」というものに変更した[出典 16]。監督の本多もこの変更に疑問を持ったものの、コロムビア映画からの返事を待てぬ東宝の指示により、2週間にわたっての鹿児島ロケを敢行、撮影を完了させた[94]。しかしコロンビア映画はこれを契約違反として抗議、準備稿にあった羽化した成虫モスラがロリシカ本国を襲撃する現行バージョンに差し戻され、再び撮影が行われた[出典 17]

本多は、後年SF映画ファンクラブの機関誌『MONSTERS』に寄稿したエッセイの中でラストシーン変更の顛末について記述している[94]

ニューカーク市の景観カットは、東宝にあったアメリカ・カリフォルニアのライブラリーフィルムを使用し、本編および特撮シーンの撮影が急遽行われた[92]。特撮スタッフは急な変更にもかかわらず、大規模なニューカーク市の都市ミニチュア群を制作し、モスラの風圧でショーウィンドウを破って店内に車両が突っ込むなど、見応えのある特撮カットでこれに応えている[18]。監督の本多は、このシーンについて予算が少なく手抜きの結果になったと述べている[94]。また、特技監督の円谷英二もミニチュアの出来には納得していなかったという[5][注釈 27]。特殊美術の入江義夫は、ショーウィンドウなどは作り込んだが、渋谷のセットに比べると大雑把さは否めないと述懐している[30]

セットはニューヨークサンフランシスコをモデルとしている[13]

本編セットも新規に作られたが、本多は「あのくらいのセットは、当時平気で作ってました」と述べている[92]

ラストでモスラを誘導するニューカーク市の空港は、本多によれば米軍立川基地で撮影された[96]。スタッフによっては横田基地であったとの証言も存在する[92]

当初、市の名前はニュー・ワゴンシティだったが[19]変更されることになり、当時監督助手だった針生宏ニューアークがいいんじゃないかと提案したところ、アメリカに実在する都市の名前であるというジェリー伊藤からの指摘により、ニューカークに訂正した[21]

九州ロケでのエピソード
本多はラストシーンの変更の連絡は宿に電話で来たと述べているが[92]、針生によれば、東宝プロデューサーの田中友幸がロケ先の旅館を訪れ、直接変更を伝えたという[21]
九州の撮影には中條信二役の田山も参加していたが、撮り直しには参加していなかったため、完成作品では信二の出番が中盤で途切れている[77][95]
公開時のポスターでは、出演部分がカットされた堤康久が「」役としてクレジットされたままになっている。巡視船はやかぜの登場シーンもカットになった[21]
調査隊の出港・帰港シーンは鹿児島港で撮影され、300から400人規模のエキストラが参加した[21]
九州での撮影の際に高千穂峰の火口に悪人が落ちるシーンでの撮影に使用した等身大の人形をスタッフがそのまま置いていってしまい、後日発見した登山者が自殺者と勘違いし警察に通報し救助隊が駆り出される騒動が起きている[94][21]
主演のフランキー堺が鹿児島出身であったことから現地に顔が利き、観光バスを用意して鹿児島案内を行ったという[21]
本多は九州での撮影フィルムは現像されていないと証言している[94]が、前半の日ロ合同調査隊の出港シーンでは桜島が映っている。同場面のスチールは現存している[93][95]。また、後年には田中友幸がプライベートで撮影風景を映した8ミリフィルムの存在が明らかになった[79]

各仕様での変更点[編集]

1974年12月14日公開の『東宝チャンピオンまつり』で『海底大戦争 緯度0大作戦』(再映)と『燃える男 長島茂雄 栄光の背番号3』(新作)とともに上映された[出典 18]。オープニングのBGMがオリジナルと異なり、モスラが孵化する時のインファント島民の歌に変更されているなど、62分の長さに短縮編集されている[出典 19]。このバージョンは、後年に東宝ビデオから発売された本作のDVDに映像特典として収録されている。

理由は不明だが、オリジナルネガではセイバーが海上でモスラを発見するシーンでパイロットのカットが一部入れ替わっている[12][99][注釈 28]。DVD化の際には本多の遺族の許可を取り、元通りに直している[99]

2021年12月10日には、1961年の公開当時に11劇場でのみ流れていた本編開始前のBGM「序曲」を含む4Kデジタルリマスター版が劇場公開された[100][101]。修復作業を担当した東京現像所によれば、フィルムが裂けているなど損傷が激しく、東宝からもフィルムの劣化の激しさを理由に警告され、4K化が急がれていたという[101]。また、「序曲」に観客が戸惑わないよう、冒頭の画面には説明文を入れたという[101]

