桂千穂
かつら ちほ 桂 千穂 | |
---|---|
本名 | 島内三秀 |
別名義 | リチャード・ピータース |
生年月日 | 1929年 |
没年月日 | 2020年8月13日 |
出生地 | 岐阜県 |
国籍 |
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職業 |
脚本家、小説家、翻訳家、 映画評論家 |
ジャンル | 映画、テレビ |
活動期間 | 1955年 - 2020年 |
活動内容 |
1955年 TBS入社 1960年 シナリオ研究所入所 1966年 テレビ脚本家デビュー 1971年 新人シナリオコンクール入選 1972年 映画脚本家デビュー |
主な作品 | |
『暴行切り裂きジャック』 『HOUSE ハウス』 『昼下りの女 挑発!!』 『女王蜂』 『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』 『俗物図鑑』 『あした』 |
桂 千穂(かつら ちほ、1929年 - 2020年8月13日)[1]、日本の脚本家、小説家、翻訳家、映画評論家。男性。岐阜県出身[1]。本名は島内三秀である[2]。
人物・来歴[編集]
父は高知県出身の陸軍将校[3]。読書家だった母の影響と病弱だったことから、読書に耽る少年時代を送った[3]。1943年(昭和18年)、志願して名古屋陸軍幼年学校に入学し[4]、ここで終戦を迎える[5]。退校直前に幼年学校の映画会で古川緑波主演の喜劇を観て、映画の魅力に取り憑かれた[5]。
1954年(昭和29年)、早稲田大学文学部卒業[1]。1955年(昭和30年)にTBSに入社[6]。編成局連絡課に配属されるが、激務のために高校時代に患った結核が悪化して6ヶ月で退社[6]。以後、闘病生活など5年間のブランクを送る[6]。
1960年(昭和35年)、シナリオ作家協会が主宰するシナリオ研究所(現在のシナリオ講座)に入所[7]。修了後は國弘威雄主宰の同人誌『おりじなる』でシナリオ作家修業をつづけた[8]。講師だった井手俊郎と出会う。また、シナリオ講座で同じクラスだった大伴昌司、と出会い、紀田順一郎を加えた3人で日本最古のミステリ愛好家同好会 SR(シールド・ルーム)の会 の東京支部を設立し、同人誌「ホラー」を発行した[9][10]。また、1961年、『SFマガジン』の第1回空想科学小説コンテスト(ハヤカワ・SFコンテストの前身)で奨励賞を受賞する。
一方で、当時人気映画監督だった増村保造作品のシナリオを執筆していた白坂依志夫に師事し[1]、『盲獣』(1969年)では、白坂の指導を受けてシナリオの一部分を執筆している[11](クレジット記載はなし[12])。またシナリオコンクールへの応募を通して寺山修司にも師事するようになり[1][13]、演劇実験室・天井桟敷の『新宿千一夜物語(新宿アラビアンナイト)』(1969年)では原案を手掛け[14]、寺山の映画『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)には俳優として出演した[15]。
1966年(昭和41年)、TBSのテレビドラマ『愛妻くん』で、本名の島内三秀名義で[16] テレビドラマの脚本を手掛ける[17]。テレビアニメ『黄金バット』や演劇の脚本などを手掛けるが、なかなか思い通りの脚本を書けない不満を抱くようになる[18]。シナリオ作家として全然芽が出ないことに焦りを感じた桂は、本人いわく「やけっぱちに」なって[18]、シナリオ作家協会が主宰する1971年(昭和46年)の第21回新人シナリオコンクールに『血と薔薇は暗闇のうた』を応募し、入選を果たした[1]。