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ジーンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジーンズ
ジーンズを男性が着用した様子

ジーンズ英語: jeans)とは、デニム生地や他の生地でできたカジュアルなズボン[1]やスカート。特にブルーのもの。

概説

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ジーンズとはジーン(デニムと同義)製のパンツのことである。後述するようにジーン(jean)の複数形が名称とされている。(ちなみにチノーズ(通称チノパン)も使用されている生地(チノクロス)の複数形[2]

ジーンズの生地の拡大写真
ジェノヴァ産の「ジーンズ」 (1850〜1900年ごろ)

年齢や性別を問わず幅広い消費者に受容されたファッション衣料であり、服飾のみならず社会学の対象となることもある[3]デザイナーブランドの高級品も一般向けの廉価な商品も作りはほぼ同じだが、生地や縫製、部材など、おしゃれかどうかを決定する上では判別することは難しく、細かい違いによって、多様な消費者層を作り出している[3]

呼称

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そもそもデニム生地で作られた作業着は広告やパッケージングにおいて、Overalls(オーバーオールズ)と呼ばれていた。ジーンズという呼称は、50年代に入ってから当時の若者たちの間で呼ばれ始めたもの。それまでは例えばリーバイス社は、最初のジーンズ誕生時から、伝統的に501をOveralls(オーバーオールズ)と呼称しており、ジーンズとは呼ばれていなかった。日本人による初のデニムブランド、山本被服のブランド名がスターオーバーオールである事もジーンズと呼ばれ始める1950年代以前の創業であることによる。(つまり、それだけ創業が古いという証明でもある)その後、ジーンズという呼称が普及し、全ての製造メーカーで使われる用語となった。

「デニム」の語源はフランス語の「serge de Nîmes(セルジュ・ドゥ・ニーム)」であり、「(フランスの)ニーム綾織り」といった意味の表現である。ニームの地のアンドレ一族がすぐれた綾織りの布地を作っており、布地はしばしば産地の名で呼ぶ習慣があるので、この表現の「de Nîmes(「ニームの」「ニーム産」という意味の部分)」だけを残す形で短縮され、「denim」という表現が生まれた。また、この「セルジュ・ドゥ・ニーム」と呼ばれる生地はイタリアのジェノヴァから各国に輸出されたので、産地の「ジェノヴァ」を指す表現は、中世ラテン語では「Genua」と呼ばれ、当時のフランス語(中世フランス語)では 「Gêne(ジェーヌ)」であり、この中世フランス語「Gêne」が英語に入り「jean」という表現が生まれた。

英語では脚に着用するものは、左脚と右脚は別にして考え、socks ソックス(靴下)、pants パンツ、shoes)のように複数形にするものが多いが、これもjeansと複数形になっている。

日本では現在でも使用されるジーパン、そして戦後から1980年代中盤まではジン、ジーン、ジンズ、ブルージン、ブルージーンといったインディゴ染めのブルー・ジーンズの表記揺れに近い言い方[4][注 1][注 2][注 3][注 4]がされるケースが散見された。ジーパンについては『G.I.(アメリカ軍軍人の俗称)またはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の人々が履いていたパンツでGパンとなった』とする説、『ジーンズを日本に紹介した人物が、ジーン (jean) のパンツの意味で「Jパン」と名づけようとしたが、元の発音に近いジーパンを代用した』とする説[5]がある。

デニム生地製の上着denim jacket(デニム・ジャケット)あるいはjean jacket(ジーン・ジャケット)である。日本でも、1950年代から1970年代半ばまでは「デニム・ジャケット」又は「デニム・ジャンパー」と呼ばれていたが、1980年代に入るとすっかり(「ジーンズ・ジャンパー」の略の)「ジージャン」という呼称が定着し、「ジーン・ジャケット」と呼ばれる事は減った。

歴史

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米国

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ゴールドラッシュに湧く北米の鉱山で働く多くの鉱夫の悩みのひとつは、作業中にズボンパンツ)がすぐに掏り切れてしまうことだった。1870年、仕立て屋のジェイコブ・デイヴィスは、既に設立されていたリーバイス社のリーバイ・ストラウスから仕入れたキャンバス生地を用いて銅リベットポケットの両端を補強した仕事用パンツ(ワークパンツ)を発売し、これが鉱夫らの好評を博した。ジーンズは最初、鉱夫らの作業着であった。

特許明細書中の図案

類似品が出回ることを危惧したジェイコブは、このリベット補強済みパンツの特許を取得しようとしたが必要な資金が無く、権利を折半するという条件でリーバイ・ストラウス社に特許申請を依頼し、特許申請は1873年5月20日に受理され、この「リベット補強済みパンツ」はリーバイ・ストラウス社製の製品として製造販売された。このパンツがジーンズの原型である。

ジーンズを着用して働く労働者たち(1933年ころ、メリーランド州)

1890年に「リベット補強済みパンツ」の特許は期限が切れ、そのアイディアは社会の共有財産となり、誰でもそれを製造してよい状態となり、多くの会社がリベット補強のパンツの製造・販売を開始した。

ジーンズの特徴のひとつである(特に擦り切れやすい箇所である)ポケット端を補強するリベットボタン。古くは製だったが、今では真鍮製が多い。

1900年代に入り、素材はキャンバス生地からインディゴ染めのデニム生地へと変遷し、縫製技術の進化等により1940年代には現在のジーンズとほぼ同様のデザインとなった。

1952年のジーンズの販売促進用(広告用)写真。女性の手に枯葉などを取り除く掃除道具を持たせている。
1960年代に活躍したSwinging Blue Jeansというイギリスの音楽グループ(1965年)。
ジーンズを着用して鉄骨を組む作業をする建設現場の労働者たち(2006年、米国マサチューセッツ州)

1953年の映画『乱暴者』で主演のマーロン・ブランドがLevi's 501XXを、1955年の映画『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンLee RIDERS 101を着用した。これを見た若者が影響を受け、ジーンズは(米国の若者なりの主張を込めた)ファッションとして普及していった。当時米国では「反抗的な若者の象徴」と見なされたため、ジーンズの着用を禁止する学校が多かった。

