村井邦彦

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村井 邦彦
生誕 (1945-03-04) 1945年3月4日(74歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 慶應義塾大学卒業
ジャンル ポップス
グループ・サウンズ
フォークソング
職業 プロデューサー作曲家編曲家
活動期間 1967年 - 現在
レーベル アルファレコード
事務所 ソニー・ミュージックパブリッシング
共同作業者 トワ・エ・モワ
赤い鳥
ザ・テンプターズ
ザ・モップス
ハイ・ファイ・セット
GARO
荒井由実
紙ふうせん ほか

村井邦彦(むらい くにひこ、1945年3月4日 - )は、東京都出身の作曲家音楽プロデューサーアルファレコード創立者。ザ・テンプターズザ・モップスザ・タイガースピーター赤い鳥辺見マリトワ・エ・モワヴィッキーらのヒット曲で知られている。

人物[編集]

慶應義塾大学在学中、同大学の学生で構成するバンドサークル・「慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ」に所属。大学3年の時、東京都港区赤坂においてレコード店「ドレミ商会」をオープンさせた。1966年に慶應義塾大学を卒業、グループ・サウンズ全盛期の1967年ヴイッキー・レアンドロスに『待ちくたびれた日曜日』を提供し作曲家としてデビュー、1968年にはテンプターズに『エメラルドの伝説』を提供した。

1969年にパリ・バークレー音楽出版社と契約して「マイ・ウェイ」などの版権を獲得、音楽出版社アルファ・ミュージックを設立。その後、1972年にスタジオA及びアルファ&アソシエイツ、1977年アルファレコードを相次いで設立。プロデューサーとして松任谷由実(旧芸名荒井由実)をデビューさせた[1]

ティン・パン・アレーを見いだし、アーティストのレコーディングの際にはスタジオミュージシャンとして起用した。1980年代には元ティン・パン・アレーの細野晴臣を中心としたイエロー・マジック・オーケストラを成功させた。1992年、事業の海外進出を期に、活動の拠点をアメリカに移す。

作曲に関しては、東海林修に学んだところが多いと語っている。映画音楽が好きでミシェル・ルグランに私淑する。勝プロ作品などの音楽監督を経て、1978年、『悪魔の手毬唄』で音楽監督をつとめた市川崑監督『火の鳥』では映画プロデューサーとしてルグランに主題曲の作曲を依頼した。その後、発明家の上野隆司とヴィラスミュージックを立ち上げ、村井は代表取締役会長を務めている。

「月刊てりとりぃ」において連載コラム「LAについて」を連載中。「週刊てりとりぃ」では、山上路夫宇野亜喜良日向大介とのコラボレイションで「歌はいかがですか」という企画を連載。これは毎回書き下ろしの短い尺の歌を発表するもので、自身が作曲と歌唱を担当している。

エピソード[編集]

提供曲[編集]

あ行

か行

さ行

  • ざんげの値打ちもない(歌:北原ミレイ
  • 幸せになるため(歌:ハイ・ファイ・セット)
  • 少女へのソナタ(歌:ザ・フィンガーズ)
  • 白いサンゴ礁(歌:ズー・ニー・ヴー
  • スカイレストラン(歌:ハイ・ファイ・セット)
  • すてきなクリスティーヌ(歌:ザ・フィンガーズ)
  • そりゃあないぜセニョリータ(歌:ケーシー高峰

た行

な行

は行

ま行

や・ら・わ行

  • 夢の牧場(歌:ザ・マイクス)
  • 夜行列車(歌:ザ・リリーズ)
  • 夜明けに消えた恋(歌:ザ・ブルーインパルス)
  • 夜と朝のあいだに(歌:ピーター
  • ララの秘密(歌:ザ・キングス)
  • ランブリン・マン(歌:ザ・マイクス)
  • 忘れていた朝(歌:赤い鳥)

脚注[編集]

  1. ^ インタビュー第88回 村井 邦彦氏 株式会社ヴィラスミュージック 代表取締役会長/作曲家musicman-net.com 2010年6月21日、2019年2月12日閲覧
  2. ^ 吉野健三『歌謡曲 流行らせのメカニズム』晩聲社 (ヤゲンブラ選書) 、1978年、133頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]