この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

桂歌丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
桂 歌丸かつら うたまる
桂 歌丸
丸に横木瓜は、桂歌丸の定紋である。
本名 椎名 巌(しいな いわお)
生年月日 1936年8月14日(80歳)
出身地 日本の旗 日本神奈川県横浜市中区真金町
(現:南区真金町)
師匠 5代目古今亭今輔
4代目桂米丸
名跡 1. 古今亭今児(1951年 - 1961年)
2. 桂米坊(1961年 - 1964年)
3. 桂歌丸(1964年 - )
活動期間 1951年 -
活動内容 古典落語
家族 椎名冨士子(妻)
所属 日本芸術協会→落語芸術協会
オフィスまめかな(マネジメント・業務提携)
受賞歴
横浜市市民功労賞(1989年)
文化庁芸術祭賞(1989年)
横浜文化賞(1991年)
神奈川文化賞(1996年)
芸術選奨文部科学大臣賞(2005年)
旭日小綬章(2007年)
文部科学大臣表彰(2016年)
備考
落語芸術協会理事(1979年 - 1999年)
落語芸術協会副会長(1999年 - 2004年)
落語芸術協会5代目会長(2004年 - )
笑点』5代目司会者(2006年 - 16年)
横浜にぎわい座2代目館長(2010年 - )

桂 歌丸(かつら うたまる、1936年昭和11年〉8月14日 - )は、日本落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。

神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)の出身・在住。定紋は『丸に横木瓜』。血液型A型横浜市立横浜商業高等学校定時制中退。

出囃子は『大漁節』。公益社団法人落語芸術協会会長(5代目)。当初は新作落語中心だったが、近年は、廃れた演目の発掘や三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置いて活動している。地元・横浜においては横浜にぎわい座館長(2代目)、横浜橋通商店街名誉顧問も務めている。位階勲等旭日小綬章

演芸番組笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利メンバーとして活躍し[1]2006年(平成18年)5月から2016年(平成28年)5月22日まで同番組の5代目司会者を務めた。

来歴・人物

落語家までの道

  • 生家は横浜・真金町の妓楼「富士楼」であり、間近で遊女達を見て育ったためか、女の化粧風景を描写した「化粧術」の珍芸を持つ[2]。また、バニーガール姿、花魁姿など、女装を『笑点』で幾度も公開している[3]
  • 「浜っ子」であることを誇りにしており、古典落語独特の江戸ことばは多用しない。
  • 戦時中、母方の実家である千葉に疎開している最中に横浜の空襲をただただ見つめていたという[4]。また歌丸は千葉疎開中は道端の草やサツマイモばかり食べていた為、その影響で戦後から現在に至るまで「私ゃね、サツマイモが食えねえんだよ」とサツマイモが食べられなくなってしまったことを語っている[4]
  • 前述の横浜空襲で生家も焼失したが、戦後すぐに祖母はバラックを建て「富士楼」の経営を再開。貧しい時代にあっても食料に困ることもなく、当時高価だったラジオも持っていた。このラジオでよく聴いていた落語に影響されたことが落語家になるきっかけとなっている[4]。祖母に連れられてよく行った伊勢佐木町の大衆劇場『敷島座』で芝居の幕間で観た漫才にも夢中になって漫才師になることも考えたが、「わがままな自分にとって二人で演芸をするのは無理かな」と思ったことも落語家のきっかけの一つだという[5][6]。小学校4年生の頃には将来落語家になるとすでに決めていた。戦後まだ青空教室だったため、小学校の時に体育の時間になると自習なので落語を演じていた。これが非常に好評で、時には隣のクラスの先生から落語をやってくれないかと要請があった。

