題名のない音楽会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
題名のない音楽会
Untitled Concert
ジャンル 音楽番組
放送国 日本の旗 日本
制作局 東京12チャンネルテレビ朝日
企画 出光興産
監督 関尚弘(舞台監督
演出 鬼久保美帆(P兼務)
監修 飯尾洋一
(音楽アドバイザー)
プロデューサー 引地夏規、福田裕治
山下浩司(GP)
出演者 五嶋龍
松尾由美子(テレビ朝日アナウンサー ほか
音声 ステレオ放送
[注 1]
字幕 文字多重放送
オープニング 「Untitled Music」
作曲指揮久石譲ヴァイオリン五嶋龍
エンディング 同上
外部リンク 公式サイト
ゴールデン・ポップス・コンサート
題名のない音楽会
放送時間 土曜日 20:30 - 21:00(30分)
放送期間 1964年8月 - 1966年3月
題名のない音楽会
放送時間 放送日時の推移を参照(30分)
放送期間 1966年4月 - 1968年9月(第1期)
1969年7月 - 1997年9月(第2期)
2008年4月 - 現在(第3期)
新・題名のない音楽会
放送時間 日曜日 9:00 - 9:30(30分)
放送期間 1997年10月 - 2000年3月
題名のない音楽会21
放送時間 同上(同上分)
放送期間 2000年4月 - 2008年3月

特記事項:
・1964年8月から1966年3月までは、東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送。
・1966年4月よりテレビ朝日で放送中。
・ただし、1968年10月から1969年6月までは放送を休止。
テンプレートを表示

題名のない音楽会』(だいめいのないおんがくかい、英字表記:Untitled Concert)は、1964年8月から放送されている音楽番組

1966年3月まで東京12チャンネル(現:テレビ東京)が制作し、同年4月より現在までNETテレビ→テレビ朝日が制作している。なお、1968年10月から1969年6月までは放送を休止した。

概要[編集]

クラシック音楽を中心にさまざまな分野の音楽を取り上げ、そのテーマとなる音楽の楽しみ方を解説することが番組の中心となる。

東京交響楽団シエナ・ウインド・オーケストラなどをはじめとするオーケストラ吹奏楽編成による演奏が行われるのが特徴。主に公開録画で収録され、応募により観覧が可能。ただし、単独楽器と、その演奏のみ取り上げたり、スタジオでの非公開録画のときもある。

スポンサーは前身の『ゴールデン・ポップス・コンサート』時代から一貫して、石油会社「出光興産」による一社提供[注 2]

また、出光興産は当番組放送開始25周年となった1990年に若手音楽家の育成を主眼とした出光音楽賞(いでみつおんがくしょう)を制定している。

英語タイトルの"Untitled Concert"(アンタイトルド・コンサート)は、かつては番組のタイトルとして直接出てくることはなかったが、「題名のない音楽会21」では舞台の装飾などでその文字が認められることがあった。その後、2008年4月に変更されたタイトルロゴにはサブタイトルとして挿入されている(→歴史を参照)。

クラシック番組としては世界最長寿である(後述)。また、現在のテレビ朝日全体でも最長寿番組であるほか[注 3]、同社で最初にステレオ放送を実施した番組でもある(1978年12月24日-)。

歴史[編集]

番組誕生の経緯〜黛担当時代[編集]

1964年8月1日、当時TBSとの専属契約を打ち切られて苦境に陥っていた東京交響楽団の活動の場を与える意味で、土曜 20:30 - 21:00に東京12チャンネルの製作で『ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会』として始まった。当初の司会は作曲家黛敏郎で、日ごろ余り聞きなれないクラシック音楽を家族で楽しんでもらえるようにとの趣旨でスタートした。

なお『題名のない音楽会』というネーミングは、黛が考案した『題名のないコンサート』という題名を放送作家が改題したもので、これに東京12チャンネルの編成課長・ばばこういちが「どうしても題名に『ゴールデン』という文字を入れて欲しい」と要求し上記の題名に落ち着いた[1]

番組開始に先立ち、スポンサードを行うかどうかの判断材料にするために出光興産の社内でパイロット版を放送し社員にアンケートを取ったが、賛成はわずか17%ほどに過ぎなかったという[2]

