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大森一樹

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おおもり かずき
大森 一樹
大森 一樹
生年月日 (1952-03-03) 1952年3月3日(70歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市[1]
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビドラマ
主な作品
ゴジラVSビオランテ
ゴジラVSキングギドラ
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大森 一樹(おおもり かずき[2]1952年昭和27年)3月3日[3][4] - )は、日本男性映画監督脚本家。株式会社ファーストウッド・エンタテインメント代表取締役。大阪芸術大学芸術学部映像学科学科長[3]

文芸作品から怪獣映画まで幅広いジャンルを手掛ける[2]

略歴

大阪府[3]大阪市出身[2]兵庫県芦屋市育ち・在住。医師の家に育つ。芦屋市立精道中学校六甲高等学校京都府立医科大学医学部卒業。医師免許を持つ映画監督という希少な人物でもある[4]

もともと漫画少年であり、手塚治虫真崎守の作品などに影響を受ける。高校生時代から映画監督を目指して自主映画を制作し、村上知彦と知合う。大学在学中の1973年から、村上・西村隆らと映画自主上映グループ「グループ無国籍」を結成し、新開地の映画館で邦画のオールナイト上映企画を行った。また、やはり大学時代に完成させた16ミリ映画『暗くなるまで待てない!』が、自主映画ながらキネマ旬報ベスト10で21位に入るなど、高く評価される。

1978年、「城戸賞」受賞のシナリオを自ら監督した『オレンジロード急行』で商業映画デビュー[5][3][2]。前年の東宝の大林宣彦、同年の日活の石井聰亙らとともに、自主映画作家が助監督経験なしに大手撮影所でいきなり監督をつとめるムーブメントとして話題を呼ぶが、CFの分野で商業映像の経験が豊富だった大林、澤田幸弘との共同監督という形だった石井に対し[注釈 1]、まったくのアマチュアでありながらメジャー松竹の番線作品で単独の脚本兼監督を担当した大森の事例は際立っており、今日に至るまで類例がない。この作は必ずしも高い評価を受けられなかったが、自身の体験を元にして大学病院を舞台にした作品『ヒポクラテスたち』で各種映画賞を受賞[2]

以降、中学校の先輩である村上春樹作品の映画化『風の歌を聴け』を経て、1982年6月には長谷川和彦相米慎二らと若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」(ディレカン)を設立[6][7]。 1984年からの吉川晃司主演三部作以降、会社企画の娯楽映画にも対応できる職人監督として東宝の信頼が厚くなり、斉藤由貴主演の三部作、社外監督としては初の参加となったゴジラシリーズなど多くの作品に携わる[5][4]

1998年に『日本沈没1999』の監督に起用されたが、松竹の経営不振により、製作中止になった。

都内に事務所を持っているものの、デビューから一貫して関西を拠点としている。2000年4月から2005年3月大阪電気通信大学総合情報学部メディア情報文化学科教授。 2005年4月から大阪芸術大学芸術学部映像学科・同大学院教授。

2015年第28回東京国際映画祭のコンペティション部門審査員を務める[8]

ゴジラシリーズについて

大森が監督を務めた『ゴジラvsビオランテ』および『ゴジラvsキングギドラ』にて平成ゴジラVSシリーズの方向性を決定づけたとされる[3]。大森自身は、『vsビオランテ』は大張り切りであったが、『vsキングギドラ』は苦し紛れの開き直りであったと述懐している[2]

大森はポリティカル・フィクションを好んでおり、また自分たちの世代が軍人になったらどうなるかという想いを抱いていたことから、ゴジラは現代における戦争映画という想定で、政治的・軍事的要素を取り入れている[5]

『vsビオランテ』当時はSFXが流行していたため、大森も特撮について勉強していたが、監督と特撮監督が対等な立場であったことには驚いたという[3]。撮影においては、特撮班と揉めるようなことはなく、互いにアイデアを取り入れるなど強調できていたと語っている[3]。一方で、特撮シーンは特撮班の担当となるため、監督として主役のゴジラやクライマックスを撮影できないことは致命的だといい、特撮部分にも目を通したいと述べていた[5]