落語家

  • 横浜市立吉田中学校在学[7]中に、女郎屋の慰労会の席で当時二つ目だった5代目春風亭柳昇の落語を聴いて、落語家になる決意を完全に固めた[8]。そして、NHKの出版部にいた遠縁の親戚を通じて誰に弟子入りしたらよいかを相談し、「一番面倒見の良い人だから」という理由で5代目古今亭今輔を薦められ、中学3年だった1951年(昭和26年)に入門することになる。ちなみに本人は「噺家になれさえすれば師匠は誰でも良かった」とのこと[9]
  • はじめに兄弟子で、後の師匠である米丸の初名であった「古今亭今児」を名乗る。その際今輔から言われたことは「歌舞伎を見ろ」[10]。今輔によると歌舞伎を見ることは落語に活きるからだと言い、実際自ら演じる際はそのエピソードをマクラで語っている[11]
    • このためか、中村吉右衛門出演の歌舞伎をよく見に行くという。歌丸いわく、仕草や立振舞などを見て落語に活かすためとのこと。ちなみに、吉右衛門いわく、「歌丸師匠は歌舞伎を見るのにいい席に座っている」とし、「舞台から見ても歌丸だとすぐにわかる」らしい。ただし、両者に直接的な面識はまったくなかったとのことで、歌丸は、吉右衛門と『鬼平犯科帳』で共演していた三代目江戸家猫八に「吉右衛門のサインをもらってきてほしい」と頼んだとのことである。後に吉右衛門は、頭をなでながら「いろいろと照れ屋さん」と歌丸を評している[要出典]
  • 今輔門下から兄弟子・4代目桂米丸門下へ移籍したのは、当時芸術協会で勃発した香盤(序列)問題[12]や、今輔が新作派なのに対し高座で古典落語ばかり演じていたことに端を発している[13]。この一件で今児は破門状態となり、一時、ポーラ化粧品本舗のセールスマンへ転職[14]するが、三遊亭扇馬(のちの3代目橘ノ圓)の肝いりで落語界に復帰。しかし今輔が付けた条件により兄弟子・米丸門下となった[15](米丸も「浜っ子」である)。なお歌丸の著書によれば新師匠の米丸からは入門に際して寄席の初日と中日には必ず今輔宅に顔を出すことを言いつけられたという[16]。そのおかげで今輔とは破門以前と同様の関係を維持することができ、後述のように寄席などでの真打昇進興行や口上にも今輔は出演している[17]
    • 一部の記事では、1961年(昭和36年)に「今輔死去に伴い兄弟子米丸門下に移籍」との表記があるが、これは誤り。米丸門下に移籍したこと自体は1961年(昭和36年)のことだが、先述のように今輔一門からの事実上の破門状態になったことによるもので、今輔死去は1976年(昭和51年)である。現に、1968年(昭和43年)に行われた『笑点』での歌丸の真打昇進披露口上では、今輔と米丸が揃って登場している。
  • 米丸に師事して「古今亭今児」から「桂米坊」に改名したが、1964年(昭和39年)1月、現在の「桂歌丸」に再改名。どちらも米丸が考案して付いた名である。したがって歌丸は当代が初代であり、名跡ではない。歌丸本人は「歌丸」の由来を知らない。米丸は、落語の枕にて「『歌丸』という芸名の由来はですね、桂歌之助以外の『桂』を名乗っている落語家で、芸名に『歌』が入る落語家が少ないため、芸名に『歌』を入れたんです」と語っている[要出典]
  • 米丸はほとんど稽古を付けず、米坊(当時)を鞄持ち兼座付作家扱いにしていた。しかし、これで放送局関係等にコネクションができたほか、米丸のラジオ番組の構成をしていたことがネタ作りの鍛錬になり、古典の掘り起こしの際の一部改作や独自のくすぐりを入れたりするのに役に立ったという(後述「妻・冨士子」の項参照)。ちなみに、弟弟子であるヨネスケに最初に稽古を付けたのは、米丸ではなく歌丸であったという[要出典]
  • 著書の中で、1978年(昭和53年)に起きた落語協会分裂騒動の際、新しくできた落語三遊協会に5代目三遊亭圓楽を通じて、参加を要請されたことを明らかにしているが、歌丸自身は上記の経緯で米丸一門に移籍したと説明し、参加を断っている[18]
  • 自身の弟子の高座名は、歌丸の「歌」の文字を頭に付けることを原則としているが、一番下の弟子であった3代目桂枝太郎のみ、本人の希望により、二つ目時代は「丸」の付いた名前が欲しいとしたため、「花丸」を名乗らせていたとしている。歌丸曰く、「学校の時の成績がよっぽど悪かったため、名前だけでも丸が欲しかったのではないか(笑)」として、「花丸」になったとのこと。なお、あとの4人は、預かり弟子でもある、惣領弟子の歌春(歌丸門下になったと同時に、「歌はち」に改名していた)を含め、すべて、「歌某」の高座名である[19]
  • また、通常であれば弟子は師匠の鞄持をするものであるが、タレント性にどっぷり浸かってしまう恐れがあることから、落語に専念するよう、自分の弟子には寄席の楽屋への鞄持をさせても、笑点の楽屋への鞄持は絶対させないとのこと。しかし、前述の一番下の弟子だけは、歌丸の願いもむなしく、タレント性にどっぷり浸かってしまったと述べていたことがある(ちなみに、惣領弟子の歌春も、歌はち時代に『笑点』の座布団運びアシスタントをしていた時期がある)[要出典]

