薩摩剣八郎
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さつま けんぱちろう 薩摩 剣八郎 | |
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本名 | 前田靖昭 |
別名義 | 久坂龍馬、中山剣吾 |
生年月日 | 1947年5月27日(75歳) |
出生地 |
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職業 | 俳優、スーツアクター |
ジャンル | 映画・テレビドラマ |
活動期間 | 1967年 - |
主な作品 | |
『ゴジラ』 |
薩摩 剣八郎(さつま けんぱちろう、1947年[1][2]5月27日[3][4] - )は、日本の俳優、スーツアクター。鹿児島県生まれ[出典 1]。本名は前田靖昭[6]。別名に久坂龍馬、中山剣吾[6]。特技は水彩画、示現流剣術、空手道。薩摩豪剣研修会主宰[5]。
経歴[編集]
- 1965年、川崎製鉄(現JFEスチール)に入社。翌年より千葉製鉄所に勤務。
- 1967年、川崎製鉄を退社し、日活演技研究所(日活芸能教室)の一期生として入所。同所を卒業後、劇団日活青年劇場に在籍。芸名は久坂龍馬。
- 1969年、日活専属俳優となる。
- 1970年、三船プロダクションに移籍。芸名を中山剣吾に改める。
- 1971年、『ゴジラ対ヘドラ』にヘドラ役で出演[出典 2]。初めてスーツアクターを務めた[7][2]。
- 1973年、ピー・プロダクションの附属劇団「河童」を主宰。
- 1984年、『ゴジラ』にゴジラ役で出演[出典 3]。これを期に芸名を薩摩剣八郎と改名し、同作から『ゴジラvsデストロイア』(1995年)まで、重厚な着ぐるみを着て主役であるゴジラを演じた[3]。
エピソード[編集]
- 空き地で剣術を稽古していたところ、徐々にエスカレートして他人の土地に道場を建設するまでに至った結果、地主に見つかって泣く泣く退去させられた。[要出典]
- 北朝鮮映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』では、撮影自体は楽であったが、現地の人々の純粋さが忘れられないといい、再び北朝鮮を訪れたいと語っていた[6]。
ゴジラに関するエピソード[編集]
『ゴジラ対ヘドラ』への出演は、東宝で特技監督の中野昭慶に出会ったことがきっかけであった[1]。自分は顔出しの役だと思っていたため、怪獣(ヘドラ)役と知って落胆したが、事務所からギャラが良いと勧められ、引き受けたという[1]。また、以前からゴジラの名は知っていたが、映画館で鑑賞したことはなかった[1]。ヘドラが煙突から煙を吸うシーンでむせ返るなどの苦労もあったが、撮影が終わる頃には面白いと感じるようになったと述懐している[1]。一方、ヘドラやガイガンでは、ただ演じるだけで精一杯であったとも述べている[6]。
『ゴジラ』(1984年)では、「185cmを超える役者」とのオファーに対し、当時主宰していた劇団の役者を推薦したものの辞退されたことから、代わりに自分(身長170cm)が演じることとなった[6]。その結果、スーツはサイズが合わずにたるみ、覗き穴の位置も合っていなかったため、自ら穴を開けたという[6][2]。また、同作品の撮影時にメイキングを担当していた川北紘一に対し、メイキング用の撮影を断るなど不遜な態度をとっていたため、川北が特技監督を務めた次作『ゴジラvsビオランテ』以降のシリーズに起用されたのは意外であったという[3]。薩摩を推薦したのも、川北であった[3][5]。薩摩は『ゴジラ』での演技に悔いが残っていたため、薩摩流のゴジラを作り出そうと改めて研究したといい、撮影で東宝映画会長の田中友幸から評価されたことにより、自身を得られたと語っている[5]。
VSシリーズの撮影では、ゴジラのスーツに入ったら待たせないことを条件としていた[3]。これは現場をだらけさせない意図もあったといい、川北も薩摩がスーツに入ると現場に活を入れていたという[3]。一方、ゴジラ付きのスタッフを気遣い、中に針金などが入ってしまっても言わずにおくなどしていた[6]。