音楽[編集]

1998年には本作の内容を忠実に再現したサウンドドラマが制作された。

挿入歌
モスラの歌
当時レコードとして発売されることはなく、ザ・ピーナッツ解散後の1978年になって、ようやくシングル発売された。言語はインドネシア語に基づく。
「インファントの娘」(キングレコード)
作詞・作曲 - 池すすむ[注釈 29] / 唄 - ザ・ピーナッツ
公開当時は正式な主題歌として扱われ[12][注釈 30]、シングルも発売されたが、劇中歌唱バージョン(1978年発売のシングルレコード「モスラの歌」に、カップリング曲として収録)とは、曲の構成が異なっていた。

原作小説[編集]

原作小説『発光妖精とモスラ』は、雑誌『週刊朝日別冊』1961年1月号に掲載された[出典 20]。挿絵は阿部和助[17]。各章を中村、福永、堀田の順で執筆する連作形式であった[73][20]

掲載時点で「東宝映画化」と宣伝されていた[17]

コミカライズ[編集]

大怪獣モスラ』のタイトルと吉田きみまろによる作画で、雑誌『少年』1961年7月号と8月号に掲載された(後者でのタイトルは『モスラ』)[出典 21]

「大怪獣モスラ」は、昭和36年8月号「中一文庫、中学時代一年生」の付録である。

ドラマCD[編集]

再現戯曲CDシリーズ1〜「モスラ'61」』と題し、1961年版映画に忠実に音楽や効果音は当時のまま、1996年コロムビアミュージックエンタテインメントから発売された[105]。ストーリーは、日東新聞社・社会部デスクの福田善一郎が記者生活最後の日に自分の体験談を若手記者に聞かせる形式で描かれており、1961年版映画には無いシーンも含まれるが、小美人の台詞だけは映画と完全に同じである。

キャスト

映像ソフト[編集]

