美樹克彦
美樹 克彦(みき かつひこ、1948年(昭和23年)10月22日 - )は、日本のシンガーソングライター・音楽プロデューサーである。本名および旧芸名は目方 誠(めかた まこと)。 日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。
来歴・人物[編集]
京都市右京区の生まれ。1954年、幼稚園児の終わりごろに京都市内の劇団「ペチカ」に入団。市立衣笠小学校から市立衣笠中学校に進学し、この間子役として(芸名も本名のままで)70本近くの映画に出演。
それと並行して歌のレッスンも行い、中学2年のときに上京、新宿区立四谷第一中学校に転校。歌手としてビクターレコードから「トランジスター・シスター」でデビュー。その一方でフジテレビ『三匹の侍』など、テレビ映画にも出演した。
1965年、日本大学鶴ヶ丘高等学校2年のとき、芸名を現在の美樹克彦に改名し、日本クラウンから「俺の涙は俺がふく」で歌手として再デビュー。その後、「回転禁止の青春さ」、「6番のロック」、「恋の台風第一号」、「赤いヘルメット」、「花はおそかった」など、多くのヒット曲を連発し、一躍アイドル歌手となった。日本大学藝術学部映画学科に進学したが1969年に2年で中退。キャニオン、ポリドールへの移籍を経て、RCAビクター(BMG JAPANを経て、現在はアリオラジャパン)に移籍後はシンガーソングライターに転向。その後も楽曲提供を行ったり、プロデューサー活動も展開している。
1977年、一般女性と結婚したが2年で離婚。
1981年女優田中美智子(榊みちこ)と結婚したが4年後離婚。離婚の原因は、一番弟子(3度目の妻)との愛人関係だった。
近年では2009年に探偵!ナイトスクープに出演し、久々に「花はおそかった」をテレビで披露した。
2015年、3度目の妻と離婚[1]。日々の日課は日サロ通いと語り、2014年からは自身が経営するカラオケ教室(株式会社オンガック、美樹克彦音楽教室)で講師をしている模様がテレビで放送された[2]。
2022年9月24日、歌手で作詞家の木暮美紀と4回目の結婚[1]。
代表曲[編集]
本人歌唱[編集]
日本クラウン時代[編集]
- 俺の涙は俺がふく(c/w霧の峠) 1965年3月10日
- 燃えろ青春 (c/w 東京は宝島) 1965年5月1日
- 6番のロック (c/w 信じあう星) 1965年6月1日
- 夕陽に叫ぶ歌 (c/w 気になるあの娘) 1965年9月1日
- ジングルベル (c/w サンタクロースが町に来る) 1965年11月1日
- 回転禁止の青春さ (c/w さよならがただひとつ) 1966年1月1日
- 赤いヘルメット (c/w わが青春の第一ページ) 1966年2月10日
- 君の名を呼んだりしない (c/w 俺って奴は) 1966年4月1日
- 行こうぜ東京 (c/w 俺の慕情) 1966年6月10日
- 恋の台風第一号 (c/w 泣くな鉄腕) 1966年9月10日
- 君は俺の花 (c/w これでも恋さ) 1966年11月1日
- 狂った時計 (c/w 涙はないんだ) 1967年1月10日
- 花はおそかった (c/w 恋の挑戦状) 1967年3月1日
- 美樹の人気を決定付けた一曲。同曲で第18回NHK紅白歌合戦に(唯一)出場した。ラストの台詞で「バカヤローー!!」と叫び、当時物議を醸した。その後も「バカヤロー!!」と叫ぶ台詞がある楽曲は、西城秀樹の「白い教会」(1975年)、近藤真彦の「ブルージーンズメモリー」(1981年)といった男性アイドル歌謡曲へ引き継がれた。
- 後に堤大二郎がカバーする。
- 大巨獣ガッパ 1967年4月10日 - 映画『大巨獣ガッパ』の主題歌。B面曲はダニー飯田とパラダイス・キングの「がんばれ仔ガッパ」
- わんぱくフリッパー (c/w フリッパー・マーチ) 1967年4月10日
- 想い出の恋人 (c/w 恋のアブズリビーチ) 1967年6月1日
- 手紙 (c/w さよならなんて) 1967年9月1日
- 白いワゴン (c/w 回想) 1967年10月1日
- 小枝のような可愛い娘 (c/w 星影のささやき) 1967年11月1日
- 花散る都 (c/w 愛のくちぐせ) 1968年3月1日
- 愛しているんだ (c/w あなたを恋した心から) 1968年6月1日
- 海は青かった (c/w 赤いシャツが好き) 1968年11月1日
- 愛の日をありがとう (c/w 花束) 1969年3月1日
- 紅三四郎 (c/w 男の紅野) 1969年4月10日
