戦闘服

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イラクバグダットに展開するアメリカ陸軍第2歩兵師団所属歩兵たち
ACUを着用している(2006年8月
陸上自衛隊アメリカ合衆国州兵とのCQC訓練の様子
着用した迷彩服や装備に、それぞれの運用思想・形態の違いを見る事ができる

戦闘服(せんとうふく、英語: Battledress/ Combat Dressドイツ語: Kampfanzug)とは、戦闘用に作られた衣服である。

アメリカ陸軍では2014年からACU(英語: Army Combat Uniform、陸軍戦闘服)と呼ぶようになった。

概要[編集]

軍服には当初TPOのよる区別はなかったが、兵士の作業服や将校の略装として通常勤務服が定められるようになった。やがて、通常勤務服が戦闘にも使われるようになったが、迷彩衛生等の必要性から、これまで戦闘の際に着用されてきた正装や通常勤務服、或は作業服とは別に、専用の戦闘服を採用するようになった。迷彩の戦闘服の場合、季節や状況に合わせて複数の被服を支給しなければならないため、軍にとって費用の負担は重くなる。費用節約の目的のみならず急激な季節変化に対応するために裏表で異なる図柄や色彩を施したリバーシブルの戦闘服を採用する場合もある。

現代陸軍の戦闘服では、主に次のような着用品からなっている。

これらを基本とし、各種状況や環境に合わせた装備を装着する。

歴史[編集]

第二次大戦時にドイツの武装親衛隊 (前列の4名) が用いた迷彩服
非常に分かりづらいが、戦闘服に木の葉や枝等を接着したギリースーツなどの狙撃手用特殊戦闘服などもある。

19世紀までの戦闘(とくに正規軍同士の中規模・大規模な会戦)は、わずかな例外を除き接近戦であった。また前近代の火器に用いられる火薬は黒色火薬が主流であり、激戦時には硝煙で視界が不自由になることも稀ではなかった。そのため混戦での敵味方の識別、および指揮官の所在地把握などを容易にするため、派手な原色の軍服が主流であった。しかしライフル銃の登場や無煙火薬の普及をはじめとした銃器の性能向上や軍事技術・科学技術の発展によって、戦闘が白兵戦から遠距離の射撃戦に移行すると、原色の軍服は目立ちやすく、狙撃され易い弊害が生じた。このため19世紀後半から、目立たないアースカラーの戦闘服が提唱された。しかし中世ヨーロッパの甲冑の衣鉢を継ぐ磨き上げられた胸甲や兜、金モールや肩章で飾り立てられた派手で美麗な軍服は、騎士道の伝統に由来した精神的美意識と密接に結びついていたため、各国の保守的な軍上層部は、泥や枯れ草の色をした軍服を身につけるなど軍人としての名誉を棄損するものであるとして強硬に反発した。このため地味な色の軍服の普及は、19世紀から20世紀初頭にかけての数次の戦役で、目立ち易く派手な軍服の弊害が繰り返し証明されてからのことであった。

多くの陸軍の戦闘服の生地は、仮想戦場が森林、平原、密林、砂漠等の地理的条件により目立たない色合が選ばれることが多い。第2次世界大戦頃まで最も多く使用されていた色合いはカーキ色である。これは、インドの自然条件を背景にインド駐箚英軍で採用されはじめ、イギリス正規軍の真紅の制服が仇となりゲリラ戦に苦しめられた第2次ボーア戦争が終結に向かう1902年ころに、英軍全体で使用されるようになった。これにならって各国にも採用されるようになった。 最も成功した迷彩は冬季に降雪地帯で着用する白のオーバーオールであり、これは絶大な効果を発揮した。また純白の戦闘服は他の迷彩服よりは優美であったため、各国においてほとんど反対なく採用されている。

1920年代のドイツでは戦闘服の迷彩として『Splittertarnmuster』と呼ばれる直線で構成された図形を配置するパターンが研究されていた。

その後、生地に複数の色彩で雲形や斑点の模様(パターン)をプリントした迷彩生地が登場した。そして1929年にイタリア軍が迷彩生地を用いたテントを採用、同じ頃ドイツ軍でも研究が進められ、1930年代初頭には迷彩テント及び迷彩服(スモック)が採用された。

この当時の戦闘服は、制服と兼務されており、派手な徽章がついていたが、それを着用したまま、迷彩効果を上げるため、どうしても通常の軍服の上に重ね着するスモックという形を採らざるを得なかったと思われる。このスモックは上着のみで、あくまで応急的な処置であった。

その後ドイツ軍は1944年頃に、迷彩生地でできた制服を開発、正式に配備した。これが迷彩服のルーツであると考えている研究家も多い。これにさかのぼる1940年初頭に、アメリカ軍は各種迷彩生地でできた戦闘服を開発、一部が少数採用され、限定的に使用されたが、試作、研究の域から脱することはなかった。

