背広

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3つのボタンのうち真ん中だけを止めた、背広の着こなし。
背広の三つ揃い
背広の三つ揃い。1900年撮影の若きフランクリン・ルーズベルト

背広(せびろ)は、主として男性用の上着で、折襟やテーラードカラーと呼ばれるを持ち、着丈が腰丈のもの。また、この上着と共布ズボンスラックス)からなる一揃いのスーツのこと。スーツの場合は、ウェストコートベストなどと呼ばれる共布のチョッキを加えるものもある[1][2][3]

名称[編集]

単品の上着でもスーツの上着でも、単に背広やジャケットと呼ばれる。現在では様々なジャケットがあるため、テーラードジャケットやスポーツジャケットと呼ばれることもある。単品の上着のうち、金属ボタンなどの特徴を持つものはブレザーとも呼ばれる。乗馬用のハッキングジャケットや、狩猟用のシューティングジャケットなど、用途に応じた作りと呼び名のものもある。また背広の源流の1つとしてノーフォークジャケットが挙げられる。

上下揃いあるいは三つ揃いなど一組あるいは一連の服の揃いは、ラウンジスーツやサックスーツと呼ばれたが、現在では単にスーツと呼ばれる[1][4][5][6]

なお、平成27年の文化庁の『国語に関する世論調査』では「背広」を主に使うという人が19.8%、「スーツ」を主に使うという人が68.2%で、「背広」という表現は特に若年層には使われておらず、死語になりつつあると指摘されている[7]

語源[編集]

語源は諸説あり、漢字の「背広」は当て字である。「セビロ」の語は幕末から明治初期にかけて見られる、一般には明治20年(1887年)頃から用いられたとされる[8]

語源については

  1. 背筋に縫い目がないところから「背広」の意。
  2. 「sack coat」の訳語で「ゆったりした上衣」の意。
  3. 市民服を意味する「civil clothes」から変化したとする説。
  4. 英国ロンドンの高級紳士服店街「サヴィル・ロウ」から変化したとする説[9]
  5. 紳士服に用いられる良質の羊毛・服地を意味する「シェビオット(Cheviot)」から変化したとする説。

など複数あるが、外語由来とする説が有力である[10]杉本つとむは『増訂華英通語』に「ベスト(上着)」の意で「背心」、「new waistcoat」として「新背心」など、紳士服の訳語に「背」の字が使用される(ただし、sack coatの訳にはみえない)ことに注目し、中国語に由来するとの仮説を提示している[11][12][13]

なお、古くは裁断上の基本構造の区別により折襟・詰襟の区別なく背広の語が用いられることがあった。昭和中期以前の日本におけるジャケットの裁断においては前身頃を脇下まで一枚布でとることが一般的であり、一部の詰襟服(海軍服など)に限ってのみモーニングやフロックコートのように背中に食い込む形でサイバラを取ることがあったが、とくに仕立て屋では昭和初期頃まで区別して前者の裁断を行うもの(背中の生地を広くとるもの)を総じて背広と呼び、後者(背中の生地を狭くとり、サイバラ[注釈 1]を設けるもの)については達磨(ダルマ)やジャケツと呼称した。[14][15][16][17][18][注釈 2]たとえば帝国大学の制服は詰襟であったが、前者の裁断方式をとったため制服制定に関する上申書においても「背広形但建襟」と表記されている。[19]また、山田東明『洋服裁縫新書』における説明では「是は脊廣不断着に致しまして、服装には片前、両前、竪衿、折衿、返り衿等いろ/\あります」とあり、テーラードカラーのものは背広の単なる一形態として認識されていたことがうかがえる[20]

古典的定義における「背広」と「達磨」

歴史[編集]

背広のような腰丈のジャケットのヨーロッパでの登場は、1789年フランス革命でのサン・キュロットとされる。それまでの上着は、ジュストコルのように膝丈のいわゆるコートであった。直接的には背広は、19世紀中頃に当時の日常着であったフロックコートを改良したものとされる。膝丈のフロックコートを短く腰丈にしくつろげるようにゆったりとした作りの、ラウンジジャケットやサックコートと呼ばれる上着である。これは自宅の広間などだけでなく、スポーツなどレジャーにも用いられた。また共生地でズボンベストも作られ、ラウンジスーツ、サックスーツなどと呼ばれる。19世紀後半になるとアメリカ合衆国ではビジネスにも用いられるようになりヨーロッパにも波及し、20世紀までには世界的に普及した[2][3][4][5]

20世紀までに、背広の形状はいわば標準化され、それ以降は上着丈や肩幅や形状、ラペル、ズボンの太さや丈、ボタンの数などの変化に流行が見られる。20世紀初頭は肩を強調した形状にゆとりのあるズボン、1910年代は自然な形状の肩、1920年代は裾幅の広いズボン、1930年代は直線的な軍服をモチーフとした肩などである。第2次大戦後はアメリカ合衆国などでチョッキを省略した着こなしが普及する[2]

