ブルマー

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ブルーマーを穿いたスミス大学バスケットボールチームのメンバーたち。1902年に撮影された初期の形のブルマー。

ブルマー (bloomers) は、女性が運動などを行う際に下半身に着用する衣類の一種で、ブルマあるいはブルーマブルーマーとも呼ぶ。20世紀に世界的に広く普及した。

学校教育で体育の授業の運動時に着用する体操着や、スポーツ用パンツとしても広く用いられる。女子バレーボール陸上競技の選手が試合や練習で穿くユニフォームパンツもあり、用途に応じてバレーブルマー、バレーショーツ、陸上ブルマーと呼ぶこともある。チアリーダーが穿くコスチュームパンツにもブルマーが用いられる。また、オーバーパンツとしても用いられる。

起源[編集]

1850年のブルマーファッション
1890年代のタバコのラベルに描かれたブルマー姿の女性

ブルマーは、19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーによって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。諸説あるが、有力視されているのはアメリカ合衆国女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラーの発案を、女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマーが「リリー」誌上で紹介した事により、ブルマーの名称はアメリア・ジェンクス・ブルーマーの名前(ラストネーム)に由来したとする説である。

女性解放運動家はこのブルマーで講演活動を行ったが、その姿は嘲笑の的となり、一時廃れてしまう。しかし20世紀に入り、自転車、テニス、乗馬などのスポーツを女性が楽しむようになると、ブルマーは運動着として着られるようになった[1]

当時は女性用の適当な運動着はなく、この発明は極めて画期的なものであった。この頃のブルマーはニッカーボッカーズボンのようにだぶつきがあり、あたりまで丈があった。また、別の説では乗馬用のズボンが変形したものともいう。

日本における普及と衰退[編集]

導入[編集]

井口阿くりが考案したブルマーを用いた運動服。
初期の女性バスケット・チーム(1925-1926年、奈良)

明治時代、女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)などで女子体育の指導が始まったが、服装は男袴や着流しであった。1885年(明治18年)、学校から体操時は袴と靴を着用の命令が出ている。女子高等師範学校では、留学先のアメリカから井口阿くりが持ち帰ったブルマーが体操着として1903年に最初に紹介され、大正末期から昭和初期にかけて女学校で採用されるようになった[2][3]

当初、ブルマーは膝下まであるニッカボッカのようなスタイルだったが、次第に丈が短くなり、いわゆる「ちょうちんブルマー」が1960年代半ばまで主流となる[4]

ちょうちん型から密着型へ[編集]

左は1960年代後半になって登場した密着型ブルマー。右はいわゆる「ちょうちんブルマー」と呼ばれる旧タイプ。

1960年代後半から織物製のちょうちん型に代わって、合繊ニットの密着型ブルマーが女子体操着として急速に普及する[1]。1965年までは12%ほどだったが、その後5年間で50%に到達、70年代前半の間に76%にまで広がっている[5]。普及のきっかけは東京オリンピックで日本が金メダルを獲得した女子バレーボールとされる。日本チームは体にフィットしたブルマーだったが、ソビエトやポーランドの女子チームはさらにぴったりしたブルマーをユニフォームとしていたのが注目された。またミニスカートの流行やナプキンの技術革新によって体の線を出すことに抵抗がなくなった若い女性たちに、国内メーカーが密着型ブルマーを売り出したことにより広まったと言われる[1]

中体連とブルマー[編集]

