金曜夜席

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金曜夜席
Yomiuri Hall.jpg
「金曜夜席」の収録が行われていた
よみうりホール(読売会館7階)
ジャンル 演芸番組
放送時間 毎月第2・第4金曜日22:30 - 23:15(45分)
放送期間 1965年3月12日 - 1966年4月22日
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本テレビ放送網
プロデューサー 小里光
出演者 7代目立川談志(司会)
5代目三遊亭圓楽
桂歌丸
柳亭小痴楽
三遊亭円弥
柳家きん平
林家こん平
西〆子(座布団運び)

特記事項:
モノクロ放送( - 1965年
カラー放送(1966年 - )
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金曜夜席[1](きんようよるせき[2])は、日本テレビ1965年(昭和40年)3月12日から1966年(昭和41年)4月22日までの第2・第4金曜日の22時30分から放送されていた、寄席風の演芸番組である。

日本テレビの長寿番組笑点』の前身番組である。

概要[編集]

1965年(昭和40年)3月12日に放送がスタート。もともとはテレビラジオの普及で寄席閑古鳥の鳴く状況に危機感を抱いていた7代目立川談志が「これからは、落語家はテレビにもどんどん出て行かないと駄目だ。かといって落語では噺の最中にコマーシャルが入れられないから、大喜利をやったら良い」[2]と第1・第3(・第5)金曜日に放送されていた『日本プロレス中継』の隔週不足分の穴埋め番組[3]を探していた小里光プロデューサー[4]のところへ談志が企画を持ち込んだのがきっかけで始まった。[5]

『金曜夜席』から『笑点』草創期まではブラックユーモア満載の玄人好みの内容であった。[5]

収録場所は当時の有楽町そごうの上にあった読売ホール(読売会館7階)で行われ、1回の収録で2本撮りするのも『笑点』と同じである。

当初はモノクロ放送だったが、1966年(昭和41年)からはカラー放送に切り替わっている。

『金曜夜席』から『笑点』誕生へ[編集]

当時日曜日夕方のスポンサー枠を持っていた龍角散から「視聴率が取れる番組が欲しい」と依頼があり、深夜[6]で好評を得ていた『金曜夜席』を発展解消して始まったのが『笑点』(金曜夜で無くなるため改題)であった[7]

ちなみに、『金曜夜席』の抜けた放送時間の後枠に入った番組は『プロ野球アワー』であった。

そんな折、柳家きん平が番組放送終了後の1966年(昭和41年)4月24日自殺。そのため『笑点』放送開始において三遊亭金遊(後の4代目三遊亭小圓遊)が加入[8]することとなった。

放送時間[編集]

第2・第4金曜日の22:30 - 23:15(1965年3月 - 1966年4月)

※前述にある通り「穴埋め番組」として始まったため、プロ野球録画中継巨人戦)などでしばしば休止することがあった。

出演者[9][編集]

7代目立川談志5代目三遊亭圓楽は真打、それ以外の落語家は二つ目であった。

最終回時点の出演者[編集]

司会者
名前 出演期間
7代目立川談志 1965年3月12日 - 1966年4月22日
  • 「演芸」「インタビュー」「大喜利」司会。
  • 1965年3月12日から1965年4月9日までは大喜利メンバーとして出演。
大喜利メンバー
名前 出演期間
5代目三遊亭圓楽 1965年3月12日 - 1966年4月22日
  • 1965年3月12日から1965年4月9日までは「大喜利」の司会として出演。
桂歌丸 1965年3月12日 - 1966年4月22日
柳亭小痴楽
(後の春風亭梅橋
1965年3月12日 - 1966年4月22日
柳家きん平 1965年3月12日 - 1966年4月22日
林家こん平 1965年4月9日 - 1966年4月22日
座布団運び
名前 出演期間
西〆子 1965年3月12日 - 1966年4月22日

放送期間中に降板した出演者[編集]

大喜利メンバー
名前 出演期間
三遊亭円弥
(後の三遊亭圓彌
1965年3月12日・1965年3月26日

番組構成[編集]

最終回までは、「演芸」、「インタビュー」、「大喜利」の三部構成であり、後の『笑点』にもこのコーナー進行が受け継がれている。元々この番組は談志の持込み企画であり、出演者でありながら番組構成も談志が携わっていた[10]

1965年3月12日 - 1966年4月22日
  1. タイトルバック
  2. 提供クレジット
  3. CM
  4. オープニング
  5. 演芸
  6. CM
  7. インタビュー
  8. CM
  9. 大喜利
  10. CM
  11. エンディング
  12. エンドカード

主なコーナー[編集]

  • 演芸
ゲストによる芸を披露するコーナー。
  • インタビュー
談志がゲストにインタビューするコーナー。
  • 大喜利
出演者による大喜利のコーナー。

舞台装置[編集]

人形町末廣[11]を参考に「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされており、後の『笑点』にそのまま受け継がれている。