現代は戦場の埴生や冬季・夏季の季節に応じた多種な迷彩服が多用される。ヘルメット(鉄帽)にも同様の迷彩柄を施した「迷彩カバー」を被せることが一般的である。

海軍は軍艦上、空軍は航空機に搭乗するか飛行場での活動が主となるため、戦闘服を作業服として用いられる事が多い。一部の海軍ではアクアフラージュとよばれる青系の迷彩パターンが採用されている[1]

現代では環境の色彩を数値解析したデータと心理学的要素を考慮し、モザイク状のパターンを使用する『デジタル迷彩』が普及している。

戦闘服は基本的に長袖のみであるため、夏場の恒常業務でも戦闘服の着用が指示される場合には袖を折って半袖にする者もいる[2]

各国の戦闘服[編集]

ディスラプティブ迷彩[編集]

幕末の近代化策において、戦闘服の合理性が重視され、薩長軍においては実用本位のだん袋、筒袖の戦闘服が採用されるようになった。勝海舟はこれを「紙くず拾い」のような服装と揶揄している[3]。また必ずしも迷彩をでは意図したものではないが、幕府軍も菜っ葉隊(若菜隊)とよばれる緑色の軍装を採用した部隊を設立している。

初期の戦闘服はオリーブグリーンやタン一色の目立たないものだったがウッドランド迷彩やDPM迷彩などの柄によって輪郭を崩すパターンが登場した。また、近年の迷彩は、輪郭を崩すだけでなく背景との同化も考慮されたものが主流となっている。

第二次世界大戦後にフランス軍でウッドランド迷彩に酷似したCamouflage Europe Centrale(CEC)が採用され、スウェーデン軍では1990年よりスプリンター迷彩風のパターン『M90』が採用され、ブルガリア陸軍ではDPM迷彩を自国の自然環境に適するように変更したものが採用された。戦終結後の1991年頃に陸上自衛隊では迷彩服2型が採用され、2007年以降、迷彩服2型のマイナーチェンジモデルである迷彩服3型が配備されている。

そ冷戦終結後の1991年頃に日本全国の植生において迷彩効果の高い新型迷彩服(迷彩服2型)を採用するに至った。2007年以降、迷彩服2型のマイナーチェンジモデルである迷彩服3型が配備されている。

航空自衛隊でも、青磁緑色の「作業服」のほか、迷彩柄の「迷彩服」(陸自とは別パターン)が用いられる。なお海上自衛隊は警備職種等、迷彩服を着用する必要性の高い隊員のみ、陸上自衛隊と同様のパターンの迷彩服を着用している。

デジタル迷彩[編集]

カナダ軍が1990年代に迷彩効果が高いデジタル迷彩であるCADPATを採用し、以降デジタル迷彩を採用する国が登場した。ロシア連邦軍ではデジタルフローラと呼ばれる迷彩が採用され、フィンランド国防軍ではM05迷彩が採用されている。中華人民共和国では07式军服が採用されている。

米軍のデジタル迷彩[編集]

アメリカ陸軍では、2005年4月以降、ACU(Army Combat Uniform、陸軍戦闘服)と呼ばれる全地域型迷彩服の配備を始めている。なお、米軍の通常勤務服装については軍服 (アメリカ合衆国)を参照。

海兵隊ではMarine Corps Combat Utility Uniform(MCCUU)を使用し、森林用と砂漠用がある。

海軍が2010年から導入したデジタルパターンのアクアフラージュを採用するNavy Working Uniform(NWU)のタイプⅠが不評であったため、配色を緑系としたタイプⅢに移行すると発表した[1]

空軍では地上の作業員はグレー系のデジタルパターンを採用したAirman Battle Uniform (ABU)を使用する。

海軍と空軍では戦闘服を作業服として用いる事が多い。

拡張式寒冷地被服システムの迷彩も戦闘服と同時に更新されている。

マルチカム[編集]

ACUで用いられたUCP迷彩が軍内で不評であったことからACUの迷彩がマルチカムに変更された。ACU戦闘服およびマルチカム迷彩は改良され、改良された迷彩はOperational Camouflage Pattern(OCP)として採用された(戦闘服は改良後も名称の変更はされていない)。

米陸軍以外ではイギリスでMulti-Terrain Pattern(MTP)、オーストラリア軍でAustralian Multicam Camouflage(AMC)、スロベニアでSLOCAM(正式名称ではなく渾名に近い)、デンマーク軍でM/11として採用されている。なお、イギリス、オーストラリア、スロベニアではマルチカムをベースとした異なる迷彩を採用しているがデンマークはマルチカムをそのまま採用している。

派生語[編集]

なお、戦闘服という言葉は「勝負服」としてホステスなどを中心に仕事着の意味を持って使われていた時代もあった(今も稀に使う者がいるが、事実上廃語に近い)。

脚注[編集]

関連項目[編集]