現在では、単にカジュアルウェア、カジュアルウェアの中でもかなりくだけたもの、として着用されることが一般的で、1950年のように象徴的な意味が意識されることはほとんどなくなった。ただし、一般に正装とは見なされない。式典、格式の高いパーティなどではドレスコードで「ジーンズ着用者は入室禁止(参加不可)」とされることはしばしばある。また、一部では「アメリカの象徴」とされることがあり、韓国と北朝鮮の軍事境界線にある板門店では、ジーンズを穿いた韓国側からの観光客を、北朝鮮が「韓国はアメリカの手先」とプロパガンダに利用する恐れがあるとし、着用を一切許可していなかったことがある。一方、ドイツでは1997年、バイエルン州警察が男女警察官の通常勤務服ズボンとしてカーキ色のジーンズを追加採用している。従来型制服のスラックスが女性警察官の体格に合いにくいことに対処したものである。

日本

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1923年(大正12年)山本彦太郎、ゑき夫妻がアメリカで「[STAR OVERALL MFG CO.]」を創業、日本人による初のデニムブランドとなる。 1926年(大正15年)生地の仕入れ方法、裁断、縫製など全ての技術を手に帰国。静岡県沼津市にて作業服製造販売会社「合資会社山本被服製造所」を創業した。民間企業としては日本初の工業被服工場となる。 1931年(昭和6年)に商標登録。

1945年の敗戦後にアメリカ軍 (GHQ) が放出した古着の中の大量のジーンズ、そして一気に流入したアメリカの映画や音楽等が普及のきっかけとなった。1950年頃の東京には7000件以上の中古衣料の店舗が存在し、中でも台東区のアメ横に多数存在していた。具体的には1948年にアメ横で創業した店舗のマルセルは当初より中古ジーンズを取り扱いの中心としており後に日本最初のジーンズ専門小売店とされている。また近隣の店舗(ヒノヤ、アメリカヤ、ロンドン※いずれも当時の屋号)らも後に続いた。中古ジーンズの需要は地方でも高まり、トラックに積まれて巡回販売されていた。[6]

また戦後、首相特使としてサンフランシスコ講和会議に随行した白洲次郎は、ジーンズを穿いた記録が残る初めての日本人として知られ、1951年PXで購入したジーンズ姿で寛ぐ写真が公開されている[7][8]

1957年には米国製品輸入規制の段階的緩和を受けて、それまでは中古ジーンズの輸入を行なっていた栄光商事がリーの新品ジーンズの輸入販売に着手、新品の糊の効いた硬いジーンズは電気洗濯機の普及以前という事情もあり顧客には不評で、販売前に洗い加工を余儀なくされたという[6]。その後、堀越商会や大石貿易などリーバイスやリー等と独自に販売契約を結ぶ業者が続々と現れ、大量のジーンズが日本に流入した。[7]

黎明期の主な国産ジーンズブランドの概要については以下の年表にて説明する。

関連ブランド 主なトピック 備考
1940年 岡山県児島市でマルオ被服が創業[9] BIGJOHNの前身
1947年 東京都日暮里で常見米八商店が創業[10] EDWINの前身
1950年 岡山県倉敷市で山尾被服工業会社が創設[11] BOBSONの前身
1951年 EIGHT-G 東京都で高畑縫製が創設[12]
1958年 BIGJOHN マルオ被服がジーンズの輸入、受託生産を始める[9] 輸入されたジーンズは解体され日本人向けに再縫製されて販売された[13]
1960年 EIGHT-G 高畑縫製にてEIGHT-Gブランドのジーンズの生産が開始される[14] EIGHT-Gは日本で初の国産ジーンズと主張。
1961年 EDWIN EDWINブランドのジーンズの生産が開始される[10] 創業者の常見米八は息子をジーンズ生産の技術を学ぶために取引先であったマルオ被服に弟子入りさせていたという。
1963年 CANTON 同年の織物素材輸入自由化を受けて大石貿易がCANTON COTTON MILLS社製のデニムを輸入、伊勢崎市にあった渡辺縫製へCANTONブランドのジーンズの生産を委託[15] 当初販売していたジーンズは未洗い状態のため前述のとおり不評。対策として洗い済みのジーンズを販売し一般店舗の販売では好評を得たが、当時格式が高いとされた百貨店からは拒否反応があったという。
1963年 CANTON 大石貿易が高畑縫製へCANTONブランドジーンズの生産を委託[14]
1963年 EDWIN 359BFの生産を開始[10] EDWINは世界初のワンウォッシュジーンズと主張。
1965年 CANTON 大石貿易がマルオ被服へCANTONブランドのジーンズの生産を委託[9] マルオ被服製のCANTONジーンズは関西のみ流通させる取り決めがあった。
1965年 CANTON マルオ被服は洗い加工を施したCANTONブランドのジーンズを販売[9] BIGJOHNは世界初の洗い加工と主張。
196x年 CANTON 大石貿易が山尾被服工業会社へCANTONブランドのジーンズの生産を委託[16] その後のCANTONブランドは1988年に株式会社サカイが大石貿易から取得、1994年まで株式会社サカイ企画の製品を販売(生産は大石貿易)[17]

2008年には豊島株式会社がブランドを取得し、CANTON OVERALLSを展開。

1967年 BIGJOHN CORN MILLS社製のデニムを使用して、BIGJOHNブランドのジーンズの生産を開始[9]
1970年 BOBSON BOBSONブランドのジーンズの生産を開始[11]
1972年 WRANGLER ヴァンヂャケット東洋紡三菱商事の三社合同でラングラー・ジャパンを設立 日本国内向けに独自企画のWRANGLERブランドの製品を生産販売した。