その後、東京12チャンネルの経営難による放送時間短縮(1966年4月より。詳しくは日本科学技術振興財団#テレビ放送事業を参照)の影響で放送継続が困難になり、スタッフは「司会者・楽団・スタッフはそのままで番組を継続できること」を条件に他局への番組の移籍を検討する。元々、出光興産は「会社がつぶれるまで提供を継続する」方針であり[注 4]、「優良スポンサーつきの番組であり、ぜひ放送したい」と他の在京キー局が一斉に手を挙げたが、最終的にNETテレビ(現・テレビ朝日)が当時専属の交響楽団を持たなかった事が決め手となり[注 5]、1966年4月1日に放送がNETに移り『題名のない音楽会』として再スタートした。なおNETテレビで放送された最初の2本分の番組は、東京12チャンネルが制作したものである。

これが日本の放送番組で最初の事例であるかは不明だが、一放送番組が他の放送局に移籍する例は当時としては異例のことであった。

その後、当番組は1968年9月29日で一旦終了し、1968年10月6日から1969年6月29日までは同枠で『黛敏郎の間奏曲』が放送された。1969年7月6日から再び放送を開始し、以降は週末のNETテレビ⇒テレビ朝日で特番や緊急時を除き、間断なく放送を続けている。

黛の司会担当時は主に現代音楽を取り扱い、ポップスや軽音楽が披露されるのは稀だった[3][注 6]。また後述の様に様々な企画が実施された一方で、黛の政治思想が色濃く反映され、お蔵入りになるケースもあった。

新・題名のない音楽会〜題名のない音楽会21[編集]

1997年4月10日に、約33年に渡って司会を担当した黛が急逝(同月放送分までは生前に収録されたストック分を放送)。死後は永六輔が代理司会を務めた後、同年10月5日からタイトルを『新・題名のない音楽会』に変え武田鉄矢に交代。この時期から31年ぶりにアシスタントも復活し、テレビ朝日の女性アナウンサーが務めている。黛の司会担当時は現代音楽を精力的に紹介したが、彼の死去後はポップス中心に移行し軽音楽を扱う機会も増えている。

2000年4月2日からは『題名のない音楽会21』に変わり、羽田健太郎が7年余司会を務めオープニング・エンディングテーマも担当した。しかし2007年6月2日に羽田が死去し、2008年3月30日まではアシスタントの久保田直子アナウンサーと週替わりのゲスト司会という体制を採った。

佐渡担当時代[編集]

2008年4月6日からは『題名のない音楽会』にタイトルを戻し、指揮者で出光音楽賞受賞者の佐渡裕が司会を務める[4]。このリニューアルに伴いロゴも変更され、1980年代から使われ続けてきた手書き調のものから、「題名のない音楽会 Untitled Concert」と書かれた紙が、新たな番組コンセプトである「ページを1枚めくる」を表現した、向かって右下の部分が折れてめくれている図案に変更されている。なお、「ページを1枚めくる」とは譜面をめくる動作に準え、番組を見た視聴者が音楽への好奇心を深めていくことを意味している。2008年10月からは司会の挨拶のあと、「みなさんと一緒に、新しいページをめくりましょう!」と掛け声をかけてから番組が開始されている。

佐渡が担当した当時は、指揮者になってみたい一般の人を募集しオーケストラの指揮をしてもらう「振ってみまSHOW!」、青島広志(アドバイザーとして番組制作にも携わっていた)が往年のクラシックの作曲家に仮装するシリーズ、高嶋ちさ子による「クレーマー・ちさ子教授シリーズ」、宮川彬良による「アキラさんの大発見シリーズ」などのコミカルな企画が定期的に行われた。元々コンサートホールでの収録が多い番組ではあるが、佐渡のスケジュールに合わせスタジオ収録や海外ロケも行われるようになった。佐渡時代の番組スタイルについては、佐渡自身が「レナード・バーンスタインニューヨーク・フィルハーモニックを指揮していた『ヤング・ピープルズ・コンサート』を下敷きとしている」と語っている[5]

2009年に放送開始45周年を迎えるのを機に、2月に「世界一長寿のクラシック音楽番組」としてギネス世界記録に記録認定を申請、その結果前述の通り『黛敏郎の間奏曲』による中断期間があったことから、1969年7月以降の放送が対象となり、5月28日に「1969年7月以来継続放送されているクラシック音楽番組」として、世界記録の認定を受けた[6]

