鳥居泰彦
生誕 | 1936年10月15日 |
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死没 | 2019年7月1日(82歳没) |
国籍 | 日本 |
研究機関 |
(機関)慶應義塾大学 開発技術学会 |
研究分野 |
統計学 経済発展理論 |
母校 | 慶應義塾大学(学士・修士・博士) |
論敵 | 加藤寛 |
鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年〈昭和11年〉10月15日 - 2019年〈令和元年〉7月1日) は、日本の経済学者(統計学・経済発展理論)であり教育者。学位は、経済学博士(慶應義塾大学・1966年)。位階は従三位。財団法人交詢社理事長、慶應義塾学事顧問。産経新聞の正論メンバー[1]。先祖は鳥居元忠[2]。
東京府生まれ。慶應義塾大学経済学部学部長、慶應義塾長(2期8年)、文部科学省中央教育審議会会長(初代から第3期まで6年)、日本私立学校振興・共済事業団理事長(2002年4月1日[3]~2009年12月31日)などを歴任した。
概要
[編集]石川塾長時代から大学改革のために多くの事業に関与した。塾長在任中は、地方公共団体と連携し、学術研究施設として神奈川県川崎市に新川崎タウンキャンパスを、山形県鶴岡市に鶴岡タウンキャンパスを開設、また社会人教育を目的とした丸の内シティキャンパスを開業し、2001年には看護医療学部を新設した。金子舎長の幼稚舎改革や慶應大生向け学費貸与(卒業後に働いて長期間で全額返す)制度が開始されたのは、鳥居塾長時代である。2期8年を経た2001年4月末の塾長選挙の結果、理工学部長の安西祐一郎に職をゆずり、学事顧問へ退いた。
学問研究活動では、マレーシアの産業連関表作成や、開発途上国のインフォーマルセクター(農村からの人口流入等により発生する都市スラム等における貧困層のインフォーマルな経済活動)の研究でのタイや韓国での調査・研究等、経済発展研究において多くの業績を残した。著書である東洋経済「経済発展理論」は、研究学徒の指南書として広く読まれている。また、統計学を学生向けにわかりやすく解説した本も執筆している。経済学部での鳥居の後継者は秋山裕であり、その他にもOECDで活躍した深作喜一郎など、学術・研究・開発実務の世界において鳥居の指導を受けた人材は数多い。
社会活動では、塾長時代の1996年に、旧日本銀行法(1942年)の改正のために設けられた中央銀行研究会(橋本龍太郎首相の私的諮問機関)の座長に就任。同年答申を提出し、そのうえで大蔵省金融制度調査会でも議論され、新日本銀行法(1997年)が制定された。戦前・戦中の統制色が残っていた旧法が改正されたことで、一般に「日銀の独立性」が強まったとされる。
塾長を退任した2001年、旧文部省の中央教育審議会を母体に他の審議会を吸収して大幅に拡張した文部科学省・中央教育審議会の初代(第1期)会長に就任し、6年間(第3期まで)にわたり在任した。日本の教育行政の最高諮問・答申機関の長として、幼児・初等から中高等に至る教育行政・教育制度の改善・改革の提言に貢献した(大検制度から高等学校卒業程度認定試験への移行、教育基本法改正関連、法科大学院・高度専門職業人養成大学院の設置基準、その他、教育界に影響ある答申がなされた)。
その他、2002年に日本私立学校振興・共済事業団の理事長に就任。東芝取締役、防衛大学校学術・教育振興会理事などにも就いた。
2019年7月1日15時55分、心不全のため死去[4]。82歳没。死没日をもって従三位叙位、瑞宝大綬章受章[5]。
なお、慶應の三田キャンパスにある、戦没学徒追悼碑「還らざる学友の碑」(1998年設置)は、塾長在任時の鳥居自身の筆をもとに刻まれている。
政治思想
[編集]- 2003年2月13日、衆議院憲法調査会「基本的人権の保障に関する調査小委員会」の会議に参考人として出席した折、「警察白書の統計から、日本は犯罪率が低いが、それが急速に増えているのは他国の人の犯罪の割合が増えているせいだ」と発言し、「教育基本法改悪に反対する署名実行委員会」から「社会防衛的な排外主義・差別主義」であると抗議を受けた[6]。さらに「コムスタカー外国人と共に生きる会」の中島眞一郎からは「データ上の根拠のない発言」と指摘されている[7]。
- 2003年3月20日、鳥居が会長を務める中央教育審議会[8]は「『公共』の精神、道徳心」や「日本の伝統・文化の尊重」「郷土や国を愛する心」などの内容を教育基本法に盛り込むのが適当とする答申を遠山敦子文科相に出し、同法の改正を強く求めた[9][10]。
- 2012年9月5日、鳥居、三宅久之、すぎやまこういちなど保守系の著名人28人は、同年9月の自由民主党総裁選挙に向けて、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足させた[12][注 1]。同日、同団体は安倍晋三の事務所に赴き、出馬要請をした[23][14]。9月26日、総裁選が実施され、安倍が当選した。
- 2014年10月1日、日本会議の主導の下、憲法改正を目指す団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の設立総会が永田町の憲政記念館で開かれた[24][25]。鳥居は田中恆清や長谷川三千子、千玄室らとともに代表発起人に名を連ねた[26]。
年表
[編集]- 1951年 - 茨城中学校卒業
- 1954年 - 茨城県立水戸第一高等学校卒業
- 1961年 - 慶應義塾大学経済学部卒業
- 1963年 - 同大学大学院経済学研究科修士課程修了
- 1965年 - 同博士課程満期取得
- 1966年 - 経済学博士(慶應義塾大学)
- 1966年 - 慶應義塾大学経済学部助手
- 1967年 - スタンフォード大学訪問研究員
- 1968年 - カリフォルニア大学バークレー校国際研究所研究員(1969年まで)
- 1969年 - 慶應義塾大学経済学部助教授
- 1976年 - 同学部教授
- 1989年 - 同学部長(1993年まで)
- 1993年 - 慶應義塾長(慶應義塾大学の学長と学校法人慶應義塾の理事長を兼務)に石川忠雄塾長の後継として選出(2001年まで)
- 2001年 - 慶應義塾学事顧問
所属団体
[編集]- 文部科学省中央教育審議会会長(第1期〜第3期)(2001年-2006年)
