日本コロムビア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
日本コロムビア株式会社
NIPPON COLUMBIA CO., LTD.
ロゴ
種類 株式会社
市場情報 非上場(以下は過去のデータ)
東証1部 6791
1949年5月16日 - 2017年7月27日
略称 コロムビア
本社所在地 日本の旗 日本
105-8482
東京都港区虎ノ門4丁目1番40号
江戸見坂森ビル
設立 1910年明治43年)10月1日
業種 情報・通信業
法人番号 2010401022656 ウィキデータを編集
事業内容 オーディオ・ビデオソフト等の制作、宣伝、販売、音楽アーティストのマネジメント
代表者 阿部三代松(代表取締役社長)
資本金 10億円
発行済株式総数 1,351万2,870株
売上高 連結:140億20百万円
単独:131億59百万円
(2017年3月期)
純資産 連結:39億23百万円
単独:31億39百万円
(2017年3月31日現在)
総資産 連結:97億63百万円
単独:86億71百万円
(2017年3月31日現在)
従業員数 連結:228名 単独:165名
(2017年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)フェイス 100%
(2017年8月1日現在)
主要部門 コロムビアレコード
コロムビアジャパン
コロムビアハウス
コロムビアインターナショナル
主要子会社 コロムビアソングス(株) 100%
コロムビア・マーケティング(株) 100%
関係する人物 平澤創(会長)
中島正雄(元社長)
外部リンク https://columbia.jp/
特記事項:2010年4月6日に平澤創(フェイス代表取締役社長兼創業オーナー)が取締役会長に就任。2002年10月1日から2010年9月30日までの社名(法人名)は「コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社」であった。2017年8月1日より株式会社フェイスの完全子会社(機能子会社)となる。
テンプレートを表示
コロムビアミュージックエンタテインメント旧本社(2代目)。東京都港区六本木六本木21森ビル

日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、: NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)は、日本レコード会社である。

概説[編集]

1910年(明治43年)10月1日神奈川県橘樹郡川崎町(現在の川崎市川崎区)で日本蓄音機商会として設立された老舗レコード会社である。1927年(昭和2年)から米国コロムビア・レコード社とは提携関係にあり、ソフトはもとより、レコード盤や蓄音機の技術面での輸出入が行われていた。1928年(昭和3年)に日本コロムビアへ改称。戦時中は日蓄工業に改称したが、1946年(昭和21年)に再び日本コロムビアに変更した。1960年代までビクタートーキングマシン(RCAビクター)[注釈 1]コロムビア・レコードの米国2強によってレコード盤カッティング録音)・蓄音機(再生)技術双方の開発が競われており、日本コロムビアはLP盤による邦楽作品をいち早く売り出した。

戦後、主に演歌歌謡曲伝統芸能・学校音楽教材のレコード制作・発売が中心であったが、1960年代中盤以降はグループ・サウンズアニメ特撮等の子供向け番組のアニメソング、1970年代中盤以降はアイドル歌謡曲分野にも進出した。一方で米国コロムビア・レコード1967年(昭和42年)6月30日付を以って提携解消、その翌年6月30日を以って輸入発売権、および一部の邦楽におけるCBSレーベルの使用権に伴う猶予期間もそれぞれ失効したため(#コロムビアレコードの商標を参照)、洋楽ロックバンドポップスなど)のラインナップは大幅に減少し、現在では自社プロデュース或いは発売権取得によるクラシック音楽ジャズ演奏を中心とした少数派に留まっている。2002年(平成14年)の現社名への変更以来、1990年代中ごろより不採算部門と言われたJ-POPへ力を入れている。

昭和期には、美空ひばり・石川さゆり・島倉千代子・都はるみ・藤山一郎・舟木一夫らの演歌・歌謡曲の大御所が多数所属し、ビクター音楽産業東芝EMIテイチクエンタテインメントと市場を二分する程の勢いがあった。一方、J-POP部門はそれらレコード会社やソニー・ミュージックポニーキャニオンエイベックスなど新興勢とは相反して、ゴダイゴ中村雅俊榊原郁恵松山千春ザ・コレクターズ、平成期以降はthee michelle gun elephantピチカート・ファイヴ毛皮のマリーズなど、ファン層が比較的限定されたアーティストで占められていた。

1947年(昭和22年)に傘下となった日本電気音響(ブランド名・DENON(デンオン(デノン)))は、放送局向けに供給していたMC(ムービング・コイル)型カートリッジ「DL-103」を1964年(昭和39年)ごろに一般オーディオ市場に流通させたことをきっかけとして、以後デンオン(デノン)ブランドによるコンポーネント機器を発売した。1972年(昭和47年)ごろには、NHK技研との共同開発による世界初の実用PCMデジタルレコーダー(DENON「DN023R」)によるデジタル録音・LP盤発売を実施するなど、ソフトとハードを兼ね備えていたメーカーとしての顔も見せていた。しかし後述の経営再建策により、2001年(平成13年)にデノン(後のデノン コンシューマー マーケティング)として分社化され、その後の日本マランツとの経営統合により、高級志向に特化したオーディオ機器メーカーとして事業を行っている。

1992年(平成4年)ごろに、ANIMEXレーベル内の特撮音楽(旧ブラジルレコード)とアニメソング一部作品の制作・発売元を株式会社フォルテ・ミュージックエンタテインメント(Forte Music Enterprise、FME)に分社化し[注釈 2]、ディレクターが独立。しかし、1996年(平成8年)ごろに債務超過に陥り会社が清算されたため、コロムビアが同社の音源を買い上げるかたちで収束している。

