鰍沢
鰍沢(かじかざわ)は落語の演目のひとつ。江戸落語で広く演じられる。
概要[編集]
成立には諸説あり、三遊亭圓朝が友人とのサークル「酔狂連」の集まりで出された「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の三題噺で即席に、あるいは一晩で作った説と、河竹黙阿弥による後半の台本が現存することから、黙阿弥作との説とがある[1]。
主な演者に6代目三遊亭圓生、林家彦六、10代目金原亭馬生らが知られる。
あらすじ[編集]
身延山(=久遠寺)の参詣をすませた旅人は、帰りに大雪に遭って山中で道に迷い、偶然見つけた一軒家に宿を頼む。そこにいた妙齢の美人・お熊に卵酒をすすめられるまま飲み、話をするうち、お熊がかつては吉原遊廓の遊女であり、現在は猟師の妻であることが分かる。旅人は宿の礼として、お熊に、財布の大金の中から、いくらかを渡す。
お熊は「薪を取りに(あるいは、酒を買いに行くため)」と言って外出する。旅人は疲れと酔いのために、横になる。そこへお熊の夫が帰ってきて、旅人が残した卵酒を飲み、たちまち苦しみ出す。帰ってきたお熊は夫に「旅人にしびれ薬入りの酒を飲ませて殺し、金を奪い取る算段だった」と明かす。その声を聞いた旅人は、すでに毒が回った体で吹雪の舞う外へ飛び出し、必死に逃げる。お熊は鉄砲を持って旅人を追いかける。
旅人は、持ち合わせていた久遠寺の「毒消しの護符」を雪とともに飲み込み、その後、体の自由が利くようになるが、川岸の崖まで追い詰められる。そこへ雪崩が起こり、旅人は突き落とされる。運よく、川の中ではなく、岸につないであったいかだに落ちるが、今度はその反動で、旅人を乗せたままのいかだが流れ出す。お熊の放った鉄砲の弾が旅人を襲うが、それて近くの岩に当たる。急流を下るうち、綱が切れていかだはバラバラになる。旅人はいかだの一部だった1本の材木につかまり、懸命に題目をとなえながら川を流れていく。そのうち旅人は、お熊の姿が見えないところまで流れ着き、窮地を脱する。
「この大難を逃れたも、お祖師様のご利益。おザイモク(=お題目)で助かった」
エピソード[編集]
- 4代目橘家圓喬が得意としていたとされ、若き日にその口演に遭遇した落語家や評論家により、下記の証言が残されている。
- 6代目圓生も、圓喬の「鰍沢」をかなり意識し、「(金を見つめるお熊の一瞥が)眼目です」と述べ、また「自身の腕をどこまでできるか試すために演じている」とも述べている[要出典]。
- 幽霊による復讐劇として翻案されたテレビドラマ「怪談・鰍沢」が、『日本名作怪談劇場』(1979年)の1作として放映されている。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 「鰍沢」成立考―円朝と黙阿弥 小島佐江子 「語文」(日本大学)1997-12
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