1970年代に入るとアメリカで隆盛していたヒッピー・ムーブメントの重要アイテムの一つであったことも流行の後押しをした[18]。その後1971年には1500万本のジーンズが売れ、1973年には4500万本と日本国内のジーンズ市場は急拡大を見せた[7]。一方で、1970年に米国で布地の輸出が規制され、さらに1971年のニクソン・ショックによる円高でアメリカ産デニム生地は品薄・価格高騰となり、クラボウは広島のカイハラと組んで国産デニムを開発、アメリカ産と遜色ない出来に米国リーバイスからも発注を得た[7]。1972年にはリー・ジャパン(堀越商会)[注 5]、日本国内でも上記に挙げたブランド以外のジョンブル、キャピタル、ベティ・スミス、バイソン他大小様々なブランドが出現、1970年代半ばには大手三社だけで300億円近くを売り上げる市場規模に成長した[7]

1970年代以降は男性のみならず、若い女性もジーンズをはくようになった。1977年大阪大学でアメリカ人講師がジーンズを履いた女学生を教室から退室させたことから「阪大ジーパン論争」が起こった。この論争は「ジーパンは作業着で、女性には似つかわしくない」という講師と「ジーパンはもはやファッションの一部」という女学生の主張が真っ向から対立し、最終的に講師が阪大を去るという結果となった[19][20]

1980年代には1950年代のリーバイス501などビンテージジーンズのブームが始まり、アメリカの古いジーンズが大量に輸入され、1990年代には数十万円を超える高価で取引されるまで沸騰した[21]。それにともなって、ビンテージモデルを再現した新しいジーンズのリリースも始まった[21]。1980年にビッグジョンが日本初のセルビッジ・デニムを使ったビッグジョン・レアを発売(布幅の狭いセルビッジデニムは手間がかかり大量生産に向かないため本国米国では廃れていた)、売上的には失敗したが、そのセルビッジ・デニム開発を手掛けたクラボウはその自社デニムをフランスのブランドに販売、このフレンチ・ジーンズをきっかけに、1987年にはリーバイス・ジャパンはクラボウのデニムを使って自社の1936年型501XXのレプリカモデル701XXをリリースした[21]。大阪アメリカ村では、のちに「OSAKA5」と呼ばれる5つのショップが相次いでレプリカジーンズやビンテージの風合いを持つジーンズを相次いでリリースした(1982年田垣繁晴ステュディオ・ダ・ルチザン、1988年林芳亨ドゥニーム、1991年山根英彦エヴィスジーンズ、1992年辻田幹晴フルカウント、1995年塩谷兄弟ウエアハウス[22][21]。なお、セルビッジ・デニムを復活させたクラボウはその後も開発を続け、1985年に、大量生産時代以前のムラ糸(ジーンズ愛好者が好む「縦落ち」と呼ばれる色落ちを可能にする)を現代の技術で復活、セルビッジ・デニムでは日本は世界をリードするに至った[21][23]

こうしたビンテージにこだわるレプリカジーンズは世界的となったが、2007年にリーバイス・ストラウス社が日本のジーンズメーカー10社以上を商標権侵害で訴える騒ぎがあり、レプリカブームは過ぎ去った[24]。セルビッジデニムを使った高額なプレミアムジーンズのブームも終わり、2009年にはGUが990円のジーンズを売り出し話題となった[21]

インディゴ染料

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インディゴ染めのデニム生地が使用され始めた理由として蛇や虫除けの効用を挙げる説がある。しかし微量ながらピレスロイドが含まれている天然には、ある程度の除虫効果があるが、不純物の無い純粋インディゴ(合成インディゴ)にはそのような効果はない。

またインディゴ染料にまつわる俗説として「昔のジーンズには天然インディゴが使用されていた」というものがある。事実は、1900年代のはじめ頃よりインディゴ染料は化学合成されたものがほとんどであり、ヴィンテージ・ジーンズはすべてこの合成インディゴで染色されていた。この説は1990年初頭までは雑誌や古着マニア等の間でまことしやかに流布されていた。逆に現在では高価ながらも少量生産のメリットを生かした天然インディゴ染めのジーンズがいくつかのメーカーから製造販売されている。

2008年9月14日に日本テレビで放送された『世界の果てまでイッテQ!』の企画で、「ジーンズをはいてるとガラガラヘビに噛まれないって本当なの?」というテーマで東貴博福井未菜アメリカ合衆国テキサス州に赴き、東が天然インディゴ染めのジーンズを履いてガラガラヘビ10匹がいるセットを通過すると、当初は襲ってこなかったが、結局飛びつかれた。また、2009年5月23日放送の所さんの目がテン!では合成インディゴ染めのジーンズだと噛まれたが、天然インディゴ染めだと噛まれないとの結果が出ていた。

生地の厚み

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ジーンズが店舗で積まれた状態

オンス (OZ) 」という単位で表され、ジーンズ1本の重さではなく1平方ヤードの生地の重さを表したもの。1オンス = 28.3グラム弱。1平方ヤード = 0.84平方メートル

一般的には14オンスほどの厚みが多く、しなやかな履き心地がある。厚いほど生地は硬くゴワゴワし、馴染むまで時間がかかる。その硬さは洗濯して天日干しすると、壁に立てかけられるほどである。まさに丈夫で破れにくいのだが、夏場は非常に暑い。過去、1980年代にリーバイス ジャパンが15オンスデニムのモデルを販売していた。一方作業着ではなく、ファッションアイテムとしてのジーンズでは12.5オンス、11オンスなどがある。

シルエット・スタイル

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  • 5ポケットパンツ
    • 前部に左右のポケットとコインポケット、そして臀部の左右のパッチポケットの計五つのポケットを備えたパンツのこと。いわゆるジーンズの基本デザインであるが、デニム以外の多種多様な素材もよく用いられる。
ベルボトム
スキニージーンズ

ダメージ加工

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ダメージジーンズの一例。

ジーンズに穿き込んだ印象を与えるための加工の一種。当初は何度も洗って色を落としたり軽石ややすりで擦るなどの方法が一般的であったが、やがてナイフで切り裂く(英語圏ではRIPPED DENIMと称する)、漂白剤で浸す、接ぎ当てをする、弾痕状の穴を開けるなど、過激な加工方法が施された製品も出現した。このような加工が施されたジーンズはダメージパンツ、ダメージデニム、クラッシュデニムと呼称される。

