三遊亭好楽

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三遊亭 好楽さんゆうてい こうらく
三遊亭 好楽
三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である(ただし、本人は「隅切り鉄砲角にかたばみ」をよく使用する。笑点もそれを使用している)。
本名 家入 信夫(いえいり のぶお)
生年月日 (1946-08-06) 1946年8月6日(71歳)
出身地 日本の旗 日本東京都豊島区東池袋
師匠 林家彦六(1966年 - 1982年)
三遊亭圓楽 (5代目)(1983年 - 2009年)
弟子 三遊亭好太郎
三遊亭兼好
三遊亭好の助
三遊亭好吉
三遊亭鯛好
三遊亭とむ
三遊亭好也
三遊亭じゅうべえ
名跡 1. 林家のぶお(1966年 - 1967年)
2. 林家九蔵(1967年 - 1983年)
3. 三遊亭好楽(1983年 - )
出囃子 ずぼらん
元禄花見踊
活動期間 1966年 -
活動内容 古典落語
配偶者 あり
家族 妻:一般女性
長女:好楽のマネージャー
次女:小売業経営者
長男:三遊亭王楽
所属 落語協会(1966年 - 1983年)
大日本落語すみれ会→落語円楽党→落語ベアーズ→円楽一門会(1983年 - )
備考
円楽一門会会長(2015年 - )

三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日[1] - 、本名、家入 信夫(いえいり のぶお)[1])は、落語家円楽一門会の会長[1]出囃子は『ずぼらん』[1](あるいは、2人目の師匠五代目三遊亭圓楽、および五代目圓楽の直弟子である六代目円楽と同じ『元禄花見踊』)。演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーとして知られる。前名は林家九蔵[1]。落語家の三遊亭王楽は長男[1]

本項での落語家の高座名は、それぞれ出来事があった当時のものとする。

来歴[編集]

豊島区東池袋で、8人兄弟の6番目として生まれる[2][3]警察官であった父親が40代で急死したのちは母親の手で育てられる[3]。子ども時代は、いわゆる「面倒見のいいガキ大将」だった[3]。日頃は厳しいものの、家事一切を済ませ子供を寝かしつけた後ラジオで落語を聴いて楽しんでいる母親の姿を見て、落語に興味を持つようになる[2][3]京華商業高等学校時代は、小遣いなどをやりくりして池袋演芸場に日参していた[3]。高校卒業後の1966年4月[1]、19歳になった時に8代目林家正蔵(のち彦六)に弟子入りを願うが、その時は「私は来月70歳になるから」と弟子入りを断られる[1]。2回目、3回目と断られたのち、4回目の願い出でようやく入門を許可され「林家のぶお」で前座、1年後に「九蔵」の名をもらう[1]

1971年11月に二つ目に昇進[1]1979年には、三笑亭夢之助の後任として『笑点』大喜利メンバーとなる[1][4]1981年9月に九蔵で真打に昇進するが[1]、それから間もない1982年1月29日に師匠・彦六[注釈 1]が亡くなる。約1年後の1983年4月、5代目圓楽門下に移籍して「好楽」の名をもらう[1][5]。同時に落語協会から大日本落語すみれ会(現在は円楽一門会)へ移籍する。好楽に改名後もしばらくは『笑点』の大喜利メンバーであったが、「古典落語をみっちり修業」すべく1983年10月9日放送分を最後に一旦卒業[6]。それから約5年ののちの1988年4月3日放送分から、7代目桂才賀の卒業に伴い、『笑点』に復帰する[7]

2010年、初の落語集CD『三遊亭好楽 落語集 好日楽語(よきひにらくご)』をリリース[8]2012年、自身の半生を振り返る「好楽日和。」を晶文社から上梓[9]2013年には自らの高座や若手(主に好楽の弟子)の育成を目的に、自宅を新築して寄席「池之端しのぶ亭」をオープンさせた(後述)[1]。2015年からは円楽一門会の会長に就任[1]。2016年から2017年にかけては、自身の芸歴50周年を祝う「好楽ちゃん祭り ~芸歴50周年&古希記念落語会~」を、王楽のプロデュースで開催した[1]

人物[編集]

弟子入り[編集]