『ブルマーの謎〈女子の身体〉と戦後日本』(青弓社)の著者の山本雄二は、当時のバレーボール日本代表選手たちが密着型ブルマーを下着のようで恥ずかしいと断ったという証言から、バレーボール普及説を否定している[5]。山本によれば、戦後、文部省が作成した「新教育指針」により学生スポーツは勝利至上主義的な指導をとりやめ、全国規模での大会が禁止となったが、その結果、東京オリンピックでの成績は惨憺たるものとなった[6]。その後、文部省は全国大会を容認。中学体育連盟(中体連)は多くのスポーツ全国大会を主催することになったが、資金難に苦しむようになる。そこで中体連は制服メーカーの商品に推薦を与えるかわりに、資金援助をしてもらうようになった[5]。1966年、菅公学生服(当時は尾崎商事)は全国中学校体育振興会(中体連の指定機関)から体育衣料指定メーカーとして全国唯一の推薦指定を受ける[7]。山本はこれが密着型ブルマーの普及時期と一致しており、メーカーが推薦指定をセールスポイントに学校に営業をかけ、急速な普及につながったと推測している[5]

反対運動と衰退[編集]

思春期の少女にとって、足の付け根まで露出し、「体形が丸見え」「下着同然」「パンツがはみ出る」密着型ブルマーは不評であった[1][4]。1987年、名古屋西高校で女子生徒の体操着として新たにブルマーを導入したところ、生徒による反対運動が起こった[8]。1988年、朝日新聞で女子中高生がブルマーに反対する投書が掲載された。

1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーやセーラー服などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。ブルマーが性的好奇心の対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事でブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーを窃盗し逮捕されるなど不審者による事件が相次ぎ、社会問題として取り上げられるようになっていった。

1993年11月22日付朝日新聞はシンガポール日本人学校中等部でのブルマー統一問題を報じている。新任の保健体育教師がそれまで自由だった体操着を日本のブルマーに統一し、それ以外の体操着着用を禁止したところ、生徒から「太ももの上部まで見え、校外マラソンの際、通行人にじっと見られる」との苦情が寄せられた。この記事に対し、学校側の姿勢に批判的な投書があいつぎ、他紙でもブルマーの問題を取り上げるようになる[9]。1995年には東京都小金井市議会で若竹綾子市議が問題提起を行い、それが朝日新聞に掲載されると、学校や保護者も含めたブルマ―廃止機運が高まった。

1989年に新語・流行語大賞にもなったセクハラの概念も後押しとなり、密着型ブルマーはハーフパンツやジャージに移行していき、教育現場から姿を消す[10]

トンボによれば現在でも密着型ブルマーはいくつかの幼稚園で採用されており、下着の上に重ね履きしたり、自転車に乗るのに履くという成人女性もいるという[1]

メーカー・ブランド[編集]

日本国内では、スポーツウェア・スポーツ用品メーカー(アシックスミズノなど)や、繊維製品メーカー(東レユニチカなど)、繊維製品メーカーのなかでも学生衣料に特化したメーカー(カンコートンボなど)が、自社の取り扱う体操服やスクール水着などといったスポーツウェア、学生衣料のひとつとしてブルマーを生産していた。衣料品卸問屋が自社ブランドで生産していた例もあった。

2000年代後半あたりまで9割以上が生産を打ち切っており、現在は店頭をはじめネット通販でさえ入手困難な状態となっている。

製造メーカーについては以下を参照のこと。

ちょうちんブルマーとショーツ型ブルマー[編集]

ちょうちんブルマー[編集]

1970年前後まで製造されていた伸縮性のない生地を用いたタイプ。

腰と裾口にゴムが入っている以外はだぶつきのある作りで、運動時の可動性を確保するためにギャザーあるいはプリーツがつけられていた。これらはニット製ブルマーの誕生以降、その形状的な特徴から「ちょうちんブルマー」と呼んで区別されるようになった。

ショーツ型ブルマー[編集]

化学繊維ニット素材の発達により、ブルマーは臀部をはじめ下腹部、股間までぴったりフィットしたローレグフルバックタイプのショーツ型へと進化した。このタイプのブルマーが日本で普及していくのは、1964年東京オリンピック以降の1960年代後半からである。

