新宿武蔵野館
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新宿武蔵野館 Shinjuku Musashino-kan | |
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情報 | |
正式名称 | 新宿武蔵野館1・2・3 |
旧名称 | 新宿武蔵野館、シネマカリテ1・2・3、新宿武蔵野館1・2・3・4 |
開館 | 1920年6月30日 |
開館公演 |
「短夜物語」 「嫉妬に燃える眼」 |
収容人員 | (3館合計)301人 |
設備 |
ドルビーデジタルサラウンドEX(シアター1・2) ドルビーSR(シアター3) |
用途 | 映画上映 |
運営 | 武蔵野興業株式会社 |
所在地 |
〒160-0022 東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3階 |
位置 | 北緯35度41分28秒 東経139度42分7.5秒 / 北緯35.69111度 東経139.702083度座標: 北緯35度41分28秒 東経139度42分7.5秒 / 北緯35.69111度 東経139.702083度 |
アクセス | 新宿駅(東口)から徒歩約3分 |
外部リンク | http://shinjuku.musashino-k.jp/ |
新宿武蔵野館(しんじゅくむさしのかん)は、東京都新宿区の映画館。新宿武蔵野館1・2・3の3館がある。武蔵野興業が経営。
住所は、新宿三丁目27番地10号 武蔵野ビル3階。かつては同ビル7階が新宿武蔵野館で、3階はミニシアターのシネマ・カリテ1・2・3だった。
概要・略歴
[編集]黎明期
[編集]- 新宿の商店街有志の尽力により「武蔵野館」が発足したのは1920年6月30日。地上3階建て、座席数600席ほどの映画館としてスタートした。オープン当日のプログラムは、細山喜代松監督の日本映画『短夜物語』とデル・ヘンダースン監督のアメリカ映画『嫉妬に燃える眼』が上映された[1][2]。
- 1923年9月1日、関東大震災で被災するも、同年10月6日に営業再開[3]。1925年2月27日にはパラマウント映画製作の特作映画『十誡』を浅草帝国館と共にロードショー上映している。
- 1928年12月14日、武蔵野館は新宿三丁目(当時は東京府豊多摩郡淀橋町角筈1丁目1番地)に移転し、1,500席の洋画ロードショー館に転向。
- 1929年5月7日、同館初のトーキー作品『進軍』『島の唄及び海を越えて』(『南国の唄』、『Royal hawaiian dance』としても公開)の試写会が行われ[4]、翌々日の5月9日には一般上映が開始。→「戻橋 (映画)」も参照
- 1929年10月、トーキー映画の普及により所属弁士の業務削減を開始。山野一郎は休養、徳川夢声は他館に回ることとなった[5]。
- 1931年5月、松竹の洋画興行チェーンがパラマウント映画チェーンと合併し「松竹パ社興行社」となる。武蔵野館は有楽町邦楽座(後の丸の内ピカデリー)や浅草大勝館、電気館などと共に「SPチェーン」のフラッグシップとして洋画をロードショー上映するも、わずか2年でSPチェーンは解散してしまう。→「大勝館 § 黎明期の映画常設館」も参照
戦後
[編集]- 1968年12月、武蔵野ビルを改装し、7階に500席(後に334席に減少)の映画館「新宿武蔵野館」として再オープン。東宝洋画系作品のロードショー館(特にみゆき座で上映される作品が多かった)として営業を続ける。
- 1994年10月4日、武蔵野ビル3階にミニシアター「シネマ・カリテ1・2・3」(各84席)がオープン。
- 2000年4月、「シネマ・カリテ3」が拡張工事により133席になり、「シネマ・カリテ1」に変更(同時にそれまでの「1」が「3」に改称)。同時に3階ロビーなども改装。
- 2002年1月1日、7階の「新宿武蔵野館」を「新宿武蔵野館1」に、3階の「シネマ・カリテ1・2・3」を「新宿武蔵野館2・3・4」に改称。同時に3階ロビーなども改装。
- 2003年9月30日、7階にあった「新宿武蔵野館1」が閉館。それに伴い、3階の「新宿武蔵野館2・3・4」を「新宿武蔵野館1・2・3」に改称し、現在の3館体制となる。それ以降はみゆき座やシャンテ・シネ(現:TOHOシネマズシャンテ)、シネスイッチ銀座などで上映されるアート系の作品に加え、日活ロマンポルノ・B級ものの邦画・洋画もレイトショー興行するなど、幅広いジャンルの作品を世に送り出している。
- 2012年1月、シアター1と2にデジタル上映設備、シアター3にブルーレイ上映設備を新設。
- 2016年1月30日から耐震性補強と改装のため、一時休館となった[6]。
- 2016年11月5日、工事が終了しリニューアル・オープンする。
座席数
[編集]- 武蔵野館1:133席
- 武蔵野館2:83席
- 武蔵野館3:85席
関連項目
[編集]- 武蔵野興業 - オーナー企業
- 徳川夢声 - 新宿武蔵野館の主任弁士だった[7]。
- 山野一郎 - かつて活躍した日本の活動弁士。1923年頃から武蔵野館に勤務していた。
- シネマカリテ - 2012年開館の映画館
関連文献
[編集]- 武蔵野興業株式会社 監修 『映画の殿堂 新宿武蔵野館』 開発社、2011年12月、ISBN 978-4-7591-0135-5
脚注
[編集]- ^ 武蔵野興行株式会社『映画の殿堂 新宿武蔵野館』開発社、2011年12月1日、76頁。ISBN 978-4-7591-0135-5。
- ^ 東京朝日新聞 1920年6月30日朝刊4面
- ^ 武蔵野興行株式会社『映画の殿堂 新宿武蔵野館』開発社、2011年12月1日、88頁。ISBN 978-4-7591-0135-5。
- ^ トーキーの試写始まる、外国語に問題『東京日日新聞』昭和4年5月8日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p22 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ トーキー普及で弁士の失業続出『東京朝日新聞』昭和4年11月3日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p23)
- ^ “新宿武蔵野館が一時休館、「グリーン・インフェルノ」食人族がお礼の“人肉”配布”. 映画ナタリー (2016年1月28日). 2016年1月28日閲覧。
- ^ 武蔵野工業株式会社監修『映画の殿堂 新宿武蔵野館』和田賢一、2011年12月1日、89頁。ISBN 9784759101355。
外部リンク
[編集]- 新宿武蔵野館
- シネマ・カリテ1・2・3 港町キネマ通り
- 新宿武蔵野館の上映映画
- 新宿武蔵野館 (@musashinokan123) - X(旧Twitter)