2010年12月6日、第17回日本プロ音楽録音賞「放送メディア」放送作品部門にて、2010年5月16日に放送された「坂本龍一の魅力」(坂本龍一作曲の箏とオーケストラのための協奏曲を沢井一恵が演奏)が最優秀賞を受賞した。

2011年3月13日は東日本大震災の報道特別番組のため休止。また、4月24日・5月1日の放送では「東日本大震災復興応援〜今、音楽にできること〜」と題して復興支援の音楽コンサートの模様を放送した(BS朝日では4月30日・5月7日に放送)[注 7]。(2013年9月8日・2015年2月1日も「報道STATION SUNDAY」9時開始のため休止していた)

五嶋龍へ司会交代[編集]

2015年10月4日放送分(第2431回)から、ヴァイオリニストの五嶋龍が司会を務める[7]。佐渡が2015年9月からウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督を務めることとなり、「年間4か月近くウィーン(オーストリア)に滞在する生活になります。引き続きヨーロッパを中心に客演指揮者としてオーケストラの指揮活動をしていくことを考えると、どうしても毎週番組を作っていくことが物理的に不可能になってしまいました」と2015年6月28日放送分の番組内で番組降板の経緯について説明している[8]。五嶋で6代目の司会、最年少(27歳)での就任となる。初回収録は7月30日に行われた。リニューアルに伴いタイトルロゴも再変更された[9]。アシスタントも松尾由美子に交代した。

ほとんどの回でサブタイトルが「○○の音楽会」の形式に統一され、エンディングには音楽に関する「今日の格言」も紹介されている。

歴代出演者[編集]

「題名のない音楽会」歴代の出演者一覧
期間 司会 アシスタント
1964.8.1 1966.3 黛敏郎 九重佑三子
1966.4.1 1997.4 (不在)
1997.5 1997.9 永六輔 岡田洋子
1997.10 1999.3 武田鉄矢 野村華苗
1999.4 2000.3 加羽沢美濃
2000.4 2002.3 羽田健太郎 高橋真紀子
2002.4 2004.3 村上祐子
2004.4 2007.3 大木優紀
2007.4 2007.6.3 久保田直子
2007.6.10 2008.3 (週変わり)
2008.4 2010.3 佐渡裕
2010.4 2015.9 本間智恵
2015.10 現在 五嶋龍 松尾由美子
備考
  • 永は黛の死去により代役として司会を務めていた。上記以外では1996年7月14日も担当したが、この時、黛は体調不良により収録を欠席した。黛は1997年4月10日没。
  • 羽田の死により、2008年3月30日放送分まで久保田直子アナウンサーと週変わりによるゲスト司会が代行した(羽田は2007年6月2日没)。
  • このほか、黛時代初期には石丸寛小泉文夫が代理司会(企画によっては黛が出演を控える回も初期の頃はまれにあった)を担当した。特に製作放送局が移行する直前の1966年3月放送分については石丸が、また、通常の外部会場からの演奏会方式ではなく、民族音楽のルーツを探るロケーション映像をスタジオで検証する形式が採られた1972年10月28日 - 11月18日放送(この間に同番組史上に残る『これがケチャだ』が放送されている)については小泉がそれぞれ代理司会を務めた。
  • アシスタントは、歌手の九重、ピアニストの加羽沢以外全てテレビ朝日アナウンサー(放送当時も含む)。
  • 佐渡時代はスケジュールの都合などにより、アシスタントのアナウンサーが別番組の収録等で出演できない場合は代理アシスタントを立てることもあった。パリでの収録の際は現地在住の雨宮塔子(フリーアナウンサー)がアシスタントを担当した。

司会者死去に伴う措置[編集]

  • 黛が死去した直後の放送(1997年4月13日放送分)では、CMを全てカットし、最後に出光興産の社名で「ご冥福をお祈り申し上げます」と表示した。
  • 羽田が死去した際には、2007年6月10日と翌週の6月17日の2週にわたって過去7年の名演奏と思い出を綴る追悼番組を放映した。6月10日分は過去の総集編、17日分はゆかりのゲストと共に「-21」時代の歴代アシスタントが総出演して追悼コンサートが行われた。

黛敏郎時代の特徴[編集]

※このほか、俳優・作家・歌手・政治家など著名人1人を招いての『わが青春の歌』シリーズ(藤山一郎浜田幸一金田一春彦ほか)などのシリーズものや当時の流行を取り入れた娯楽性の高い企画も多く放送されていた(例えば、1970年代後半には日本テレビの『ウィークエンダー』やNHK総合テレビの『ホントにホント?』のパロディ版を放送したこともある)。