ケミカルウォッシュ

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ケミカルウォッシュのジーンズの一例。

ケミカルウォッシュ(ケミカルブリーチ)は、洗剤(漂白剤)と砂利大の樹脂塊などを共に洗濯機で攪拌する等したダメージ加工の一種で、日本では1980年代後半に流行した。

一般的なファッション・シーンにおける流行が一巡し終焉を迎えると、ケミカルウォッシュの特徴的な質感が「サシの入った牛肉」のそれに酷似していることから「霜降りジーンズ」などと呼ばれ、時代遅れのアイテムとして侮蔑的に扱われるようになったが、2010年代以降の「80年代テイストファッション」が流行すると、10代向けの商品として再流行した。

洗濯

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ジーンズも衣服であるので着用し汗・皮脂などを吸い込んだりよごれ・ほこりが付着した後には洗濯するのが一般的であるが、生地の表側が洗濯機の内側に擦れて痛むのを嫌い、洗濯時には裏返す事もある。

また、洗剤の中には、蛍光剤漂白剤が入っている場合があるので、「色落ちを防ぐため」と考えて、それらが含まれていない洗濯石鹸や中性洗剤を使用する者もいる。それらを含まず「ジーンズ専用」と謳った洗剤も売られている。洗剤類を入れず水洗いで済ませる者もいる。なお、実はジーンズの色落ちは洗濯よりもむしろ日光(の紫外線)に当たること(「アタリ」とも)によるところが大きい。それを避けようと、裏返しに干したり、陰干しする者もいる。

