すぎやまこういち
| すぎやま こういち | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 椙山浩一 |
| 生誕 | 1931年4月11日(86歳) |
| 出身地 | |
| 学歴 | 東京大学教育学部教育心理学科[1] |
| ジャンル | 歌謡曲、アニメソング、ゲーム音楽 |
| 職業 | 作曲家、編曲家 |
| 担当楽器 | 指揮 |
| 活動期間 | 1950年代 - |
| レーベル | SUGIレーベル |
| 事務所 | スギヤマ工房 |
| 公式サイト | sugimania.com |
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一、1931年4月11日 - )は、日本の作曲家、編曲家。日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。
目次
経歴[編集]
生い立ち[編集]
東京府東京市下谷区(現在の台東区)生まれ。祖母が子守唄として讃美歌を歌っていた[2]ことや、両親が音楽好きだったことから、幼少から音楽に親しむ。また両親がゲーム好きだったことから、物心がついた頃からゲーム好きだった[1]。
小学校時代は父の仕事の影響で引越しが多く、1年(東京市鷹番尋常小学校)[3]、2年 - 5年(清水尋常小学校)[3]、5年 - 6年(市川真間小学校)[3]と転校を繰り返す。名古屋に住んでいた頃から鼻歌で作曲を始めるようになる。カール・ブッセの「山のあなた」にメロディをつけて[4]。母親に譜面に起こしてもらい家族で歌っていたという。楽譜の読み書き(ソルフェージュ)自体は、この時に父母と声で三部合唱している内に、自然に覚えた[要出典]。
千葉県立千葉中学校[2]に入学するものの、戦況の悪化に伴い、大分県竹田市・岐阜県坂下町に疎開。戦後、東京に戻るが、食糧不足から壊血病になり死にかける。この時期、父が焼け残った我が家の反物を持って、荻窪の駅前にあったレコード屋さんに行き、物々交換でベートーヴェンのレコード[1]やオーケストラの楽譜[2](交響曲第6番、7番のスコア)を手に入れてきてくれたので、それを元に独学でクラシック音楽の勉強を重ねた。具体的には、「田園」のレコードを竹針の蓄音機で掛けながら、コントラバスのパートなどを声で一緒に歌う、という勉強法で、音楽のエッセンスを身に染み込ませた。
東京都立武蔵中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)2年に編入[3]。ここで青島幸男や砂田実と知り合い、青島とは生涯の親友になる。すぎやまが級長、砂田が副級長、青島が問題児という関係であり、退学寸前の大問題を起こした青島を砂田とともに職員会議に乗り込んで助ける[5]など迷惑を被る一方、青島は当時クラシック一辺倒だったすぎやまにジョージ・ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』を薦め、ポップスに興味を持たせるなど、短いながらも濃密な時間を過ごした[要出典]。
新制高校の第1期生として成蹊高等学校に入学した後は音楽漬けの日々を送り、音楽部を創立[3]。3年の時には戦時中に活動休止していた学内オーケストラを再組織し、指揮と編曲を務める[6]。このオーケストラには成蹊中学校の服部克久も参加(トランペット担当)。服部はその後もすぎやまに誘われる形でジャズバンドにも参加している。またそのジャズバンドではすぎやまはベーシストを担当していた。卒業が迫った頃には谷桃子バレエ団の依頼でオペラ用に「子供のためのバレエ『迷子の青虫さん』」を作曲[7]。このオペラは何度も再演された。
当初は音楽大学への進学を望んでいたが、ピアノが弾けなかった[1][2]ことから断念し(『週刊Gallop』の鈴木淑子との対談記事では「音大志望だったがお金がなかったから東大に進学した。」とも述べている)、東京大学理科II類に進学[8]。学業に専念できず、音楽活動と遊びに専念。3年次、自由な時間がなくなるのを嫌って、教育学部教育心理学科へ傍系進学[3]。しかし、教官が(授業にあまり出ない)すぎやまの顔を覚えていたために、テストを受けさせてもらえないなどしたため1年留年[3]して卒業。卒業論文は「青少年の年齢層に対するジャズブームの考察」というもので、テープ(ジャズのリズム隊を従え、実際に音を出しながらすぎやまが語るという形式)で提出した[要出典]。
