鰐淵晴子

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わにぶち はるこ
鰐淵 晴子
生年月日 1945年4月22日(71歳)
出生地 東京都
身長 165cm
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ
配偶者 服部歊(偏は「高」、旁は「欠」)
タッド若松
著名な家族 鰐淵理沙(娘)
鰐淵賢舟(父・バイオリニスト)
主な作品
映画
ノンちゃん雲に乗る
悪魔が来りて笛を吹く

鰐淵 晴子(わにぶち はるこ、1945年4月22日 ‐ )は、日本の女優歌手バイオリニスト東京都出身。大西学園高校卒業。身長165cm、体重48kg。

1995年、『眠れる美女』などで毎日映画コンクール女優助演賞受賞。

来歴・人物[編集]

新潟県長岡市出身のバイオリニスト・賢舟とハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母・ベルタの間に出生(兄弟は他に妹・朗子がいる)。

しばしば日独ハーフ、ドイツ系と記述されることがあるが、鰐淵の生まれたころはオーストリアはドイツ併合下(誕生1週間前には連合軍によって陥落)にあり、元々同言語同民族(オーストリア人は南独バイエルン州と同じくドイツ諸族の中のバイエルン族といわれる)でもあり、必ずしも誤記とは言い切れない。ちなみにハプスブルク家はスイス起源のドイツ人であり、現当主はドイツ国籍である。

父の指導のもと、3歳からバイオリンの英才教育を受けて8歳で全国を演奏旅行し、当時は「天才少女バイオリニスト」と騒がれた。

1952年、『母子鶴』で映子(配役:若尾文子)の少女時代を演じて映画初出演。

1955年、『ノンちゃん雲に乗る』の主演で本格的に女優活動を開始。

1960年代前半の松竹を代表するスター」として活躍。

1956年コルティナダンペッツォオリンピックでアルペン3冠王になったオーストリアトニー・ザイラーが来日して主演した映画『銀嶺の王者』(松竹、1960年)ではザイラーの相手役に選ばれた。1995年には『平成無責任一家 東京デラックス』、『遙かな時代の階段を』、『眠れる美女』の3作品などで個性的な役柄を演じ分け、その年の毎日映画コンクール女優助演賞を受賞している。

二度結婚しており、一番目の夫は服部時計店の服部歊(偏は「高」、旁は「欠」、読みは「のぼる」)(鰐淵・服部の間に子供なし)。二人目の夫で写真家タッド若松との間にタレントの鰐淵理沙を儲けている。

1960年代にタッド若松が撮影したヌード写真集を発表したが、アート性の高い内容は非常に高い評価を受け歴史に残っている。1977年の東映映画『らしゃめん』は彼女のヒットソングに便乗して企画された主演映画だが、当時の夫・タッド若松が鰐淵の場面のみ撮影を担当。そのため現場は混乱し、監督の牧口雄二は二十数年を経てのインタビューでも、未だタッド若松への憤怒を収めていない[1]

受賞[編集]

毎日映画コンクール 女優助演賞 - 1995年

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京

舞台[編集]

吹き替え[編集]

プロモーションビデオ[編集]

  • HEART of GOLD(EXILE

教養番組[編集]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  1. 丘の上から
  2. 小鳥とあんみつ(1961年、コロムビア、SA-515)
    (c/w 夕やけ雲よなぜ赤い)
  3. 軽井沢物語(1963年、ビクター、VS-1110)
    (c/w 雨をあなたに)
  4. めざめ(1965年5月、ビクター、SV-198)
    (c/w さぼてんの唄)
  5. 愛を謳おう(1965年5月、ビクター、SV-218)
    (c/w ふたり)
  6. 素敵な明日(1965年、ビクター、SV-342)
    (c/w 青春の素顔)
  7. ともだち(1966年、ビクター、SV-394)
    • 作詞:岩谷時子 / 作曲:いずみたく / 編曲:いずみたく
    (c/w 涙はあとで)
  8. 春うらら(1967年)
  9. 黒いらんたん(1976年10月、キング、GK-44)
    (c/w らしゃめん)

オリジナル・アルバム[編集]

  1. Ipy Girl Ipy~愛の世界(1971年、MCA、JMC-5018)
  2. らしゃめん(1976年、キング、SKA-152)

脚注[編集]

  1. ^ 「東映ピンキーバイオレンス浪漫アルバム」 徳間書店

外部リンク[編集]