旧来は日立製作所が筆頭株主である日立グループの一社で、第一勧銀グループの社長会である三金会でも旧財閥に属さぬ「勧銀15社」で、民族(国内)資本の名門レコード会社であった。後述の2001年(平成13年)に実施された経営再建に伴うグループ外企業からの出資・経営支援により、みずほグループや日立グループの系列から脱退[注釈 3]している。2012年(平成24年)現在の主要取引銀行は三井住友信託銀行である。フェイスグループ入り以前は三菱東京UFJ銀行であった[注釈 4]

かつて関係があった米国コロムビア・レコードハリウッドの大手映画スタジオであるコロンビア映画は、英語では同一表記であるが、両社間は元々関わりがなかった。しかし、ソニーによる買収により1990年(平成2年)以降はソニーグループに属している。

経営母体の変遷[編集]

リップルウッドによる買収[編集]

平成期に入ると、小室ブームの牽引により売上シェアが急激に拡大したエイベックスの様にミリオンセラーを誇るキラーアーティストの不在に加え、他社と比べて積極的ではなかったJ-POP部門で、THE YELLOW MONKEY(→ファンハウスへの移籍を経てその後の再結成と同時に古巣のコロムビアに回帰)・HOUND DOG(→SMEJ)・観月ありさ(→avex tune)ら、当時のオリコンチャートに入る複数の有力アーティストが1997年(平成9年)前後に所属事務所側の意向によって他社へ移籍すると、代わりの新人アーティスト発掘に出遅れたこと、演歌・歌謡曲部門では、2000年(平成12年)デビューの氷川きよしを除いてヒット曲に恵まれなかったこと等による売り上げ減少が続き次第に経営不振に陥った。

このため、経営再建のスキームとして2001年(平成13年)5月に日立製作所と主力取引銀行(第一勧銀三和銀など)の意向により、経営権を企業再生ファンドであるリップルウッド(RH)の手に委ねた。

これと前後して、J-POP部門を1998年(平成10年)に分社化した株式会社ヒートウェーブ(HEAT WAVE)が2001年(平成13年)3月に債務超過に陥り、清算後にコロムビアに吸収されている。同年8月にはレコーディングスタジオを兼ねた赤坂4丁目の本社屋の不動産を売却し、六本木移転まで賃借する形式をとった[注釈 5]

そして同年10月1日に、先ず音響機器部門をデノンとして分社化(日本コロムビア完全子会社)。即座にリップルウッド中間持株会社の「ニューデノン」(98%・59億円出資)と日立(2%・1億円出資)に、デノン持株分を日本コロムビアが売却することで60億円を調達。さらに事業分割後の日本コロムビアは、同日に第三者割当増資によって65円の優先株を9230.8万株発行し、匿名組合出資ファンド「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」(リップルウッドが8割、第一興商三菱商事が残りの1割ずつ出資)に対して83%、日立製作所に13%を割り当て、投資ファンドが筆頭株主(全体の41.66%出資)となる。この時点で日立製作所の持株比率が全体の2割強となり、外資主導の資本構成となる。なお、日立へ累積債務の引換として41億円相当の普通株が割り当てられた[1]

100億円規模の資金調達が実現した結果、財務状態は健全化。当時の株価が200円前後で推移したため、普通株に転換できればこの時点でリップルウッドに含み益が発生しているが、2002年(平成14年)7月にも、リップルウッドを主な引受先とする68億円分の普通株発行により資本を増強している。

リップルウッドは、2002年(平成14年)にデノン日本マランツ株式移転(経営統合)によって設立したディーアンドエムホールディングスの株式保有を続け、2008年(平成20年)にベインキャピタルへ売却したことにより、126億円という莫大な譲渡益(キャピタルゲイン)を得ることになった。

経営改革の成果と業績の低迷[編集]

RHの方策により、アメリカのBMGエンタテインメントで会長職を歴任したストラウス・ゼルニックが代表取締役会長に内定し、ソニー・ミュージックプロデューサーBMGファンハウス(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)副社長を歴任した元サディスティック・ミカ・バンドのメンバーであった松村克己(ジャック松村)と、ビーイングでプロデューサーをしていた中島正雄取締役として招致した。RHへ経営権が移る2001年(平成13年)10月1日付けで松村が代表取締役CEOに就任する新体制が築かれた。

これよりJ-POP部門のアーティスト育成に本格的に乗り出すとされたが、2002年(平成14年)8月に松村は心不全により48歳で急逝し、CEOは中島に交代となった。そして2002年(平成14年)10月に55年間親しまれてきた「日本コロムビア」から、「コロムビアミュージックエンタテインメント」へ社名変更された。

まず社名変更後の同年10月末に一青窈のデビュー作として発売された『もらい泣き』が、ロングセールスとオリコンチャートトップ5へのランクインを記録した。それ以降も2003年(平成15年)の木村カエラのデビューや、氷川きよし等既存アーティスト作品の安定した売上に加え、演歌アニメソング分野でのベスト盤の発売、虫プロダクションの旧作アニメや中部日本放送昼ドラマキッズ・ウォーシリーズのDVDソフト化を次々と行うなどの施策によって売上は微増傾向となっていく。

なお、2005年(平成17年)までの間に、コロムビア音響工業、旧日本コロムビアのライブハウス事業と位置づけられていた株式会社エッグマン(Shibuya eggman運営) 、コロムビアデジタルメディアの3子会社を企業買収ファンドを営むパインリッジ株式会社へ売却した。売却後もコロムビア健康保険組合の事業主を構成しているため、旧日本コロムビアグループとして括られている。

経営再建途上の2007年(平成19年)以降、レコード会社業界全般で音楽配信のシェアが急速に拡大し、CDメディアの売上が縮小する状態に陥る。コロムビアもその影響を受けて売り上げが再び減少。これに伴い、制作部門を含めた数百人規模の社員希望退職者募集に加え、売上不振となっているアーティストとの所属契約を期間満了で更新させずに退かせるなど、大胆なリストラを行った。

