毒蝮三太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毒蝮どくまむし 三太夫さんだゆう
毒蝮(どくまむし) 三太夫(さんだゆう)
浅草寺・浅草観音文化芸能人節分会にて(2016年)
本名 石井 伊吉(いしい いよし)
生年月日 (1936-03-31) 1936年3月31日(86歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府大阪市住吉区(東京育ち)
民族 日本人
職業 俳優タレントラジオパーソナリティ短期大学客員教授
ジャンル テレビドラマ映画バラエティ番組
活動期間 1948年 -
配偶者 あり
公式サイト まむちゃんの部屋
主な作品
テレビドラマ
ウルトラマン
ウルトラセブン
ワイドショー番組など
3時にあいましょう
ラジオ番組
毒蝮三太夫のミュージックプレゼント
テンプレートを表示
毒蝮三太夫
YouTube
チャンネル
活動期間 2021年 -
登録者数 7260人
総再生回数 26万回
テンプレートを表示

毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、本名及び旧芸名:石井 伊吉(いしい いよし)、1936年3月31日 - )は、日本俳優タレントラジオパーソナリティ聖徳大学短期大学部客員教授。まむしプロダクション所属。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。身長170cm、体重78kg。

既婚であり、妻はかつて三越に勤務していた[1]。血液型はO型。

来歴[編集]

大工の息子として[2]大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現在の東京都品川区中延)に転居。第二次世界大戦中は、神奈川県横浜市戸塚区の親戚宅に縁故疎開していた。

1945年から1950年まで東京の浅草竜泉寺で育ち[2]1948年台東区立下谷中学校1年の時、友人と共に『鐘の鳴る丘』の舞台のオーディションに行ったところ、台詞の読みの闊達さを買われて自分だけが採用され、戦災孤児の役で子役デビュー[2][1]。同作品では、後に俳優となる久保明江原達怡と共演した[3]。この舞台をきっかけに児童劇団に入り、NHKのラジオに出演[2]

中学校では人気者で、生徒会の副会長に選ばれた他、卒業式では卒業生代表として講堂で落語を演じた[2]

東京都立大森高等学校卒業までに谷口千吉監督『潮騒』など東宝大映の青春映画に出演するも、高校卒業の頃に児童劇団を辞め、日本大学芸術学部映画学科では新劇をやるために影万里江増山江威子稲吉靖司北浜晴子豊原ミツ子らと「劇団山王」を組織し、石原慎太郎の『処刑の部屋』などを演じた[2][4]。また、この「山王」時代の仲間の一人が後に『笑点』で共演する立川談志と知り合いで、仲を取り持っていたこともあって、毒蝮曰く、談志とはこの当時から「ウマが合っていた」とのこと[4]

1960年代半ばまでは本名の石井伊吉名義で俳優として活動、テレビドラマには草創期である1950年代から出演している。1966年には『ウルトラマン』に科学特捜隊のアラシ隊員役で出演、子どもたちの人気者となった。引き続き翌年の1967年に制作、放送された『ウルトラセブン』でもほぼ同様の役柄であるウルトラ警備隊のフルハシ隊員として出演した[1]。『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の両方に起用された理由について、毒蝮は「輝いてるって言うのと同時にね、丈夫で安いんですよ(笑)。病気をしないんです」[5] と述べている。

『ウルトラマン』放映中の1967年に『笑点』の当時の司会者立川談志の誘いにより、同番組に座布団運びとして出演[6]。当初は本名の石井伊吉名義で出演していたが、当時『ウルトラマン』に出演中だったこともあって「何で正義の味方が座布団運びやってんだ」といった苦情などがTBSテレビの方に入っていることを聞き、芸名を付けようという展開に至った[7][1]。「毒蝮」という芸名は、談志が「怪獣ドラマに出演しているなら怪獣風の芸名にした方が良い」「怪獣にも負けないような名前で、ってのはどうだ?」と名付けたもの。談志は石井が就任した当初から「マムシ」と呼んでいたが、当時大喜利メンバーの1人だった5代目三遊亭圓楽が「ただのマムシじゃ面白くねぇ、毒を付けろ」と発言したのを談志が気に入り、定着させた。また下の名前の「三太夫」は『笑点』より前に出演していた『談志専科』という番組で石井が家老・田中三太夫役に扮し、殿様役の談志と社会風刺や世相巷談を繰り広げていたことが元で命名された[7][1]。番組中で改名披露を行った『笑点』の1968年12月15日放送分から「毒蝮三太夫」に改名した[6][7]。後年有名になった年配者相手の毒舌トークの原点は『笑点』にある[6]