関連作品[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ a b ノンクレジット
  2. ^ 実際の海外公開は翌年となる[17]
  3. ^ ロシア+アメリカのアナグラム[18]。原作では「ロシリカ」[出典 6]。国旗も両国をモチーフとしている[18]
  4. ^ 相手役の山田奈々子は、撮り直しになったと証言している[24]
  5. ^ 書籍『東宝特撮超兵器画報』では、井上泰幸高木明法と記述している[29]
  6. ^ 郡司模型の高木敏喜は、自社で制作したのはパラボラが50センチメートルの1台のみであったと証言している[31]。牽引車も同社の製作ではないとされる[31]
  7. ^ 資料によっては、中条信一と表記している[出典 11]
  8. ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、日本隊員Gと記述している[48]
  9. ^ a b c d e f g h i 出演シーンカットのため未出演[21]
  10. ^ 資料によっては、中条信二と表記している[4][47]
  11. ^ 書籍『モスラ映画大全』では国立核総合センター所員[6]、書籍『東宝特撮映画大全集』では国立核総合センター医者[48]と記述している。
  12. ^ 書籍『モスラ映画大全』ではオーディ・ワィアット[6]と記述している。
  13. ^ 書籍『モスラ映画大全』では防衛隊・C-46爆撃機照準士[6]と記述している。
  14. ^ 書籍『モスラ映画大全』では第三ダム付近の警官[6]、書籍『東宝特撮映画大全集』ではダムの警官[48]と記述している。
  15. ^ 書籍『モスラ映画大全』では警視総監[50]と記述している。
  16. ^ 書籍『モスラ映画大全』では防衛隊・F-86Fパイロット[6]、書籍『東宝特撮映画大全集』では第一攻撃隊操縦士[48]と記述している。
  17. ^ 書籍『モスラ映画大全』では防衛隊・C-46爆撃機機長[6]と記述している。
  18. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、男Aと記述している[47]
  19. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、男Bと記述している[47]
  20. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、と記述している[47]
  21. ^ 書籍『モスラ映画大全』では、中條家家政婦と記述している[54]
  22. ^ 中野自身は、鹿児島湾ロケでの応援で参加したと述べている[70]
  23. ^ 完成プリントでは自衛隊機からの報告で「全長100メートルくらいの怪獣」という台詞があり、ゴジラよりも巨大であることが明確な数値で示されている。
  24. ^ 小泉は、本多が橋のシーンに力を入れていたことを証言している[75]
  25. ^ 架空の名称が用いられた理由は明らかになっていない[85]
  26. ^ 実際には「酷似した架空の国」である。
  27. ^ 本多は、モスラが突風で車などをひっくり返す描写は、円谷の怒りの現れであったと解釈していた[92]
  28. ^ ビデオやLDも同様だが、公開当時の上映プリントと東宝チャンピオンまつり版では入れ替わっていない[99]
  29. ^ 本編助監督だった梶田興治のペンネームである[102][92]
  30. ^ 楽譜に記されたタイトルも「モスラ主題歌」であった[12]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g ゴジラ来襲 1998, pp. 46–47, 「第2章 東宝・怪獣SF特撮映画の歩み 第1期(1954-1962)」
  2. ^ a b ゴジラ画報 1999, pp. 96–97, 「モスラ」
  3. ^ a b c d e 東宝特撮映画大全集 2012, p. 54, 「『モスラ』」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2022年2月19日閲覧。
  5. ^ a b c d e 円谷英二特撮世界 2001, pp. 82–83, 「モスラ」
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad モスラ映画大全 2011, p. 12, 「『モスラ』」
  7. ^ a b c d 東宝特撮映画全史 1983, p. 546, 「東宝特撮映画作品リスト」
  8. ^ a b c d 大ゴジラ図鑑2 1995, pp. 38–39, 「モスラ」
  9. ^ a b c 日本特撮映画図鑑 1999, pp. 26–27, 「モスラ」
  10. ^ a b 東宝ゴジラ会 2010, p. 295, 「円谷組作品紹介」
  11. ^ a b c d e f g h 超常識 2016, pp. 228–230, 「南海の孤島の守護神、東京に出現! モスラ」
  12. ^ a b c d モスラ映画大全 2011, pp. 110–112, 「モスラの音楽」
  13. ^ a b c d 東宝特撮映画大全集 2012, p. 57, 「『モスラ』作品解説/川北監督に訊く」
  14. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 196–197, 「東宝特撮映画作品史 モスラ」
  15. ^ a b c ゴジラ大全集 1994, pp. 58–59, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 特撮路線の確立」
  16. ^ a b c モスラ映画大全 2011, p. 15, 文・友井健人「『モスラ』」
  17. ^ a b c d e f g h i j k モスラ映画大全 2011, pp. 4–5, 構成・友井健人 文・金田益実「『モスラ』ができるまで」
  18. ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, pp. 206–207, 「東宝特撮映画作品史 モスラ」
  19. ^ a b c d 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, pp. 144–145, 「モスラ/モスラ対ゴジラ シナリオ注解」
  20. ^ a b c ゴジラ来襲 1998, pp. 160–161, 「第4章 東宝・怪獣SF映画の小説世界」