卒業後、父のコネで工場の品質管理のアルバイトをしていたが、「子供のためのバレエ『迷子の青虫さん』」の再演を音楽評論家の有坂愛彦(当時文化放送芸能部長)が気に入り[8]、引き抜かれる形で文化放送に入社[1]。1年報道部で務めた後、芸能部に移り、「日立コンサート」を担当[8]。ここで音楽業界のプロの作曲・編曲方法を直で体験したことが後の作曲家として生きることになる[要出典]。
1958年、「これからはラジオの音楽番組はコスト面で不可能になる」と判断し、開局準備中だったフジテレビに移籍する[1]。
フジテレビ入社後[編集]
フジテレビ入社後、ディレクターとして『おとなの漫画』を担当。次いで、ラジオのヒットパレード番組をテレビに移植した形になる『ザ・ヒットパレード』を企画[1]。当初は「ヒットパレード系の番組はラジオだからこそ出来るものだ(実際に現場に歌手を大量に集めるのは困難だ)」と局内、広告代理店、スポンサー全てが難色を示していたが、ナベプロ社長の渡辺晋が話に乗り、ナベプロの歌手をノーギャラで出す代わりに、企画・編集にナベプロをクレジットするという大人のやり取りを経て放送にこぎつけた。このいきさつは後年『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』としてドラマ化された。当初は予算がなく、狭いスタジオを広角レンズで撮って広く見せたり、すぎやま自身でテーマソングを作曲するなどして対応していた。弟子の橋本淳によると当時のすぎやまは「フジテレビのヒットラー」を自称していたほど強権的であり、番組に呼んだダスティ・スプリングフィールドが番組直前に口パクじゃないと出演しないとゴネた際に追い返した事件は新聞でも報じられた[要出典]。
上記の『おとなの漫画』『ザ・ヒットパレード』に関しては、ニュース性があり、それゆえに確実にネタ切れしないだろうという目論見[9]で始めたこともあり、いずれも長期間続く人気番組となった。その他、ディレクターとして『森永スパーク・ショー』『新春かくし芸大会』などを手がけた[要出典]。
1960年代からディレクター業と並行してCMの作曲家[8]としても精力的に活動していたが、ミュージシャンへの楽曲提供も始めるようになり、それらの曲がヒットするようになると、自分の番組に自分の曲が出てしまうために変な憶測をされないように苦慮するようになり、またJASRACとフジテレビが著作権料の支払いで揉めるなどし始めたために、当時既に給料より作曲家としてのギャラの方が多かったこともあり、1965年4月にフジテレビを退社した[3]。
フジテレビ退社後[編集]
退職後、フリーのディレクター[3]としてフジテレビの番組やFMのラジオ番組に携わっていたが、1968年から作曲活動に専念。作曲家としてザ・タイガース[1](デビュー前から関わり、彼らの命名者でもある)やザ・ピーナッツの黄金時代を支えた。
1970年代に入ると特撮音楽、中盤になるとアニメ音楽を数多く手がける[3]ようになり、1978年には劇場版『科学忍者隊ガッチャマン』のBGM(サウンドトラック)の作曲・編曲・指揮を担当し、『交響組曲 科学忍者隊ガッチャマン』という形で発表(NHK交響楽団が演奏した初のアニメ用サウンドトラック)。
1980年代半ばになるとゲーム音楽を手がけるようになる。1986年に『ドラゴンクエスト』の作曲を担当したのをきっかけに「ドラゴンクエストの作曲家」[1]となり、以降ゲーム以外の仕事を自ら減らし、専らゲーム作曲家として活動。この時期にオーケストラへの興味が増し[9]、1987年から毎年オーケストラなどを率いて『ファミリークラシックコンサート』[10]『「ドラゴンクエスト」コンサート』[11]などのコンサートを行っている。近年では自ら指揮者として出演することも多い。
2004年にはSUGIレーベルを設立[12][13]。かつて様々なレコード会社から販売されていた『ドラゴンクエスト』関連のアルバムの販売を一元化するとともに、旧作の再発や再演奏・再録音などを行っている。
2016年9月3日、東京芸術劇場コンサートホールで行われた『第30回ファミリークラシックコンサート~ドラゴンクエストの世界~』中に、『世界最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家』(2016年1月28日時点[14])としてギネス世界記録をサプライズ受賞した[15]。
人物[編集]
- 名義にひらがなを使用しているのは、「椙山」を読める人が少なかったため。初期の曲の一部ではクレジットを漢字表記にしていた。