この脚本は真っ黒な原稿用紙に白インクで書かれ、桂千穂という女性名義で、知人の女性の写真と「昭和22年(1947年)釧路市出身の24歳(応募当時の年齢)。聖霊女子学園大学卒業、敬愛する三島由紀夫さんに読んでもらいたくてこのシナリオを書いたが、(前年の1970年に三島が割腹自殺をとげたため)読んでいただけないのが残念」というデタラメのプロフィールを添えて応募されたものだった[2]。入選後に経歴と性別の詐称が発覚して騒動となるが[19]、シナリオ作家協会所属の八木保太郎や、八住利雄、橋本忍などのベテランライターが擁護して収束する[19]。脚本家としての実力も認められて、翌1972年(昭和47年)に西村潔監督のアクション映画『薔薇の標的』で「桂千穂」として白坂との共同脚本を経て、同年の『白鳥の歌なんか聞こえない』で単独の脚本家デビューを果たした[1]。以後、1970年代から1980年代にかけて、日活ロマンポルノを中心に、東映のアクション映画や大作映画、角川春樹事務所時代の角川映画など多様なジャンルの脚本を書く。
1981年(昭和56年)、監督:鷹森立一・主演:千葉真一の『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』以降は、『不良番長』シリーズの監督である内藤誠との共同脚本が多数を占めるようになった[20]。内藤監督作品『俗物図鑑』で筒井康隆と知己になり、『スタア』の脚本や未映像化の『大魔神』の脚本にも関わっている[21]。
ロマンポルノでは過激な作品を手掛け、日活社内で「変態脚本家」と呼ばれることもあったが[22]、一方では、『HOUSE ハウス』(1977年)から新・尾道三部作に至る大林宣彦監督作品の脚本も執筆している[23]。大林もまた『ハウス』で脚本を依頼するまで桂を女性だと思っていた一人であり[24]、桂がキネマ旬報の座談会(掲載号不明)に出席して写真が誌面に掲載されたのを見て「女性だと、趣味も同じだし、仕事を頼みにくいが、男なら一緒に仕事をしても大丈夫だと思った」と初対面の時に桂に語ったという[24]。
脚本のかたわら、ホラーや吸血鬼、ポルノなど得意の分野を小説にしている。また、SRの会時代から紀田順一郎と海外の恐怖小説やミステリを翻訳する活動を行っており、1997年(平成9年)に国書刊行会から刊行されたブラム・ストーカーの著書『ドラキュラの客』まで、映画関係やホラーなど多数の訳書を出した。映画の現場に携わる一方で、映画関係者へのインタビューや日本映画史に関する著書も多数執筆している。またシナリオ作家協会シナリオ講座の学長をつとめ、後進の指導にあたっていた。
2020年8月13日、老衰のために死去した(90歳没)[25]。
作品[編集]
※日本映画データベース参照[26]
※キネマ旬報映画データベース参照[27]
- 1972年
- 1973年
- 『熟れすぎた乳房 人妻』 : 日活、曽根中生監督
- 『女高生 肉体暴力』 : 日活、近藤幸彦監督
- 『大江戸性盗伝 女斬り』 : 日活、藤井克彦監督
- 『性豪列伝 夜の牝馬ならし』 : 日活、林功監督
- 1974年
- 『SEXハイウェイ 女の駐車場』 : 日活、磯見忠彦監督
- 1975年
- 『薔薇と鞭』 : 日活、遠藤三郎監督
- 『(秘)海女レポート 淫絶』 : 日活、近藤幸彦監督
- 『看護婦(秘)カルテ 白い制服の悶え』 : 日活、八巻晶彦監督
- 1976年
- 『団地妻 肉体金融』 : 日活、西村昭五郎監督、共同脚本=兼子平吉
- 『淫絶未亡人』 : 日活、曽根中生監督、共同脚本=吉原幸夫
- 『暴行切り裂きジャック』 : 日活、長谷部安春監督
- 『色情妻 肉の誘惑』 : 日活、西村昭五郎監督
- 1977年
- 『レイプ25時 暴姦』 : 日活、長谷部安春監督、共同脚本=白坂依志夫