1969年にはTBSラジオで『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』が放送開始。現在もなお続く長寿番組である。永らく『大沢悠里のゆうゆうワイド』の内包番組として放送され、2016年4月8日の同番組終了後も当コーナーは継続すると2016年1月18日放送分の同コーナーで明言された[8]。その後、月曜から木曜の週4回『ジェーン・スー 生活は踊る』内で放送されていた[9]。2018年4月より「金曜たまむすび」の午後2時からのコーナーに移動し、毎週金曜日の週1回の放送に縮小された。2020年4月からは「土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送」内での月1回の放送となった。

1971年、当時の立川談志の所属事務所だった「談志プロダクション」の社長に就任、同時に「まむしプロダクション」に改称する。1973年株式会社を設立(商号は株式会社まむしプロダクション)。他の所属に落語立川流一門の多くの落語家、別れたはずの師匠5代目柳家小さんを擁するなど、規模の大きな芸能プロダクションであった。

1999年ゆうもあ大賞を受賞[10]

2016年5月8日放送の『笑点』に、ゲストとして約46年ぶりに出演した。

2021年4月21日からYouTuberとしても活動を開始した。[11]

人物[編集]

  • 現在に至るまで、俳優業よりもタレント業での活躍が目立ち、「おばあちゃんのアイドル」・「巣鴨のスター」の異名を持つ。
  • ラジオ番組では年配者相手に「ジジイ」・「ババア」といった毒舌トークで圧倒的な人気を誇っている[6]。なお、「クソジジイ」「クソババア」と発言することについては本人と関係者は否定しており、あくまで「元気な人にしか発言しない」ことを信条としている。また、出だしが「おいババア」、締めが「長生きしろよババア」というパターンもある。
  • 父親が違ううえに10歳以上も年齢差がある兄2人とは兄弟ケンカをしたことがなく、可愛がられた。しかし、本人曰く「一緒に遊べなかったから兄という感じがしなかった、一人っ子みたいで寂しかった」とのこと[12]
  • 「本名をかな表記にすると『い』『よ』『し』の3文字しか使われていない」とネタにすることがある。
  • 「毒蝮三太夫」という芸名は、当初は『笑点』限定としてやむを得ず了承したものであり、本人はあまり乗り気ではなかった。しかし、同芸名のインパクトが原因でまったく「石井」と呼ばれなくなり、後には「毒蝮」を受け入れたうえでこちらの名義で統一した。なお、親や妻にはしばらくこのことを黙っていたが、半年くらい経ってから発覚した[7]
  • 芸名にちなんで、ファンから「マムシ酒」を贈られることがある。
  • 少年時代は病弱で、本人曰く「発疹チフス猩紅熱などの法定伝染病は一通りかかったことがある」という[注釈 1]。20歳を超えたあたりから徐々に丈夫になっている。
  • カニが嫌いである。
  • ウルトラマン』のアラシ隊員と『ウルトラセブン』のフルハシ隊員を演じたことにより、往年の特撮ファンからも愛されている。本人は、「当時は、ジャリ番と言われたけど、熱心に演じたことが受け入れられたのだと思う」と喜んでいる。
  • ウルトラ警備隊(『ウルトラセブン』に登場する防衛組織)の紅一点、アンヌ隊員役のひし美ゆり子が好きであった隊員は、モロボシ・ダン役の森次晃嗣でも、ソガ隊員役の阿知波信介でも、アマギ隊員役の古谷敏でもなく、フルハシ隊員役の毒蝮であった。これを聞いたキリヤマ隊長役の中山昭二は、「蓼食う虫も好き好きだな」と述べたという[13]
  • 赤坂泰彦は、「自分のDJは、ラジオから流れる米軍放送と毒蝮さんからの影響が大きい」と公言しており、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に友達として紹介するほどである。
  • 大森高校出身であることを誇りにしているが、毒蝮が高校生であった1951年から1954年までの同校の大学進学率は、当時の中堅私立高校を凌駕する実績であった。
  • 近年は人民服風のマオカラースーツを常用している。ファッションの流行や祝儀不祝儀のTPOにも関係なく、急な訃報で駆け付けた際にも親族から失礼と思われないので、普段着にしていれば背広礼服も不要で便利だという理由から。
  • 大のプロレスファンであり、自身のラジオ番組でも時折話題にすることもある。
  • 無類の愛妻家である[14][15]
  • 創作童話に「来なくてよかったサンタクロース」がある。2021年には塚本やすしの作画により絵本化された[16]

腸閉塞による休業[編集]

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

※石井伊吉名義

※毒蝮三太夫名義

映画[編集]

劇場アニメ[編集]

オリジナルビデオ[編集]

DVD[編集]

テレビアニメ[編集]

1968年

1969年

1972年

海外アニメ[編集]

2001年

バラエティ[編集]

現在[編集]

過去[編集]

テレビ[編集]
ラジオ[編集]

CM[編集]

その他[編集]

  • 『ウルトラマン』ソノシート(1966年 - 1967年、朝日ソノラマ) - アラシ隊員
  • 『ウルトラセブン』ソノシート(1967年 - 1968年、朝日ソノラマ) - フルハシ隊員