- 演歌について「演歌こそ日本民族の音楽である、という権威付けは間違いである」「音楽芸術の面から見れば、瀧廉太郎から始まりすくすくと育っていた日本の音楽文化に、暗黒時代を築いたと断言してよい」「我々コンポーザーの間でも演歌を歌とは認めても、音楽的には優れた美しいものと認めている人は少ないのではないか」と否定的な見解を自著[16]に記している。
- 趣味はクラシックカメラとゲーム(ビデオゲームに限らずさまざまなおもちゃ)の収集[17]、読書と食べ歩き[18][19]。
- カメラの収集家[20]としても著名で、カメラ雑誌でクラシックカメラや特殊なカメラに関する記事の執筆も手がける。
- ゲーム好きであり、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長などを務めている。また、嫌煙の風潮に反発し、「喫煙文化研究会」を設立し、代表に就いている。
- ドラゴンクエストシリーズはキャラクター全員をレベル99、100時間以上やり込むなどの話も有名である[21]。
- 「B面の王者」を自称しており、「花の首飾り」や「学生街の喫茶店」のように当初はシングルB面ながらラジオでのオンエア等で徐々に人気が出てロングセラーになったという例がいくつかある。インタビューでは「(9歳下の)筒美京平さんは狙ってヒットを打てるすごい作曲家だが、自分は頑固なんで時流に乗った曲作りはできなくて」と語っている[22]。
ドラゴンクエストとの関係[編集]
1985年8月にエニックス(現スクウェア・エニックス)から発売されたパソコン版ソフト『森田和郎の将棋』の序盤の駒の組み方に疑問を持ったすぎやまは、同ソフトに添えられていたアンケートハガキを熱心に書いたが、投函するのが面倒になりほったらかしにしていた。妻がそれを見つけて投函したところ[23]、エニックスの担当者からゲーム音楽の依頼が入り、『ウイングマン2 -キータクラーの復活-』の作曲を担当することになり、エニックスとつながりが出来た。
その直後、同じくエニックスがプロデュースしていた『ドラゴンクエスト』に、内部スタッフが作った音楽の出来が良くないという事態を受けて、エニックスから依頼を受けて制作に参加。当時の開発陣であるチュンソフトは学生のサークルの延長上にあり、初対面時は「異分子が入ってきたぞ」「よそ者だ」と警戒されたが、バックギャモンの話に始まって会話をするうちに無類のゲーム好きなことを分かってもらい、当時日本に二台しかなかったビンゴ・ピンボール[24]にハマり仕事後数時間かけて横浜に行って遊んでいたことに話が及んだ際には尊敬のまなざしを受け、正式に作曲を依頼され、それを受諾。当初はロック調でと注文されたが、ゲームの世界観が「中世の騎士物語」ならばクラシック調がふさわしいとすぎやまは主張し[22]、頭に浮かんだリヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指環』からクラシックをベースにした基本コンセプトが固まった。マスターアップ直前のことであり、1週間で全ての楽曲を製作。すぎやまはCMなどの音楽で短時間での作業の経験(最も短いもので、12時間で仕上げる依頼もあった)が豊富であったため可能な作業でもあった。またすぎやまは「ちょうど作曲が好調な時期だったことも大きかった」としている[25][26]。「序曲」のメロディはすぐに出来、それを「54年と5分で出来た曲」[27](パブロ・ピカソの「1分プラス80年だ」[要出典][28][29]という言葉に感銘を受けて真似をした[29])と言い、それまでの54年の人生があって初めて「序曲」を生み出すことができたという言い方をしている。また、ゲームのフィールドや戦闘中の音楽に関しては、「何百回も聞くものであるから、聞き飽きないものを心がけている」という[30]。以降、全シリーズの作曲のみならず開発の初期段階(企画立案の段階)からプロジェクトチームの一員として参加している。そのため、テストプレイヤーとしてもエンディングのスタッフロールで名を連ねている。
現在でもシリーズ楽曲は交響組曲「ドラゴンクエスト」、イン・ブラスバンド、オン・ピアノ、オン・エレクトーン、弦楽四重奏、金管五重奏、吹奏楽等に編曲され、演奏楽団を自ら指揮しコンサートを行っている。近年は東京都交響楽団などを中心にオーケストラコンサートを各地で行っている。雅楽においては、むつのをによる演奏でとりおこなわれた。
音楽以外では、1995年9月にバレエ「ドラゴン・クエスト」がスターダンサーズ・バレエ団によって初演され、以後も数年おきに再演されている。