- 『ホテル強制わいせつ事件 犯して!!』 : 日活、蔵原惟二監督
- 『むれむれ女子大生』 : 日活、林功監督、共同脚本=出雲龍
- 『HOUSE ハウス』 : 東宝映像、大林宣彦監督
- 『(秘)ハネムーン 暴行列車』 : 日活、長谷部安春監督、共同脚本=長谷部安春
- 1978年
- 『修道女ルシア 辱(けが)す』 : 日活、小原宏裕監督
- 『女王蜂』 : 東宝映画、市川崑監督
- 『ザ・コールガール 情痴の檻』 : 日活、林功監督
- 『教師 女鹿』 : 日活、曽根中生関東
- 『黒薔薇夫人』 : 日活、西村昭五郎監督
- 『金曜日の寝室』 : 日活、小沼勝監督、共同脚本=下飯坂菊馬
- 『宇能鴻一郎の看護婦寮』 : 日活、西村昭五郎監督
- 『おんな刑務所』 : 日活、白井伸明監督
- 『暴(や)る!』 : 日活、長谷部安春監督、共同脚本=長谷部安春
- 『透明人間 犯せ!』 : 日活、林功監督
- 1979年
- 『昼下りの女 挑発!!』 : にっかつ、斎藤信幸監督
- 『希望ヶ丘夫婦戦争』 : にっかつ、西村昭五郎監督
- 『ズームアップ 暴行現場』 : にっかつ、小原宏裕監督
- 『愛欲の標的(ターゲット)』 : にっかつ、田中登監督
- 1980年
- 『ズームイン 暴行団地』 : にっかつ、黒沢直輔監督
- 『薔薇の標的』 : 東映セントラルフィルム、村川透監督、共同脚本=白坂依志夫
- 『団鬼六 薔薇地獄』 : にっかつ、西村昭五郎監督
- 『百恵の唇 愛獣』 : にっかつ、加藤彰監督
- 1981年
- 『ズームアップ ビニール本の女』 : にっかつ、菅野隆監督
- 『愛獣 悪の華』 : にっかつ、加藤彰監督
- 『シリウスの伝説』 : サンリオ、波多正美監督
- 『蔵の中』 : 角川春樹事務所、高林陽一監督
- 『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』、東映、鷹森立一監督、共同脚本=内藤誠
- 『セクシー・ぷりん 癖になりそう』 : にっかつ、加藤彰監督、共同脚本=内藤誠
- 1982年
- 『宇能鴻一郎の人妻いじめ』 : にっかつ、白鳥信一監督、共同脚本=内藤誠
- 『鏡の中の悦楽』 : にっかつ、西村昭五郎監督
- 『団鬼六 蒼いおんな』 : にっかつ、藤井克彦監督
- 『あんねの子守唄』 : にっかつ、西村昭五郎監督、共同脚本=内藤千穂(桂千穂と内藤誠の合名)、木村智美
- 『俗物図鑑』 : STUDIO200、内藤誠監督、共同脚本=内藤誠
- 『雪華葬刺し』 : 大映京都撮影所、高林陽一監督
- 1983年
- 『縄と乳房』 : にっかつ、小沼勝監督 ※宇治英三名義で執筆
- 『火照る姫(ホテルヒメ)』 : にっかつ、西村昭五郎監督
- 『襲われる女教師』 : にっかつ、斎藤信幸監督
- 『宇能鴻一郎の姉妹理容室』 : にっかつ、中原俊監督、共同脚本=内藤誠
- 『幻魔大戦』 : 角川春樹事務所、りんたろう監督、共同脚本=内藤誠、真崎守
- 『女帝』 : ヴァンフィル、関本郁夫監督、共同脚本=内藤誠
- 『アイコ十六歳』 : アミューズ・シネマ・シティ、今関あきよし監督、共同脚本=今関あきよし、秋田光彦、内藤誠
- 『唐獅子株式会社』 : 東映東京撮影所、曽根中生監督、共同脚本=内藤誠
- 『女猫』 : にっかつ、山城新伍監督、共同脚本=内藤誠
- 『鍵』 : 木俣堯喬監督、出演のみ
- 1984年
- 『廃市』 : PSC、新日本制作、ATG、大林宣彦監督、共同脚本=内藤誠
- 『少年ケニヤ』 : 角川春樹事務所、東映動画、大林宣彦監督(共同監督=今沢哲男)、共同脚本=内藤誠、剣持亘
- 『丸茂ジュンの痴女日記』 : にっかつ、西村昭五郎監督