ショーツ型ブルマーをオリンピックで最初に採用した国は旧ソビエト連邦で(アメリカでも同時期に採用)[11]、当時の日本でも現代型ブルマーの試作品を女子バレー日本代表に持ち込んだりしたが、日本代表は採用せず特注の改良型ショートパンツを使用した。

ショーツ型ブルマーの特徴はだぶつきのない形状で、アスレチックブルマースポーツブルマースクールショーツなどとも呼ばれる。メーカーによってはニットブルマースクールブルマーともいう。

名前の通りショーツのような形状をしており、体操着以外では防寒目的や月経などで衣服が汚れるのを防ぐために、ショーツの上から重ね履きする形で(ブルマーの下履き用のショーツもある)着用されていた。また、パンチラを防ぐ目的でスカートの下に着用されていた。

布の覆う面積は基本的に股間から臀部、おおむね脚の付け根からへそあたりまでを覆い隠すような形状、および丈になっている。形状及び覆う面積は多岐にわたる。

色は濃紺が主流であったが、えんじ色ほか様々で、ブルマーの側面にはなどのラインが入るデザインなど、ジャージー同様に様々なバリエーションが存在する。学校では「スクールカラー」としてやラインの有無を指定する他、学年ごとに色を変えて区別できるようにしている場合もあった。

ゴム仕様が多く、オペロンゴムスパンゴムと呼ばれ、ウエストや脚口にフィットさせる平ゴムタイプ、運動時に腹部にくい込みにくい2重または3重ゴムタイプのものとに大別できる。

主に、前身頃と後身頃というシンプルな構成になっている。製造元によっては一枚布で縫製されたものもある。

ショーツとほぼ同一の丈で、脚ぐりの位置は通常、ラインがウエストラインとヒップラインの中間あたりまで切り込まれ、ハイレグはヒップラインよりやや上まで、ローレグはヒップラインの少し下くらいまでカットされている。ショーツで言うとローレグカットかレギュラーカットとほぼ同じである。

ブルマーは下着のショーツに対し、概ね以下の相違点がみられる。

  • 素材はナイロンポリエステル等の厚地で伸縮性がある。
  • 色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。
  • 腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。
  • 内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。
  • クロッチが必要ないため、二枚布を股の部分で縫製する。
  • 股上が下着に比べて深い。

体育の授業以外でもショーツのように、下着の上に履くオーバーパンツとして着用されることもある。

スポーツ用[編集]

バレーボール[編集]

陸上競技、バレーボール練習用のブルマー

1990年代後半頃までは全日本女子の選手は、バレーブルマーの着用が一般的だった。その後、ユニフォームも大幅に変わり、裾の短いスパッツのようなショートズボンにとって代わった。バレーブルマーは競技の特性上、転がったり滑ったりするのを想定し腰丈(股上)が長く厚手の丈夫な生地が用いられていた。

視聴者参加のスポーツバラエティ番組にも、学校の体育系クラブや会社のスポーツサークルが、練習や試合で着用するバレーブルマーを襟付き長袖シャツとセットで着用して参加することもあった。

近年(2001年から2006年ごろ)、ヨーロッパのクラブチームでは相次いで廃止され、ブルマーを使用しているのはフランスギリシャスペインポルトガルスロベニアポーランドなど、幾つかを数えるのみである。それらのほとんどは日本のバレーブルマーとは異なり、薄い生地でハイレグタイプになっている。南米のアルゼンチンでは今なお(2014年時点では)ブルマーが主流である。

男子でもミュンヘンオリンピックブラジル代表がブルマーを着用したことがあった[映像 1]

陸上競技[編集]

ブルマー型ショーツを着用するエレーナ・イシンバエワ

女子陸上競技の選手、特に激しい動きを要する競走、跳躍の選手においては現在でもブルマーが多用されている。近年は動きやすさを重視し、短距離及び跳躍においていわゆるセパレート型のレーシングショーツの着用が増加している。このレーシングショーツはブルマータイプとボックスタイプが存在し、福島千里のように試合ごとにこれらを使い分ける選手もいる。一方、マラソン、中長距離ではブルマーからランニングパンツ及びスパッツ、被服以上の機能(サーキュレーション、スタビライゼーション、ヒーリング等)も持ち合わせた機能性タイツ(コンプレッションタイツ等)への転換が進んでいる[要出典]。海外では短距離同様のセパレートも見られる。