2007年(平成19年)にはTDK子会社で映像ソフトを中心とした制作・販売を行う「TDKコア」を15億円で買収し、2008年(平成20年)にクリエイティヴ・コアへ社名変更した。映像ソフト分野については事業統合するも、飛躍的な事業拡大へは至っていない。

株価についても、2008年(平成20年)以来100円前後から徐々に下落した。特に世界金融危機によって株式市場全体で株安傾向が強まっていた2009年(平成21年)2月22日には年初来最安値の16円を記録した。その後は2009年3月期決算が悲観的ではなかったため40円台まで回復したものの、継続企業の前提財務諸表に付記され、2009年(平成21年)9月以降は25円-30円台という低水準で推移するといった厳しい経営状態が続く。

企業年金への取り組み[編集]

2009年(平成21年)に日本航空の再建問題で挙がった確定給付型企業年金の積立金不足問題に関連して、2009年(平成21年)12月9日の日経新聞朝刊9面(企業欄)に、コロムビアの給付債務の不足金(約41億円)に自己資本(約8億円)を割ると不足額比率が489%となり、上場企業では最悪であることが掲載された。この時期に、OBに対して給付額の減額交渉を行い、大半の同意を得たことが同月11日付記事で掲載された。企業年金の給付額削減の妥結を見いだした事例として、2010年(平成22年)3月22日号の日経ビジネスにも特集記事として詳述されている。

フェイスによる買収[編集]

2010年(平成22年)1月、コンテンツ配信サービス企業の (株)フェイス は、2001年(平成13年)10月以来筆頭株主で経営権を握っていた、RHJインターナショナルが組成した「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」から、コロムビアミュージックエンタテインメントの発行株式(合計31.39%)を取得すると発表[2]。これにより、フェイスはコロムビアの筆頭株主となり、持分法適用会社として同社グループ入りとなった。

なおこの結果、CEOをはじめとする現職の取締役が全て退任し、フェイスグループから派遣された役員による新経営陣への刷新が、同年4月6日に行われた臨時株主総会および同年6月の定期株主総会で承認され、フェイス創業者の平澤創が取締役会長に、代表執行役社長COOに原康晴(前副社長、旧日本コロムビアで営業畑を歩んできた生え抜き)が就任。社外取締役社外監査役はほぼフェイス側の役員が兼任する形となった。

一方、日立製作所は2009年(平成21年)9月と2010年(平成22年)2月以降、徐々に保有しているコロムビアの株式を売却していることがEDINETでの5%ルールによる大量保有報告書(変更報告)の提出[3] によって明らかとなっている。

フェイスは2014年(平成26年)3月に株式公開買付けの結果、出資比率を50%超とし、コロムビアを子会社とした[4]

2017年(平成29年)8月、フェイスは株式交換により、コロムビアを機能(完全)子会社とした[5]

コロムビアの原点回帰[編集]

2010年(平成22年)5月、創業1世紀(100周年)を迎える同年10月1日に、正式社名とツインノーツの社章・ロゴタイプを日本コロムビア株式会社にっぽんコロムビア、旧社と同じ。英名:NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)に戻す(法制上は“社名変更”)ことを発表した[注釈 6]。旧社名に戻すのは、2002年10月1日付でコロムビアミュージックエンタテインメントに社名変更して以来8年ぶりである。そして、同年10月1日に社名変更が実行された。社章のシンボルカラーについては、2002年(平成14年)9月までの黒色ではなく、CME時代の青色を継承する。

理由としては、同年に筆頭株主(支配株主)が約10年振りに外資ファンドから国内企業に異動したことや、現在グループ内での主な事業が音楽・映像ソフト主体から映像・ゲーム関連へと拡大したことにより、社名にミュージック(音楽)を付けるのは現状にそぐわないとの判断が現経営陣によってされた結果による。

コロムビアレコードの商標[編集]

日本コロムビアは創業当初から1960年代まで、英EMIのコロムビア・レーベルのソフトと米コロムビア・レコードの日本での発売権を持っていたが、前者は1962年(昭和37年)に当時の東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)に移籍し、後者は1968年(昭和43年)にソニーと旧米コロムビア・レコードの母体であるCBSCBSレコード)との合弁で設立されたCBS・ソニーレコード(後のソニー・ミュージックエンタテインメント)設立により移管され、現在はソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ)の機能子会社ソニー・ミュージックレーベルズ(SML)が発売元となっている。

日本コロムビアはこれ以降、日本での『ツインノーツ』(16分音符の2連符)マークと、レコードなど音楽ソフトにおける『コロムビア』(COLUMBIA)の商標(登録番号・第318664号ほか)のみを残す形となった。それでも、ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)(SME)発売によるコロムビア・レコードレーベル商品の輸入盤については、輸入発売元が先述同様、ソニー・ミュージックレーベルズ(2014年3月31日以前はソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(SMJI))ではあるが、日本コロムビア(またはコロムビアミュージックエンタテインメント)の社名ロゴと商標承認の文字が記載されたシールが貼付され、同社はライセンス料を得る形となっている。

なお、米国コロムビア・レコードのレーベルのマークは、上述のような商標権利上の関係から、かつての日本コロムビアの社章でもあった“ツインノーツ”(旧社は黒色、新社は紺色)ではなく、旧母体であるCBSの「目玉マーク」をアレンジしたもの(通称:ウォーキング・アイ)が用いられ、2000年代からは日本コロムビアと同一の商標ロゴであった「COLUMBIA」の字体(プロポーション)を縦長に改変して区別している。ただし、SMEJではコロムビア・レコードではなく『コロンビア・レコード』と表記している。