黛時代にゲスト出演した著名人(声楽家・作曲家は除く)[編集]

あくまでもクラシック音楽を基調とした内容ではあったが、黛の人脈の広さからおよそクラシック音楽とは関連性が薄いと思われる芸能人や大物著名人なども数多くゲスト出演していた。

その他

番組テーマ曲[編集]

スタッフ[編集]

  • 構成:中野俊成、塚田ゆみ、河合秀仁
  • 音楽アドバイザー:飯尾洋一
  • TD/SW:今川愛(以前はカメラ)
  • カメラ:吉田千明
  • VE:時見正和、松田祐児
  • 音声:爲田あかね、柳原健司、青木伸愛
  • 照明:小松武久、廣瀬蓉子、湊健太郎、江頭儀浩
  • PA:池戸和幸、小暮倫見 (TAMCO)
  • 美術:金澤弘道(一時離脱→復帰)
  • 美術進行:渡辺眞太郎、三木晴加
  • CGデザイン:松島祐樹、菅澤英子、松尾裕介
  • 編集:丸山祐介(IMAGICA
  • MA:内野陽介
  • 効果:石井佳那子、安夕貴(TSP
  • TK:小島美和子
  • スタイリスト:平紀和
  • 舞台監督:関尚弘
  • 技術協力:VIVIA
  • 楽器提供:日本音楽財団
  • アシスタントディレクター:風間崇志、二見香帆、長島勇太、松森歩夢、清田楓樹、太智花美咲
  • アシスタントプロデューサー:細谷ナナ
  • ディレクター:菅野智、菊地泰子、川島雅行、山田洋平、澤地康弘、貞松秀樹、三戸宏之
  • プロデューサー:引地夏規、福田裕治(福田→2015年10月4日 - )
  • プロデューサー・ディレクター:鬼久保美帆
  • ゼネラルプロデューサー:山下浩司(2013年11月24日 - )
  • 制作協力:COLLABORATlON(2015年10月4日 - )
  • 製作著作:テレビ朝日

過去[編集]

  • ゼネラルプロデューサー:清水克也、伊東寛晃
  • チーフプロデューサー:三倉文宏、佐藤信也
  • プロデューサー:荒井祥之
  • アシスタントプロデューサー:佐々木南
  • ディレクター:中嶋豪、梅沢勝、佐藤正樹、篠田裕基、千葉昭、菊地芙美代、大谷卓
  • 構成:藤田敏雄(のち監修)、小泉文夫(出演、代理司会も行う)、井上知幸渡辺健一新井鴎子、亀津雄介
  • アドバイザー:前田憲男青島広志
  • 指揮:石丸寛(代理司会も行う)
  • TD:早川憲一
  • TD/SW:渡邊良平(以前はSW)
  • カメラ:浅川英俊、松田祥宏
  • VE:近藤佑輔
  • 照明:高野安隆
  • 効果:岩谷知朗 (TSP)
  • 美術:高見和彦、福田亜矢子、前田香織
  • 美術進行:渡辺絢
  • CGデザイン:横井勝、村澤ちひろ
  • スタイリスト:加藤涼子
  • 美術協力:株式会社ヤマハミュージックジャパン

オープニング・エンディング[編集]

黛担当時代[編集]

エンディング[編集]

楽譜とバイオリンのスチール写真に、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1984年頃まで) 
司会者黛敏郎のペーパーイラストに、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1984年頃 - 1993年)
部屋の椅子に置かれたチェロのスチール写真に、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1994年 - 1997年9月)
「アポロマークの出光興産がお送りしました」とアナウンス(ナレーション:銅谷志朗)。BGMはなかった。

佐渡担当時代[編集]

オープニング[編集]

グレー→ショッキングピンク→黄緑と場面転換し、無数の楽譜や音符が描かれたCGと合成した状態で、佐渡自身が指揮し譜面をめくると番組タイトル・放送回数(単位はop.○○○○[注 8])と今日の番組内容のハイライトが表示。再び右から左へページがめくられると提供クレジット。提供クレジットの下には英字タイトルである"Untitled Concert"が表示される。
番組内容のナレーションと提供アナウンスは、担当時のアシスタントが担当。
楽曲は「キャンディード序曲」(作曲:Leonard Bernstein[注 9]