中には色落ちや「不格好な皺」(と彼らが考えるもの)ができるのを嫌うあまり「洗濯しない」者すらいる。

用語

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ステッチ
縫製糸または、縫製のこと。ジーンズに用いられる縫製は、バータック(後述)を除くとシングルステッチとチェーンステッチに大別される。黄色またはオレンジ色の糸が大半だが、カラージーンズなどではジーンズの色に合わせたステッチも存在し、そちらは糸の色が目立ちにくい。
パッチ
ウエストバンドの後ろにつく革や紙製のラベルのこと。主にブランド名やサイズなどが表記されている。復刻版でない古着ではそのデザインや字体からおおよその製造年代を判別することができるが、紙パッチの場合消失したりして困難なこともある。
コインポケット(ウォッチポケット)
ジーンズ前面右手ポケット上部に付いている、デニムで出来た小さなポケットのこと。もともとは懐中時計を収納するためのウォッチポケットであり、スラックス前面右ポケット内にあるウォッチポケットと同じ目的で付けられているのだが、腕時計の普及に伴い使用されなくなっていった。現在の名前のとおり硬貨を入れるために流用することも出来るが、もともと懐中時計1個をぴったり収めるだけの用途であったためポケットにマチが付けられておらず、実際に硬貨を収納するにはスペースがほとんどないに等しい。よって一種の装飾部位として仕様だけが引き継がれている。
リベット
ポケットの端など力のかかる部分を補強するために打ち込まれた鋲のこと。ジーンズ誕生の要。金属製で(コパーもしくはカパー。赤銅色)が素材として用いられる。ほかには(黒褐色)やアルミニッケル(銀色)、真鍮などの合金が生地の色などに応じて使われることもある。また形状もブランドによって異なる。現在はカンヌキと呼ばれるバータック(ジグザグのステッチ)で代用される場合もあり、リベットが無いジーンズも存在する。1937 - 1966年のリーバイスジーンズでは、鞍を傷つけないためにバックポケットの補強部分については生地の内側から打たれた「隠しリベット」が用いられた。1940年代までには股部分にもリベットが施されていた(クロッチリベット)。
スレーキ
フロントポケットの袋布に使用される素材名。堅牢な綿素材が一般的。
右綾・左綾
デニムの綾目の方向のこと。一般的には右綾が用いられる。左綾のジーンズは Lee が有名。それぞれ色落ちや、収縮率の大きいジーンズでは脚部の捩れなどに違いが出る。
シンチバックル(バックシンチ、尾錠)
後ろの腰部分に付けられたウエストのサイズを調節するバンド(アジャスターストラップ)。ワークウェアとしての位置付けが強かったジーンズ黎明期ではサスペンダーと共にもっぱら取り入れられていたが、ファッションウェアとして傾向するにしたがってベルトによってウエスト調節をするのが主流となり、リーバイス501では第二次世界大戦中に発売したモデルを契機に仕様から外された。ただし現在でも仕様の一つとして、シンチバックルが取り付けられたジーンズが様々なメーカーから販売されている。ワークウェアに限らずベルトではなくサスペンダーを使用していた時代のパンツにおいては一般的なサイズ調整用のパーツであり、また1960年代の日本において巻き起こったアイビー・ブームでは重要なディティールの一つであった。
タブ
ヒップポケットの回りなどに縫い付けられたブランドを表す織りネーム。リーバイス・ジーンズでは右ヒップポケット左上に赤、オレンジ、白などのタブが付く。リーのタブは右ヒップポケット口ステッチ内に、ラングラーでは主にバックヨークのダブルステッチ内に縫い付けられている。なお混同され易いが、タグとはジーンズ内部に付けられる品質表示や注意書きのラベル(インサイドネーム)、または外部に付けられるハングタグなどを指す。
大戦モデル
第二次世界大戦中のジーンズのこと。物質統制により簡素化されたディテールが特徴。
バックヨーク(サドルバック)
腰の切り返し部分、すなわちウエストバンドとヒップの間の鈍角二等辺三角形の部分のこと。ジーンズ形成の上で重要な部分である。
セルビッジ(アメリカ英語: selvageイギリス英語: selvedge
ウール生地だが、縁がこの生地のセルビッジ
耳とも呼ばれ、生地の両端のこと。シャットル織機は織り幅が36インチ前後と狭く、ジーンズを縫製するために効率よく生地を裁断するとこのセルビッジが両足の外側に回されることになる。そしてジーンズが脇割り縫い仕様である場合このセルビッジが特徴的な色落ちをもたらす。英語圏ではジーンズに限らず広く用いられる裁縫用語で、語源は中世英語のselfegge(現代英語の正書法ではself-edge)であり、最初の使用例は15世紀に遡ることができる[26]
赤耳
赤いステッチが入っているデニムのセルビッジのこと。裾の裏側で確認できる。古いリーバイスジーンズの特徴の一つであったが、1990年代以降のオールドリーバイス復刻モデル(レプリカまたはリプロダクト)や、他メーカーでもヴィンテージ様に作られたジーンズでは現在もよく見られる。
脇割り縫い
縫製方法の一つ。ジーンズに限らず一般的なスラックスに用いられる。対義語はインターロック(合わせ縫いの後生地の端を割らずにかがり縫いする縫製)。
バータック
ジーンズの前フライ下股部分やヒップポケット両側上端、ベルトループの縫製などに用いられる棒状の補強縫製のこと。ステッチの形状が棒=バーのようであることからバータックと呼ばれ、日本ではカンヌキ(止め)などの呼び名も使われる。リーバイスジーンズは原型では股の部分やヒップポケットがリベット補強されており、1950‐1960年代にリベットの廃止に伴ってバータックに変わった。横一文字またはそれを平行に並べるのが基本だが、ヒップポケットなどに×印形のバータックを施すブランドもある。
ボタンフライ
フロント部がボタンになっていること。リーバイス501が代表的。防縮加工技術が開発される前は、ほとんど全てのパンツはボタンフライであった。
ジップフライ
フロント部がジッパーになっていること。
トップボタン
ウエスト部を留めるフロントボタンのこと。ジップフライのジーンズではボタンは1つしかないが、ボタンフライの場合は一番上に付くボタンとなるのでこう呼ばれる。表面にブランド名が刻印されるのが一般的。ラングラーはフラットな面のトップボタンを採用し、そこにロープ文字をイメージしたブランドロゴが刻印されている。これに対しリーバイスは表面が複雑なレリーフ状のデザインとなっており、裏側留部には生産工場番号が刻印される。
ヒップポケット
バックポケットとも言う。ヒップの部分に大抵左右一対となるよう設けられた大き目のポケット。五角形のものが多いが、Leeの楯形や、長方形、変則六角形、U字形のもの、また近年はフラップ付き(ダミーも含む)のものも見られる。リーバイスのアーキュエットステッチ(弓引き形)や、ラングラー、エドウインのW字ステッチ、LeeのレイジーS のようにブランドを表すステッチが施されることが多く、これは補強布を縫い付けるためのステッチが起源である。
ヴィンテージ
フランス語でワインの生産年のことである。特に豊作の年の極上ワインを「Vintage wine」と称することから、ジーンズの過去の名品を総称してヴィンテージジーンズと呼ぶことがある。年代や状態にもよるが、ヴィンテージジーンズは一部の愛好家の間で高値で取り引きされ、希少性の高い古い年代のデッドストックでは数百万円という値が付けられる事もある。
ダメージジーンズ
ファッション性を高めるために傷や汚れ、脱色といった加工を加えたジーンズ。
アタリ(英語: fades
ジーンズの腿、膝、ヒップ、裾など突出した部位の色落ちおよびその部分を指す言葉。デニム表面が色々なところに擦れて=当たって色落ちすることから。裾のアタリは纏りがシングルステッチだと縦じわ状に出るが、チェーンステッチでは斜めに出る。
ヒゲ(英語: whiskers;日本語のヒゲを輸入して英語: higeとも言う[27]
ジーンズの腿の付け根周辺に出る筋状の履きじわが、履き込む過程で擦れてできる色落ちのこと。形状が猫のヒゲに似ていることから。
蜂の巣(英語: honeycombs
ひざ裏のしわによってできる、ひざ裏部分の色落ちのこと。裏ヒゲとも呼ばれる。
ディナージーンズ
1979年 - 1982年頃にニューヨークやフランスで流行った、主に女性用のディナーの際に着用してもおかしくないドレスアップされたジーンズの総称。高いウエストは締まりヒップラインを強調しサイステッチやバックポケットのステッチに凝っている。サスーンやカルバン・クライン等の製品が有名であった。
リジッド
防縮加工を施していない、未洗いの状態で出荷されたジーンズを主に指す。ノンウォッシュや生デニム等と称される事もある(特性等については下記のLevi's501を参照)。また防縮加工デニムであっても、生地に洗いがかけられておらず糊がついたままの生の状態を表す。
ストーンウォッシュ
ジーンズのユーズド加工の原点である洗い加工の手法。ジーンズを軽石と一緒に洗うことで、石とデニムの表面が擦れてジーンズ全体が中古感のある色落ちとなる。1970年代後半にエドウインが始めたのが最初。なお洗い(ウォッシュ)に関しては、概ね色の濃い方から リジッド - ワンウォッシュ(リンス) - ストーンウォッシュ - ケミカルウォッシュ - ブリーチ という順になる。洗い加工はブルージーンズに限らずブラックジーンズなどにも行われる。近年は部分的に色を落としたり、汚れのような染色を加えるユーズド加工もよく行われる。
後染め
製品染めとも言う。先染めに対する言葉で、布(生地)を織り上げてから染色すること。メーカーから発売されるカラージーンズは大抵、大元がホワイトジーンズでこれを後染めして作られる。ショップによってはブルージーンズをも後染めして販売している。なおブラックジーンズには、全面的に後染めされたリアルブラックと、ブルージーンズの縦糸を黒に変えたブラックデニムで作られるもの(先染め)の2種類がある。
フラッシャー
新品の販売時にジーンズの右ヒップポケットの辺りに取り付けられている、大きな紙製の一種のラベルのこと。正式にはバックポケットフラッシャーと言う。またフラッシャーとは別に、ベルトループから下げ札(ハングタグ)が吊るされたりウェストバンドに縫い付けられることもある。デッドストックにはこれらが残っているものが比較的多い。

ジーンズブランド一覧

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世界三大ジーンズブランド

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ジーンズはお尻側のベルトとおしあたりに製造・販売する会社やブランドを表示するタグ(一般に薄茶色の四角い皮革・布・合成樹脂など)がつけられているものが一般的である。