また、SME傘下のコロムビア・レコードのクラシックレーベルとして1990年代に設立された「ソニー・クラシカル」は、コロムビア・レコードの“ツインノーツ”の代わりに、新たにデザインされた『赤地に2連符の白抜きを模ったロゴ』とSONYロゴタイプを併記したマークを使用している。

プレス設備[編集]

2000年代中盤まで、自社でCDDVD等ディスクメディアの大規模なプレス工場「川崎工場」(神奈川県川崎市川崎区港町)を保有する数少ないレコード会社であった(他にはJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント東芝EMI(後のトエミ・メディアメモリーテック)、テイチク(プレス事業は撤退)など)。2005年(平成17年)にプレス工場をコロムビアデジタルメディア(CDM) と子会社を設立したうえで、土地は株式会社原弘産(下関市)、建物は企業買収ファンドのパインリッジ株式会社へ売却された。

その後も生産活動を行っていたが、2007年(平成19年)7月ごろに川崎港町から静岡県焼津市東名高速道路沿いにあるソニーDADCジャパン(現・ソニー・ミュージックソリューションズ)静岡工場大井川(DADJ-O)敷地内に拠点を移転。会社名をCDMパートナーズへと変更したものの、2009年(平成21年)に従業員による破産申し立てにより倒産している。

2020年(令和2年)現在、日本コロムビアの各種パッケージメディアの生産委託に関しては、音楽テープを除き、ソニー・ミュージックソリューションズとメモリーテック(クラシック、ジャズ、UHQCD商品など)が担当している。

川崎工場跡地には、京浜急行電鉄大和ハウス工業の開発による大規模分譲マンションリヴァリエ」(建設時の仮称:川崎港町プロジェクト)が建てられた。

なお川崎工場の最寄り駅だった京急大師線港町駅は、1932年(昭和7年)の開設(臨時乗降場からの昇格)から1944年(昭和19年)まで「コロムビア前駅」だった。これが縁で、2013年3月1日、港町駅構内に川崎工場の歴史を辿るフロアが新設され、同駅の発車メロディ美空ひばりの代表曲『港町十三番地』が採用された。駅構内には同曲の歌碑も設置されている。

沿革[編集]