政治的主張と立場[編集]
国家基本問題研究所評議員、教科書改善の会賛同者、「国籍法の是正を求める国民ネット」代表委員、歴史事実委員会委員[31]、「安倍総理を求める民間人有志の会」発起人[32]、朝日新聞を糺す国民会議代表呼びかけ人、「放送法遵守を求める視聴者の会」呼びかけ人[33]などを務め、その一員として活動を行っている。
政治家に対する直接的な支援としては、松原仁・稲田朋美・城内実などの応援曲の作曲を手掛けたほか、2012年には稲田に計250万円(夫人・之子名義のものを含めると計450万円)[34][35]、安倍晋三に計160万円[36][37]、中山成彬に130万円[38]、中山恭子に80万円[39]、赤池誠章に50万円[40]を献金するなど、金銭面での支援もおこなっている。
ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙に、「南京事件の被害者が30万人という説、およびそれに基づく日本軍の虐殺行為は事実として認められない」という趣旨の意見広告を載せようとし、一度は断られたが[41]、2007年6月14日付ワシントン・ポスト紙に歴史事実委員会名義で「THE FACTS」(慰安婦問題について強制性はなかったとし、アメリカ合衆国下院121号決議案採択阻止を目指す目的の意見広告)が掲載された[42]。これを主導し、広告費全額を負担したのはすぎやまである[43]。決議案は採択されたが、すぎやまは「広告掲載を受けて当時の下院採決には十数人しか出席しなかった。広告には効果があった」と主張している[44]。
2010年2月、三橋貴明、西村幸祐らとともに、「日本人による日本人のためのメディア」という趣旨のもと、“メディアを監視する”ウェブサイト「メディア・パトロール・ジャパン」(MPJ)を立ち上げ、コラムを執筆している。5月、藤井厳喜と西村幸祐が鳩山由紀夫を「公職選挙法違反」の容疑で告発した際、署名の中にすぎやまも名を連ねた[45]。2015年11月には放送局に放送法遵守を求める「放送法遵守を求める視聴者の会」[46]を興した。
著作権に対する立場[編集]
日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員であり、違法コピーを否定する立場を取っている。自らのサイトでは「人には人権・音楽には著作権」という標語を掲げている。簡単に非劣化でコピーできてしまうCDの存在に頭を痛めており、自らのサイトでは「昔のレコードなら、中古で出回っても、使うごとに磨り減るから音質が下がっていったのに」と、レコードを懐かしむ趣旨の発言をしている[27]。
コピーコントロールCD(CCCD)が出始めの頃は、「CDの著作権を保護するためには少しの欠点は我慢しても容認すべき」として認める立場を取っていた。しかし、再生装置を破壊することがあることなどが発覚してから普及をあきらめるが、「一刻も早くCCCDにかわる新技術の登場が待たれる」と発言し、新しいコピーガード技術の早期の確立が望ましいという考えを示した。また、「現在は、音楽のコピーし放題が許される状態。法改正も視野に入れて考える問題でもある」と、音楽のコピーを法規制するべきとの考えも示している[47]。
弟子たち[編集]
フジテレビ時代の弟子および後輩か、事務所スタッフ出身者のどちらかに別れる。橋本淳が前者であり、すぎやまの運転手を務めたのち、すぎやまの指令でキングレコードに移り、作詞家としてのキャリアを積むことになった。後者は小六禮次郎であり、当時のすぎやまの事務所スタッフとして働いていた。
家族[編集]
父親は東京帝国大学薬学部出身で、昭和薬科大学で教鞭をとった後に、厚生省薬務局製薬課長を経て、防衛庁の技官を務めた。趣味にも走り、全日本麻雀連盟の理事などを務めた。祖母は小学校教頭。
妻・之子[48]は東京芸大卒で元東京都交響楽団ヴィオラ奏者。ザ・タイガースの収録で知り合い結婚。すぎやまのCD作品にしばしばスタッフとして登場する。すぎやまと之子には子供がおらず、前妻との間に2人の子がいる。[要出典]
長男は、石田班に属していたフジテレビのプロデューサー時宗大[49]。親子二代でフジテレビに入社している。『ミュージックフェア』の演出をはじめ、ドラマ『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』では音楽監修も担当し、番組最後のスタッフロールで「すぎやまjr」と表記された。2015年現在は『アイドリング!!!』のコンテンツプロデューサー。また、日本最大級のアイドルイベント『TOKYO IDOL FESTIVAL』の総合演出も担当している[50]。