著書[編集]

単著[編集]

絵本[編集]

共著[編集]

  • みやぎシルバーネット、河出書房新社編集部『シルバー川柳特別編 ババァ川柳』(2014年5月8日、河出書房新社ISBN 978-4309022925
  • みやぎシルバーネット、河出書房新社編集部『シルバー川柳特別編 ジジィ川柳』(2015年9月14日、河出書房新社)ISBN 978-4309024059
  • みやぎシルバーネット、河出書房新社編集部『シルバー川柳特別編 ババァ川柳 女の花道編』(2016年4月27日、河出書房新社)ISBN 978-4309024585

関連書籍[編集]

ディスコグラフィー[編集]

  • 『忍ぶ草 / どうせ夢ならシュッピッピー』(1979年) 毒蝮三太夫・西海はるか
  • DJ JET BARON a.k.a. 高野政所「おもしろおじさん feat. CHOP STICK, 丸省 and 毒蝮三太夫」(2014年) 毒蝮三太夫がゲスト参加

毒蝮三太夫(に該当する役)を演じた俳優[編集]

テレビドラマ

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 毒蝮自身、終戦直後の1946年(10歳)に発疹チフスで入院している。
  2. ^ 昭和50年代前半に発売されていた殺虫剤。このCMはかつてサブ司会を務めていたTBS『3時にあいましょう』でよく流れた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 毒蝮三太夫はなぜ毒蝮三太夫という芸名になったのか…その由来は?【連載 第20回】”. 介護ポストセブン (2020年6月23日). 2020年7月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 週刊文春2003年9月25日号「阿川佐和子のこの人に会いたい 毒蝮三太夫」
  3. ^ 別冊映画秘宝編集部 編「久保明(構成・文 浦山珠夫/『映画秘宝』2010年5月号掲載)」 『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日、104頁。ISBN 978-4-8003-1050-7 
  4. ^ a b 夕刊フジ 2016年4月23日 6面「自伝 毒蝮三太夫」
  5. ^ 植木等のみなさんおそろいで』p.146における毒蝮の発言。
  6. ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』130ページ
  7. ^ a b c d 夕刊フジ 2016年4月28日 8面「自伝 毒蝮三太夫」
  8. ^ 大沢悠里、『ゆうゆうワイド』丸30年の4月で降板 後任は伊集院光 2016-01-18 14:29 オリコン
  9. ^ 毒蝮三太夫 TBSの長寿ラジオ継続 2016-02-24 デイリースポーツ
  10. ^ ゆうもあ・くらぶ 歴代受賞者
  11. ^ 毒蝮三太夫 がYouTubeにきたぞぉ〜!【古谷敏/第一回】”. 2021年12月20日閲覧。
  12. ^ 夕刊フジ 2016年4月12日 6面「自伝 毒蝮三太夫」
  13. ^ 『極上空間』第143回 ゲスト:毒蝮三太夫×ひし美ゆり子”. BS朝日 (2014年1月11日). 2022年9月10日閲覧。
  14. ^ “毒蝮三太夫 80歳超えても妻に出し続ける手書きラブレター”. 女性自身 (光文社). (2019年3月21日). https://jisin.jp/entertainment/interview/1722028/ 2022年9月10日閲覧。 
  15. ^ “毒蝮三太夫、半世紀続くラジオ名物コーナー 4月から月1回の放送に”. ORICON NEWS (oricon ME). (2020年3月6日). https://www.oricon.co.jp/news/2156920/full/ 2022年9月10日閲覧。 
  16. ^ a b こなくてよかったサンタクロース”. 絵本ナビ. 2022年9月10日閲覧。
  17. ^ ウメ星デンカ”. トムス・エンタテインメント. 2016年7月3日閲覧。
  18. ^ 毒蝮三太夫 - オリコンTV出演情報
  19. ^ 毒蝮三太夫 - オリコンCM出演情報

関連項目・人物[編集]

  • 読売ジャイアンツ - 大ファン。
  • 柳田真宏 - 毒蝮に似ているためあだ名が「まむし」。
  • 30代式守伊之助 - 友人
  • はぶ三太郎 - 弟子
  • 砂川啓介 - 60年来の親友であった。
  • 大山のぶ代 - 夫の砂川と一緒に親交があり愛称のペコと呼んでいて、大山の入居施設へ近況を観に訪問して大山と再会したが、認知症で残念ながら俺の事を誰かわかっていなかったと「徹子の部屋」へ2021年出演時に共通の親友である黒柳徹子に話している。

外部リンク[編集]

先代
三升家勝松
(1966年5月 - 1967年1月)
笑点」座布団運び
2代目
(1967年1月 - 1969年11月)
次代
三遊亭笑遊三笑亭夢丸
(1969年11月 - 1970年6月)