元々、5代目圓楽の惣領弟子になることを希望していた時期があったが、新聞で楽松(現:三遊亭鳳楽)が惣領として弟子入りしたことを知り考え直したあと、2代前の圓楽であった、当時の8代目正蔵(後の林家彦六)が口演する「鰍沢」をラジオで聴いて感動し、その翌日に正蔵に弟子入りを志願することにした[3][10]。来歴の通り、正蔵への弟子入りの際にはじめの3回は断られているが、4回目に志願した際に正蔵から名前を聞かれ、「信夫」であることを明かすと、「"のぶお"が帰ってきたんだね」ということで入門を許可された[1]。正蔵の長男である岡本信男は17歳になった1945年8月7日に勤労動員先の豊川海軍工廠空襲に遭い、辛くも東京に帰ってきたものの肺をやられており、終戦後まもなく亡くなった[11]。このことから、正蔵は九蔵に亡くなった信男を重ね合わせて、よくかわいがったという[2]。「九蔵」の名前は、好楽の説明では「正蔵の9番弟子」という意味ではなく、「もう弟子は取らない」という止めの意味[1]。ただし、正蔵自身はこの当時、自身の弟子の数を三遊亭市馬(岸正二郎)から勘定しており、「(岸正二郎から数えて)9番目の弟子だから「九蔵」」という認識だった[12][注釈 2]。正蔵曰く、「九蔵」は「役者と同じ名前」とのこと[12]。(好楽説をとると)「もう弟子は取らない」はずだった正蔵はその後、林家上蔵(のち三代目桂藤兵衛)林家よし蔵(のち時蔵)林家茂蔵(のち林家正雀)と、3人の弟子をとっている[1]

九蔵時代[編集]

1971年11月に二つ目に昇進。昇進前、九蔵にはのちに妻となる女性と交際していたが、「結婚は真打になってから」という不文律の手前、隠していた[1]。しかし、正蔵に「お前、女ができたね」と言い当てられた[1]。結婚式まで1か月を切っていた時期であったが、九蔵が「はい」と答えると怒られるどころか「前座で祝言挙げるんじゃ格好がつくめぇ」と言われて二つ目に昇進させてもらうこととなった[13]。九蔵を二つ目にするためには香盤上他に10人も二つ目に昇進させる必要があったが、無事昇進した[13][14]。妻の父は5代目柳家小さんの贔屓筋だった[13]。最晩年の彦六が体調を崩し入院すると、よく妻を連れて看病に来ており、この際、しばしば彦六の手を取って「師匠!」ときめるゆえ、たまりかねた彦六が目を見開き、「そうまい日泣かれちゃ、オレは死ななきゃなんねェ!」と言ったエピソードもある[15]

1982年1月29日、この日は夜に、本牧亭で九蔵主宰の一門会があった[16][17]。この日の彦六の容体は比較的よく、一門のほとんどが彦六の見舞いをした後一門会に向かった[16][17]。そしてその夜に彦六は容体が急変し、86年の生涯を終えた[17][18]

好楽本人曰く、彦六からは23回も破門されたというが[1][3][19]、いつもしばらくすると済し崩し的に復帰が認められていたという[20]

圓楽門下へ[編集]

彦六没後1年を経て、5代目圓楽門下に移ることとなるが、圓楽一門会は落語協会分裂騒動の末に東京の寄席[注釈 3]から締め出されており、このことから周囲からは「バカだね。大企業を飛び出して、中小企業に行くなんて」と言われたこともあったが、圓楽が好きだったことに加えて「落語はどこでも勉強できる」という信念を持っていたため、移籍を決断した[1]

圓楽からは、「酒を飲んでもいいから勉強しなさい」「米屋や酒屋は、お米やお酒を売る。落語家は“噺”で食べていく。人間は誰でも言葉をしゃべれるんだ。その言葉を生業にするなんてふてえ商売だ。だから勉強しなきゃダメだよ」と、よく言われたという[1]

酒の話[編集]

前座時代は三遊亭鳳楽(当時・楽松)・6代目三遊亭圓橘(当時・朝治)ら同期で飲んだくれては叱られていたようで、兄弟子5代目春風亭柳朝と一緒に師匠正蔵に謝ってもらったりと、その失敗談の数々を聞いた林家たい平曰く「よく破門にならなかったと思うくらい豪快」。

