つのだ☆ひろ

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つのだ☆ひろ
出生名 角田博民
生誕 1949年8月1日(67歳)
出身地 日本の旗 日本 福島県東白川郡塙町
ジャンル ソウルミュージック
ジャズ
J-POP
職業 シンガーソングライター
ドラマー
ラジオパーソナリティ
担当楽器
ドラムス
共同作業者 ジャックス
サディスティック・ミカ・バンド
公式サイト つのだ☆ひろ Official Homepage

つのだ☆ひろ(つのだ ひろ 、本名:角田 博民(つのだ ひろたみ)、1949年8月1日 - )は、日本歌手ドラマー作詞家作曲家ラジオパーソナリティ有限会社角田兄弟社代表取締役福島県東白川郡塙町出身。「☆」は発音しない。

経歴[編集]

中学時代からドラムを始め、高校在学中にプロデビューを果たす。卓越したテクニックと日本人離れしたパワフルなドラミングが評判を呼び、1960年代後半ジャズ・ピアニスト佐藤允彦のトリオとの活動を皮切りに、渡辺貞夫カルテットジャックス岡林信康成毛滋、フライド・エッグ、ストロベリー・パス五つの赤い風船赤い鳥サディスティック・ミカ・バンド浅川マキ加藤登紀子中島みゆき矢野顕子など日本を代表するさまざまなミュージシャンたちと共演し、ドラマーとしての地位を獲得する。

また、1971年には歌手として「メリー・ジェーン」をロングヒットさせ、そのソウルフルな歌声から一躍、脚光を浴びる。1972年には結成当初のサディスティック・ミカ・バンドに参加[1]、1973年にはキャプテンヒロとスペースバンドを結成。

その後も、清水健太郎の大ヒットした「失恋レストラン」「帰らない」をはじめ、研ナオコの「風をくらって」、南沙織の「街角のラブソング」、田原俊彦の「騎士道」など、作詞・作曲家としても活動し、さまざまな歌手に楽曲提供も行なっている。現在ではドラムスクールを開催したり、音楽スクールのWILD MUSIC SCHOOLULTRAC(ウルトラック)を、東京都文京区に開設している。各国の著名ミュージシャンと共演など幅広い活躍を行い注目を浴びている。

☆について[編集]

つのだ☆ひろの"「」"は語呂が悪かったため、また名字と名前の区切りをわかり易くするために付けた「・」の代わり(「つ・のだひろ」や「つの・だひろ」といった誤読があった)。元々は「」であったが、塗り潰しは黒星で縁起が良くないということで、白抜きの「☆」に限定された。「★」は誰でも許可なく使うことが本人から許されている。「☆」を付けた当初は「つのだほしひろ」と読まれたこともあった。現在でも爆笑問題太田光など、一部の芸人がボケでわざと「つのだほしひろ」と読むことがある。

エピソード[編集]

  • 実家は、両親共に営む理髪店であり、当初は子ども達を食いっぱぐれのない理容師にする教育方針だったという。しかし、次兄のつのだじろうが、食えないと思われた漫画家で売れっ子漫画家となり、「食べていける職業ならいい」と変更になったという[2]
  • 母校の小学校、中学校がともに廃校になったという経験をもつ。その縁で、2002年に廃校となった浅井東中学校【現:長浜市立浅井中学校(旧浅井町)】の生徒たちが作った詞をまとめあげ、自ら作曲し、思い出の歌をプレゼントした。
  • 仏教徒であり、神道を信仰する。一方で、イスラム教キリスト教を否定する思想は持っておらず、「人間の為になる心の正しさや、行いを正したり、正しい道を示すものは悪いとは思わない」と述べた[3]

出演[編集]

舞台[編集]

アニメ映画[編集]

ラジオ番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 短期間で脱退。後任は高橋幸宏
  2. ^ いつみても波瀾万丈ゲスト出演時の発言より
  3. ^ 例によって|つのだ☆ひろブログ「つのだ☆ひろだとおめでたい」 - アメーバブログ
  4. ^ 風を見た少年”. メディア芸術データベース. 2016年8月16日閲覧。

外部リンク[編集]