- 『姉日記』 : にっかつ、那須博之監督
- 1985年
- 『俺たちの行進曲』 : 田中プロダクション、渡辺祐介監督、共同脚本=内藤誠、渡辺祐介
- 『花と蛇 地獄篇』 : にっかつ、西村昭五郎監督
- 『女銀行員 暴行オフィス』 : にっかつ、西村昭五郎監督
- 『オーガズム・真理子』 : にっかつ、加藤文彦監督
- 1986年
- 『スタア』 : 筒井康隆大一座、プルミエ・インターナショナル、内藤誠監督、共同脚本=筒井康隆、内藤誠
- 『芦屋令嬢 いけにえ』 : にっかつ、池田賢一監督
- 1987年
- 1988年
- 『冴島奈緒 アクメ記念日』 : にっかつ、瀬川正仁監督、共同脚本=若月ユウ陽
- 『菩提樹 リンデンバウム』 : 東映、エス・ワンカンパニー、山口和彦監督、共同脚本=内藤誠
- 1991年
- 『ふたり』 : ギャラック・エス・シー、NHKエンタープライズ、大林宣彦監督
- 『福沢諭吉』 : 東映京都撮影所、澤井信一郎監督、共同脚本=笠原和夫
- 1995年
- 『エミリーがやってきた Emily come to Japan』 : 東映教育映像部、原功監督
- 『あした』 : アミューズ、ピー・エス・シー、イマジカ、プライド・ワン、大林宣彦監督
- 1997年
- 2017年
- 『花筐/HANAGATAMI』 : 唐津映画製作推進委員会/(株)PSC - 原作:檀一雄「花筐」、大林宣彦監督、共同脚本=大林宣彦
著書[編集]
単著[編集]
- リチャード・ピーターズ名義『女教師のめざめ』フランス書院 1980
- リチャード・ピーターズ名義『女教師のめざめ』1982 (フランス書院スペシャル)
- 『插入る!』1982 (フランス書院オリジナル)
- 『私立女子高教師』1986 (フランス書院文庫)
- 『血と薔薇は暗闇のうた 長編ホラー・サスペンス小説』大陸書房(奇想天外ノベルス) 1987
- 『黒い下着の女医』1988 (フランス書院文庫)
- 『スチュワーデス・肛虐飛行』1989 (フランス書院文庫)
- 『看護婦静香・二十歳』1991 (フランス書院文庫)
- 『白い少女』1995 角川ホラー文庫
- 『多重映画脚本家桂千穂』北里宇一郎, 北川れい子 編 ワイズ出版 2005
- 『カルトムービー 本当に面白い日本映画1945⇒1980』メディアックス 2014
- 『カルトムービー 本当に面白い日本映画1981⇒2013』メディアックス 2014
- 『カルトムービー 本当に恐ろしいホラー映画1945⇒2013』メディアックス 2014
- 『新東宝は"映画の宝庫"だった 1947-1961』メディアックス 2015
- 『エンタ・ムービー 本当に驚いたSF映画1945⇒2014』メディアックス 2015
- 『エンタ・ムービーラスト3分にシビレた映画1945⇒2016』メディアックス 2017
- 『桂千穂のシナリオはイタダキで書け! : 「ふたり」「廃市」「幻魔大戦」の脚本家』メディアックス 2017
共編著[編集]
- 『実感的シナリオ講座』 内藤誠、如月小春共著 風媒社 1986
- 『スクリプター 女たちの映画史』聞き書き 日本テレビ放送網 1994
- 『にっぽん脚本家クロニクル』編・著 ワールドマガジン社 1996
- 『松本清張映像作品サスペンスと感動の秘密 映画の創り手たちが語る松本清張映画化作品の全て』編集部共著 メディアックス 2014
- 『真の栄冠はこの映画に : 1945→2016 外国映画篇』掛札昌裕共著 メディアックス 2016
翻訳[編集]
- A.ブラックウッド『妖怪博士ジョン・サイレンス』紀田順一郎共訳 国書刊行会(ドラキュラ叢書) 1976 のち角川ホラー文庫