酒からみでの最大の事件は、好楽曰く「5万1000円事件」[1]山手線大塚上野の間の運賃が100円だった時代、行きつけのスナックで仲間と飲みまくっているうちにジョニ赤が目に留まり、振る舞い酒と称して丸々空けてしまい、溜めたツケの請求を正蔵にまわしたが、その額が51000円だった[1]。激怒した正蔵に破門を言い渡された九蔵は母親に金の工面をしてもらう一方、正蔵自身も件のスナックに行って「こんな子供に、こんなツケで飲ませるやつがあるか」と怒って1万円値切り、41000円にしてもらったという[1]

現在も酒豪で、新幹線乗車時間が1時間程度であっても、ビールを優に5本は買って乗車する[21]

その他[編集]

競馬ファンとしても知られており、報知新聞に予想記事を掲載していたがまったく当たらず、クビになっている[22]

人付き合いが良く、他の落語家の弟子にも自分の弟子のように関わりあっている。

新幹線の発車1時間前にはホームに行く彦六(たい平著参照)と、笑点収録の集合時間の1時間半前には楽屋入りを済ませる5代目圓楽(『笑点諸国お笑い漫遊記』参照)と、せっかちな師匠2人についた好楽は、事前行動が早いようで、最年少メンバーで最初に楽屋入りするべきのたい平よりも収録に早く来てしまう。ただし、前述の酒好きのため、九蔵時代と好楽になってから間もないころは、何度か寝過ごしては注意を受け、列車での車両基地入りも経験。妻は尾久駅尾久車両センター)の電話番号をメモして常に持つようになった[23]

大喜利メンバーとして[編集]