投擲ではスパッツが主流で世界的に見てもブルマーは少数派。

その他のスポーツ[編集]

1980年代までは女子バスケットボールおよびハンドボールボート競技でもブルマーが用いられていた。また、各学校の女子テニス部ではアンダースコートの代わりにブルマーが着用されることもあった。

文化[編集]

幼稚園、保育園、学校等の着用例[編集]

ずり落ちたり引きつったりせず軽量で、動きに対しても体に密着したショーツ型のブルマーが、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで、女子体操服の代名詞としてブルマーの認識が広まり、小学校中学校高校日本人学校幼稚園保育園などで、指定体操着として採用されるようになった。

体育の授業や掃除の時間をはじめ運動会体育祭)、学芸会、マラソン大会など学校行事においても着用され、大学の運動部などでも使用された[12] [13]

着用の時期は、春から秋まで着用し、冬場は長ズボンを着用して過ごすことが多いが、学校によっては、長ズボン禁止して年中ブルマー必着のところもある[14]。理由として、冬場の寒さや病気に負けない健康的な体づくりと体力向上などがあげられる。

中学、高校では、パンチラ、防寒対策等でスカートの下に穿いているショーツの上からブルマーを着用して腰全体を密着。制服の一部として着用されることもある。

主に「女子限定の体操着」として着用されているが、場所や時期によっては「男女共通の体操着」として女子だけでなく男子も着用されるケースもある。幼稚園、保育園では、男女共用として着用され、田舎の方では男子用の短パンの支給が足りず、女子用と同じタイプのショーツ型ローレグタイプのブルマーを男子にも履かせていた学校もあった[15]。メーカー、ブランドによっては、女子用はもちろんのこと学生販売用に男子女子とも着用できるように丈や股幅、もも廻り、ウエストの長さを調整し、型番まで付けて生産しているところもあった。カンコーではウエスト、脚口がオベロンゴムタイプの濃紺無地のブルマーを「日本中学校体育連盟推奨品」として販売されていた。

水着としての着用例[編集]

海女が、防寒策として下着の上から着用する場合がある。

小学校などで川遊びや遠足、アスレチック臨海学校、遭難時の訓練目的で海洋訓練や着衣水泳の授業が行われ、その際に用いられることもある。運動会、体育祭、持久走大会、オリエンテーリング林間学校などの屋外の行事の最中に大雨が降った場合、水着として体操着一式を着用したまま雨で濡らして全身びしょ濡れにするケースもある。

小学校で体操着を水着として着用した例をあげると、男子が白の水泳帽子、白無地の襟付き半袖体操服に白無地の短パン、ハイソックスに運動靴。女子が白の水泳帽子、白無地の襟付き半袖体操服に濃紺無地のブルマー、ハイソックスに運動靴。水泳大会に出場する児童の壮行会で体育館内の壇上に立って決意表明を行うこともあれば、寒中訓練でバケツ一杯の水をかぶって、全身びしょ濡れになることもある。着衣水泳の授業では、競泳ゴーグルを装着して水泳帽子や体操着、ハイソックス、運動靴まで全身びしょ濡れにしてプールに潜って泳ぐこともある。