現在では式典など簡略化が行われ、それに伴って服装も簡略化され、略礼装、平服、informalと呼ばれる男性であれば背広型のスーツ、特にダークスーツで対応できることが多い[21]イギリスエリザベス2世が組閣の任命をがする場合、男性首相は背広型スーツでバッキンガム宮殿を訪れる[22]

日本では1867年の片山淳之介の『西洋衣食住』に、フロックコートが割羽織、背広を丸羽織として記述される。また、1887年の大家松之助の『男女西洋服裁縫独案内』では背広と表記される。背広は明治末から大正初頭にかけて普及していった[2]

流行に関しては明治当初はフランスの影響が強く、次第にイギリスやアメリカの影響を強く受けるようになった[23]。世界的な流行に倣い、明治当初は4つボタンの着丈の短いもの、明治中期以降は3つボタンの着丈の長いものが流行したが、大正の終わり頃からは日本人と西洋人の体格差を意識するようになり、着丈の短い2つボタンスーツが普及する[24][25][26]など独自の路線を辿った。また、夏季に関しては世界に先駆けてチョッキを省いていることが当時の写真や百貨店のカタログなどからうかがえる[注釈 3]。ただし、裁断や細部の処理などはその後も世界的流行を盛んに取り入れており、襟型およびバストやショルダーの設計などは同時期の欧米の例に違わない[注釈 4]。また、ズボンに関しては大正期以前はウエストが広くとられた、調節を尾錠で行う「窮屈袋」と呼ばれる[27]サスペンダーを用いて固定を行うものが一般的であったが、この頃から現在の様子に近いベルト固定式のものとなる[注釈 5]

大正時代ごろの背広の一例。生地を裏返して仕立て直しており、左右が逆になっている。生地が高価だった当時はこうした処理がよく行われた。
昭和10年ごろの背広の一例。当時は設計上二つともボタンを留めることが可能であった。腕付けやポケットの位置が現代と大きく異なる。
昭和初期ごろのズボン。同時期の海外では履き口のフチにベルトループの据えられた腹で履くタイプのものが多いのに対して、日本では現在一般的なズボンの履き位置に近い腰骨のあたりにベルトループが据えられたものが多い。

戦後の昭和20年代にはアメリカの影響を強く受け、肩幅や胸回りの大きな、着丈の長いものが流行した[28]。昭和30年代には再び落ち着いた型となり、急速にナローラペルが広まった。この頃世界的には3つボタンが流行したが、日本では2つボタンが相変わらず愛用されていた。昭和40年代〜昭和50年代ごろには転じてワイドラペルとなり、ブレストとウエストの強弱の激しいものとなる。また、この時期以前の裁断は前身頃と後身頃のみから成るものが一般的であったが、この頃から海外同様に脇ダーツの延長線上に腰ポケットを貫通する形でサイバラ(脇下部分)を独立させるものが普及し始める[注釈 6]。(なお、前項で言及した「達磨」で用いられたサイバラは腰ポケットを貫通しない背中寄りにとられたものであり、この時期から普及したサイバラとは設計が異なる。)昭和60年代ごろから平成初期にかけては肩幅を強調し腰の絞りを抑えた着丈の長い型が流行し、ダブルの型も広く着用された[注釈 7]。その後は3つボタンの流行などもありつつ漸次タイトなスタイルとなり、平成末期以降は着丈の短い、全体が身体に密着した型に落ち着く。襟型としては幅の狭いものが一般的となり、ゴージラインは平成年間を通じて上昇傾向にある。

文化と社会[編集]

背広は、ポストモダンが提唱される現代からすれば、過去のモダニズムに基づき、かつ生き続けている。新古典主義による自然そのものの人体をなぞるようにフィットした形状、体を束縛せず動きに追随する合理性、レースフリルなどの表面上の装飾を廃して毛織物そのものの重厚さとパターンや仕立ての妙を重視すること、抑制された色調と形状の制限によるダンディズムジェントルマンの表現、首筋を締めた薄い色調のシャツと濃い色調の上着の開いた胸元のくつろぎ感のバランス、鮮やかな色彩を添えかつ男性器を暗示するネクタイ、などである。

モダニズムに代表される西洋の価値観が世界的に広まり、今日各国の首脳が集まる国際会議などでは、背広を着た人が大多数を占め、伝統的な民族衣装などを着る人は少ない[29][30]