エンディング[編集]

上記と同じ提供クレジットが表示された後、提供クレジットが右から左へめくられて再び佐渡が登場。指揮を終えた後には優しく手を振り、右側に「End」が表示。
楽曲はオープニング同じく「キャンディード序曲」。ここでは楽曲の〆にあたる部分が使用。
提供アナウンスは、担当時のアシスタントが担当。
テレビ朝日系列(ANNフルネット24局)では、続けて次番組のクロスプログラム(2015年時点では、ABC制作の『ペットの王国 ワンだランド』)が放映。

五嶋担当時代[編集]

オープニング[編集]

今日の番組内容のハイライト→五嶋が演奏している画面に切り替わり、その後、五嶋が両手で鍵括弧を作り番組タイトルが表示。本日の演奏曲紹介→画面中央の鍵括弧[注 10]の中に提供クレジットが表示。

エンディング[編集]

上記と同じ提供クレジットの後、画面の左側に五嶋が現れ右へ指を差し、その右側に鍵括弧で括られた作曲家の名言がテロップとして出てくる。なお、紹介された名言は、バックナンバーとともに、公式サイトで閲覧できる。過去のエンディングと違い、「終」の表記はない。
佐渡担当時代と同様、テレビ朝日系列では、続けて次番組のクロスプログラムへと続く。

ネット局[編集]

放送対象地域 放送局 系列 放送曜日・放送時間 放送日の遅れ
関東広域圏 テレビ朝日 テレビ朝日系列 日曜 9:00 - 9:30 制作局
北海道 北海道テレビ 同時ネット
青森県 青森朝日放送
岩手県 岩手朝日テレビ
宮城県 東日本放送
秋田県 秋田朝日放送
山形県 山形テレビ
福島県 福島放送
新潟県 新潟テレビ21
長野県 長野朝日放送
静岡県 静岡朝日テレビ
石川県 北陸朝日放送
福井県 福井テレビ フジテレビ系列
中京広域圏 メ〜テレ テレビ朝日系列
近畿広域圏 朝日放送
広島県 広島ホームテレビ
山口県 山口朝日放送
香川県・岡山県 瀬戸内海放送
愛媛県 愛媛朝日テレビ
福岡県 九州朝日放送
長崎県 長崎文化放送
熊本県 熊本朝日放送
大分県 大分朝日放送
鹿児島県 鹿児島放送
沖縄県 琉球朝日放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列 土曜 5:29 - 5:59 6日遅れ
鳥取県島根県 山陰放送 TBS系列 土曜 10:45 - 11:15 13日遅れ
日本全域 BS朝日 BSデジタルテレビ局 日曜 23:00 - 23:30 7日遅れ[注 11]

宮崎県では通常は放送されないが、テレビ宮崎(フジテレビ系、NNNANNにも加盟)が不定期で単発放送したことがある。

11月第1日曜日に行われる「全日本大学駅伝」のとき、「全国高等学校野球選手権大会」の開会式が日曜日と重なったとき(放送時間が重なるため)、年末年始はいずれも放送を休止する。さらに夏季オリンピック世界水泳全米オープンゴルフがアメリカ西海岸で行われる場合などのスポーツ中継のため休止になる場合もある。この場合、時差放送となる系列外の局(同時放送の福井テレビも含む)とBS朝日では当該時間帯は過去の再放送ならびに別の番組に差し替える。逆に、福井テレビでは放送日が「FNS27時間テレビ」(7月下旬)、フジテレビ制作の東京マラソン中継日(2月下旬)、東海テレビ放送制作の名古屋ウィメンズマラソン中継日(3月上旬)に当たる場合はFNS系列の放送を優先する。

他に、高校野球期間中は地域によって同一時間帯に第1試合の中継を行う場合があり、当該日の放送回は番組返上(代替なし・欠番)又は時差放送(朝日放送は前者[注 12]。この場合でもBS朝日で視聴可能)となる。

遅れネット局でもスポンサードネットで放送されているが、BS朝日を除き出光美術館のCMは放送されない(出光美術館のCMが放送されている放送局はテレビ朝日・BS朝日(東京)、九州朝日放送・山口朝日放送(門司)のみ)

放送日時の推移[編集]