太平洋戦争時に発売されていた「コロムビアすだれレーベル」
  • 1907年(明治40年) - 横浜の貿易商ホーン(F.W.Horn)が、取引先の三光堂(蓄音機・レコード販売)の松本武一郎(松本重雄の伯父)の尽力を得て、蓄音機とレコードの製造会社「日米蓄音器株式会社」と販売会社「日米蓄音器商会」を横浜山下町に設立[6]
  • 1910年(明治43年)10月1日 - 株式会社日本蓄音器商会 (Nipponophone Co., Ltd.) 設立。ワシ印ニッポノホンレコード・ローヤルレコードなどの発売を開始する。事務所は銀座にあり、初代社長はF.W.Horn[7]
  • 1912年(大正元年) - 日米蓄音器製造株式会社を合併。桃中軒雲右衛門事件(三光堂が録音したレコードの無断複製盤販売)で訴えられる[8]
  • 1926年(大正15年) - 英国のコロムビア・レコードと契約[7]
  • 1927年(昭和2年) - 米コロムビア・レコードと契約、コロムビア・レコードの発売を開始する。
  • 1928年(昭和3年) - 商号を日本コロムビア株式会社に変更。
  • 1931年(昭和6年) - 米コロムビアから商標権を譲り受け、シンボルを音符マークに統一。
  • 1942年(昭和17年) - 商号を日蓄工業株式会社(Nitchiku Kogyo K.K.:通称ニッチク)に変更。これは戦時下での外来語敵性語)禁止に伴うもので、レーベルもコロムビアからニッチクへと改められた。
  • 1946年(昭和21年) - 商号を日本コロムビア株式会社 (Nippon Columbia Co., Ltd.) に戻す。日本電気音響株式会社を買収[7]
  • 1949年(昭和24年) - 東証1部へ上場開始。
  • 1951年(昭和26年) - 日本初のLPレコードを発売。第1号は米コロムビア原盤による、ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルによるベートーヴェン交響曲第9番(2枚組)[注釈 7]
  • 1958年(昭和33年)9月1日 - 国内では、日本ビクターに次いでステレオLPレコードを発売(米コロムビア原盤による。第1号は、セルゲイ・プロコフィエフ作曲、交響曲第5番 (RS-101) )[注釈 8][注釈 9]
  • 1959年(昭和34年) - 自社独自のステレオ録音を開始する。
  • 1962年(昭和37年)
    • 国内で最後にSP盤のプレス、発売を終了する。
    • 英EMIが東芝音楽工業と正式に発売契約を結んだため、英EMI原盤によるコロムビア・レーベルの発売が東芝に移行。これに伴い、同原盤の発売を終了する[注釈 10]
  • 1963年(昭和38年) - 日本電気音響株式会社(ブランド名・DENON(デンオン))を合併。
1960年代初めごろに発売されたCOLUMBIAブランドのオープンリール・テープレコーダー
「7L-10」
  • 1964年(昭和39年) - 電子ピアノ「エレピアン」発売。デノンに分社化された後もしばらく製造された。
  • 1965年(昭和40年) - 東京都港区赤坂に本社ビルを建設、同年2月1日より業務を開始。
  • 1967年(昭和42年)6月30日 - 米コロムビア・レコードとの契約を解消[9]
  • 1968年(昭和43年)8月21日 - 日本国内における米コロムビア原盤の発売権がCBS・ソニーレコード(後のソニー・ミュージックエンタテインメント)に移管されたため、同原盤による発売を終了する[注釈 11]。また、自社の洋楽部門からCBSレーベルでリリースしていた歌手やスタッフの一部もCBS・ソニーに移籍した。
  • 1969年(昭和44年) - 日立製作所との資本提携を設立。
  • 1970年(昭和45年) - レコード再生に於けるトレーシング歪を解消する技術、「ノン・ディストーション・カッティング・システム」を開発、運用開始。[10]
  • 1970年(昭和45年)9月14日 - NHK放送技術研究所PCM録音機の試作機を借りて、世界初のPCM方式によるデジタル録音を行う[10][注釈 12]
  • 1972年(昭和47年) - 自社製のPCM方式によるデジタル録音機第1号機[注釈 13]を作り、本格的なPCM録音によるレコード製作を開始する[注釈 14]。同時に「PCM」が同社の登録商標となる。
  • 1974年(昭和49年) - 自社製のPCM方式によるデジタル録音機第2号機[注釈 15]が完成。1号機よりもコンパクトになったため、ヨーロッパに持ち込んでのPCMデジタル録音を行う(パイヤール指揮のバッハ音楽の捧げもの」ほか)。
  • 1980年(昭和55年)3月 - 壁掛けでレコード再生が可能なポータブルレコードプレーヤー「フリースタイル」(GP-3)発売。日立にもOEM供給され、デノンに分社化された後も含め、約23年間に渡って製造販売された。また、1995年にリリースされたスピッツの「ロビンソン」のMVやジャケットの小道具として使われたのがきっかけで再評価され、色違いモデルやコラボモデル、DJプレイ用ミキサーと言った派生モデルも製造された。
  • 1982年(昭和57年)10月1日 - ソニーCBS・ソニーと同時に、世界初のコンパクト・ディスク(CD)の再生機及びソフトを発売する(再生機は日立Lo-DのOEM。ソフトはベートーベンの「運命」、ドボルザークの「新世界」ほかクラシック10タイトルを発売。)。
  • 2001年(平成13年)10月1日 - AV・メディア関連機器部門を株式会社デノン(後の株式会社デノン コンシューマー マーケティング)として分離(その後、日本マランツと経営統合、ディーアンドエムホールディングスとなる)。同部門生産拠点の白河工場(福島県)も譲渡。
  • 2002年(平成14年)10月1日 - 一時的にロゴマークを一新し、商号をコロムビアミュージックエンタテインメント株式会社に変更。
  • 2005年(平成17年)7月1日 - 赤坂本社屋売却に伴い本社機能を東京都港区六本木一丁目の第21森ビルに移転。
  • 同年 - プレス部門(子会社(コロムビアデジタルメディア:名称のみ継承))を売却。
  • 2007年(平成19年)9月28日 - TDK子会社のポストプロダクション・TDKコアを買収すると発表。買収金額は15億円で、同年11月1日付けで子会社化。
  • 2008年(平成20年)2月1日 - TDKコアがクリエイティヴ・コアに社名を変更。
  • 2009年(平成21年)8月24日 - 本社が入居していた第21森ビルの解体・再開発の実施に伴い、家主の森ビルの意向により本社を港区虎ノ門4丁目の江戸見坂森ビルへ移転。
  • 2010年(平成22年)
    • 1月 - クリエイティヴ・コアを会社分割し、旧TDKコア時代からの音楽・映像・教育ソフト部門の一切の権利をコロムビア側で承継する。
    • 10月1日 - 創業100周年。同時に商号を日本コロムビア株式会社に変更。
  • 2011年(平成23年)3月28日 - クリエイティヴ・コアの全株式をウッドオフィスグループに売却。
  • 2012年(平成24年)10月1日 - 音楽・映像ソフトウエア、ゲーム関連ソフトウエア等の販売事業等を、会社分割により新設子会社のコロムビア・マーケティング株式会社に承継。
  • 2013年(平成25年)10月1日 - 新星堂よりレーベル「オーマガトキ」及び音楽著作権管理会社「シリウス」を取得[12]
  • 2014年(平成26年)
    • 3月26日 - 株式会社フェイスが株式公開買付けにより過半数の株式を取得。フェイスが親会社となる。
    • 4月1日 - 配信事業、特販・通販事業を吸収分割によりコロムビア・マーケティング株式会社に承継。
    • 6月24日 - 2014 FIFAワールドカップ1次リーグで日本×コロンビア戦が行われるのを機に、応援する趣旨で社名を24・25日の2日間のみ日本vsコロンビア株式会社とする[注釈 16]
  • 2017年(平成29年)
    • 7月27日 - 上場廃止[15]。東証1部への上場開始から68年の歴史に幕を下ろす。
    • 8月1日 - 株式交換によりフェイスの完全子会社となる。

レーベル[編集]

主要レーベル(事業部門)[編集]

  • コロムビアレコード (COLUMBIA RECORDS) - 演歌・歌謡曲部門。規格品番はCOxA(アルバム以外)、COxP(アルバム)。かつてはJ-POPなどオールジャンルで、1960年代初頭までは一部洋楽も。
  • コロムビアジャパン (COLUMBIA JAPAN) - J-POP部門。規格品番はCOxA(アルバム以外)、COxP(アルバム)。2000年(平成12年)ごろよりメインレーベルのコロムビアレコードより分離、2003年(平成15年)にトライアド・パッション(TRIAD PASSION、旧PASSIONレーベル)を改組。
  • コロムビアハウス (COLUMBIA HOUSE) - アニメ・ゲーム・エデュケーショナル部門。規格品番はCOxC(アルバム以外)、COxX(アルバム)。かつては純邦楽も担当していた。
  • コロムビアインターナショナル - クラシック・ジャズ・洋楽部門。規格品番はCOxB(アルバム)、COxY(アルバム以外)、COxQ(クラシック)。

サブレーベル[編集]