  • 1979年9月9日放送分から三笑亭夢之助の後任としてメンバー入りし、1983年10月9日放送分をもって古典落語の修業に専念するため一時降板。1988年4月3日放送分から番組に復帰し、4年半のブランクを経て30年近くに亘り出演している。好楽(当時・九蔵)を笑点に誘ったのは、後に師匠となる5代目三遊亭圓楽であった。『笑点』40周年を記念して発売したオフィシャル本では、『笑点』の前身番組『金曜夜席』のファンだったので、いずれは『笑点』に出演したいと勝手に思い込んでいたと語っている。
  • 現在着用している色紋付はピンク色。大正製薬の便秘薬『コーラック』と『好楽(コウラク)』の語呂が似ていることから、製品のキャッチフレーズ「ピンクの小粒コーラック」をもじり、「ピンクの小粒好楽(コウラク)』と称されることもしばしばある[24]。小圓遊急逝後、古今亭朝次加入以降、1983年の一時降板までは現在小遊三が着用している水色の着物を着用していた。なお、『笑点』の公式HPでは、好楽が歴代のピンクの着物を着用した落語家は出演期間が短いというジンクス(これを、「呪われたピンクの着物」と称している)を破り、「平成のラッキーカラー」になったのかもしれないとしている。当初は『笑点』以外ではピンクの着物を着ず、日本テレビの社長や自身のマネージャーからの指示でピンクの着物を作っても1年ほど頑なに着ようとしなかったが、東日本大震災の被災地である陸前高田小学校に行ったときに小学生たちが「ピンクの好楽さんが来た!」と喜んでくれたため、以来『笑点』以外でもピンクの紋付を着るようになった[25][26]
  • 1988年に桂才賀の後任として笑点復帰後、僅か1カ月で座布団10枚を獲得した。復帰した当時は司会席のすぐ隣の1枠に座っていたが、答えた後に「師匠どうでしょう」と聞くなど司会の5代目圓楽への遠慮が見られたため、1992年4月に当時2枠だった小遊三と席を入れ替え、小遊三が1枠、好楽が2枠に席替えした[27](大喜利メンバーの席替えは今のところこれが最後)。
  • 九蔵時代は木久扇(当時・木久蔵)の弟弟子として「与太郎その2」的な役割を持ち、若く元気な印象が強かったが、5代目圓楽一門への移籍を機にキャラクター転換し、メンバーの中で一歩引いたポジションに収まっていた。その後(復帰後)『笑点』では好楽が2枠に席替えを行い、3枠の木久扇とは隣同士になった。冒頭の挨拶の際には「そこで一句」と前置きして川柳を詠んで締めることが定番となっていた。
  • 5代目圓楽は笑点オフィシャル本中のインタビューで、大喜利での好楽について、日本でも人気となったアメリカのテレビドラマ「コンバット!」でリック・ジェイソン(スマートでクールなキャラクターのヘンリー少尉役を演じた)の路線で落ち着いてやるといい、とコメントしている。
  • 5代目圓楽が笑点の司会を担当していた頃は、楽屋での稽古が指示通りできず、圓楽の余りの剣幕に落ち込んでしまい本気で廃業しようとしたことが一度だけあったが、桂歌丸の説得により許され、その後の収録に臨むことが出来た[28]2016年5月22日分のスペシャルで明らかにしている。
  • 歌丸司会就任後は「落ち着いた」ポジションを転換。「仕事がない」「歌が上手に歌えない」「貧乏(すき焼きに肉が入っていない)」「ケチ(勘定の値引き交渉をする)」、昇太司会後は「落語がうろ覚え」「弟子や後輩に追い抜かれる」といった、やや情けないキャラクター性を打ち出している。
    • 「仕事がない」(近年は「落語が出来ない」も)に関しては、特に6代目圓楽からからかい半分で言われることが多いが、自虐で使用することがある。
    • 池之端しのぶ亭を開いて以降、6代目圓楽から、師匠・5代目圓楽が開設した寄席「若竹」の末路になぞらえて、しのぶ亭が潰れた・解体工事をしている、などとネタにされることも多々ある。またマンツーマンで落語が聞ける(客が入らないという意味)とも茶化されている。
    • 「歌が上手に歌えない」は、往年のヒット曲を歌おうとするが、歌詞が出てこず「ラララ…」でごまかすというパターンの回答であり、座布団を没収されることもしばしば。歌丸が司会だった頃は「次期司会者は自分」などと、野心見え見えの回答をして大量没収されることもあった(一度、このネタで全員の座布団が全部没収された事がある)。
  • 6代目三遊亭圓楽(旧名・楽太郎)とは、圓楽襲名争いをしているという笑点でのネタが存在するが、この中で、好楽が白圓楽などと呼ばれることがある(楽太郎が6代目圓楽を襲名する以前より、腹黒キャラで黒圓楽と呼ばれていたことに対をなすことや、歌丸罵倒をした6代目圓楽(楽太郎時代から)を悪いやつだと非難する善人キャラで白である、好楽自身が暇でスケジュール帳が真っ白、という意味も含まれている)。
  • 他の回答者からネタにされると「よせよ!」と返すことが多い。現在はその「よせよ!」が半ばトレードマークになっており、満を持して「よせよ!」を言うこともある。また、2017年の9月頃からは「ダメかー!」という台詞を言う事が多くなっている。
  • 回答した後に斜になってカメラ目線を決め込む、いわゆる「どや顔」をレイザーラモンRGがモノマネのレパートリーとしている(RGの相方であるHGのコスプレが座布団10枚の賞品になったことがあり、好楽が獲得している)。昇太司会後は顔と目線をやや斜め上にあげる仕草が追加された(新真打披露口上でもこの動作をしている)。
  • 2014年11月放送の『笑点』(日本テレビ)第2440回で座布団10枚を獲得した際、日本テレビ放送網株式会社の小杉善信取締役専務執行役員から、家族、弟子といった一門をも対象者に含む、限度額無制限で有効期限が「死ぬまで」の「日テレ社員食堂利用カード」をプレゼントされた。この収録の翌日には、このカードを持って息子で弟弟子でもある王楽を含む家族や一門弟子(孫弟子を含む)の合計30名で日テレの社員食堂へ食事に出かけたことが、翌週の『笑点』第2441回の大喜利の前に放送された。このカードはあくまでネタであり、カードと言っても横1mほどの巨大なレプリカ風の物で、それ以降は日テレが保管しているためカードの使用はその1回のみ(持参しないと無効)であった。
  • 歌丸の次の司会を選ぶにあたって、番組の中村博行プロデューサーが分析した好楽のキャラクターは「面白くない回答」だった[29]。こうしたキャラクターから、ネット上では「ピンつま」(ピンク+つまらないの略語)とも呼ばれている。