正月に行われた仮装大賞では、小学6年生男女児童が出場。演技衣装として体操着一式を着用し、頭に水泳帽子を被って着衣水泳を行う恰好になり、演目で表現する為に自分たちの顔を絵の具でまんべんなく塗り染める。着替えと顔塗りが終わった後、男子は白の水泳帽子、水色に塗り染まった顔、白無地の襟付き半袖体操服に白無地の短パン、ハイソックスに運動靴。女子は白の水泳帽子、水色に塗り染まった顔、白無地の襟付き半袖体操服に濃紺無地のブルマー、ハイソックスに運動靴。水泳帽子に体操着一式という着衣水泳を行う恰好で出場し、本番では自分たちの顔を違う色の絵の具で塗り染めた。演技終了後、男子は白の水泳帽子に水色から黄土色に塗り染まった顔、白無地の襟付き半袖体操服に白無地の短パン、ハイソックスに運動靴。女子は白の水泳帽子に水色から黄土色に塗り染まった顔、白無地の襟付き半袖体操服に濃紺無地のブルマー。ハイソックスに運動靴。体操着に水泳帽子という着衣水泳を行う恰好に顔全体が水色の上から黄土色に塗り染まり、両腕と両脚の肌を晒して寒さをこらえて頑張る姿を見せたこともある[16]

バラエティ番組のチャレンジ企画では、出演する女性レポーターをアタッカーとして各地の行事等に体当たりで挑んで活躍していた。浜名湖うなリンピックでは、21歳の女性レポーターが紅白ハチマキ(白)、白無地の襟付き半袖体操服の上に水色のチョッキを着用、濃紺無地のブルマーで腰全体を密着、白のハイソックスに運動靴という両脚と両腕をさらした格好でうなぎ取りに挑戦。途中で転んで全身びしょ濡れになっても必死になって頑張りぬいたこともある[17]

女子バレーボールは年中ブルマー必着となり、冬場の寒い日でもブルマー穿いて腰全体を密着させて太腿の肌を晒したまま練習や試合に励まなければならない。屋内プール館内に設置されたバレーコートで行われるバレーボールの試合で、水着に裸足の格好で試合に挑む女子に対し、一般参加の女性チームは普段の試合、練習で着用するバレーユニフォーム一式のままプールに入り、全身びしょ濡れになる覚悟で試合に挑んだり、終了後も必着のままシャワーで洗い流して全身びしょ濡れにする等水着として使用されたこともある[18]。また、バレーボール部に所属する女子大生が長袖ユニフォームシャツにバレーブルマー、膝サポーター、ハイソックス、運動靴、頭にハチマキをきちっと締めた恰好で水中に潜り込み、全身びしょ濡れになって泳いだこともある。女子バレーボール選手が練習、試合で使用するバレーユニフォーム一式を「水着」として着用したまま、全身びしょ濡れになって着衣水泳を行った例である。[19]

ステージ、撮影衣装としての着用例[編集]

映画やドラマ、テレビ番組、雑誌、ビデオDVD等の撮影や演劇や音楽ライブなどのステージパフォーマンスでも着用することもある。

1997年3月に放送された番組の中継コーナーでは、テレビ西日本の中継リポーターを担当している31歳の女子アナウンサーが綱引きクラブの取材ならび練習に参加。服装はジャージ上下姿ではなく、小学校で使用する体操着一式を着用し、女子小学生が体育の授業を受ける格好で収録を行うこととなる。

上半身は白無地の襟付長袖体操服を着用して両腕から肩、首まわり、背中、胸、腹まで密着。頭に紅白帽子を赤にして被りゴム紐を顎にしっかりかける。下半身は白無地ショーツ必着に大腿部を晒したまま白のソックス、上履きを履いて足元を整える。最後は濃紺無地のブルマーを白無地ショーツの上から着用し、臀部や下腹部、股間、女性器まで密着させて腰全体を温める。女子小学生が体育の授業を受ける格好になったあとは外へ出て本番をむかえる。

本番は体育館前で行われ、31歳の女子アナウンサーは紅白帽子、白無地の襟付長袖体操服、濃紺無地のブルマー、白のソックス、上履きの格好で大腿部を冷して外の寒さをこらえながらチームの紹介をしたり、館内に入って綱引きの練習に参加するなど必死に頑張りぬいていた姿もみせていた[20]