弟・三太(故人)はCMフィルムディレクター[要出典]としてヒットCM多数。大橋巨泉の「はっぱふみふみ」サミーデイビスJR.のサントリーホワイトではカンヌ国際コンクールで日本人初のグランプリを獲得している。他に東京ディズニーランド、ホンダシティなど。2015年にACC CM殿堂入りを果たしている。
妹・由美はCM音楽ディレクターで都内でたい焼き屋を経営している。[要出典]
受賞歴[編集]
- 1988年、第三十回日本レコード大賞企画賞、特別企画賞受賞(交響組曲『ドラゴンクエストI・II・III』)
- 1989年、第三回日本ゴールドディスク大賞企画部門受賞(交響組曲『ドラゴンクエストIII』)
- 1990年、第五回日本ゴールドディスク大賞企画部門受賞(交響組曲『ドラゴンクエストIV』)
- 2000年、第四回文化庁メディア芸術祭デジタルアート・インタラクティブ部門大賞(『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』)
- 2003年、第二十一回JASRAC賞銅賞受賞(『亜麻色の髪の乙女』)
- 2004年、第二十二回JASRAC賞銅賞受賞(『亜麻色の髪の乙女』)
- 2016年、ギネスワールドレコード社・世界記録受賞(ギネス世界記録)(『ゲームミュージック作曲・編曲者として世界最高齢・満84歳292日』)
作曲[編集]
特撮[編集]
- ゴジラvsビオランテ - BGM
- 帰ってきたウルトラマン - 主題歌
実写・TV[編集]
- 地獄の蟲 - 主題歌・BGM
- リトル・シンドバッド 小さな冒険者たち - BGM
- 元気です! - BGM
アニメーション[編集]
- 子鹿物語 THE YEARLING - 主題歌・BGM
- スカイヤーズ5 - 主題歌
- わんぱく大昔クムクム - 主題歌
- 伝説巨神イデオン - 主題歌・BGM
- THE IDEON 接触篇/発動篇 - 主題歌・BGM
- 劇場版科学忍者隊ガッチャマン - BGM
- 科学忍者隊ガッチャマンII - 主題歌
- マシンハヤブサ - 主題歌
- サイボーグ009(第2期) - BGM
- シリウスの伝説 - 主題歌・BGM
- 魔法騎士レイアース - 音楽監修
- ドラゴンクエスト - 原曲BGM
- DRAGON QUEST -ダイの大冒険- - 主題歌・原曲BGM
- 劇場版 DRAGON QUEST -ダイの大冒険- - 原曲BGM
ゲーム[編集]
- ドラゴンクエストシリーズ - シリーズ内のほぼ全ての作品を担当。
- 風来のシレンシリーズ
- 旧エニックスPCゲーム作品
- その他の作品
ミュージシャンへの主な楽曲提供[編集]
- ザ・ピーナッツ
- 橋幸夫
- ザ・タイガース
- ヴィレッジ・シンガーズ
- ザ・ジャガーズ
- 「いつか誰か」「フェニックス〈不死鳥〉」
- シャープ・ホークス
- 「遠い渚」この曲はグループ・サウンズとしては、最初のヒット曲にあたる。
- ガロ
- キャンディーズ
- 「ハート泥棒」
- 城みちる
- 「星空への誓い」
- 太田裕美
- オリジナルアルバム「思い出を置く 君を置く」の全曲(サトウハチロー作詞)を作曲している。
CMソング[編集]
2000曲以上手がけている[51]。
- サロンパス 久光製薬
- ライオン チャーミー ライオン
- キンチョーサッサ 大日本除虫菊
- ロッテ 小梅、小夏 ロッテ
- ニベア スキンミルク ニベア花王
- マイ・プラチナ プラチナ萬年筆
- ハウスバーモントカレー(西城秀樹) ハウス食品
- ネスカフェ プレジデント ネスレ日本
- キリンレモン キリンビバレッジ
- 麺職人 日清食品
- ポカリスエット 大塚製薬
- ユーバン 味の素ゼネラルフーヅ
- レモンスカッシュ 不二家
- コカコーラ 「青い空青いからコカコーラ」 コカコーラ
- 明治ハイミルクの歌 明治製菓(現・明治)
- アクア トヨタ自動車
その他[編集]
- 日本中央競馬会
- NHK交響楽団
- 委託により『オーディオ交響曲 第1番』(1976年)、『同 第2番』(1977年)を提供。第1番の第四楽章冒頭部は、当時NHK教育テレビで放送されていた『技能講座オーディオ入門』のオープニングテーマとしても使用。
- 依頼により『弦楽のための舞曲 I&II』を提供。すぎやまの曲の中では珍しい純音楽的作品。1991年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団により再録された。