『笑点』との相違点は、舞台上部の額が「金曜夜席」となっている程度で、題字を担当した橘右近は『笑点』でも引き続き担当している。

番組史[編集]

  • 1965年(昭和40年)
    • 3月12日:『金曜夜席』放送開始。放送時間は22:30 - 23:15。
    • 4月23日:圓楽が大喜利の司会からメンバーに、談志が全てのコーナーの司会に。
  • 1966年(昭和41年)
    • 4月22日:通常放送のまま『金曜夜席』最終回[12]、『笑点』へ移行。

エピソード[編集]

  • 当初の大喜利は圓楽が司会を担当していたが、圓楽が自らの司会の出来に納得が行かずに司会降板を申し出た。そのため、1965年(昭和40年)4月23日の放送分から大喜利司会も談志が担当することとなった。僅か3回で大喜利の司会を降板した圓楽だったが、『笑点』に移行してから17年後の1983年(昭和58年)1月9日から再び大喜利の司会を担当し、2006年(平成18年)5月14日に勇退するまで約23年間、大喜利の司会を担当した。
  • 本番組当初に出演していた三遊亭円弥(後の三遊亭圓彌)は、レギュラーではなく代役としての出演であった。本来のレギュラーだった三遊亭さん生(現:川柳川柳)が収録をすっぽかしたため、弟弟子にあたる円弥が急遽呼ばれたのである。結局さん生は、出演することなく談志からクビを宣告される。代わって林家こん平がレギュラーに加わった。
  • 大喜利で座布団をやり取りするルールを始めたのは本番組が初であり、「江戸時代牢屋の牢名主がを積み上げて威張っている」ところからヒントを得たという。スタッフ間では番組プロデューサーであった小暮美雄が、回答の褒美をどうするか悩んだ挙句、寄席で演者ごとに座布団を裏返す所作にヒントを得た、というのが通説。ただし、談志は「自らのアイデア」と語っていたようである。[9]
    • 座布団を10枚貯めると豪華賞品がもらえるということだったが、本番組の放送期間に10枚貯めたメンバーはいなかった。「番組予算的に豪華賞品は無理、あくまで場を盛り上げるためのでまかせだった」とのことで、メンバーもこのことを承知していたため、これが大喜利における賞品関連ネタ(ケチ・司会者の制作費着服など)に繋がる。実際に豪華賞品を出したのは『笑点』に移行してから、その約1年後だった。
  • 「昼間のレギュラー番組として昇格する」の報に出演者一同大喜びするが、「日曜日夕方」だと聞かされた途端、一気に落胆した。それは、当時の日曜日夕方の時間帯は「砂嵐枠」[13]と言われるくらいの悪条件であったため。そんな中、圓楽は前向きに「未開の土地を開拓しようじゃないか!それで業績が上がったら、それこそ俺たちの本当の実力だよ!」と励まして奮い立たせたという。こうした経緯で『笑点』は始まったが、現在では放送2000回、放送期間50年を超えた超長寿番組となっている。
  • 『笑点』レギュラーとなる三遊亭金遊(後の4代目三遊亭小圓遊)は、JRN系列で月-土の午後1時から午後6時まで放送していた昼ワイドラジオ番組オーナー』内の「落語天気図」コーナーにて人気を得ていた期待の新鋭であった。本番組立ち上げ当時のレギュラー候補の1人でもあったが、スケジュールの関係でご破算となっていた。

脚注[編集]

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  1. ^ 2002年10月28日フジテレビで放送された『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』のトリビアNO.16「笑点のテーマには歌詞がある。」にて『金曜席』と表記されていたが、これは誤りである。
  2. ^ a b 『NTV火曜9時 アクションドラマの世界 「大都会」から「プロハンター」まで』(2015年、DU BOOKS)p.18
  3. ^ ボクシング中継番組『ファイティングパンチ』が、放送曜日変更により空いたため。
  4. ^ 後に『笑点』番組立ち上げの際、初代プロデューサーとなる。
  5. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』102ページ
  6. ^ 1960年代まで(昭和40年代半ば)は、午後10時台も深夜帯という見方をされていた。午後10時台もゴールデンタイム同格の扱いを受けるようになったのは視聴率調査により「プライムタイム」という定義がされた1971年(昭和46年)からである。
  7. ^ 『笑点』40周年記念本より。
  8. ^ 「きん」つながりでの起用とも言われているが、元々『金曜夜席』のレギュラー候補でもあった。
  9. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』103ページ
  10. ^ 後の『笑点』の司会降板まで続く。
  11. ^ 1970年(昭和45年)に閉鎖。
  12. ^ 字幕表示のみ。
  13. ^ あまりの低視聴率のため放送休止するテレビ局もあったことから言われていた俗称

関連項目[編集]

日本テレビ 第2・第4金曜日22:30(1965年3月12日 - 1966年4月22日
前番組 番組名 次番組
金曜夜席