妻・冨士子

妻の名前は冨士子(富士子という表記は誤り )。1932年生まれで歌丸より4歳年上。冨士子夫人も、歌丸と同じく横浜真金町の出身であり、歌丸の生家の近くに在住していた。このため、師匠・5代目今輔から勧められた女性を断って、顔見知りであった冨士子夫人と結婚したと後に語っている。冨士子夫人との結婚は21歳の時。娘も20歳で結婚したため、42歳で孫が生まれている。

1989年平成元年)に歌丸が座布団10枚の賞品として獲得した「クィーンエリザベスIIの夕べ」にて“美女とクルージング”をすることになったが、その「美女」として冨士子夫人が登場している。ただし、後ろ姿のみで顔は出していなかった。その後も番組内で姿を現すことはなかったため、笑点では「謎のヴェールに包まれた人物」とされている。2007年(平成19年)11月23日に行われた歌丸の旭日小綬章金婚式を祝う会では、公の場に夫婦揃って登場した[20]

高座や大喜利でもしばしば恐妻として登場する。

笑点メンバー

前身番組の『金曜夜席』第1回から出演。『笑点』になった後も、降板していた1969年(昭和44年)4月6日から11月2日まで、および病気療養のため休んだ1985年(昭和60年)4月7日4月14日腰部脊柱管狭窄症の手術・療養のため休んだ2008年(平成20年)6月29日7月6日、および肺炎に伴う入院が長引いたことに伴う休演となった2010年(平成22年)3月7日3月14日、肋骨骨折他で休演した2014年(平成26年)5月11日 - 6月1日、インフルエンザによる休養で休演した2015年(平成27年)1月25日2月1日、手術後の体調不良で休演した同年7月12日 - 9月6日[21]を除き、出演を続けていた。

『笑点』がスタートした頃は、司会が立川談志であり、真打が談志と5代目三遊亭円楽だけであったことから、引け目もあって歌丸の雰囲気は陰気であった。これは談志がブラックユーモアを多くしろと言ったことも手伝った。[22]。当時歌丸が談志の言い付けで行ったブラックユーモアを理解したのはマスコミ関係者などであり、一般には受けなかった。そうしたことから、歌丸は自分が1年でも持てば良い方だろうと思っていた。[22]事実、1969年4月には番組の路線を巡って歌丸を含めて談志に異を唱えたメンバー全員が降板する事態に発展したが、同年11月、談志に変わって前田武彦が司会に就任、歌丸も番組に復帰した。歌丸曰く、前田武彦とは「畑が違う」ため番組内でのやり取りがちぐはぐになりがちだったといい、三波伸介が司会になったころからやり取りがスムーズになり、番組の色や歌丸の雰囲気も変わったという。[23]番組中でも人気を博したのが、三遊亭小円遊との掛け合いであり、小円遊が歌丸を「ハゲ!」と罵倒すれば、歌丸は「お化け!」とやり返し、どんどんエスカレートするものであった。[22]この掛け合いはものすごくウケたが、その時「あたしは落語を怠けている」と痛感し、落語をちゃんとやることにした。[24]歌丸は「笑点」を務める中で「マンネリ」との批判を受けることがあったが、これに対して「マンネリってことは、長く続いているということだからね。それに、批判するってのは、それだけ見てるってこと、あるいは気にしてくれているってことでしょ」とむしろ喜んでいる。[25]司会者としては「舞台に並んだら全員同格。上も下もない」という意識をメンバーに徹底させており、林家たい平や春風亭昇太がメンバーに入った時もはっきりとそのことを言った。。[26]