- ザ・ヒットパレード
- フジテレビディレクター時代に自らがテーマを作曲。
- 民主党衆議院議員・松原仁
- 応援曲「JIN・ジン・じん・仁・松原仁」
- 自由民主党衆議院議員・稲田朋美
- 応援曲「正しい政治」
- 自由民主党衆議院議員・城内実
- 応援曲「信念つらぬく 城内みのる」
- 東京メトロポリタン・ブラス・クインテット
- 「金管五重奏組曲 〜東京・メトロポリタン・ブラス・クインテットのために〜」2009年2月4日初演
- 日高のり子
- 「PRETTY LOVE」(アイドル時代のデビュー曲「初恋サンシャイン」のB面)
- 国想う在野議員の会
- 応援歌『頑張れ日本』を提供。
- クイズ・ドレミファドン!のテーマ
- 石川ひとみ歌唱。
出演したテレビ番組[編集]
- 「TVGAME MUSEUM」 糸井重里との対談 1987
- 「『週刊フジテレビ批評』特大号 伝えておきたいテレビの事!“ザ・ヒットパレード”とすぎやまこういち・放送:フジTV(8ch)2003/12/27(土)5:00~6:00
- 「『食彩浪漫』」NHK総合 2004/3/21(日)11:00~11:25
- 「『NHKの番組<わが青春のグループサウンズ(黄金のGS大集合!)』2006/03/21(火) NHK BS2 20:00~22:00 ・3/30日(木)放送 NHK hi 23:00~01:00
- 「NHK BS2 『どれみふぁワンダーランド』」2010/02/27(土)20:00~20:59 ・3/20(土)20:00~20:59
- 「NHK BShi『どれみふぁワンダーランド』」2010/04/2(日)20:00~21:00
- 「テレビ朝日『題名のない音楽会』」2010/08/29 TV asahi 地デジ5ch 8/29(日)9:00~ ・BS朝日 9/4(土)18:30~、9/5(日)23:00~
- 「テレビ朝日『題名のない音楽会』」2011/06/21(火)《公開録画》
- 「BSフジ『インタビュードキュメント その時、私は』」2012/6/23(土)10:00~10:54
- 「テレビ朝日『題名のない音楽会』」2012/8/12(日)TV asahi 地デジ5ch 9:00~、・BS朝日 8/18(土)18:54~、8/19(日)23:00~
- 「忘れられないひと言」BS-TBS 2012/9/9(日)21:00~21:54
出演したラジオ番組[編集]
- 「TOKYO-FM 『サタデイーウエイティング・バー』」2004年1月、2月放送。1/24(土)17:00~18:00
- 「『FMホリデーミュージックウェーブ 「ゲーム音楽」~ドラゴンクエスト 20年“ゲーム音楽"そして伝説へ』」2006/9/18 NHK:FM 18:00~18:50
- 「『 ビュッフェ131 』~音楽&トークの旅~」2007/4/6(金)16:05~16:55 NHKラジオ第1『ラジオほっとタイム』の中の番組
- 「AMラジオ1242ニッポン放送『垣花正 あなたとハッピー』」2010/05/3 am8:30~11:30 ・5/3(月)「ザ・ヒットパレード」・5/4(火)「恋のフーガ」
・5/5(水)「ローマの雨」・5/6(木)「交響組曲『ドラゴンクエストⅨ』星空の守り人」
- 「NHKラジオ第一『すっぴん!』」2012/7/5(木)午前8:00~11:50 生放送
- 「トーキング ウィズ 松尾堂 ~ゲームでつながる~」NHK-FM 2012/9/2(日)12:15~14:00
書籍[編集]
著書[編集]
- 『やさしい作曲入門』日本文芸社 1980年
- 『すぎやまこういちの体験作曲法』毎日新聞社 1981年
- 『すぎやまこういちのゲーム大博覧会』日本ソフトバンク出版事業部 1989年
共編[編集]
関連書籍[編集]
- 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 2016年7月23日
参考文献[編集]
- 『すぎやまこういちワンダーランド』 花田紀凱(責任編集)、ワック出版〈WiLL〉、2011年。
関連項目[編集]
- 桃太郎電鉄シリーズ
- 『桃太郎電鉄11』以降、「カードの神様」として特別出演。
- 桃太郎電鉄HAPPY
- スペシャルアドバイス。スリの銀次の台詞を提供。
- 桃太郎電鉄V
- ゲストコメント提供。
- 大橋巨泉
- 大橋の実家製作のカメラ・ロールライトに関連[52]。