- 文部科学省国立大学法人評価委員会委員(第1期〜第2期)
- 日本学術振興会21世紀COEプログラムプログラム委員会委員(平成18年度)
- 日本学術振興会グローバルCOEプログラムプログラム委員会委員
著書
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翻訳
[編集]- ヨトポロス、ヌジェント著『経済発展理論-実証研究-』(慶応通信、1984年)
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脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発足時(2012年9月5日)の発起人は以下の28人。三宅久之(代表発起人)、長谷川三千子、金美齢、津川雅彦、板垣正、鳥居泰彦、大原康男、中西輝政、岡崎久彦、西鋭夫、小田村四郎、加瀬英明、百田尚樹、日下公人、平川祐弘、小林正、小堀桂一郎、福田逸、佐々淳行、すぎやまこういち、百地章、石平、渡部昇一、竹本忠雄、山本學、田母神俊雄、屋山太郎、奥田瑛二[13][14]。ほどなく奥田が抜け、丹羽春喜、福井雄三、藤岡信勝、西岡力、上念司、勝間和代、潮匡人、倉山満、三橋貴明、島田洋一の10人が加わり、最終的に計37人となった[15]。日本会議および同関連団体の役員・幹部が多く名を連ね、その数は37人中17人に及んだ。内訳は以下のとおり。日本会議:長谷川、板垣、大原、小田村、加瀬、小堀、百地、竹本、丹羽[16][17][18][19]。日本会議関連団体:中西、岡崎、佐々、津川、渡部、平川、小林、屋山[20][21][22]。
出典
[編集]- ^ 鳥居泰彦さんが死去 82歳元慶応義塾塾長、正論メンバー
- ^ “(追想録)鳥居泰彦さん 元慶應義塾長”. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “私学事業団の新理事長に鳥居泰彦前慶應義塾長就任”. 2002年4月13日 号 (1面). 一般社団法人全私学新聞
- ^ 鳥居泰彦氏が死去 元中教審会長 - 産経ニュース 2019年7月2日
- ^ 『官報』第67号8ページ 令和元年8月8日
- ^ 鳥居会長の「単一民族」発言に抗議文提出
- ^ 中央教育審議会鳥居泰彦会長の差別発言への批判と検証 中島真一郎
- ^ “第2期中央教育審議会委員”. 文部科学省 (2003年2月1日). 2007年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月1日閲覧。
- ^ 中央教育審議会 (2003年3月20日). “新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(答申)”. 文部科学省. 2024年2月1日閲覧。
- ^ 鳥居泰彦氏が死去 元中教審会長、元正論メンバー
- ^ 道徳懇・鳥居座長が問題発言――「指導に自己犠牲を」
- ^ “創誠天志塾 Facebook 2012年9月6日”. 2022年12月31日閲覧。
- ^ “安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明(一部抜粋)”. 城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト. 2023年1月1日閲覧。
- ^ a b “安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明”. 金美齢ホームページ (2012年9月10日). 2023年1月1日閲覧。
- ^ “発起人一覧”. 安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会. 2022年6月3日閲覧。
- ^ “役員名簿(平成23年4月15日現在)”. 日本会議. 2012年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月10日閲覧。
- ^ “設立10周年大会”. 日本会議. 2021年1月16日閲覧。
- ^ “日本人の伝統取り戻す 日本会議政策委員の百地章・日大教授”. 日本経済新聞 (2016年10月9日). 2024年1月30日閲覧。
- ^ “『日本の息吹』創刊200号(2014年7月号)”. 日本会議. 2024年2月7日閲覧。
- ^ “役員一覧(平成24年3月31日現在)”. 民間憲法臨調. 2014年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月25日閲覧。
- ^ “役員名簿”. 皇室の伝統を守る国民の会. 2023年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月12日閲覧。
- ^ “要望書(2004年10月29日)”. 民間教育臨調. 2006年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月30日閲覧。
- ^ 渡辺哲哉、神田知子「民主党最後の切り札 細野豪志を代表選から引きずり降ろした黒幕の名前」 『週刊朝日』2012年9月21日、18頁。
- ^ “いよいよ「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立”. 日本会議大阪 (2014年10月2日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “「責任持つ政治家か」 桜井よしこ氏が首相批判 改憲求める集会で”. 朝日新聞 (2023年11月27日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “役員名簿(平成26年9月27日現在)”. 憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク | 美しい日本の憲法をつくる国民の会. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月30日閲覧。
関連項目
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