人情噺

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人情噺(にんじょうばなし)とは、落語の演目の中のひとつのカテゴリである。一般には親子夫婦など人間の情愛を描いた噺を指しており、「大ネタ」と呼ばれる長い噺が多い[1]。人情噺を最初に演じたのは朝寝房夢羅久だといわれている。

概説[編集]

落語は、狭義ではサゲを伴う「落とし噺」(滑稽噺)と理解されることもあるが、実際の演目には人情噺、怪談噺なども含まれる。ただし、その人情噺の定義も広義と狭義とに分かれる。

3代目桂米朝は自著『落語と私』において人情噺の定義をかなり狭く捉えており、講談などにおける「世話物」(町人の世界を題材とするカテゴリ。武家を扱った「時代物」に対する)を、講談のように説明口調で口演するのではなく、(登場人物になりきって)感情を入れながら喋るもので、一席では口演し切れない長編が多いとしている[2]。つまり、米朝は「人情噺」を町人世界を描いたサゲの存在しない噺と定義し、サゲのある「落とし噺」と区別しているのである[2][注釈 1]

広義の「人情噺」においては、構成は落とし噺同様マクラ、本題、サゲから成り、一席で完結するものも含まれる。題材は(米朝見解による)狭義の人情噺同様、町人の世界を舞台にするが、親子愛、夫婦の情愛、江戸っ子ないしは浪花っ子の人情、身分違いの悲恋など情に訴えるものを扱い、おかし味だけでなく感銘を受けるストーリーの展開になっている。くすぐりやサゲで笑いを取るが、全体的にはほろりとさせられる噺である。また、なかには『笠碁』のように、飾り気のない、人のどうしようもない感情を存分に描く、一風変わった作品もある。

明治期に東京から大阪に移った2代目三遊亭圓馬5代目翁家さん馬が人情噺を上方で演じ、伝えた。

代表的古典作[編集]

代表的な演目には、サゲのないものでは、続き物の長編が『牡丹燈籠』(一般には怪談噺に位置付けられる)、『塩原多助一代記』、『真景累ヶ淵』、『安中草三』、『双蝶々』、『ちきり伊勢屋』、『業平文治』、『怪談乳房榎』、『お富与三郎』、一席物は『文七元結』、『三井の大黒』、サゲのあるものでは『芝浜』、『子別れ』(『子は鎹』はその後編)、『紺屋高尾』、『唐茄子屋政談』(上方の『南京屋政談』)、『お直し』、『鼠穴』、『富久』、『火事息子』、『柳田格之進』、『鰍沢』、『立ち切れ線香』などがある[注釈 2]

元来上方には人情噺を演じ手がいなかったが、上方には『』、『鬼あざみ』、『子は鎹』、『ざこ八』、『しじみ売り』、『土橋万歳』などの人情噺が伝わっており、近年では上方落語家が東京の人情噺を積極的に移植している。

近年作[編集]

昭和には有崎勉(初代柳家金語楼)作『ラーメン屋』、3代目桂米朝作『一文笛』、平岩弓枝作『笠と赤い風車』などの新作人情噺が創作された。この動きは平成になっても3代目三遊亭圓丈らにより受け継がれている。

近年では、6代目三遊亭圓生5代目古今亭志ん生初代林家彦六がそれぞれ人情噺の名人とされた。また5代目古今亭今輔も新作派と目されていたが、レベルの高い人情噺を演じていた。近年では桂歌丸立川談志5代目三遊亭圓楽がそれぞれ人情噺を得意としている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 桂米朝『落語と私』はもともと中高生を対象に書かれたもので、1975年(昭和50年)にポプラ社で発行したものが初刊である。
  2. ^ 『文七元結』『芝浜』は三遊亭圓朝(初代)の創作による人情噺の傑作である。

出典[編集]

参考文献[編集]