- 原田泰造
- 『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』2006年5月、フジテレビ系ですぎやまを演じた。
- 征服王
- 中村光一とタッグでゲームに参加[要出典]。
- 松原仁
- 潰瘍性大腸炎
- 50歳代のはじめの頃に潰瘍性大腸炎に罹患したことがある。その後は長期寛解の状態が続いている[要出典]。
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h i “JASRAC作家インタビュー”. 2016年9月4日閲覧。
- ^ a b c d 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 、2016年7月23日、69頁 ISBN 978-4757550469。
- ^ a b c d e f g h i j 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 、2016年7月23日、12 - 14頁 ISBN 978-4757550469。
- ^ 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 、2016年7月23日、86頁 ISBN 978-4757550469。
- ^ 『同級生交歓』 文芸春秋 編、文藝春秋社〈文春新書〉、2006年、103頁。ISBN 4166605178。
- ^ 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 、2016年7月23日、13、83頁 ISBN 978-4757550469。
- ^ 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 、2016年7月23日、70頁 ISBN 978-4757550469。
- ^ a b c d 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 、2016年7月23日、71頁 ISBN 978-4757550469。
- ^ a b 『日本のロック50's〜90's』 平凡社〈別冊太陽〉、1993年、[要ページ番号]。すぎやまインタビュー
- ^ “公式 ファミリークラシックコンサートの歴史”. 2016年9月4日閲覧。
- ^ “公式 これまでのおすすめコンサート情報”. 2016年9月4日閲覧。
- ^ “すぎやまこういち氏が専門音楽レーベルを設立”. 2016年9月4日閲覧。
- ^ “すぎやまこういち氏「SUGIレーベル」立ち上げ”. 2016年9月4日閲覧。
- ^ “すぎやまこういち氏、ギネス世界記録に認定 最高齢でゲーム音楽作曲”. ORICON STYLE. (2016年9月5日) 2016年9月5日閲覧。
- ^ “ギネス認定式!”. 2016年9月4日閲覧。
- ^ すぎやまこういち 『すぎやまこういちの体験作曲法』 毎日新聞社、1981年、242頁。
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- ^ 『ワシントンポストに意見広告』[リンク切れ] -花岡信昭のブログ
- ^ ドラゴンクエスト作曲家「慰安婦は嘘つき」と発言[リンク切れ]
- ^ “慰安婦問題で米紙に意見広告 強制連行裏付ける資料なし”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2012年11月7日) 2013年3月24日閲覧。
- ^ “鳩山首相を告発か!すぎやまこういち氏を含む3000人の署名提出へ”. ロケットニュース24 (2010年5月27日). 2010年5月27日閲覧。
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- ^ “東京アイドルフェスティバル”. フジテレビ. 2015年10月31日閲覧。
- ^ 『ドラゴンクエスト30thアニバーサリー すぎやまこういちワークス~勇者すぎやんLV85~』スクウェア・エニックス 、2016年7月23日、56頁 ISBN 978-4757550469。
- ^ 写楽(小学館)1986年1月号「すぎやまこういちの珍品ためいき写真館」
外部リンク[編集]
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