千早振る

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千早振る」(ちはやぶる / ちはやふる)は、古典落語の演目の一つ。別題は「百人一首」「無学者」で、隠居が短歌にいい加減な解釈を加える話である。原話は、安永5年(1776年)に出版された笑話本・『鳥の町』の一篇である「講釈」とされ、山東京伝の『百人一首和歌始衣抄』(1787年)にも類話が載る。初代桂文治の作といわれて、後世に改作などを繰り返し現在の形になったとされる。

古今亭志ん生 (5代目)が得意とした演目としてよく知られている。

百人一首を題材としたパロディや珍解釈は江戸中期に盛んに行われた。この落語にも同じ百人一首の中納言行平の「立ち別れ因幡の山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む」(百人一首16、古今集)の珍解釈も含まれていたが、現在その部分は演じない。他に百人一首を題材とした落語には「崇徳院」が有名である。

あらすじ[編集]

博識であるため長屋の住人達から「先生」と慕われる隠居の下に、なじみの八五郎が尋ねてくる。なんでも、娘に小倉百人一首在原業平の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」という歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとに教えを請いにきたという。実は隠居もこの歌の意味を知らなかったが、知らぬと答えるのは沽券にかかわると考え、即興で次のような解釈を披露する。

大昔、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。その際、「千早」という花魁に一目ぼれした。ところが、千早は力士が嫌いであったため、竜田川は、振られてしまう(「千早振る」)。振られた竜田川は、次に妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わちきも嫌でありんす」と、言うことを聞かない(「神代も聞かず竜田川」)。このことから成績不振となった竜田川は、力士を廃業し、実家に戻って家業の豆腐屋を継いだ。それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、「おからを分けてくれ」と言う。喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てだった。激怒した竜田川は、おからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は、井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた(「から紅(くれない)に水くぐる」)。

八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、その都度、隠居の解説に疑問を呈すが、隠居が強引に八五郎を納得させる。そして上記の説明を終え隠居は一安心するも、最後に八五郎は「『千早振る 神代も聞かず竜田川 からくれないに水くぐる』まではわかりましたが、最後の『とは』は何ですか?」と突っ込む。すると、とっさの機転でご隠居はこう答えた。

「千早は源氏名で、彼女の本名が『とは(とわ)』だった」

解説[編集]

結局隠居は、同じく滑稽噺の「薬缶」まがいのハチャメチャな講釈をしてしまったが(ただし『薬缶』と違い八五郎は隠居の話をちゃかさずに最後まで聞き入る)、百人一首の業平の歌は、現代の通説ではおおよそ次のように解釈される。

すなわち「ちはやふる」(ちはやぶる)は「神」などにかかる枕詞として「神代も聞かず」を導き、上句は「神代にも聞いたことがない」と述べる。下句がその内容となる。竜田川は現奈良県生駒郡などを流れる川で、紅葉の名所として知られる。唐紅は大陸由来の鮮やかな紅であり、「水くくるとは」の「くくる」はくくり染めのことで、ところどころ生地が赤く染まった布と竜田川のところどころ赤く美しい紅葉の風景を重ねて詠んでいる。すなわち「山を彩る紅葉が竜田川の川面に映り、唐紅のくくり染めのようである。このようなことは神代にも無かっただろう」といった意味となる[注 1]

隠居の解釈は、和歌の常識「ちはやふる」という枕詞を知らぬ点が第一の笑いである。なお、この枕詞を現在は「ちはやぶる」と読むが、当時は「ちはやふる」と読んでいたという[2]。また「聞かず」の主語を誤り、「神代」という人物を想定してしまっている。唐紅は「おからをくれない」と頓智で解す。なお、歴史的仮名遣では「唐紅」は「からくれなゐ」と、「無い」は「ない」と書く。また、「おから」は茶殻の「がら」などと同源の「から」に丁寧語の「御」をつけたものではあるが通常は「おから」で単独の名詞を成す。

全体としては、平安の和歌であるのに、江戸の遊女や力士を想像する点も滑稽である。「みづくくる」で入水を想像するのも滑稽であるが、これは当時、この和歌を「水くぐる」とも読んだことにも由来する[2]

また、「みつくくる」を「水潜る」とする解釈は古くよりあるものである。落ちの「とは」を人名とし体言止めと解した点は、明確なこじつけであり、落ちとしてふさわしい。

なお、「千早振る神代にもないいい男」、「冬枯れに無地に流るる龍田川」などの有名な川柳があって、業平やこの歌の知名度をよく示している。

ちなみに日本相撲協会年寄名跡に読みが同じ「立田川」が存在する関係上、実在の力士が当演目と同様に「竜田川」の四股名を名乗ることはあり得ない。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 古今和歌集に撰集されたこの歌の詞書には「二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れたるかたを描けりけるを題にて詠める」とあり[1]、二条后藤原高子が「春宮御息所」と呼ばれていた、すなわち惟仁親王が即位して清和天皇となる前に皇太子であった頃の出来事として、屏風に描かれた紅葉の流れる竜田川を題としたとされ、業平本人が竜田川を見たわけではないことになっている。

出典[編集]

  1. ^ ちはやふる神世もきかす竜田河唐紅に水くくるとは 詞書
  2. ^ a b 小林祥次郎 (2002年12月24日). "第7回 百人一首のパロディ - 小林祥次郎の発掘日本のことば遊び". 日国フォーラム. ネットアドバンス. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月20日閲覧

関連項目[編集]

  • 薬缶 - 同じく八五郎がご隠居に難しい言葉の解説を求め、ご隠居がトンチンカンな答えで誤魔化していく噺。
  • 手紙無筆 - 無筆の八五郎がご隠居のところへ、ご隠居も無筆であることを知らずに手紙を持っていき、自分の代わりに読んでもらう噺。
  • ちはやふる - 競技かるたを題材とした漫画、テレビアニメ、映画。