2014年にダンス&ボーカルパフォーマンスユニット『TEMPURA KIDZ』が、体育館でのPV撮影で体操着を着用。メンバー構成は、女子4人と男子1人の5人編成。

衣装として用意されたのは、丸首半袖体操服、帽子、ハイソックス、運動靴、カラータイツ。女子メンバー4人ブルマーと男子メンバー1人だけ短パン着用の話もあったが、グループに統一感を出す為、女子メンバー4人だけでなく、男子メンバーにもブルマーを着用してもらうかたちとなった。メンバー全員、タイツの上からブルマーを着用して腰全体を密着。当時14歳の男子メンバーにとっては、PV撮影だけでなく、ライブやイベントでも勃起により陰茎がブルマー越しに膨張することもあり、もっこりさせたままでも一生懸命こなしていたこともある。

『熱烈投稿』(少年出版社)や『放課後クラブ』(ダイアプレス)、『COMIC BOY』(日本出版社)などお菓子系雑誌や、『月刊明星』(集英社)、『投稿写真』(考友出版社)、『DUNK』(集英社)等のアイドル雑誌のグラビア撮影でも使用されることもあった。『放課後クラブ』の写真撮影では、雑誌モデルの現役女子高生が体操着姿で二人一組で登場し、冬場の寒い日でも白無地のバレーシャツ長袖体操服に濃紺無地のブルマー、白無地のハイソックスに運動靴の格好で大腿部の肌を冷して寒さをこらえていたこともある。また、高校卒業企画として某高校のバレーボール部に3年間所属していた女子高生の2人も白無地のバレーシャツ長袖体操服に濃紺無地のブルマー、白無地のハイソックスに運動靴の格好で大腿部の肌を冷して寒さをこらえながらバレーボールの練習も行ったり、グラビア撮影も兼ねて並行に行ったケースもある。

1991年に発売された『月刊明星』8月号では、「走り続けてます!町内一の鈍足ランナー。」で、女優の松雪泰子が卒業した高校で使用していた白無地のバレーシャツ半袖体操服に濃紺無地のブルマー、白のソックスに運動靴。おさげ頭に紅白ハチマキをしめた格好でグラビア撮影に参加したケースもある。

性的フェティシズムの対象として[編集]

前述の経緯から現実の校庭からは消え失せたブルマーだが、性的興味の対象として熱狂的なマニアが存在するほか、男性向け作品のフィクションの中では人気があり、萌え属性の一つとして定着している[21]

学園物の成年コミックアダルトゲームの大半や、場合によっては全年齢対象の作品においても、女性キャラクターにブルマーを着用させているケースが見られ、ブルマーに対するフェティシズムを前面に押し出した「ブルマー物」と呼ばれる作品ジャンルも存在する。

「ブルマー物」の場合、ブルマーを知らずに育った世代が増えた現代では、初めてブルマーを知ったという人間も多いと言う。こうしたフィクションでは当然のように使われていたため、現在でもブルマーが学校の体操着として使用されていると勘違いしたままの人間もいた。