各国のジーンズブランド

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日本三大ジーンズブランド

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その他の日本産ジーンズブランド

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特に有名なモデル

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LEVI'S

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501
リーバイ・ストラウス社の代表的な製品。1890年に自社製品へのロットナンバー(品番)付番制度を導入したのをきっかけに誕生。501 は当時の最高品質デニム生地であるXX(ダブルエックス=エクストラ・エクシード)デニムを使用する製品に与えられた品番である。現在、501は商標登録(ジーンズカテゴリー)がされており単なる品番ではなく商品名となっている(よって "501(R)[注 6]"と表記されることが多い)。縫製技術の進化等により細部に変更を加えられながら現在まで製造販売が継続されている。なお日本では主に「ごーまるいち」と呼ばれるが、英語での呼称は「ファイヴ・オー・ワン」である。
特徴は前開きがボタンフライであること、使用しているデニム生地が防縮加工がされていないこと。このため洗うと数インチ(比率で言うと8%または10%)縮むことを考慮して購入するのが 501を穿く上での常識である。この前時代的な特性をリーバイスは「シュリンク・トゥ・フィット」、つまり洗濯を繰り返すことで身体に馴染んで行くと説明している。このデニム生地はコーンミルズ01デニムと呼ばれ、一時期であるが腰部の紙パッチに 501-0117 (17は色コード。ブルーの 501では他に13や15もある)などと印字された製品も流通した。しかし1980年代あたりからの多彩なバリエーション(洗い加工:同じ01デニムでも収縮率が小さい、異素材使用:例えばブラック・ホワイトはプリシュランクの06デニムまたは59デニム、色コード51(白)‐60(黒))の展開等により、既に「シュリンク・トゥ・フィット」の特徴を備えるオリジナルリジッドの 501は 501(R) という製品の1バリエーションに過ぎなくなっている。なお、レディスモデルはアメリカ製が 17501または26501、近年のものは W501という型番になる。また、かつてはステューデントモデルの 701(ヒップポケットが縦長)や、廉価版のオレンジタブ 20502が生産されたり、ロングレングスのものが 1501や2501と表記された時期もある。
かつては大部分をアメリカ、一部をイギリス、フランスで生産していたが、今ではメキシコ、フィリピン、ドミニカ共和国等に生産が移管されている(2004年1月にアメリカの自社工場は閉鎖)。また旧型501の復刻版等の仕様が特別な製品の中には、アメリカ(外注)や日本で生産されたものもある[注 7]
日本においてはリーバイス社のジーンズという認識はあったものの品番としての 501 の認知はされておらず、メディアにおける紹介もMEN'S CLUB 1975年1月号に掲載された記事が初めてだと思われる。しかもこの記事では昔のディティールを復活させた新製品という体で紹介されていた[注 8]。これは同年に読売新聞社より発売された書籍、Made in U.S.A catalog 1975でも同様である[注 9]。その後、一部の店舗で独自に輸入された製品が販売されるようになるが[注 10]、日本法人に依る正規取扱は1978年まで待たなければならなかった[注 11]
502
1954年 - 1970年代初頭にかけて 501 のジップフライ版の 501Z XX(1966年以降 502-0117)という製品が販売されていた。1954年当時には試作的意味で、まずボーイズ用の 503Z XX やユースモデルの 504Z XX(いずれも後年日本で復刻生産される)を先行販売してから 501Z XX を発売している。それでも、01デニム使用のままジップフライとしたため、デニム生地の縮みに伴いジッパー部が歪み、故障が頻発したという。なお、1986年から復刻生産された日本製の 502はプリシュランクデニムのためそのような問題は無いほか、初期のものは隠しリベット付きであることから形態は 501Z XX の復刻版であり[注 12]、いずれとも異なるモデルである(後期復刻版では隠しリベットを無くして本来の 502 に近付いたが、パッチの型番表記の字体のみは原型と異なる)。なお 502という型番は、1950年頃 501(R) のビッグサイズのものに付けられたのが最初である。また、ジップフライの 502はアメリカでの生産停止後も、上記復刻版の登場までは香港などで少量生産されていた。
日本においては初めて輸入されたリーバイスのジーンズとされ、同社のカタログにもその旨が記載されていた[注 13]
505
1967年に発売されたジップフライ型モデル。前述の 501(R) や 502よりもやや細めのストレートジーンズ。前身は 551Z XX( Z は zipper :ジッパーの意)というロットナンバーで1961年、アメリカ東部向けに製造された。1990年代のジーンズブーム時にヴィンテージ物が非常に良く出回った。プロセス686と呼ばれる防縮加工が施された02デニムを使用。発売した頃は「シュリンク・トゥ・フィット」の謳い文句とは対照的に、ぴったりのサイズを買うよう求める文句がフラッシャーやタグに記載された。502と異なり、素材やシルエットのみならず、ヒップポケットやバックヨークの形状・寸法も 501とは別物である。特に1990年前後のものはバックヨークが狭くほとんど長方形に近い。517や510など多くのジップフライモデルは 505を基本としている。このロットナンバーは US505 と 505(俗称・極東505) の2種類が存在した。USバージョンはアメリカ製、USなしはフィリピン・香港・マカオ製である。同じサイズでもアメリカ製はテーパードシルエットでヒップポケットが大きめなのに対し、フィリピン製の方がパイプドステムで腿周りのシルエット、ヒップポケットともに細めだった。なお、アメリカ製には更にタイトな 506、逆にゆったり目の 550、オレンジタブの廉価版 20505、40505 や、ごく短い期間だが股上の短い 805も存在した。501と同様にレディスモデルもある。またボーイズ版は 305となる。
510
1980年代に 505から派生したテーパードストレートモデル。元々は 505よりも腿周りをゆったりさせたコンフォートフィットがコンセプトであったが、高めのヒップポケット位置と相まってヒップが上がり足が長く見える「足長ジーンズ」として人気があった。英語での呼称はファイヴ・テン。レディスモデル、スリム版の 610、廉価版の 20510、ボーイズ版の 210も存在した。レッドタブモデルはテキサス州エルパソ工場でのみの生産であった。
517
「サドルマン」あるいは「ブーツカット」と呼ばれる膝から下にかけ緩やかに広がるシルエットで、見た目の美しさが光るモデル。0217デニムを使用。ラングラーのジーンズと同様に折り目を入れて穿かれることも多い。1971年発売。505と同様にオレンジタブの廉価版(正式型番 20517 及び 40517)が存在した。コーデュロイ素材(素材コード15)のものも多く出回った。ボーイズ版は717。かつては類似した型番で 507というモデルが存在したが、こちらはフィリピン製のレッドタブ・ベルボトムジーンズであった。
569
リーバイスで一番太いシルエットが特徴、おもにHIPHOP系の人に履かれていたが近年のタイトシルエットブームですっかり影が薄くなってしまった悲劇のジーンズである。なお、アメリカには更に太いバギージーンズとして 570というモデルも存在した。リーバイスのルーズフィットジーンズは、1980年代に発売された 509辺りがその起源とみられる。
606
タイトスリム(スーパースリム)のジーンズ。1968年発売。一時期にはレッドタブのブルーとホワイトタブのブラック・ホワイトが生産され、ミュージシャンやアイビー派などの間で人気を博した。現在ではブラックとBIG「E」のオレンジタブ復刻バージョンがある。かつてはフィリピン製で更に細い「スーパータイト」の605というモデルも存在した。
646
膝から下の広がりが517よりも大きい「ベルボトム」と呼ばれるシルエット。1969年発売。オレンジタブでリベット・コインポケットは無い。またコーデュロイ素材などを除いて基本的にパッチ無し。それらの点以外、膝から上は 606 と共通で(但し後ろ両サイドのベルトループがかなりセンターに寄った製品もある)、裾のシルエットだけが正反対となる。ごく初期のものは、インサイドシームをロックではなく脇割り縫製していた。早くから日本製品も存在した。現在、ヴィンテージ・ラインに70646-0010として復刻されている。かつては裾の広がりが一層大きい 684(ビッグベル)や、逆に小さめで 517 との中間的なステューデントモデル 746 も生産された。他にリーバイスのベルボトムにはホワイトタブのカラージーンズ・609や、レッドタブの557というモデルもあった。