1973年(昭和48年)に脱腸と2001年(平成13年)に急性腹膜炎と2度開腹手術を受けているが、いずれも番組に穴を開けることはなかった。1973年(昭和48年)の手術直後の神奈川県伊勢原市での公開録画には、体調が優れない中で看護師同行の上で収録をこなした(この伊勢原での公録の模様を放送した『笑点』は40.5%の歴代最高視聴率をマーク)。2001年(平成13年)2月11日放送では手術直後の収録で、積み上げた座布団への昇降が困難だということで、歌丸は座布団の後ろに座ってその前に座布団を積み上げるという方式を取って臨んでいる(この放送で、後に現在に至るまでネタにされることになるほか、自身も司会就任後に何度かしでかした「大喜利を2問目で終了」を圓楽がしでかしている。後に、6代目円楽から「あれをね、うちの師匠がやった後ああなったんですよ」とネタにされている)。2006年腰部脊柱管狭窄症の手術を行った際は、収録がない時期に手術を行った。2012年に腰部脊柱管狭窄症の手術を再び行った際も、収録のない時期に手術を行った。

その後、2009年(平成21年)には肺気腫に伴う感染増悪で入院。50年以上に亘る喫煙の結果慢性閉塞性肺疾患と診断される[27]。このときも笑点の収録のない間の入院で済んだため番組を休演することはなかった。しかし2010年(平成22年)には、今度は軽い肺炎を起こし入院。当初愛知県みよし市での地方収録の前日には退院の見通しであったが、大事を取って延期されることになった(同年3月2日に行われた6代目円楽襲名披露パーティは、一時退院の上で会見に臨んだ)ため、同年3月7日3月14日放送分の『笑点』は、それぞれ木久扇と好楽が代理司会をする形で休演。同日放送分の『笑点Jr.』も木久扇が代理でナビゲーターをする形で休んだ。

大喜利では4代目三遊亭小圓遊と、その後6代目圓楽(楽太郎)との罵倒合戦がおなじみであるが、新人時代にネタに悩んでいた6代目円楽(当時:楽太郎)に対し、「(ネタは)俺のことでいいから」と提案したことに由来しており、番組上の演出である。基本的には仲が良く、歌丸と6代目円楽の二人会などで共演することは多い。円楽一門会所属の為、本来であれば寄席での興行が難しい6代目圓楽の襲名披露を定席興行で実現させたのも、歌丸の尽力によるものだった。

2014年(平成26年)3月29日、慢性閉塞性肺疾患の悪化で入院。5月1日に高座復帰したが、帯状疱疹で再入院し、5月22日に退院。5月31日、復帰後初となる『笑点』の収録を行った。6月23日の紀伊國屋ホールでの公演には車椅子で楽屋入りし、合間に酸素吸入器を付けるなど万全な体調ではなかったが、無事に高座をこなした。この様子は6月25日テレビ朝日ワイドスクランブル』のコーナー「情熱人」で放映された。同コーナー内での映画監督の井筒和幸との対談では、今回の病気で引退を考えていたものの、妻から「あなたが落語辞めたら張り合いがなくなる」と説得されて現役続行を決めたことも語った。