家族[編集]

長男の一夫は、落語家の三遊亭王楽で、弟弟子にあたる[注釈 4]。このほか、王楽と好楽門下のマネージャーを務める長女[30]雑司が谷でたいやき屋を開いている次女[31][32]がいる(いずれも王楽の姉)。なお、彦六は好楽の3人の子の名付け親となっている[33]

池之端しのぶ亭[編集]

  • 2013年1月2日に開場[19][3][34]。こけら落としでは好楽が「一眼国」を、王楽が「ん廻し」と「牛ほめ」を演じたが[34]、奇しくも「一眼国」は、彦六が生涯最後に演じた演目でもある[注釈 5]
  • 東京メトロ千代田線根津駅が至近(地図)。
  • 新築した3階建自宅ビルの1階の手前を大広間、奥を寄席として設計して営業している[35]
  • 客席部分はフローリング敷きで、客は座布団の上に座る(足腰の弱い人には椅子の貸し出しも行う)。収容人数は40人から50人と寄席としては狭いが、マイク無しで落語が聞ける[36]。好楽自身は広さについて「地声の方が芯からお客さまに伝えることができる」「これくらいの広さであれば、噺家は客席の最後列に座るお客さんの表情まではっきりと見ることができ、勉強になる」としている[19]
  • 高座の右後方は、楽屋との往来となっている[34]。往来には、開場当初は普通の柄の暖簾がかかっていたが[34]、2014年以降では後援会から贈られた、彦六一門の定紋「光琳の蔭蔦」と圓楽一門の定紋「三ツ組橘」、「池之端しのぶ亭」の字に『笑点』で使用の「隅切り鉄砲角にかたばみ」の紋が染め抜かれた暖簾がかかっている[35][37]。楽屋には、彦六の写真が飾られている[1]
  • 一門や若手のほか、笑福亭鶴瓶などの大物や[1][注釈 6]、ラジオパーソナリティーの小池可奈なども高座に上がっている[37]

TVなどの出演歴[編集]

CM[編集]

《現在》

  • 野村證券「株券電子化篇」「株券預けて安心篇」過去には笑点メンバーで6代目三遊亭円楽(当時は楽太郎)や林家木久扇(当時は初代木久蔵)や桂歌丸も出演
  • 日本薬師堂「グルコンEX」笑点仲間の桂歌丸とも共演

《過去》

一門弟子[編集]

廃業[編集]

  • 三遊亭なな好
  • 三遊亭ろこう

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1950年より海老名家から借用していた正蔵の名を、初代林家三平没後8日後の1980年9月28日に海老名家に返上、同年の鈴本演芸場12月中席が正蔵として最後の高座、翌1981年1月の鈴本の下席から彦六を襲名した。(#正蔵一代 pp. 212-216、#彦六覚え帖 p. 14)
  2. ^ (岸正二郎)、5代目春風亭柳朝林家小正楽林家勢蔵林家枝二林家木久蔵林家時蔵林家あとむ九蔵(名前、高座名はおおむね1967年当時。#正蔵一代 pp. 234-241、#彦六覚え帖 p. 62)
  3. ^ 鈴本演芸場新宿末廣亭池袋演芸場浅草演芸ホール
  4. ^ 師匠5代目圓楽が死去する直前に真打に昇進が決定していたので、好楽自身の預かり弟子にしたことはない。
  5. ^ 彦六は1981年11月6日の紀伊國屋寄席で「一眼国」を演じたが5、6分で終わり、翌11月7日に日本橋「たいめいけん」で開かれた彦六の落語会「壱土会」で背広姿で現れ、高座にテーブルを置いて椅子に座り、「昨日は私、紀伊国屋さんで失敗(しくじ)りました。きょうはちゃんと演(や)りますから」と述べたあと「一眼国」を演じた。それから間もない11月24日に入院し1982年1月29日に亡くなったため、結果的に11月7日に演じた「一眼国」が生涯最後の演目となった。(#彦六覚え帖 pp.15-19)
  6. ^ 開場からひと月ほど経った2013年2月6日に自ら志願して飛び入り出演し、登場人物の旦那を6代目松鶴に置き換えた「かんしゃく」を演じた。(しのぶ亭へ、急遽あの大物が…!?” (日本語). 王楽のぽよよんブログ. 三遊亭王楽. 2017年10月17日閲覧。