開始当初は日曜 9:00 - 9:30だった(1967年10月6日から1968年3月29日の間は金曜日23:00 - 23:30に放送されていた)。1969年10月3日からは土曜 23:00 - 23:30で、1971年4月3日からは土曜23:30 - 24:00で、1972年4月1日から土曜22:30 - 23:00で放送されていた。しかし、腸捻転の解消に伴いABCテレビの制作枠が入ってくるため、1975年4月6日に日曜 10:00 - 10:30へ移動した。その後、日曜朝10時台の朝日放送制作枠へ変更の影響で1980年以降再び日曜 9:00 - 9:30に移動し、現在に至る。

過去のネット局[編集]

カッコ内は現在の系列

放送日時にまつわるエピソード[編集]

  • 福井テレビは1980年代から放送している。[注 15]長年10:30 - 11:00に放送されたが『ザ・タイムリーふくい』(当時は10:30 - 11:25。その後土曜日に移り現在も放送中)の放送開始に伴い、同時ネットに移行。[注 16][注 17]
  • 番組中のコマーシャルは一切はさまない。これは協賛社・出光興産創業者の出光佐三「芸術には中断はない」と考えていることからである。このため冒頭とエンディングのCMは流しているが、本編はCMなしで行われている。

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 1978年より。なお、デジタル放送では2004年から2016年3月まで5.1サラウンド(ただし、不定期でステレオ放送となる場合もある)を実施していたが、同年4月以降はステレオ放送となる。
  2. ^ スポンサー紹介ナレーションは2010年4月以降「ほっと、もっと、きっとの出光興産の提供でお送りいたします(お送りいたしました)」である。また提供クレジット表示も「ほっと安心、もっと活力、きっと満足。」のキャッチコピーが追加され、2011年4月からは「出光」のロゴ(髭文字)が表示されるようになった(以前は「出光興産がお送りします(お送りしました)」だったが、1984年頃から2004年3月までは「アポロマークの出光興産がお送りします(お送りしました)」となっていた。)。なお、2011年(平成23年)4月からの1年間は当社の創業100周年に合わせて「創業100周年の出光の提供でお送りします(お送りしました)」に変更されていた
  3. ^ 2009年2月1日、開局50周年の放送回で久保田直子アナウンサーが紹介した。
  4. ^ 黛敏郎著「題名のない音楽会」によれば放送困難になった際、出光興産が「せっかく始まった番組を終わらせるのは嫌だ」と言ったから、と書いてある。
  5. ^ 「東京12チャンネルの挑戦」p.161によれば、フジテレビ日本フィルハーモニー交響楽団日本テレビ読売日本交響楽団との関係が強いことから共に敬遠され、またTBSは元々東京交響楽団との専属契約を切った局であり移籍は論外とされたため、NET以外に選択肢が残らなかったという。
  6. ^ そのためか、羽田時代は「軽音楽を扱いすぎだ」という苦情も寄せられたという。
  7. ^ 本来ならば出光創業100周年記念の特別企画を行う予定であったが、震災発生後に出光からの要請により復興応援企画に変更となった。
  8. ^ 作品番号を意味する"opus number"の略。
  9. ^ 黛担当時の1992年(平成4年)10月4日放送(サブタイトル「バーンスタイン先生と私」)で、番組冒頭に佐渡が指揮した楽曲でもある。この回は、佐渡が『第2回出光音楽賞』(1991年)受賞者として紹介するため、出演した。
  10. ^ 当初は動きが無かったが、2016年5月22日から鍵括弧が画面中央から外側へ動く動作が加えられた。
  11. ^ 2005年4月6日放送開始。2007年3月28日までは水曜 21:00 - 21:30、2007年4月7日からは土曜 18:30 - 19:00、2013年10月からは土曜 17:30 - 18:00に放送されていた。2015年4月からは現在の放送日時に移動。スポーツ中継等により時間が変更される場合がある。
  12. ^ ただし当番組の直前枠と直後枠においても、朝日放送では試合開始時刻が早い場合はともに放送休止となるが、いずれも朝日放送制作のため番組返上はせず、いったん通常編成の系列局へ裏送りする。そして大会終了後朝日放送ではこの2番組について、まず放送話数の調整のため、本来の放送時間で最初に飛ばされた回を振り替え放送し、残りを飛ばされた回数分だけ本来と別の日時で振り替え放送する(両者共通 8時からのスーパーヒーロータイム第2部<現在は平成仮面ライダーシリーズ>もストーリーの性質上、同様の話数調整がなされる)。なお前者について、当日3試合しかない場合(この場合9:30中継開始となるため本番組は通常放送される)は通常時間帯での放送はなされるものの、例えば前週が4試合日で1回でも飛ばされた回があるとすれば、通常時間帯でも本来の回を放送せずに、まずは最初に飛ばされた回を振り替え放送する。
  13. ^ 腸捻転解消末期は『仁鶴・たか子の夫婦往来』(関東広域圏では東京12チャンネルで放送)を放送しており、23:30 - 24:00(1時間遅れ)に放送。(なお、同番組は腸捻転解消後、TBSへ移行。MBS=土曜 23:15 - 23:45、TBS=土曜 12:00 - 12:30)
  14. ^ 『黛敏郎の間奏曲』に移行した際に一時打ち切り、1974年4月に放送再開、この時点でNET(→テレビ朝日)系列局としてテレビ山口が開局していたが、TBS系列を優先ネットし、かつフジテレビ系列にも加盟している、いわばトリプルネット局だった事から、引き続き放送した。なお、テレビ山口は後発UHF局で受信可能地域が山口放送より狭く、またUHFアンテナを設置していなかった人も多かったことや、スポンサーの出光興産の事業所が山口放送の本社と同じ徳山市(現:周南市)内にあり、山口放送にも大株主として出資する等関係が深かった事から、同社が先発局である山口放送での放送継続を求めたという事情もあった。なおテレビ山口は、テレビ朝日の意向により1978年9月にテレビ朝日系列から離脱(番組の個別ネットと一部イベント協力は継続)、山口放送がテレビ朝日系列に参加(1993年9月まで)している。1982年3月までは土曜23:00 - 23:30に時差ネット、1982年4月からは同時ネットとなったものの、1993年4月から『THE・サンデー』のネット開始に伴い山口朝日放送開局直前の1993年9月までは日曜日10:00 - 10:30(1時間遅れ)で放送。
  15. ^ その後1989年に、福井放送がテレビ朝日系列とのクロスネット局となったものの、福井放送が日本テレビ系列(NNS)番組優先の番組編成やスポンサーの事情等もあり、引き続き放送。
  16. ^ ただし、2008年7月まで番組開始時に画面右上に表示されていた「字幕」「ハイビジョン制作」のテロップはテレビ朝日・ANN仕様ではなく、フジテレビ・FNS仕様のものを使っているため、ネット回線からの受信でなく、事前に番組素材を受け取り自社で送出をしているものと思われる。
  17. ^ なお、福井テレビで放送しているテレビ朝日系列の番組は、レギュラー編成では当番組とスーパー戦隊シリーズの2番組のみ(不定期では『水曜どうでしょうシリーズ』・『芸能人格付けチェックスペシャル』)ではあるが、当番組以外は遅れネットである(当番組は出光興産のスポンサードネット、その他は番販扱い)。