- 母さんよせよ (c/w 留恋のワルツ) 1969年7月1日
- 貴女がえらんだ僕だから (c/w 片想いのひとしずく) 1969年12月20日
- たまらない瞬間 (c/w 土曜の夜はこわい) 1970年4月1日
- 女が男を棄てるとき (c/w 泣くまで待つよ) 1970年8月1日
- 赤い外車の女 (c/w 熱愛) 1970年11月25日
キャニオン以降[編集]
- 太陽のかけら (c/w 晴れた日にさよならを) 1971年6月25日
- 雨に歩けば (c/w たそがれにブルースを) 1971年10月25日
- 火の鳥 (c/w たそがれにブルースを) 1972年3月25日
- 傷あと (c/w 忘れはしないから) 1972年9月21日
- 煙草の火 (c/w あなたの部屋で) 1973年4月21日
- 終列車 (c/w 愛はよみがえる) 1973年11月21日
- 走馬燈 (c/w 恋は泥棒) 1975年6月
- 嘆き (c/w 遥かなる青春) 1976年10月
- 恋する渚 (Summer Place) (c/w 悪い季節) 1978年
- 「好きさブラックデビル」(1982年9月5日、作詞:榊みちこ 作曲は美樹自身)
- 「ゲートボール音頭」(1983年、作詞・作曲:中山大三郎)
- TBSテレビ「街かどテレビ11:00」の司会者であった大木凡人と、審査員役の美樹、山田太郎、中山大三郎によって歌われた、ゲートボールについて歌った楽曲。
提供楽曲[編集]
- 「海辺の駅へ」(1975年、作詞:伊藤アキラ)
- 西城秀樹への提供楽曲。エキサイティング秀樹 Vol.5に収録されている。A面M3。
- 「もしかして」(1984年、作詞・作曲)
- 小林幸子への提供楽曲。同年のオリコン最高順位は11位、同年末の第35回NHK紅白歌合戦で歌唱された。
- 「もしかして PARTII」(1984年、作詞:榊みちこ)
- 美樹本人と小林幸子とのデュエット盤をリリース、約30万枚のセールスを記録。同年のオリコン最高順位は11位、同年の年間ランキングは60位。又同年末の第26回日本レコード大賞金賞を受賞した。現在もカラオケのデュエット・ソングの定番として歌い継がれている。
- 「東京サタデーナイト(TOKYO SATURDAY NIGHT)」
- ジャッキー・チェンの主演映画『ファースト・ミッション』の日本公開版のエンディング曲。ジャッキー自身が流暢な日本語で歌っている。
- 「愛してLAi」(1995年、作詞・作曲)
- 女性デュオLiZへの提供楽曲。2011年に女性デュオのザ・ココナッツがカバー。
- 「ケンちゃん」(2019年、作詞:木暮美紀)
- ギラ・ジルカへの提供楽曲。
- 「熱燗二本~噺家一代~」(2021年、作詞:岡本圭司)
- 三遊亭好楽への提供楽曲。
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 |
---|---|---|
1967年(昭和42年)/第18回 | 花はおそかった | 仲宗根美樹 |
脚注[編集]
- ^ a b "美樹克彦さんは37歳年下で元弟子の女性と4回目の結婚「毎日楽しく過ごしています」". 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ. 1 January 2023. 2023年1月1日閲覧。
- ^ 2015年5月15日「爆報! THE フライデー」より
- ^ “作曲家・美樹克彦の娘朝日奈藍初DVD!くびれ自信”. 日刊スポーツ nikkansports.com (2017年6月3日). 2017年6月6日閲覧。
- ^ “もしかして…父とデュエット曲!? 朝日奈藍27歳グラビア“解禁””. SANSPO.COM (2017年6月4日). 2017年6月6日閲覧。
- ^ “渡辺裕之さんのゴルフ仲間、清水アキラが偲ぶ「ゴルフも時間がかかってね」「本当に真面目な人」”. デイリースポーツ online (2022年5月27日). 2022年6月10日閲覧。
関連項目[編集]
- 1962年の音楽#デビュー - (目方誠 名義)同じ年にデビューした歌手
- 1965年の音楽#デビュー - (美樹克彦 名義)同じ年にデビューした歌手
- 西郷輝彦
- 山田太郎
- 星野哲郎
- 米山正夫
- 金子剛 (サウンドクリエーター)(ゲームミュージック作曲家)
- 京都府出身の人物一覧
外部リンク[編集]
- 株式会社オンガック 美樹克彦プロフィール - ウェイバックマシン(2018年8月29日アーカイブ分)