出典[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 三遊亭好楽、芸歴50年で感謝する2人の師匠の存在…27日に荒川で記念落語会” (日本語). スポーツ報知. 報知新聞社. 2017年10月15日閲覧。
  2. ^ a b c 「笑顔こそ噺家冥利」と語る落語家 三遊亭好楽さん(69) (2/2)” (日本語). 中外日報・ほっとインタビュー. 中外日報社. 2017年10月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 「落語に恩返し」  落語家・三遊亭好楽さん” (日本語). 定年時代 ・東京版. 新聞編集センター. 2017年10月16日閲覧。
  4. ^ #笑点2006 p. 63
  5. ^ #笑点2006 p. 79,81
  6. ^ #笑点2006 p. 81
  7. ^ #笑点2006 p. 95
  8. ^ 天才テリー伊藤対談「三遊亭好楽」(1)「笑点」と芸歴が共に50周年です!” (日本語). アサゲイプラス. 徳間書店. 2017年10月17日閲覧。
  9. ^ 「好楽 半生振り返った一冊」2012年11月12日付読売新聞
  10. ^ 73ページ - 75ページ。
  11. ^ #正蔵一代 p. 242
  12. ^ a b #正蔵一代 p. 241
  13. ^ a b c 3ページ - 5ページ、林家木久扇の寄稿文『三遊亭好楽外伝』より。
  14. ^ 『落語家面白名鑑』かんき出版、1982年、p. 97。なお現在圓楽一門会で同門の鳳楽・圓橘も、この時二つ目に昇進している
  15. ^ #ぼくの人生落語だよ pp. 16-17
  16. ^ a b #ぼくの人生落語だよ p. 9
  17. ^ a b c #彦六覚え帖 pp. 20-21
  18. ^ #ぼくの人生落語だよ p. 12
  19. ^ a b c 根津に三遊亭好楽さんの寄席「池之端しのぶ亭」-若手育成目的に” (日本語). 上野経済新聞. KeepAlive株式会社. 2017年10月16日閲覧。
  20. ^ 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2010年11月号、pp.123 - 125。
  21. ^ 林家たい平『笑点絵日記』ぴあ、2007年。
  22. ^ 125ページ。
  23. ^ 110ページ。
  24. ^ 第3回 マンネリズムの強み「笑点」 日経WOMANサイト 2006年1月1日 インターネットアーカイブより 2015年8月18日再閲覧
  25. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』38ページ
  26. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』39ページ
  27. ^ 笑点Web「笑点Q&A」
  28. ^ 2000年2月6日放送分
  29. ^ 笑点司会の昇太、実は消去法で決まった!? 6代目で初の独身司会者”. スポーツ報知 (2016年5月23日). 2016年6月1日閲覧。
  30. ^ 129ページ。
  31. ^ 130ページ。
  32. ^ 三遊亭好楽、10歳の孫と合同で落語披露「徹子の部屋」” (日本語). お笑いナタリー. ナターシャ. 2017年10月17日閲覧。
  33. ^ 128ページ。
  34. ^ a b c d しのぶ亭、オープン♪” (日本語). 王楽のぽよよんブログ. 三遊亭王楽. 2017年10月17日閲覧。
  35. ^ a b 池之端・しのぶ亭落語会” (日本語). 新日刊マックニュース. 柳家小袁治. 2017年10月16日閲覧。
  36. ^ 好楽の寄席が正月オープン 「若手の勉強の場に」 2012年12月23日付東京新聞”. 2013年3月8日閲覧。
  37. ^ a b 満員御礼 池之端しのぶ亭” (日本語). コイカナの あ・の・ね…ラジオパーソナリティー小池可奈のあれこれ. 小池可奈. 2017年10月16日閲覧。
  38. ^ “初のスウェーデン人落語家誕生、好楽一門の「三遊亭じゅうべえ」”. スポーツ報知. (2016年12月5日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161205-OHT1T50156.html 2016年12月5日閲覧。 

参考出典[編集]

その他タイトル未記入のものは全て『好楽日和。』(晶文社 ISBN 9784794967909)からの出典。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]