スーツは視界が悪いため、操演で飛んでくる敵怪獣とぶつかる際はタイミングをリハーサルで覚え、本番ではほとんど勘に頼って動いていると語っている[8][3]。
『ゴジラvsデストロイア』ではメカニックや電飾も含めたスーツの重量が120キログラムを越えるなど、過酷を極めた[出典 4]。後年に述懐したところによれば、スーツ内の炭酸ガスの噴射ギミックによる酸欠[注釈 1]で4回ほど卒倒したため、酸素ボンベを常時入れるようにしてもらったという[10][8]。その後も、レギュレーターが外れそうになったり[8]、ボンベのホースが捻れて酸素が来ないことがたびたびあったと述懐している[2]。
スーツの着用時は心理的な恐怖も生じるため、スーツアクターは肉体的な強さだけでなく、絶対的な自信を持つ精神力も必要であると述べている[3]。爆発や怪我よりも、閉鎖された中での恐怖が強く、スーツの中に入ったら何も考えないようにしているという[6]。
イベントなどでアトラクション用のスーツに入る機会もあったが、本心では嫌であったという[6]。また、テレビなどで他人が演じたゴジラも薩摩が入っていたかのように思われるのも辛いと語っている[6]。
薩摩は、『vsデストロイア』で完全燃焼はしていないが、最後と決めて演じたため、ゴジラに対して未練や後悔はないと語っている[8][3]。
第1作『ゴジラ』からシリーズに出演している俳優の宝田明は、『ゴジラvsモスラ』の撮影初日に薩摩からゴジラ役として挨拶をされたといい、ゴジラ役に誇りを持っている薩摩の姿勢に感銘を受けたことを述懐している[11]。
出演[編集]
映画[編集]
ゴジラシリーズ[編集]
役名表記のない作品ではゴジラ役。
- ゴジラ対ヘドラ(1971年、東宝) - ヘドラ役[出典 5]
- 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年、東宝) - ガイガン役[出典 6]
- ゴジラ対メガロ(1973年、東宝映像) - ガイガン役[出典 7][注釈 2]
- ゴジラ(1984年、東宝)[注釈 3]
- ゴジラvsビオランテ(1989年、東宝)
- ゴジラvsキングギドラ(1991年、東宝)
- ゴジラvsモスラ(1992年、東宝)
- ゴジラvsメカゴジラ(1993年、東宝)
- 怪獣プラネットゴジラ(1994年、サンリオピューロランドで上映された3D映画)
- ゴジラvsスペースゴジラ(1994年、東宝)
- ゴジラvsデストロイア(1995年、東宝)
その他[編集]
- あゝひめゆりの塔 (1968年、日活)
- 新選組 (1969年、東宝/三船プロ)
- 待ち伏せ (1970年、東宝/三船プロ)
- 東宝8.15シリーズ(東宝)
- 激動の昭和史 軍閥 (1970年)
- 激動の昭和史 沖縄決戦 (1971年)
- 海軍特別年少兵 (1972年)
- ノストラダムスの大予言 (1974年、東宝)
- 戦国自衛隊 (1979年、角川映画) - 小泉家家臣役
- 連合艦隊 (1981年、東宝映画)
- 駅 STATION (1981年、東宝映画)
- プルガサリ 伝説の大怪獣 (1985年、北朝鮮映画) - プルガサリ役[6]
- 川島芳子 (1990年、香港映画)
- ヤマトタケル (1994年、東宝映画) - ヤマタノオロチ役[14]
- セクシーパブ 乳揉み尻さすり (1999年、石井プロダクション)
- 地獄 (1999年、石井プロダクション) - 青鬼役
- 盲獣vs一寸法師 (2001年、石井プロダクション) - 人形師・安川役
- 川奈まり子 桜貝の甘い水 (2002年、小林プロ)
テレビ[編集]
- 天皇の世紀 (1971年) - 橋口伝蔵
- ライオン奥様劇場・大奥の女たち(1971年)
- 大忠臣蔵 (1971年)
- ウルトラシリーズ
- 帰ってきたウルトラマン 第31話(1971年) - MAT基地警備員
- ウルトラマンA 第13・14話(1972年)
- サンダーマスク(1972年) - サンダーマスク[注釈 4]
- 風雲ライオン丸(1973年) - タイガージョーJr.