  • ベターデイズ (Better Days) - 1977年8月 久保田麻琴と夕焼け楽団のアルバムが第一弾[16]、特に日本のクロスオーバーフュージョンを牽引した。
  • フューチャーレーベル (Future) - 2010年(平成23年)8月発足[17]。当初、CDと楽曲ダウンロードを組み合わせた『360°戦略』推進のために設立されるが、その後AKB48の派生ユニットであるNot yet専属のレーベルとして機能[注釈 17]
  • CMEレコード (CME RECORDS) - コロムビアレコードから派生したレーベル。主に過去のテレビ番組のサントラ盤などの再発やコンピレーション盤をリリースしている。
  • トライアド (TRIAD) - ロック音楽系レーベル。1990年代、THE YELLOW MONKEYTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTピチカート・ファイヴザ・コレクターズ森重樹一Valentine D.C.らが所属。2007年から休止状態にあったが、2014年、吉井和哉の移籍を機に復活。
  • columbia*readymade(コロムビア・レディメイド) - ********* records,tokyoの後継レーベル。小西康陽関係の作品をリリース(2006年(平成18年) - )。
  • パッションレーベル (PASSION) - コロムビアレコードからJ-POP部門を分離独立させて新設したレーベル。
  • M-TRAIN(エムトレイン) - 中村雅俊専属のレーベル。コロムビアレコードから移籍(但し、J-POP部門再編によりパッションレーベルの傘下レーベルとなっている)。
  • ヒートウェーブ (HEAT WAVE) - 1998年(平成10年)に子会社として設立したJ-POP系レコード会社。TRIADレーベル等のアーティストの一部が移籍し発売元になると共に、新人アーティストの発掘を事業領域としていたが、売上不振による債務超過に陥ったため、2001年(平成13年)3月に日本コロムビアへ吸収され、以後はレーベルのみ残る。
  • DENON(デンオン) - 1973年(昭和48年)、PCM(デジタル)録音の本格稼働にあわせて、呼称とロゴを音響機器と同様に変更してリニューアル。主に高音質を期待されるクラシックやジャズの作品が発売されたが、ジャズは次第にBetter DaysやInterface等のレーベルに移行し、2015年現在はほぼクラシック専門レーベルとなっている。1980年代初期には演歌・歌謡曲・邦楽ポップスなどでもコンパクト・ディスク限定で使われたことがある他、前者の時代と同様に、商標権の関係からそれらの海外輸出盤でも使用された。なお、「DENON」の商標権はレコード等に関するものもディーアンドエムホールディングスに移っており、同社から許諾を受けて使用している。

過去のレーベル[編集]

  • リーガル - 1933年(昭和8年)発売開始。帝国蓄音器商会の「ヒコーキ」レーベルを起源とし、1942年まで廉価版のレーベルとして用いられた[18]伊藤久男近江俊郎がリーガルレーベルからレコード発売している。
  • デノン - 1968年(昭和43年)設立。設立当時は、主に専属外の外部の音楽出版社などに所属の作家や歌手などを積極的に起用し、いわゆる「和製ポップス」のうちフォークあるいはソフト・ロック寄りの路線で展開した。伊東ゆかり森山加代子ベッツィ&クリス等が在籍。音響機器との差別化のためロゴは丸型であった。また、演歌・歌謡曲などでも「コロムビア」の商標が使用できない在外邦人向けの海外輸出盤で使われた。「デンオン」レーベルの開始に伴い、「デノン」レーベルの規格品番「CD」シリーズは「BLOW UP(ブロウアップ)」レーベルに引き継がれ(のちに規格番号を「LK」に変更。「CD→LK」でもコロムビアレーベルで発売した例あり)、1980年代初期にコロムビアレーベルに統合される[注釈 18]
  • Better Days(ベターデイズ) - フュージョン専用レーベル。かつて渡辺香津美向井滋春坂本龍一などがこのレーベルに所属していた。
  • Interface(インターフェイス) - ジャズ専用レーベル。Better Daysに所属していた大野えりなど一部のジャズ系アーティストがこのレーベルに移動した。
  • B-C/BeatreC - 当時、音楽事務所的要素の強かったビーイングと提携したかつてのレーベル。PAMELAHBAAD、また末期にはFIELD OF VIEWも在籍していた。2001年に消滅。
  • ********* records,tokyo(レディメイド・レコーズ・トーキョー)- ピチカート・ファイヴなど「レディメイド・エンターテインメント」所属アーティストのレーベル(1998年(平成10年) - 2002年(平成14年))。
  • サヴォイ・レコード(SAVOY) - 1992年(平成4年)に日本コロムビアの傘下になったアメリカのジャズ・レーベル。チャーリー・パーカー等を輩出したことで有名。サヴォイ・レーベル・グループ(SLG)を形成。グループ下にデノンのクラシック部門を持っていた。2017年に契約満了。
  • hug columbia - 海外の新興音楽レーベル・V2レコードVirgin系のレコード会社)と提携していたレーベル。2009年消滅。テイ・トウワが所属していた。
  • ANIMEXレーベル - 旧コロムビアレコード直属時代から存在するサブレーベル。同社とアーティスト契約(専属契約も含む)しているアニメソング歌手・声優を中心としたレーベル。水木一郎串田アキラサイキックラバー谷本貴義(2006年(平成18年)ごろにインターチャネルより移籍)、植田佳奈小清水亜美堀江美都子等、大多数のアニソン系アーティスト(※一部声優を含む)が所属。

販売委託レーベル[編集]