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o モスラ映画大全 2011, pp. 44–47, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 本編助監督 針生宏」
  22. ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, p. 56, 「田中友幸 特撮映画の思い出」
  23. ^ 野村宏平 『ゴジラと東京 怪獣映画でたどる昭和の都市風景』一迅社、2014年、100頁。ISBN 978-4-7580-1397-0 
  24. ^ a b c d e モスラ映画大全 2011, pp. 42–43, 聞き手・友井健人「インタビュー 舞踏家 山田奈々子」
  25. ^ a b c モスラ映画大全 2011, pp. 48–49, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 照明 高島利雄」
  26. ^ a b ゴジラ大全集 1994, p. 101, 「昭和30年代 怪獣グラフィティ」
  27. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画大全集 2012, p. 56, 「『モスラ』怪獣図鑑/兵器図録/資料館」
  28. ^ a b オール東宝怪獣大図鑑 2014, p. 64, 「『モスラ』吸血植物」
  29. ^ a b c d e f 東宝特撮超兵器画報 1993, pp. 60–61, 「原子熱線砲」
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p モスラ映画大全 2011, pp. 24–29, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 特殊美術 入江義夫」
  31. ^ a b c d e f g h i j k l モスラ映画大全 2011, pp. 36–38, 聞き手・友井健人「インタビュー 模型電飾 高木敏喜」
  32. ^ a b 東宝特撮メカニック大全 2003, pp. 56–57, 「1960s 原子熱線砲」
  33. ^ 東宝特撮メカニック大全 2003, p. 54, 「1960s 連合国/同盟国兵器」
  34. ^ 「原口智生×樋口真嗣」 『夢のかけら 東宝特撮映画篇』修復-原口智生 撮影-加藤文哉、ホビージャパン、2021年3月12日、108頁。ISBN 978-4-7986-2447-1 
  35. ^ a b c d 東宝特撮映画全史 1983, pp. 204–205, 「東宝特撮映画作品史 モスラ」
  36. ^ a b c d モスラ映画大全 2011, p. 83, 聞き手・友井健人 中村哲「インタビュー 合成 飯塚定雄」
  37. ^ 大辞典 2014, p. 101, 「け 原子熱線砲」
  38. ^ 平成ゴジラパーフェクション 2012, p. 97, 「ゴジラVSデストロイアアートワークス」
  39. ^ 平成ゴジラパーフェクション 2012, p. 47, 「ゴジラVSモスラアートワークス」
  40. ^ a b 超最新ゴジラ大図鑑 1992, pp. 165–168, 「陸上兵器」
  41. ^ 東宝特撮メカニック大全 2003, p. 307, 「通常兵器 [陸上]」
  42. ^ a b オール東宝メカニック大図鑑 2018, pp. 58–59, 「『モスラ』」
  43. ^ 東宝特撮メカニック大全 2003, pp. 296–297, 「通常兵器 [航空]」
  44. ^ 東宝特撮メカニック大全 2003, p. 303, 「通常兵器 [航空]」
  45. ^ 超最新ゴジラ大図鑑 1992, p. 177, 「航空兵器」
  46. ^ 東宝特撮メカニック大全 2003, p. 299, 「通常兵器 [航空]」
  47. ^ a b c d e f g h i j k l m n 東宝特撮映画全史 1983, p. 536, 「主要特撮作品配役リスト」
  48. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 東宝特撮映画大全集 2012, p. 55, 「『モスラ』作品解説/俳優名鑑」
  49. ^ 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, p. 63, 「登場人物紹介」
  50. ^ モスラ映画大全 2011, p. 125, 脇役俳優辞典35.
  51. ^ モスラ映画大全 2011, p. 69, 「脇役俳優辞典24」
  52. ^ モスラ映画大全 2011, p. 127, 脇役俳優辞典36.
  53. ^ モスラ映画大全 2011, p. 111, 「脇役俳優辞典33」
  54. ^ モスラ映画大全 2011, p. 19, 「脇役俳優辞典03」
  55. ^ 「Pickup Interview 二瓶正也」 『別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年、52 - 53頁。ISBN 978-4-8003-0209-0 
  56. ^ a b モスラ映画大全 2011, p. 15, 「脇役俳優辞典01」
  57. ^ a b モスラ映画大全 2011, p. 41, 「脇役俳優辞典12」
  58. ^ モスラ映画大全 2011, p. 45, 「脇役俳優辞典14」
  59. ^ モスラ映画大全 2011, p. 63, 「脇役俳優辞典21」
  60. ^ モスラ映画大全 2011, p. 49, 「脇役俳優辞典16」
  61. ^ モスラ映画大全 2011, p. 59, 「脇役俳優辞典19」
  62. ^ モスラ映画大全 2011, p. 61, 「脇役俳優辞典20」
  63. ^ モスラ映画大全 2011, p. 65, 「脇役俳優辞典22」
  64. ^ モスラ映画大全 2011, p. 75, 「脇役俳優辞典26」
  65. ^ モスラ映画大全 2011, p. 157, 「脇役俳優辞典43」
  66. ^ モスラ映画大全 2011, p. 81, 「脇役俳優辞典27」
  67. ^ モスラ映画大全 2011, p. 123, 「脇役俳優辞典34」
  68. ^ モスラ映画大全 2011, p. 127, 「脇役俳優辞典36」
  69. ^ モスラ映画大全 2011, p. 153, 「脇役俳優辞典42」