幼少期に鑑賞した『モスラ対ゴジラ』に感銘を受けたといい、モスラが登場する『モスラVSバガン』や『ゴジラvsモスラ』の脚本を手掛けたほか、『vsビオランテ』も女性的な怪獣のイメージや戦闘シーンの多さなど影響を受けているという[2]。『vsモスラ』では、自身で監督を務める意志もあったといい、モスラに思い入れがあったことから残念であったと述べている[3][2]

VSシリーズを通して登場するヒロイン三枝未希について、独自に「三枝未希サーガ」を思い描いており、未希の祖父が旧日本陸軍で巨大兵器を開発していたなどの設定を想定していた[5]。大森は、未希について『モスラ対ゴジラ』の小美人に通ずるキャラクターだと述べている[2]

『vsビオランテ』で主演を務めた三田村邦彦は、大森についてインテリだがおおらかで、映画業界特有の緊迫感がなく、現場も和やかであったと証言している[9]。『vsキングギドラ』に出演した中川安奈は、現場をアクティブに引っ張る熱血漢であったと評している[10]

監督作品

自主制作映画

映画

テレビドラマ

脚本作品

映画

未製作脚本

テレビドラマ

ラジオドラマ

著書

単著

  • 1978年『MAKING OF オレンジロード急行』ぴあ出版
  • 1981年『虹を渡れない少年たちよ』PHP
  • 1986年『星よりひそかに 大森一樹の作った本』東宝出版事業室
  • 1987年『トットチャンネル シナリオ写真集』東宝出版事業室
  • 1987年『「さよなら」の女たち シナリオ写真集』東宝出版事業室
  • 1989年『映画物語』筑摩書房
  • 1998年『震災ファミリー』平凡社
  • 2001年『あなたの人生案内』平凡社

共著

出演

カメオ出演

ラジオ

CM

その他

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 脚本もそれぞれ別のプロが執筆している。
  2. ^ 3監督によるオムニバス。
  3. ^ 北里宇一郎と共作。
  4. ^ 内藤忠司水上清資手塚昌明と共作。
  5. ^ 時任三郎東野英治郎蟹江敬三主演。

出典

  1. ^ 大森一樹監督インタビュー INTRO 2018年7月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i モスラ映画大全 2011, pp. 74–75, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 監督 大森一樹」
  3. ^ a b c d e f g h 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 226–229, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 大森一樹」
  4. ^ a b c 超常識 2016, p. 155, 「Column ゴジラ映画 監督・特技監督人名録」
  5. ^ a b c d e ゴジラ大全集 1994, p. 154, 「SPECIAL INTERVIEW 動と動のゴジラ映画 大森一樹」
  6. ^ 長谷川和彦・根岸吉太郎・相米慎二「ディレクターズ・カンパニーの監督たち シンポジウム報告」司会・大久保賢一『キネマ旬報』1990年5月下旬号、pp.140-143
  7. ^ 大森一樹監督名作『ヒポクラテスたち』初BD化記念、80年代を中心に邦画特集 2018年7月9日閲覧。
  8. ^ 東京国際映画祭コンペ部門の審査委員6名が決定” (2015年9月24日). 2015年9月24日閲覧。
  9. ^ 平成ゴジラパーフェクション 2012, pp. 18–19, 「キャストインタビュー 三田村邦彦」
  10. ^ 平成ゴジラパーフェクション 2012, pp. 32–33, 「キャストインタビュー 中川安奈」
  11. ^ 国立映画アーカイブ:http://nfad.nfaj.go.jp/det.php?mode=0&data_id=98559&key=暗くなるまで待てない
  12. ^ a b 平成ゴジラパーフェクション 2012, p. 144, 「平成ゴジラバーニング・コラム No.006 川北監督を探せ!」

参考文献

  • テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X
  • 『平成ゴジラ クロニクル』川北紘一 特別監修、キネマ旬報社、2009年11月30日。ISBN 978-4-87376-319-4
  • 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2
  • 『平成ゴジラパーフェクション』監修:川北紘一アスキー・メディアワークス〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2012年2月10日。ISBN 978-4-04-886119-9
  • 『ゴジラの超常識』[協力]東宝、双葉社、2016年7月24日(原著2014年7月6日)。ISBN 978-4-575-31156-3

関連項目

外部リンク