世界的に普及することで、地域独特の文化をも生み出してもいる。一つは長くフランスベルギーなどの植民地となりまた戦争を経験している、コンゴ民主共和国コンゴ共和国などにおけるサプールと呼ばれる人たちである。多くは豊かではない労働者で日常は作業着などで仕事をしているが、水道が普及していない環境でも体や服の清潔を保ち、収入の多くを高価な背広に費やし、ハレの日などには濃い肌や髪や瞳の色と互いに引き立て合う鮮やかな色調の着こなしで現れ、平和自由を尊重して人生を楽しみ、尊敬される人たちである[31][30]

日本では明治維新に伴って背広を含む洋服を取り入れたが、冠婚葬祭などにおける礼装や、仕事や外交における半ば制服として、ファッションではなくマナーに留まっていて、これは現在も続いているとする評もある。冠婚葬祭でのブラックスーツや就職活動でのリクルートスーツ会社員公務員では暗い色の背広に白いシャツと地味なネクタイ、暴力団などの反社会的勢力ではけばけばしい派手な背広とシャツとネクタイの組合せなど、ステレオタイプな画一的な服装をしていて、背広を含めた服装に社会の規律を意味する度合いが、日本では非常に高いとされる。環境省など行政が提案しているクール・ビズでは、具体的に服装規定を設けて、背広の上着を着ないいわゆる「ノージャケット」について「可だが徹底されていない」などの表現にみられるように、ルール化されている。また「体形に合ったスーツ選びを。色はダークな紺か黒が無難。」や「スーツに合わせる定番アイテムのルール」のように規則として表現している書籍もある[30][32][33][34][35]

男性の略礼装には昼夜を問わず背広型のスーツが用いられる。特に改まった場ではダークスーツがふさわしいとされる。ダークスーツは暗く濃い灰色紺色の無地やそれに準じる生地を用いた背広型のスーツである。着こなしはシャツネクタイに決まりがないが、白色のシャツに結婚式などでは華やかな色や銀色のネクタイ、葬儀などでは地味な色のネクタイを用いるのが奨められている。黒色の背広型スーツ(ブラックスーツ)を用いるのは日本独特の風習であり、ブラックスーツはダークスーツに該当しない[4][5][21][36]

もともと注文服として生まれた自宅でくつろぐための背広は、既製服化され「吊るしの背広」として普及することにより略礼装にも用いられる服に昇格する。背広の世界的普及は、欧米科学技術経済文化の優越感や、帝国主義によるグローバリゼーションによるもので、中国における人民服や、南アフリカ共和国ネルソン・マンデラが着たろうけつ染めのシャツ、あるいは糸車を廻すマハトマ・ガンディーの着るインド木綿の肩掛けや腰布など、一様ではなく社会的にも複雑な問題をはらんでいる。また、かつて若者の犯行のシンボルとされたジーンズTシャツに背広をあわせるような着こなしもある。このように受容あるいは拒否された背広は、ポストモダンが提唱される現代では「退屈な代物」などと評される一方で、今後もしばらく生き延びるとされている[29][30]

販売価格[編集]

日本で売られている背広は1万円以下のものから数十万円のものまで価格幅が広い。

男性用背広服の販路別売れ筋価格帯[37]
商品ライン 販路 価格(円)
プレステージ 直営店 144636
ベター 百貨店 96281
モデレート セレクトショップ 64188
ポピュラー 総合スーパー 42792
バジェット ホームセンター 28670

日本では、家計消費状況調査の品目として背広も調査されている。2017年での背広の平均は53500円であった[38]

家計消費状況調査年報 2017年 背広[38]
年間収入(万円) 平均(百円)
-200 83
200-300 181
300-400 295
400-500 296
500-600 683
600-700 779
700-800 942
800-900 1178
900-1000 1117
1000-1250 1667
1250-1500 1895
1500-2000 2377
2000- 6224

参考資料[編集]

  • 辻元よしふみ、辻元玲子 『スーツ=軍服!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!!』 彩流社、2008年3月。ISBN 978-4-7791-1305-5
  • ハーディ・エイミス 『ハーディ・エイミスのイギリスの紳士服』 森秀樹訳、大修館書店、1997年3月。ISBN 978-4-469-24399-4