2015年6月1日、背部褥瘡(はいぶじょくそう)の手術のため入院。同月9日に退院していたが、その後、体調不良となり、入院・休養することになる[28]。『笑点』の収録などの仕事も休む。22日、病名が腸閉塞だったことがわかる[29]7月11日、退院[30]8月8日の『笑点』収録で仕事に復帰。高座にも同月11日からの東京・国立演芸場中席で復帰した[31]。入院生活により脚の筋肉が落ち正座をするのが大変苦しいとして、見台を使用したものの、当日の“トリ”として登場し約1時間の高座を務めた[32]8月23日、日本テレビ系『24時間テレビ38 愛は地球を救う』内の「チャリティー笑点」に司会として登場。腸閉塞からの仕事復帰後では初めての生番組出演となった[33]。9月13日、『笑点』復帰の回が放送される[34]

2016年4月30日、同年5月に『笑点』が放送開始50周年を迎えることを機に、5月22日の放送を以て司会者を勇退することを発表し[35][36]、番組初の終身名誉司会に就任することとなった[35]

笑点勇退後

2016年5月25日、文化庁が歌丸の文部科学大臣表彰を発表。31日に文部科学省内で表彰式が行われ、馳浩文部科学大臣から表彰状が贈られた[37]

2016年7月26日、新橋演舞場で開催された「桂歌丸芸歴65周年記念落語会」に出席したが、翌27日、腸閉塞治療のため再入院したことを明らかにした[38]

2016年8月27日の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」39』では、オープニングで開会宣言を担当。笑点のオープニング風に、開会宣言を行った。

その他

  • 国外での公演も行う。過去にはカナダトロント、2006年(平成18年)3月10日にはパリで公演を開催、フランス語の字幕付きで『尻餅』を演じた。11月2日にはニューヨークで海外公演を開催し、同じく日本語(英語の字幕付き)で『尻餅』を披露。2007年(平成19年)5月にはメキシコ公演も行う。
  • 30代から現在に至るまで容姿がほとんど変わっていない。30代前半頃には、既に現在の頭髪に近い状態になっていた。なお、30代で死去した自身の父はもっと薄かったと懐述している[39]
  • 多趣味で知られ、足腰が弱る前は釣りに特に熱中していた。夏は大物狙いで渓流へ、冬はワカサギを求め相模湖へ通うのを恒例としていた。他には歌舞伎(前述)・映画鑑賞(特に東映時代劇)、古物店巡り、化石ジッポー腕時計の収集、写真撮影、読書(特に横溝正史高木彬光の作品)を好む[40][41]
  • 2010年(平成22年)5月に横浜にぎわい座の2代目館長の就任を要請されていることが明らかになり、同年7月に就任した(初代館長である玉置宏が同年2月に死去し館長が不在であった)。
  • 長年『笑点』に出演し、茶の間に広く顔の知れた高齢者であることも相まって、2010年(平成22年)6月、総務省から「地デジ化応援隊」メンバーに起用された。
  • 2004年2月に落語芸術協会の会長に就任(現職)。これをもじって「怪鳥」あるいは「怪しい鳥」と自他共にネタにすることが多々ある。もとは、『笑点』回答者時代に当時の司会・5代目圓楽よりネタにされたことに起因する。[42]以前は、『笑点』のオープニングでも、ハゲタカ風の怪しい鳥に乗った歌丸のアニメーションが放送された時期があった。

略歴

主な演目

テレビ出演

演芸番組

現在の出演番組
過去の出演番組

テレビドラマ

ドキュメンタリー

映画

声優

CM

肺に罹患し、退院して日の浅い歌丸が「肺気腫に伴う感染憎悪」に関する啓発キャラクターとして起用された。2010年2月には、ディスカバーCOPD研究会のメンバーにもなった。この研究会の会見の直前に肺炎にかかり入院することとなり、研究会の会見を欠席。『笑点』も休演することになってしまった。復帰後、「COPD啓発大使」となった(同広報大使は和田アキ子)。
  • 日本薬師堂 グルコンEX 三遊亭好楽と共演
  • 日本民間放送連盟「STOP!温暖化」(2014年4月 - 2015年3月)