- 鉄人タイガーセブン 第11話(1973年) - 補修員
- 特別機動捜査隊 第690話(1975年) - 太郎、第700話(1975年) - 岡田
- 花神 (1977年)
- 裸の大将放浪記 (1980年、第1作)
- 鬼平犯科帳 第1シリーズ 第13話「蛇の眼」(1980年、ANB)
- 峠の群像 (1982年)
オリジナルビデオ作品[編集]
- 淫獣大戦キトラ (2001年)
- 時空警察ヴェッカー (2001年)- 用心棒(友情出演)
- Pマン サイバー美少女0指令(2003年) - 示現流師範役
著書[編集]
- 『ゴジラが見た北朝鮮 金正日映画に出演した怪獣役者の世にも不思議な体験記』(ネスコ、1988年) ISBN 4-89036-747-0
- 『ゴジラのなかみ』(筑摩書房、1993年) ISBN 4-480-04176-1
- 『ゴジラついに大往生』(近代文芸社、1996年) ISBN 4-7733-5128-4
- 『俺は俳優だ 着グルミ役者と呼ばれて30年』(ワイズ出版、2004年) ISBN 4-89830-179-7
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k 東宝チャンピオンまつりパーフェクション 2014, p. 111, 「東宝チャンピオンまつり スーツアクター列伝」
- ^ a b c d e f g h ゴジラ造型写真集 2017, pp. 122–123, 「ゴジラを演じた男たち 薩摩剣八郎」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 254–255, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 薩摩剣八郎」
- ^ a b “平成ゴジラ!薩摩剣八郎オフィシャルサイト”. 東京ナラサキ研究所. 2021年9月29日閲覧。
- ^ a b c d e f 平成ゴジラパーフェクション 2012, pp. 124–125, 「スペシャルインタビュー 薩摩剣八郎」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 大ゴジラ図鑑 1995, p. 173, 「INTERVIEW Gを作った男たち 薩摩剣八郎に聞く」
- ^ a b c d e f 超常識 2016, pp. 140–141, 「Column ゴジラ映画 スーツアクター列伝」
- ^ a b c d e 東宝SF特撮映画シリーズ10 1996, pp. 148–153, 「インタビュー 薩摩剣八郎」
- ^ ゴジラ造型写真集 2017, p. 77, 「1995 ゴジラVSデストロイア」
- ^ “『ゴジラVSデストロイア』トークイベント、"ゴジラの死"やスーツ撮影秘話明かす”. マイナビニュース (マイナビ). (2018年1月25日) 2022年12月12日閲覧。
- ^ 「インタビュー 宝田明」 『ゴジラVSモスラ』東宝出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.7〉、1993年1月15日、156頁。ISBN 4-924609-43-9。
- ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, p. 537, 「主要特撮作品配役リスト」
- ^ 薩摩剣八郎「プロローグ いざ、ハリウッドへ」 『ゴジラが見た北朝鮮 金正日映画に出演した怪獣役者の世にも不思議な体験記』ネスコ、1988年10月31日、18-19頁。ISBN 4-89036-747-0。
- ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 241, 「『ヤマトタケル』作品解説」
出典(リンク)[編集]
参考文献[編集]
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑』[監修] 西村祐次 [構成] ヤマダマサミ、ホビージャパン、1995年1月27日。ISBN 4-89425-059-4。
- 『ゴジラVSデストロイア』東宝〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.10〉、1996年1月26日。ISBN 4-924609-60-9。
- 『平成ゴジラ クロニクル』川北紘一 特別監修、キネマ旬報社、2009年11月30日。ISBN 978-4-87376-319-4。
- DENGEKI HOBBY BOOKS(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)
- 『平成ゴジラパーフェクション』監修:川北紘一、アスキー・メディアワークス〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2012年2月10日。ISBN 978-4-04-886119-9。
- 電撃ホビーマガジン編集部 編 『ゴジラ 東宝チャンピオンまつり パーフェクション』KADOKAWA(アスキー・メディアワークス)〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2014年11月29日。ISBN 978-4-04-866999-3。
- 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2。
- 『ゴジラの超常識』[協力] 東宝、双葉社、2016年7月24日 (原著2014年7月6日)。ISBN 978-4-575-31156-3。
- 『GODZILLA GRAPHIC COLLECTION ゴジラ造型写真集』ホビージャパン、2017年7月29日。ISBN 978-4-7986-1474-8。