Lee

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101
アメリカの3大ジーンズブランドの一つ、Leeの製品。Leeではジーンズのことを Riders (この場合は馬の乗り手の意味)と呼称する。101 は、かのジェームズ・ディーンが映画劇中および私生活で愛用した。ボタンフライとジップフライの2タイプが存在。Leeはジーンズにジッパーを導入した初めてのメーカーでもある。

Wrangler

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11MW
1947年に発売。ハリウッドの西部劇スターの衣装をデザインしていたロデオ・ベンがデザインし、世界初のファッションデザイナーによるジーンズとされている。また防縮加工された初めてのジーンズでもある。Wranglerはそれまでウエスト・オーバーオールと呼ばれていたデニム製ワークパンツ(すなわちジーンズ)をジーンズと呼んで販売した初めてのブランドである。
13MW
11MW の後継モデル。全米プロ・ロデオ協会公認ジーンズである。ブロークンデニムを使用。このブロークン(ツイル)デニムは綾織の綾目を崩した織物で、表面がソフトで手触りも柔らかく洗ってもよじれることがない。ロデオ乗りの間ではスラックスのようにアイロンでセンタークリース(折り目)を入れて穿かれる。そのため古着として輸入された 13MW にはセンタークリースが白い線状に色落ちしている物がよく見受けられる。

BIG JOHN

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M1002
1967年に開発された日本人の体型に合わせた初めてのジーンズ。シルエットの改善により、世界のジーンズが作業着からファッションになるフィットするジーンズの起源モデル。
それまでは、アメリカ人の体型に作業着シルエットのため、非常に太く、背が低く細い日本人には合わなかった。
また、世界で初めて製品洗いしたジーンズの後継モデルで、現在の中古洗い加工など日本ジーンズのパイオニアモデル。

EDWIN

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400番台
インターナショナルベーシックシリーズのジーンズ。エドウイン社のストレート・スリムジーンズの定番となっている。402 - 405 がストレート、406 - 408 がスリムである。ストレート・スリムともに末尾の数字が大きくなるほど太目のモデルとなる。
503
現在のエドウインにおける定番シリーズ。洗い・防縮加工のみの製品から、甚だしい色落ち・傷つけ加工を施した製品まで、多彩なシリーズ展開を誇る。
505
赤耳付きヴィンテージジーンズが流行した1990年代なかばに一世を風靡した。
1400番台
1980年代のインターナショナルベーシックシリーズ。一世を風靡したブリーチのYT1410(ロンドンスリム)を筆頭にストレート、ルーズスリムまで、現在と同様に多彩なラインナップを誇った。