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 当時はサイボデーとも呼ばれた。参考:川島裁縫女学校『現代和洋裁縫全書 : 初歩から奥儀まで』1927年 p.624
  2. ^ 「達磨」の語源は中込省三「衣服産業のはじめ」1982年によればフランス騎兵の短い上衣(dolman)から転訛した言葉であるという。出所 ジェトロ・アジア経済研究所(http://www.ide.go.jp/)
  3. ^ 具体例は枚挙にいとまがないが、たとえば『読売新聞』1932年7月3日夕刊においては「既製夏洋服」の値段表では背広三ツ揃と背広上下が区別されており、ツーピース販売されていたことがうかがえる。
  4. ^ たとえば、東亜洋服裁断師協会本部『裁断芸術 第1編』1930年では、米英の製図が日本のものと比較しながら紹介されている。また、当時の洋装研究社『テイラー』などでは米英仏独に留まらず北欧の例なども紹介されている。
  5. ^ 過渡期にあってはサスペンダー用のボタンおよび尾錠とベルトループの両方がつけられたものが多い。参考:遠藤政次郎『文化洋裁講座 第四巻』1935年 p.320
  6. ^ こうした処理自体は欧米においては古くから行われており、日本においても染葉秋宏『男子服独習書』1951年p.219の例にうかがえるように戦後の生地不足の時代には例外的に行われることがあった。
  7. ^ これらの流行の変遷はスタイル社の『男子専科』、洋装研究社の『テイラー』や洋装社の『洋装』などを通じて把握することができる。

出典[編集]

  1. ^ a b 広辞苑 第5版
  2. ^ a b c d 日本大百科全書
  3. ^ a b 世界大百科事典
  4. ^ a b c 田中千代 『新・田中千代服飾辞典』 同文書院 1991年 ISBN 4-8103-0022-6
  5. ^ a b c 『ファッション辞典』文化出版局 2000年
  6. ^ リーダーズ英和辞典第2版
  7. ^ 「背広」は死語? 20代3割「知らない」、「せびれ?」の珍回答も…クールビズで消費も縮小 産経新聞 2018年8月26日閲覧
  8. ^ 日本国語大辞典、第12巻(せさーたくん)、p.66、1976年4月15日発行、第1版第2刷、小学館
  9. ^ 「英国紳士道 移ろうかたち 変わらぬ矜持/規律が育てる審美眼」『日本経済新聞』朝刊2018年12月2日(10面、NIKKEI The STYLE)
  10. ^ 日本国語大辞典、第12巻(せさーたくん)、p.66、1976年4月15日発行、第1版第2刷、小学館
  11. ^ 精選版 日本国語大辞典(電子版)、2006年
  12. ^ 数え方単位辞典 「せびろ」の項
  13. ^ 増訂華英通語 首飾類 p.51(原本ではp.20)
  14. ^ 森兼二郎『裁縫独案内 男女洋服』1887年 p.42,43
  15. ^ 司清一, 杉山静枝『TS洋服裁断全書』1925年 p.77,78
  16. ^ 日本洋装協会『洋服裁断全書 前編』1925年 p.50,51
  17. ^ 川島裁縫女学校『現代和洋裁縫全書 : 初歩から奥儀まで』1927年 p.593,p.623
  18. ^ 遠藤政次郎『文化洋裁講座 第四巻』1935年 p.399
  19. ^ 京都大学百年史編纂委員会『京都大学百年史 史料編2』1997年 p.131
  20. ^ 山田東明『洋服裁縫新書』1907年 p.42,43
  21. ^ a b 寺西千代子 『世界に通用する公式マナー プロトコールとは何か』 文春新書
  22. ^ 2019年7月27日中日新聞朝刊5面
  23. ^ 『読売新聞』1924年2月15日朝刊 p.4
  24. ^ 辻清『洋服店の経営虎の巻』1925年 p.187~196
  25. ^ 『読売新聞』1916年11月8日朝刊 p.5
  26. ^ 『読売新聞』1918年2月23日朝刊 p.5
  27. ^ 柴田和子『銀座の米田屋洋服店』1992年 p.47
  28. ^ 『読売新聞』1950年9月9日朝刊 p.4
  29. ^ a b アン・ホランダー著 中野香織訳『性とスーツ 現代衣服が形づくられるまで』白水社
  30. ^ a b c d ロバート・ロス著 半田雅博訳 『洋服を着る近代 帝国の思惑と民族の選択』 法政大学出版会
  31. ^ 『WATS IS SAPEUR? 貧しくとも世界一エレガントなコンゴの男たち』祥伝社
  32. ^ 高橋晴子 『近代日本の身装文化 「身体と装い」の文化変容』 三元社
  33. ^ “環境省におけるクールビズ服装の可否” (PDF) (プレスリリース), 環境省, (2012年5月25日), http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=20032&hou_id=15269 
  34. ^ 金森たかこ著 西出博子監修 『入社1年目ビジネスマナーの教科書』 プレジデント社
  35. ^ 『男性ファッションの「そもそもどうしたらいいのか?」がわかる 今日から使える 大人のオシャレ塾』 主婦の友社
  36. ^ 外務省 国際儀礼の基本講座 (PDF)
  37. ^ 第1章 ブランディング計画 p.38/48 - 沖縄県 (PDF)
  38. ^ a b 統計局

関連項目[編集]