  70. ^ a b モスラ映画大全 2011, pp. 72–73, 聞き手・友井健人 中村哲「インタビュー 助監督 中野昭慶」
  71. ^ 「あとがき」 『発光妖精とモスラ』筑摩書房、1994年。ISBN 4-480-80329-7 
  72. ^ a b 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, p. 31, 「モスラ宣伝材料コレクション」
  73. ^ a b c 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, pp. 87–88, 「附・小説『発光妖精とモスラ』梗概」
  74. ^ a b c 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, pp. 161–164, 「関沢新一 長編インタビュー」
  75. ^ a b c d e f g h モスラ映画大全 2011, pp. 18–20, 聞き手・友井健人「インタビュー 俳優 小泉博」
  76. ^ ゴジラとともに 2016, p. 23, 構成・文 浦山珠夫「小泉博」(『映画秘宝』2010年4月号掲載)
  77. ^ a b c d モスラ映画大全 2011, pp. 50–53, 聞き手・友井健人「インタビュー 子役 田山雅充」
  78. ^ モスラ映画大全 2011, p. 15, 文・友井健人「『モスラ』」.
  79. ^ a b モスラ映画大全 2011, p. 21, 文・中村哲「幻の九州ロケ」
  80. ^ 東宝特撮超兵器画報 1993, p. 118, 「美術監督 井上泰幸INTERVIEW」
  81. ^ 『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年、132頁。ISBN 4766927060 
  82. ^ 東宝特撮超兵器画報 1993, p. 120, 「美術監督 井上泰幸INTERVIEW」
  83. ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 202–203, 「東宝特撮映画作品史 モスラ」
  84. ^ 円谷英二特撮世界 2001, pp. 84–85, 「モスラ」
  85. ^ a b c d e f モスラ映画大全 2011, pp. 66–71, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 美術 青木利郎/特機 高木明法」
  86. ^ a b ゴジラとともに 2016, pp. 184–185, 構成・文 中村哲「井上泰幸」(『映画秘宝』2011年2月号掲載)
  87. ^ モスラ映画大全 2011, p. 71, 文・井上泰幸「美術の充実した『モスラ』」
  88. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 198–199, 「東宝特撮映画作品史 モスラ」
  89. ^ a b c モスラ映画大全 2011, pp. 54–55, 聞き手・友井健人「インタビュー 操演 鈴木昶」
  90. ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 200–201, 「東宝特撮映画作品史 モスラ」
  91. ^ 東宝ゴジラ会 2010, p. 225, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW16 中野昭慶 森喜弘 中尾成雄 鈴木桂子 長尾誠一 徳政フミ子」
  92. ^ a b c d e f g h 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, pp. 146–159, 「本多猪四郎監督 長編インタビュー(1)」
  93. ^ a b 日本特撮映画図鑑 1999, pp. 28–29, 「モスラ」
  94. ^ a b c d e f g 石田一「Mr.ホラーのモンスターログ 第1回 最初に東宝怪獣ありき」『宇宙船』Vol.118(2005年5月号)、朝日ソノラマ、2005年5月1日、 78-79頁、 雑誌コード:01843-05。
  95. ^ a b c d 超常識 2016, p. 181, 「Column 幻の未使用シーンを追え!」
  96. ^ 東宝SF特撮映画シリーズ2 1985, pp. 24–25, 「モスラ・オリジナル・カラー」
  97. ^ 東宝チャンピオンまつりパーフェクション 2014, pp. 58–60, 「1974冬期」
  98. ^ 大辞典 2014, p. 216, 「COLUMN13 ファン泣かせの再編集版」
  99. ^ a b c d 東宝チャンピオンまつりパーフェクション 2014, p. 127, 清水俊文「東宝チャンピオンまつりのリバイバル作品について」
  100. ^ “「モスラ」4Kデジタルリマスター化作業で発見された“幻の序曲” 60年ぶりにスクリーンへ”. 映画.com (エイガ・ドット・コム). (2021年11月2日). https://eiga.com/news/20211102/12/ 2021年11月6日閲覧。 
  101. ^ a b c “「モスラ」が4Kで復活、「都市伝説」も解明 調布の東京現像所が修復”. 調布経済新聞 (花形商品研究所). (2021年12月10日). https://chofu.keizai.biz/headline/3628/ 2021年12月11日閲覧。 
  102. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 464, 「MAKING OF 東宝特撮映画」
  103. ^ モスラ|なべやかんホビー館 Powered by Ameba
  104. ^ モスラ本誌|なべやかんホビー館 Powered by Ameba
  105. ^ 再現戯曲CDシリーズ1~「モスラ'61」”. 国立国会図書館オンライン. 国立国会図書館. 2021年11月5日閲覧。
  106. ^ a b 日本特撮映画図鑑 1999, p. 141, 「東宝特撮作品 ビデオLDラインナップ 特撮シリーズ」
  107. ^ 大辞典 2014, pp. 365, 367.
  108. ^ godzilla_jpのツイート(1254937634285088768)

出典(リンク)[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]