春風亭栄橋

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春風亭 栄橋しゅんぷうてい えいきょう
本名 山田 昌男
生年月日 1939年3月5日
没年月日 (2010-01-12) 2010年1月12日(70歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都
師匠 3代目桂三木助
6代目春風亭柳橋
名跡 1. 桂木久夫(1957年 - 1960年)
2. 春風亭柳夫(1960年 - 1961年)
3. 春風亭栄橋(1961年 - 2010年)
出囃子 喜撰
活動期間 1957年 - 2010年
所属 日本芸術協会→落語芸術協会

春風亭 栄橋(しゅんぷうてい えいきょう、1939年3月5日 - 2010年1月12日 )は、東京都秋川市(現:あきる野市)出身の落語家落語芸術協会(日本芸術協会)真打東京都立国立高等学校卒業。本名、山田 昌男出囃子は『喜撰』。

人物[編集]

日本テレビ笑点」司会の立川談志によって笑点大喜利メンバーに抜擢された。軽い芸風で根強いファンがいた[1]

人生の半分以上をパーキンソン病との闘病に費やしたことで知られる。発病時期は定かでなく、当初は酒の飲みすぎによるアルコール中毒であろうとたかをくくっていた。病院で精密検査を何回か行ったが、すぐには病名はわからなかった。また28歳の時に酒のトラブルで酔っ払いと喧嘩になり左眼を殴られ、痛みがあったが放置したために網膜剥離で失明している。

その後病名が分かり、恩人の談志に相談したところ、「芸人なら自分の全てをさらけ出せ!」と命じられ、1980年1月10日、テレビの生放送(TBSテレビ 鈴木治彦司会の「モーニングジャンボ奥さま8時半です」)に談志、談志の盟友の毒蝮三太夫、そして栄橋が出演し、パーキンソン病であることを公表した。その後、栄橋は普通の高座に上がって「私はパーキンソン病なんです…」と冒頭で告白し、客を唖然とさせた。見かねた山本益博から「そういうことは(ストレートに言うのでなく)ワンクッション何か入れなさい」と注意されたことがある。

栄橋の病気であるパーキンソン病を、戸塚ヨットスクール戸塚宏がヨットスクールで鍛えれば治ると申し出たため、談志は彼を同スクールに入学させている[1]。自分の弟子の立川談春志らく関西談々を付き添い役とし[2]、彼らも入学した。病気はもちろん治らなかったが、それからはたまに高座に復帰するようになったという[2]

公表から5年後の高座を最後に、客前に出なくなる。25年間の長期療養の末、2010年1月12日死去[3]。 70歳没。

1992年に妻の山田光恵が『もう一度聴きたい寄席囃子』をリヨン社から出版。難病を抱えた夫との生活を振り返りながら文を綴った。

略歴[編集]

同名の落語家[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』122ページ
  2. ^ a b 立川談春『赤めだか』217ページ
  3. ^ 訃報:春風亭栄橋さん70歳=落語家