- ブラム・ストーカー『ドラキュラの客』国書刊行会 ドラキュラ叢書 1976
- イーデン・フィルポッツ『狼男卿の秘密』国書刊行会 ドラキュラ叢書 1976
- カート・アルドリッチ『背徳牧師』フランス書院 1978 ※Deep Crotch Mother by Curt Aldrich[28]の翻訳
- バリー・リンダー『媚薬』フランス書院 1980
- ノーマ・イーガン『女高校教師』1980 (フランス書院ノベルズ)
- ノーマ・イーガン『伯父vs.姪』1981 (フランス書院ノベルズ)
- バリー・リンダー『媚薬に狂う』1982 (フランス書院ノベルズ)
- ノーマ・イーガン『襲われる女教師』1986 (フランス書院文庫)
- 邱良,余慕雲編著『昨夜星光 香港映画を彩るヒロインとヒーローたち 1940'S-1970'S』キャビー・ダン共編訳 ワイズ出版 1996
漫画原作[編集]
- 『先生、エッチね!』ふらんそーわ著 1988 (フランス書院コミック文庫)
- 『スチュワーデス加奈子のひみつ』土屋慎吾著 1990 (フランス書院コミック文庫)
註[編集]
- ^ a b c d e f g シナリオ作家協会ホームページ、シナリオ作家リレー日記「桂千穂」プロフィール。2010年4月25日閲覧。
- ^ a b 第一部 第一章 『血と薔薇は暗闇のうた』~桂千穂誕生、p.8.
- ^ a b 第一部 第二章 軍国少年、そして戦後……、p.18-p.19.
- ^ 第一部 第二章 軍国少年、そして戦後……、p.21.
- ^ a b 第一部 第二章 軍国少年、そして戦後……、p.22-p.23.
- ^ a b c 第一部 第三章 シナリオ修業時代、p.28-p.29.
- ^ 第一部 第三章 シナリオ修業時代、p.31.
- ^ 第一部 第三章 シナリオ修業時代、p.33.
- ^ 大伴昌司#経歴#大学卒業後
- ^ 第一部 第三章 シナリオ修業時代、p.35.
- ^ 第四章 脚本家・白坂依志夫、p.45.
- ^ 日本映画データベース『盲獣』、2010年4月25日閲覧。
- ^ 第一部 第四章 脚本家・白坂依志夫、p.39.
- ^ 第一部 第四章 脚本家・白坂依志夫、p.49.
- ^ 日本映画データベース『書を捨てよ町へ出よう』、2010年4月25日閲覧
- ^ テレビドラマデータベース『愛妻くん』、2010年4月25日閲覧
- ^ 第一部 第四章 脚本家・白坂依志夫、p.45.
- ^ a b 第一部 第一章 『血と薔薇は暗闇のうた』~桂千穂誕生、p.9.
- ^ a b 第一部 第一章 『血と薔薇は暗闇のうた』~桂千穂誕生、p.11.
- ^ 第三部 第一章 『冒険者カミカゼ』~アクション映画論、p.140.
- ^ 第四部 第五章 幻の映画・幻のシナリオ、p.251.
- ^ あとがき みなさん、ありがとう、桂千穂、p.327.
- ^ 日本映画データベース、桂千穂。2010年4月25日閲覧。
- ^ a b 第二部 第五章 『HOUSE ハウス』~大林宣彦監督との出会い、p.87.
- ^ "脚本家・桂千穂氏死去 大林宣彦監督の「ふたり」担当". 産経ニュース. 産経デジタル. 1 September 2020. 2020年9月2日閲覧。
- ^ 桂千穂、日本映画データベース、2010年4月27日閲覧。
- ^ 桂千穂、キネマ旬報映画データベース、2010年4月27日閲覧。
- ^ “Deep Crotch Mother by Curt Aldrich”. LibraryThing. 2022年7月5日閲覧。
参考文献[編集]
- 桂千穂著 北里宇一郎・北川れい子編『多重映画脚本家 桂千穂』、ワイズ出版、2005年 ISBN 489830186X