  • 幸福の科学出版 - 日本の新宗教系教団・幸福の科学の関連企業。宗教関連の出版物の刊行が主体だが、アニメ映画の製作や関連CDの制作も行っている。なお、コロムビアは旧会社(日本コロムビア)時代から同社の音楽制作部門においての販売委託を行っている。
  • NHKエンタープライズ(旧NHKエンタープライズ21) - 日本の公共放送事業者であるNHKの関連企業。NHK関係の番組・作品の製作が事業主体としているが、それらに関連する映像・音楽ソフトを企画・制作・発売も行っている。なお、一部の番組や作品の関連メディアソフトによっては、コロムビアが直接発売・販売を行うものや、あるいは発売元が同社・販売元がコロムビアというケースもある。
  • オーマガトキ - 日本の都市型CDショップチェーン・新星堂の関連企業として設立され、メジャー流通系インディペンデントレーベルとしては異色の音楽ソフトメーカー。サブカルチャー系(ゲーム系主体)の別働レーベルとしてCANDYPOPレーベルを設置。現在は数組のアーティストやグループと専属契約、かつてはスターダスト・レビュー松崎しげるも10年以上所属していた他、Something ELseが活動末期に所属していた。2013年10月に子会社化。
  • ポリスター - 有限会社ポリスター・ソングス名義で発売される作品のみ販売委託を行っていたが後に親会社名義で発売される品番が「PSxx-」から始まる品番を除く全ての作品も販売委託を行うようになった。
  • ドリーミュージック - ティー ワイ リミテッド傘下のレコード会社。2003年7月から2007年3月まで販売委託していた。その後2007年4月から2010年3月までキングレコード、2010年3月から2017年3月までソニー・ミュージックマーケティングに委託していたが、日本コロムビアの親会社であるフェイスによる子会社化に伴い、10年ぶりに販売委託を再開した。

過去の販売委託レーベル[編集]

バンダイ・ミュージックエンタテインメント(BME、旧アポロン。但し、同社が販売委託していたマリン・エンタテインメントの音源は同社が保有)や、同社に販売委託を行っていた旧エアーズ[注釈 19]、音楽部門(ソノシート関連)を持っていたころの朝日ソノラマ[注釈 20]、およびかつてコロムビアの直系子会社であったフォルテ・ミュージックエンタテインメント[注釈 21]の音源を買い取って同社の音源とし、現在に至っている。

アーティスト[編集]

あ - か行[編集]

さ - な行[編集]

は - わ行[編集]

以前に在籍していたアーティスト[編集]

引退、解散、死去したアーティストも含む。

あ行[編集]

か行[編集]

さ行[編集]

た・な行[編集]

は行[編集]

ま・や・ら・わ行[編集]

備考[編集]

  • 美空ひばりの代表曲「港町十三番地」は、川崎工場の住所(川崎市港町)にちなんで作られたといわれることがあるが、実際のところは無関係である。なお、旧川崎工場の最寄駅である京浜急行電鉄大師線港町駅には「港町十三番地」の歌碑が2013年に設置され、接近メロディも同楽曲が使われる様になった。
  • 外国テレビドラマ「ビーバーちゃん」(原題:Leave It to Beaver、1959年1月7日-1960年1月13日、日本テレビ系)にて日本コロムビア一社提供であった関係で番組人気にあやかって自社の家庭用テープレコーダーを「ビーバコーダー」として発売したことがあった。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 後のRCAレコードBMG日本ビクターおよびビクターエンタテインメントの起源となる企業。
  2. ^ スーパー戦隊シリーズ分を除く。
  3. ^ 同様の企業として東燃日立グループとは同根日産自動車芙蓉系)がある。
  4. ^ 日立グループ時代のサブバンクであった旧三和銀行の流れによる。なお、三菱グループに近いレコード会社として1963年(昭和38年)に日本コロムビア出身者が中心となり設立した日本クラウン1985年(昭和60年)に三菱電機・アドメルコ(後のアイプラネット、三菱電機の子会社)・日本クラウン・ダークダックスによって設立したメルダックがかつて存在したが、2001年(平成13年)に日本クラウンの筆頭株主だった三菱電機第一興商へ日本クラウン株を売却している。またメルダックも同年三菱グループが出資して設立したトライエムに営業譲渡されたが、2003年(平成15年)にトライエムの筆頭株主だったアイプラネットをはじめとする三菱グループが第一興商へトライエム株を売却している。ちなみに第一興商は、旧三菱銀行時代からの流れで三菱東京UFJ銀行を主力取引銀行としている。リップルウッド・ホールディングスの組成する再建ファンドには三菱商事も参画していた。詳細については上記参照。
  5. ^ 旧本社屋は2005年(平成17年)に高級マンションへ建て替えられている。
  6. ^ 関連子会社のコロムビアソングス、およびコロムビアファミリークラブに限り、当初はCME時代のロゴマークを継続していたが、2016年よりロゴマークがコロムビア本来のロゴマークに統一された。
  7. ^ レコード番号WL-5001/2。価格は、当時の値段で2枚組で5,000円と、非常に高価であった。
  8. ^ ステレオ・レコード発売当初の販売価格は、12インチ (30cm) 盤で、クラシックが1枚2800円、ポピュラーが1枚2500円だった。
  9. ^ この時から、米コロムビア原盤を発売する時は、同原盤の発売レーベル名がCBSに変わるまで、12インチ (30 cm) 及び10インチ (25 cm) のステレオ盤のみ、米コロムビアと同様に、6つ目デザインのレーベルが使用される。
  10. ^ 英EMI原盤によるコロムビア・レーベルの音源は、東芝音楽工業に移行してからは、英HMV原盤の場合と同様にクラシック音源には「エンジェル」レーベルを使用。ポピュラー音源はHMV音源を含め新設された「オデオン」レーベルに移行した。
  11. ^ 同社におけるCBSレーベルとしての最後の新譜は同年6月30日にリリースされたジャッキー吉川とブルー・コメッツのシングル「草原の輝き」だった。
  12. ^ 第1号は、スティーヴ・マーカス+稲垣次郎「サムシング」(レコード番号:NCB-7003)。その後、翌年の1月11日に、同じ試作機を使って、東京文化会館小ホールにて録音された、ツトム・ヤマシタの「打」(レコード番号:NCC-8004-N)も発売された[11]
  13. ^ 型式番号:DN-023R。13ビット直線量子化、サンプリング周波数:47.25KHz、8チャンネルまでのマルチ録音が可能。
  14. ^ 第1号は、同年4月24、26日に青山タワーホールにて録音された、スメタナ四重奏団によるモーツァルト作曲、弦楽四重奏曲第17番「狩」同15番で、NCC-8501-Nというレコード番号で発売され、同年のレコードアカデミー賞を受賞した。レコード芸術推薦。CDでは現在、COCO70431というCD番号で入手可能である。
  15. ^ 型式番号:DN-023RA。技術仕様はDN-023Rと同じ。ただし、同機に比べてハーフスピード再生が行えないなど、一部の機能が省かれている。
  16. ^ 正式な社名の変更ではない。この「遊び心」的な改名は所属歌手のクミコが、同年6月21日にコンサート内で行った発言をきっかけとしたものである[13][14]
  17. ^ Not yetのCDデビュー(2011年3月)後、同年7月にも楽曲ダウンロード付き別のCDを発売しており、Not yetデビューと同時に専属レーベルになったわけではない。
  18. ^ 当社の1960年代の和製ポップスレーベルとしては、デノンのほか、洋楽セクションから派生した「CBSコロムビア(CBS邦楽部)」→「L盤」と、逆に邦楽セクションから1967年に派生した「P-」で始まる規格番号の「P番帯」などがあった。このうち「L盤」は1973年ごろに縮小される(事実上消滅)が、「P番帯」はその後もしばらく存続し、「L盤」に所属していたいしだあゆみ堺正章等のシングルのリリースは「P番帯」が引き継いだ。
  19. ^ ガンダムV,G,W,Xのエンディングと関連楽曲は譲渡先のトライエム(旧:メルダック。現在は出版事業のみ)に音源を譲渡、ただしかつてネオプレックスに移籍していたinfixの楽曲はバンダイナムコアーツが保有。
  20. ^ 鉄人28号は初期アニメ版の音源はEMI-J、それ以外の作品の音源と前者を含めた映像著作権はキング/スターチャイルドへ譲渡。
  21. ^ 日本コロムビアの木村英俊が設立した会社だったが、経営難のため設立から数年で親会社へ吸収合併し、コロムビアエデュテインメントと社名変更して、コロムビア内の企画部門として一時期存在していた。
  22. ^ 氷川向けのため同社に販売委託。