現在もコスチュームショップやブルセラショップ、体操着を取り扱っているオンラインショップでは購入可能であり、日本におけるブルセラショップで取り扱われるフェティシズム対象物として、制服と並べて取り上げられる代表格に挙げられるものである[22]。また、収集するマニア(自らが穿くことも兼ねて収集する者もいる)がいるほか、コスプレAVイメクラ性的ロールプレイなどにおいても散見される。ただし、ネット販売でブルマーを扱っていた業者でも、ブルマーの販売を打ち切ったところがある。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e ファッション豆知識 #7 ブルマーと現状と来歴”. 株式会社トンボ. 2019年6月16日閲覧。
  2. ^ Allen Guttmann and Lee Thompson, Japanese Sports: a History, University of Hawaii Press, 2001, pp. 93ff. ISBN 0824824148.
  3. ^ 興水はる海, 外山友子, 萩原美代子、「女子の運動服の変遷: 東京女子高等師範学校に関して」『日本体育学会大会号』第30回 1979年 p.116- , doi:10.20693/jspeconf.30.0_116, 日本体育学会
  4. ^ a b ブルマー恥辱の歴史―「ちょうちん」後、30年続いた「密着型」 “大人の事情”で女子は恥ずかしい思い…(1/3)”. 産経WEST (2017年3月24日). 2019年9月2日閲覧。
  5. ^ a b c d あの恥ずかしいブルマーはなぜ日本中の学校で強制されていたのか? 裏には教育界とメーカーの癒着が(2/3)”. リテラ (2017年4月25日). 2019年9月2日閲覧。
  6. ^ ブルマ―が1960年代から30年間も定着した謎を解く(2/3)”. ダイヤモンドオンライン (2016年12月23日). 2019年9月2日閲覧。
  7. ^ 沿革”. カンコー学生服. 2019年9月2日閲覧。
  8. ^ 中嶋聡『ブルマーはなぜ消えたのか - セクハラと心の傷の文化を問う』P40~43
  9. ^ あの恥ずかしいブルマーはなぜ日本中の学校で強制されていたのか? 裏には教育界とメーカーの癒着が(3/3)”. リテラ (2017年4月25日). 2019年9月2日閲覧。
  10. ^ ブルマー恥辱の歴史―「ちょうちん」後、30年続いた「密着型」 “大人の事情”で女子は恥ずかしい思い…(3/3)”. 産経WEST (2017年3月24日). 2019年9月2日閲覧。
  11. ^ 日本テレビ伊東家の食卓内「教科書にのらないウラ昭和史」
  12. ^ 『学研 学習百科大辞典 12 保健体育 技術 家庭 音楽』、1975年。ブルマー着用の筑波大学ダンス部女子部員の模範演技掲載。
  13. ^ 『写真と図解による最新バレーボール9人制』(大修館書店)、1978年4月1日。ブルマー着用の東京女子体育大学女子バレーボール部員掲載。
  14. ^ 中には、半袖体操服必着のところもあれば、長袖体操服必着とその上に長袖ジャージやスクールセーターを着込むところもある。
  15. ^ メディアに取り上げられた事例としては、1988年の月刊『明星』(集英社)5月号に掲載された、内海光司の幼少時代のブルマー姿の写真がある
  16. ^ 1995年1月1日生放送(18:33 - 20:54)『欽ちゃんの第44回全日本仮装大賞』26番「ワイパー」。
  17. ^ 独占!女の60分』(テレビ朝日) - 立原友香「浜名湖うなリンピック」より。
  18. ^ 1987年11月1日から1988年4月3日まで放送されていたドラマ兼バラエティ番組『美少女学園』(「ずぶ濡れバレーボール」より)
  19. ^ 2003年9月24日放送(18:55 - 21:09)『第3回大会 KUNOICHI2003秋』
  20. ^ 1997年3月放送。「めざましテレビ」(フジテレビ系列)の中継コーナー「日本全国! 朝から大変だ!」より。当時、テレビ西日本の中継リポーターは田中千寿江
  21. ^ 『萌え大全〈Vol.2〉すぽーつうぇあ大全』すぽーつうぇあ大全制作委員会、秀和システム、2009年4月、p.82。ISBN 978-47980222772011年3月20日閲覧。
  22. ^ Ryang, Sonia (2006-10-18). Love in modern Japan: its estrangement from self, sex, and society. pp. p.99. ISBN 978-0415770057. 

資料映像[編集]

  1. ^ OG 1972 Men GDR vs BRA. 国際オリンピック委員会.. (2015年5月27日). 該当時間: 1:55. http://www.youtube.com/watch?v=Zku_G0NDu9M 2013年11月23日閲覧。 

関連項目[編集]