著書

CD・DVD

CD

  • 桂 歌丸1「質屋庫」「菊江の仏壇」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ2(2000.4.19発売、ソニーミュージック
  • 桂 歌丸2「左甚五郎-竹の水仙」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ6(2001.5.23発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸3「牡丹灯籠―栗橋宿」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ12(2002.7.24発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸4「双蝶々雪の子別れ」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ18(2003.3.19発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸5「髪結新三」上下 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ25(2004.6.23発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸6「小烏丸」「辻八卦」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ30(2005.5.18発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸7「藁人形」「井戸の茶碗」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ51(2008.7.23発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸8「火焔太鼓」「紙入れ」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ55(2008.12.24発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸9「真景累ヶ淵 豊志賀の死」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ59(2010.4.7発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸10「中村仲蔵」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ68(2011.4.20発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸11「鰍沢」「城木屋」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ71(2011.7.27発売、ソニーミュージック)
  • 高座60周年記念 特撰 桂歌丸(2011.7.27発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸12「紺屋高尾」「トーク:歌丸ばなし1」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ95(2014.6.25発売、ソニーミュージック)
  • 桂 歌丸13 「小間物屋政談」「トーク:歌丸ばなし2」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ96(2014.6.25発売、ソニーミュージック)
  • NHK新落語名人選 桂歌丸(2005.12.7発売、ユニバーサルミュージック
  • 真景累ヶ淵
    • 真景累ヶ淵 CD5枚組(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント
    • 真景累ヶ淵 深見新五郎(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
    • 真景累ヶ淵 勘蔵の死(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
    • 景累累ヶ淵 お累の自害(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
    • 真景累ヶ淵 湯灌場から聖天山(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
    • 真景累ヶ淵 お熊の懺悔(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)

CD・DVD

  • 牡丹燈篭
    • 牡丹燈篭 お露と新三郎(2006.9.27発売、テイチクエンタテインメント)
    • 牡丹燈篭 お札はがし(2006.10.25発売、テイチクエンタテインメント)
    • 牡丹燈篭 関口屋のゆすり(2006.12.20発売、テイチクエンタテインメント)
    • 牡丹燈篭 完全セット(2006.12.20発売、テイチクエンタテインメント)
  • 乳房榎(2008.10.22発売、テイチクエンタテインメント)
  • 江島屋怪談(2009.10.21発売、テイチクエンタテインメント)