出典[編集]

  1. ^ (日立製作所・プレスリリース)日本コロムビア、リップルウッド、日立、資本提携による日本コロムビアの事業再生で合意
  2. ^ “フェイス、コロムビアミュージックエンタテインメントの株式を取得し、筆頭株主へ”. 株式会社フェイス、コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社. (2010年1月21日). オリジナルの2010年1月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100124055549/http://www.faith.co.jp/ir/doc/20100121columbia.html 2010年1月22日閲覧。 
  3. ^ Ulletサイト 2010年3月26日閲覧
  4. ^ 株式会社フェイスによる当社株式に対する公開買付けの結果並びに親会社及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ(2014年3月19日)
  5. ^ 株式会社フェイスによる日本コロムビア株式会社の株式交換による完全子会社化に関する株式交換契約締結のお知らせ
  6. ^ 生明俊雄日本レコード産業の生成期の牽引車=日本蓄音器商会の特質と役割」『広島経済大学経済研究論集』第30巻第1号、広島経済大学経済学会、2007年10月、 1-16頁、 ISSN 03871436NAID 120005378622
  7. ^ a b c A Guide to Japanese Record Manufacturers Billboard.12.19
  8. ^ 大判大正3・7・4刑録20-1360、大谷卓史、「桃中軒雲右衛門事件」『情報管理』 2013年 56巻 8号 p. 552-555, doi:10.1241/johokanri.56.552, 科学技術振興機構
  9. ^ タイムカプセル Vol.15: 1968年、CBS・ソニーレコード創業 - ソニー株式会社 2008年7月28日(2019年1月31日閲覧)
  10. ^ a b JASジャーナル2015年5月号記事「幻の金属原盤によるアナログレコード製品化」(日本オーディオ協会)に記載(PDF形式)。
  11. ^ CDジャーナル「世界初のデジタル録音作品、スティーヴ・マーカス+稲垣次郎『サムシング』が初CD化!」
  12. ^ 株式会社新星堂の子会社、シリウス株式会社及び株式会社オーマガトキの株式の取得(子会社化)に関するお知らせ 日本コロムビア
  13. ^ コロムビアからコロンビア - クミコ公式ブログ、2014年6月24日閲覧
  14. ^ 日本コロムビアが「日本vsコロンビア」に 期間限定の社名変更で日本代表にエール【ワールドカップ】 - 2014年6月24日閲覧
  15. ^ 日本コロムビアが上場廃止 1949年上場の老舗 - ITmedia(2017年07月26日 16時26分 更新/2017年7月28日閲覧)
  16. ^ 【BETTER DAYS】対談「あの頃、何が起きていたのか? ベターデイズ発足の経緯と“若き才能たち”」” (2018年1月29日). 2018年3月22日閲覧。
  17. ^ フェイス、コロムビアミュージックエンタテインメント、ウェブマネー、フェイス・ワンダワークス、新レーベル「Future」による音楽流通の新たなしくみを提供 (PDF)” (2010年8月18日). 2016年7月16日閲覧。
  18. ^ SPレコード センターレーベルてぬぐい。”. 2020年6月3日閲覧。
  19. ^ 関連書籍・記事等より確認。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]