出典[編集]

  1. ^ 「東京12チャンネルの挑戦」(金子明雄著、三一書房)p.158
  2. ^ 「東京12チャンネルの挑戦」p.156
  3. ^ [1] 『題名のない音楽会』メイキングインタビューより。
  4. ^ 同年1月27日の放送で発表。
  5. ^ 「題名のない」まま50年の音楽会 黛敏郎から佐渡裕まで - 日本経済新聞・2014年12月24日
  6. ^ 『題名のない音楽会』が世界一長寿のクラシック音楽番組に…ギネス認定”. レスポンス (2009年6月13日). 2009年6月23日閲覧。
  7. ^ 『題名のない音楽会』7年半ぶり司会交代 佐渡裕から五嶋龍へバトンタッチ
  8. ^ 題名のない音楽会|2015/06/28(日)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年9月29日閲覧。
  9. ^ daimeiofficialのツイート (648343568491241472)

提供読み[編集]

1966年から1999年まで

  • オープニング

1999年から2004年まで

2004年から2010年まで

2010年から現在

提供画面表示はかつてはタイトル入りの静止画像に組み込まれ、後にVTR編集時に挿入されていたが、現在はテレビ朝日・BS朝日の個別による送出マスターのテロップ出しとなっている(書体自体はどちらも同じだが、ホワイトバック画面での表示のため「提供」が黒文字となっている)。

公開収録が行われる主なコンサートホール[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]