一門弟子

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 2016年に番組を勇退するまでは、『笑点』開始からはもちろん、『金曜夜席』時代からの唯一の出演者であった。
  2. ^ 2006年1月の『大笑点』では城島茂に伝授している。
  3. ^ 『笑点五〇年史』 ぴあ、2016年ISBN 978-4-8356-3118-9 p.148
  4. ^ a b c “涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争 桂歌丸さん”. 朝日新聞. (2015年10月19日). http://digital.asahi.com/articles/ASH9L03X6H9KULOB025.html?rm=912 2016年5月22日閲覧。 
  5. ^ はあとふる対談・桂歌丸”. ふれあい情報誌『はあと』(救心製薬ホームページ). 2014年7月25日閲覧。
  6. ^ 座談会 横浜−下町・落語・にぎわい座(2/3)”. Web版『有鄰』平成14年6月10日 第415号(有隣堂ホームページ) (2002年6月10日). 2014年7月25日閲覧。
  7. ^ 横浜市立吉田中学校同窓会会長挨拶
  8. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p50
  9. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p52
  10. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p261
  11. ^ 小学館 「桂歌丸のわが人生座布団一枚!」p55
  12. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p89
  13. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p95
  14. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p97
  15. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p102
  16. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p104
  17. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p282
  18. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p161 - 162
  19. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p231
  20. ^ 桂歌丸、叙勲&金婚式を祝う会
  21. ^ 8月23日のチャリティー笑点には出演している。
  22. ^ a b c ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』17ページ
  23. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』18ページ
  24. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』20ページ
  25. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』21ページ
  26. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』23ページ
  27. ^ 忍び寄る病 〜“COPD”の脅威〜 - NHK クローズアップ現代 落語家の桂歌丸さん、78歳。5年前にCOPDと診断されました。
  28. ^ 9日退院したばかり…桂歌丸、体調不良で休養「すぐ戻ってまいります」”. Sponichi Annex (2015年6月19日). 2015年6月19日閲覧。
  29. ^ 入院中の桂歌丸、腸閉塞だった…痩せすぎが原因、退院めど立たず”. SANSPO.COM (2015年6月23日). 2015年6月23日閲覧。
  30. ^ 桂歌丸さん退院 仕事復帰は未定”. 産経ニュース (2015年7月11日). 2015年7月11日閲覧。
  31. ^ 桂歌丸が復帰、腸閉塞から回復8・8「笑点」収録”. 日刊スポーツ (2015年7月30日). 2015年7月30日閲覧。
  32. ^ 歌丸、3ヶ月ぶり高座復帰も「正座苦しい」”. ORICON STYLE (2015年8月11日). 2015年8月11日閲覧。
  33. ^ 桂歌丸 仕事復帰後、初の生番組出演”. デイリースポーツ online (2015年8月23日). 2015年8月23日閲覧。
  34. ^ 歌丸、笑点復帰「あと50年は司会やる」”. デイリースポーツ online (2015年9月13日). 2015年9月13日閲覧。
  35. ^ a b “歌丸「笑点」大喜利司会引退 三遊亭円楽ら涙「呆然とした」”. スポーツニッポン. (2016年4月30日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/04/30/kiji/K20160430012499660.html 2016年4月30日閲覧。 
  36. ^ “桂歌丸「笑点」50周年で大喜利司会引退発表 ラストは5月22日生放送”. スポニチアネックス・gooニュース. (2016年4月30日). http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/tv/sponichi-spngoo-20160430-0115.html 2016年4月30日閲覧。 
  37. ^ “「笑点」勇退の桂歌丸を文科大臣表彰「落語界の向上と発展に尽力」”. スポニチアネックス. (2016年5月25日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/25/kiji/K20160525012655240.html 2016年5月25日閲覧。 
  38. ^ “桂歌丸が再入院 腸閉塞治療のため「またすぐに戻ってまいります」…復帰は未定”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2016年7月27日). http://www.daily.co.jp/gossip/2016/07/27/0009326332.shtml 2016年7月27日閲覧。 
  39. ^ 落語芸術協会会長就任時に日刊スポーツから受けたインタビュー記事
  40. ^ 祥伝社黄金文庫 「歌丸 極上人生」p238-266
  41. ^ POWERWatchWEB 男の肖像時計の選択 桂 歌丸 (Vol.48-2)
  42. ^ 笑点 第1983回
  43. ^ 桂歌丸さんを文科大臣表彰へ 「笑点」司会、落語界発展に尽力 共同通信 2016年5月25日 同日閲覧
  44. ^ この演目を演じる落語家は、三遊亭圓朝以来とされる。 asahi.com:歌丸、長編怪談をCD化 円朝作「真景累ケ淵」 - 文化芸能”. 朝日新聞. 2012年10月1日閲覧。
  45. ^ 豪華ゲストキャスト発表!”. 映画「伏 鉄砲娘の捕物帳」公式サイト. 2012年9月15日閲覧。
  46. ^ 日本盛「けんか」”. 放送ライブラリー. 2016年11月7日閲覧。
  47. ^ 山形屋の海苔「じいさん、ばあさん」”. 放送ライブラリー. 2016年11月7日閲覧。
  48. ^ 山形屋の海苔「ほら来た、いつもの贈りもの」”. 放送ライブラリー. 2016年11月7日閲覧。
  49. ^ 山形屋の海苔「今も昔も」”. 放送ライブラリー. 2016年11月7日閲覧。

関連項目

外部リンク