三笑亭夢之助

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三笑亭 夢之助さんしょうてい ゆめのすけ
本名 佐藤 信夫
生年月日 (1949-06-05) 1949年6月5日(69歳)
出身地 日本の旗 日本北海道札幌市
師匠 三笑亭夢楽
名跡 1. 三笑亭夢九(1968年 - 1972年)
2. 三笑亭夢之助(1972年 - )
活動期間 1968年 -
活動内容 古典落語
新作落語
所属 日本芸術協会→落語芸術協会
アートプロモーション(マネジメント)
主な作品
テレビ番組
土曜スペシャル
日曜ビッグバラエティ
落語
『寿限たら』
受賞歴
放送演芸大賞ホープ賞(1976年
フジテレビ演芸大賞ホープ賞(1980年
備考
落語芸術協会理事
身長:174cm、体重:65kg

三笑亭 夢之助(さんしょうてい ゆめのすけ、1949年昭和24年〉6月5日 - )は、北海道札幌市出身(南富良野町生まれ[1])の落語家タレント北海高等学校卒業。本名、佐藤 信夫(さとう のぶお)。血液型はO型。出囃子は『奴の行列』。

人物[編集]

落語家として落語芸術協会に所属、同協会理事でもある。タレントとしてはアートプロモーションに所属している[2]

いやっ、どうもどうも!」「はいはいはい」といった底抜けに明るい口調と、機転が利くキャラクター[3]テレビ番組ラジオ番組司会者リポーターとして一躍人気者となる。

近年は、本業の落語に精進するためにテレビ・ラジオの仕事を控えると宣言[3]。ただし、完全にマスメディアでの仕事をシャットアウトしているわけではなく、現在も旅番組グルメ番組でリポーターとして活躍を見せているほか、『ペケ×ポン』(フジテレビ)などのバラエティ番組にも出演している。

一方、本業の落語では新宿末廣亭をはじめとする都内の各寄席に出演。また、かつては年2回の独演会を国立演芸場で開催していた。主な演目には『蒟蒻問答』『魚根問』『粗忽の釘』『宗論』『寿限たら』『天狗裁き』『弥次郎』などがある。

趣味は園芸料理作り、世界の小物集め、麻雀

エピソード[編集]

少年期[編集]

出生地は富良野市に近い南富良野町で、少年時代まで過ごした[1]。零下40度の酷寒も体験したことあるという[1]。近年は当時を回想した、古典の『手紙無筆』をもじったような新作落語も披露している[1]

『笑点』メンバー[編集]

笑点』の大喜利メンバーだったこともある。答えの巧さよりも一発ギャグなどの突発的な面白さを重視し、ウケを狙った毒舌や失言も多く、番組スポンサー(龍角散)絡みで致命的な失敗を犯し、そのまま降板となった[4][3]

大喜利メンバーであった2年間に、1978年に年間2度のほか合計3回、座布団10枚を獲得し、番組初の海外収録に参加するなど短い出演期間で印象を残している[3]。夢之助は三遊亭楽太郎と同時に大喜利メンバーに加入したが、20代で大喜利メンバーに加わった者はこの2人が最後で、二つ目のまま番組を降板したのも夢之助が最後であり、降板後の1983年真打へ昇進している。夢之助以降の加入メンバーは全員が加入前かレギュラー出演中に真打に昇進している。

夢之助サーブ[編集]

1979年頃の芸能人バレーボールの大会で、右手を一回転廻しながら打つ独特なサーブを、実況アナウンサーは「夢之助サーブ」と称した。

手話通訳をめぐる騒動[編集]

2007年9月17日島根県安来市で行われた同市主催の独演会で、1時間の大ネタ『天災』に臨む際に、舞台上で手話通訳者が待機していたが、事前に告知されていなかった夢之助の「気が散って噺を間違えるとお客さんに失礼なので、後ろに下がってほしい」「気が散るし、落語は話し言葉でするもので手話に変えられるものではない。お客さんがいいと思うなら、かまわないが・・・」との言をうけて、主催者の担当係は手話通訳者を舞台下の客席へ移動させて通訳させた。当日は聴覚障害を有する観客が3名おり、同市の主要行事は手話通訳が慣例[5][6]であることから、島根県ろうあ連盟は落語芸術協会と同市へ抗議文を送付した。夢之助は直筆の謝罪文を寄せ、市は担当者が当該の聴覚障害者に直接謝罪したが、新聞報道などの騒動から市長が落語芸術協会を訪問して謝罪し、「事前に手話通訳をつけることを伝えていなかったことにより、不適切な発言が起きた」との謝罪文を市のウェブサイトに掲載した[7][8]

略歴[編集]

主な出演[編集]

情報・バラエティ番組[編集]

NHK[編集]

日本テレビ系列[編集]

TBS系列[編集]

フジテレビ系列[編集]

テレビ朝日系列[編集]

テレビ東京系列[編集]

BS11[編集]

  • 快眠情報 夢・楽園

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 一本刀土俵入

講演[編集]

  • 笑いと会話の伝達
  • 健康は笑いから

脚注[編集]

  1. ^ a b c d スポーツニッポン』2000年5月6日付
  2. ^ かつてはアクターズプロモーションに所属していた。
  3. ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』124ページ
  4. ^ これは龍角散がスポンサーであるにも関わらず「市販の風邪薬は効かない」と、大喜利本編前の挨拶で言ったことが原因とされる。この顛末は『生放送!おもしろ寄席』の「ハリセン大喜利」にてしばしネタとして話していた。
  5. ^ 落語家・夢之助さん:「手話通訳気が散る」島根の敬老会で(毎日新聞 2007年10月31日)
  6. ^ 落語に手話「気が散る」抗議で謝罪…三笑亭夢之助さん独演会(スポーツ報知 2007年11月1日)
  7. ^ 落語芸術協会訪れ安来市長2日に謝罪…夢之助さん手話トラブル問題(スポーツ報知 2007年11月2日)
  8. ^ 安来市敬老会「賢人の集い」の落語独演会について(お詫び)(安来市ウェブサイト 2007年11月2日、現在は削除)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]