国産レプリカブランド

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ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. ^ 裸足のブルージン(1975年公開の藤田敏八監督の日本映画)
  2. ^ ブルージンのあいつ(菊川近子の少女漫画)
  3. ^ ブルージンの子守唄萩原健一の1枚目のシングルレコード)
  4. ^ ブルージン・ピエロ稲垣潤一の8枚目のシングルレコード)
  5. ^ 主に香港製の製品を販売
  6. ^ 正確な表記は 501Ⓡ(Rの丸囲み文字)。特殊文字のため本文では代替表記を行った。なお、アメリカ製の501や505などの中にはタブの刺繍がこのⓇ(サークルR)のみのものが一定の確率で存在した。
  7. ^ ただし正式型番は 501ではなく、55501、71501などのように原型の年式が頭に付く。
  8. ^ 「この、いまと昔のストレートをドッキングさせたのが501ジーンズなのだ。フロントのアルミのかくしボタン。このたった一つのディティールを復活させるために、品番501ができたとしか思えない。だとするとジーンズ党にとっては実に嬉しい話である。アメリカの若者もさすがにこれの復活を待ち望んでいたらしく、かなりのニュースになっている。」(記事より抜粋)
  9. ^ 「ここにあるリーバイス社のロット501というジーンズは、本格派ジーンズ党が、心待ちに待ち望んでいたジーンズなのだ。つまり、120年前、リーバイ・ストラウスがキャンバスで作ったジーンズ1号と同じデザインを多少現代人に合うカッティングに変えて再現したのである。」中略「ロット501の出現は、案外、こんな声を反映して生まれてきたとも思えるのである。」(記事より抜粋)
  10. ^ アウト・ポスト(六本木に存在した個人店)で価格は6300円(MEN'S CLUB 1976年11月号)。joint(2000年まで存在したダイエーのジーンズ専門店)で価格は4500円(MEN'S CLUB 1977年7月号)。
  11. ^ 当時の日本法人は香港法人リーバイ・ストラウス(ファーイースト)リミテッド日本支社。価格は6200円(MEN'S CLUB 1978年11月号)。日本法人発足前は株式会社堀越商会がリーバイスの総代理店だったが、取り扱った商品は 502-0117 や 519(CALIFORNIANS) などであった。
  12. ^ 当時日本製品に 501の名を使用できなかったため止むなく 502 となったと言われている。以降同様に701XX、504Z、503B、503Z、50s(1950年代の501)などの復刻が続き、近年のものでも正式型番が「501」のみの日本製品は発売されていない。
  13. ^ 「そして、日本のジーンズ・マニアが、なぜここまで502にこだわるかといえば、60年代初期に日本に輸入された最初のリーバイス・ジーンズだったからなのだ。現在の日本のジーンズ・マーケットは、この502からスタートしたといっても過言ではない。(Levi's BOOK CATALOG 1986より抜粋)

出典

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  1. ^ Oxford Dictionaries
  2. ^ チノ – ファッション用語”. オーダースーツ Pitty Savile Row. 2022年6月14日閲覧。
  3. ^ a b ジョアン・フィンケルシュタイン『ファッションの文化社会学』成実弘至訳 せりか書房 2007年、ISBN 9784796702799 pp.50-53.
  4. ^ MEN'S CLUB volume32(1963年)に掲載された記事「all about white jeans」。(一例であり該当の呼称は1980年代まで複数媒体で使用されていた)
  5. ^ 日本及日本人昭和51年玄冬号に掲載された植村鷹千代のエッセイ「ジーパンのこと」で筆者がメーカーから同様の説明を受けたとある。
  6. ^ a b 『ジーンズハンドブック新訂9版』繊維流通研究会、8章日本のジーンズ発展史より
  7. ^ a b c d e 『アメトラ』デーヴィッド・マークス、DU BOOKS、2017、4章ジーンズ革命p112-142
  8. ^ 白洲次郎 ジーンズ姿に「米国、何するものぞ」の気概
  9. ^ a b c d e HISTORY 沿革 | BIG JOHN JEANS Since 1940”. 1940.bigjohn.co.jp. 2025年11月25日閲覧。
  10. ^ a b c 1960|EDWIN HISTORY | ジーンズ、デニムのエドウイン(EDWIN)公式ブランドサイト”. edwin.co.jp. 2025年11月25日閲覧。
  11. ^ a b history”. bobson.co.jp. 2025年11月25日閲覧。
  12. ^ 会社案内|タカハター株式会社”. www.tk-takahata.co.jp. 2025年11月25日閲覧。
  13. ^ デジタルアーカイブ | BIG JOHN JEANS / ビッグジョンジーンズ”. デジタルアーカイブ | BIG JOHN JEANS / ビッグジョンジーンズ. 2025年11月24日閲覧。
  14. ^ a b 国産ジーンズ・アメカジの通販ならジーパンセンターサカイ公式通販サイト|会社沿革”. eight-g.net. 2025年11月25日閲覧。
  15. ^ 第4回 国産ジーンズ誕生記 その3”. caqu official. 2025年11月25日閲覧。
  16. ^ 第5回 国産ジーンズ誕生記 その4”. caqu official. 2025年11月25日閲覧。
  17. ^ 国産ジーンズ・アメカジの通販ならジーパンセンターサカイ公式通販サイト|会社沿革”. eight-g.net. 2025年11月24日閲覧。
  18. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、144頁。ISBN 9784309225043 
  19. ^ “女生七嘴八舌嚷「解放」 老教授硬是不准入課堂” (Chinese). The Kung Sheung Daily News. (1977年5月27日). https://mmis.hkpl.gov.hk/coverpage/-/coverpage/view?_coverpage_WAR_mmisportalportlet_hsf=%E7%89%9B%E4%BB%94%E8%A4%B2&_coverpage_WAR_mmisportalportlet_actual_q=%28%20verbatim_dc.collection%3A%28%22Old%5C%20HK%5C%20Newspapers%22%29%20%29%20AND+%28%20%28%20allTermsMandatory%3A%28true%29%20OR+all_dc.title%3A%28%E7%89%9B%E4%BB%94%E8%A4%B2%29%20OR+all_dc.creator%3A%28%E7%89%9B%E4%BB%94%E8%A4%B2%29%20OR+all_dc.contributor%3A%28%E7%89%9B%E4%BB%94%E8%A4%B2%29%20OR+all_dc.subject%3A%28%E7%89%9B%E4%BB%94%E8%A4%B2%29%20OR+fulltext%3A%28%E7%89%9B%E4%BB%94%E8%A4%B2%29%20OR+all_dc.description%3A%28%E7%89%9B%E4%BB%94%E8%A4%B2%29%20%29%20%29&_coverpage_WAR_mmisportalportlet_sort_field=score&p_r_p_-1078056564_c=QF757YsWv5%2BaFKLr9PBvgILoEa3mihLU&_coverpage_WAR_mmisportalportlet_o=11&_coverpage_WAR_mmisportalportlet_sort_order=desc 2019年2月25日閲覧。 
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  21. ^ a b c d e f 『アメトラ』デーヴィッド・マークス、9章ビンテージとレプリカp287-322
  22. ^ アメリカ村『新しい息吹の集まるまち』【1985年前後】
  23. ^ What is Selvedge Denim?Tod Shelton, October 29, 2019
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関連項目

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外部リンク

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